水は命の源

聴福庵の井戸を掘り進めていますが、ポンプで調査すると毎分200リットル以上の水が湧きあがって来るようになりました。膨大な量の水が流れ、まるで滝つぼから水が吹きあがってくるような井戸の様子に龍神様や水神様の気配を感じます。

昔から水は命の源といわれます。私たちの体の80%は水でできていますし、水を飲まなければ生きていくこともできません。動植物、ありとあらゆる地球上の生き物たちのいのちを見守っているのは水です。

この水は、単なるウォーターではなく日本ではお水といって「水」に「お」がつきます。これは「お湯」などもそうですが「お」がつくのはそこに精霊や何かの存在があると感じるからです。

朝一番に、もっとも清らかな一番水としてのお水を神饌として神棚にお供えし奉げるのもまたもっとも澄んだいのちの水の存在に「命の源」を感じるからです。

私たちが暮らしている地球の水のうち海水は、97.5パーセントあるといわれます。その中でも私たちが飲料水として使えるのはたったの2.5パーセントだということになります。しかも地下水であれば、井戸が必要ですしそれが飲料水に適していない水もあります。そう考えると飲料水として使える水は2.5パーセントよりかなり少ないことが分かります。人口が80億人を突破しそうな現代において、飲み水の不足というのは深刻な問題なのです。

今の時代は当たり前に水道水を捻れば水が出ると思われていますが、近い将来、必ず私たちは飲み水不足の課題に直面することになります。如何に水が命の源だったかを思い出したとしてもその時では遅いのです。私たちの先祖はその有難さを自分たちの体験をもって子孫へ伝えようとしてくださいました。それが水神様であり、龍神様なのです。

日本神話では、神産みにおいて伊邪那岐神が迦具土神を斬り殺した際に生まれたカミとして 『古事記』及び『日本書紀』の一書では、剣の柄に溜つた血から闇御津羽神(くらみつはのかみ)とともに闇龗神(くらおかみのかみ)が生まれ、『日本書紀』の一書では迦具土神を斬って生じた三柱の神のうちの一柱が高龗神(たかおかみのかみ)と記されています。

水の神様として有名なのは全国に約450社ある貴船神社の総本社で旧官幣中社です。本宮の神が高龗神(たかおかみのかみ)で、奥宮が闇龗神(くらおかみのかみ)とされていますが、闇龗神と高龗神は同一の神、または、対の神とされ、その総称が龗神(おかみのかみ)であるとされています。

この「オカミノカミ」は『古事記』では淤加美神と記し、『日本書紀』では龗神と表記されます。「龗(おかみ)」は「龍」の古語であり、龍は水や雨を司る神として信仰されてきました。また「ミヅハノメノカミ」とは『古事記』では弥都波能売神、『日本書紀』には罔象女神、水波能売命などとも表記され、灌漑用の水の神、井戸の神としても信仰され、祈雨、止雨のご神徳があると信じられ祀られてきたといいます。

命の源になっている水の存在は私たちにとっては神様そのものです。私たちが生きていける源が水ですからそれが穢れないように汚れないようにいつも澄ませていただきますという敬虔で謙虚な心が子孫が繁栄し悠久の年月安心して暮らしていける基本になっていたのでしょう。

今のように空気が汚れ、川や海が汚染され、いよいよ私たちは地球に住みにくくなってきました。消費経済、貨幣経済ばかりを追い求めているうちに命の源の存在も忘れそれすらもお金のために利用しようとする始末。果たして子孫のことを思うとき、今の世代の私たちのことをどのように思うのでしょうか。

子どものためにも、いのちの水を学び直し、井戸の甦生を通して暮らしと信仰を見つめ直してみたいと思います。

水神様

昨日は聴福庵の井戸堀りを一緒に手伝ってくださっている井戸掘り職人さんと井戸に入り手掘りで掘りこみました。もう井戸は約6メートル来ましたが、残り30センチで仕上げをするために手掘りを続けています。

