倫理法人会の創始者、丸山敏雄氏は日本の伝統的な智慧を実践に結びつけているように思います。本来、日本人の親祖や先祖がどのように暮らしを立てたか、私たちは別に西洋や海外のからの暮らしを取り入れなくても、原点的というか、本来的にもっとも純粋に取り組んでいた何億年も何千年もの間、培われてきた「智慧」を受け継いできました。
今こそ、本来の「智慧」に回帰して暮らし方を換える必要があります。そしてそれを時代の言葉に置き換えて翻訳をする伝承者がいます。まさに丸山敏雄氏も一つ前の時代の伝統的日本人だったように思います。
その丸山敏雄氏が、解き明かした日本人の真理と知恵を倫理法人会の資料から抜粋して紹介します。
イ. 全一統体の原理
世の中のすべてのものは、物も人もただ一つの生物でもあるかのように、一つに統(す)べられている。その一は幽なる純一界であり、人間の五感にとらえられるこの現象界は顕界である。つまり形のあらわれた顕界のもろもろは、幽なる超経験的世界に統一されているとする。これは歴史的には天御中主神およびその他の神々の働きから把握されたもので、地球的、空間的には世界のすべての存在物に対する体験的把握に基づいている。
ロ. 発顕還元の原理
物はすべて、+と-といったような二方向に、ことがらも、発するほうへと還るほうに働いているもので、振子のような具合である。入ったものは出るし、出たものは入る。取れば取られるし、与えれば、また与えられるとする原理。これは歴史的には高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と神産巣日神(かみむすびのかみ)の働きから、そして空間的には存在するものの実相から把握されたものである。
ハ. 全個皆完の原理
大も小も、新も旧も、色も味も、どこも、いつも、彼も、此も、常に完全で、足らぬものはなく、余るものもない。ともに玲瓏として玉のように完(まった)く、美しく、善である。個々のものも、すべ括(くく)った全体も、万象万態すべて善、美、完であるとする。これは一般的な善悪、美醜、完全不完全にたいし、超越的な高度の態度から万象を見たもので、歴史的には伊邪那岐命、伊邪那美命が水蛭子(ひるこ)を産んだ失敗の反省から、やり直しをしたことにもとづいている。これは失敗は成功の道行きであり、それはそのままでよいとする思想に基づく。
「人生に失敗は無いのだ、すべて成功の道行き、成就の行程・・・。従って人生はその瞬間瞬間、常に総力の結集、すべての因子の過不及なき総合調和にある。そして、なんらの矛盾もなく一つの偶然も無い、あるべくして在り成るべくして成る。公正無私、悠々坦々、れいろう玉のごとき人生だ。」とあるのは「全個皆完の原理」のことである。
二. 存在の原理
存在しているものは、それぞれに唯一絶対の価値をもっている。すべて、そこにもここにもあるものではなく、たった一つの存在で、絶対である。したがって存在の真実相は動静一体、賢愚不二、貴賎不分、美醜一如であるとする。この原理から、一切を受け容れるという倫理が導き出される。ここに小さな自己の知恵才覚は消滅し、無欲括淡な生活に入る。大宇宙すなわち我であり、人我一体、天人不二、絶対無我、純一無私であり、倫理の究極がすえられる。この原理は「全個皆完の原理」に続くもので、歴史的には古代人の生活の中にある無私の生き方から、空間的にはひろく存在物の観察から導き出されたもので、一種の存在論である。
ホ. 対立の原理
倫理実践の根拠となる原理的な思想としては、対立の原理があげられる。これは万物は皆個々の対立である、とする。自分と相手、表と裏、上と下、右と左、高さと低さ、夫と妻、親と子といった具合であり、一人対一人、一人対数人、一人対万人といった対立もある。この間にそれぞれのすじみちがあり、それに順応することが正しい生存の法則となる、とする。この原理は歴史的においては宇比地邇神(うひじにのかみ)、妹須比智邇神(いもすひじにのかみ)などの陰陽の対立からくるもので、空間的には宇宙顕界のすべてが、このように対立ととらえられる実相から導きだされるものである。
ヘ. 易不易の原理
現象界のすべてにわたって、易(かわ)るものと易らぬものがる。万物万象、ことごとく、一秒の休みもなく、常に変わり、あらたまってやむときがない。しかも、そのまま、すこしも変わらず、もとのままのものがある。河の流れは変わるが、河そのものは変わらない、といったようなものである。流れるもの、流行するものから見ると、常に流れて止むときがない。しかし全体から見ると、流れるといった形においては不変であり、不動であり、少しも変っていない。こうした相反する二つの相を、ただ一つに統一して、万物万象、ことごとく存在を保ち、進行を続けている、とする。これは歴史そのもの実際、国家や民族の連綿と続いている状態や変化してゆく実情などからきたものであり、空間的には自然地理、人文地理的な観察にもよっている。
ト. 物境不離の原理
物と境とは、必須不可欠の関係にあって、物が物としてあるためには、かならず境があり、物なくして、単に境だけあるということはない。かりにあるように見えても、まったくその働きをしていないし、意味もなさないし、何の役にも立たない。たとえば家は、敷地がなくては建ちようがなく、敷地は家が建たなければ敷地としての意味も働きもない。境と物は、二者にして一者であり、一つにして二つである。べつべつには存在しない。これが存在大調和の実相である。これは歴史的には「ひもろぎ」、「いわさか」などの伝えにもとづき、空間的には宇宙における星、地球における生物、無生物のありかたから導かれたものである。
原理を一つ一つしっかりと玩味していると、全てに正確に的中されており完全無欠です。このような方が存在したことへの感謝と、繋いでくださっていることへの感激を覚えます。
子どもたちが将来、道に迷う時、この原理を思い出してほしいと祈ります。私たち伝統的日本人がどのように歩んできたか、そしてどのように歩んでいくか、歩み方のことが記されています。
太古から続く道上を私たちは今も歩んでいます。どんな時も、自分たちの体内、いや精神や魂にはその根と深くつながっています。子どもが安心して暮らしていける社會の創造をお手伝いしていきたいと思います。