観光創生化とは何か

引き続き「まちづくり」の観点から私の造語でもある「観光創生化」について少し深めてみます。

そもそも「観光」という言葉は辞書によれば『[名](スル)他の国や地方の風景・史跡・風物などを見物すること。「各地を観光してまわる」「観光シーズン」「観光名所」[補説]近年は、娯楽や保養のため余暇時間に日常生活圏を離れて行うスポーツ・学習・交流・遊覧などの多様な活動をいう。また、観光庁などの統計では、余暇・レクリエーション・業務などの目的を問わず、1年を超えない非日常圏への旅行をさす。』(goo辞書)とあります。

この補説の部分が世間一般的な常識的な観光のことを指し、旅行によってその地域に遊覧にいくことをいうように思います。しかしこの「観光」の語源の由来は中国古典四書五経の「易経」で出てきた言葉で本来の意味は『国の光を観るは、もって王に賓たるに用うるに利し』といいます。

私の意訳では、「他国の宝を観て学ぶことは自国の宝を見つけ磨くためでもある、これは王の徳の近くにおいて大変な価値がある」とします。つまりは「観国之光」の光とは「徳の宝」のことを指し、この徳の宝を観ることがまさに自分を磨き、自国の魅力をも発掘する基礎であるという意味に解釈します。

日本は、観光を重要な政策の柱として掲げ「観光立国」を打ち出しました。しかし、私自身が観光地を色々と観てみるとあまりその地域の観光の徳の宝が出ているとは思えない利用の仕方が目立っていたように思います。

例えば、古い文化財の建物だけを補助金で修理し見学料だけとって案内しているもののそこには暮らしがなく、保存したものを見るだけでは生きた施設にはなりません。それに見た目は古い町並みであっても中身は県外からの企業に運営を委託され御洒落な店舗やそこでなくてもいい目新しいものを買い物できるようにしてもそこに暮らしは創生しません。

かつての暮らしが遺っているところ、伝統が今でも連綿と息づいているところに人々は本質的に徳の宝を感じるものでありそれを学ぶために集まってきているのです。人が感動するのは、長い時間をかけていまでも伝承されている暮らしを感じるときであって見せかけの見世物をみてもまた再び観たいとは思わないものです。すぐに飽きられるようなものに光はなく、そこに宝を感じません。光り続けるのは暮らしを磨き続けるからであり、それを私は観光創生化と名付けているのです。

観光創生化がちゃんと実現している地方は、いまでも懐かしい未来があり、いつまでも古くて新しい光を放ち続けて人を集めます。その光はたとえ世界広しといえども世界各国からその徳の光を観て多くの観光客が訪れてきます。

付け焼刃の予算で、付け焼刃の観光をやろうとしても長続きするはずはありません。古来のたたら製法で打つ本物の日本刀のような本来の観光の意味を正しく捉え、如何に暮らしを甦生させていくかを真摯に足元から見つめ直すことでその地域の徳が魅力として顕現すると私は思います。

引き続き、子どもたちのためにも未来にその地域の徳がそのままに継承していけるように今の世代を生きるものとしての役目を長い目で観て粛々と果たしていきたいと思います。

 

天との対話

老師の遺した有名な言葉に、「天之道、不争而善勝、不言而善応、不招而自来、然而善謀。天網恢恢疏而不失。」があります。これは「天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、招かずして自ら来り、然として善く謀る。天網恢恢疏にして失わず」という意味です。

天に問い、天が見ているとし、ありのままであるがままに生きる人は正直の徳を磨いていきます。この正直の徳とは、自分の心を天に映す鏡として鑑照する生き方を実践していくということです。

私が尊敬する吉田松陰は、その辞世の句で「吾 今 國の爲に死す 死して 君親に 背かず。 悠悠たり 天地の事 鑑照 明神に 在り。」といいました。

これは意訳すると「私は今、故郷の国のために命を捧げ死んでいきます。私は死ぬに際しても親祖や恩君へ対する道に背くことはありません。悠久に続く天地のことだからこのことは天が観てくださっている、八百万の神々、どうかご鑑照ください」と。

天が観ているという心境は、自分にとっての都合や損得、その他の利害などを優先しているのではなく文字通り天に問い天が見ているとし天の基準に沿って歩んでいくという道の生き方です。

天が見ているという生き方はとても明るくのびのびした精神を持っています。そこには自己を中心に裏表があるのではなくそのままの自分を天に見てもらっているという偉大な安心感を持っています。

