椽の下の舞~縁の下の力持ち~

諺に「縁の下の力持ち」というものがあります。これは語源の由来を調べると、聖徳太子が建立した大阪の四天王寺の経供養で披露された「椽(えん)の下の舞」だといいます。

この「椽(えん)の下の舞」は昭和40年代になるまでずっと非公開で行われてきた秘事です。観客が一切見ていないにも関わらず、舞い手は努力して舞の練習をし舞い続けたのです。ここから陰で努力することや苦労することを指す言葉になったといいます。 その後は、時代の流れで言葉の意味を分かりやすくするために、「椽の下」を同じ発音の「縁の下」となり「舞」は「力持ち」に変化したとあります。

この「椽の下」の「椽」とは何か、これは訓読みで「たるき」と読め、屋根板を支えて棟から軒に渡す部材「垂木」のことを指しています。この垂木は最近、聴福庵の「離れ」の瓦葺きのときに屋根瓦を支えるために大事な役目を果たしていた印象深かったものです。この椽の下は、単に庭先にある縁側の下を支える木ではなく屋根や重い瓦を支える重要な「垂木」なのです。「えん」という字を椽から縁にしたことで、庭先に出ている縁側のイメージがついてしまいますが本来は家の屋根を守る垂木だと思うとその意味が違って感じられます。また「舞」のことを力持ちとされていますが、本来の伝統的な舞は「祈りや供養」のことを指していました。

「椽の下の舞」は、つまりは「人々のために人知れず祈り見守り続けていた存在」を知ったということかもしれません。

私たちは自分を中心に物事を考えて、自分の都合で目に見えるものを中心に解釈していくものです。しかしその自分を支えてくださっている存在に目を向けてみると、本当に多くの偉大な御蔭様によって見守られていることに気づきます。

私たちが雨や風や天災、災害から守ってくれているのは屋根です。その屋根があるから安心して私たちはその中で暮らしを営んでいくことができます。屋根がある安心感、屋根のある暮らしは、その屋根を支えてくれる「椽(えん)のチカラ」の御蔭様なのです。

いつまでもその屋根が家の中の人たちを守り続けるようにと祈り、むかしの大工たちが屋根の上には神様がいるとして屋根神様や七福神や鍾馗様、鬼瓦などで様々ないのりを祀ってきました。

四天王寺は聖徳太子が建立していますが、聖徳太子は民間信仰では大工の祖とされます。国家という家を形成するうえで、何が最も大切なのかということを理念として永らく密かに「椽(えん)の下の舞」を執り行われてきたのです。聖徳太子の「屋根を支えよ、そして祈りつづけよ」という初心を忘れてはならないという伝承を感じます。

「縁の下の力持ち」は、現代ではいろいろな使い方をされますがその本質を忘れはならないように思います。屋根がない家は家ではなく、屋根の存在を忘れて人は安心することはないということです。家の中心に屋根があること、安心して民が暮らしていける存在になることを祈り続けたのかもしれません。心を大切に守り祈り続けてきた大和の先人たちの智慧や真心に感謝の気持ちがこみあげてきます。

私も初心を忘れず、「椽の下の舞」を実践していきたいと思います。

全体こそ自分

今の時代は、経済効率優先の世の中で古いものは捨ててしまい新しいものばかりを購入していくことが当たり前になっています。古いものの価値はほとんど失われ、ただ古くて不便で非効率であるとして無価値のように裁かれています。

現在、日本の各地に出てくる空き家の問題も高齢化と少子化、若者の都市集中など、このままではいずれボロボロの街並みばかりを見かけるようになると思います。

先日、訪問したドイツの街は日本の街との景観や雰囲気がまるで異なります。これは単に文化が違うからという意味ではなく、日本のようにそれぞれが好き勝手に自分の好きな建物でバラバラの景観になっているのではなく、自国の文化風土にあったものをみんなで調和させるように建っていました。

特に西洋では、自分の家のことだけを考えるのではなく周囲の景観や全体がどうなっているかというところからそれぞれに皆で自律し合って街並みを保全しています。

日本人の現在は、自分さえよければいいという個々がバラバラになり全体快適や全体善のことなどを考える人が少なくなってきているように思います。これは単に家だけではなく、仕事においても自分のことさえしていればいいとし全体があって自分があることに気づかない人も増えています。

