暮らしの信仰~生活即信仰~

先々月から掘り始めた手掘りの井戸は無事に最後の仕上げまでを終え甦生することができました。振り返ってみると、不可能に思えたことが何度もありその都度、仲間や井戸職人、また聴福庵に助けられ信じる力が高まって掘り進めることができたように思います。

そもそも古民家甦生の中で水神様をお祀りすることは決めていましたが、その最初の背中を押していただいたお客様がいて、井戸掘りの最中、ずっと見守ってくださった井戸職人さんがいて、楽しそうに手掘りで掘り進めてくれた仲間や家族があり、最後は水が湧き活気づき、聴福庵の喜びもあって甦生することができました。

多くの関係者の御蔭様で、みんなで協力して助け合ったからこそ信じる力も伸ばし今回の甦生が行われていることに気づき改めて感謝の念がこみあげてきます。

澄んだお水が井戸から滾々と湧きあがってきますが、これもみんなで信じて助け合って湧き出てきてくださったお水です。その奇跡のお水をいつまでも忘れたくないと思い、みんなが力を合わせた美しい暮らしが子どもたちへ永遠に続くことを願い、井戸の水神様をお祀りしようと思いました。

人は、信じることと、お祈りすること、そして実践すること、感謝することを繰り返すことで一つ一つの心のご縁を結んでいくものです。言い換えるのなら、御蔭様の有難さを感じながら一つ一つが自然に結ばれていくのを信じ待つ心境とも言えます。

信仰心というものは暮らしの中に深く息づいており、暮らしが実践されるときそこに信仰心が育っているとも言えます。日本の家が子どもたちの先生となり、日本民族を伝承するなかで、何よりも尊い伝承の一つがこの「信仰心を育む」ということではないかと私は感じます。

今回の井戸堀りであっても、さまざまな困難があるとき仲間たちは自然に水神様に祈り、そしてみんなで信じ、協力し助け合い行動し、最後は感謝をして何度も何度も手を合わせていました。こうやって何回も何回も暮らしの信仰を続けていく中で私たちは魂を磨き、心を高めていきます。

日本人の暮らしの中心には常に信仰があり、宗教などなくても生活即信仰という道の生き方があるのです。私の人生の実践でもあるかんながらの道もまた、この自然への信仰と祈り実践と感謝の道であり、これを続けることでどのようなご縁に結ばれ天命を果たしていくのか、あるがままを受け容れてあるがままに活かされていくという境地を学ぶ旅でもあります。

引き続き今回の体験を子どもたちの未来に結んでいけるように、体験した学びを暮らしに役立てお仕事に活かし、仲間やパートナーと一緒に平和な社會の実現に向けて学び直して精進していこうと思います。

ニッポン文化の甦生

昔、ACのCMで「ニッポン人には、日本が足りない」という動画がありました。これは元銀山温泉老舗旅館のジニー女将が「日本人は日本人のいいところを忘れている」という内容で動画で日本人の素敵なところを自らが表現されています。映像では素朴で素敵な日本人の生き方を愛し、自らその懐かしい姿を守るために老舗旅館を経営している姿が映し出されています。古きよき日本を愛したジニーさんはその後、旅館が洋風のデザインに走り親族との経営方針が合わず帰国したとありましたが今はどうしているのでしょうか。この外国から来たジニーさんは、ひょっとしたらニッポン人よりもニッポン人だったのかもしれません。

人間は外国に限らずどんな組織であっても、自分の居る場所や所属しているものが当たり前になってしまうと当たり前に気づかなくなってしまうものです。本来、外から見れば大変素晴らしいことをやっていると思っても自分自身がその価値に気づかなければそれを忘れてしまいます。

もしも忘れてもそれが当たり前に維持できているのならいいのですが、本当に大切なことまで忘れてその当たり前が失われてしまえばその素晴らしいこともまた消失してしまうのです。素晴らしいものを失ってほしくない、懐かしいものをいつまでも残していきたいという心は、当たり前ではないことの再発見であり、温故知新であり、文化の継承でもあり、伝統の伝承でもあり、民族にとって何よりも優先する大切なものです。