自分の心に正直であるか、自分の心は真心のままであるか、それは自分ではわからないものです。だからこそそこを天に問い、天がどうなさるのかの判断にゆだねて任せて生きていくのです。

私自身もいつも真心で生きたいと思っていますが、果たしてこれが真心であったのかどうかわからないことばかりです。しかし天が見てくださっていると信じて、天の判断に任せてそれをすべて受け入れて受け止めると覚悟を決めて歩んでいけばそのすべては天の采配であったと直観し、これでいいとすべてを丸ごと受け容れることができるように思います。

この天の采配とは、偉大な天の真心に触れるということです。

吉田松陰は生き死にが判断基準で良し悪しを考えたのではなく、まさに天の采配のすべてを信じて道を貫いたのでしょう。

最後に、常岡一郎氏にこんな言葉があります。

「宝物は大切にされる。危険なところに置かないように心を配る。人の世の宝と仰がれる人がある。そんな人は自ら求めてなくても大切にされる。心の使い方の美しい人はよい運命に守られている。危ないところから遠ざけられている」

吉田松陰は俗世にまみれてなお魂を磨いて俗世の穢れを取り払い、澄んだ心を磨き切った宝だったように思います。今でも大切にされるのは、その心の使い方が美しかったからです。生き死にが問題ではなく、天命のままにやり遂げたというところに運命から守られたという余韻を感じます。

このように死してなお今でも燦然と輝き続ける吉田松陰の魂のように、天は必ずその人の天命に沿う生き方を未来永劫変わらずに応援してくださいます。私の歩んでいる道はかんながらの道、悠久の八百万の神々と共に往く道ですから常にその古の神々がいつも見ているとし天との対話を続けて歩んでいきたいと思います。

生き様

人間はその時々において学び方というものがあるように思います。例えば、様々な知識を詰め込んでいろいろな人に会って智慧を獲得していくという学び方があります。そしてその学んだ智慧を今度は、後に続く人たちやこれから学ぼうとする人たちが獲得できるように伝承していくような学び方もあります。

学び方というのは、つまりは道ともいいますが古来より受け継がれていくものであり知識や智慧というものは伝承されて次世代へと紡がれていくものです。

それを伝統文化ともいいます。

この伝統文化は辞書には「世代を超えて受け継がれた精神性」「人間の行動様式や思考、 慣習などの歴史的存在意義」と書かれています。

学び方というのは、生き方ですからその人の生き方が伝統として世代を超えて受け継がれていきます。

何を遺していくか、何を次世代へと譲っていくかと考えるときに、私はこの伝統文化の価値の偉大さを感じます。

会社や組織は、もって100年とも言われます。日本では300年以上続く老舗が400社以上あるともいいます。形あるものはいつかは必ず滅びますが、日本ではそういう伝統の精神が引き継がれて今にまで続くものが多いといいます。そこには道があり、その職種職業にも生き方があったからに他なりません。

例えば親祖の伊弉諾や伊弉冉をはじめその後に和を理念とした聖徳太子、国風文化の礎となった菅原道真などの生き方は、世代を超えて今でも私たちの暮らしや思想に影響を与えています。名前をいちいち思い出さなくても自然に自分たちの血肉となり精神となりいつまでも私たちの生活を見守り続けてくださっているようにも思います。

この伝統文化の偉大さというのは、生き方が継承されていくということです。

自分の生き方を遺すという偉業は、遠くの先まで観通し長い目で観て今何をすべきかということを問い、先人からの智慧を次世代へと揺るぎなく紡いでいくための徳行でもあります。

自分の身の心配よりも、世代を超えて子孫たちのことを慮る心はすべて思いやりから発心しているものです。

こういう志事に関われることは人生の一大事であり、何のために生まれてきたのかという答えを生きていくという生き様です。

引き続き生き様を優先し、その生き方を貫く人たちを支え、自らのその学び方生き方を高め続けて精進していきたいと思います。

 

活かし合う社會

もともと人はそれぞれに価値観が異なります。生まれ育った環境から、あるいは遺伝子の繋がりから、あるいはもって生まれた天性もあり性格なども異なります。その価値観の異なりは文化として出てきては、それぞれの個性、持ち味としてそれが社會の中でお互いに有効に活かしあいます。

