共存共栄

人は成長し合う関係の中で信頼関係を築いていくものです。どちらか片方だけで成長しているかといっても能力が高まっただけで本来の成長ではありません。この成長とは、一緒に生きるという人間関係になっているということです。

これは夫婦も同じく、働くパートナーも同様に共に成長することではじめて成長したと言えるのです。この「共に」というものを大切にすることを「共存」といい、お互いに成長し合って発展していくことを「共栄」と言います。

共存共栄とは、一緒に成長し合う関係を築いていくということです。

もしも自分さえ生き残ればそれでいいと強く逞しいものだけが生き残ればいいという発想のもとに成果主義、能力主義で個人ばかりを優秀にしていく社会にすれば孤立無縁関係になっっていきます。必死に能力を磨いて生き残ろうとしても、その孤独感やプレッシャーで精神的に疲れていくものです。

殺伐とした関係の中で本当の信頼関係はできません。如何に安心できる関係を築くか、それはすべてこの共存共栄にかかっているといっても過言ではありません。

能力が高く強いものが生き残り、弱者は切り捨てていくという発想では世の中は優しくなりません。思いやりのない社会をいつまでも作ることに加担していたら、世の中で不仕合せな人が増えていくばかりです。お金ばっかりたくさん貯蓄して富裕層になったとしても心が貧しければそれでは真の豊かさを持ち合わせたのではありません。

真の豊かさは人間関係の中にある信頼関係にこそあります。人間は暮らしが安心していくのならそこに生きがいや遣り甲斐、働き甲斐や幸福感を感じることができるからです。

いい会社というものは、古今東西、歴史を鑑みても不況の時であっても社員を切り捨てるのではなくリストラをしないで全員で痛みを分け合って乗り切ろうとします。また敢えて障碍者を採用してみんなが仕事ができるように優しく思いやり、仕事も分け合って助け合って経営をしている会社は優しくて幸せな会社になって社会も豊かにしている上に業績もしっかりと伸びています。

決して能力主義や成果主義、比較評価といった弱肉強食の思いやりに欠けた環境で競わせなくても人間は思いやりや優しささえあれば、組織をよりいいものに換えていけるのです。

私が目指しているいい会社とは、思いやりを優先する優しい社会のことなのです。共存共栄の社会は一人の自覚からでも興せます。その一人一人が増えていくことが社会を改革していくことになります。

子どもたちの憧れる社会のために尽力していきたいと思います。

 

草莽崛起

歴史を学ぶ中で志が受け継がれていることを感じるものです。現代の様々なものは、かつて志を立てた人がいて、それを後世の人たちが引き継ぐことでカタチになっているとも言えます。それにこれからもまた、その志を受け継ぎ偉大なことが実現するときまで誰かが顕れ継承されていくのです。

わかりやすいものは、明治維新のころの松下村塾です。吉田松陰もまた、先人たちの遺志を継いで志を立てましたがその志は塾生たちによって実現していきました。また塾生たちが出会った人物たちもその志に触れ志を立てて参画し継承していきました。

たとえば、松下村塾の塾生に久坂玄瑞という人物がいます。この人物は禁門の変によって若くして亡くなりましたが坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作など多くの志士たちに多大な影響を与えました。彼の死によって、志士たちはその遺志を分け合い後を引き継ぎ事を為す原動力にしていきました。

このように志は、志士によって醸成され、それは継承されることでさらに発達発展を遂げていくのです。代を積み重ねるたびに力が増していくのです。自分の代だけで簡単に終わってしまうものは志ではなく、死してなおそれが受け継がれていくようなものを持つことが志ともいえるのです。

