日本人の母~観音様~

先日、鹿児島県知覧町にある富屋旅館に宿泊するご縁がありました。特攻の母として有名な鳥濱トメさんが開業した富屋食堂の離れとして特攻隊員が最期のお別れを家族で過ごしたり、自分らしい最期の時間を過ごすためにとご用意した場所をそのまま旅館として経営されております。

最初にその離れにお伺いすると、その佇まいはとても凛としていてまるで荘厳で澄み切った神社のように清々しい場が醸成されておりました。場を守るというのは、その魂を守ることであり、言い換えるのなら心の故郷を守ることでもあります。

心の故郷を大切に守り続けている富屋旅館には、日本人の原点に気づく貴重な何かが存在しているように思います。

また鳥濱トメさんの遺した言葉や遺志をお聴きしていると、日本のむかしの教えがそのままに伝道されており如何に気骨がある人物だったかを直観します。遥かかなたのクニの行く末を案じ、いつまでも子孫たちが平和で暮らしていけるようにとその祈りがこの富屋旅館で往き続けています。

鳥濱トメさんは知覧から知覧からクニの行く末を見守り続けるトメ観音様、また特攻の母と呼ばれていますが、実際に感じたのは「日本人の母」でした。そう省みると、あの特攻の人たちは代表的な日本人であったということです。

その代表的な日本人たちが、クニの行く末を心配し子どもたちの未来を信じて笑顔で生き切っていった。その日本人の魂を見守り見送った母もまた、日本人の母であったという事実。そしてこの日本人の母こそ、観音様そのものであったということ。むかしから日本にある人生の教えは、この観音様と大和の心魂の間に生き様が智慧として連綿と伝承されてきたのかもしれません。

現代は、とかくクニのことをいえば政治問題にされ、魂のことなどをかけば宗教などを批評されます。しかしよく考えてみれば、当たり前なのは自分の今を想えば御先祖様たちの人生や生き様の積み重ねた上に私たちが今あって生きていることは揺るぎません。

だからこそ、行く末を案じてくれて自分のいのちを懸けて捧げてくださった方々の御恩を忘れたらいけないと切に思うのです。その御恩を思う人たちは、政治や宗教などという言葉で批評することはないと思います。そしてそのつながりが見える人は、白黒や右左と分けずに真実を観ようとするでしょう。自分の人生は短く、子孫のこの先の人生は長いのです。だからこそ、子孫のために何ができるかと願い生きた人たちの私心なき生き方のご先祖様に自分の魂は深く揺さぶられるのかもしれません。

日本人として生きていく若者たちは、この教えに触れることで本来の道徳や生き方を学び直すことができるように思います。

私もこの富屋旅館で得た気づきを、次世代の人たちにつないでいけるように真摯に自己を磨き魂を錬磨していきたいと思います。

ありがとうございました。

 

人間学の要諦~気づきの学問~

人間は自分の先入観が壊れるような出来事や、今まで見知ったものがまったく異なるという体験をすることで目から鱗が落ちることがあります。私は探求心が強いからか、自ら体験を重視し自分の先入観を疑い真実を知りたいと思うタイプのようで敢えて怖いことでも学びたい欲求の方が上回ります。

本当のことがわかると、それまでは上辺だけでしか知らなかった自分を恥じてさらにその本質を深めたくなります。今の時代のように知識ですぐに何でも分かり調べることができるようになったからこそ、知識で分からないものが理解できたとき目から鱗が落ちるのです。

この「目から鱗が落ちる」という言葉の由来は、新約聖書の中の話のひとつでイエスキリストを迫害していた男性が、天の光によって目が見えなくなってしまったのちそのキリストの弟子の一人であるアナニアからイエスキリストの啓示を聴いたとき目から鱗のようなものが落ちて目が見えるようになったことが由来であるといいます。

今では何かを切っ掛けに急に物事の道理が理解できるようになったという意味で使われますが、本来は自らの間違や誤解から悟りをひらき、諸所の迷いから覚めることができたという意味の言葉です。

