道の友

生きていく中で、尊敬する友人と出会い、その友人たちの生きざまを拝見していると、敢えて自ら苦労を選択して大変な思いをしていることが多いように思います。その苦労している最中は、傍で見守っていても辛く厳しく、時折もうその辺でいいのではないかと深く心配することもあります。

しかし、自ら苦労を選択して前に進んでいく姿にそこには単に苦しみを受け容れるだけではなく喜びの先送りをして後に必ず訪れる偉大な仕合せを心から信じて時を待っているかのような気配もあります。

人間は、最終的には一人で生まれて一人で死ぬようにすべてのことと一人で正対していくしかありません。いくら代わってあげたいと願っていても代わってあげることもできず、その人のために祈ることしかできません。

しかし信じて見守っていけば、必ずその人の苦労が報われていつの日か楽しい笑顔と豊かだったその当時の苦労のことを思い出し、祝福の思い出に変わっていきます。そこまでの道のりを単につらい苦しいだけのものとするか、それともそれもまた人生だと受け容れて自分を変える力にするかは、その人の心が決めているとも言えます。

その心を励まし元氣づけ、支えて応援してくれる仲間や友人は道の友であり、同志であるとも言えます。絶望するからこそ、挑戦しようとする希望が湧いてくる。そういう生き方をする友達に恥じることがないように、信念を磨き、勇気を高め、努力と運と丹精を籠めて子ども第一義の道を邁進していきたいと思います。

一流と陰徳

日本の格言の中の一つに「三流は金を遺す。二流は事業を遺す。一流は人を遺す」という言葉があります。他にも「金を残すは「下」、事業を残すは「中」、人を残すは「上」」という言葉もあります。

同じ意味ですが、この「一流や上」とはその道を究めた人物ということです。道を究めた人が流派を立ち上げるのもまた、その道の基本を徹底して学び達人の域にまで到達した人こそ一流とも言えます。

その一流は、同じように道を歩み自らを高め精進していくような人物を薫風してはぐくんでいきます。つまりはその生き方や生き様が、周囲の人物やあとから伸びてくる者たちの指標になっていくのです。

何を残すかと考えるとき、もっとも子孫たちへ残しておきたいものは何かと考えます。山岡鉄舟は金を積んでもって子孫に遺す。子孫いまだ必ずしも守らず。書を積んでもって子孫に遺す。子孫いまだ必ずしも読まず。陰徳を冥々の中に積むにしかず。もって子孫長久の計となす。』と言います。

お金は事業は子孫や周囲の人たちは必ずしもそれを継承することはないし、それがいつまでも継続することもない。では何を残すか、それは陰徳を粛々と積むことでその遺徳遺恵が代々に受け継がれ永続的に繁栄と発展をするのだということです。

この陰徳というものは、人知れずして善い行いを積み重ねていくことです。つまりは天を相手に天に恥じない人格を磨き、世のため人のためになることを誰も見ていないところで実行していくということです。

中国の易経に「積善の家には必ず余慶あり」という言葉があります。善行を積み重ねてきた家には必ず子孫に歓びが起こるということです。因果律からもこれは当然のことと言えるでしょう。

人間はとても長い目で観ると、善いことを積み重ねること以上に効果のある行為はありません。短期的にみると自分に損と思えることでも、長期的にみて子孫のためだと思えば価値のある行いはたくさんあるのです。

子どもたちのための仕事というものは、かくありたいものです。 引き続き、周囲になかなか理解されなくとも自分の信念に従って同行してくれる志の友たちと伴に道を極めつくしていきたいと思います。

切磋琢磨できる幸せ

物質的なものが増えて便利さやスピードの価値ばかりがフォーカスされると人間は「ラク」になることを求め始めるものです。このラクは確かに効率を高め、効果があり、簡単便利になることで結果を満たすものです。しかしプロセスを味わったり、それまでの経緯に感謝したりといった心に必要な時間が奪われ、脳で考えたこと通りになることが良いことであり、次第に心は無関心になってくると心のエネルギーが枯渇していくように思います。

