火のおもてなし

今年は台風が来たこともありお盆の期間は自宅で先祖供養などをゆったりと行うことができました。数年前から先祖のルーツを辿り、自分が今あるまでにどれだけ多くの方々が存在してくださったのかと感謝してからはこのお盆の期間は私にとっては特別な伝統行事になりました。

本来の伝統は本質が伝承されていくものですが、生活様式が変化し伝統も本質も次第に消えかけていますから無意味なことにならないように常に自分の頭で考え自分の身体と心で体験して学問に昇華し続ける努力が必要です。

江戸時代まではこの時期になると「藪入り(やぶいり)」といって仕事を休んで実家へ帰り、家族全員で先祖の供養をしていたといいます。むかしの懐かしい暮らしを甦生させつつ改めてかつての伝統を踏襲していくことは自分たちの先祖から日本人としてのの大切な心や生き方を学び直すことです。

私はまさにここに本来の教育の本質を感じていますから、私は子どもたちのためにも自らで体験し深め味わい取り組んでいるところです。

お盆の作法の一つに「迎え火」・「送り火」というものがあります。この「迎え火」とは、あの世からご先祖様の霊が迷わずに家まで帰ってこれるように焚く火のことです。そして「送り火」とは、ご先祖様がこの世からあの世へ迷わずに帰ることを願い、焚く火のことです。

今ではなかなか見る機会も少なくなってきましたが私が幼いころまではお墓や菩提寺に家族全員で提灯を持って行きお墓の前で提灯に火を入れその火を消さずに持ち帰り火を仏壇に移すという流れで行っていました。祖父と二人で行くこともあり、夕暮れ時の墓場には怖いものを感じていました。

そしてお盆の期間を家で過ごした先祖の霊たちを無事に墓にお送りするために今度は仏壇の火を提灯に移しそれを消さずにお墓や菩提寺へ持参しお墓の前で提灯の火を消してご先祖様の霊を送り出していました。

この火を用いて先祖の霊魂の送り迎えをすることでおもてなす仕組みに、ぬくもりや豊かさ、そしてやさしさや真心を感じます。聴福庵を通して、私も火を使ったおもてなしをしていますが火にはどこか心を穏やかにし和ませるものがあります。

私たちのいのちは、火でできています。この火のチカラとは、科学ではまだ証明尽くされてはいませんがいのちの原点であり、私たちは火を燃やすことで生きることができ灰になることで次のいのちの循環を担います。

火を用いて暮らしていくことは、いのちの大切さに気付き直すことです。このお盆のおもてなしは、私にとっての暮らしそのものであり、それは火を使って行うところにその醍醐味があります。

現代は、生活様式が変わったからと和の伝統を和風に換えてしまっていますが変えてものと変えてはいけないものというものがあるのです。

伝統を正しく伝承するためには、自分の実体験での気づくを磨いていく必要があります。子どもたちのためにも、一つ一つの暮らしを丁寧に甦生させていきたいと思います。

面白さと継続

物事は継続することで改善されていきますが、単に続けることは継続することはでないようにも思います。続けられるのは、好奇心が必要で常に面白いことや新しいことに興味を持ち挑戦し続けているから改善されていくものだからです。

改善されなくなることをマンネリとも言います。これはマンネリズムのことで芸術や演出などで手法が型にはまり、独創性や新鮮味がなくなっていくことをいいます。次第に、好奇心や興味が失われていくと、自分の中で続けることの面白さや興味が失われていきます。

そうすると結果として続けているものが、本質的な継続ではなく単に同じことを繰り返しているだけになり飽きてしまいます。飽きてしまうと、続けることが苦痛になり最後は続かなくなり改善もまた行われません。

継続する力というのは、言い換えれば常に新鮮さを保ち続ける工夫とも言えます。新しいことに挑戦し続けることや、面白いことを深めていく中ではじめて継続と改善というものがあります。

そう考えると、「面白い」と思える日々を楽しむことや、本気で自分の納得し好きなことに没頭することは継続や改善の質を高めていくように思います。それだけ本気で研鑽を積み、全身全霊を打ち込んだなら面白さが増していきます。

守破離という言葉もありますが、これは本質的な継続と改善によって出てくる結果なのかもしれません。

子どもたちに豊かな今を遺せるように、日々新たな気持ちで挑戦していきたいと思います。

忍耐の徳

以前、私に「忍耐」ということの価値を教えてくださった方がいます。言葉では知っていたものですが、私はその方にお会いするまで「我慢」ということとあまり違いがないように認識していたように思います。

人生は様々なことが発生しますが、それを真っすぐに受け止めて敢えて忍耐を味わうことで心の持ち方を転じる生き方を観て感銘を受けました。その生き方は、まさに生きる力根源であり、人生というものを丸ごと味わい成長しようとするいのちの醍醐味を感じました。