本当のことに覚めるというのは真実を悟ることで、真実とはありのままの現実を理解するということです。人は体験していないものをいくら理解しようとしても、自らの人生で直接的に体験していないものを真実のままに理解することはできません。例えば、何かの味があったとしても食べてみなければわかりませんし、五感なども感じてみなければわかりません。修行もまた、頭で修行したとは言わないように似たような体験を思い出し多少は近づくことはできても、同体験の精進なしに意味を感じることはできません。そういう意味で人生は必ず誰にしろ平等なのです。現在は知識でなんとなく頭で妄想したり空想したりして分かった気になり処理してそのまま片付けていますが、その頭で行ったことがのちのちまでの先入観となり真実を理解する機会を遠ざけていたりするのです。

そうならなためにも日々の気づきを高めて精進していくしかありません。そのためにも私たちが目から鱗の体験は貴重なのです。目から鱗が落ちる体験は、その体験をした人たちのあるがままの言葉をお聴きし現地に足を運んだり、自分の妄想や空想よりも現実の真っただ中に存在した真実を直視して心で感じたり、現在でも目に見えてその本質を悟り実践している人の現場を一緒に味わうことで鱗が落ちることがあるように思います。

自分の直観を信じて現地に足を運ぶのは、自分が真実を追求したい、本当のことを知りたいと探求していくからです。そして道はその探求した中にこそあり、探究する過程においてその道は次第に拓けていき、自分の中にある道理もまた繋がっていくのです。

道理を学ぶというのは、この目から鱗が落ちる体験をどれくらい行うかということのように思います。刷り込まれた知識や自我妄執からの迷いを取り払うためにも、歴史やその道の達人から直接学ぶことが効果があるのは間違いありません。その体験した気づきこそ本物であり、人間は気づく感度が高いほどに学問が研ぎ澄まされていくからです。

気づきこそ、人間学の要諦なのです。

子どもたちに真実が伝道できるように、安易にわかった気にならず一つ一つを足を運び、気づきの学問を伝承していきたいと思います。

歩み方=生き方の改善

人は小さな習慣の積み重ねで経験を積んでいくものです。継続は力なりともいいますが、小さな日々のことをコツコツとやるかで未来の出来事を手繰り寄せていくものです。しかし、このコツコツと行のを面倒だと嫌がり目に見えてすぐに結果が分かった方がいいと焦るのは心に不安があるからとも言えます。

心が安定している人は、コツコツと地道に一歩ずつ取り組んでいくことができます。これはコツコツと地道に一歩ずつ取り組むから地に足が着いているため心が安定しているとも言えます。頭と異なり心は常にちょっとずつ活動しているからです。

心をなおざりにしてやったりやらなかったりしその分、一気に結果だけの帳尻を頭で合わせようとすればそれだけ心が不安定になります。そして不安定になるからまたマイナス思考になり焦り結果ばかりを追いかけてまた地から足が離れて空回りするのです。

心というものは、目には観えませんが自分の体と一緒に歩んでいるものです。体の足が一歩前に出れば、一緒に心もまた一歩前に出る。これを同時にしていくことで、現実や真実が変化していくのです。

自分がいつまでも変化しないのは、自分が一歩足を前に出してもいないのに心だけは10歩や100歩など先に先にと進めようとしている時です。これは体と心が和合していませんから、ずっこけてしまいます。心と体はまるで二人三脚のように、息を合わせて一緒に歩んでいくことではじめて前進していくのです。

日々に心の一歩と、体の一歩は、具体的に言えば、思いを醸成する一歩と、具体的に実践する一歩を同時に行うことをいいます。例えば、何かを決断し行動すると決心したのなら、何かを已めて何かを始めるという具合に心と体を一致させていく必要があります。

そのために人間は、自分の一日を反省し、「自分の一歩はどのような一歩だったか」と振り返り次の一歩に向けて改善していくことで、歩き方を変えていくのです。

人生も同様に、歩き方を変えていくというのは生き方を変えていくということです。自分の歩き方は、一歩一歩、自分で意識しながら変えていくしかありません。

人間は怪我をしたり病気をして立ち止まり、上手く歩けなくなる時こそ、自分を変えるチャンスであり、もう一度、一歩一歩歩き直す中で自分の歩き方を見直していきます。そうやって歩いていけば、生き方も同時に変わり、人生も変わり、未来も今も変わっていくように思います。