人間本来の仕合せを改めて見つめ直すとき、それは心の通じ合いであったり、個性のままに自分らしくそれぞれがお互いに活かしあい磨き合える関係であったり、そのすべてが今の一つ一つのプロセスの中にあることに気づきます。

私は聴福庵の甦生を通して、一人一人の伝統職人さんたちが時間をかけてじっくりと家を修繕していくのを観てきました。現在の世の中の風潮としては、短期間であっという間に新しく変えることを修理といったりもしますが、本来の修理は壊れているところを一つ一つ丁寧に磨き直すことであったはずです。伝統職人さんは不便であることに文句を言わず、むかしの道具でむかしのやり方で、そして現在の文明の価値観と折り合いをつけながら信念をもって本物の仕事に取り組んでくださいました。

この一つのことに長い時間をかけるというのは、それだけ自分が着実に年輪のように成長することであり、不便であるというのはそれだけ試行錯誤をし創意工夫を高めることであり、様々な精神的な困難や心身の苦労は試練であり、その試練を通して人間は人格を磨き上げていくことができるのです。

ストレスというものは、確かに物質的なものからみれば早く取り払いたい不便で仕方がないものかもしれませんが人間の成長から見ればまさにピンチはチャンスであり、自分をより感謝や謙虚さ、そしていままでの自分をブラッシュアップする貴重な体験になっているのです。

人間の人生は生きている以上、一つだって無駄で無意味というものはありません。生きている以上、どんなことも学びであり成長であり意味があります。だからこそどんな時も前を向いて一歩一歩、怠らずに努力していくしかありません。怠惰な自分、ラクを求める自分、傲慢な自分と向き合って初心を忘れずに何のために生きるのか、何のために苦労するのか、何のために自分の人生を使うのかを時間を大切に実践していくしかありません。これは私の自戒でもあります。

そうして人間は一つ一つの出来事に真摯に向き合い、そこから逃げずに前進するとき与えられた機会がとても大切なメッセージを伴っていることに気づくのです。逃げるときこそ自分がラクになりたいと自分が自分を諦めるときでそういう時こそ自分を丸ごと信じて根気強く根性を磨いていくときだと修行を積むしかありません。

人は一人ではなく、必ず隣に応援してくださっている人たちや、支え見守ってくださっている人たちがいます。感謝の心さえ失わなければ、謙虚ささえなくさなければ、そういう恩や徳といった有難いご縁と一期一会に歩んでいくこともできるでしょう。

切磋琢磨できる幸せを感じながら、子どもたちのために信念を貫いて歩んでいきたいと思います。

学びを深める~ストレスを活かす~

人間は生きていく上でストレスというものを持っています。このストレスの意味は、生活上の圧力および、それを感じたときの感覚であるといいます。語源は苦痛や苦悩を意味する distress が短くなった単語とされています。

このストレスは、生きていく上で誰もが持っているものですが使い方次第では健康に害があるものになったり、もしくは向上していくための栄養分になったりもします。

最近、アメリカではこのストレスの研究が進み「ストレスが健康に害があると信じていた人」のみが死亡率が高かったことが証明されています。これは『スタンフォードのストレスを力に変える教科書』(ケリー・マクゴニガル著)に記されています。

スタンフォード大では他にも子ザルを母親から引き離しストレスを与える実験をしました。すると母親から引き離された子ザルは、過保護に育てられた子ザルより物怖じしなくなり、活発に行動する事がわかったといいます。それは母親から引き離された子ザルが物怖じしなくなった理由は、ストレスが脳の前頭前野を発達させたためでした。前頭前野は不安を抑えたりする働きがあり、実際にはストレスはその人の生きる力を育てる側面があるということです。

また他にもストレスはむしろない方が危ないということが研究で分かったといいます。たとえば、退職後のリラックスした生活はかえってうつ病を発症するリスクが40%も高くなるともいいます。