これは自然界でも同じで、一つの植物は他を活かし、また一つの虫もまた他を活かし、お互いに異なりながらも活かしあう存在して自然は社會を創造しています。そこには一つの価値観だけで他を排斥するようなものはなく、お互いに必要な存在であると認め合っていることが大前提にあります。

その大前提が人間中心主義で崩れれば、人間以外のものは尊重しないという価値観があたり前になってしまいます。そうすると、何が自然で何が不自然かが分からなくなります。

現在、人類が大きな分岐点に来ているといわれるのはこの自然からの乖離が顕著になってきたことが原因だと私は思います。西洋から入ってきた人間中心主義が蔓延し、自然に活かされているということを忘れ、お互いを尊重し合うことをやめたことが加速度的に人類の危機を高めてしまっているように思います。

国家間においても、共異体であることを認めようともせずグローバリゼーションの名のもとにお金を用いて一つの価値観に塗り替えてしまおうとしていますが、それをすればするほどに多様性は失われより自然は破壊されていきます。

本来、それぞれの持ち味や価値観の違いはお互いを活かしあう上で大変重要な自然の摂理ですからもっと異なることを大切に他を思いやり排除するのではなく共に異なるままで活かしあおうとした方が自分が生き活かされる美しい社會が創造されます。

人類の未来のためにも、子どもたちの未来のためにもまずは自分の中にある刷り込みを取り払い、周囲の環境を改善し、実践によって気づき合えるよう学びを深めていきたいと思います。

職人の志事

昨日は無事に聴福庵の床の間に、砂鉄塗の壁が塗り終わりました。たくさんの左官職人さんたちが見守る中で、一人の左官職人が真摯に壁に向き合って黙々と塗っていく姿には深く心が打たれるものがありました。

職人の志事に取り組む姿勢、まだお若い方でしたが親方について学び、親方が見守る中で真剣に塗っている様子に講習を受けていた他の左官職人さんも次第に目が奪われていくのがわかりました。

職人たちはまるで本物の家族のように温かい感じがして、一緒にいるととても居心地がよく、楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。みんなで同じ道に生き、同じ釜の飯を食う、こんな当たり前のことが懐かしく感じるのは、それぞれが日本文化そのものの受け継いで根っこがつながっているからかもしれないと感じられました。

みんな言葉は少なくても、それぞれが材料をつくってみたり、調合を変えてみたり、また塗り方を試してみたり、正解のないものの中からもっともその素材を活かしどのような壁にするのかを研究して周りをみながら研鑽を積んでおられました。

今回、来庵された左官職人さんたちはほとんどが独立してそれぞれの場所で左官仕事を請けておられる方々ばかりでした。日ごろはみんな離れていますが、お互いにみんなそれぞれの持ち場で真摯に挑戦し努力していると思えるから存在そのものが励みになるそうです。

そう考えると、師や仲間の存在があるからその人はさらに向上していこうとする。道の中で誰に出会うかどうかは、その人の生きる姿勢で決まります。

働く姿勢は、そのまま生きる姿勢なのです。

昨日の道場では、心構えをまず親方の姿勢から学び、技術はそれぞれの現場で日々に真摯に磨き、その実践を身体と行動で示す。その生き方を確認する機会であったように思います。

昨日も道具に対する姿勢について、たとえ年上であってもそれは間違っているとその道具への姿勢を叱責したり、あるいは火加減一つにしても厳格に指導したり、あるいは塗りにくくないかと配慮をしたり、あるいは弟子の悩みを朝からじっくり聴いてアドバイスをしたりと、そこには気づきと学びが凝縮された場が醸成されていました。

今回の体験で、左官職人たちがあのように自ら学び、自らが主体的に同じ道の上で切磋琢磨していく姿に本来の学校のあるべき姿を感じることができました。

なぜあのようになるのかをもう一度見つめ直し、日本古来からの精神の伝承、さらには文化伝承の仕組みを引き続き紐解いていきたいと思います。

砂鉄の壁は、紫黒の中に星がキラキラと煌めき、陰翳の中で瞬いている宇宙のようです。この宇宙空間の中に、私たちも存在させていただいていることを改めて悟り、このことを忘れないでいようと初心を定めました。

今回の左官講習ご縁に深く感謝しております。それぞれがお元気でお志事に邁進し、皆様にいつの日かまたお会いできるのを楽しみにしております。本当にありがとうございました。

