永久の間(トコノマ)

明日、いよいよ待ちに待った床の間の壁の砂鉄塗が行われます。1年半越しに、準備をし伝統の左官親方とお弟子さん、また技術を学びたいと各地から左官職人さんが来庵され文化伝承の場として使われます。

この床の間への私の思い入れは大変強く、この床の間の甦生は暮らしの実践の中でも特に重要な意味を持っています。最近ではマンション住まいになり、床の間がなくなってきた家が増えていますが私たちの先祖は常にこの床の間に神様を祀り大切に暮らしを積み重ねてきました。

改めて床の間とは何かと説明すると、一般的には和室の一隅が一段高くなっているところで掛軸や置物、生花などが飾られています。しかし本来の床の間は、16世紀頃に登場した書院造りに取り入れられた「主君の座」だったといいます。そこは神聖な空間で、またハレの場であり、その主人そのものが顕現する場です。

この「トコ」という響きは、「トコシエ(永久)」、「トコヨ(常世)」と同じ音を持ち、古来から「永遠」という意味で語られます。一家の求心力や、一族が絶えることなく永久に続く象徴そのものが「床の間」であり、この床の間こそ家全体の中心であると私は思っています。

またかつての暮らしがいまでも色濃く残る沖縄では、「床の間は屋敷を守る男の神様がいる神聖な場所なので、床のある和室を一番座と呼び住宅の中で最も高貴な場所である。」と言い伝えられています。実際に、明治頃までは、床の間には神様が宿ると信じられ、神様が依り代になるものを設置し、そこに神様が入ってきてくださる空間であると信じられていました。

実際に、空間という字は、「空」と「間」からできている言葉です。これは入れ物のことであり、器を示します。神様がどれを依り代に降りてこられるか、次々に家の中に入ってきてくださる八百万の神々がそこに鎮座し、その神様をお祀りしおもてなしする至高神聖な場がこの「床の間」であると私は直観するのです。

もっとも清浄で神聖なその永久の空間を、どのようにするかは聴福庵がはじまったときからの主人としての大きな命題でした。それが地球の星魂の欠片でもある砂鉄を用いることができるご縁が本当に有難く、感謝の念が湧いてきます。

この家の暮らしの中心の床の間の甦生は、すでにはじまった聴福庵の息吹と誕生の大きな節目です。これから子どもたちのために風土や初心を伝承していくために主人のいのちが入る瞬間です。

炭と鉄に見守られ、火と水に支えられ、心玉が磨かれて光り輝いていく日本刀のように和魂円満の永久の間を味わいたいと思います。

 

風土人の使命

懐かしいものに触れていると心が安心するものです。その懐かしさは決して物だけに限らず、景色や景観、食べ物や遊び、それに人柄や雰囲気などにも感じます。この懐かしさというのは、私たちが慣れ親しんできたものともいえます。

この慣れ親しんだものが身近にあることで、私たちは風土の存在を感じます。環境というものは、それまで暮らしてきたものが集まってできてきているものですから長い間一緒に暮らしてきた関係性というのは懐かしいものです。

文化が醸成されていく中で進化というものがあります。本来は、時間をかけて自分たちの文化に馴染むように少しずつ取り入れていくのが進化の過程ですが現代のように、文化の入れ替えといってそれまでの文化を異なる文化に換えてしまうというのは進化ではありません。

例えば、住宅においても食においても価値観においても私たちはアメリカから渡来した文化に総入れ替えしています。それまであった文化は、古臭く価値がないと捨て去り、新しく欧米から入ったものだけを新鮮で価値があると教え込みます。

少しずつ、日本のものへ和訳したり和合したりして自分たちの風土に即したものにすればいいのですがその時間がないのか、不便だからか、あっという間に風土を無視した取り入れ方をしていきます。