「今自分の胸にあるのは、病人を治す処方ではない。天下を治療する処方である」

これは久坂玄瑞が松下村塾で立てた志です。もちろんこれは吉田松陰に出会うことで、志に出会ったのです。そしてその志は次第に草莽崛起という言葉に発展していきます。

「大名や公家はあてにならない。本当に力を発揮するのは草莽の志士の連中だけだ」

そして久坂玄瑞が亡くなったのち、高杉晋作や坂本龍馬、西郷隆盛をはじめ多くの志士たちが同時に立ち上がり草莽崛起を実現していくのです。

この草莽崛起という言葉は、まさに志士たちのためにある言葉です。久坂も「私の志は、夜明けに輝く月のほかに知る人はいない」ということを詠んでいます。見た目は他と変わらぬ普通の人であったとしてもその志は見た目にはわからず理解もされません。しかし自分自身は何よりもその志を知っています。明け方に月を眺め、意志を強く持って行動を続けた純粋な姿が観えてきます。

「私は、意志が弱い人間です。将来、私は、成功出来る人間ではない。しかし、もし私自身が駄目だと思い、行動しなければ出来ることも出来なくなる」とも詠んでいます。いのちを懸けるというものは、いのちを懸けようと行動した人たちが語れる言葉なのです。

それらの志をそれぞれの志士たちが自分の道で実現していくこと、道はたくさんあるのだからその道で志に向かいいのちを懸けることこそが草莽崛起であるのです。

時代がいくら変化しても、草莽の志は絶えることはなく私たちの心魂の中で生き続けて成長を続けていきます。まさに代を重ねていくいのちそのものとなってです。

私も草莽の志士としてなすべき今に集中していきたいと思います。

 

生き方と働き方の一致

だいぶ前に「180°south 」というライフドキュメンタリー映画を見たことがあります。これはアウトドアの世界的有名ブランドのpatagonia創業者イヴォン・シュイナードとTHE NORTH FACE創業者ダグ・トンプキンスの二人の運命を180°変えた一つの旅を振り返り、ひとりの青年がその軌跡を追体験するように制作されたものです。

その中でイヴォン・シュイナードの人柄や美学にはとても共感するものがありました。自分の生き方を仕事にしていて、仕事が生き方の一つの表現になっている。生き方と働き方を分けない姿が、このブランドの価値を創造したように思います。

このパタゴニアは、マーケティングにおいても10パーセントの同じ価値観や生き方をする人たちだけでいいと最初から決めてすべての生産や販売を管理しています。また社員たちも同じ生き方をしようとする人たちを集めるために、採用においても工夫をしています。

現在では、老舗企業の風格で創業メンバーの子どもたちが志を受け継いで展開しているようですが今でも多くの人たちの心をつかんでいるように思います。

そのイヴォン・シュイナードの言葉にこういうものがあります。

「シンプルで居る事は難しい、何でも複雑にして行く事は簡単なんだ」

これは本質であり続けることの難しさ、「何のために」ということを突き詰めて生活を削ぎ落していくことの難しさを語っているように思います。日々の喧騒ですぐに忘れてしまう目的や初心が、より自分の人生の道を曇らせていくように思います。その中でも本質を保つということはよほど覚悟を決めた旅を歩んでいく必要があります。

またこうもいいます。

「「時間がなくて」あるいは「忙しくて」。これらは嘘の言い訳だ。これらの言葉の裏に隠れた真実は「優先度合が低いからまだやっていない」のであり、もっと言うなら、やりたくないというのが本心である。」

自分の人生の優先順位を間違えてしまえば、本当にやろうとしたことよりも日々の雑念や我欲に負けてもっともらしい理由をつけてはやろうとはしなくなります。これはやりたくないということを隠しているだけであり、本来の覚悟が揺らいでいるのです。自分で決めた生き方があるのなら、どんな理由があったにせよ途中であきらめるわけでにいきません。しかし、ちょっとした困難やトラブルがあったくらいで人は早々に諦めてしまうことが多いようにも思います。だからこそこうもいいます。

「旅で、想定外のことが起こったら、そこからが冒険だ」と。

冒険する人生を旅するというのは、決してアウトドアの世界の話だけではなく生き方の話です。冒険が楽しいからこそ、仕事も楽しいと言えることがシンプルにするということでしょう。

