人間は心が「荒む」(すさむ)と感謝を忘れていくものです。心が荒れて行動が乱れれば、次第にゆとりや余裕が消え、冷静さを失い、すべてが乱暴になり周囲にとげとげしくなり悪影響をまき散らします。
この荒むの語源は「凄まじい」からきていて、この凄まじいは恐怖を感じるほどにひどいさま、興ざめするほどにすごい恐ろしさからきています。
人間というものは、心が荒んでくると本人にも色々と問題が起きます。精神が病んだり、心と体のバランスが崩れたり、そうなると自制もきかず何をするかわかりません。人間は心が荒まないように工夫することで、本来の穏やかで調和した自分を維持していくことができるのです。
心が荒む理由としては、現実に対して心が御座なりになってついてこれないときや自分の心を誤魔化したり、無理をして心に嘘をついたりするときに特に影響を受けるように思います。日ごろの自分の心がけと心の持ち方ひとつで、心が和やかである人もいれば心が荒む人もいますから如何に自分自身に対して正直で居続けるか、あるがままで丁寧に生きていくかは人生にとってとても大切な素養と工夫であるように思います。
私は一昨年より暮らしの甦生をする中で、如何に日々の手入れを怠らないか、掃除を大切にするかということを学び直しました。家の神様に対しても、荒ぶる神(荒魂)にならないように感謝の心で洗い清めてお掃除と手入れ、片付けを行うことで荒ぶることもなく和やかなままの状態でいていただくようにつとめます。そのようなことを怠ればすぐに家に問題が発生し、色々な反省が波のように押し寄せてくるからです。数々の暮らしの年中行事は、すべてにおいて日ごろの心の準備と心の手入れ、心の掃除が行き届くことで万事整うのです。
掃除道の鍵山秀三郎氏も、「掃除とは心の荒びを取り払うことである」とはっきりと定義されています。日々のことを掃除にはじまり掃除に終わることで丁寧に片付けていく、その片づけをする心はまさに「感謝の実践」であり丁寧に生きていくことは、「心の和みを醸成する」ためにも必要なのです。
掃除を怠ることで心が雑にならないようにと暮らしを整えていくことは、心が荒まないようにとゆとりを維持していくコツであり秘訣なのでしょう。先人たちはその大切さを知っていたからこそ、日々の暮らしを丁寧に紡いできたのかもしれません。
余計なものを断捨離し、余計な垢を綺麗に洗い流し、整理整頓して美しく保ち続けること。単に増やし続けて雑に扱えばいいのではなく、一つ一つ片付けてまた次の準備をする。かつての日本の家で当たり前にあった四季折々を丁寧に生きて片付けを行い心を整えていく工夫が心の持ち方の智慧として私たちへ伝承されてきたのでしょう。
粗雑で乱暴な生き方は自分自身の心を痛めてしまいます。そうして心を痛め心が病めば日常がさらに色あせて頂いている感謝よりも足りないことへの不平不満に頭をもたげてしまいます。これだけ自分への御縁や感謝をいただいていることを忘れてしまうことこそ不仕合せであり、悲しいことはありません。そのような時こそ、一休みし心の掃除を行い心を澄まし心を整え心を慎み、自分自身の心が全体と一つになるように心を調和していくまで掃除をしながら待つしかありません。
人間の日々の暮らしは人生の生き方です。
感謝で生きていくことは心の掃除をしていく人生の生き方を実践していくということです。掃除道の鍵山氏は、心は取り出せないからこそ、身近にあるものを磨くこと、そして片付けること、綺麗に掃除すること、それが自分自身の心を掃除することになるということを仰っています。
人間誰にしろ自分らしく正直に仕合せを求めて生きていく以上、心の掃除は人生最大の徳目なのです。
今年もあと残り少しですが、丁寧に片づけをしながら心の和魂を鏡に映しながらかんながらの道を歩んでいきたいと思います。