本来、社會というものがあってその中に自分が入っているから自分が守られ生活を維持していくことができます。道徳においても、なぜ自分がゴミを拾うのかを考えてみれば、それが全体にとって必要なことにつながっているからです。自分一人くらいと、自分が他人に迷惑をかけても問題ないという発想はそもそもの社會に対して自分から参画していないということです。

視野の狭さというのは、言い換えれば歪んだ個人主義の生んだ利己的な悪習慣の一つであり学問というものはその視野を広げるために必要なものです。人間は比較競争評価の環境下では自我や保身から利己的に傾くのです。その利己的な視野を広くするというのは、自分が存在することができている社會全体そのものを守ること、さらには自分が所属する世界を守ることに生きることで抜け出せます。自然界もそうやって循環しながらみんなで活かし合うのです。

話を戻せば古いものを大切にしなければ、世の中は新しいものと古いものが無造作に増えてしまいます。新しいものもそのうち必ず古くなりますから、それを壊し捨て続けることが果たしてどこまでできるのかと真摯に現実と向き合ってみれば現在の政策や経済原理が如何に大きな矛盾と限界とツケを子孫へと払うものであるのかは火を見るよりも明らかです。

だからといって、皆が進んでいる方と逆に歩めば周りからは奇人変人扱いされて理解されることもありません。人は自分で考えず周りに合わせて思考を停止して生きていく方が楽だからかもしれません。私も別にだからといってマイナス思考になって悲観すればいいと思っているわけではなく、現実を直視しそれを半分は世間様のため半分は自分のためだと全体にとっては善いことだろうと気楽に楽しめばいいと思っています。心は義憤もありますが、実際は有難い一期一会の体験をさせていただけているのだから感謝で人生を歩んでいきたいと思うのです。

つまり長い目で観ることも全体観であり、利他に生きることも全体善、そしてみんなが喜んでいる働き方も全体快適、この「全体」があっての自分であるということを決して忘れないように、自分をどのようにマネージメントし続けるか、どのような自助習慣を持ち続けるかが重要な生き延びるための知恵になると私は思います。

組織も国家も、世界にも、生き延びるための知恵とそれを活かすための勇気とそれを維持していく習慣が必要なのです。

引き続き、今と未来の子どもたちのためにも社業を通して子ども第一義の全体善の仕組みを現場で伝承していきたいと思います。

日本の子ども観

日本にはむかしから大切にされてきた「子ども観」がありました。日本の諺にも、千の倉より子は宝、金宝より子宝、子に勝る宝なし、子宝千両、貧乏人に子は宝、子は第一の宝、子は人生最上の宝、年とれば金より子、我が子に替える宝無し、など沢山のものがあります。

子どもは決して大人にとって自分に都合のよい「宝」ではなく、生まれながらに宝の存在であるという子ども観があるということです。この宝は金銀や紙幣などの富のことを指しているのではないことはすぐにわかります。では何を宝というのかということです。

もともと人間は、生まれながらにして徳というものが備わっています。この徳は、道心とも言い、現代ならば道徳心とも言います。生まれながらにして思いやる心や優しい心があるということです。赤ちゃんを見て誰もがほほ笑むのはその赤ちゃんの赤心に触れるからです。

時折、野生の動物たちや昆虫たちも小さな存在である赤ちゃんに対しては種族を超えて守り育てようとします。それは赤ちゃんという存在に、自然に特別な何かを感じているからです。

この宝という言葉を私がもっとも理解するのに印象深かったものは天台宗の宗祖の最澄の遺した下記の言葉です。

『照千一隅、此則国宝』(一隅を照らす、これ則ち国の宝なり)

