理念研修とは何か

最近、現場で理念を研修しているところの話を聞くことがあります。しかしこの理念という言葉は、使っている人によってその言葉の定義が全く異なることに気づきます。それは経営という言葉も同じく、使う人の生き方や考え方によってまったくその意味が異なるのです。

これはその人が話す理念や経営の意味や定義、それ自体をどのように理解しているかで言葉の意味が変わります。これは例えば、本気や覚悟なども同じくどれくらい本気か、何が本気か、覚悟とは何か、覚悟を決めるとはどれだけのことを言うのかと同様にそれはその人の生き方や生き様を反映するものだからです。

しかし先日、拝見した他の会社が取り組んでいるという理念はとても生き方や生き様を反映したものではありませんでした。教科書的に単に一つのルールを覚えさせ守らせるだけのような理念の使い方、冊子を作るだけでそれを活かすことがない。しかもそれを最初に破っているのが経営者となれば一体誰がそんな理念に着いてくるのかということです。縛るものを開放するのが理念であるという人と、より縛るために理念を使う人もいる。結局は理念は道具と同じく使う人にとっては薬にもなれば凶器にもなるということです。

また同様に色々な企業が理念経営の研修などをやっていますが、果たしてそれが経営者の嘘偽りない本心からの本質の生き様や初心を記されたものか、本物かどうかを確かめるにはその理念を取材する人間の理念への定義がどうなっているかをまずは確認する必要があると私は思います。

理念を取材する人間がどのように理念というものを定義しているか、そしてその人は理念に正直に生きているか、理念をどれだけ大切に実行できている人かということが大切だということです。

形骸化する理念や、現場で使われない理念は文字通りスローガンでお飾りです。理念はコピーライターが取材するものではなく理念経営を実践する経営者しかできないものです。言葉を操るだけならそんなものはかえって言い訳の材料になったり、人々の不平不満の材料に用いられます。そのようなはっきりと定まっていない状態の理念をいくら研修を現場に何回もしても、浸透させたものがそもそも定まっていなかったのならばそれでは逆効果にもなることもあるということです。

だからこそ理念を聴くということはその人の遺言を聴くくらいの一大事だという認識を持つ必要があると私は思います。遺言がもしも間違っていたら、亡くなった人も報われないかもしれません。本当にその人が意図したこと、その人が心の奥底から願ったものだからこそ、その言葉には真実が宿り力が発揮されるのです。それが理念の本質なのです。

そもそも理念を扱う仕事をしているのなら、まずは自分自身が理念に向き合って正直に取り組み、その取り組む姿勢のままに理念に取り組む人たちに覚悟を決めさえ応援し支え見守り続けなければなりません。

結局は人間は、すべて生き方からはじまり生き様の間でこの世の使命を果たすのですからその初心を最期まで貫徹させてあげることが本当の思いやりになります。だからこそ人は生き方を通してお互いを磨き、生き様を通して協力し合い夢を生きる仕合せに出会うように思います。

そして何よりも理念研修で大切にするのなら、理念を高所から掲げて下に振り下ろすような凶器のような使い方をするのではなく、経営者自身がもっとも低所におりてみんながしっかりとその理念を理解してくださるように自分自身が説明を丁寧に根気強く行い、粘り強く伝え、そして自分自身に至らないところがあればそれを反省し自らが謙虚に修正していくかありません。当たり前のことですがトップとはもっとも高いところにいて偉そうにするのではなく、何よりも自分に素直になって謙虚に反省を怠らないで努力する人物になっていくことです。これをリーダーとも言いますが、このリーダーやトップもまた生き方ですから言葉の意味が使う人物にとってまったく異なるのは気を付けなければなりません。

子どもたちを観ていたら生まれながらに何のために生きるのかを学ばされ、どう生きるのを真摯に歩むのを感じます。それをもっとも身近で導く大人だからこそ、私はこの理念という言葉と真摯に向き合い子どもに恥じない位置で受け止める必要があると思うのです。