私は、この当たり前と思っている文化こそ今の時代に見直す必要を感じます。なぜなら西洋から入ってきたり、世界から入ってくる文化を日本に和訳したり和に転換するのではなくそのままに挿げ替えて他の文化を自分の文化だと勘違いしていればそのうち日本人であることを忘れていくからです。取ってつけたような文化を自分の当たり前にしていたらそのうち自分たちがどんな民族だったかも忘れてしまうでしょう。

古来から和魂漢才や和魂洋才といって、和魂を持つ日本人であるのが大前提でそれをどのように新しく海外からの知識を自分たちが和で調理して日本のものにするかがその時代を生きる民族の使命でした。今では幼少期から西洋の知識や文化が自分たちの文化だと刷り込まれ、本来の日本人であったことを失わせているように感じます。

民族というのは風土が育てるもので、風土の中で醸成され出来上がるものです。風土に根を張り、風土の養分を吸い上げていくからその民族はその風土のなかでもっとも活き活きといのちが伸び、その独特の文化が世界の中の多様性を発展させていくものです。それは単に流行の新しいではなく、普遍的な新しさを持ち続けていくということです。

和魂を持つものが日本民族を継承し、その日本人が和魂のままに世界の文化を吸収し普遍性を発揮していくから世界の中の日本として人類の文化を繁栄発展させていくことができるのです。

しかし今の時代のように日本人がニッポン人を忘れ、日本人の精神や心や暮らしや生き方を消失してしまえば和魂は弱体化していきます。昔の日本人は正直で素朴、目がイキイキしてみんな愉快に笑っていたといいます。和魂が満ち足り、日本文化が伝承されていたときは根を張った野性の生き物たちのように元気に活動できていたのではないかと思います。その根拠は、自然農と同じくその命はもっともその風土で活き活きするからです。育て方を西洋式に換えた野菜には、その活き活きした命を感じられません。

日本に適った育て方、日本に合った育ち方が、自然環境や風土にあるのを無視して西洋の文化の育て方や育ち方をすればそのいのちは貧弱になるのです。野性化というのは、そのものの文化を丸ごと吸収して一体化するということです。

改めて日本人がもう一度、ニッポンの価値を取り戻すことの重要性をひしひしと感じます。もうここまで来たらよそ見をしている暇などありません。引き続き子どもたちの未来に向けて、優先順位を研ぎ澄まし、風土に根を掘り下げてニッポン文化の甦生、初心伝承をカタチにして子どもたちの現場に届けていきたいと思います。

 

住まいの源流

瓦葺きを深めている中で、そもそも屋根の原点とは何かについて考えてみました。そもそも現存する中で最初の人工的な建物には竪穴式住居があります。最も古い竪穴式住居は鹿児島県の上野原遺跡で見つかった約9500年前のものが最古のものです。

以前、私も上野原遺跡を訪問し見学したことがありましたが火を中心に暮らしをし、桜島が見渡せる丘にあり、身近には海と山、豊富な魚と動物、また木の実を採取できる場があり、そこに定住するための住まいとして竪穴式住居をつくったといいます。この竪穴式住居はその後、平安時代にはほとんどなくなり、室町時代の東北地方を最後に完全に造られなくなったといいます。

この竪穴式住居を簡単に説明すると、土地は緩やかな勾配のある場所を選び、そこから土を少し掘り込み平地よりも下げたところに土間を設け、中心には囲炉裏、天井には樹皮や藁を被せ、三角形になったテントのような建物です。祭祀できる小高い丘を中心に邑を形成し、その周りにみんなで助け合い住んでいました。

この住宅のつくりには縄文人のころからの住まいの智慧が凝縮されており、これが今の日本家屋の原点とも言えます。つまりは下が土、そして天井には通気口をあけ、家屋の真ん中に囲炉裏の火を熾し続ける。常に天地の間に流れる水と風を通気させ、その中心に火を配置することにより換気を促し、四季折々の絶妙な調湿も果たし、全体を燻すことで外からの病害虫を防御し、もっとも人間が末永く自然環境と共生する仕組みを住まいに導入していたとも言えます。この住まいの源流があって、その後、さらなる定住の長期間の住まいを持たせる工夫として瓦なども発達したのではないかと私は思います。