この一隅とは、自分の今いる場所を指します。意訳ですが、その場その場で一人ひとりが道徳を実践することこそが国の宝になるといになるという意味です。

そしてこう続きます。

「国宝とは何ものぞ、宝とは道心なり」と。

最澄は宝を道心と定義しました。むかしブログで紹介したこの道心とは、私の言葉では「初心」のことです。この初心は、その人がそもそも備わっている真心、もしくは大和魂や純粋な精神などと言ってもいいかもしれません。一人ひとりがはじめから持っているその初心を、それぞれが人生の中で大切に守ることができるのならそれが天下の国宝になるということです。

むかしの親祖や御先祖さまたちは本来、人間というものをどう捉えていたか。そこから受け継いできた本物の子ども観を見つめ直せば、日本の子ども観の真実が観えてくるものです。

引き続き、初心伝承を通してその初心によって一人でも多くの人たちの仕合せが引き出されていくように子ども第一義の実践を追求していきたいと思います。

 

不易と流行~いのちの恩寵~

ドイツ視察研修が昨日で終了し、今日から日本への帰国に向けて移動をする予定です。今回もとても学びが深く、改めてこれからの日本の未来をどのように導いていけばいいかと考える善い切っ掛けになりました。世の中は常に変化して已みませんから学ぶことを止めることはできません。常に本質的に取り組む中で新しいものをどう取り入れていくか、つまりは学問の不易を高めていくことで今を刷新していくのです。

もともと日本には「不易と流行」という言葉があります。これは俳聖と呼ばれた松尾芭蕉の初心の一つです。この初心が生まれた背景には、芭蕉が奥の細道で源義経を慕い、その所縁の地を訪ねるなかでむかしから和歌で詠われたきた憧れの場所があまりにも変わり果てた姿にショックを受けたことからです。その場所を見つめていると失われたもののもののあわれと同時に、古来から言い伝承されたものがその場所に遺っているものも観ることができ、永遠というものの本質を知り、変わり続けていくものの中にこそ「永遠」の今があるのだと悟るというところにあるといいます。

人生も同様に、どんな人間であっても初心を守り続けていくためには変わり続けていかなけれなりません。一度、これでいいと分かったからや悟ったからと、結果が出た云々次第で簡単に変化を已めてしまったならばもはや本質を維持することもないのです。

どれだけ多くの経験を積んだとしても、そしてどれだけ膨大な知識を習得し知らないことはないほどになったとしても、世の中が無常に変化する以上、学ぶことを已めてはならないのです。学ぶというのはそういうことなのです。

そして学問においてどちらが上とか下とか、偉いとか偉くないとか、地位、名誉、権力があるかないかに関わらず、私たち人間は皆平等に日々に新たに学び続けていかなければならないのです。その学ぶ姿勢こそが、本来の人間の価値や人格、人徳を高めていくのです。

今回のドイツの学びでも、子どもたちが置かれている社會環境が急速に変化することによって教育に関わる人たちがさまざまな新たな取り組みや挑戦する姿を拝見することができました。また子ども観においては、そもそも子どもも大人もなく、子どもは何も持っていない存在ではなく、「すべてをもって生まれてくる」という当たり前の世界の基本理念も再確認することもできました。

現代の子どもと大人を分けた歪んだ人間観や、子どもは何もできない存在だという偏った子ども観を持ったならば人は平等や権利や自由などの本当の意味をはき違えてしまうものです。本来の人間の姿がどうであるのかを私たちは教科書から学ぶのではなく、刷り込まれていない純粋な人間の魂、子どもたちの姿から社會を見つめ直していく必要があると感じます。

本来の道徳とは、教えて備わるものではなく人間は本来それはもともと備わっているということを自覚することは何よりも環境の変化の中でも人間の尊厳を守っていくものです。思いやりや優しさ、助け合いや分かち合いなどはすべての人間、いやいのちに備わった天からの恩寵や恩徳そのものということでしょう。それをどう引き出していくかが、歴史を継承し先を生きたものたちの具体的な使命なのでしょう。

人間観を学び直し、これからの世界の平和のためにも不易と流行を実践し、今できることに挑戦し続けていきたいと思います。

ドイツのはじまり2

ドイツの歴史が近代に入ってきますが、ユンカー出身のオットー・フォン・ビスマルクがプロイセン首相に就任し、鉄血政策を推進しドイツ帝国が成立します。しかしその後の首相、ヴィルヘルム2世は親政開始と同時に帝国主義的な拡張政策に転換します。