言葉を使い分ける前に、その言葉の大前提の自分の初心と向き合うのが理念研修なのです。

森信三氏の言葉です。

「人間の値打ちというものはその人が大切な事柄に対してどれほど決心し努力することができるかどうかによって決まる。」

人を導くことは、生き方を与えることです。引き続き、私たちは私たちの信じる子ども第一義の理念を磨き、仲間と共に本物の理念経営、つまり初心伝承を支援していきたいと思います。

七輪

聴福庵では、よく「七輪」を使って料理をします。この七輪とは、土製のコンロのことで炭火を熾したり煮炊きをしたり、焼き物をするときに用いるものです。暮らしの中でこの七輪があることで、炭火を用いた料理はとても幅が広がります。現在ではスローフードの道具として有名になっていますが、本来は日本人には欠かせない調理道具として永い時間暮らしを支えてくれたパートナーの一つです。

歴史としては古代は土師製の炉として宗教用道具として祭祀などにも用いられ平安時代になると室内において置き炉となりこれがのちに手あぶりになり、屋内での簡単な炊事や酒燗などに利用転用されたものだという説があります。能登製の珪藻土が有名ですがむかしは土師製粘土のものが多かったといいます。

この珪藻土というものは、植物プランクトンの遺骸が集積したものです。この天然珪藻土には無数のミクロの空胞がそのまま残っており、保温性・蓄熱性が高く熱効率が良くしかも丈夫でまさに炭火を熾し調理するための最高の材料だったのです。粘土から珪藻土になるのは珪藻土の産地の能登半島を除き明治時代になってからと言います。

現代では七輪の三大産地は土質の良好な愛知三河、石川珠洲・和倉、四国香川があり、かつてはこの三大生産地で日本全体の需要を賄っていたといいます。しかし七輪の需要の急激な減少から廃業が続き三河で3社、石川和倉で1社、石川珠洲で4社ほどになっているといいます。

聴福庵で活躍する七輪たちは、三河七輪と石川珠洲七輪です。まず三河は、江戸時代から続く三州瓦の産地で有名です。この地域は焼き物に適した粘土が多く、瓦以外の焼き物も盛んでした。三河土は熱との相性がよく保湿能力に長けています。これを珪藻土と組み合わせているので丈夫なのです。また黒七輪として有名なのは三河土に炭を塗って乾かし那智黒石で磨き上げているからです。手作りの黒七輪は味があり、うっとりします。

また能登半島は土の三分の二が珪藻土でできているすごい場所です。この豊富に産出する珪藻土鉱床から掘り出された珪藻土ブロックを、崩す事無くそのまま七輪コンロの形状へ切り出して焼成しています。これを「切り出し七輪」といいます。まさに珪藻土のままで形成された七輪は姿かたちそのものが美しく、卓上においても芸術品です。

これらを備長炭や様々な料理の種類に合わせた炭で調理するとき、素材の味は深く引き出されていきます。天然の材料を、天然自然の道具で調理する。現代のように、電磁調理器やプロパンガスなどでは決して出ない味が出てくるのです。

なんでも文明や技術は簡単便利になって効率があがり、人がラクをしてできるようになればいいという価値観ですがそれと共に失っていくものがあるのを決して忘れてはなりません。ラクになることが仕合せなのか、そうではないでしょう。ラクをすることではなく、仕合せのためにラクをしないこともまた選択すべきです。

これらの七輪などの道具は私たち日本人の仕合せを守り続けてきた文化そのものであり、人間が人間らしくゆったりと暮らしを味わい仕合せに生きていくために必要なものなのです。

子どもたちの未来に、大切なものまで奪ってしまわないように使命感を持って暮らしを甦生していきたいと思います。

聴福人の習慣

人の話を聴くのにおいて、「信じて聴く」ということは大切なことです。これはきっと善いことになっていくという信念で聴いているとも言えます。さらに話を聴くことの前提に、相手のことを丸ごと信じている状態になっている必要があります。

