養生訓と暮らしフルネス

貝原益軒という人物がいまます。郷里の福岡県出身で幼少期には父の知行地である飯塚市で学問を学んでいてその石碑も残っています。この貝原益軒は、数々の著書を出していますがその有名なものに「養生訓」というものがあります。

この養生訓は、現代にも通じる智慧の宝庫であり私も最近になって知ったのですが暮らしフルネス™ととても共通するものがあります。歳を重ねるたびに心豊かになり、楽しみが増えていく生き方をすることを養生訓でも説いています。そして恩返しに生きることの大切さ、徳を積むことの価値についても言及しておられます。

江戸時代には日本のアリストテレス、東洋のアリストテレスといわれるほどに自然科学や哲学に精通しており、また実践家でした。農業全書の出版などにも支援され、実学を中心に人の生きる道を示された人生だったようにも思います。

特に注目すべきは、「心の養生」のところです。養生とは、暮らし方のことですがどのような心の暮らし方をするのかを貝原益軒は説きます。そこにはこう記されます。

“養生の術は、まず心法をよく慎んで守らなければ行われないものだ。心を静かにして落ちつけ、怒りをおさえて欲を少なくし、いつも楽しんで心配をしない。これが養生の術であって、心を守る道でもある。心法を守らなければ養生の術は行われないものだ。それゆえに、心を養い身体を養う工夫は別なことではなく、一つの術である”

意訳になりますが心を守る道、自分自身の心の状態をいかに暮らしで整わせていくか。その心整う暮らし方こそ大切な方法なのだといいます。それが体そのものを養生する暮らしになっているということ。心と体は暮らし方によって決まるといいます。

“心を平静にして徳を養う 心を平静にし、気をなごやかにし、言葉を少なくして静をたもつことは、徳を養うとともに身体を養うことにもなる。その方法は同じなのである。口数多くお喋べりであること、心が動揺し気が荒くなることは、徳をそこない、身体をそこなう。その害をなす点では同様なのである”

そして心の暮らし方においては、まずその心を穏やかにして徳を積むこと。この徳は、伝統的な暮らし方を通して徳を磨いていくこと、精進することだといいます。この徳を磨くことで、暮らしはさらに洗練され豊かになっていきます。

脳みそばかりを酷使するようなことを抑え、頭でっかちになっていくのは迷いであり気も荒くなり暮らしがととのわなくなると。なので、まず暮らしを整わせることに集中することだといいます。

私は養生訓が現代でも通じるのは、そこに人の暮らし方が記されているからです。どのような暮らしをしていくことは豊かであるのか、そして仕合せであるのか。その暮らし方について語っている本だから普遍的な価値を持っているのです。何が仕合せであるのかを善く見つめ、それは徳を磨くこと、恩に報いること、そのような暮らしを積み重ねていくことなど、暮らしが足るを知り満たされて喜びになるという答えを生きています。

暮らしフルネス™がこれから多くの人々の心の癒しになるように祈り、同郷の先達であった貝原益軒の想いも受け継いでいきたいと思います。

謙虚さと幸運

自然界というものは、人間の欲に敏感なように思います。人間が欲を持つことで、自然はそれに反応して対応してくるように思います。

私は自然農を実践していますが、自然に対して欲をもって接するときはその欲の種類に合わせて結果が変わってきます。例えば、自分の都合で収量を増やそうとすると虫や病気が来たり、便利にやろうとすると動物や天災などがやってきます。こんなことをいうと不思議に思われるかもしれませんが、自分の状態に合わせて自然もまた対応してくるのです。

この逆に、無の境地というか自然体で自然と一体となって作物を見守り育てるときは作物は健やかによく育ちます。虫や病気にも負けず、動物たちも悪さもせず天災も乗り越えていきます。

もちろん科学的みたら、肥料がよかったとか、菌類が豊富だったからとか、環境がよかったからではないかとかいくらでも理屈はつけることができます。しかし実際には、そんなことよりも欲が少なく足るを知るからこそよく育ったと感じているのです。

