理に遊ぶ

昨日は、無事にブロックチェーン神社の建立式典を終えることができました。4年前から古民家甦生をはじめ、暮らしフルネスという智慧の仕組みに取り組む中で神社建立は一つの大きな目標でした。

これは暮らしの中には常に八百万の神々がいて、暮らしの実践の中で常に神様の方を向いて本心に恥じるところがないか、また動機は善であるか、自然の道を歩んでいるかと、正対するためにも必要なことでした。

思い返せば、家の中には暮らしの神様ばかりで現在は社員の数よりも神様の方が増えていき不思議な感覚になります。そして主客一体の境地においてはお客様も神様ですから日々に私たちは多くの神様と一緒に暮らしを味わっているのです。

このブログを書いている目の前でも、朝の薄明かりの陰翳の中で小さな羽釜に炭を入れ自ら育てた新米を炊いてその香りを嗅ぎながら出来頃を五感を使って待っています。水は井戸の水を汲み、火は炭火でゆっくりとじっくりと、湯気がしんしんとたち、中からぐつぐつとお米が回転し混ざり合っている心地より音色が聴こえてきます。それを大きな火鉢が囲み、その台の上にパソコンを載せて一緒一体で心も体も精神も穏やかです。

ハイテクとハイタッチ、この両輪を如何に正しく活用していくか。最先端技術と暮らしの智慧を如何に組み合わせるか、これができてはじめて人類はこの時代を新たに刷新していくことができると私は確信しています。

様々な矛盾を受け容れるのは柔軟性ですが、その柔軟性の根源になるのは神人合一の生き方です。

これからいよいよ革新と核心に入ってきますが、これが理解できる視座の高い人たちを集め、この世の理を遊んでみたいと思います。

新時代のはじまり

本日は、神社建立式ののち直会(なおらい)をBAで行う予定です。この直会とは、神事ののちに神饌としてお供えしたものを参拝者と共にいただく行事(共飲共食儀礼)の事を指します。そして供物そのものもまた直会と呼びます。

これは正月の歳神様の依り代である鏡餅をみんなでいただくことでその神様との結びつきを強くしその力の恩恵を受けることと似ています。穀物にはむかしから神霊が宿っていると信じられていましたからその力をみんなで分け合うことで私たちは元氣をいただいていたのでしょう。この元氣は、いのちの力であり、生命の活力のことです。

また直会の語源は、「直り合い」(なおりあひ)からきているといいます。この直という字は、素直の直のことを指します。この直るという字は、邪気や穢れが祓われた清浄で明るく澄んだ姿のことを指します。

人間はこの世に出れば誰しも執着を持ち、個人的な観念や想念によって価値観が形成され本来の自然のままであることやあるがままであることを忘れてしまうものです。その穢れを神威によって祓われることでみんなが素直になった自分と出会うことができる。そういう出会いの場こそ私は直会の本質であろうと思います。

心が澄んでいく感覚というのは、あるがままのものがあるべきように存在そのものの「徳」が顕現する状態です。本来の人間は誰しも、魂の中にはその徳の境地を持っています。徳の境地の存在は私たちの転生意識にこそあります。地上に生まれて生きていく中で私たちは様々な穢れを受けますが、その中で何度でも生まれ変わり魂を磨いていく生き方をしたいと願い何度も転生しているのはその徳の境地があるからです。これを仏教では「縁起」といい、神道では「むすび」といい、西洋では「愛」とも呼びます。そして私は、新しい時代に入りこれらを「徳積」という言葉で語ることを定義しました。

本日は春分の日、古来からの伝統的な暦では今日この日をもってはじめて「庚子」(かのえね)年となります。つまり今日こそが旧正月と春分が重なり「本当の新年がはじまる日」なのです。

暮らしの中にこそ徳は生き、暮らしを通して私たちは文化を継承していきます。私の取り組む暮らしの甦生はたとえ微小だったとしても新しい時代を変えて化けるように祈り、大河の中に一滴の永遠の雫を垂らしていきたいと思います。

妙を見る

明日は、いよいよ神社建立式典ですが八意思兼神と一緒に郷里の妙見神社の神様も御鎮座いただきます。私の郷里である飯塚市多田(旧庄内町)にある多田妙見神社は例年7月1日の未明に開催される飯塚山笠の「お汐井取り」の場所となっています。

この場所は古代からの交通の要衝でもあった烏尾峠や日王山への道にも通じる多田山の裾野、妙見谷に鎮座することから、通称「多田の妙見さん」と呼ばれています。私も幼いときからこの境内でよく遊び、人生の大半はこの神社の境内で思案したり、心を落ち着けて穢れを祓ったりと思い出深い場所です。