このヴィルヘルム2世は、ヨーロッパを巻き込み第一次世界大戦を勃発させます。アメリカも参戦し、1918年キール軍港の水兵の反乱を契機としてドイツ革命が発生すると、皇帝ヴィルヘルム2世はオランダへ亡命します。ここでドイツ帝国は崩壊し、ヴァイマール共和国となります。

敗戦後、ドイツは(ヴァイマール共和国)は敗戦国として結ばされた講和条約のベルサイユ条約は非常に過酷な条件を課せられました。賠償金の支払いは困難を極めドイツ国内ではインフレが進み、賠償金の支払いが滞る事態となります。ミュンヘン一揆なども発生し、民衆の不満はどんどん加速していきました。

しかしシュトレーゼマン内閣の時期には賠償金の支払いに関しても条件が緩和され、インフレ対策も功を奏し、経済と政情も少し安定してきます。さらにロカルノ条約を締結し、国際連盟に加盟しようやくドイツは国際社会に復帰することとなります。

安定もつかの間、アメリカに端を発した世界恐慌に巻き込まれ経済が急速に悪化し混乱します。この時、あの有名なアドルフ・ヒトラーが台頭してくるのです。

政権を獲得したヒトラーは国内的には公共事業により経済の立て直しを図る一方で、「ニュルンベルク法」に代表される人種政策を実行します。さらに軍備を急速に拡張し、国外に向けて侵略を次々に開始していきます。ポーランドに侵攻した際に、イギリス・フランスはドイツに対して宣戦布告をし第2次世界大戦が勃発します。ドイツの勢いが強く、はじめにフランスが降伏、さらにイギリスを除く西ヨーロッパを制圧する勢いで勝利を重ねます。

しかし、ソヴィエト連邦のスターリンと結んだ「独ソ不可侵条約」を破棄し独ソ戦争に発展し、急速に勢いが衰え各地のドイツ軍は敗戦が続きます。最後にはベルリンがソ連軍により包囲され、総攻撃が行われヒトラーは自殺し1945年5月、ドイツは連合国に対して無条件降伏するのです。

敗戦後、連合国の占領、管理下に置かれたドイツは、1949年5月、米・英・仏の占領下にあった地域では自由主義・資本主義国家としてドイツ連邦共和国(西ドイツ)ができ、ソ連は同年10月に占領地域を共産主義国家としてドイツ民主共和国(東ドイツ)ができます。東西ベルリンの間に「冷戦の象徴」とも言われた「ベルリンの壁」が設けられ対立がはじまります。

そしてソ連の書記長ゴルバチョフが始めた「ペレストロイカ」の波が東ヨーロッパに押し寄せた結果、東欧各地で民主化が起こります。1989年11月、東西ベルリンを隔てていた壁の検問所がなかば自発的に開かれ、ベルリンの壁が破壊されます。これにより東西の往来が可能になりドイツが再び統一され大国としてEUの中核国になります。

敗戦後の復活は日本と似ていて、西ドイツを中心に経済を発展させ著しい成長を遂げました。統一後もドイツは、ものづくりや貿易によって世界の経済大国の一つに返り咲きます。

現在のメルケル首相は、2005年11月22日に首相に就任してから「ドイツのお母さん」と称され、高い支持率を誇りEUの盟主としてイニシアティブをとってヨーロッパ経済をけん引しています。しかし、ここにきて中国との経済協力の見直し、増え続ける難民と移民の問題、ロシアとの関係、ギリシャ危機、イギリスのEU離脱、他にも好調だったドイツに影が見え隠れしています。

これからどのようにドイツは歴史の舵を切るのか、日本も似た境遇にあったドイツの取る道筋が参考になることも多いと思います。

さて、簡単に歴史を辿りましたがドイツはこうやって何度も分裂と統一を繰り返し多様性を維持しながら発展させてきた国家です。世界の中でのドイツがどのようになっていくのか、現在の教育や保育の中にもその未来への種が隠れています。