住宅においては、日本の田舎でさえ最近はまるでアメリカやカナダ、ヨーロッパにあるような住宅を建てます。またマンションなどもそうですが、鉄筋コンクリートで完全密封し総合空調を入れているところがほとんどです。風土に即していないから、大量の電気代やその他の費用を人工的に補てんしながら便利な生活を満喫しています。

しかし西洋にいけば、上手にアジアの文化を自分たちの中に取り入れて新しいものを生み出しています。それは住宅においても、またその他の食や衣服にいたるまで世界にある多様な文化を取ってつけたように挿げ替えるのではなく、時間をじっくりとかけてその国の人たちが自国の文化に合うように醸成していくのです。

日本の文化で海外で花が咲いたものには、禅や柔道、それに食でも寿司やうどん、先日の包丁やアニメなども世界にじっくりと取り入れられその国のものになっています。

本質は無視して形だけを便利に挿げ替えるやり方は何も考えなくてもお金さえあれば簡単に加工できます。しかし文化とは本来、本質を学び本質を取り入れることですからじっくりとそのものの文化が由来した意味や価値、自国の風土に照らしてどのように和で料理するか見極めるのがその風土人の使命でもあります。

懐かしいものや親しんできたものには、その意味や価値がしっくりくるように馴染んでいます。子どもたちのためにも風土人としての世代の責任を果たしていけるように、和魂円満の実践を高めていきたいと思います。

暮らしの信仰

昨日、長崎県平戸市にあるお客様の寺院にてお風呂の神様として祀られている「跋陀婆羅菩薩」(ばったばらぼさつ)のお話をお聴きする機会がありました。ちょうど聴福庵のお風呂場の甦生に取り組んでおり印象に残りました。

古来より日本の家には多くの神様がいて祀られていました。福を授ける大歳神、家全体を守る天照大神、台所の火を守る三宝荒神、家中の火を司る火之迦具土神、家の穀物を守る宇迦之御魂神、台所には他にも布袋、恵比寿、大黒神、井戸や水場を守る弥都波能売神、トイレには烏枢沙摩明王と弁財天、家宝を守る屋敷神の納戸神、窓や風を司る志那都比古神、門を守る神様の天石門別神。家屋、屋根を守る大屋毘古神。家の戸の神、大戸日別神。他にも似た神様に座敷や蔵の神様に座敷童子、そして先ほどの風呂場の跋陀婆羅菩薩です。

いざ書き出してみると、これだけ多くの神様が守ってくださっている家。ここにはもはや宗教の違いを超えて常に身近に神様がおられ私たちの暮らしを守ってくださっているという生活をしてきたことがわかります。

先日、ある方が祖母が早朝より古民家の中にあるありとあらゆる神棚の御水替えでだいぶ時間がかかっているとお聞きしましたがそれだけ昔から家の中の守り神を日本人の先祖は大切にしてきたように思います。

今の西洋式の家屋では神棚もない家が増えてきました。家を守っている神様が一つも目に見えるところにもなく、信仰する場もない環境ができてしまえばかつてのような日本の民家の暮らしもまた消失していくのは時間の問題なのでしょう。

昔は水も火も風も、土も穀物もすべて自然からの恩恵でありその恩恵があって家での暮らしが成り立っていました。その感謝を忘れないで大切に守ってくださっていることに祈る日々が暮らしの根っこにあったように思います。

当たり前になってしまっている現代の便利な生活の中で、失ったものが何かは神様がいなくなったことでわかります。私たちは暮らしを通して信仰心を養い、生き方を磨いてきたからこそ日本人らしい感性が伝承されてきたようにも思います。

改めて、古来からの暮らしの信仰を見直して引き続き子どもたちのために家を甦生していきたいと思います。

風土と暮らし

昨日から京都の鞍馬寺に来ています。少しずつお山が秋の気配に色づきはじめて空の秋風の透き通った青さと流れる雲の白さ、そして緑が合わさって水がキラキラ輝いてみえます。