県神社誌にある社伝・由緒には神武天皇がこの辺りを通る時、濃霧がひどく困っていたところお告げがありこの多田の妙見のお水を笹につけ振ると次第に霧が晴れて無事に進むことできたといいます。またこの多田の地名は神功皇后が三韓出兵の折に当地に立ち寄り、この地の霊泉(神池)、渓流(汐井川)で身を潔斎して皇子(応神天皇)の無病息災と延命長寿を祈願したこととあります。このとき皇后は、霊泉や神池、神森に囲まれたこの聖地を「ただならぬところ」であるといいました。そこから「ただ」という地名ができたという言われもあります。また同じ町内にある綱分八幡宮の神託でも「この霊泉をくんで清めよ」とお告げがあり、日若神社の霊泉の汐井川で清めはらうことが恒例になっていたとも言います。

大雨で数年前に大石が砕けて山からの鉄砲水で川が氾濫しダムを建造してから水がだいぶ汚れてしまいました。以前は、透き通っておりキラキラと砂鉄や砂利が光り輝き足や手を入れただけでも心が爽やかになり清々しくなりました。少しずつ、以前のように自然が回復してきてこの川の水も透明に恢復してきています。

妙見神社の神様は、伊弉諾神、素戔嗚神、そして闇雄神です。

この最後の闇雄神(クラオのかみ)は、別名で闇淤加美神(クラオカミのかみ)龗神・淤加美神・意加美神(オカミのかみ)高龗神(タカオカミのかみ)という名前があります。ご鎮座されている歴史的に有名なのは京都鞍馬の貴船神社です。

この神様は、水の神様であり、また雨乞いの神様であることから農業、醸造、染織、料理飲食、浴場など水に関わるお仕事の方々から深い信仰を集めています。私が取り組む暮らしフルネスでも、これらのすべての伝統を使った技術の甦生や伝承が深く関わりますから神恩を非常に有難く思います。

水は万物の穢れを祓い清める力を持っています。ちょうど、神社の裏側には鳥羽公園の池がありこの場所の水は地下水を汲み上げています。水の偉大なご利益があるこの場所にもっとも相応しく、これから大切にお祀りしていきたいと思います。

 

智慧の神様

今回、神社建立において思い返すと様々なご縁があってこの機会をいただいていることを感じます。私は、幼いころから神社や境内、御守りが大好きで両親によくせがんでいたのを覚えています。家にはそうやって出かけた場所で買ってもらったたくさんのお守りがあり、それは決して神道だけに限らず数珠やお札などがありました。

それが小学校の頃に入ると、次第に薄れ始め神社の境内や近くの地蔵堂などではよく遊んでいましたがあまり御守りなどには興味がなくなりました。今度は、中学生の頃になると、密教や空海の生き方に興味が湧き、サンスクリットの勉強をはじめ今度は竜神や水神、白蛇などに興味が湧き色々な池や沼などをバイクで探索していました。

そこから高校生くらいになると、中村天風、安岡正篤、吉田松陰など実践哲学や陽明学に目覚め、他にも孔子や老子、中国の様々な偉人たちの本を読み漁りました。大学生の頃は、西洋の文化に興味を持ち海外へ留学しては現地でドラッガーをはじめ、ナポレオンヒルや七つの習慣などの価値観に触れ、成功哲学や自己実現についての考えに触れつつ、美しい教会の大聖堂に魅せられ、ヨーロッパに行けば教会めぐりをしていました。

社会人になってはじめの頃は、山や川、海、人気のないところと子どもたちの感性から学ぶことに夢中になり、暇があれば温泉を深めていました。そして30代に入り、また神社や仏閣の建造物や歴史、伝統文化に興味が湧き、全国各地を訪問しました。同時に自然農といった自然の知恵を活かす生き方や、民族伝承の智慧といったものに惹かれ、実践を積み重ねつつその深さを味わいました。

そして40代になってから古民家甦生に取り組みはじめて、暮らしの知恵や先祖の叡智、伝統の意志や生き方、働き方の転換、最後に「徳」というものに昇華されました。思えば、二宮尊徳に惹かれたのは社会人になってしばらくしてでしたがそこから15年くらいこの「徳」ということが何度も頭によぎりました。

これは私が子どもの仕事をしていることと、ある故人より古い魂の人物ですねと言われたこともあるかもしれません。私は長老の役目というのは、民族を自然に照らして丸ごと善いことへと導くために生き方を示すことのように思います。