ストレスに対してもっとも問題なのは、アメリカで3万人を対象にした調査によると、ストレスは体に悪いと思い込むだけで死亡リスクが43%もアップしたということです。この悪く思い込むといったことがストレスを一方的に悪いものにしているのかもしれません。この悪く思い込んだり決めつけたりすることは健康を著しく害するのは、人間はネガティブになり不安や心配事が増えるとストレスもまた悪者になってしまうからです。正義か悪かと決めつけるとどうしてもバランスが崩れます。ケリー教授は、かえってその思い込みや決めつけを活用すればいいと「マインドセット」という仕組みも提案しています。

人間は生きているうえで必ずストレスがありますから、それをどう活かすか、どう上手く付き合うかが生きていく上で大切な要素になります。このマインドセットの中でケリー教授はストレスのことを悪いものと決めつけるのではなく善いものもあると転換し、「ストレスと友達になればいい」とも言います。なぜならストレスで出るホルモン物質のオキシトシンは、かえって生きていく上でも大切なものになるからだそうです。他にもアドレナリンという物質もありますが、これも集中力を高め五感を研ぎ澄ます力があるともいいます。ストレスを悪者にするのではなく、ストレスで得られるものがあるという発想。単に白か黒かではなく、如何に白も黒も両方活かすかという考え方には日本的な「ないものねだりをしない」考え方と似ていてとても共感します。

先日の逆手塾の講師の話にもあったように、マイナスなものも見方を変えれば使い道があるという話にも共通することを思い出しました。

私も体調を崩したり、感情や心が乱れるとストレスをすぐに悪者として決めつけてしまいます。それはストレスだけではなく、身の回りのものをなんでも悪者にしてしまったりもします。物事には必ず、善い側面と悪い側面が同時に発生しますから如何に善い方を観て悪い方をカバーするか、もしくは悪い方も活用するかというのはこれからの時代の子どもたちへの生き方の模範になるかもしれません。

自分自身に起きることを何のメッセージかと受け止め、学びを深める材料にしていきたいと思います。

 

 

 

物々交換

先日の天神祭では、来庵していただいた方々や応援してくださる方々からたくさんのお土産をいただきました。当日は、野花をはじめお野菜や炊き込みご飯、ご当地の有名な食品や梅が枝餅などもいただき直来もまた豊かになりました。

むかしはそれぞれがお互いに欲しいものを交換していた時代もあったのですが、今ではお金が中心になっている金融社会ですからあまり物々交換をすることも少なくなってきているように思います。

以前、奈良の長谷寺に行ったときに「わらしべ長者」の話をお聴きすることがありました。それは1本のわらから物々交換を重ね、ついに長者になれたのは長谷寺の十一面観音さまのお告げに従ったからだったという話でした。具体的にはこう紹介されていました。

「今は昔、貧乏で身寄りのない青侍(あおさぶらひ 奉公人のこと)が長谷寺の十一面観音さまに「ご利益がいただけるなら夢で示して欲しい」と願をかけ、21日目の次の日の明け方、夢に僧が現れ「かわいそうだから授けものを与えてやろう、お前が寺を出て手に触れた物があったら捨てずに、たとえどんな物でも観音様から賜った物だと思うが良い」とお告げがあった。青侍がお寺の大門を出ようとしたとき、けつまずき、わらしべを手にする。それから不思議なことに、わらしべを身分のある女とミカン3個に交換し、出会う人ごとに、ミカン3個を布三反と、布三反を名馬1頭と、名馬1頭を田一町と米少しに次々と交換し、その後、田一町を近辺の人に小作させ家など建てて、ついに資産家になったのは長谷寺の観音さまの御利益である。」(今昔物語巻16の28より)

手に触れたものはすべて観音様からの授けもの、それを捨てずに大切にすれば必ずご御利益があるという話です。

不思議なことですが今回、天神祭にいただいたものもすべて天神様からいただいたものではないかと思うほどにみんなを潤し、時間が経過するとそれが多くの人たちの仕合せにつながっていきました。