自然というものは、その風土の中で一体となって一緒に存在しているため小さな変化は全体の変化を促していきます。いのちが輝くというのは、その偉大な存在の中にあってすべての生命が一緒に生きている中でこそ燦然と輝きます。

もしもこれが人工的にバラバラになったのなら、それぞれが輝くことはありません。生き物がイキイキといのちを働かせてハタラクには、風土の存在が欠かせないのです。その風土の存在があって私たちは存在することができますから、常にいのちは風土と一体になっているということを忘れてはいけません。

循環という言葉があります。

これはいのちがめぐり、様々なものが有機的につながり存在していることを顕していますがその本質は共に生きるという共生のことを意味します。一緒に生きているからこそ、お互いの存在を思いやり尊重して生きていくこと。それが循環の意味です。現代では、部分だけを見てはバラバラにし、部分だけを排除しようなどとしますが万物はすべて共生していますから一つだけを除いたらすぐに全体の何かがバラバラになっていくものです。

存在の原点を忘れてバラバラになるということは、一緒に生きるのをやめるということでもあります。豊かで瑞々しい風土の中で、共に仲間と生きていけばみんなニコニコと仕合せに楽しく生きることができます。その反対に、自分さえよければいいと風土から離れ自分勝手に孤立して生きていけば誰とも分かち合えません。

だからこそ「自分」というものを決して勘違いしてはなりません。自分しか知らない傲慢な自分ではなく、謙虚にみんなと一緒に生き活かされる「自分というものの存在」を静かに見つめ直す必要があるのです。

一つの風土をそれぞれが生きる主人公としてみんなで分かち合うというのは、いただいている恩恵に感謝しみんなで一緒に生きていく自然の姿、みんなのいのちが輝く姿です。

子どもたちもこのいのちの原点に魂が触れることによって、自分がどの風土に生まれ一緒に生きていくのかを確認します。その根のつながり、いのちの原点が感じにくくなっている現代の環境において、その後大人になった人たちが本当の自分を見失っていることが増えているように私は感じます。

風土と暮らしがなくなることは、自分らしさがなくなることです。

人類の未来の子どもたちのためにもこの美しい風土が育てた本物の環境を三つ子の魂百までに触れてもらい、そのうぶな心に真相を伝承していきたいと思います。

暮らしの信仰~生活即信仰~

先々月から掘り始めた手掘りの井戸は無事に最後の仕上げまでを終え甦生することができました。振り返ってみると、不可能に思えたことが何度もありその都度、仲間や井戸職人、また聴福庵に助けられ信じる力が高まって掘り進めることができたように思います。

そもそも古民家甦生の中で水神様をお祀りすることは決めていましたが、その最初の背中を押していただいたお客様がいて、井戸掘りの最中、ずっと見守ってくださった井戸職人さんがいて、楽しそうに手掘りで掘り進めてくれた仲間や家族があり、最後は水が湧き活気づき、聴福庵の喜びもあって甦生することができました。

多くの関係者の御蔭様で、みんなで協力して助け合ったからこそ信じる力も伸ばし今回の甦生が行われていることに気づき改めて感謝の念がこみあげてきます。

澄んだお水が井戸から滾々と湧きあがってきますが、これもみんなで信じて助け合って湧き出てきてくださったお水です。その奇跡のお水をいつまでも忘れたくないと思い、みんなが力を合わせた美しい暮らしが子どもたちへ永遠に続くことを願い、井戸の水神様をお祀りしようと思いました。

人は、信じることと、お祈りすること、そして実践すること、感謝することを繰り返すことで一つ一つの心のご縁を結んでいくものです。言い換えるのなら、御蔭様の有難さを感じながら一つ一つが自然に結ばれていくのを信じ待つ心境とも言えます。

信仰心というものは暮らしの中に深く息づいており、暮らしが実践されるときそこに信仰心が育っているとも言えます。日本の家が子どもたちの先生となり、日本民族を伝承するなかで、何よりも尊い伝承の一つがこの「信仰心を育む」ということではないかと私は感じます。