私は見た目がまだ若く、長老とはとてもいえるものではありません。しかし、なぜか私の中に流れるものの中に、伝統の知恵や暮らしの知恵、そして自然の知恵や歴史の知恵、様々な知恵が存在することに気づきます。

今回の神社建立は、この「智慧」そのものをお祀りすることによります。八意思思兼神というのは、いわば「長老」の道を司る神です。観念そのものが智慧ですから、その「智慧を神とせよ」という意味になろうと思います。

まさに今の時代、このタイミングだからこそ智慧を祀るということが必要なのです。私が今回の神社建立のご縁の結び目には、智慧が存在することは自明の理です。子どもたちのためにも、智慧を譲り遺し、人類が末永く仕合せになるように私にできることを努めていきたいと思います。

天の道理に従う

人は頭で考えていても行動しなければ成果につながることはありません。それは天の道理として努力をした分だけしか成果が出ないからです。この天の道理は、現代の世の中では如何に楽をしてとか如何に便利にとかの価値観が優先されていますから無視されることも多いようになってきました。

農業なども天地の道理に逆らって、遺伝子を組み替えたり、機械を駆使し、合成肥料や特殊な農薬等を使うようになってきました。これまで数千年から数万年という歴史で紡いできたものをいとも簡単に壊して新しいものにしようとします。

しかしこれはその時は収量が一時的に増幅したように見えますが、必ずそのうち道理に逆らった歪によって収量が激減して絶滅していきます。

自然界というものは、決して人類がさわれない天の道理があります。この天の道理の中で人類も生きていますからそれに逆らったら生きていくことはできません。異常気象なども、人間にはなすすべがありません。だからこそ私たちは、今こそ天の道理の存在に気づき、改めてその道理を尊重することこそが進化であると私は思います。

天の道理を尊重するというのは、かつての先人たちが磨き上げてきた文化を尊重していくことです。もっとも自然の循環を邪魔せずに自分たちもその循環の中で、豊かに生きていくということ。天の道理を尊重してきた人類は、何千年も何万年も地球と共生し子孫を紡いでいきていくことができました。

しかしかつて同様に天の道理に逆らった文明はほとんどすべて滅んでしまいました。天は道理に逆らうと天敵が現われ滅ぼされていきます。そしてまた調和が訪れるという仕組みになっています。

人類の天敵は人類そのものですから、人類が自分たちの欲をおさえ徳を積むように天理に従い生きていかなければ天敵が自分たちになってしまいます。本来、人類も自然の一部でしたから天敵になるはずはありません。

天敵にしてしまうのは、自然の一部であることを忘れ自然から学ぶことを忘れてしまうからでしょう。自然には人間本来の姿を回帰させる様々なことがちりばめられています。日本人の先人たちも暮らしの中で自然を取り入れ、常に天の道理を学び直しながらその中で人類のあるべき姿を見つめ謙虚に文化を高めて磨いてきました。

まさに今は文化が減退し、人類も危険な状況になってきましたからもう一度、自然の叡智である「徳」を中心に据え生き方を見つめ直す必要を感じます。

引き続き、遠大な未来のために狂人や変人といわれようが我が道を進んでいきたいと思います。

 

団子の文化

今度、ある企画で温故知新した団子をつくることになり改めて団子を深めています。この団子は、日本人なら一度は食べたことがある和菓子だと思いますが改めて思うと長い歴史がある伝統食の一つです。

その定義としては、穀物の粉を水や湯を加えて丸め、蒸したりゆでたりしたものとあります。色々な説があるようですが、長くは縄文時代から保存食として団子があったとも言われます。

また団子は、神饌の1つでもある「粢(しとぎ)」を丸くしたものが原型とされています。「粢(しとぎ)」は、日本古代の米食法の一種になります。これは水に浸した米を原料にさまざまな形に固めたものを「粢(しとぎ)」と呼びます。