人は、心の持ち方次第で立っている場所がたとえ同じでも世界の見え方が全く変わってしまうことがあります。同じ太陽でも、同じ風でも、同じ出来事であっても、心の持ち方次第では別世界になっていきます。

自分を生きるというのは、自分の世界を創造していくということですから自分がどのような人生を生きようとするか、自分の人生をどのような世界であろうとするかはその人の生き方が決めるのです。

そのうえでこの「忍耐」というのは本当に素晴らしい徳目であろうと実感したのです。

忍耐というのは、どのような時にも生き方に不動の心を持ち、そして全ての出来事を丸ごと心で受け止めるといった「心の持ち方」の指針なのです。私自身も、その方の生き方を通して、不動心を持てるようになりたいと思うようになりました。

言葉の表現はそれぞれに異なっていても、憧れる生き方や尊敬する生き様はみんな共通するものがあります。もともと目指す在り方を今の時代でも伝承していけることは、それぞれの人生の指標になりそれが子どもたちに伝道されていきます。

学んだことを学んだままにお返しできるように、自己との意味づけや人生の醍醐味を大切にしながらご縁を紡いでいきたいと思います。

復古起新

日本では少子化や過疎化の影響を受け、廃校になるところが増えてきています。さらに、全国の自治体で学校の統廃合を進めた結果、ますます廃校が増えています。

私の郷里にも、数年の放置でまるでお化け屋敷のように廃墟になってしまっている廃校がカラスをはじめ野生動物の巣になっていたりします。解体費用がかさむことと、使い道がないことからそのまま放置されているのでしょうが空き家問題と共にこれから解決していかなければならない重要な課題の一つです。

文部科学省の「文部科学統計要覧」によると、1989年(平成元年)の小学生の数は約960万人、中学生の数は約561万人だったが、2017年(平成29年)には小学生は約3分の2の約644万人、中学生は約4割減の約333万人まで減っているといいます。そして、2002年度から2015年度までの14年間に全国で6811校、年平均486.5校が廃校になっています。つまり、これからも年間500校近い学校の廃校が進んでいくことになるのです。しかし建物も壊れないように頑丈に建てられているため、解体する費用も多大な資金が必要になります。そのため何とか廃校を活用しようと、文部科学省が「みんなの廃校」プロジェクトというものを推進して活用が広がっているとも言います。

具体的には、オフィス・工場、児童・高齢者などのための福祉施設、アート創造拠点などの文化施設、体験学習施設・宿泊施設など、大学・専門学校などの教育施設、特産品販売・加工施設などで利用されています。

空き家問題も同様ですが、その場所が時代に合わなくなり使われなくなったものをどう温故知新するかという問題は時代の変化と共についてくる問題です。人が集まらなくなった場所に、また人を集めるのですから目的が明確でなければなりません。

何のためにその場所を使うのか、つまり目的を定めその価値を磨いていかなければその場所の甦生は難しいのです。

むかしは「見立て」といって、あるものを別のものに見立てて蘇らせる智慧が先人にはありました。今の時代のように単一消費のみの一方通行の世の中ではそのアイデアも出にくくなってきているかもしれません。現在の経済合理性の資本主義の世の中では、再利用ということもその経済価値観の中で判断しますからまた消費されて同じように空き家や廃校になっていくのです。

私が取り組む、復古起新は「磨く」ことに力を入れますから根本的な価値観を根底から変えてしまう仕組みです。引き続き、子どもたちに大切な文化が伝承されていくように実践を積み重ねていきたいと思います。

 

智慧のつながり

物事の中にはないものの中から何かを産み出すという発想と、あるものの中から何かを産み出すという発想があります。しかしそれを突き詰めてみると、すでにあるものの中からしか産み出していないという事実を知ります。

どんな素材もどんな内容も、私たちの短い命の中の知識では見えていないだけで本当は永遠のつながりの中で存在しているものをちょうどよい時期に思い出して引き出したかのように産み出していくのです。

新しいものというものや古いものという時間的な感覚の中で私たちは、その新旧に意識が捉われていますが実際には本物があっただけです。その本物とは、すでにあるものの中からもっとも本質的であるものを産み出したということです。

その本物とは、歴史の中に存在していますし、自分の五感の中にも存在しています。そして記憶の中にも存在し、細胞の中にも存在します。そのほか、美意識の中にも存在し、場の中、空間の中にも存在します。

そういう存在を発見できる力こそが、本物を引き出す力なのです。

本物を引き出すには、自分が本物を知る必要があります。そしてその本物は、自然の智慧の中から引き出されていきます。私たちのいのちのつながりは、智慧のつながりでもあります。