つまりは自分自身が聴ける状態であるか、それは自分自身が何を信じて話を聴いているか、自分の信じるということへの哲学や信念が聴くことに現れているのです。

よく話を聞くとき、正しいや間違いなどを指摘しようとするものです。それは信じて聴くこととはあまり関係がなく正しい答えを教えているだけです。正しい答えを聞くことはその人にとっては正解ではなく、その人たちが本当に欲しているのは信じてほしいということがほとんどです。

自分自身が生きていく上で、自分を信じられなくなる時、丸ごと信じて聴いてくださる存在に人は救われるからです。私もそれを幾度も体験しています。

今の自分があるのは、自分が信じることができなくなるような出来事で葛藤するときそれをじっと丸ごと信じてただ聴いてくださった方があったからです。

単に聞いて正論を教えてくれたことがあっても、それは長続きせずその場はわかった気になってもまたすぐに不安や心配になります。しかし丸ごと信じてくれた存在が見守ってくれていると思えると安心して不安も払拭していけます。

つまり心で聴くというのは、相手の心を信じるということと同義なのです。

聴くことができる人は、どんなことがあっても天の声だと素直にメッセージを受け取ることができます。そのメッセージは、「必ず天は最善にしてくださっている」といった全体善に原点回帰していくことを自覚するものばかりだからです。

だからこそ自分の心がどうなっているか、他人の話を聴く前に整えておくのが聴福人の実践なのです。そして聴福人であり続けるためには、日ごろの過ごし方に心を整える内省という習慣が必要になります。

丸ごと善で聴く、丸ごと信じて聴くというのは、日々の御縁を信じて前向きに明るく生き、生涯学習を続けて自己を修めていくという習慣を維持していくということです。私のこのブログもまた、聴福人の実践の一つです。

引き続き、子どもたちが安心して育ち、見守りを感じ続けられるように怠らず努めていきたいと思います。

自然から離れない

今年も自然農に取り組む中で思い通りにならないことばかりを経験しました。お米はイノシシに荒らされ収穫直前に全滅。高菜は3回種まきをし直しましたが1回目は育たず雑草にすべて負け、2回目は虫に食いつくされ、3回目はモグラに土の中を穴だらけにされ育苗が失敗しました。

今年は特に自然の厳しい状況を受けており、今まで以上に葛藤と挫折の中で心を何回もへし折られました。その都度、なんでこんなことにとイライラしては畑に怒りをぶつけます。しかし畑にぶつけても何の解決にもならず、どうしたらと次を考えてまた取り組むのみです。

自然はいつも自分の思い通りになることはありません。

自分が思い通りにしようとする傲慢さは何処から来るのか。それは頭で考えて計画を立てているところにあるように思います。人間は自分の思っている通りにする過程で、自分の考えた通りにしようとします。しかしその考えは自分の都合の良い考え方であり無理やり周りの方を変えようとしてしまいます。自分が周りを変えることで上手くやろうとする、ここに傲慢さが潜みます。

本来は自然に対してそれができるかといえば全くの不可能であり、自然に対しては自分が変わるしかありません。しかし自分が変わるというのは、自分にとっては不都合なことばかりが押し寄せてくるものです。

たとえば、時機を待つこと、寄り添うこと、よく観察すること、声を聴くこと、試行錯誤すること、自分勝手にはいかずどれも「自分から」主体的に関心をもって深くかかわり続ける必要があります。自分のペースを優先すれば自然のペースから乖離していきますから、自然のペースをまず理解する必要があります。

それは「焦らない」ということでもあります、言い換えれば天にお任せして信じるという心境です。

自然はちゃんと自然のスピードで物事を動かしていきます、間違っているのは自分のスピードの方と気づかなければならないのです。大きな成功も成長も、大きければ大きいほどに時間がかかります。高い山であればあるほどに登頂が困難を極めるようにそれだけ達成感も充実感もあるのと同じです。

自分が一体、何の目的に対して挑んでいるのか。それによって進む速度も歩む困難さも異なってくるのです。簡単に誰でもすぐに達成できるような目的ならそんなに苦労はありません。苦労が多いのは難しいことに挑んでいるからであり、それだけ偉大なものを動かそうと頑張っているからなのです。