ポンプで水をあげながら掘り進めるのですが井戸穴がかなり狭くほんの小さな隙間から砂利を上げていきます。井戸の水量が大変多いためポンプの容量がいっぱいでも水位があまり下がらず太腿まで水が浸かる中で掘るために全身びしょぬれになります。

また現在の砂利は赤っぽく、今までに見たことがないような色合いのものですが井戸職人さんにお話をお聴きするとこれは川砂利といって川の底にある砂利が出てきているそうです。もう相当な昔にあった川砂利が、地下水脈で浄化され綺麗に光っている様子に心が洗われる思いがしました。キラキラと輝く石たちは、地下に綺麗な水が流れ続けていることを証明しています。

この地下水脈の水は、自然の水ですから渇水時期には水位は下がり、水が豊富な時期には水位が上がります。なのでその上がり下がりがあっても水が溜まっているように渇水時期に合わせて掘り進めなければなりません。

自然や地球環境は、私たちが思っていないところで大きく地下でも変動しています。そう思えば、地球環境は上空や地上だけではなく常に密接に地下ともつながっていて自然の生物たちはその変化の中で順応して生きているとも言えます。

昔の人たちは、この地下水の存在を知っており、ここに冷たくきれいな水があることを知っていました。井戸から湧き出てくる水は、滾々と湧きあがり心身を澄ませてくれます。

人生の中で、水のカミに出会う機会は美しい滝や湧水、清流などで感じたことがありましたがこの地下から湧き出してくる水のカミとの出会いは人生ではじめての体験になりました。

太古の昔から、人々が地下の水神様とお祀りする意味が、今回の手掘りの井戸掘りではじめて理解することができました。

竈で火そのものを崇めるように、井戸で水そのものを崇め奉るということ。その火、水そのものの精霊の御蔭様で私たちは生かされていることを忘れないという感謝の心です。

地下水脈に流れる水によって禊をし、龍神様を感じて生きていくというのは私たちの先祖が代々大切にしてきた農的な暮らし方です。自然農の時も、一人で野に立ち最初の一鍬からはじまりましたが、今回の井戸も一人で水中に立ち最初の一掘りからはじまります。

人々の心の荒蕪を心田を耕すように、水田も掘っていこうと思います。

引き続き、初心を忘れずにあらゆる存在に感謝しながら精進していきたいと思います。

 

品を磨く

懐かしい道具には懐かしい品があります。この品は、そのものがどのように出来上がってきたものか、またどのように使われてきたか、そして長い年月を経てどのように変化してきたかというものが顕れてきます。

大量生産大量消費するものには品があまり感じられないのは、質が異なるからです。よく品質の良し悪しを観て品質を見定めるというものがありますが、質とは品であり、品が質のことですが品質とはつまりそのものが持っている本物の姿であるということです。

品という字は、そもそも品格や上品、気品といって最上のものを語られる言葉で使われます。つまりは品とは、そのものの価値であり、そのものの本質、そのものが顕現していることを品といいます。

これを人で例えば、その人がどのような心や精神の人物か、またどのような生き方をしてきたか、どのような信条を持っているか、どのような存在価値を持っているか、そこに品が顕現します。

古い道具は品があるのは、それは作り手や使い手が長い年月正直に磨き上げ、そして育て、さらには真心が伝承されてきているからに他なりません。人の心が入らず、工場で不自然に簡単便利に加工されたものはどうしても品が失われるのは道具本来の本質の価値が磨かれていないからです。

品を磨くというのは、ただ道具を磨けばいいのではなくその道具によって磨かれるということです。切磋琢磨とも言いますが、自分自身のガサツな性格を磨き直し、心を丁寧に入れて丹誠を籠めるような生き方を変えていけば品もまた備わっていきます。

品質や品格といったものは、大切に育てたいのちの醸し出す薫りのようなものですがその薫りが周囲を穏やかにし懐かしい気持ちにさせてくれます。

生き方の学び直しは本物の道具に触れることからです。

引き続き、本物にこだわり品質を高め恥ずかしくない品格を道具から学び直していきたいと思います。

和合

昨日は無事に聴福庵での天神祭の実施と勉強会を実践することができました。菅原道真公をお祀りし、場を整え、寺小屋にし学問とは何かについて話を深めていくことができました。