日本大百科全書にはこう記されています。

「水で柔らげた生米(なまごめ)を臼(うす)で搗(つ)いて粉状にし、水でこねて団子のようにした食物。生で食べるという点から、餅(もち)以前の正式の米の食法とされている。今日では日常食としては消滅した食法であるが、実体が餅になったり団子になって名称は伝承されている。本来は生食であるが、煮たり焼いたりして食べているので、本来のものを生(なま)しとぎといって区別している所もある。東北地方北部では、年中行事において神の去来を示すときに神供として用いることが多い。静岡県沼津市付近では疫病神を送るとき、しとぎを用いている。地の神、田の神を送るときに神供とする地方もある。四国・九州地方では、死の直後死者の枕元(まくらもと)に供える白団子をしとぎとよんでいる。あるいは死者に供える団子だけをしとぎとよぶ所もある。しとぎを供えることによって死者として確認するわけである。しとぎはほかに、祭りに関与した神人(じんにん)が、これを食することによって神人から常人の状態に戻るとされているなど、広義の意味の生と死の境界時に用いる転生の意義をもつ食物といえよう。しとぎは穀物を火食することを知らぬ時代からの食物とされているが、他方、火の忌みを厳しく考えた時代、火の穢(けがれ)を避ける方法として考えられた食物であったかもしれない。今後の研究問題である。[鎌田久子]」

団子はむかしから霊的な力があると信じられ、供物などに用いられています。中秋の名月の際にも供物として祀り、月を愛でては食べることでその霊気を養う効果があると信じられてきました。

現代までにあらゆる団子が時代時代に発明され、全国各地でたくさんの種類の団子を食べることができています。時代が変わっても、人々に愛され続けてきた団子は日本の文化の一つでしょう。

団子本来の意味をそのままに、現代風にアレンジしたものをつくってみたいと思います。

視座を磨く~心の呼吸~

人間の心には様々なことが日々に浮かび上がってくるものです。何もしていなくても、心は活動していて私たちが呼吸するように心も生きています。

その心に浮かんでくる様々な想念を如何に味わい盡し、如何に磨くかはそれぞれの日々に生き方次第です。生きていれば様々なご縁に導かれますから、その一つ一つの意味を確かめながら歩んでいきます。

そうやって心を高めながら同時に生まれる様々な感情を浄化していき、心を磨いていきます。それが人生の醍醐味であり、天命を生きるということでしょう。

天命を生きるとき、私たちはどの視座で物事を観ているかというものがあります。世の中の常識に合わせて語るときと、悠久の時空を超えて語るときがあります。常識ではわからないようなことも、視座を高めれば自然に観えてくる境地があります。

天命が分かれば使命に気づき、その使命に生きれば心の純度も洗い清められ視座もまた高まります。何のために生きるのか、何のためにそれをやるのか。その初心にどれだけ透徹するほどに心に思いを刻んでいるか、それが日々の修養の糧になっていくのです。

生きていくというのは、成長することであり、真の成長は心を磨くことです。

様々な課題を日々にいただきそれと正対しては今に集中して心に浮かぶ様々なことを一つ一つ丁寧に磨いてご縁を紡いでいきます。ご縁こそ、磨くための砥石であり、その磨き合いが続いていけばさざ波の中で出会う美しい砂浜の貝ように魂も輝きだします。

子どもたちのためにも日々に心の呼吸を丁寧に整え、視座を磨いていきたいと思います。

神棚の徳

先日、ある友人から会社の神棚を設置したいと頼まれ神棚を深めています。神棚の歴史は江戸時代中期頃に、伊勢神宮の「御師」たちが日本全国を行脚し、神宮のお札を各地に届ける中で発生したのではないかというのが有力な説です。

もともと古代の日本では木や岩や山などを神様として敬う風習であったため、神棚はありませんでした。その中で天照大御神が日本で最高位に位置する神様として伊勢神宮が日本各地の神域を代表する最高位の神社・神域とされお札をお祀りするようになり神棚を置くことになったように思います。

当初はお札を入れる簡素なものでしたが、次第に変化して現代では豪華絢爛なものからシンプルなモダンなタイプも出ています。

そもそも神棚になる前には、古代は宝物を納めたり、供物を捧げたりする場所としての棚が設けられました。今でも、神社の前に三宝を置いて供物を捧げます。また、大切な宝物や依り代になるものを大切に保管するためにお社も立派にできています。

私たちの先祖は、稲作を通して様々な行事や儀式を行ってきました。その中で、自然の恵みに感謝して自然の御蔭様を忘れないようにみんなで力を合わせて心を一つになるように文化を紡いできました。

それが次第に神棚を設け暮らしの中で日々に拝み感謝するという習慣をつくっていったのでしょう。最近では西洋建築になり、稲作にも触れる機会が減り、神棚のない家庭が増えてきています。

改めて子どもたちが安心して先祖の知恵と徳が伝承されていくように、神棚から丁寧に暮らしを甦生していきたいと思います。

日本人の魂

もうすでに郷里の古民家甦生に取り組みそろそろ4年目に入ります。昨年末から、取り組んできた私の復古起新の実践を「暮らしフルネス」と命名し、その理論を具体的な方法にして展開をはじめています。