自然農を通して何回も頭を叩かれて反省を繰り返すばかりですが、私の都合で何回失敗しても自然は丸ごと清濁全て受け容れて何度も挑戦をさせてくださいます。この大きな見守りの中で、自分を磨き謙虚さを学び直すことは自然がある故に実現できることかもしれません。

自然から離れないことこそ人類の真の発展と永続を約束するものかもしれません。

自然から学び直しながら、現代の人たちの苦しみに寄り添い共に子どもたちの憧れる生き方ができるように取り組んでいきたいと思います。

個性を学び続けるということ

人間は誰一人として同じ人はありません。そんなことは誰しもわかっているはずですが、実際には自分と同じような考えを持っていると信じ込んでいたりするものです。

一人ひとりみんな違うというのは、それぞれ一人ひとりに異なった考え方があるわけで本来は「そんな考え方もあるんだ」と学び続けることが人類の持ち味の活かし方のように思います。

それを自分の価値観が分からない人を裁いたり、思い通りにいかないことに不平不満を言うのが人間ですがそれだと多様な考え方や生き方、個性を学ぶ機会を失ってしまうものです。お互いの成長のためには、折り合いをつけたり認め合ったりしていく必要があるからです。

確かに表面上はいくらみんな同じようにしておいて、それをみんなで守ることで問題が起きないようにすることもできます。実際には、大きな組織や標準化された企業などは機械の部品のように周囲の平均に合わせておけばたいして違いが引き立たず気になりませんから自分の価値観をさらけ出すこともありません。

しかし個性尊重で多様性を優先する小さな組織や、持ち味を発揮しようとするのならそれぞれの考え方や違い、物の見方や性格、価値観などがオープンに出てきますからそれもいい、これもいいねと、異なりや違いから自分自身が常にお互いの関係性から学び続ける必要があるのです。これが人類の智慧の根っこです。

つまりこれが個性があるということを肯定することであり、その個性をみんなで活かそうという自他尊重を実践していくということです。しかし同時にそれは「なぜ」こうなんだろうという苦しみもつれてきます。たとえば、なぜわかってくれないのだろうや、なぜこんないやなことをするのだろうや、なぜ理不尽なことさせるのだろうなどと理解できない苦しみに出会うのです。

そんな時こそ、違うのは当たり前だと認識し自分の知らない価値観があったと学べるか、こんな考え方もあるのかと発見するのか、それは単一の価値観をみんなに無理に認めさせ一つの価値観でコントロールするのではなく、多様な価値観を尊重しながらそれぞれに考え方の種類を学びお互いの価値観を高め成長させ続け自分の器を成熟させていく機会にするといいように思います。

私自身も、信念が強くこうであるのは当たり前と突き進むばかりに軋轢や葛藤、そして挫折や歓喜を繰り返しますがその都度、「いろいろな人間がいるんだな」と省みて、その考え方を学び直して自分の価値観を醸成して発酵させ続けています。

人が個性があることは素晴らしいことで、色々な人がいるから人類はここまで生き延びてこれた。そして自然の一部として自分の存在価値の仕合せを味わってこれたように思います。世界は、まさに多様な文化や人種の坩堝です。そのいろいろな考え方を一方的に否定し迫害するのではなく、尊重して折り合いをつけて同じ地球上で仲睦まじく暮らしていくことに向けて私たちは何度も戦争や平和を繰り返してきました。人類のとしての成長は、身近な個性を尊重することなのであり真の平和はその実践を一人ひとりが実行することで創り出すことができるように私は思います。

近い将来、人類はそれぞれの国家のために生産し経済効果のためだけの人の使い方を見直し、生きとし生けるものの個性を尊重しお互いを認め合い持ち味を活かしあう関係の時代に入ってくると思います。世界はまもなく一つに融合していくからです。

未来の子どもたちのためにも、今の自分が個性を学び続け個性の魅力や素晴らしさを伝道していきたいと思います。

響き合いのカタチ

聴福庵の離れの土間を左官職人さんに仕上げていただきました。その土間には、炭を随所に活用したものになっています。装飾として菊炭を埋め込み、粒状の備長炭も混ぜ込みました。