今回の井戸堀りであっても、さまざまな困難があるとき仲間たちは自然に水神様に祈り、そしてみんなで信じ、協力し助け合い行動し、最後は感謝をして何度も何度も手を合わせていました。こうやって何回も何回も暮らしの信仰を続けていく中で私たちは魂を磨き、心を高めていきます。

日本人の暮らしの中心には常に信仰があり、宗教などなくても生活即信仰という道の生き方があるのです。私の人生の実践でもあるかんながらの道もまた、この自然への信仰と祈り実践と感謝の道であり、これを続けることでどのようなご縁に結ばれ天命を果たしていくのか、あるがままを受け容れてあるがままに活かされていくという境地を学ぶ旅でもあります。

引き続き今回の体験を子どもたちの未来に結んでいけるように、体験した学びを暮らしに役立てお仕事に活かし、仲間やパートナーと一緒に平和な社會の実現に向けて学び直して精進していこうと思います。

ニッポン文化の甦生

昔、ACのCMで「ニッポン人には、日本が足りない」という動画がありました。これは元銀山温泉老舗旅館のジニー女将が「日本人は日本人のいいところを忘れている」という内容で動画で日本人の素敵なところを自らが表現されています。映像では素朴で素敵な日本人の生き方を愛し、自らその懐かしい姿を守るために老舗旅館を経営している姿が映し出されています。古きよき日本を愛したジニーさんはその後、旅館が洋風のデザインに走り親族との経営方針が合わず帰国したとありましたが今はどうしているのでしょうか。この外国から来たジニーさんは、ひょっとしたらニッポン人よりもニッポン人だったのかもしれません。

人間は外国に限らずどんな組織であっても、自分の居る場所や所属しているものが当たり前になってしまうと当たり前に気づかなくなってしまうものです。本来、外から見れば大変素晴らしいことをやっていると思っても自分自身がその価値に気づかなければそれを忘れてしまいます。

もしも忘れてもそれが当たり前に維持できているのならいいのですが、本当に大切なことまで忘れてその当たり前が失われてしまえばその素晴らしいこともまた消失してしまうのです。素晴らしいものを失ってほしくない、懐かしいものをいつまでも残していきたいという心は、当たり前ではないことの再発見であり、温故知新であり、文化の継承でもあり、伝統の伝承でもあり、民族にとって何よりも優先する大切なものです。

私は、この当たり前と思っている文化こそ今の時代に見直す必要を感じます。なぜなら西洋から入ってきたり、世界から入ってくる文化を日本に和訳したり和に転換するのではなくそのままに挿げ替えて他の文化を自分の文化だと勘違いしていればそのうち日本人であることを忘れていくからです。取ってつけたような文化を自分の当たり前にしていたらそのうち自分たちがどんな民族だったかも忘れてしまうでしょう。

古来から和魂漢才や和魂洋才といって、和魂を持つ日本人であるのが大前提でそれをどのように新しく海外からの知識を自分たちが和で調理して日本のものにするかがその時代を生きる民族の使命でした。今では幼少期から西洋の知識や文化が自分たちの文化だと刷り込まれ、本来の日本人であったことを失わせているように感じます。

民族というのは風土が育てるもので、風土の中で醸成され出来上がるものです。風土に根を張り、風土の養分を吸い上げていくからその民族はその風土のなかでもっとも活き活きといのちが伸び、その独特の文化が世界の中の多様性を発展させていくものです。それは単に流行の新しいではなく、普遍的な新しさを持ち続けていくということです。

和魂を持つものが日本民族を継承し、その日本人が和魂のままに世界の文化を吸収し普遍性を発揮していくから世界の中の日本として人類の文化を繁栄発展させていくことができるのです。

