時代の変遷と共にあらゆる定義もかわりますが役割も同時にかわってきます。ちょうど、今週は鏡磨きのこともあり江戸時代くらいからのことを調べる機会が増えました。その中で、殉死というものがあったり、襲名など、そのころの特徴を考えることがありました。
今ではありえないことですが、その当時であれば当然だった背景には時代の価値観があったことは間違いありません。殉死であれば、戦国時代前からの死を共にするという忠義の思想があったこと。死が当たり前に身近にあったからこそ、真摯に生きるための仕組みとしての殉死があったように思います。あた襲名もまた家という仕組みで一族で助け合い生きる、またどのように生きるのかといった生き方も守ってきた価値観があることがわかります。一家の恥じや一家の名前に泥を塗るという言葉もあるようにその家に関わる一人がやったことは家全体に影響を与えました。それだけ家督というようにすべての家のことは一家長の責任であったことも観えてきます。
現代では、家や父親の役割なども変化してきました。昭和の頃、私が覚えている範囲でも祖父は厳格で怖い存在でした。祖父を中心に親族が集まり、法事を含め年間行事もたくさんありました。しかし祖父が亡くなってからはその仕組みもなくなり、たまに集まってもむかしのような形式的なものではなくなりました。
こうやって時代の背景と共に価値観も変化し、それまでの仕組みも変化してきます。この仕組みの変化というものを感じている人は少ないように思います。本来、私たちは時代の変化と呼んでいるものはこの仕組みの変化と価値観の変化が大きいように思います。
時代が変わるのは、それまでの仕組みが変わるということです。
仕組みが先にかわり、次第に環境に影響を及ぼし、そして価値観を換えていきます。そういうものをよく見抜いてこの先、どのように振る舞うか、そしてどのように予測するのかを省みるのです。
現代は、コロナで仕事の仕組みも変わりました。そして人との接し方も変わりました。それがどのような変化になっていくのかを予想していくことは大切なことです。時代の変化に順応するところと、時代を新しく創っていくこと。自分たちがどんな時代にしていくのかという仕組みの中にこそ知恵があります。
子どもたちに遺したい未来を伝承創造していきたいと思います。