道の師弟愛

昨日から聴福庵の床の間の砂鉄塗のための準備を、各地の左官職人さんたちと一緒に行いました。夜はそれぞれ自己紹介をしながら左官の仕事や生き方について語り合う豊かで味わい深い時間を過ごすことができました。

若い職人さんたちはみんな一生懸命で、親方の指導を受けて真剣に土の配合や塗り方などを学び取っていました。親方も弟子たちや左官職人さんたちの持ち味や性格を見抜き、それぞれに必要なアドバイスやまた励ましをしていたのが印象的でした。

そこには単なる技や能力を教えるのではなく人間としてその弟子たちや職人たちが健やかに成長していくのを見守っているようにも感じ親方の愛情と仲間たちの親愛の情に心が温かい気持ちになりました。

親方というのは、その道を究めその道で先を生きた人です。その親方が自分の歩んできた道から、葛藤し悩む弟子たちに生き方を語り、その姿でこの仕事の美しさや使命感、さらには何が人生において大切なことであるかを優しく諭します。そこに兄弟子や指導を受けた先輩が、他の未熟な弟弟子たちに「親方の顔に決して泥を塗るなよ、つまらない仕事をして名前を汚すなよ、心構えが甘いものや幼稚な技能をやるなよと本気で研鑽を積むように」と親方がいないところで厳粛に指導しておられました。

こうやって職人たちはその場で一緒一体になって、心技体を学びます。優しく穏やかに見守る親方と、厳粛に指導する先輩職人、そしてそれを受けて生き方を見つめる若弟子の姿、この伝承の学び合いの美しい瞬間に立ち会えて仕合せな気持ちになりました。

今の時代は、一般的な会社では師弟関係などはありませんしあくまで仕事とプライベートは分かれていますから生き方や働き方まで指導してもらおうなどとは思ってもいない人が多いでしょうし、何かあればパワハラなどと言われ遠慮してあまり深入りしないのが今の世の中の風潮です。

しかし道に入るというのは、生き方を変えるというこですから師は弟子に本気で愛情を注ぎますし、志を持った弟子はその愛情を受けて必死に育とうとします。師弟愛というのは、教育の原点であり、伝承の要諦です。

最後に、ある若い弟子の一人が今の左官の仕事は大きな会社の下請けでモルタルばかりを塗り自分のやりたい伝統の土壁や古来からの左官の仕事ができず煩悶し葛藤している人がいました。親方が、その状態を見守りながらあなたがどうするかとその弟子が覚悟を決めるのを寄り添い見つめているのを感じました。その若い弟子は、「親方に出会わなければ一生私はこんなことにも悩むことはなかった、土(生き方)に出会えたのは親方とのご縁があったから」と仰られていました。確かな「導き」を感じた瞬間に、伝統が伝承されていく心安らかな思いがしました。

最近は私も人生の後半に降りていくなかで特に日本人の次世代の未来のことばかりを考えるようになりました。

子どもたちには「生き方を学び直すことで道は拓ける、その生き方を一つでも多くこの世に遺したい」と願い祈るばかりです。

子どもたちが健やかに自分らしい人生を歩み、日本の先人たちの智慧や文化に見守られ根とつながり仕合せに花咲、実をつけ、種になれるよう、引き続き私の天命に従って遣りきっていきたいと思います。

永久の間(トコノマ)

明日、いよいよ待ちに待った床の間の壁の砂鉄塗が行われます。1年半越しに、準備をし伝統の左官親方とお弟子さん、また技術を学びたいと各地から左官職人さんが来庵され文化伝承の場として使われます。

この床の間への私の思い入れは大変強く、この床の間の甦生は暮らしの実践の中でも特に重要な意味を持っています。最近ではマンション住まいになり、床の間がなくなってきた家が増えていますが私たちの先祖は常にこの床の間に神様を祀り大切に暮らしを積み重ねてきました。

改めて床の間とは何かと説明すると、一般的には和室の一隅が一段高くなっているところで掛軸や置物、生花などが飾られています。しかし本来の床の間は、16世紀頃に登場した書院造りに取り入れられた「主君の座」だったといいます。そこは神聖な空間で、またハレの場であり、その主人そのものが顕現する場です。

この「トコ」という響きは、「トコシエ(永久)」、「トコヨ(常世)」と同じ音を持ち、古来から「永遠」という意味で語られます。一家の求心力や、一族が絶えることなく永久に続く象徴そのものが「床の間」であり、この床の間こそ家全体の中心であると私は思っています。