自然に対して自分がどのような状態でいるか、それはなかなか重要には思われません。しかし科学的には証明されなくても、むかしから謙虚であれば自然との共生関係ができ、傲慢になると災害が訪れるというのは先人の諺の中にもたくさん残っています。

津波や地震、その他の災害でもそれを乗り越えてきた人たちは一様に謙虚さがありました。そして謙虚だからこそ運をもっていました。この幸運は、常に謙虚さと一対であり、自分の欲を少し抑えてその分、全体快適になるように自分を努めれば運に恵まれていくのです。

自然農をはじめ、私が取り組む甦生はこの原理原則を重んじています。だからこそ、暮らしをととのえる必要があり、暮らしフルネス™を実践していく必要があるのです。

先人たちが身に着けてきた暮らしの中に、日本人の原風景があります。この日本の原風景が里山でもそして結というコミュニティの中でも顕現しています。

子どもたちに譲り遺したい未来を仲間たちとともに広げていきたいと思います。

真の智慧

人間に限らず、すべての生き物はその土地や風土の影響を受けています。それは単に肉体だけに影響を及ぼすだけではなく、精神を含めた全体に大きな影響を与えるのです。また石ころのような鉱物においても、場所を移動することでその影響を受けるように思います。

自然界の真理として、「適応する」ことが「変化そのもの」ですからこの世のすべては風土に合わせて適応するという仕組みが働くのです。逆説になりますが、風土が適応し続けているから私たちもその風土の影響を受けて変化するということなのです。

この世は、よく自然を観察すればわかりますが宇宙全体で変化しながら適応をし続けています。変化しない存在などは一つもなく、風土は常にその場所で変化し続けています。

私たちは移動する生き物ですから、人間は多くの場所に移動することによって多様性を発揮していきました。人類の生存戦略は、あらゆるところに移動してきたことです。そして移動しながらその場所に適応してきたことです。まもなく人類は宇宙にも旅に出ようとしています。その土地の風土によってまた適応し、肉体だけでなく精神もまた変化していきます。

おかしな話ですが、この地球に来る前に私たちは宇宙から飛来してきているのは間違いありません。なぜならそうやって永遠に適合していくようにあらゆる姿に変化して存在しているからです。宇宙はそうやってあらゆる姿に変わっては、適応し続けて変化を已みません。

その風土の中でどう適応してきたか、その適応してきたプロセスと結果こそが真の智慧であり、人類はそれを真の智慧であるということに気づく必要があると私は思います。その智慧が、この先の未来にとって必要なのは間違いありません。地域の伝承や口伝、またその暮らしの智慧を一つでも次世代につなぐことで私たちは適応を循環させていくことができます。

変化のもつエネルギー、変化のなせる業を子どもたちに伝承していきたいと思います。

士君子

「士君子」という言葉があります。これは学問に通じた徳の高い人のことをいいます。別の言い方をすれば、智慧があり徳を実践する人のことでもあります。この士君子は中国の言葉です。

中国の古典の菜根譚にはこういう一文があります。

「士君子(しくんし)貧なれば、物を済うこと能わざる者なり。人の癡迷の処に遇わば、一言を出して之を提醒し、人の急難の処に遇わば、一言を出してこれを解救す。亦是れ無量の功徳なり。」

直訳すると、学に通じる徳の高い人は金銭的なもので他人を救済できなくてもその学問から得た智慧から人々が何かに困窮して迷うときこれをその智慧の言葉や徳の実践によって迷いを取り払うことができる。まさにこれこそ、偉大な功徳になっているのです。

つまりこの士君子の意味は、智慧と徳を併せ持つ人物ということです。智慧と徳は本来はイコールで、分かれているものではありません。徳ある人は智慧を持ち、智慧がある人は徳があるのです。なぜなら、徳は智慧の実践によって磨かれるものであり、また智慧も徳の実践によってはじめて積み上げられるものだからです。