パタゴニアの社訓は「遊ばざるもの、働くべからず」とあります。これは遊ぶように働き、働くように遊ぶという意味でしょう。まさに本質でありシンプルであり、生き方と働き方の一致を言います。

カグヤも生き方と働き方の一致を目指していますから、冒険こそが人生の醍醐味になるような生き方を優先していきたいものです。

最後に、この映画で共感したこの言葉で締めくくります。

「人は魂の救済のために行動しないと。それぞれの方法で。」

世界には同志がいて、それぞれの方法で同じ頂きを目指しています。私もその一人として、自分のやるべきことに専念し最期の一人になっても登頂にアタックする覚悟で一期一会の挑戦を楽しみたいと思います。

 

 

 

 

自分に正直に生きる

昨日、海外に住む親戚の長男が聴福庵でオリジナルのダンスを披露してくれました。様々なダンスの大会に出たり、学校に通ったりと自分なりに好きなことを楽しんでいました。

若さの花もありますが、好きなことを本気で打ち込んでいる姿には引き込まれるものがありました。自分に正直に生きていくということは、誰かが教えてくれるわけではありません。自分自身が何よりも悔いのない生き方をしているかは、自分自身が一番よくわかっているからです。

人間は誰しも小さな自分への嘘が積もりに積もっていくうちに自分への不信を募らせていくものです。そのうちに仕上がってしまえば、本心を打ち明けることもなく本心のままでいることもできなくなります。

自分に嘘をつかないというのは、自分に正直になることですがこの正直になるということが頭ではわからないものです。他人に聴かれても正直になるとはどういうことか、それは自分勝手になることか、自分中心になることかと考えてしまいかえって周囲の反感を買う人も多いように思います。

そうではなく、人生は二度となく自分も二人といないのだから「悔いがないか」と自分に問うということが正直であるということなのです。

悔いのない生き方をする人たちは優先順位をもって生きています。自分が何を大切にしているかということ、そして何のためにこのいのちを使うか、そして志を立てるために何を諦め何に集中するかということが腹に落ちています。

だからこそ今に真剣に打ち込むことができるのであり、何よりも自分というものと正対して自分にしかない天命を生きていこうとするのです。天命を生きる人は仕合せな人であり、悔いのない人生を生きる人は幸福を味わいながら歩んでいくものです。

本来の自分が何を優先して生きようとしたか、それを忙しさの中で忘れないように理念や初心はあるのです。自分自身が自問自答することなしに仕合せを掴むこともできず、自分に正直に生きることなしに真の幸福もありません。

一期一会の人生が座右ですが、まだまだ反省することばかりです。

引き続き、自分に正直に生きることで子どもたちに希望の光を与えていきたいと思います。

あなたの志は何ですか?

今年も無事に萩にある松陰神社に参拝することができました。幼い頃から志を学ぶ師と仰ぎ学び続けてきましたが苦しかった年、辛かった年の後ほど此処に来ると志風によって偉大に応援されている気持ちになります。

自分の頭で考えたことがどれだけあった一年であったか、どれだけ他人との答え合わせに生きるのではなく自分の答えを生きたか。ここに来ると毎回不思議ですが自分自身の人生の主人公として魂を磨ききったかと師に問われている気持ちになります。

きっと吉田松陰にとっては日々歳月の艱難辛苦こそが学問を通して自己を磨き自己を確立する善い機会だと歓喜し道の探求と実践を積み重ねた日々を送っていたように思います。それが生前に遺している言葉の数々からも省みることができます。