智慧のつながり、まさにそれが伝統の力なのでしょう。

引き続き、暮らしの甦生や民家甦生から人類の甦生、社會の甦生を産み出していきたいと思います。

景観とは何か

以前、ドイツに訪問したときにその街並みの美しさには感動したことがあります。ドイツでは、戦後の復興の際に戦争で破壊された街を時間をかけて元通りの美しい街並みに復興するために都市計画を立てたといいます。

それを着実に数十年取り組んできたことで、今ではドイツらしい温故知新に取り組み街並みもそれに応じて美しく変化したのかもしれません。

歴史を調べると日本では関東大震災後にアメリカの都市美運動の影響を受け、都市計画関係者の間で「都市美」という言葉がしばしば用いられたようですが激化する戦争、戦災からの復興、高度経済成長という過程の中では合理性や経済性が優先され景観への配慮といった要素は主観的なものと考えられ軽視されるようになったといいます。

そして高度成長期以降は生活様式の変化で自然、都市や農村の景観も大きく変化し、鎌倉、飛鳥、奈良、京都といった日本の文化史上特に重要と考えられる地域まで合理性と経済性が入り込み景観が壊れていきました。

長い目で観て復元をしてきたドイツに対し、日本は目先の損得が押し切られ様々な法律が裏目に出るようになり古い町並みや古い建物は復元することもできず凄まじい勢いで壊され便利な建物、便利な街に変化していきました。田舎にもフランチャイズの店舗や、大型マンションが建ち、どこもかしこも画一的な街並みになっていきました。

2003年には国土交通省から「美しい国づくり政策大綱」を策定されました。そして2004年(平成16年)に景観法が制定され「美しく風格のある国土の形成、潤いのある豊かな生活環境の創造及び個性的で活力ある地域社会の実現」が目的にされています。しかし具体的にこの景観法が何ら規制を行うものでないためそれぞれの自治体が景観計画などを定める必要があるといいます。

みんな我先に、自分さえよければいいと好き勝手に利益ばかりを追い求めてしまうと街並みが壊れていきます。これは自然の中に都市を勝手につくり、様々な生き物たちが追いやられていくことに似ています。

本来の都市とは何か、その土地の風土の中で共生していくとは何か、そういうものよりも経済合理性のみを追求してきたツケが子孫たちに残されていきました。長い目で観て、経済合理性だけではない道徳的なものを如何に大切にバランスを保って維持するか。

世界が今、取り組んでいるSDGsも同様に持続可能な経済をどう保つかはこの経済と道徳の一致を目指すからです。

まとめればつまり、景観にはその景観に生き方が映るということです。その景観が美しく豊かであればそこの人々の生き方が映ります。そしてまた景観が懐かしく新鮮であればまたその場所の人々の生き様が映ります。

都市計画とは、生き方計画でもあるのです。

子どもたちがどのような街で暮らしていくか、子孫たちにどのような生き方を伝承していくか、私たちは今こそ、戦後復興のプロセスから学び直し、本来の復興とは何か、原点回帰してまちづくり、国造りをしていく必要を感じています。

今、私にできることから取り組んでいきたいと思います。

田圃の暮らし

昨日は、千葉県神崎町にある「むかしの田んぼ」で草取りを行いました。今年は日照時間が少なく、成長が例年よりも芳しくないのですが田んぼに入るとそれでもすくすくと元氣に生きている田んぼや稲から多くの力を貰って気がします。

この田んぼの「んぼ」は、「田圃」はもともとは当て字であるといわれます。田面(たのも)や(たおも)が音が変化したともいわれています。例えば、田圃道と書けば(たんぼみち)となります。

田畑という言い方もしますが、これはむかしに田んぼと畑の両方で暮らしを営んでいたことが関係しています。田を畦で囲った田圃に対して、その田(た)の端(は)で作物(け)をつくるという意味で「畑」となったという説もあるようです。私は、てきりアメンボは、雨の坊であり田んぼは田の坊というように生き物に見立てていたのではないかと思っていました。

日本には、むかしから妖怪といった人間でも神様でもない不思議な存在が様々なものに宿っていたと信じられてきました。道具が妖怪になっていたり、天気が妖怪になっていたり、様々なものの不思議を身近に感じて暮らしてきたとも言います。

田圃と共に生きている様々な存在もまた、私たちの暮らしの一部です。

そして昨日の草取りでは、ヒエ、ホタルイ、オモダカ、クサネムなど稲の生育の阻害するものをできる限り手作業で取り除いていきました。今では、除草剤という便利なものを使って田んぼに人が入ることがありませんがそれは稲にも必ず悪い影響を与え、田圃の生態系も崩れていきます。

私たちのむかしの田んぼは、収量を優先せず生きものたちの豊かな場づくりを優先してお米作りをしています。そしてその場で暮らす私たちもその一部として一緒に田んぼの中で生きていきます。

こうやって田んぼと共に暮らすことはとても豊かなことで、それは金銭では得られない喜びや仕合せがあるのです。これを徳という言い方をします。二宮尊徳がかつて「報徳」という言い方をしていましたがこれはこのむかしからの恩恵の中心であった田んぼから学んだものかもしれません。