改めてご縁というものの不思議さ、そして初心の大切さを感じる機会になりました。

裏方では、みんなで力を合わせてお祭りの準備を行いました。最初はお祭りのおもてなしとはどのようなものをすればいいのかと悩みましたが、結局はご縁がつながって生まれた物語を辿っていただけでした。

例えば、地域の氏神様が天満神社だったから最初の勉強会と実践が菅原道真公の天神祭になったこと。そして菅原道真公といえば梅を愛したことで有名だったので、梅に纏わる道具や梅料理を用意することになったこと。その梅も太宰府天満宮に信心深い方からの紹介で素晴らしい梅をいただいたこと。その梅を、梅干しや梅酒にしたこと。さらに80年前の梅干しと出会い、その梅干しのみで炊き込みご飯を備長炭を用い竈で炊いたこと。その炊き込みご飯のお皿は神社でお社にかかっている竹を刈りその竹を割って削り創り、室礼もまた境内の参道にかかる紅葉などを用いて飾ることになったこと。ウェルカムドリンクもある染の老舗の方からお譲りいただいた年代ものの梅ジュースを出せたこと。お味噌汁は、地域の方々と一緒に創って発酵した味噌を使い、かつお節も物語ばかりでしたが、その本節を削り出汁を取ったこと。さらには恩師が別の講演会でタイミングよく福岡にお越しになっていたことなど、他にもご縁を辿ればキリがありませんが様々な組み合わせと物語によって出来上がったのです。

これらの偶然が重なりあって、奇跡のような天神祭を執り行うことができました。これらの御蔭様を思うとき、私たちは本当にありがたい貴重な体験をさせいただいたことに気づきます。

当日のお祭りの裏方は何をするのだろうかとわかりませんでしたが実施してみると、みんなで協力して助け合い、まるで昔の日本の寺小屋のように学び合い、ご飯を共に作り合い、食べ合い、片付け合い、手伝い合い、まさに「和合」した姿が随所に垣間見ることができました。

和合という言葉も、ようやく私の心にストンと落ち着いてこの体験が和合であったのかと日本文化の持つ、一緒に働くことの仕合せを懐かしく感じました。

恩師からは「自分の人生のゲストではなく、スタッフで生きていく」ということの大切さをも教えていただきました。これは単に主人公であることを言うだけではなく、みんなで能動的に和合する生き方、つまりは共生と貢献、利他に生きつつみんなで一緒に働きを活かし合って協力して生きていこうとする人類存続の智慧の言葉です。

この天神祭の体験から私は子どもたちに遺し譲りたいもの、人類の理想の形を発見することができました。この奇跡のようなご縁を活かし、世界に大切なことを伝えられるように実践と精進を重ねていきたいと思います。

壁と共に生き続けるもの

昨日は、聴福庵のおくどさんのある厨房の壁の漆喰塗りを会社のクルーたちと一緒に行いました。左官職人の方のご指導のもと、みんなで鏝を持ち塗っていきましたが慣れない作業の中でも笑顔で楽しく味わい深い時間を過ごすことができました。

漆喰風のものが出回っている中で、材料を調合する過程からすべて見せていただき安心してこれが漆喰本来の姿であることを教えていただきさらに壁に愛着が湧きました。

かねてからみんなで一緒に塗った壁を眺めたいと念じていましたが、今朝がた早起きして陰翳の中で豊かに映りだされた模様や、個性があって味わいがある壁にうっとりとしました。

自然物の美しさというのは、マニュアルような技術でできるものではなく生きものそのもののいのちを扱いますから一つとして同じものはありません。画一化されて工業化してマニュアル化された近代においては、いつでもどこでも同じものができることを最良であるという価値観になっていますが、昔ながらの懐かしいプロセスの中には、お互いの信頼や尊重、そして一つ一つに刻まれたその瞬間の思い出や意味が籠められていきます。