計愈々(いよいよ)違(たが)ひて志愈々堅し。天の我れを試むる、我れ亦(また)何をか憂へん。

仮令(たとい)獄中にありとも敵愾(てきがい)の心一日として忘るべからず。苟(いやしく)も敵愾の心忘れざれば、一日も学問の切磋(せっさ)怠るべきに非(あら)ず。

志荘(こころざし そう)ならば安(いず)くんぞ往(ゆ)くとして学を成すべからざらんや。

夫れ重きを以て任と為す者、才を以て恃みと為すに足らず。知を以て恃みと為すに足らず。必ずや志を以て気を率ゐ、黽勉に従ひて而る後可なり。

を立ててもって万事の源となす 。

この「志を持つことをすべての原点」とした吉田松陰の教えは、松下村塾の塾生たちの生き方に多大な影響を与えました。そしてそれは死後もまた、純粋な日本人の魂に語り掛け続けています。

気が充実するというのは、機が充実するということです。これはその機会が満ちるのを待つという状況であり、それまでは気を蓄え機(タイミング)まで力を磨き続けるということです。この「気」こそまさに志から発するものであり、気力の充実は志力の充実でもあります。志が結実するとき、まさにそれが時機でありその時期に応じている結晶が結果として顕現します。

すべての機会を自分を磨くためにあるとする生き方は、今のような人生とはあまり関係のない歪んだ学問がひろまっている時代にはとても大切な指針になるように思えます。学問は他人のためではなく、自分のためであるといったのは孔子の時代からあったことですから今さらどうこう言っても仕方がなく、指針として生き方を学び直すしかありません。

志とは、刀と砥石の関係であり魂は志があってはじめて磨かれるのです。

最後に今年のテーマに近い言葉に出会いました。どの時代においても変化に適応していくことは学問の要です。

「天下に機あり、務(む)あり。機を知らざれば務を知ること能(あた)わず。時務(時務)を知らざるは俊傑(しゅんけつ)に非(あら)ず。」

意訳ですがこの世には必ず機があり、それを待つ実践というものがある。いくら能力が高く優れていたとしてもその幾に当たらなければ決して何もできはしない。その場その場に集中し、今を適切に応じて実践していくことなしには天与の才徳を持っているとは言えないのである。と。
つまりは本来の天才は、日々の実践を知るものこそが機を活かすことができるということです。目標が達しないからと腐るのではなく、まだまだ志が低く徳が薄いのだと精進するものこそが天与の才徳を活かすのでしょう。
過去や未来を思い憂い、今から離れようとする時こそ「あなたの志は何ですか?」という言葉を三省して自己を磨き続けていきたいと思います。子どもたちに譲り遺していきたい生き方を自らの道を歩むことを以て伝承していきたいと思います。

しっくり

和室を整えていると、心も同時に整ってきます。和とはそもそも整い調和することで、すべての関係性があるべきところに配置され理想的な空間を産出すことを言うと私は思います。

たとえば、自然であれば美しい山に入るとそこには様々な自然が配置されています。木々はもちろんのこと、川のせせらぎや大きな岩、そして谷に空に獣道まで見事に調和して山の風景を彩ります。美しい山には、不自然な物はなくそこには自然に造形したものが見事に配置されているのです。この配置は一つではならず、あるべき場所にあるべきものがしっくりくる時に感得するものです。

このしっくりとは何か。これは私の感覚では根づくということです。たとえば、畑で苗を植えていきますがその場所に相応しいところに配置しなければ他の野菜たちとぶつかり安心して育つことができません。その苗が生きていくために必要な空間、またはその畑全体の配置を考えて植えていかなければそれぞれが結実していくことがありません。

同様に和室の空間の道具たちもまた、全体の空間にしっくりと来るように根付く場所を与えてあげなければそのものが宙ぶらりになってしまいます。そういう時は、片付けをして仕舞いまたその場所が空くのを待ってもらうか、もしくは別のところを探して配置していくしかありません。

この根づく感覚がしっくりであり、それは具体的にその場所でそのものを置いてみなければわかりません。しかしこのしっくりと来る感覚が分かれば、次第に心が落ち着くということもわかってきます。