一歩一歩と地に足が着いている人は、不平不満を言う暇がありません。一つずつ、丁寧に取り組んでいこうと改善することに着手し日々の一歩を豊かに楽しんでいくように思います。その歩み方は軽やかで楽しく、安心して歩み続けてきます。

人生は自然と同様に周りは日々に変化を已みませんが、その中でもどのように歩んだかは自分の歩き方で決めていくことができます。どんな状況でも歩くというのは、どんな状況でもこのブログに取り組む私の姿勢も歩み方を磨く大切な砥石です。

子どもたちのためにも道が続いていくことを祈り、日々に歩むことの大切さを伝承していきたいと思います。

清明心~徳の祈り~

先日、終戦間際に「特攻」をして亡くなった若い方の遺言やメモを拝見し色々と考える機会がありました。この特攻は、「特別攻撃」の略で敵に対し、兵士自身が兵器を抱えて突撃、もしくは兵士が搭乗する兵器をぶつけて道連れにする自爆攻撃のことをいいます。

お国のために死ぬと分かってて突入する、その必死の人物たちはどのような人たちだったのか、今のように平和ボケしてしまっている現代においては戦争のことすらも理解するのも難しいように思います。

その特攻の方々の遺言やメモを観ると、大切な国を守るため、大切な人を守るためにと、自ら真心で命を懸けて前向きに生き切った証が随所に残っていることが多いように思います。そしてその特攻する人たちを見守った人たちの覚悟もまた、想像を超えるような命をやり取りばかりです。ただの愛国心という言葉で片付けられるものではなく、生き方として真心や誠実に生き切った人たちから私たちは生き方を学び直す必要があるように思うのです。

今度お伺いする鹿児島の知覧には、特攻の母とも呼ばれ親しまれ、特攻隊員たちを息子のように真心で見守り続けた人物がいました。富屋食堂を切り盛りしていた鳥濱トメさんが、戦後、遺族や生き残った人たちが知覧を訪れた時、泊まるところがないと困るだろうという気持ちから、特攻隊員たちが当時訪れていた建物を買い取って、来訪者を泊めている旅館を買い取り子孫の方々が語り部として経営しておられます。

この鳥濱トメさんは、訪れた人たちに「とく」という漢字を掌に書いてくださいと言っているそうです。その上で下記のような言葉を伝えるといいます。

「善きことのみを念ぜよ。必ず善きことくる。命よりも大切なものがある。それは徳を貫くということ。」と。

そしてこう仰ったといいます。

「私は多くの命を見送った。引き留めることも、慰めることもできなくて、ただただあの子らの魂の平安を願うことしかできなかった。だから、生きていってほしい。命が大切だ」と。

人間はどんな極限的な状況であっても、誰かを思いやり誰かのために自分の真心を盡そうとします。それがたとえ悲惨な運命であったとしても、自分自身の真心のままでありたいと思うものです。それが日本人が大切にしてきた清明心でもあります。

清らかで素直に明るく正直に、思いやりをもって優しく生きた人たちの生き様こそが本当に遺していきたいものだったのかもしれません。「人徳」とは、人間が生きる道であり、人間が人間として磨かれ玉として顕現する最期の姿なのかもしれません。

以前、島浜トメさんと同じように「徳という自を書いてみよ」とはじめて致知出版の藤尾社長からお聴きした13年前を思い出しました。あれから生き方をどう磨いてきたか、改めて振り返り原点回帰したいと思います。

 

 

心と器

「ゆるし」をテーマにして取り組んでいると、そのゆるすことの難しさに驚くばかりです。このゆるしというものは、今の自分を丸ごとゆるすことですがそのためには自分の過去の傷を癒したり、自分の視野を広げたり、自分の体験した歴史を認めたり、あらゆる自分自分の今と向き合いそれを許容できなければなりません。

実際に許容するというのは、言い換えれば器を大きくしていくことであり自分自身のゆるしの器が大きくなればなるほどにゆるしの許容量もまた大きくなります。しかしこの器を大きくするというのは、自分をゆるすことができること、そして他人をゆるすことができることに比例します。自他をゆるすことは、自分自身の器を育てていくことでありこれは一朝一夕ではできないことです。