「もったいない」というものを大切にする感謝の心は、それを受ける側の心次第です。

むかしのような物々交換は、いただいたものの意味やそのご縁や繋がりをより一層感じさせ感謝しやすいものです。目に見えない恩徳や、循環していく因果応報などむかしの人たちはもったいない心を意識してお互いに物々交換していたのではないかとも思います。

時代が変わっても、本来の智慧は普遍的に今の世の中にも遺っているものです。暮らしを復古起新しつつ大切な真心を子どもたちに伝承していきたいと思います。

和が馴染む

昨日は、聴福庵の天井板をクルーたちと一緒に柿渋塗料を使い塗り込む作業をしていきました。天井板は、現在はプリント合板が張ってありどこか古民家に馴染まず不自然な感じになっています。先日、来庵されたクルーの両親も天井板が気になると仰っていたくらいです。

本物で修繕を続けていると、現代の不自然なものが際立つようになっています。例えばむかしからの伝統の和室にスーパーのビニール袋があったりすると特に違和感で目立ってしまいます。このように本来の自然物の中に溶け込むようなものと、自然物の中に対立するようなものがあるということです。

これらのことを別の言い方で、親和性ともいいます。

この親和性は辞書をひくと、「物事を組み合わせたときの、相性のよさ。結びつきやすい性質。」と書かれています。つまりは馴染むか馴染まないかということでも言い表せるようにも思います。その場に溶け込むか、それとも対立するかということです。

例えば、手作りのものが増えると手作りのものとの親和性が高くなるのを感じます。また機械で大量生産するものはやはり大量生産するもの同士が馴染むのを感じます。この親和性というものは、デザインや環境づくりにおいてはもっとも重要な感覚の一つかもしれません。

手作りのものや自然のものは、平らなものがあまりなく凸凹しています。自然の光の陰翳があるとそれが立体として浮き上がります。そこにはうっとりとする雰囲気が生まれます。また手作りのものはすべて味があり、経年変化とともにその場が落ち着きしっくりとしてきます。一つ一つのものが親和性を発揮し出して落ち着いてくればくるほどにその空間の和が磨かれていくのです。

このように全体が調和するものが親和性であり、その親和性により全体の雰囲気が仕上がっていくのです。家づくりや街づくり、また人づくりも同様に親和性を発揮することで心が和み、場が調和して安らかになります。

みんなで愛情を入れて手をかけた天井板が天井に張られ、見上げたときの感覚の中で思い出も一緒に味わえるのがとても楽しみです。手作りのものには、人々の心と和と懐かしい記憶が存在します。

親和力を高めて、より和の馴染む感覚を磨いていきたいと思います。

第2回天神祭

昨日は、無事に第2回天神祭を開催することができました。遠方からたくさんの方々が駆けつけてくださり、またたくさんのお土産や摘んできてくださった花々、炊き込みご飯の差し入れ等々、まるで実家で親戚たちが集まるような懐かしいぬくもりがありました。

また家宝の菅原道真公直筆の書やご遺影の掛け軸なども今回の天神祭のために遠方から提供してくださった方もあり、1100年前のその遺徳を身近に感じながら天神様のお人柄を味わうことができました。

皆様の御蔭様を持ちまして充実したお時間を過ごせたことに心から感謝しています。

また今回は、逆手塾の和田芳治氏に講演をしていただき一緒にたくさんの唄を謳いました。常識を壊してマイナスすらも豊かに活用する生き方から、ないものねだりをしないことの大切さを学び直しました。同時に、楽しいことこそが主体性であり、楽しいだけで学問は達していくことの価値を再確認しました。