お互いの関係性が結びつきやすいものか、その場所が居心地の善い場所か、それは物を置いてみればわかりますし、一緒に並べてみればわかります。私は古民家で、炭と水晶を一緒に活用することもありますが火と水というものも調和するととてもしっくりと来るものです。火鉢の鉄瓶から湯気が立っているのを観る感覚に癒される人が多いことと同じです。

それくらい万物が一体に調和すると、心もまた落ち着いてくるのです。この心の落ち着きこそがしっくりであり、しっくりくるときその場はとても清浄な場所になっていることが証明されます。

場づくりというものは、目には観えませんがマネージメントの本質であり人間の智慧の結集されたものです。私はこれを風土と定義しており、私の持つ風土感はこの一点に凝縮されているのです。

心が落ち着けば自ずから穢れは払われ、その場は清浄になりすべては調和します。調和を乱さないように常に配置には気を付け、常に配置に配慮することが思いやりや真心になっていくのです。

なかなかこれを誰でも伝わるように仕組み化するのは骨が折れる作業ですが、諦めずに子どもたちのためにカタチにしていきたいと思います。

2019のテーマ

昨年は、思い返せば艱難辛苦を耐え忍ぶことが多い一年でした。身体の不調、心の不調、様々な失敗と謙虚さを試されることが多く、ゆっくりと大人しくしているつもりでしたが挑戦ばかりを繰り返した一年だったように思います。

昨年恩師にいただいたテーマは、「時季時機にやることを大事にし、積み重ねてこそ晩成する」ということでしたが実際にはやりたいことに執着をし種を蒔いても蒔いても時機ではないと思わされることばかりでした。

自然に則って自然に沿っていくというのは、傲慢さやエゴが出てくると中庸であることができません。流れに逆らわず流されても流れないような今の過ごし方が大器晩成の要諦であるとわかっていてもどうしても無理を重ねてしまいます。

特にこれは傲慢でもエゴでもないはずだと思えるほどの奉仕だったとしても、それを想っている時点でそうはならない。謙虚で虚心坦懐で居続けることの難しさを痛感した一年でした。善いか悪いか、禍か福かなどとも思わない、そのままの澄んだ真心の優しい自分に近づいていくために今年も挑戦を続けて学び直していきたいと思います。

今年のテーマは、「自分を過信せず、与えられた環境と変化を受け容れること」となりました。これは子どもたちの未来のことを鑑みると自分本位、自己中心的なあるがままなどをやっていけば次第に変化の適応に弱くなってしまいます。だからこそ変化には変化に対する精神力が必要になり、変化に対応する力なしに将来の仕合せや平和も訪れません。変化というものは自分にとっては受け入れ難いものが多く、自分にとっていい環境ばかりにいれば適応できなくなり変化が遠ざかります。適応とは、変化することが自然にできている状態をいいます。

ですから恩師は、子どもたちにはストレスをかけさせないのではなく、どうストレスを乗り越えさせるか、それが大事になるといいます。それが今のような激動の時代、自らが変化に対応する力になるのです。しかし実際は子どもたちの方が変化に富んでいてとても柔軟ですが大人たちの方が膠着して変化から避けようとしてしまうものです。変化しないための言い訳ばかり並べても自分が変わることも未来が変わることもありません。

そのためにも過信せず、与えられた環境を有難いと感謝して変化を受け容れることは、謙虚で素直でなければ得られない境地です。どんな境遇にも今の自分に相応しいと感謝して受け容れていくことは、過去の自分に縛られず常に今を生き切る生き方です。過信は驕りを発生させ、不平不満は自ら変化する機会を逃しあるがままの発達を阻害していきます。あの子どもたちのように丸ごと受け容れて素直に発達する姿から見習っていきたいことばかりです。今年は変化に適応する力を伸ばす一年にしたいと思います。

改めて昨年を振り返れば、多くの方々や存在に見守られた一年でした。

今年も子どもたちに先人たちや見守りの徳が譲り渡されていくように、今を生きる人間としての生き方を伝承し子どもたちの仕合せのために自分を使い切っていきたいと思います。今年もよろしくお願いします。