人は自分自身の器を見るとき、そこに自分の本性や本体を心に映し見ます。この時、器の周りの境界線には縁というか壁ができます。その壁がプライドであったり、トラウマであったり、恐怖心であったり、先入観であったりと、自分の器がここまでと決めているものが壁になります。その壁を壊されることもあれば、その壁を融かすこともあり、もしくはその壁によって自分を守ることもあれば、誰かを守ることもある、つまりは自分の心を載せている器が自分自身の心を支えているのです。

人は心が大きくなっていくと、それを載せる器もまた大きくなっていきます。例えば心が大きくなるのに器が小さければ器の壁が邪魔をして心がその器よりも外に出ることができません。その器は心の成長を抑制し、心の壁を厚く大きくしていきます。その器とは自分の価値観のことであり、自分の価値観を変えていかなければ心のままに自分をゆるし生きていくことが難しくなるのです。その価値観の壁は、例えばありのままを受け入れられなかったり、執着にこだわったり、他人からの評価が気になったり、誰かのせいにしたり、等々とプライドの壁として頑固に強くなるばかりです。

その心と器の関係を良好にしていくことで視野が広がり、許容量もまた増えていくように思います。人は心の成長に伴い、必ずこの器の成長があります。器を大きく豊かにしていくためにも、ゆるしの実践は欠かせないものです。

ゆるすためには、今のありのままの自分をあるがままに丸ごと認めることです。自分のことを自分が受容する、もっと簡単に言えば今の自分がもっとも今の自分に相応しいとそのままの自分でいいと自分自身が受け容れることです。そしてそのためには積極思考というかプラス思考というか、物事を前向きに捉えるということを大前提にしていなければ心は器と調和することはできません。

ゆるしとは、つまり前向きな心器を持てることでありすべてのことを全肯定する幸福の道の理なのです。これはまさに自然界に生きる生き物たちが安心してこの世でいのちを全うしている信の境地のことです。今の人間の社會は安心から遠ざかって孤独と孤立の雰囲気に心を病む人が増えています。

安心して子どもたちが生きていけるように、ゆるしを通してあるがままの自分で自由に幸福になり社會を仕合せにしていけるようにまずは自分たちから生き方を改め見直し、心器を豊かにしていきたいと思います。

自己確立の道~自立道~

自立というものを深めていくと、そのうちに自己確立ということに出会います。自分のことを一番知っているようでもっとも分からないのが自分ということでしょう。ではどこまで行けば自立なのか、何を自立なのかということになります。実際は、自立は終わりがなくいのちの成長と同じで死ぬまで、いや、魂が続く限り成長し続けることが自立なのかもしれません。

トルストイの遺した言葉に「真の文明人は、人生における自己の使命を知っている人間のことである。」というものもあります。自分とは何か、自分というもののままに生きているかということが今を生きることであり、今に生きているからこそ本心や本当の自己というものを確立していくことができるように思います。

そして自我というものがあります。この自我が自分だと思い込んでしまうと依存が強くなり、自分というものを見失っていくように思います。如何に自我をそぎ落とし、自我を省き、自己を日々に見つめていくかが人生の意味であり体験の妙であるように思います。

一つ一つの体験を真摯に内省し、その内省したことの中から自己を如何に確立していくか。このブログも同様に、それぞれが一人ひとりがみんなで自己を確立していくことこそが真の平和や生きる仕合せに繋がっていくように思います。

自分らしく生きていくというのは、自立していくということです。自立していくということは、自分の心を片時も見失わないということです。私はそれを初心とも呼びます。初心を忘れないで生きていくことが、自分を確立していくことであり確固たる自己に目覚め自分の答えのままに自分を生き切っていくことになるように思います。

しかし初心ほど不安定なものはありません、日々に流され人の評価を気にし、何かに依存して自己を卑下したり比較したりするなかで生きていればすぐに初心を見失い同時に自分も見失います。自分を見失わないで自分を遣り切っていくというのは、天を相手にして自らに問うことの連続です。自分はどうかと自問自答、自学自悟することができるのならそれは自立への道に入って人生の醍醐味を味わっているということです。