現在のように、土から離れ密閉住宅をつくり、冷暖房によって調湿をし、ガスの火や水道の水、化学物質に囲まれた住宅が健康に良いはずはなく、不自然の中での暮らしや住まいが人体と人生に影響を与えていることが大きいとも言えます。

短期的に活動するような住まいであればいいのですが、定住するとなればもっとも優先したのは「生命の保持」であり、鋭敏な自然感覚の維持であり、健康で元気に安心して暮らせるものを「住まい」としたはずです。

本来の人類の智慧はとてもシンプルで、健康や自然、生命生活が安心する基盤があって暮らしがあることを自覚していましたから当然住まいもまたその理に適ったものを建てたはずです。

今のように科学が進んで建築が発展したかのように思われていますが、人類本来の住まいからほど遠くなった近代の建物は果たして先祖の智慧が凝縮された最先端のものであるのかと疑問に思います。

そもそも火を中心に囲炉裏の生活が失われてから、同時に屋根や瓦についての理解も減退してきたように思います。土や火、水や風、闇や光といったものを感じない建物は、人間本来の五感を消失させていくようにも思います。縄文人は天地を逆さに観ていたからこそ、屋の上に屋根があったのではないかと私は思うのです。自然と共に暮らすということは生命維持の根幹です。

これから人工知能による課題や自然災害が猛威をふるってくる時代に入るに際し、自然の五感を磨くことは人類存続の上でとても重要なことであると私は思います。引き続き、先人の智慧を甦生させつつ子どもたちに日本人の初心を伝承していきたいと思います。

瓦葺き2

日本ではまだ瓦葺きの屋根を見かけることが多くありますが、今の瓦になるには長い年月をかけて創意工夫された歴史があります。はじめは寺院を中心に、その後は、城郭に、しかしその後、庶民の町家などに採用されるまでには数々の工夫が施されています。

瓦の歴史を調べているととても大きな転換期があることに気づきます。安土桃山時代から江戸時代初期まで瓦葺きの建造物といえば寺院か城郭がほとんどで一般人の居宅に瓦が用いられることはほとんどなかったといいます。それまでは瓦屋根は本瓦葺といって、平瓦と丸瓦をセットで組み合わせて葺くものでどうしても重量がかさみ、建物自体の構造がよほどしっかりしていないと採用されておらず頑丈に造られた寺院や城郭に用いられました。

そこでこの平瓦と丸瓦を一つにまとめた桟瓦(さんがわら)というものを1674年近江大津の人で西村半兵衛が発明します。ちょうど江戸幕府は繰り返される大火に悩まされており火事による被害を最少限度に食い止める方法を模索していました。その際に、屋根を瓦葺きにし壁を漆喰で塗り腰高までをなまこ壁にしました。そのころから町家や商家では、土壁と瓦葺きが広まっていったのです。

昔の古民家といえば、茅葺屋根を連想する人が多いと思いますが街道沿いや都などは瓦葺きがほとんどです。耐水、防水だけではなく耐震や防火にも優れた瓦はまさに日本の風土に適応しながら変化してきたとも言えます。その陰には、職人の方々の創意工夫と共に瓦は今でも日本の文化として息づいているともいえます。

しかし今では、洋瓦をはじめ屋根はスレート瓦、セメント瓦、ガルバリウム鋼板、ジンカリウム、ステンレス、ファイバーシングルなど、本来の瓦とは異なる素材のものも瓦と同様に用いられています。安価で便利に手に入る化学合成の素材や金属の屋根が開発されてから、それまでの本来の瓦ではなくなっていきました。

半永久的に日本の風土で維持できる瓦が失わる理由は、建物自体がそんなに長い間持つものではなくなってきているのもあるのでしょう。古民家が失われ、現代建築が主流になった今では数百年の家のための道具ではなく数十年持てばいいのですからそういう素材の方が販売もしやすく手軽です。最近では寺社仏閣でもそのような瓦風のものが導入されてほとんど本物と見分けがつかないものです。