そして「唄うように生きろ」というメッセージから、自分らしく自分のままであることの大切さ、その安心感やオリジナルであることの応援をいただいたように思います。

自分らしく生きている人をみると、大きな元氣をいただけます。常識に従順になり十羽ひとからげのように生きるのではなく、自分の信じたことをやり抜く生き方こそが周りの人たちのお役に立つのだという信念には感動するものがあります。

一つ一つの唄に籠められた詩の意味や、その声色から聴こえてくる思いや願い、祈りは一緒にその場で味わった人たちにしかわからないものがあります。それだけに、時間が経ってもいつまでも余韻が心に遺り応援唄として響き続けます。

和田さんは、最後に「和田が正しいのではない、行動することが何よりも大切」と仰られ、どんな形にせよ触れたからには行動してほしいと語り掛けられました。早速、様々なことを取りいれて自分たちらしく行動で御恩返しをしていきたいと思います。

天神祭は、不思議なご縁ばかりを引き寄せてくれます。

現代の世の中は、神様や天神様や仏様などというと宗教だと嫌悪されることもありますが本来の日本的な生き方、日本人の智慧を学び直して子どもたちに伝承していきたいと思います。

報恩=感謝

人間はうまくいっていることが続くと知らず知らずに自分を過大評価してしまうものです。本来は、自分は周囲に支えられていると自覚し何かの御蔭さまにによって活かされていると感謝しているのですが自分の思い通りにいくことで人間はすぐに傲慢になってしまいます。

そういう時は、謙虚さが足りないというように教えられ自分を磨いていくことができます。人間が傷つくということは、研いでもらっているのであり何度も擦れていくなかで原石は光ってくるのです。

いくら謙虚にと頭でわかっていても実際に謙虚になったわけではなく実際には出来事が発生して自分がまだまだであったことに気づき改善していくしかないように思います。

そう考えてみると、自分の言動には反省するところがたくさんあります。いくら相手から頼まれたと思っていても、最初は真心だったものが次第に自分が価値が高い存在だからと勘違いしたり、真実を見極めようとしていたはずが次第に正論をかざし自分が正しいと思い込んでいたり、自分の我に浸食されていきます。そうやって慢心すると本質が見えなくなってしまい仮初の自信ばかりを増やしていくのです。

本当の自信は謙虚さであり、常に心は澄んでおり全体が観通せそして感謝を忘れない状態です。相手を変えようとするのではなく、自分を変えようとし、自他を傷つけないようにと思いやりや優しさを忘れることはありません。

自分というものが何様かになってしまい、相手や周囲に対して傲慢な態度になってしまうと必ず人間関係に綻びが出てくるのです。今まで支えてくださった御恩を感じる心を忘れないことが報恩感謝であり、そういうものを忘れて自分にとっての良しあしだけで行動するようではみんなが仕合せに一緒一体になることはありません。

今日は天神祭ですが、天神祭が実施できるのは今まで御祭りしてくださった方々の御蔭様、古民家を残してくださった方々への御蔭様、菅原道真公、そしてあらゆる氏神様の御蔭様、加勢し力を貸してくださり、どんな状況でも支えてくださっているみなさんの御蔭で開催することができます。

まだ2回目ですが、すでに私にとって何が大切かを皆さんが諭してくださったように思います。真摯に学び直し、自分を変えて子どもたちのために少しでも貢献できるように精進していきたいと思います。

学問の本懐

明日から第2回目の天神祭を聴福庵で開催します。その天神祭の案内をこのように書いています。

「日本人なら学問の神様として祀られている菅原道真公を知らない人はほとんどいません。その道真公は、クニの行く末を案じて子どもたちの学問を今でも天満宮から見守っておられます。徳や善、和合などのむかしからの日本の学問も今では誰も伝承しなくなってきました。私たち今の時代を生きる大人たちが萬古清風の学問を実践していくことで菅原道真公への報徳報恩の縁結びにしていきたいと願い開催する御祭です。ここでご縁のあった方々と共に天に問い、天から学び、天命を知り、豊かな場を醸成できることを祈念しています。」