人生の醍醐味は魂の昇華であり、本当の自分に目覚め自分になるいのちの開花です。子どもたちが自分らしく自分のいのちを全うしていけるように、真の教育や保育とは何かを自分自身が見失わないように自己確立の道を精進していきたいと思います。

歴史の肌感覚

歴史の史跡を自分の足で辿っているとそこに歴史の重みを感じるものです。単に教科書や本を読んでも、その歴史の重みは分からず、その場所に立ち、過去に思いを馳せて感じていると次第にその時を肌で感じるのです。

この肌で感じるというのは、その場所や空間を体験するということです。空間というものは、時を超えてその場に止まるものです。例えば、その場で過去に何があったのかという伝承を口伝で聴き、その場所に留まり佇んでいると次第のその時の情景が目に映ります。

その場の空気は空間に宿っており、何があったのかを直観し感覚で理解していくのです。これらの能力は、人間には備わっており、私たちは文字を発明し言葉を使う前から、肌感覚で理解するという仕組みが体に染みついているのです。

以前、北海道のアイヌの長老の方にお話をお聴きすると、アイヌは歴史を口伝で理解し、100年くらい前のことはスラスラと思い出すということを聞いたことがあります。

これもまた記憶の仕方の違いであり、肌感覚で理解する人は鮮明に過去のある時をいつまでも覚えておりそれをそのままに伝承することができたのです。現在では教科書で歴史を教え、現地に行かなくても知っているかのように知識の応酬をしてはわかった気になっていることも多いのですが本来は現地に足を運び肌感覚で理解していくのが生きた歴史の認識なのでしょう。

子どもたちが、頭で知識で歴史を理解し大切なことを見落とし重要なことまで風化させていかないように自分自身が歴史に対する認識を改め、肌感覚で歴史を伝承していきたいと思います。

人形のルーツ

日本には人形文化というものがあります。むかしは、どの家にも雛人形をはじめ様々な人形が飾られてあったようにも思います。生活様式が変わり、今ではあまり人形を見かけなくなりましたがこの日本の人形は日本人の大切な文化の一つでした。

私の家にも、祖父母から初節句のお祝いでいただいた源義経の武者人形を飾っています。日本の家に人形が多かった理由は、かつて生活環境の厳しさから日本の子どものほとんどは7歳まで生きられなかったといいます。そのため、人間よりも彼岸に近い存在として「子どもは7歳までは神の子」と言われてもきました。 親は子どもが出来るだけ長く生きられるようにと祈り願いを込めて人形を飾っていたといいます。女の子はひな人形ですが、常に人形は健やかに育ってくれるようにと先祖の祈りと願いが篭っているものでした。そのほかにも、様々な祝い事に人形は活躍してきました。

古代、人形の由来はどうだったかを調べると日照りが続いたり、雨の日が続いたりする異常気象が起こったりすると神様が荒ぶって災いを起こしているのだと信じられていました。その神様の機嫌を直そうと、人身御供といって子どもや女性などを生贄に捧げていたとされています。そこで人形にも魂は宿ると信じられていたため、人形を生者の身代わりとして使用したということです。日本でも神話の中で相撲の神様と呼ばれる野見宿禰が、垂仁天皇に人身御供を人形で行うことを提案し受け容れられそこから天皇陵の副葬品として埴輪などの人形が埋葬されるようになったといいます。

そしてそれが土人形になり、今でも伝統工芸品として日本の各地に遺っています。この土人形の始まりは、京都の伏見で土器などを作っていた「土師部(はじべ)」が遊び心で人形を作り始めたのが最初と言われています。その後、様々な形で全国各地に広がり、江戸時代末期〜明治時代の頃には郷土玩具として全国に200ヶ所を超える土人形産地が続出して、庶民生活に深く根をおろしていたといいます。

明治以降は塗料が有害であるという理由でそれまでの塗料が禁止されたり、生活様式が西洋風になり次第に廃れていきました。しかしこの土師部たちがこの2千年以上の間、祈り供養のためにと焼き続けた人形は、確かに日本人の魂を見守ってきた歴史を感じます。