こんなに豊かで楽しい時間を過ごしていたのかと、左官職人さんの感じている豊かさや仲間と一緒に生きていく歓びを改めて感じます。

また土をみんなで塗っていると、ある人から子どもが遊んでいるみたいと言われましたが本当に子ども心が湧いてきて夢中でみんなで塗ったのであっという間でした。終わった後の充実感も一入で、子どもはこうやって自然物を触り水と土といった融和したものを人生に取り込んでいたのかと大切なことを学び直した気がします。

みんなで一緒に楽しく塗った思い出は、壁と共に生き続けていきます。きっと京都や古民家で観てきた漆喰の壁も、その時代時代の左官たちがみんなで和気藹々と誇りと志を持って塗り込んだ壁だったのでしょう。だからこそ壁を眺めていると心が感応しいつまでも魂に響いていました。

今、ここで子どもたちのためにとクルーたちと一緒に志で取り組んだ壁もまたいつまでもこれからの世代の心に響くものになってほしいと願います。生き方の甦生は、日本人の大和魂の甦生です。

明日、いよいよ節目となる第一回目の天神祭の勉強会の実施です。

一つ一つをみんなと一緒に空間に宿し遺しながら、初志貫徹の第一歩を踏み出していこうと思います。

伝来の宝

いにしえより伝来したものに触れていると仕合せな心地がします。特に経年変化によって木が飴色になったものや、古鉄を磨いたときに出てくる深い黒色、それに土壁の中からにじみ出てくる錆び色、反物がしっとりと濃い蒼色になっている姿が美しく、心が落ち着いてきます。

色が変わっていくというのは、単に明暗が出たり強弱がついているのではなく暮らしそのものが出ているのです。

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」と松尾芭蕉はおくの細道で詠みましたが、まさにその境地を感じます。伝来ものというものは、まるで旅人のようにこの永遠の月日の中を彷徨いながら旅をします。そしてその時々にその時代の伴と出会い、一緒に過ごしながらまた色を深くしていきます。

薄明りの中で、しっとりと反射して映ろう古い伴は心の安息を与えてくれます。

私たちは本来、伝えるということと承るということを通してかつての親祖や先祖たちに出会い続けていきます。根からつながっていると実感することは、今の自分があることの仕合せを感じるものであり、そういうものと触れていたらいつも心が穏やかです。

わびさびは、その旅人の境地でありその旅を住処として永遠を漂うことは不幸ではなく無尽の幸福でもあります。

古いかつての仲間たちに囲まれながら、未来の子どもたちを見守り続けるというのは自分自身の心にも感応するものがあり、決して本質を見誤るなよ、決して安易に流されるなよとつかず離れずに見守ってくださっているかのようです。

懐かしいと感じる心は、日本人の心のことです。

この懐かしさこそ、伝来の宝であり私たちはその宝を子どもたちに譲っていく責任があると私は思います。引き続き、日本人としての生き方の甦生を実践しつつ脚下の実践を仲間たちと一期一会に味わい楽しんでいきたいと思います。

日本人の心と言葉

日本語には、深い意味があるものがたくさんあります。そのいくつは、外国語にも訳せないもので「モッタイナイ(MOTTAINAI)」とそのままの音で世界では認知されています。他にも「オモテナシ」や「ムスビ」、そして私たちが取り組んでいる「ミマモル」もまた古来からある外国語にそのまま訳すことができない素晴らしい日本語の一つです。

先ほどの「MOTTAINAI」は、日本では当たり前に「もったいない」と使われますがこれをアフリカで初のノーベル賞受賞者のワンガリー・マータイさんが日本に来た時に出会って感動しそのままの言葉で世界共通語としたのです。

具体的には『3R+R=MOTTAINAI』と表現され、意味は〇Reduce(ゴミ削減): Produce less waste.〇Reuse(再利用) : Use things over and over for a long time.〇Recycle(再資源化): Spread things around so they can be used repeatedly.の頭文字の3R。それと+して〇Respect(尊敬): Respect people who value the MOTTAINAI concept.が入っていると説明されます。