職人が悠久の年月、子孫のためにと創意工夫を重ねてきたものが失われてしまえばもう一度それを甦生させるというのは至難のことです。

これから瓦葺きに取り組むに際し、西村半兵衛氏が発明したような価値の転換が必要になります。改めて、子どもたちのために復古創新ができるように引き続き丁寧に瓦と日本文化を深めてみたいと思います。

 

 

自然に学ぶ生き残る智慧

全世界で大雨や洪水の情報が報道されています。地球温暖化の上、南極の氷が融けたものが一体どこにいったのか。地球は一つの球体ですから、その融けた氷の行先は海と空であることは明白です。

私たちは何億年、何千年も前から地球環境の変化に順応しながら生き永らえていきました。どんなに発展した文明を持ったとしても、それが滅んでいるのは遺跡を観ればわかります。その滅んだ理由は、一つは人間の際限ない欲によって自滅したことと、もう一つは自然環境の大きな変化によるものではないかと私は思います。

太古から、人道と天道のことは様々な学問の書に記され、また先人から語り継がれていきます。日本民族は、アフリカから旅をしもっとも遠くまできた民族であるといわれます。その中で、如何に人道として和を尊ぶことが大切か、天道として如何に謙虚に自然と共生して生きていくかを伝承し自戒して生き延びてきた民族とも言えます。

世界でもっとも自然災害が多い国と言われ、大雪、大雨、津波、噴火、台風、洪水、地震、土砂災害などすべてが頻繁に発生する国土に住んでいます。これだけの災害が頻繁に発生する国だからこそ自然に対して謙虚にならざるをえません。さらには、自然災害が多いからこそ人々が助け合い協力し合い支え合わなければ生きてはいけないことを自覚しています。

つまりは人道としての和、天道としての謙虚を、さらにはその自然の恩恵をもっとも多く受けるのだから自然に感謝する心も育っていくのです。自然を常に観て、自然に沿って自然から学びながら生きていく民族は、八百万の神々といってすべてを「カミ」にし、敬謙な精神を養ってきました。

そのことこそが、もっとも永い旅をし、もっとも永く生きながらえてきた人類の智慧であったと私は思うのです。自然の猛威が増してくるこれからの時代において、私たちの先祖が経験によって得た智慧は必ず世界に必要とされていきます。

だからこそ私たちが近代に染まったり、刷り込みに負けて、本来の自分たちの民族らしさを失うのではなく、こういう時代だからこそ原点に回帰し、自然から学び直して生き方を修正する必要があると私は思うのです。

自然災害の前においてどんなにお金があっても生き残ることができないのは歴史が証明しています。

人類の存続を左右する大事な局面において長い目で観て判断をする人々が目覚めていくのを待つのも大切ですが、自らが行動して身近な暮らしを改善するだけでも自然から学び直すことができます。

引き続き子どもたちのためにも、信念をもって子どもたちに譲り遺していきたい生き方を甦生させていきたいと思います。

錆びない関係

地球が自転を已まず、宇宙が公転を已まないように、万物は進んで已むことがありません。同じように観えたとしても、常に変化し続けるのが世の中の理です。人はあの時、こうすればよかったとか、なぜああだったのかと時折後悔をすることもありますが、それもまた已むことはありません。

ご縁には出会いと別れがありますが、それは自分でどうにかできるようなものではありません。道中にある人に出会い、その人から学び、そして去っていく、そういうことを繰り返しながら人は成長を続けていきます。

以前、メンターから「錆びない関係」という話をお聴きすることができました。この錆びるというのは、健康で例えれば人間の体は鉄でできていますから酸化していくと錆びてきます。これを科学的には活性酸素といいますが、それによって錆びて朽ちていきます。健康な体を維持するには、抗酸化力をつけて錆びないようにバランスの善い食事や運動などをしていくことで錆びにくくなるといいます。