聴福庵にも、おくどさんの間に七福人の布袋さんの土人形があり、玄関の横には鍾馗様という土人形が家を守ります。子どもたちに人形のはじまりや歴史を伝承していきたいと思います。

つながり

歴史というものは「つながり」の中で確認していくものです。そのつながりが観えるかどうかは大切なことで、つながりが切れてしまえば同時に歴史も消えてしまうのです。

このために「つなぐ」人というのは、その一般には見えないつながりが観えている人であり、その観えている人が語るからこそその歴史は途絶えずに子孫へ継承されていくのです。

つながりが観えることと見えないことの差は、人生に大きな影響を与えます。例えば、今自分が存在している理由や、自分の動機や関心が湧く理由、もしくは場所や仲間、またご縁や御恩を頂いている存在がどのようなつながりでつながったのかを確認することで絶対的な安心感を持つことができます。

一見して、なぜ自分がこれをやるのかと思うことであっても、それはつながりの中で観えるのならごく当たり前に自然に行えるものです。そういう意味では直観というものもまた、目には観えないつながりを感じてそれを暗黙知的に理解しているとも言えます。

このつながりというのは、自分からつなげていこうとしなければつながりません。また自分自身がつながりを深めていかなければつながることはありません。

そういう意味で、これを先人たちは「ご縁」といって「つながり」をいつも大切にして伝承を続けてきたのでしょう。その一つの実践に先祖供養があり、神社などの縁結びがあり、一期一会の出会いを大切にしてきました。

今もあの時もそしてこれからもつながっていくということが、自他を思いやり感謝しいつくしむことであり、そのご恩返しに生きることで子孫たちへ徳恵を譲っていくことでもあります。

自分だけのことしか考えず、刹那的に生きているというのはこのつながりが見えていないということに他なりません。いつも歴史を鑑みて生きるのは、かつてのご縁を感じながら出会いを大切にしていくことです。

一期一会の生き方は、つながりを大切にしていく生き方です。

引き続き、子孫のためにもご縁を辿って観えないつながりを可視化していきたいと思います。

夢人生

人間は、どんなことも逃げずに遣り切ることで新しい境地を得られるように思います。遣り切るというのは、そこまで逃げなかったということであり覚悟を決めて取り組んだということです。

人間は誰にしろ不安というものがあります。結果がもしも思った通りではないのならと危険を冒さないように無難であることを望むものです。よく企業でもリスクマネジメントのことを囁かれますが、しかし少し考えてみるとわかりますが危険がなければ挑戦もなく、挑戦なきところに冒険もありません。

冒険するためには、好奇心と覚悟が必要です。途中で引き返そうと思いながら前に進むことなどはできません。一度選んだからには、途中下車はできず最期までその顛末を見届ける必要があります。確かに時には逃げたくなることもありますし、目を覆いたくなる現実と向き合うことがあります。それに不安と恐怖から避けてしまいたいと思うこともあるでしょう。しかし選んだのが自分であるからこそ、そこから逃げないで最期まで歩き通すことができるのです。

そして結果よりもその工程やプロセスを重んじることができるのは、その挑戦する最中こそが夢であり、その道は一度しか通らない尊い思い出だからです。人間は人生をどう生きるのかを突き詰めるとき、その人生が悔いがないようにと願います。一期一会です。その一期一会に生きようとすれば、二度とない出会いの日々を生きたいと思うものです。

だからこそ、二度とない今を遣り切るという判断基準が身に着いてくるように思います。苦労はたくさん発生しても、同時にそこにはかけがえのない福もあります。この時間という宝をどう磨いて活かしていくか、それが自分の人生を彩るのです。

私利私欲ではなく、動機がもしも純粋ならばそこに向かって挑戦していくのが人生の醍醐味です。冒険する人生の中で人は苦労を獲得し、感謝や祈り、謙虚さや素直さを学び直します。魂の成熟は、私たち人間に具わった天命でありこの地上に生を受けたものの至大至高の使命です。

子どもたちが憧れる生き方ができるよう、夢に向かって挑戦していきたいと思います。