しかし今の時代のように日本人がニッポン人を忘れ、日本人の精神や心や暮らしや生き方を消失してしまえば和魂は弱体化していきます。昔の日本人は正直で素朴、目がイキイキしてみんな愉快に笑っていたといいます。和魂が満ち足り、日本文化が伝承されていたときは根を張った野性の生き物たちのように元気に活動できていたのではないかと思います。その根拠は、自然農と同じくその命はもっともその風土で活き活きするからです。育て方を西洋式に換えた野菜には、その活き活きした命を感じられません。

日本に適った育て方、日本に合った育ち方が、自然環境や風土にあるのを無視して西洋の文化の育て方や育ち方をすればそのいのちは貧弱になるのです。野性化というのは、そのものの文化を丸ごと吸収して一体化するということです。

改めて日本人がもう一度、ニッポンの価値を取り戻すことの重要性をひしひしと感じます。もうここまで来たらよそ見をしている暇などありません。引き続き子どもたちの未来に向けて、優先順位を研ぎ澄まし、風土に根を掘り下げてニッポン文化の甦生、初心伝承をカタチにして子どもたちの現場に届けていきたいと思います。

 

住まいの源流

瓦葺きを深めている中で、そもそも屋根の原点とは何かについて考えてみました。そもそも現存する中で最初の人工的な建物には竪穴式住居があります。最も古い竪穴式住居は鹿児島県の上野原遺跡で見つかった約9500年前のものが最古のものです。

以前、私も上野原遺跡を訪問し見学したことがありましたが火を中心に暮らしをし、桜島が見渡せる丘にあり、身近には海と山、豊富な魚と動物、また木の実を採取できる場があり、そこに定住するための住まいとして竪穴式住居をつくったといいます。この竪穴式住居はその後、平安時代にはほとんどなくなり、室町時代の東北地方を最後に完全に造られなくなったといいます。

この竪穴式住居を簡単に説明すると、土地は緩やかな勾配のある場所を選び、そこから土を少し掘り込み平地よりも下げたところに土間を設け、中心には囲炉裏、天井には樹皮や藁を被せ、三角形になったテントのような建物です。祭祀できる小高い丘を中心に邑を形成し、その周りにみんなで助け合い住んでいました。

この住宅のつくりには縄文人のころからの住まいの智慧が凝縮されており、これが今の日本家屋の原点とも言えます。つまりは下が土、そして天井には通気口をあけ、家屋の真ん中に囲炉裏の火を熾し続ける。常に天地の間に流れる水と風を通気させ、その中心に火を配置することにより換気を促し、四季折々の絶妙な調湿も果たし、全体を燻すことで外からの病害虫を防御し、もっとも人間が末永く自然環境と共生する仕組みを住まいに導入していたとも言えます。この住まいの源流があって、その後、さらなる定住の長期間の住まいを持たせる工夫として瓦なども発達したのではないかと私は思います。

現在のように、土から離れ密閉住宅をつくり、冷暖房によって調湿をし、ガスの火や水道の水、化学物質に囲まれた住宅が健康に良いはずはなく、不自然の中での暮らしや住まいが人体と人生に影響を与えていることが大きいとも言えます。

短期的に活動するような住まいであればいいのですが、定住するとなればもっとも優先したのは「生命の保持」であり、鋭敏な自然感覚の維持であり、健康で元気に安心して暮らせるものを「住まい」としたはずです。

本来の人類の智慧はとてもシンプルで、健康や自然、生命生活が安心する基盤があって暮らしがあることを自覚していましたから当然住まいもまたその理に適ったものを建てたはずです。

今のように科学が進んで建築が発展したかのように思われていますが、人類本来の住まいからほど遠くなった近代の建物は果たして先祖の智慧が凝縮された最先端のものであるのかと疑問に思います。

そもそも火を中心に囲炉裏の生活が失われてから、同時に屋根や瓦についての理解も減退してきたように思います。土や火、水や風、闇や光といったものを感じない建物は、人間本来の五感を消失させていくようにも思います。縄文人は天地を逆さに観ていたからこそ、屋の上に屋根があったのではないかと私は思うのです。自然と共に暮らすということは生命維持の根幹です。