これを関係で例えれば、錆びないというのはお互い学び続けて成長を続けいつまでも新鮮なままでいられるということです。どちらも受け身にはならず、お互いに主体的に一緒に生き、一緒に暮らし、同じ目的を共有して自分を磨くことを怠らない。そして磨き合いながら切磋琢磨し、お互いの夢や信条に向かって協力し合うことができるということでもあります。

錆びない関係とは、常に磨き合える関係であり、どちらかだけが学ぶ関係ではなくお互いにお互いから学び合う関係をいつまでも維持しているということです。

メンターの「錆びない関係」という言葉は、学び続けて已まない、一向に成長意欲が衰えず、真摯に夢に向かって精進し続けているという励ましの言葉であったのでしょう。

私の場合はいつも後からメンターの言葉の価値や意味が理解できてきますからいつも時間差があります。一緒に歩み一緒に生きていく関係があるということの仕合せはご縁の感謝であり、それは無二の幸福を与えてくれます。

人間にとっての出会いと別れは、ご縁に由ります。

私は私のままで、自分の道を歩み切ったと過去に感謝し未来に感謝し今に感謝できるように謙虚に歩みを強くして前へと進みだしていきたいと思います。

水は命の源

聴福庵の井戸を掘り進めていますが、ポンプで調査すると毎分200リットル以上の水が湧きあがって来るようになりました。膨大な量の水が流れ、まるで滝つぼから水が吹きあがってくるような井戸の様子に龍神様や水神様の気配を感じます。

昔から水は命の源といわれます。私たちの体の80%は水でできていますし、水を飲まなければ生きていくこともできません。動植物、ありとあらゆる地球上の生き物たちのいのちを見守っているのは水です。

この水は、単なるウォーターではなく日本ではお水といって「水」に「お」がつきます。これは「お湯」などもそうですが「お」がつくのはそこに精霊や何かの存在があると感じるからです。

朝一番に、もっとも清らかな一番水としてのお水を神饌として神棚にお供えし奉げるのもまたもっとも澄んだいのちの水の存在に「命の源」を感じるからです。

私たちが暮らしている地球の水のうち海水は、97.5パーセントあるといわれます。その中でも私たちが飲料水として使えるのはたったの2.5パーセントだということになります。しかも地下水であれば、井戸が必要ですしそれが飲料水に適していない水もあります。そう考えると飲料水として使える水は2.5パーセントよりかなり少ないことが分かります。人口が80億人を突破しそうな現代において、飲み水の不足というのは深刻な問題なのです。

今の時代は当たり前に水道水を捻れば水が出ると思われていますが、近い将来、必ず私たちは飲み水不足の課題に直面することになります。如何に水が命の源だったかを思い出したとしてもその時では遅いのです。私たちの先祖はその有難さを自分たちの体験をもって子孫へ伝えようとしてくださいました。それが水神様であり、龍神様なのです。

日本神話では、神産みにおいて伊邪那岐神が迦具土神を斬り殺した際に生まれたカミとして 『古事記』及び『日本書紀』の一書では、剣の柄に溜つた血から闇御津羽神(くらみつはのかみ)とともに闇龗神(くらおかみのかみ)が生まれ、『日本書紀』の一書では迦具土神を斬って生じた三柱の神のうちの一柱が高龗神(たかおかみのかみ)と記されています。

水の神様として有名なのは全国に約450社ある貴船神社の総本社で旧官幣中社です。本宮の神が高龗神(たかおかみのかみ)で、奥宮が闇龗神(くらおかみのかみ)とされていますが、闇龗神と高龗神は同一の神、または、対の神とされ、その総称が龗神(おかみのかみ)であるとされています。

この「オカミノカミ」は『古事記』では淤加美神と記し、『日本書紀』では龗神と表記されます。「龗(おかみ)」は「龍」の古語であり、龍は水や雨を司る神として信仰されてきました。また「ミヅハノメノカミ」とは『古事記』では弥都波能売神、『日本書紀』には罔象女神、水波能売命などとも表記され、灌漑用の水の神、井戸の神としても信仰され、祈雨、止雨のご神徳があると信じられ祀られてきたといいます。

