「はたらき」というものは、通常の目に見えるはたらきというものと目には観えないものがあります。この「はたらき」はその両方を合わせてはたらきと言い、その「はたらき」を活かせる人は「はたらき」そのものの力を引き出して物事を為していくことができるように思います。
一般的な働きというのは、自力で何かをするときの自分の働きのことです。これは日々の仕事や、日々の業務なども何かのために役に立ちたいと努力して取り組むこともまた働いているということになります。もう一つの目に見えない働きの方は、他力のようなもので人事を盡していくことで不思議な力によって助けてもらって物事が進んでいくという働きのことです。
例えば、自然界でいえば必死に生きていこうとする植物に対してあらゆる自然循環や周囲の生態系が働きその植物を活かしていく作用などにも自力と他力の関係が見えてきます。
自分のできることをすべてやって、あとは天にお任せしていくという姿勢。まさにこれが「はたらき」そのものの力を引き出し、「はたらき」そのものになっていくという実践であるように思います。
しかしこのはたらきを周囲はなかなか理解してはくれないものです。真心を使って本質に向かって取り組んでいけば、自ずから一般には理解しがたいような行動を行っていくこともあります。たとえば、仕事もしながら同時に神社で参拝もするというように単に傍から見れば信心深い人で神頼みしているのかなとよく思われたりしますがそうではなく、人事をすべて盡していく中の一つに神様にお任せするために祈ることもあるのです。
これは全体の「はたらき」を信じて、丸ごとで善いことになりますようにと祈る姿です。言い換えるのなら、どんなことになったとしてもすべて善いこと、目には見えないはたらきがきっと福にしてくださるという「目に見えないはたらきそのものをはたらかせていこう」と信じる実践であるのです。
実際には、人知の及ばないところで様々な力が働いています。この地球であっても自然であっても、実際には目には観えないはたらきによって私たちは生活を営むことができています。人間は視野が狭く、たとえばお金があるから生きられるや、電気や水道、電車や携帯があるから生きられるなど、すぐに目の前のはたらきで生活していると思う人もいますが実際にはそんな目先のことだけで生きていけるのではないのです。
そういう宇宙的なはたらきを信じている人は、一見、おかしな行動をしているようではたらきを活かす理に適ったことを行います。そういう人が運が善い人と言われ、さまざまな運を引き出して福に転じていく仕合せな人生を送ることができているのでしょう。
目に見えないはたらきを感じる力は、感謝の心が原点です。何物にも何事にも感謝して生きるのなら、自分を活かしてくださっているはたらきの存在に気づくように思います。
はたらきの力をお借りして、偉大なはたらきによって子どもたちが仕合せに暮らせるようにと祈るように働いていきたいと思います。