今回の視察では、伝統文化や歴史、現在のドイツの事情を洞察しながら日本の未来を直観する研修にしたいと思います。

 

 

和魂の継承

明治の頃、欧化政策というものが新政府によって実施され文明開化というスローガンをもとに西洋の文明を積極的に取り入れていきました。本来ならじっくりと今までの日本の文化の価値観で取り入れていくはずのものが、急場しのぎのために西洋の文化を西洋の価値観そのままに日本を否定し入れ替えるというやり方で行われました。

この時の欧化政策や文明開化というものは、単に価値観の入れ替えであり違う国の子民と文化になろうとしたとも言えます。今、私たちが履いている靴や洋服といった洋装文化もまたこの明治から入れ代わりました。今では町中でほとんど下駄や和装をする人たちを国内で見かけることはなく、京都では外国人の観光客たちが面白がってレンタルしたものを着ている光景を見かけるくらいです。

その後、日本は西洋の文化にしてむかしから大切にしてきた和魂というものを捨てていきました。例えば、和魂の代名詞ともしていて侍の刀、そしてそれまで大事にしてきた日本の価値観としての道徳観や宗教観、暮らしなど一つ一つすべて手放していきました。今ではそんなことを言えば、国粋主義者ではないかなど評されますが明治の頃などは植民地政策が行われていたこともあり排他的になるのは仕方がないことです。

かつて聖徳太子が、神道と仏教と儒教を和合させていきました。その時、和を優先しようとしたのが日本の和魂の原点であり、そこから私たちの国は神話に習い排他するのではなく全体調和して和合することを重んじてきました。明治にはそれも廃仏毀釈によって神仏分離し、宗教の自由として日本の価値観を変えました。また菅原道真が中国から入ってきた文化を和魂で調和して和魂漢才といってその当時の様々なルールや仕組みを日本人の価値観に合うように道理を引き直しました。それも明治に入り、洋才を使って洋魂にしていきました。

本来、歴史の中で日本文化を使って日本人の和魂で調理する方法はその後の日本を創造し世界屈指の文化と文明を江戸時代に開花させたのですがそれも明治によって捨て去ってしまいました。明治に欧米の植民地化から日本を守るためにとった政策がここまで今の日本を変えてしまうとはその頃の先祖たちは果たして観通していたのかなと最近ではよく感じます。一時的に、その場は仕方がないと手放して捨てたものがちゃんと今それが修正され拾われて元に戻されているのだろうかと。

歴史は途切れることはなく、つながりの延長線上に積みあがって今があります。むかしの仕組みや智慧や伝統や暮らしは、日本人が長い年月をかけて醸成し形作ってきたものとも言えます。そういうものに守られながら私たち子孫はこの風土と一体になって今まで生き永らえ世界に貢献していく力を蓄えてきました。

そしてそれは地球でそれぞれの風土で多様化した文化はまさに人類が生き残るための知恵になるはずのものでした。

もしも西洋一辺倒で塗り替えてしまえば、地球は西洋文明だけになってしまいます。そうなれば風土が気候などで激変をしてしまったり、環境が今とは異なってしまった際に、私たちは打つ手が西洋文明の知恵だけになってしまいます。短期的にはそれで乗り越えても、何百年という歳月は西洋文明だけでは乗り越えていくことは不可能です。だからこそ私たちは多様な文化を尊重し、それぞれの善いところ、持ち味を活かし合いながら人類を存続していく必要があるように思います。

日本には神話の時代から今まで続く皇の系譜があります。そして私たちはその子孫です。これだけ永く続く文化と文明を維持していく日本には、人類がどうやってそれを維持していけばいいかといった循環の智慧の宝庫でした。

地球はもともと自然環境が多岐にわたり様々な表情を持つ星ですから、その星の中で生きていく私たちはそれぞれの気候風土に姿を変えて生きていく生き物の一つです。

子どもたちが自分たちがどのように今まで育ってきたか、先祖がどのように価値観を磨いてきたか、その風習や暮らしぶり、いわば原風景を知っていることはこの先の未来に自らで判断して行動できる基準になります。