これから人工知能による課題や自然災害が猛威をふるってくる時代に入るに際し、自然の五感を磨くことは人類存続の上でとても重要なことであると私は思います。引き続き、先人の智慧を甦生させつつ子どもたちに日本人の初心を伝承していきたいと思います。

瓦葺き2

日本ではまだ瓦葺きの屋根を見かけることが多くありますが、今の瓦になるには長い年月をかけて創意工夫された歴史があります。はじめは寺院を中心に、その後は、城郭に、しかしその後、庶民の町家などに採用されるまでには数々の工夫が施されています。

瓦の歴史を調べているととても大きな転換期があることに気づきます。安土桃山時代から江戸時代初期まで瓦葺きの建造物といえば寺院か城郭がほとんどで一般人の居宅に瓦が用いられることはほとんどなかったといいます。それまでは瓦屋根は本瓦葺といって、平瓦と丸瓦をセットで組み合わせて葺くものでどうしても重量がかさみ、建物自体の構造がよほどしっかりしていないと採用されておらず頑丈に造られた寺院や城郭に用いられました。

そこでこの平瓦と丸瓦を一つにまとめた桟瓦(さんがわら)というものを1674年近江大津の人で西村半兵衛が発明します。ちょうど江戸幕府は繰り返される大火に悩まされており火事による被害を最少限度に食い止める方法を模索していました。その際に、屋根を瓦葺きにし壁を漆喰で塗り腰高までをなまこ壁にしました。そのころから町家や商家では、土壁と瓦葺きが広まっていったのです。

昔の古民家といえば、茅葺屋根を連想する人が多いと思いますが街道沿いや都などは瓦葺きがほとんどです。耐水、防水だけではなく耐震や防火にも優れた瓦はまさに日本の風土に適応しながら変化してきたとも言えます。その陰には、職人の方々の創意工夫と共に瓦は今でも日本の文化として息づいているともいえます。

しかし今では、洋瓦をはじめ屋根はスレート瓦、セメント瓦、ガルバリウム鋼板、ジンカリウム、ステンレス、ファイバーシングルなど、本来の瓦とは異なる素材のものも瓦と同様に用いられています。安価で便利に手に入る化学合成の素材や金属の屋根が開発されてから、それまでの本来の瓦ではなくなっていきました。

半永久的に日本の風土で維持できる瓦が失わる理由は、建物自体がそんなに長い間持つものではなくなってきているのもあるのでしょう。古民家が失われ、現代建築が主流になった今では数百年の家のための道具ではなく数十年持てばいいのですからそういう素材の方が販売もしやすく手軽です。最近では寺社仏閣でもそのような瓦風のものが導入されてほとんど本物と見分けがつかないものです。

職人が悠久の年月、子孫のためにと創意工夫を重ねてきたものが失われてしまえばもう一度それを甦生させるというのは至難のことです。

これから瓦葺きに取り組むに際し、西村半兵衛氏が発明したような価値の転換が必要になります。改めて、子どもたちのために復古創新ができるように引き続き丁寧に瓦と日本文化を深めてみたいと思います。

 

 

自然に学ぶ生き残る智慧

全世界で大雨や洪水の情報が報道されています。地球温暖化の上、南極の氷が融けたものが一体どこにいったのか。地球は一つの球体ですから、その融けた氷の行先は海と空であることは明白です。

私たちは何億年、何千年も前から地球環境の変化に順応しながら生き永らえていきました。どんなに発展した文明を持ったとしても、それが滅んでいるのは遺跡を観ればわかります。その滅んだ理由は、一つは人間の際限ない欲によって自滅したことと、もう一つは自然環境の大きな変化によるものではないかと私は思います。