大晦日~日本の心~

いよいよ本日は大晦日になりました。年々、暮らしが遠ざかり年末年始の正月の雰囲気が薄れてきているように思います。思い返せば幼いころは、年末年始のご挨拶まわりやお歳暮やお年玉、正月の準備の熱気をあちこちで感じたものです。最近では、コンビニをはじめずっと営業している店舗ばかりで休みというものがなくなり、より暮らしを楽しむ時間が失われてきたのかもしれません。行事の意味も変わってしまい、言葉は知っていてもその意味を知らない人が増えてきたこととマンネリ化して深く考えずにただ過ごしているうちに本質とはかけ離れたことをしていて周りもそれを信じて伝承していることもあります。

文化やアイデンティティを持つというのは、何が本物で何が本当か、そして本質は何かということを正しく理解することが大切です。見た目だけを誤魔化しそれが本物にとって代わってしまわないように、プロセスを偽り結果だけで物事を判断しないでいいように真実は語り続けられなければならないのです。歴史の重要さは、自分自身が本物の人生を歩んでいくために必要不可欠なのものです。

この「大晦日」というものも、言葉は知っていてもその意味は最近では語られません。これは旧暦の太陰暦の月の満ち欠けを「晦」といい、月が隠れてしまうことを月隠れ(つごもり)が転じた言葉だと言われます。

新月が1日、月が隠れるのがだいたい30日頃だったためその日を晦日というようになりました。毎月末を晦日といい、一年を締めくくる最後を大晦日といったのです。

この日は、家をずっと守ってくださっている歳神様、歳徳様といった五穀の神様をはじめ祖霊やご先祖様が遠来される日とされ準備をして待つ祭祀の日でした。今では旅館やホテルに泊まったり、カウントダウンなどのイベント会場や有名な神社などで初詣をしている人が増えています。

本来の伝統では歳神様が訪れるのを家人たちと共に一晩中起きて「家に居て待つ」ものだったのですが、明治20年代に官公庁から始まった元旦に御真影を拝む「新年拝賀式」と、1891年(明治24年)の「小学校祝日大祭日儀式規定」により元旦に小学校へ登校する「元旦節」などが実施されるようになり、さらに関西の鉄道会社が正月三が日に(恵方とは無関係な方角の)神社へ初詣を行うというレジャー的な要素を含んだ行事を沿線住民に宣伝しこれが全国にまで広まったことで家で歳神様を待つ「年籠り」という習慣は次第に失われたと言われています。

正月の準備をする中で、歳神様の存在を意識しながら行えば自ずから大晦日は家で待つようになるはずです。しかしなんとなく周りがやっているように意味も分からずに右へ倣へをしてしまうと家で待つという概念は失われていきます。

一年が豊かで充実したのは、日ごろから暮らしを見守ってくださっている御蔭様の存在を意識すること。それは月のように、太陽の陰で常にいのちを見守り育んでくれている存在に気づくということ。夜に月を眺めては、満月の時、御隠れの時と、月の存在が暮らしを支えてくれたことをむかしの人たちは自覚されていたのです。そして感謝の心で、また新年も歳月の福が再び訪れるようにと祈りました。

日本人は常に頂いている方を観て、ないものねだりをせずにある方をもったいなく使わせてもらう慎まやかな暮らしを積み重ねてきました。年中行事には、そういった日本の心が生きています。

御蔭様で暮らしの甦生は古民家甦生と共に着実に一歩一歩積み重ねられています。これもまた歳月を司る歳神様の恩恵なのかもしれません。丁寧にひとつひとつ、心を籠めて子どもたちに伝承していきたいと思います。

炭のぬくもり

聴福庵の冬は、炭が暮らしを彩ります。夏よりも冬の方が炭の出番が多く、あちこちに炭が活かされています。その日々の暮らしの中でもっとも活用されているのは、櫓炬燵(やぐらこたつ)の炭団(たどん)です。毎朝、火を入れれば長ければ一日中暖かいままです。