私は、この智慧と徳を伝統文化の甦生や先人たちの智慧の伝承の中で学問を探求することができています。この今も、先人たちの遺徳が遺るこの場の御蔭で士君子の学問を暮らしを通してさせていただける有難い機会を得ています。私が仕合せなのは、この智慧と徳を実践する機会と場があることだと改めて感じます。

現代は、士君子を醸成するような環境がととのっていません。つまり先人たちの智慧や徳に触れる機会がないのです。これでは、士君子は育たず、本物の技術も伝承されていくこともありません。

私が場の道場でもっとも大切にしているのは、本物の技術者を育成することです。本物の技術者とは、この智慧と徳の実践をし磨き研ぎ澄まされた暮らしの中で真の技術力を発揮して社会に大いに貢献できる人のことを言うと私は思っています。

道具を産み出す人は、道に精通していることが肝要です。道なき道具は道具ではなく、それはただの具です。具は、使い手によってどうにでも使われてしまいます。戦争の具になったり、世の中を荒廃させていく愚にもなります。

だからこそまず士君子を醸成することが第一であり、その士君子は日本伝統の場の中で育むことが重要なのです。今は、道に入る場がだんだん減ってきています。道に導くような大人も減ってきています。

だからこそ「場」が重要であり、この士君子の育つ場づくりを通して立派な人物を世の中に醸成していくための真の舞台を整えていく必要があるのです。私が取り組むこのBA(場の道場)ではその役割を果たすべく暮らしフルネス™を展開しています。

子どもたちが、世界で活躍し徳を弘め、立派な道具を産み出す技術を使える人物になって仕合せになるようにこの場から私が背中を見せていきたいと思います。

 

枯山水のつながり

徳積堂に枯山水の石庭を作庭していますが、配置が決まらずにいろいろと思案しています。もともと「枯山水」という言葉は、平安時代の『作庭記』(さくていき)という日本最古の庭園書に出てきます。まとまったものとしては世界最古のものと言われるそうです。

実際にこの「石」を使った庭のルーツは、巨石信仰にもあるように思います。人は、石が配置されているものを観てそこに不思議なつながりや力を感じたのでしょう。宇宙からのエネルギーを保存し、それを吸収して別のものにして放つ石のもつ癒しの力に畏敬の念を持ったのかもしれません。

BAの庭にも、1億年以上前の植物の化石の巨石が中庭に配置しています。また妙見神社のお社の磐座としても鎮座してもらい、そこを依り代にしていただくように場をととのえています。

徳積堂の庭は、茶庭になりますがそこに枯山水を配置します。かつて作庭家の夢窓疎石は仏教の宇宙観である「須弥山世界」を作庭しました。庭にあの世をつくりそこで座禅し瞑想することで「清らかなあの世を思い描いていると極楽浄土に行ける」という信仰が枯山水に投影されました。

また小堀遠州というもう一人の作庭家は、茶道の神髄と合わせた「綺麗さび」という美しく気品のある「書院枯山水」を作庭しました。心静かに、豊かに穏やかな空間の場を庭との結びつきを通して実現しています。その時代時代に、どのような枯山水を作るのかは志が同じでも出来上がりは異なるものです。私は、この時代に徳を甦生し、徳を可視化することに取り組むため、その徳を顕現させるような作庭にこだわるつもりです。

それに私は一昨年から石風呂を極めるために石を深め石に触れてきましたから「石」がとても好きになりました。その石を集めて庭を造ることは仕合せなことで思案しているだけでわくわくします。人々の心を癒せるよう、魂が甦生できるよう徳を主役にした徳積堂はまもなく開業する時期を迎えます。

そのおもてなしのはじまりで入り口をどのような作庭にするかは、私の思想と哲学、そして発明が入ったものになると思います。子どもたちの未来につながり、結べるような作庭をしてみようと思います。