太古から、人道と天道のことは様々な学問の書に記され、また先人から語り継がれていきます。日本民族は、アフリカから旅をしもっとも遠くまできた民族であるといわれます。その中で、如何に人道として和を尊ぶことが大切か、天道として如何に謙虚に自然と共生して生きていくかを伝承し自戒して生き延びてきた民族とも言えます。

世界でもっとも自然災害が多い国と言われ、大雪、大雨、津波、噴火、台風、洪水、地震、土砂災害などすべてが頻繁に発生する国土に住んでいます。これだけの災害が頻繁に発生する国だからこそ自然に対して謙虚にならざるをえません。さらには、自然災害が多いからこそ人々が助け合い協力し合い支え合わなければ生きてはいけないことを自覚しています。

つまりは人道としての和、天道としての謙虚を、さらにはその自然の恩恵をもっとも多く受けるのだから自然に感謝する心も育っていくのです。自然を常に観て、自然に沿って自然から学びながら生きていく民族は、八百万の神々といってすべてを「カミ」にし、敬謙な精神を養ってきました。

そのことこそが、もっとも永い旅をし、もっとも永く生きながらえてきた人類の智慧であったと私は思うのです。自然の猛威が増してくるこれからの時代において、私たちの先祖が経験によって得た智慧は必ず世界に必要とされていきます。

だからこそ私たちが近代に染まったり、刷り込みに負けて、本来の自分たちの民族らしさを失うのではなく、こういう時代だからこそ原点に回帰し、自然から学び直して生き方を修正する必要があると私は思うのです。

自然災害の前においてどんなにお金があっても生き残ることができないのは歴史が証明しています。

人類の存続を左右する大事な局面において長い目で観て判断をする人々が目覚めていくのを待つのも大切ですが、自らが行動して身近な暮らしを改善するだけでも自然から学び直すことができます。

引き続き子どもたちのためにも、信念をもって子どもたちに譲り遺していきたい生き方を甦生させていきたいと思います。

錆びない関係

地球が自転を已まず、宇宙が公転を已まないように、万物は進んで已むことがありません。同じように観えたとしても、常に変化し続けるのが世の中の理です。人はあの時、こうすればよかったとか、なぜああだったのかと時折後悔をすることもありますが、それもまた已むことはありません。

ご縁には出会いと別れがありますが、それは自分でどうにかできるようなものではありません。道中にある人に出会い、その人から学び、そして去っていく、そういうことを繰り返しながら人は成長を続けていきます。

以前、メンターから「錆びない関係」という話をお聴きすることができました。この錆びるというのは、健康で例えれば人間の体は鉄でできていますから酸化していくと錆びてきます。これを科学的には活性酸素といいますが、それによって錆びて朽ちていきます。健康な体を維持するには、抗酸化力をつけて錆びないようにバランスの善い食事や運動などをしていくことで錆びにくくなるといいます。

これを関係で例えれば、錆びないというのはお互い学び続けて成長を続けいつまでも新鮮なままでいられるということです。どちらも受け身にはならず、お互いに主体的に一緒に生き、一緒に暮らし、同じ目的を共有して自分を磨くことを怠らない。そして磨き合いながら切磋琢磨し、お互いの夢や信条に向かって協力し合うことができるということでもあります。

錆びない関係とは、常に磨き合える関係であり、どちらかだけが学ぶ関係ではなくお互いにお互いから学び合う関係をいつまでも維持しているということです。

メンターの「錆びない関係」という言葉は、学び続けて已まない、一向に成長意欲が衰えず、真摯に夢に向かって精進し続けているという励ましの言葉であったのでしょう。

私の場合はいつも後からメンターの言葉の価値や意味が理解できてきますからいつも時間差があります。一緒に歩み一緒に生きていく関係があるということの仕合せはご縁の感謝であり、それは無二の幸福を与えてくれます。

人間にとっての出会いと別れは、ご縁に由ります。

私は私のままで、自分の道を歩み切ったと過去に感謝し未来に感謝し今に感謝できるように謙虚に歩みを強くして前へと進みだしていきたいと思います。