極めつけは、古瓦を用いた音の出る犬走です。これは離れのむかしの造りを活かしたもので、雨樋を設置しなかった分、あちこちに水滴が落ちてはねてしまい周囲を汚してしまいます。それを通常は、砂利などを敷いて犬走をつくり工夫しますが今回はその水滴を活かしかえって綺麗な音が出るように瓦を土間に設置していただきました。

まるで水琴窟のような澄んだ綺麗な音が響き渡り、雨の日の外の音を静かに家の中で楽しめるようになりました。この水の音は、心を浄化し精神を安定させてくれます。

水滴と古瓦が奏でる懐かしい音は、今の機械音ばかりを聴いている心に清涼感を与えてくれます。その犬走の中には、備長炭を設置し水がゆっくりと水路に流れるようになっています。瓦の隙間にもまた粒状の備長炭を挟み込んで水路に塵や埃が落ち込まないように工夫されています。

左官さんとの協働作業でアイデアを湧かし、一つの芸術を実現するのはとても仕合せなことです。先日も、貝を装飾し磨き光らせる友人と一緒に考えて創った貝の首飾りもまた同様に一つの芸術になり仕合せを深く感じました。私は、どうも創作するのが大好きらしく心の情景を職人さんの技術とアイデアで一緒に実現するのが楽しいようです。

仕事もまた同様に、一緒に実現したい夢や理想に向かって協力してカタチになっていくのが楽しく仕合せを感じます。それがたとえ物ではなくても、その思想を顕現させていくような仕組みづくりやそのアイデアを活かした環境づくりなども大好きなようです。

改めて、自分自身が何によって癒されていくのか、そして仕合せを感じるのか。一つ一つの芸術が実現していくたびに近づいてきている気がします。顕現したカタチはお互いの心が響き合った芸術だからかもしれません。

これから聴福庵の伝統的漆喰の塗り直しと、おくどさんの竈の漆喰磨きを控えていますが一緒に復古創新する中で子どもたちに本物を伝道できる材料が集まってきたことにまた歓びを感じます。

子ども第一義の理念に沿って自ら信じた道を、直向きに歩み切っていく覚悟です。

襤褸の心

先日、聴福庵の離れの古布の襤褸を眺めながら改めて「ぼろ」の意味などを深めていました。私は人生の中でよくこの「ぼろぼろになっている」という気持ちになる体験から多く、そんな状態であっても信念に従って真心を盡したいと挑戦し続けてきました。今年は「許し」をテーマに取り組んでいますが、この襤褸と許しはとても密接に関連しているように思います。

そもそもこの襤褸というのは、襤褸と書いて「ぼろ」と呼び、擬態語のぼろぼろも同じ意味です。江戸時代以前、綿布を刺し子という技法で強化されたり穴があくと継ぎを当てボロボロになるまで使い込まれ、なおかつ裂き織りという形で布の命が尽きるまで最期まで使い切られていました。一代だけで着終わるのではなく、遺り続ける入り子々孫々の方々に大切に着られてきたものです。

これがフランスのファッション界に評価され、今では「BORO」として世界共通語となり欧米の染織美術・現代美術のコレクターの人気になっているとも言います。

このいのちを尊重して大切に使い切るというのは自他を思いやる心に充ちているようにも思います。そしてこの襤褸ほど許しに満ちているものはないように私は思うのです。

自分というものを削ぎ落していく中で、遺ったものが何か。ことわざに「ぼろが出る」という言葉もあります。隠していた本当の自分が出てくる、認めていなかった自分と向き合う、いくら表に出ないようにと振舞っていても自分自身のことは自分が一番身近でよく知っているのです。

それをいくら責めて心をひた隠しにしていても、心は限界になって表に出てきます。そしてぼろが出るのです。この襤褸とは自分自身のありのままの姿のことで、あるがままの心の現実のことです。

それを如何に許すか、つまりは自分を認めるかというのはとても難しいことです。自分のことをわかってもらえない、自分を理解してもらえないと辛く苦しみますが、それは自分が自分のことをわかってあげようとしないことから発生します。