今では電気炬燵が主流ですが、炬燵は室町時代には「火闥」「火踏」「火燵」、江戸時代には「火燵」「巨燵」などと言われていました。文字通り、火を使うのですが現代では電気が主流です。電気のものは、スイッチを入れたらすぐに熱くなりますから便利ですが電磁波で長く入っていると疲れますがそれに対し炭団はじっくりとゆっくりと暖まり時間がかかりますがしんしんと身体が遠赤外線の放射熱で深いぬくもりを感じます。

火鉢の炭も同様に、近くで手を当ててお湯が沸くのをゆっくりと待つのですがその間に身体がゆっくりと温まってきます。鉄瓶で沸かした一杯のお茶は、ほっとして心まで温めます。

急激に温めたものは急激に冷えますが、時間をかけて温もったものは時間をかけて冷えていきます。自然界は、時間をかけて温めているから冬も乗り越える温もりを維持することができるのです。炭は自然の温もりのリズムを持っています、そのゆっくりとじっくりと温もるさまは自然の温もりそのものなのです。人間は自然の一部ですから、本能や感覚でその温もりの本質を自覚しています。

瞬間湯沸かし器で沸かしたお湯やお茶と、炭でじっくりと沸かしたお湯やお茶はまったく異なるのは誰に飲ませてみてもすぐに気づくからです。不自然な生活に慣れていくと、自然のリズムや自然の味、自然の感覚などが麻痺していくものです。

冬の過ごし方もまた現在は暖房器具が発達し何でも電気が中心ですが、思い切って電気を使わない暮らしをすると冬の温もりに溢れている暮らしに気づくのです。それにはそれを彩る火の道具たちが必要です。

火は使い方を丁寧にし、敬意をもって接すれば偉大なぬくもりを私たちにもたらします。しかし敬意を忘れ失礼な扱い方をすれば、それ相応の火傷を負います。自然の火も水も、使う側の謙虚な姿勢次第で仲間にもなれば先生にもなるのです。

話を炭団(たどん)に戻しますが、これは日ごろ使う木炭、竹炭などの残りかすの粉末をフノリなどの結着材と混ぜ団子状に整形し乾燥したものをいいます。この10センチ後の丸い団子状にした炭は、まさに物を捨てないで使い切る工夫に満ちた作品です。

これは木炭製造時に売り物にならない細かい欠片が大量発生しますし、家庭でも木を燃やせば炭の残りカスが少しずつ溜まっていきます。また炭俵や炭袋などの中には大量の炭の粉末が溜まっています。これを捨てるのがもったいないとして練って丸く固めて成形させたものが炭団の始まりです。

団子も粉で作りますがこの粉を使う文化があったからこそ炭団もまた生まれたように思います。この炭団は、通常の木炭よりも火はかなり弱いのですがその弱さを活かして種火のまま長時間燃えるためまさに炬燵のためにあるのではないかとほど相性がいい炭です。

以前、東北で掘りごたつの下に大量の炭を熾していたところもありましたが火加減が重要なのです。この炭団と櫓炬燵の相性は、まさに最高のパートナーです。何でも文明の利器が便利だと取りいれますが、この炭に関しては文明の利器の便利さを超えるほどの仕合せや価値があります。この価値を最大限活かせるのはやはり冬だからこそです。

冬の楽しみに炭があることは仕合せです。

日本人は、自然と上手く調和し自然の道具を発明してきました。それは伝統の職人技や道具の中にも発見できます。暮らしの中で自然を活かした智慧は、身体の健康だけでなく心も健康にしてくれるものばかりです。

現代社会の中で心を病む人が増えてきましたが、きっと炭がそういう人たちの心も温め健康を取り戻すきっかけになるかもしれません。炭数寄だと人に言われますが、私が炭が好きなのは「ぬくもり」を与える存在だからです。