真の幸福論~暮らしフルネス~

現在、一般的に世界の三大幸福論はヒルティの『幸福論』(1891年)、アランの『幸福論』(1925年)、ラッセルの『幸福論』(1930年)と言われます。ほかにも数々の哲学者が幸福論を書き記していますが、原初は古代ギリシャ哲学者アリストテレスにあるように私は思います。

アリストテレスは幸福を「真の幸福とは、徳のある人生を生き、価値ある行為をすることによって得られる」と定義しています。

私はこの言葉が真の幸福論の原点に近いものだと思っています。真の幸福とは何かを人類は今までずっと追及してきました。特に現代は、何が本当の幸せなのかということがあまり議論されることもない情報化のスピード社会に呑まれています。こういう時こそ、何のために生まれてきたのか、人類の仕合せとはいったい何かということを原点回帰して見つめ直す必要があるように思います。

それこそが人類の平和や未来を考え直すきっかけになりあらゆる環境問題や人種問題などを解決する根源治癒になっていくと思います。

人は元来、最初から自分に備わっている徳性というものがあります。その徳性そのものがすべての存在の真の価値です。これを活かしあう、めぐらせる、いきわたらせる、そういう共生関係の中にお互いの徳が満ち足りていきます。私はそれを日本に古来から続いてきた伝統的な暮らしの中に見出しました。これは単なる長く続いていた生活のことをいうのではありません。先人が長い間、磨き上げてきた徳、その生き方と実践、そういうものを私は「真の暮らし」であると定義しているのです。つまり伝統的な暮らし=真の暮らしということです。

この真の暮らしは、この先人たちの徳の中にこそ存在します。その徳を感じるためには、私たちはいつまでもないものばかりを追いかけるのをやめなければなりません。不足ばかりを思い、もっともっとと欲望ばかりを追いかけていても徳は顕れてくることはありません。

今あるものは本来は完全で満ちています。不完全はなく、存在は完全そのものです。この徳の本体をしっかりと受け止め、そのいただいている恩恵に感謝し、その徳に報いていくことが価値のある行動になっていくのです。

自然研究をし一つの真理を得た万学の祖と呼ばれたアリストテレスは、今から2300年前の人物ですがすでにその時に、本当の幸福論はもう定まっていたということでしょう。そこから複雑になっていき、いろいろな人が出てきて新説が出てきましたが真理は対極にあるものではなくいつも絶対的で二つが一つになっているものです。

分かれたものを和にする、私はまさに今こそ原点回帰して祖に帰す必要があると思っています。

私が提案する「暮らしフルネス™」は、暮らしで足るを知るという意味も込めています。フルネスというのは西洋の言葉ですが、暮らしフルネスは私の造語です。これは足るを知る暮らし、言い換えれば「徳に生きる暮らしをする」ということです。

今回、魂の友人が協力してくださってこのブログの記事を抜粋して暮らしフルネスのことをまとめた新著を上梓してくださいます。アリストテレスの誕生から2300年経ち、もう一度、幸福論の原点回帰を提案するのです。

コロナ禍でこれからどう生きていけばいいか、どの道を歩めばいいのか迷う人が増えている中でこの本が人々の心を癒し、平和に貢献し、同志を鼓舞することができることを祈念しています。

引き続き、徳を磨いていく日々を精進していきたいと思います。

 

徳の次元を生きる人たち

「天の蔵に徳を積む」という言葉があります。今の時代は、あまりこの言葉は使われなくなって知らない人も増えてきているように思います。蔵という言葉も、蔵自体がなくなっていますし、天の蔵といえばまたイメージがしにくいのかもしれません。

蔵とは大事なものをしまこんでおくところをいいます、そして天の蔵というのは自分の大切にしているものをこの世ではないところにしまいこんでおく場所のことです。

ここでのこの世というのは、現実の自分がいる世界のことです。あの世というのは、自分の先祖や今までのご縁やつながりで存在している別の次元の世界のことです。シンプルにいえば、生まれる前からあり死んだ後もある世界のことです。