自分というものを直視するのは、あるがままの自分を許し認めることが必要です。直視せずにいくら偽ってもぼろぼろになるだけで本当の自分という襤褸になるわけではないのです。

そのままでも美しい、あるがままでも必要価値があるというこの襤褸の心は私には必要不可欠なものです。まだまだ時間がかかりますが、経年変化とともに磨かれてそぎ落とされていくその凛として美しさに恥じないように私も学び直しを続けていきたいと思います。

暮らしのデザイン

昨日、友人の家の和室に備長炭を約500キロ投入し25キロの水晶を設置してきました。以前、聴福庵に来た際にとてもよく眠れたということで自宅もどうしても同じようにしたいということでお手伝いしました。

その他にも家のデザインのことを色々と質問されアドバイスをしました。友人からは仕事にした方がいいと勧められ、「センスはその人のものだからこのセンスを買いたい人がいる」と言われ何だか恥ずかしい気持ちになりました。

好きこそものの上手なれではないですが、何でも興味を持ち徹底的に没頭して深めればそのうちに知識だけではなく全体のイメージや具体的な方法、またそれができる職人さんたちと出会い、自分らしいデザインを創り上げていくことができるように思います。

このデザインという言葉はウィキペディアにはこう書かれます。

「デザインの語源はデッサン(dessin)と同じく、“計画を記号に表す”という意味のラテン語designareである。つまりデザインとは、ある問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現することと解される。日本では図案・意匠などと訳されて、単に表面を飾り立てることによって美しくみせる行為と解されるような社会的風潮もあったが、最近では語源の意味が広く理解・認識されつつある。態に現れないものを対象にその計画、行動指針を探ることも含まれ、就職に関するキャリアデザイン、生活デザイン等がこれにあたる。」

デザインはここにあるように決して見た目のところの装飾をすることに限らず、そのデザインするための哲学や理念、行動指針を含めたものを総称しているのがわかります。つまりデザイナーとは、その思想を体現させる職業とも言えます。考えていることを形にする、思想を人々に明確に表現できるようにする人だということです。一つのことを突き詰めて思想を磨ききっていくとそこにデザインは産まれます。そのデザインの産物が、一つの作品ということでしょう。

聴福庵という作品が認められ、その作品の質から具体的なデザインを直観され、具体的なお仕事をいただけるのもまた有難い成果の一つであろうと思います。

古民家甦生を通して暮らしに触れ、暮らしの道具に出会うことで本物とは何かということを知りました。こうやって体験したことがすぐに他の誰かのお役に立つというのは有難いことです。

引き続き、子どもたちのためにも学問を深め世のため人のために自分を活かしていきたいと思います。

棟梁の心構えと心意気

150年古民家、聴福庵の天井板の張替えを先週から行っていますが今まで見ることもなかった立派な梁が現れてきました。重厚で歴史を刻んだ雰囲気のある飴色の偉大な梁は、屋根を支えるだけでなく家全体のバランスを保つ力の中心です。

改めてよくよく観察すると、大変なエネルギーが漲っておりその梁が家を保ち支えているのを感じてこれこそ家守主人の力の源泉であることを実感しました。大黒柱、小国柱などのすべての柱を繋ぎ橋渡しをするこの梁は、家のいのちの最重要部分ではないかと実感するのです。

改めて「梁」を深めるとこの梁という漢字の成り立ちは、水に両木をかけわたす形であると書かれます。これは「川の上を木で渡す橋」の意味で家の場合は内(うち)ですから内張り(内張)になりそれが、梁(はり)となったといいます。また他にもつっかい棒のことを「ばり」ということもあるそうでこの梁もばりも「張り」から来ているともいいます。この張りは「腫れる」が語源で丸く膨れた状態をいいます。漲るという字も、先頭に立つ勢い、力が充ち溢れるという意味で張り(梁)と同義です。