具体的には、農家さんがつくってくださったものに感謝し、お米一粒でも無駄にしないようにという心や、今まで助けてお世話になった古いパートナーだからこそその御恩を忘れずに粗末にしないようにしようといった日本人の元来持っている大切な感性のことを「尊敬」という言い方で整理したように思います。

日本語にはどれも、御蔭様や感謝の念が入ってその言葉が素晴らしい響きを持ちます。

現在ではこの素晴らしい日本語が消失してきています。日本人が日本語が分からないというのは、日本人が日本人の心が分からなくなっているということです。日本人の心を失った人たちが増えれば、それまでにあった日本人が使っていた古来からの素晴らしい言葉もまた同時に失われます。

日本人の心が美しい日本語を産出し、その美しい日本語が使える日本人が美しい心を持ったまま暮らしていたのでしょう。私の祖父母の時代は、その美しい言葉をたくさん会話の中で用いていた記憶があります。

それが失われてきている今だからこそ、敢えて古来からの日本の言葉にこだわる必要を私は感じます。「MIMAMORU」もまた、「信じきる」といった日本人の心が入っている言葉です。この言葉が世界共通になるとき、世界は今よりももっと子どもたちが創り出す未来に安心できるように思います。

引き続き子どもたちのために古民家甦生もそうですが言葉の甦生、日本の大和心、大和言葉の甦生にも取り組んでみたいと思います。

 

義の繋がり

天神祭の準備に向けて菅原道真公のことを深めていますが、残っている文献や資料からできる限り情報を集めてその功績や事績、そして和歌などからその人格や人柄を想像しています。

しかし歴史というものは、勝者の歴史といわれるようにその当時の権力者や政府が自分たちに都合の悪いところを消していきますから消されてしまうとほとんどが遺っていません。だから今の時代になって、改めて歴史を客観視して直視するとこれだけの偉大だと信仰されている人がなんの功績も出てこないのだろうかとしっくりこない人物もたくさんいます。

まさに菅原道真公はその代表でもあり、天神信仰をはじめ全国の天満宮に祀られ、学問の神様としてこれだけみんな崇敬しているのに和歌や遣唐使を廃止したことくらいしか遺っておらず、右大臣にまでなって政治を司り、その後の「延喜の治」と呼ばれるほどの治世の礎をつくり、国風文化の発祥の根源になったにもかかわらずその実の功績のところが歴史の表舞台に出てきません。

私が思うには、過去にこれだけの人々から1100年以上尊敬され今でも篤く信仰されている人物がちょっとしたことだけでそこまでになるとは思えません。菅原道真公も、その当時の人々のことを心から思いやり仁慈をもって接した立派な方でさらに大義を貫く生き方が美しくまるで神様のようだったからこそそのままに神格を持ったのではないかと思います。

実際にわかっているのは「昌泰の変」にて901年1月、左大臣藤原時平の讒言により醍醐天皇が右大臣菅原道真を大宰員外帥として大宰府へ左遷し、道真の子供や右近衛中将源善らを左遷または流罪にした事件があったということ。その後、権力を醍醐天皇と藤原時平が握ったこと、そしてそれから10年も経たずにまた宇多上皇と藤原忠平に権力が戻ったこと、そして菅原道真公の名誉を回復した流れになったことは書かれた通りであることが分かります。

ただしこれもまた勝者の歴史ですから、真実はどうだったのかとなるとそのまま鵜呑みにすることはできません。しかし菅原道真公が、どのような学問をし、何を愛し、どのような生き方をしたのかは、その遺した言葉や、その当時に関わりのあった弟子たちや同志たち、子孫たちによって語り継がれていきます。

これは幕末の吉田松陰のように、弟子たちが師がどのような人物であったか、弟子たちがその後、政治の中で如何に自分たちがその恩恵を受けたか、そして師の遺した文章にどれだけ励まされたか、そのようなものが信仰としていつまでも遺ります。

その当時、菅原道真公の学問の弟子たちが官僚の多くを絞め、道真公亡き後も志を持って政治に中ったように思います。だからこそその後に延喜の治と呼ばれるほどに平安文化が発展していったように思うのです。