科学が進めば進むほど、私たちはこの世とあの世の境界線に近づいていきます。その時、人類にははっきりとあの世の存在の偉大さに気づきなおします。気づいたときに、何を最初に悟るか。それはこの「天の蔵に徳を積む」ことの重要さに出会うことだと思います。

私たちは、目に見える世界と、目には観えない世界が存在します。目には観えないところであらゆるものがつながっていき、目に見える世界で形になっていきます。その逆に、目に見えるところを形にしていくことで目には観えない世界が結実していきます。

この両方の間にあるものを可視化したものが一つの「徳」というものです。この徳を直観し、その徳を積んでいく。言い換えるのなら、磨いていくことで天の蔵にその大切なものをしまいこんでいくことができるのです。

このしまい込んでいくというのは、記憶していく、記録していくということです。それが残ってあらゆるものと和合してご縁が結ばれまた新しい物語を産み続けます。因果応報という言葉もありますが、功徳や善行を積めば、それが長い時間をかけて結実し子孫だけでなく、自分の魂をも磨いて純粋に美しくしていくことができるのです。

幸田露伴が、かつて幸福三説の「惜福」でこう述べます。

『「惜福」とは、自らに与えられた福を、取り尽くし、使い尽くしてしまわずに、天に預けておく、ということ。その心掛けが、再度運にめぐり合う確率を高くする。露伴は「幸福に遇う人を観ると、多くは「惜福」の工夫のある人であって、然らざる否運の人を観ると、十の八、九までは少しも惜福の工夫のない人である。福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。惜福の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けて居る人が不思議に福に遇わぬものであることは、面白い世間の現象である』

これが「天の蔵に徳を積む」ことです。

どうやったら陰徳を積めるか、どうやったら天の蔵にしまい込んでいけるのか。これを知っている人こそ、この惜福の工夫をする人であり、この世で幸福を実践している人ということになります。

私たちは目に見える世界で、競争し対立し、その中で迷い自分を見失うことも増えています。しかし、天の蔵に徳を積む人たちは迷いも少なくこの世での自分の使命を知り、魂を磨き続けていくことに余念がありません。

日々の暮らしの中で、私たちはこの「徳」に触れる機会が何度もあります。大切なのはその「徳」に気づくことであり、その「徳」を磨いていくことです。そうしていけば、天の蔵からその徳を引き出しその徳がこの世に真の豊かさや仕合せを結んでいくように思います。

私たちの意識は、いろいろな次元をもっています。この「徳の次元を生きる人たち」は、これからの新しい時代の先導者たちになるはずです。子どもたちの未来のためにも、私は私の道を迷いながらも徳を意識して道を歩んでいきたいと思います。

子ども第一義

子どもというのは、自然からの宝であり恵みです。それは私たちが発展繁栄するためになくてはならない存在だからなのはみんなわかっています。子どもがいない社会というのは、この先、発展することがない、つまり未来がない状態ともいえます。

子どもがいるから持続するのであり、それがなければ持続する理由もありません。そういう意味での子どもということを一度、ちゃんと定義しなおす必要を私は感じています。

現在、一般的に世の中で子どもというものの定義は、いわゆる大人と対比した幼いころの大人、まだ若く小さく未熟な存在としての子どものことを指していることが多いように思います。

しかしこの子どもは、私たちの未来そのものですから過去と今と未来をつないでくれる大切な伝承者ということにもなるわけです。何を伝承してもらいたいのか、何を伝承してくれるのかを私たち大人はきちんと向き合って子どもたちのために何ができるのかを大人たちが子どもたちに素直に語りかけていかなければなりません。

そして私たち大人も大切な伝承の役割を担っています。両親をはじめ祖父母、そして先祖の方々の想いや願い、いのり、その生き方を受け継ぎそれを子どもたちにつないでいく役割です。つないでいく役割は、決して肉体的な子孫を残すというだけではなく精神的なもの、文化的なもの、環境的なもの、あらゆるものをつないで子孫に譲り渡していく役割を担っています。