家をあらゆる自然災害から守るのが屋根瓦でしたが、その屋根瓦のすべての重みを受け止めて支えるのが「梁」です。すべての柱の上に水平に横たわりその重みをグッと堪えて偲び支えていく。まさに組織であれば中心核、大工ではすべての職人をまとめる頭、会社であればそれは社長であり、国家であれば大統領の役目です。大統領という字の統領は、棟梁から翻訳されたものです。そして家を建てるには棟上げという祭祀があるように、棟は家の天辺にあり屋根を司り安定を保ち続けます。

この「棟と梁」は常に一家の建物を支える重要な部分であり棟梁は集団の統率する中心的人物ですからそこから家を支えるもっとも重要な人物が棟(むね)や梁(はり)ということでそれを親方ではなく、粋で匠に優れ最も尊敬される人物という意味も込めて人々から「棟梁」と呼ばれ神を祭ってきたといいます。したがって棟梁になれる人は一家、一国、一族、一門の統率者であり中心となる人物が選ばれていたのです。

梁がむき出しになった天井を、聴福庵をずっと手掛けてくださっている棟梁と一緒にその梁を眺めていると棟梁が「このままいつまでもずっと梁を眺めていたい」と小さく呟いておられました。私も、屋根裏で日ごろは天井板によって隠れて日の目を見ないその姿を観て心に深く染み入る感動と尊敬の念を感じました。

家をもっとも支える存在とは観えないところをしっかりと全員の橋渡しをしている陰徳的存在なのかと感じ、改めて本来のリーダーや総責任者、そして主人としての覚悟を学び直した気がします。

私はこの古民家甦生そのものが経営の師であり人生の先生になりました。これは決して人間ではないし言葉で教えることはないけれど、そこには確かに人間としての生き方の証が随所に智慧として伝承されていたからです。私は今もこの伝統的な家によって保育をしていただいています。

世間は私のことを古民家好きな人や、普請道楽、また骨董趣味やマニアックな人などと勝手に評されたりします。そして本業の仕事もせずに古民家ばかり没頭していると周りからもいわれます。しかし私はその家から自分自身の生き方の研修をしていただき、生き様のご指導をいただき、自分自身を苦労によって成長させていただきました。実践とはその境地で没頭するまでやっていることを言うのであり、事物一体に真剣に没入しなければ学んだことにならないからです。ご縁を活かすというというのはそういうことなのです。

私はこの家から棟梁としての心構え、そして棟梁たる陰徳の心意気の意味など家から学ばせていただきました。きっと傍から見ても変人のように楽しんでやっていますからただの古民家狂いに見えるかもしれませんが、私はその都度に職人や道具からむかしの人々の心と対話し、智慧を伝承し、それを子どもたちの生き方に伝道していこうと思っているのです。そしてそれが保育の仕事につながっているからです。

暮らしとは本来、日々の心の持ち方のことであり、それをどのように美しいものにするか。そして道徳とはまさにその生き様としての実践をどのように積み重ねていくかということの連続なのです。実践とは現場で努力して高い志で深く学び続けることをいい、知識を単に増やすことではありません。実践するには苦労して楽しく道を歩む必要があり、学問を深め正しく実行することではじめて前進するのです。

つまりやっていることが良いか悪いか、正しいか間違っているか、関係あるかないかではなく果たして学んでいるか実践しているかが大切なのです。まさに匠とはそういう人物のことかもしれません。

引き続き、子ども第一義の理念に沿って深く広く学んでいきたいと思います。

かんながらの夢

先日、御縁あって東京の泉岳寺にお伺いすることがありました。忠臣蔵で有名な赤穂四十七義士の墓があるところでもあります。墓地では年齢が多様な日本人の参拝者が多くあり歴史の篩にかけられても未だに忘れられてはいません。

今の時代ではこの忠臣蔵の出来事の本質を深めようとするような学問も少なくなり、道徳が荒廃すればするほどにこの義士たちの理念が忘れ去られていくように思います。道徳の荒廃は大げさに聞こえるかもしれませんが私たち日本の民の原点から守り続けてきた生き方が失われていくことでもあります。