またかつての暮らしがいまでも色濃く残る沖縄では、「床の間は屋敷を守る男の神様がいる神聖な場所なので、床のある和室を一番座と呼び住宅の中で最も高貴な場所である。」と言い伝えられています。実際に、明治頃までは、床の間には神様が宿ると信じられ、神様が依り代になるものを設置し、そこに神様が入ってきてくださる空間であると信じられていました。

実際に、空間という字は、「空」と「間」からできている言葉です。これは入れ物のことであり、器を示します。神様がどれを依り代に降りてこられるか、次々に家の中に入ってきてくださる八百万の神々がそこに鎮座し、その神様をお祀りしおもてなしする至高神聖な場がこの「床の間」であると私は直観するのです。

もっとも清浄で神聖なその永久の空間を、どのようにするかは聴福庵がはじまったときからの主人としての大きな命題でした。それが地球の星魂の欠片でもある砂鉄を用いることができるご縁が本当に有難く、感謝の念が湧いてきます。

この家の暮らしの中心の床の間の甦生は、すでにはじまった聴福庵の息吹と誕生の大きな節目です。これから子どもたちのために風土や初心を伝承していくために主人のいのちが入る瞬間です。

炭と鉄に見守られ、火と水に支えられ、心玉が磨かれて光り輝いていく日本刀のように和魂円満の永久の間を味わいたいと思います。

 

風土人の使命

懐かしいものに触れていると心が安心するものです。その懐かしさは決して物だけに限らず、景色や景観、食べ物や遊び、それに人柄や雰囲気などにも感じます。この懐かしさというのは、私たちが慣れ親しんできたものともいえます。

この慣れ親しんだものが身近にあることで、私たちは風土の存在を感じます。環境というものは、それまで暮らしてきたものが集まってできてきているものですから長い間一緒に暮らしてきた関係性というのは懐かしいものです。

文化が醸成されていく中で進化というものがあります。本来は、時間をかけて自分たちの文化に馴染むように少しずつ取り入れていくのが進化の過程ですが現代のように、文化の入れ替えといってそれまでの文化を異なる文化に換えてしまうというのは進化ではありません。

例えば、住宅においても食においても価値観においても私たちはアメリカから渡来した文化に総入れ替えしています。それまであった文化は、古臭く価値がないと捨て去り、新しく欧米から入ったものだけを新鮮で価値があると教え込みます。

少しずつ、日本のものへ和訳したり和合したりして自分たちの風土に即したものにすればいいのですがその時間がないのか、不便だからか、あっという間に風土を無視した取り入れ方をしていきます。

住宅においては、日本の田舎でさえ最近はまるでアメリカやカナダ、ヨーロッパにあるような住宅を建てます。またマンションなどもそうですが、鉄筋コンクリートで完全密封し総合空調を入れているところがほとんどです。風土に即していないから、大量の電気代やその他の費用を人工的に補てんしながら便利な生活を満喫しています。

しかし西洋にいけば、上手にアジアの文化を自分たちの中に取り入れて新しいものを生み出しています。それは住宅においても、またその他の食や衣服にいたるまで世界にある多様な文化を取ってつけたように挿げ替えるのではなく、時間をじっくりとかけてその国の人たちが自国の文化に合うように醸成していくのです。

日本の文化で海外で花が咲いたものには、禅や柔道、それに食でも寿司やうどん、先日の包丁やアニメなども世界にじっくりと取り入れられその国のものになっています。

本質は無視して形だけを便利に挿げ替えるやり方は何も考えなくてもお金さえあれば簡単に加工できます。しかし文化とは本来、本質を学び本質を取り入れることですからじっくりとそのものの文化が由来した意味や価値、自国の風土に照らしてどのように和で料理するか見極めるのがその風土人の使命でもあります。

懐かしいものや親しんできたものには、その意味や価値がしっくりくるように馴染んでいます。子どもたちのためにも風土人としての世代の責任を果たしていけるように、和魂円満の実践を高めていきたいと思います。

暮らしの信仰

昨日、長崎県平戸市にあるお客様の寺院にてお風呂の神様として祀られている「跋陀婆羅菩薩」(ばったばらぼさつ)のお話をお聴きする機会がありました。ちょうど聴福庵のお風呂場の甦生に取り組んでおり印象に残りました。