現在の世界の教育のスローガンは、自ら考える力をつけることです。そのためには考える元になる文化をしっかりと再認識する必要があると私は思っています。子どもたちが安心して自分たちを自分たちで切り拓いていけるように、今、できることを自分の脚下で実践していこうと思います。

純粋無垢な真心

先日、ある料理店にいき日ごろの御礼にとみんなに食事をご馳走したことがありました。その後から体調が急変し、何人か感染症のような症状で私も含めて寝込んでしまいました。ひょっとしたら原因はそれだけではなかったかもしれませんが、本来は誰かや自分のせいではないのですがみんなが苦しんでいる姿を見ると申し訳なかった気持ちになってしまうものです。

そのようなことを考えているとふと仏陀の最期の話を思い出しました。

仏陀は、説法の旅の最期には、金属細工師のチェンダという仏陀の信奉者が出したキノコ料理で食中毒になり衰弱してそのまま数日後に亡くなってしまいました。

今までは仏陀の動向にばかり注目していましたが、その仏陀の状況をしったチェンダは一体どんな気持ちだったろうか。そしてどれだけ深く心を痛めただろうかと、どうしても共感してしまいます。大切な人にもてなしたことが、それが原因で相手が苦しんだり死んでしまうということがどれだけ辛いことか、その後はどうなったのだろうと思ったのです。

調べてみるとやはりチェンダは非常に落ち込み自分を責めていたといいます。そしてそのチェンダを思いやり仏陀は弟子のアーナンダを使いにやって責めることが決してないようにと次のような伝言を託けます。

「わたしの一生には忘れることができない供養がある。その一つは悟りを開いた直後のスジャータの出してくれた食物、そしてもう一つはチェンダの供養を受けた食物です。それは、最高の功徳です。」と。

それを聴いたチェンダは、地に額をつけて泣きました。私もそれを知って仏陀の思いやりに心が救われました。

知らず知らずに大切なものを傷つけてしまったとき、本当に苦しくそれはどうしても責めるところは自分しかないときもあるものです。自分が間違って怪我をさせてしまったり、不用意な言動で相手の心を傷つけてしまったり、特に幼少期や未熟さゆえにそれが発生し本当に悲しく自分を責めたことが何回もありました。

この仏陀の供養というのは、スジャータとチェンダの純粋な真心のことであり、そのことで私は悟ることができたという仏陀の大切な気づきです。仏陀にとっての忘れることができない供養とは、純粋無垢な仏陀への真心そのものだったのかもしれません。真心からの純粋な行動がどのような結果になったにせよ、その現象の結果ではなく常にその真心の方であると、仏陀の供養を思い大切にして生きていきたいものです。

人にはそれぞれに因縁があり宿命があります。

そこには無数無限の不可思議なつながりがあり、人生はどのようになるのかは誰にもわかりません。だからこそ人としての道を自らの真理で習得し、その智慧によって生きていくしかありません。

仏陀の歩んだ足跡には、その生き方や生き様という智慧が詰まっています。子どもたちの純粋な真心や優しい気持ちを見守っていけるよう智慧や真理を学び続けていきたいとおもいます。

誓願

御縁あって、郷里のお地蔵様のお世話を御手伝いすることになりました。ここは私が生まれて間もなくから今まで、ずっと人生の大切な節目に見守ってくださっていたお地蔵様です。

明治12年頃に、信仰深い村の人たちが協力して村内の各地にお地蔵様を建立しようと発願したことがはじまりのようです。この明治12年というのは西暦では1879年、エジソンが白熱電球を発明した年です。この2年前には西南戦争が起き西郷隆盛が亡くなり、大久保利通が暗殺されたりと世の中が大きく動いていた時代です。

お地蔵様の実践する功徳で最も私が感動するのは、「代受苦」(大非代受苦)というものです。

「この世にあるすべてのいのちの悲しみ、苦しみをその人に代わって身替わりとなって受け取り除き守護する」

これは相手に起きる出来事をすべて自分のこととして受け止め、自分が身代わりになってその苦を受け取るということです。人生はそれぞれに運命もあり、時として自然災害や不慮の事故などで理不尽な死を遂げる人たちがいます。どうにもならない業をもって苦しみますが、せめてその苦しみだけでも自分が引き受けたいという真心の功徳です。