最近では学問と勉強の違いがはっきりせず、学問を単に受験勉強だと思っていることもあるそうです。しかし本来の学問は、君子を志すものでありそれは生き方を示すものです。

吉田松陰は学問についてこういいます。

「学問とは、人間はいかに生きていくべきかを学ぶものだ。 」

如何に生きるかを問う、それが学であるとも言えます。またこうも言います。

「学問をする眼目は、自己を磨き自己を確立することにある。」

自己を確立することこそ学問の本懐であるということでしょう。その学問にとってもっとも禁忌があるといいます。それは、

「学問の上で大いに忌むべきは、したり止めたりである。したり止めたりであれば、ついに成就することはない。」

それは自分との約束を果たさない、心で決めたことを裏切ることを言うのでしょう。学問というものは、自己確立であるからこそ自分を掘り下げ、自分に刻むように自己錬磨や鍛錬を続けていかなければならないということなのでしょう。だからこそ私も周りから何を言われても初志を貫徹し続けているのです。

またこうも言います。「小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば人間やつれることはない。」

そして

「道を志した者が不幸や罪になることを恐れ、将来につけを残すようなことを黙ってただ受け入れるなどは、君子の学問を学ぶ者がすることではない。」

学問とは孤高で行い、超然とした気高いものなのかもしれません。菅原道真公もまた、その境地を持って学問に正対されたことが歴史から鑑みることができます。孔子と同様に単なる世間一般的な学者ではなく、君子であったのです。時に君子は時代によっては狂人と罵られることもあります。それだけ王道がその時代の常識とは異なる時代もあるのです。本流は変わらずとも、人間の流行や欲望や世論や価値観は好き勝手にその時々で変わってしまうからです。

最後に、自ら狂愚と名乗った吉田松陰から叱咤激励を籠めた私たちは子孫たちへの愛のメッセージです。

「思想を維持する精神は、狂気でなければならない。諸君、狂いたまえ!」

真実を維持し、本流を保つには変人と呼ばれることを恐れてはいけません。自分の信念に従って学問を高め、本懐を遂げるために天に恥じない、自分に恥じない生をを全うする。

天神信仰

福岡県は天神信仰の数が700近くあるといわれます。これは全国都道府県ではもっとも多い数となっています。太宰府天満宮をはじめ、私の郷里にもあちこちに天満宮や天神様が祀られています。

また博多の天神という有名な地域も元は、水鏡天満宮のある一帯を天神と呼ぶようになったことが由来です。それだけ福岡県は天神様との所縁が深いのは、菅原道真公を慕いたくさんの人たちがこの地に訪れたからではないかと私は思います。

また老松と名の付くものもまた天神信仰であり由来は、菅原道真公の御詠歌の中に、「梅は飛び、松は追い(老)・・」という一説があり、そこから老松という名がついたといわれます。

これは「東風吹かば、匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」菅原道真が大宰府に左遷された時、家を出るときに詠んだ歌です。その梅は道真を慕い一夜のうちに大宰府まで飛んで行ったそうです。それが「飛梅」の謂れとなります。そして「梅は飛んで桜は枯れたのに松と言う奴は・・・」と皮肉られ松は梅の跡を追って大宰府に飛んだのです。だから「追い松(老松)」となったとあります。

ひょっとしたら、太宰府に左遷されたとき多くの人たちが道真公を追いかけ遅れて追いかけてきた人たちもいたのかもしれません。私の遠い先祖もまた、道真公を慕い続けてこの嘉麻という地に関東から移動してきたといいます。

人徳のある人は、どんな境遇になったとしても天は見捨てないのかもしれません。この福岡にいること、そして天神祭を実施できることに有難い気持ちになります。

自らの生き方から本当の学問は何のためにするのか、そしてどんな境遇においても何を大切に生きるのかをその生き様から私たちに今でも語り掛けてきます。

天神様に恥じないように、学問を深め、子どもたちの仕合せに祈り続けたいと思います。