思い返せば、日本人としてどう生きるか、そして子どもたちのために何ができるかと考え抜いて出た結論がこの暮らしを甦生し、文化を守ることでした。文化とは、生き方であり生き様ことで、私たち日本人の魂のことです。

日本人の魂を磨くというのは、暮らしを磨くことで光ります。

暮らしを磨くのは、先祖の恩徳を高め、先人の智慧を活かし、それを次代へ伝承していくということです。民族伝承の知恵こそ、日本人の魂が顕現したものであり、それを磨くことで日本人は磨かれ世界一流の国際人としてこの先の未来でも大切な役割を果たします。

現代では、それが欧米の文化によって取って代われ、日本人は魂が薄れてきています。和魂とは何か、それを突き詰めていかなければこれからの日本が世界で活躍することはできません。

そのためには、まずは建物や通り、町をどのように磨くのかを町のリーダーたちは理念を定め、真摯に取り組んでいく必要があります。誰かが思い切った行動をして、世の中と反対側に走っていかなければならないのです。この時、必要なのは、資金ではなく、人の数ではなく、勇気を出すということです。

日本という文化を大切に磨くことが、自分自身を大切に磨くことにつながります。そして日本の家は、日本の国家のことですからこれを忘れてはならないと思います。

最後に、フランスの人類学者・地理学者、ジャック・プズー・マサビュオーの言葉です。

「日本の家は、現代において、日本民族と日本的魂の誕生のあり方を、普遍の形で示しているのである。家は、家族の母胎であると同時に、日本民族の母胎でもある。日本民族は、家によって育まれ、趣味や感受性、社会の規則や慣習が、家で作られているのである。同じような家を際限なく建て続けることによって、日本民族は、自分自身のイメージを再生産し続けているのである。そのイメージにおいては、過去と現在が普遍に混じり合っている。日本の伝統的な家は、「日本らしさ」の永遠の源泉であり、この家こそが、日本民族にとって、何よりも確実なルーツなのである。」

日本らしさを大切にした生き方を、引き続き高め、和魂の精神を子どもたちに伝承していきたいと思います。

日本人文化甦生

私たちは日本人としての文化を持っています。それは何千年も前から生きた人々が、暮らしの中で培ってきた心の文化だとも言えます。自然に信仰し、自然に食べ、自然に生き、自然に家族を持ちました。そうやって、長い年月をかけて身に着けてきた知恵や仕組みこそが文化になったのです。

現代では、神様を拝もうとするとすぐに宗教だといわれます。神様=宗教としてそれぞれに宗教の違いを信仰よりも先に語られます。しかし本当にそうでしょうか。

確かに宗教は個人の自由であり、税金もかからないから特別な組織とみなされます。しかし本来、宗教が始まる前はみんな自然に信仰を持っていたはずです。それはアマゾンの奥地やインディアン、各地の少数民族に至るまで何かしらの信仰心をもって自然や先祖を崇拝していますがそれを現地では宗教とは言いません。

つまり本来、すべてのものは文化からはじまっているのでありそれを分類したものが宗教などになっていったともいえるように思います。異なる文化を認めるというのは、それぞれの育ってきた歴史を肯定し認め合うということです。

そしてその文化をつなぐものこそが「暮らし」であり、その暮らしを丁寧に紡いできたからこそ日本人としての本来の役割や個性も世界で発揮できるようになるのです。

人類がそれぞれで移動して分かれてどのように地球に適応してきたかというのは、偉大な叡智であり智慧そのものです。気候変動の中で、また人類の社会を創っていく中で、どのようにその場所で調和させようとしたか。

実際に実験を人生を懸けて行ってくれてきた先祖たちの生き方が、私たちの水面下の意識で文化として醸成され、今に引き継がれ、この先を見守るのです。

今度、私は神社を建立しますがこれは決して宗教として取り組もうとしているのではありません。私はあくまで「文化」としての道を、日本人の古来からの生き方を暮らしを通して甦生させていこうとしているのです。

まさにそれが子どもたちに日本人の心を育て日本人の誇りを思い出すことにもつながると信じるからです。私自身も、日々に手を合わせ、内省し、自然の循環と共に人も一緒に八百万の神々と共に暮らしていくことに仕合せを感じています。日本人の生き方を学ぶためには、古民家も必要ですし、暮らしも必要ですし、暮らしには行事もあるし、神社も必要です。

心を甦生していくのは、日本人の暮らしの甦生からです。

2月4日、立春の日に出現する神社と共に日本人文化甦生に歩んでいきたいと思います。