私は幼い頃から、知ってか知らずかお地蔵様に寄り添って見守ってもらうことでこの功徳のことを学びました。これは「自他一体」といって、自分がもしも相手だったらと相手に置き換えたり、もしも目の前の人たちが自分の運命を引き受けてくださっていたらと思うととても他人事には思えません。

それに自分に相談していただいたことや自分にご縁があったことで同じ苦しみをもってきた人のことも他人事とは思えず、その人たちのために自分が同じように苦を引き受けてその人の苦しみを何とかしてあげたいと一緒に祈り願うようにしています。

もともとお地蔵様は、本来はこの世の業を十分尽くして天国で平和で約束された未来を捨ててこの世に石になってでも留まり続け、生きている人たちの苦しみに永遠に寄り添って見守りたいという願いがカタチになったものという言い伝えもあります。

また地の蔵と書くように、地球そのものが顕れてすべての生き物たちのいのちを見守り苦しみを引き受けて祈り続けている慈愛と慈悲の母なる地球の姿を示しているとも言われます。

自分の代わりに知らず知らずのうちに苦を受けてくださっている誰かを他人と思うのか、それとも自分そのものだと思うのか。人の運命は何かしらの因縁因果によって定まっていたとしても、その苦しみだけは誰かが寄り添ってくれることによって心は安らぎ楽になることができる。

決して運命は変わらなく、業は消えなくても苦しみだけは分かち合うことで取り払うことができる。その苦しみを真正面から一緒に引き受けてくれる有難い存在に私たちは心を救われていくのではないかと思うのです。

傾聴、共感、受容、感謝といった私が実践する一円対話の基本も、そのモデルはお地蔵様の功徳の体験から会得し学んだことです。その人生そのものの先生であるお地蔵様のお世話をこの年齢からさせていただけるご縁をいただき、私の本業が何か、そしてなぜ子どもたちを見守る仕事をするのかの本当の意味を改めて直観した気がしました。

地球はいつも地球で暮らす子どもたちのことを愛し見守ってくれています。すべてのいのちがイキイキと仕合せに生きていけるようにと、時に厳しく時に優しく思いやりをもって見守ってくれています。

「親心を守ることは、子ども心を守ること。」

生涯をかけて、子ども第一義、見守ることを貫徹していきたいと改めて誓願しました。

感謝満拝

 

道理

世の中には道理に精通している人という人物がいます。その道に通じている人は、道理に長けている人です。道理に長けている人にアドバイスをいただきながら歩むのは、一つの道しるべをいただくことでありその導きによって安心して道理を辿っていくことができます。

この道理というものは、物事の筋道のことでその筋道が違っていたら将来にその影響が大きく出てきます。そもそも道は続いており、自分の日々の小さな判断の連続が未来を創造しているとも言えます。

その日々の道筋を筋道に沿って歩んでいく人は、正道を歩んでいき自然の理に適った素直で正直な人生が拓けていきます。その逆に、道理を学ぼうとしなければいつも道理に反したことをして道に躓いてしまいます。

この道理は、誰しもが同じ道を通るのにその人がそれをどのように抜けてきたか、その人がどのように向き合ってきたかという姿勢を語ります。その姿勢を学ぶことこそが道理を知ることであり、自分の取り組む姿勢や歩む姿勢が歪んでないか、道理に反していないかを常に謙虚に反省しながら歩んでいくことで道を正しく歩んでいきます。

成功するか失敗するかという物差しではなく、自分は本当に道理に適って正しく歩んでいるか、自分の歩き方は周りを思いやりながら人類の仕合せになっているかと、自他一体に自他を仕合せにする自分であるかを確かめていくのです。

その生き方の道理に精通している人が、佛陀であり孔子であり老子でありとその道理を後に歩くものたちへと指針を与えてくださっているのです。

道理を歪めるものは一体何か、それは道理を知ろうとしないことです。

相手のアドバイスを聞くときに、自分の都合のよいところだけを聞いて自分勝手にやろうとするか。それともよくよく道理を学び直して、自分の何が歪んでいるか姿勢を正し、すぐに自分から歩き方を改善するか。