古来より日本の家には多くの神様がいて祀られていました。福を授ける大歳神、家全体を守る天照大神、台所の火を守る三宝荒神、家中の火を司る火之迦具土神、家の穀物を守る宇迦之御魂神、台所には他にも布袋、恵比寿、大黒神、井戸や水場を守る弥都波能売神、トイレには烏枢沙摩明王と弁財天、家宝を守る屋敷神の納戸神、窓や風を司る志那都比古神、門を守る神様の天石門別神。家屋、屋根を守る大屋毘古神。家の戸の神、大戸日別神。他にも似た神様に座敷や蔵の神様に座敷童子、そして先ほどの風呂場の跋陀婆羅菩薩です。

いざ書き出してみると、これだけ多くの神様が守ってくださっている家。ここにはもはや宗教の違いを超えて常に身近に神様がおられ私たちの暮らしを守ってくださっているという生活をしてきたことがわかります。

先日、ある方が祖母が早朝より古民家の中にあるありとあらゆる神棚の御水替えでだいぶ時間がかかっているとお聞きしましたがそれだけ昔から家の中の守り神を日本人の先祖は大切にしてきたように思います。

今の西洋式の家屋では神棚もない家が増えてきました。家を守っている神様が一つも目に見えるところにもなく、信仰する場もない環境ができてしまえばかつてのような日本の民家の暮らしもまた消失していくのは時間の問題なのでしょう。

昔は水も火も風も、土も穀物もすべて自然からの恩恵でありその恩恵があって家での暮らしが成り立っていました。その感謝を忘れないで大切に守ってくださっていることに祈る日々が暮らしの根っこにあったように思います。

当たり前になってしまっている現代の便利な生活の中で、失ったものが何かは神様がいなくなったことでわかります。私たちは暮らしを通して信仰心を養い、生き方を磨いてきたからこそ日本人らしい感性が伝承されてきたようにも思います。

改めて、古来からの暮らしの信仰を見直して引き続き子どもたちのために家を甦生していきたいと思います。

風土と暮らし

昨日から京都の鞍馬寺に来ています。少しずつお山が秋の気配に色づきはじめて空の秋風の透き通った青さと流れる雲の白さ、そして緑が合わさって水がキラキラ輝いてみえます。

自然というものは、その風土の中で一体となって一緒に存在しているため小さな変化は全体の変化を促していきます。いのちが輝くというのは、その偉大な存在の中にあってすべての生命が一緒に生きている中でこそ燦然と輝きます。

もしもこれが人工的にバラバラになったのなら、それぞれが輝くことはありません。生き物がイキイキといのちを働かせてハタラクには、風土の存在が欠かせないのです。その風土の存在があって私たちは存在することができますから、常にいのちは風土と一体になっているということを忘れてはいけません。

循環という言葉があります。

これはいのちがめぐり、様々なものが有機的につながり存在していることを顕していますがその本質は共に生きるという共生のことを意味します。一緒に生きているからこそ、お互いの存在を思いやり尊重して生きていくこと。それが循環の意味です。現代では、部分だけを見てはバラバラにし、部分だけを排除しようなどとしますが万物はすべて共生していますから一つだけを除いたらすぐに全体の何かがバラバラになっていくものです。

存在の原点を忘れてバラバラになるということは、一緒に生きるのをやめるということでもあります。豊かで瑞々しい風土の中で、共に仲間と生きていけばみんなニコニコと仕合せに楽しく生きることができます。その反対に、自分さえよければいいと風土から離れ自分勝手に孤立して生きていけば誰とも分かち合えません。

だからこそ「自分」というものを決して勘違いしてはなりません。自分しか知らない傲慢な自分ではなく、謙虚にみんなと一緒に生き活かされる「自分というものの存在」を静かに見つめ直す必要があるのです。

一つの風土をそれぞれが生きる主人公としてみんなで分かち合うというのは、いただいている恩恵に感謝しみんなで一緒に生きていく自然の姿、みんなのいのちが輝く姿です。

子どもたちもこのいのちの原点に魂が触れることによって、自分がどの風土に生まれ一緒に生きていくのかを確認します。その根のつながり、いのちの原点が感じにくくなっている現代の環境において、その後大人になった人たちが本当の自分を見失っていることが増えているように私は感じます。

風土と暮らしがなくなることは、自分らしさがなくなることです。

人類の未来の子どもたちのためにもこの美しい風土が育てた本物の環境を三つ子の魂百までに触れてもらい、そのうぶな心に真相を伝承していきたいと思います。