そういう意味で、子どもとはどういう存在なのかの定義が大切になるのです。

私たちの会社は「子ども第一義」というものを理念にしています。これは第一主義ではなく、第一義、つまり絶対的なものとしています。この第一義は、上杉謙信がかつて掲げていた理念です。つまり物事の根本、根源という意味です。

子ども第一義とは、子どもが根本であり根源であるという意味です。私たちが子どもをどの位置で観ているのか、そして定義しているのか。その視座や全体観がまずあって、未来への語り部になれるように日々に社業に精進しています。

子どもが憧れるような未来、子どもが憧れる生き方と働き方を目指していい会社、いい仕事をしていきたいと思います。

美しいものづくりの心

昨年、友人から「印伝」の名刺入れをプレゼントしてもらいました。現在は、とても重宝していて使うたびに日本の美しいものづくりにうっとりします。

この印伝は、ウィキペディアには「印伝または印傳という名称は、貿易を行った際に用いられたポルトガル語 (india) またはオランダ語 (indiën) の発音にインド産の鞣革を用いたことから印伝という文字を当てたとされる。この名称は寛永年間にインド産装飾革が江戸幕府に献上された際に名づけられたとされる[1]。 専ら鹿革の加工製品を指すことが多い。印伝は昔において馬具、胴巻、武具や甲冑の部材・巾着・銭入れ・胡禄・革羽織・煙草入れ等を作成するのに用いられ、今日において札入れ・下駄の鼻緒・印鑑入れ・巾着・がま口・ハンドバッグ・ベルト・ブックカバーなどが作られている。山梨県の工芸品として甲州印伝が国により、その他の伝統的工芸品に指定されている。」とあります。

この鹿革を加工する技術は実際には西暦400年代に高麗から入ってきたことは『日本書紀』に書かれているといいます。その当時は紫草の根からとった染料や、あかねの根の汁で染めたりした鹿革に絵を描いたり、木版等で着彩をしたり松ヤニなどをいぶしてその煙により着色したともいわれます。それが西暦900年代入り、武士がが鹿革を甲胄に使用するようになります。 応仁の乱(1467年)以後、乱世で革工は発展し鹿革も重宝されました。有名な甲州印伝は武田信玄が関係しています。信玄は甲冑がすっぽり入る鹿革の袋をつくらせそれを「信玄袋」と言われています。

その後は甲州の革工が革に漆を付け始め、松皮いんでん、地割いんでんとも言われ同時に京都の革工が更紗風の印伝革を造って繁盛しました。明治以降は海外より輸入された多様な革製品が日本で使われるようになり印伝も時代に合わせ様々な形に姿を変えて今があります。

非常に歴史のある存在の「印伝」は、日本人には深いつながりがあります。

漆と美しい文様を伝統の革職人たちが丁寧につくりこむ。丈夫で長持ちしながら衛生的で美しく、文様によっていのりや力を入れ守護する存在となる。この日本人の精神が丸ごと和合しているものがこの印伝の魅力ではないかと私は思います。

私が贈っていただいた名刺入れは、藍染と漆が調和して深い藍色が出ています。大切なものを仕舞い、またお渡しするものだからこそそれを包むものも日本の心でおもてなす。まさに印伝はこれからも活躍する日本を代表するものづくりの一つになるように思います。

日々の暮らしの中に日本の伝統とともにあり、子どもたちに伝承していきたいと思います。

暮らしの甦生~想いを大切にする文化~

むかしのものづくりは、ずっと末永く大事にする心をもって取り組んできました。その証拠に、むかしのあらゆるものは再生可能でありお手入れができるものでできています。これは現代でいう担なる物体としてのモノではなく、まさに想いの入った「ものがたり」の「もの」だったように私は思います。

その「ものがたり」を扱うから、職人さんたちはその想いを手から汲み取りそのお想いに相応しい甦生をみんなで力をあわせて手掛けてきました。私が取り組む「暮らしの甦生」は、このいのちや想いのこもったものがたりを甦らせ続けていく語り部たちとしていつまでもこの世で一緒に生きていけるように再生していくような取り組みのことなのです。