現代に必要な大切な教えは、すべてこの田んぼが持っています。

田圃の暮らしを通して、子どもたちに大切な真心を伝承していきたいと思います。

深淵を生きる

どのようなこともその道を深めていけば誰もが同じところに到達していくものです。これは登山も同様に、どのルートで登るのかはその人次第ですが登る頂が同じであることと一緒です。

人生も同様に、人は生まれ必ず死に至ります。しかしそれまでの道のりをどれだけ真摯に深めて生きたかで、どこまで到達することができたかが異なります。

人生は長さではなく、その深さということかもしれません。

吉田松陰がこうも言います。

「人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。」

この深みのことを「深淵」といいました。この深淵とは、底がとても深い場所、つまり終わりがないくらい底知れないことのことを言います。

達する先に、さらにその奥深さがある。そして頂上の先に宇宙がある。一つの道を究めてもまだその先の深さがあるということは私たちに何を意図してくるのか。

人はその深さを学ぶことで、自己を確立していくのかもしれません。

一日一生、大切に今を生ききっていきたいと思います。

新しい場

むかしから私たちの先祖たちは、暮らしの中で仕事をしていました。今では仕事の中に暮らしを入れようとしていますが実際には暮らしがあって仕事があるので仕事しかしていない現状が多いようです。暮らすように働くという言葉が出回っていますが、本来は働くこともまた暮らしの一部であったのです。

そもそも職住一体というのは、暮らしを通して働いていることをいいます。日々の人生の暮らしを豊かにするために職業もありました。それぞれに天職をみんなが持ち合い、それぞれの持ち場、持ち味を活かし合って社會を形成してきました。

社會というものは、「和」することで豊かになります。その和は、暮らしを実践していくなかで顕現してきたものです。社會が豊かになっていくというのは、みんなが暮らしを豊かに楽しみ人生を充実させていくことと同じなのです。

例えば、むかしから大事に譲られたものの中で暮らしを味わっていくこと。他にも、懐かしい思い出と一緒に暮らしを彩ること。些細な日常生活の変化に目を向けて自然と調和しながら成長を味わうこと。

暮らしは、特別なことではなく本来の当たり前に回帰することで得られます。職住一体もまた、家というものの存在を改めて見直し、その家を手入れしながら共に暮らすことで得られます。

私が目指している、民家甦生は暮らしの甦生のことでもあります。

暮らしが甦生していくと、懐かしく調和したなかで働くことができていきます。安心する環境があるというだけで人は天職や天命に出会えるようにも思います。

引き続き、子どもたちのためにも新しい「場」を創造してみたいと思います。

手入れの生き方

全ての道具には「手入れ」という方法があります。その道具に合わせて、様々な手入れ方法がありその通りに手入れをしなければかえって傷んでしまうことがあります。しかし現代は、大量生産大量消費の時代の流れの中ですぐに新しいものが出ては古いものは捨てますから手入れすることがなくなってきました。

そのうち手入れする手間をかけるよりも新しく買った方が早いし安いという風潮が広がり、今ではほとんど手入れ道具も手入れ方法も知らない人たちばかりになってきました。

どんな道具も、物も手入れしなければ長持ちすることはありません。それは道具は使えば使うほどにすり減っていき、摩耗摩滅していくからです。末永く大切に使うものは、摩滅する瞬間までそのいのちを使い切ります。

以前、民藝品を見学したことがありましたがその民藝の道具たちはみんな手入れによって美しく輝ていました。私が今、古民家で活用している和包丁も明治のものや江戸のものがあります。

今でも研いで手入れすれば、大変な切れ味で料理をおいしくしてくれます。他にも、革製品、紙製品、木製品、土製品、すべての自然物を加工したものは手入れさえしてあげていればいつまでも美しく輝き続けるのです。

この道具や物たちの摩滅するまでの期間に私たちが取り組むべき実践は「磨く」ということです。磨くからこそ摩滅しますが、磨くからこそ美しく光ります。この光らせていくという実践は、それぞれが丁寧に心を籠めて努力していくことです。

これは自分自身にしてもそう、所属する会社や仕事でもそう、そしてまちづくりや国造り、地球への貢献や自然との共生においてもそうです。

どれだけ真摯に自ら磨こうとしたか、その努力を惜しまなかったかが全体を調和させ、平和を永続させていくのです。そしてこれは「生き方」であるとも言えます。

現代の問題は、この手入れする生き方が失われてきたことです。

もう一度、子どもたちに大切な生き方が伝承されすべてのいのちが大切に扱われそれが未来の平和を持続させていけるように手入れの生き方を伝承していく必要があると私は思います。

引き続き、実践を楽しんで続けていきたいと思います。