子どもたちに譲り遺したい暮らしを伝承していきたいと思います。

 

懐かしい道具たち

昨日、伝統的な御餅つきを聴福庵で行いました。伝統的というのは、自ら稲作をし収穫したものを木臼や杵、また竈と木製の蒸器で麻布でお米を蒸して子どもたちと一緒に餅つきをすることをここでは伝統と言います。それくらい今では、臼や杵などを持っている家も少なくなり御餅もすぐにコンビニで買えますから餅つきをする必要もなくなっているからです。

ちょうど28日に御餅つきをし、鏡餅をお祀りするのは縁起が良い末広がりの8がつく12月28日にするのが一番適していると言われているからです。むかしの人は縁起を担ぐため餅つきをする日も選んでいました。たとえば12月29日は「二重に苦しむ」からとか、それに12月31日は「一夜飾り」慌てて準備をしたとなると歳神様に失礼に当たるから餅つきはしないほうがいいと伝えられています。実際には、29日を福(ふく)と呼ぶため構わずに29日に御餅つきをする地域や家庭もあるそうです。

餅つきは、呼吸を合わせて杵で搗きますから年に一度の経験だけではそんなに上達しないものです。しかし日ごろから一緒に暮らしているもの同士であれば息が合うものです。最初は、お米を引き延ばしながら米粒をつぶしていきます。そして捏ねながら搗いていきます。臼と杵の木が受け合う高音が心地よく、静かな地域に餅つきの音が響いていました。

竈の荒神様の祭壇に灯をいれ、見守りの中で餅つきの行事を清々しく進めていきます。有難いことに水も井戸水を使い、火は備長炭、むかしの竈も道具たちもすべて伝統的なものだけで御餅ができることの有難さに心が落ち着きました。

特にハレの日の出番の道具たちは、ハレの日以外は仕舞われてじっと待っています。しかしハレの日なると、どれも晴れ晴れしく活躍しいつもと様相が変わってきます。道具もその時手入れし、また修繕をしながら御礼を言って仕舞います。

日本人の暮らしは、暮らしを彩る道具たちとの御縁は切ることはできません。機械化され、便利になってかつての暮らしの道具たちは廃棄されるか骨董屋さんにいき海外などのコレクターに収集されています。しかし、暮らしを一緒に生きてきて豊かな思い出と懐かしい記憶をいつまでも持ったまま残存している道具たちは仕合せのつながりをいつまでも保ったままです。

そしてそれがかつての伝統的行事の実践と共に甦ってきます。まるでタイムスリップしたように、かつての記憶、その道具が使われていたころの思い出がその場に帰ってくるのです。道具たちは確かに無機物かもしれませんが、その道具たちと共に生きた方々の記憶はその無機質のはずの道具にいのちが宿っていくのです。道具はその単体でいのちがあるのではなく、御縁が結ばれることによって新たないのちが芽吹きます。

それは木が加工され新たなものに生まれ変わるように、いのちもまた御縁と結びつきによって新たないのちが生まれるのです。そしてそのいのちはいつまでも生き続け、そのいのちに触れる人たちによって永続的に生き続けます。この感覚を「懐かしい」と呼ぶのです。

懐かしい暮らしの復活は、いのちの復活でもあります。かつての人々、先人や先祖が身近に感じられる生き方、つまりは徳や恩を感じながら感謝で生きていく生き方の甦生なのです。

年中行事にはそういう懐かしさが生き続けていますが、それを彩る道具たちの存在は欠かすことはできないのです。だからこそ大切にいのちが永く続くように寿命を伸ばすための工夫や修繕、手入れを怠らなかったのでしょう。

御餅つきということをするだけで、それらの生き方が学び直せ自分の生き方も次第に変わっていきます。いのちを粗末にすることがないように、いのちを輝かせる人たちが増えていくように、伝統から学び直して子どもたちに伝承していきたいと思います。