命の源になっている水の存在は私たちにとっては神様そのものです。私たちが生きていける源が水ですからそれが穢れないように汚れないようにいつも澄ませていただきますという敬虔で謙虚な心が子孫が繁栄し悠久の年月安心して暮らしていける基本になっていたのでしょう。

今のように空気が汚れ、川や海が汚染され、いよいよ私たちは地球に住みにくくなってきました。消費経済、貨幣経済ばかりを追い求めているうちに命の源の存在も忘れそれすらもお金のために利用しようとする始末。果たして子孫のことを思うとき、今の世代の私たちのことをどのように思うのでしょうか。

子どものためにも、いのちの水を学び直し、井戸の甦生を通して暮らしと信仰を見つめ直してみたいと思います。

水神様

昨日は聴福庵の井戸堀りを一緒に手伝ってくださっている井戸掘り職人さんと井戸に入り手掘りで掘りこみました。もう井戸は約6メートル来ましたが、残り30センチで仕上げをするために手掘りを続けています。

ポンプで水をあげながら掘り進めるのですが井戸穴がかなり狭くほんの小さな隙間から砂利を上げていきます。井戸の水量が大変多いためポンプの容量がいっぱいでも水位があまり下がらず太腿まで水が浸かる中で掘るために全身びしょぬれになります。

また現在の砂利は赤っぽく、今までに見たことがないような色合いのものですが井戸職人さんにお話をお聴きするとこれは川砂利といって川の底にある砂利が出てきているそうです。もう相当な昔にあった川砂利が、地下水脈で浄化され綺麗に光っている様子に心が洗われる思いがしました。キラキラと輝く石たちは、地下に綺麗な水が流れ続けていることを証明しています。

この地下水脈の水は、自然の水ですから渇水時期には水位は下がり、水が豊富な時期には水位が上がります。なのでその上がり下がりがあっても水が溜まっているように渇水時期に合わせて掘り進めなければなりません。

自然や地球環境は、私たちが思っていないところで大きく地下でも変動しています。そう思えば、地球環境は上空や地上だけではなく常に密接に地下ともつながっていて自然の生物たちはその変化の中で順応して生きているとも言えます。

昔の人たちは、この地下水の存在を知っており、ここに冷たくきれいな水があることを知っていました。井戸から湧き出てくる水は、滾々と湧きあがり心身を澄ませてくれます。

人生の中で、水のカミに出会う機会は美しい滝や湧水、清流などで感じたことがありましたがこの地下から湧き出してくる水のカミとの出会いは人生ではじめての体験になりました。

太古の昔から、人々が地下の水神様とお祀りする意味が、今回の手掘りの井戸掘りではじめて理解することができました。

竈で火そのものを崇めるように、井戸で水そのものを崇め奉るということ。その火、水そのものの精霊の御蔭様で私たちは生かされていることを忘れないという感謝の心です。

地下水脈に流れる水によって禊をし、龍神様を感じて生きていくというのは私たちの先祖が代々大切にしてきた農的な暮らし方です。自然農の時も、一人で野に立ち最初の一鍬からはじまりましたが、今回の井戸も一人で水中に立ち最初の一掘りからはじまります。

人々の心の荒蕪を心田を耕すように、水田も掘っていこうと思います。

引き続き、初心を忘れずにあらゆる存在に感謝しながら精進していきたいと思います。

 

品を磨く

懐かしい道具には懐かしい品があります。この品は、そのものがどのように出来上がってきたものか、またどのように使われてきたか、そして長い年月を経てどのように変化してきたかというものが顕れてきます。

大量生産大量消費するものには品があまり感じられないのは、質が異なるからです。よく品質の良し悪しを観て品質を見定めるというものがありますが、質とは品であり、品が質のことですが品質とはつまりそのものが持っている本物の姿であるということです。

品という字は、そもそも品格や上品、気品といって最上のものを語られる言葉で使われます。つまりは品とは、そのものの価値であり、そのものの本質、そのものが顕現していることを品といいます。