私の身の回りには、いつも甦生し再生されたものばかりに囲まれています。言い換えれば、想いが入ったものがたりの中を暮らしているともいえます。例えば、亡くなった友人の幼いころの産着のお着物をお母さんがコースターに甦生させたもの、他には、長年使われていた樽がお風呂の桶になったり、古い納戸をガラステーブルになっていたり、それまで大事なお役目と使ってきた人たちの想いがさらに新しい時代に活かされるようにと変化を遂げています。

この末永く使えるようにしようとするのは、そこに大切な想いやものがたりがあるからです。それを受け継いでいくことが想いを活かすことであり、ものがたりをその先にまでつないでいくことになります。私はこの想いのあるものがたりたちの御蔭でとても豊かな暮らしを深く味わうことができています。私たちはモノが増えて心が貧しくなっている原因は、まさにこの暮らしの真の豊かさを忘れてしまったところにあると確信しているのです。それが私が「暮らしフルネス」を提唱し実践している理由でもあるのです。

現代は、本来は想いがあるものであったものが想いがないものになりなんでも古くなればすぐに新しいものに買い替えます。想いやがあるものや古いものを修繕してお手入れしようとすると膨大な費用がかかります。それにものづくりをする際に、それだけ長く使おうとは思ってもいない素材で安易にものづくりをしてしまっています。なので、以前のようにものづくりに携わる職人たちが想いを再生させることも難しくなっているのです。経済を発展させることを優先しすぎて、大量生産大量消費を繰り返すなかで想いが粗末にされていきました。想いはいのちそのものですから、いのちもまた粗末になっていきました。その結果、クローン技術や遺伝子組み換え、3Dプリンターなども生まれてきました。別に想いがなくても「もの」はすぐにつくれてしまうのです。

それにいくら末永く大切に使おうとしても、すぐに交換でき買い替えることが前提でつくっていますからそれを長く使おうにもすでに再生ができない素材や状態のものになっていて結局はメンテナンスができず壊れるから全部新しくするしかなくなるのです。もしもその素材を末永くずっと使おうするのなら、もっと不便でお手入れがいるもの、自然物にしないといけませんが購入する側もそれが手間暇と技術と費用が掛かり大変だからと次第に選ばなくなっていき今の状態になっています。

しかし現実はものを使っているとそのものとの関係性からものがたりと想いがそこに詰まっていきますから簡単には捨てることはできません。その想いをつなぎながら新しくするのは甦生ですが、現在は想いもなくただ捨てるだけになってモノ化しているのです。そういう意味では、現代は甦生できる人が以上に少ない世の中になったものです。古民家なども、親がなくなってしまえば空き家になって朽ちるまでそのままにして解体するまで甦生する機会すら得られません。

私が深く印象に残っている甦生の機会は、もう100年以上前の先祖代々の産湯の桶をずっと孫が生まれるたびに使っている桶を職人さんが修繕しているときです。その甦生の機会を得た桶も、また持ち主も、そして職人もみんなが甦生したのです。そこには確かな「想い」をみんなで大切に守ろうという深い意志を感じました。

すべてのものづくりには、そこに「想い」があります。

日本は本当は想いを大切にする国だったからこそ、日本は世界一のものづくりの国なったように私は思います。それはすべてのものにはいのちが宿る、つまり想いが宿っているのです。八百万の神々というのはそういうことなのでしょう。そのものをいのちとして、想いを甦生させ続けて永遠を共に生きる民族だからこそ世界一のものづくりを実現したのではないかと私は思います。暮らしフルネスの中で、この「お手入れ」や「修繕」はまさに家に例えれば暮らしの大黒柱なのです、

引き続き、子どもたちのためにも日本文化のゆりかごになるであろうこの「お手入れ」を伝承していきたいと思います。