その日々の一歩一歩が10年たち、30年経ち、60年経ち、未来の自分を創り上げていきます。将来どのような自分でありたいか、未来にどのような自分を育てていくか、それは今の自分の道理を見つめてみるといいかもしれません。

そういう意味で、道理を見せてくださる恩師やメンター、そして先達者や歴史上の先祖は、偉大な先生です。そういう先生の声に耳を傾ける謙虚で素直な人は、道理に反することはありません。

私もいただいた道理をもっと多くの方々に譲り渡していけるように感謝のままで自分を使っていきたいと思います。

本物のチーム

私たちが取り組んでいる一円対話は、本質的なチームを実現させるために実践を行う仕組みです。その智慧は、日本の伝統的な精神でもある「和」に基づき、それを人々の間で共有することで多様な価値観を持つ人たちが協働して偉大なことを実現するという仕組みを用いています。

チームといっても、いろいろなチーム観があります。例えば、似た価値観を持っている人たちが集まる仲良し集団のチームだったり、軍隊のように規律正しく一糸乱れぬ集団のチームだったり、専門的なスキルをそれぞれが持ち合って先端的な集団のチームであったり、変幻自在に状況に合わせて変化する集団のチームであったりと、チームという言葉は一つでも、実際には多様なチームがあることに気づきます。

日本にたくさんの色を現す言葉があったり、詳細に分かれた季節を現す言葉があるように、自然界は一つだけの価値観でまとめられるほど大雑把ではなく、繊細で複雑に変化しているものだから一つでまとめることができません。それと同様にこのチームというものも、一つでまとめることはできずその時々に変化していくものですからチームのカタチにこだわっていてもキリがありません。

いつも仲が良く何も争わないことがいいチームだと思い込んでいる人がいますが実際には人間は複雑ですから個々の感情を無視したり我慢したり、抑え込んだり、分けたりしてもそれでは本当に力を合わせることはできません。チームワークには、常に感情も伴いますからお互いの価値観が異なり感情が入っていても認め合いみんなで「和」を尊びながら助け合い思いやり取り組んでいくのが本質的なチームワークになります。

そのためには、それぞれ個々が目的や初心を忘れずに、感情もあるけれどその我を省きながらもみんなのためにと「和」を優先して心で聴ける共通理解が必要です。言い換えれば、みんな異なっていてもいい、そのうえでみんなで助け合えればいいという具合に全体快適になるようにみんながそれぞれに自分を修めていくのです。そしてそれもいいね、これもいいねと、みんながあるがままで働けるように場を整えていかなくてはなりません。

その環境を用意していくには、日ごろの修練が必要です。今の時代は、個がすべてにおいて優先され自分のことしか考えない、自分のことしか守らない、全体やみんなによって活かされていると思いにくいような社会があります。それに全体主義やみんなを優先とするとどこか個が消されて軍隊のようになると思い込まれている人もいますが、本来はみんながいる御蔭で私が暮らしていける、社會があるからこそ私が活かされると、みんなで社會を見守り育てていくことが「和」を優先するという本質なのです。

どんな社會を創っていきたいか、それはどんな小さな組織であったにせよその理念が必要です。それはみんながそれぞれに価値観が異なっても理念があればそれでいいとし、それを活かそうとお互いを認め合って協力していくような社會にしていくことが創始人類からこれまで平和を維持してきた智慧だからです。

他を排除し、自分さえよければいいと、自分にとって都合のよい社会などでは社會は育たずバラバラになって消失してしまいます。

人類の平和を保つためにも子どもたちに譲り遺していきたい社會を今の大人たちが創ってこそ、それを憧れて真似をしてくれる子どもたちが増えていくことと思います。チームは何のためにあるのか、それをもう一度、真摯に見つめ直して取り組んでいかなければなりません。

一円観は、人類社會のあるがままの姿です。そして本物の社會を創るために本物のチームはあるのです。

引き続き、本物のチームを実現させるべくパートナーの皆様と一緒に子どもたちのために貢献していきたいと思います。