これを人で例えば、その人がどのような心や精神の人物か、またどのような生き方をしてきたか、どのような信条を持っているか、どのような存在価値を持っているか、そこに品が顕現します。

古い道具は品があるのは、それは作り手や使い手が長い年月正直に磨き上げ、そして育て、さらには真心が伝承されてきているからに他なりません。人の心が入らず、工場で不自然に簡単便利に加工されたものはどうしても品が失われるのは道具本来の本質の価値が磨かれていないからです。

品を磨くというのは、ただ道具を磨けばいいのではなくその道具によって磨かれるということです。切磋琢磨とも言いますが、自分自身のガサツな性格を磨き直し、心を丁寧に入れて丹誠を籠めるような生き方を変えていけば品もまた備わっていきます。

品質や品格といったものは、大切に育てたいのちの醸し出す薫りのようなものですがその薫りが周囲を穏やかにし懐かしい気持ちにさせてくれます。

生き方の学び直しは本物の道具に触れることからです。

引き続き、本物にこだわり品質を高め恥ずかしくない品格を道具から学び直していきたいと思います。

和合

昨日は無事に聴福庵での天神祭の実施と勉強会を実践することができました。菅原道真公をお祀りし、場を整え、寺小屋にし学問とは何かについて話を深めていくことができました。

改めてご縁というものの不思議さ、そして初心の大切さを感じる機会になりました。

裏方では、みんなで力を合わせてお祭りの準備を行いました。最初はお祭りのおもてなしとはどのようなものをすればいいのかと悩みましたが、結局はご縁がつながって生まれた物語を辿っていただけでした。

例えば、地域の氏神様が天満神社だったから最初の勉強会と実践が菅原道真公の天神祭になったこと。そして菅原道真公といえば梅を愛したことで有名だったので、梅に纏わる道具や梅料理を用意することになったこと。その梅も太宰府天満宮に信心深い方からの紹介で素晴らしい梅をいただいたこと。その梅を、梅干しや梅酒にしたこと。さらに80年前の梅干しと出会い、その梅干しのみで炊き込みご飯を備長炭を用い竈で炊いたこと。その炊き込みご飯のお皿は神社でお社にかかっている竹を刈りその竹を割って削り創り、室礼もまた境内の参道にかかる紅葉などを用いて飾ることになったこと。ウェルカムドリンクもある染の老舗の方からお譲りいただいた年代ものの梅ジュースを出せたこと。お味噌汁は、地域の方々と一緒に創って発酵した味噌を使い、かつお節も物語ばかりでしたが、その本節を削り出汁を取ったこと。さらには恩師が別の講演会でタイミングよく福岡にお越しになっていたことなど、他にもご縁を辿ればキリがありませんが様々な組み合わせと物語によって出来上がったのです。

これらの偶然が重なりあって、奇跡のような天神祭を執り行うことができました。これらの御蔭様を思うとき、私たちは本当にありがたい貴重な体験をさせいただいたことに気づきます。

当日のお祭りの裏方は何をするのだろうかとわかりませんでしたが実施してみると、みんなで協力して助け合い、まるで昔の日本の寺小屋のように学び合い、ご飯を共に作り合い、食べ合い、片付け合い、手伝い合い、まさに「和合」した姿が随所に垣間見ることができました。

和合という言葉も、ようやく私の心にストンと落ち着いてこの体験が和合であったのかと日本文化の持つ、一緒に働くことの仕合せを懐かしく感じました。

恩師からは「自分の人生のゲストではなく、スタッフで生きていく」ということの大切さをも教えていただきました。これは単に主人公であることを言うだけではなく、みんなで能動的に和合する生き方、つまりは共生と貢献、利他に生きつつみんなで一緒に働きを活かし合って協力して生きていこうとする人類存続の智慧の言葉です。

この天神祭の体験から私は子どもたちに遺し譲りたいもの、人類の理想の形を発見することができました。この奇跡のようなご縁を活かし、世界に大切なことを伝えられるように実践と精進を重ねていきたいと思います。