日本人が親祖より最も大切にしてきた生き方を守り続けるということは、言い換えれば子々孫々まで親祖の理念を維持していくということです。神社のお役目も本来はそうであったはずで天皇もまた祭祀によって理念を守り続けていらっしゃいます。そして世界のそれぞれの国には日本と同様にそれぞれのはじまりがあり、多様な国家や民族はそれぞれにその場所でその風土で誕生した道を歩み続けています。本来の道(聖道)から外れるとき、その聖道は途絶えます。途絶えさせないようにその時代時代の忠義の人物たちが理念を守り続けるから私たちは先祖の遺徳に感謝していくことができます。その遺徳を顕現させるものたちこそが義士なのです。

この義士は、先ほどの赤穂義士でも使われますがその定義は「人間としての正しい道を堅く守り行う男子。」ということです。この人間としての正しい道とは、道徳に則った人物ということになります。この道徳は、天地の至誠とも呼び、天地にあって常に中庸を貫き真心を盡すということのように思います。

赤穂義士たちの師は、山鹿素行です。山鹿素行と言えば、古学を究めた人物ですがこのアジアの原点や根本を突き詰めて達した人物です。私の定義する「かんながら」はこの山鹿素行と同じく自然です。山鹿素行はこのことを「天地」と定義します。

「天地の至誠、天地の天地たるゆゑにして、生々無息造物者の無尽蔵、悠久にして無彊の道也。聖人これに法りて天下万世の皇極を立て、人民をして是れによらしむるゆゑん也」

この世のすべての生成者は天地であり、永遠の道もまたここにある。聖人とは、この道を守り続ける人物であるといいます。何が人間の自然であるか、根本を説いています。故に「天地これ師なり、事物これ師なり」と言います。本物の師とは、天地のことである、その天地に生きる私たちの師は出会いであるとも。だからこそこう続きます。

「天地ほど正しく全き師あらんや。ただ天地を師とせよ。天地何を好み何をか嫌う。ただ万物を入れてよく万物になずまず、山川、江河、大地、何ものも形をあらわしてしかも載せずということなし」

この天地とは、自然の真心のことで風土の顕現した道理のことです。古来人はそれを神と呼びました。現代の神は、どこか人間の価値観で勝手に作りこまれたものを言いますが本来の神とはまさにこの風土のことを言うのです。天地のことを風土と呼び、その道を実践することを「かんながら」と私は呼ぶのです。

風土を改善するという私の夢は、言い換えるのなら風土に沿うということです。日本人であれば日本人の道徳を、日本の経営であれば日本らしい経営を、まさにその風土を師として風土を体現することが私のコンサルティングの中心なのです。

なぜならそれは親祖の祈りであり、孔子や聖人たちが願い続けた理想の道だからです。人類の平和はまさにその「風土を師と仰ぎ中庸を保つ」ということなのです。不思議にも今回のブログは私の遺言のようなものかもしれません。

義士たちがいつかここにたどり着くことがあるのなら、ぜひ一緒に問いかけてほしいと願います。「義」とは何かと、「志」とは何かと、そして「道」を想い直し「徳」を思い出してください。人類の成長を見守るのが保育であるのなら、私が子どものために何をしようとしていたのかを伝道してほしいのです。

最後に山鹿素行は学校を創りました、その学校はカタチは消えても心の中に存在し今でも子どもたちを見守り続けます。その学校は何か、こういいます。

「学問は天子より庶人に至るまで、一にこれ皆身を修むるをもって本となす。これを為すに学校が必要であり、学校と云うは民人に道徳を教えて、その風俗を正すの所を定むる事也。学も校もともにおしうるの字心にて、則ち学校の名也。学校のもうけは、上代の聖主もっぱら是れをもって天下の治道第一とする也。学校は、単に学問を教え、ものを読み習わせる所ではなく、道徳を教える所であり、つまり、人間を作るのが学校の目的である」

将来、私は学校を創りますが世の中の人が一般的に思っている学校とはあまりにも異なるかもしれません。しかしいつの日か、自然と調和し、人類がそれぞれに正しい道を歩んでいくことができるようにかんながらの夢を念じながら前進し続けていきたいと思います。