菅原道真公をいつまでも信仰するのは、今の日本があるのはその当時に道をつけてくださった恩師のことをいつまでも忘れまいとする子孫たちの「義の繋がり」なのでしょう。

ただの学者ではなく、本物の学問を志した人物としての菅原道真公は実践を重んじた方です。だからこそ、その至誠が天に通じ、天神様となったのでしょう。まさに至誠の神様と呼ばれる由縁です。

私にとっても特別な存在になったこの天神様は、国家鎮守の風土と共に氏神様としていつまでも子どもたちを見守ってくださるように祈りを奉げていきたいと思います。

 

学び直し~刷り込みからの脱却~

幼いころから正解を求められて生きていると、正解思考の刷り込みを持つものです。正解思考とは、どこかに正解があると信じ込まされるということです。正解を知ることが目的になっていると、本来の意味やその価値よりも正解に囚われ正解を出すことが目的になります。

例えば、学校では教科書がありそこに書かれているものが正解だと信じ込まされます。すると正解を知ることが正しいことであり、正解が分かると褒められ評価してもらえます。発明王のエジソンが昔、1+1=2であると教師に教えられたとき1つの粘土と1つの粘土をくっつけて2ではないというと気ちがいだと罵られ退学させられた話があります。

正解かどうかよりも探求することや、なぜそうなるのかと実験をすることを目的にしてしまえば正解を持っている側からすれば厄介な人物になります。この正解思考とは、人工的に育てるときには重宝されます。特に優秀な生徒と褒められる人ほど、自分は先生の言うとおりに正しいことをしているのだから間違っていないと信じ込んでいるものです。

しかし本来の学問の面白さは自分は間違っているのではないかと正解を疑い正解までのプロセスの中で学ぶことが自分の成長の喜びや本質的な学びの味わいのように私は思います。AIなどいよいよ人工知能がでてきて、人間以上に暗記するだけでなくその知識を縦横無尽に大量のデータを構成して活用できるようになるからこそ人間本来の意味や智慧がまさに必要になってきます。

正解だけを植え付けられ、正解だけを求めてそこにたどり着くことを目的にすればできれば良し、できないところはなくせばいいというように常に優劣の思想に囚われます。そうなってしまえば、優秀か劣等かだけが物事の基準になり少しでも優秀であれば自分が救われると勘違いしてしまいます。

言われたことしかしなくなるリスクというのは、根底にこの正解思考の刷り込みがあるようにも思います。間違っていないと正解を信じ込むよりも、自分は間違っているのではないかと自分を疑うことが探求心の入り口であり成長の切っ掛けです。

学び直しというのは、知識の詰め込みでは得られないものです。何を間違っているのかと常識を疑い、何を思い込んでいるのかと刷り込みから脱却することで、物事の本質やありのままの真実が浮かび上がってくるものです。

あのエジソンや、世界の発明家たちは人工飼育することができなかったいわば障害だったのかもしれません。しかしその障害こそ特殊能力であり、天才と呼ばれる天から与えられた天性を死ぬまで維持できた自然野性人間だったとも言えます。

自然というものを壊すのは人工というものです。人工的に作られた自分で満足するのではなく、正解を超えて自然の未知に触れていこうとすることが新しい時代を歩む人類の生き方になるのではないかと私は思います。

刷り込みを取り払うためには「学び直し」が必要です。今までの人生の学び詰込みではなく文字通り「学び方を直す」のです。それは今までの学び方を捨てて、新しい学び方にすること。間違っていないと正解を信じる生き方をやめ、間違っているのではないかと自分を疑えということです。

思考停止して指示待ち人間で一生を終わることがないように、その人一人ひとりが自然体に自分らしくいられるように子どもたちには正解よりもプロセスを、そして優劣よりもそのことの意味を感じられるように素直に謙虚に学び直しを続けていきたいと思います。

 

お盆の発祥

昨日からお盆に向けて、いつも見守て下さるご先祖様を迎え入れる準備をはじめています。よくお掃除をしてお供え物や迎え火、送り火の準備、そのほか様々なことを整えてこの期間を心静かに過ごします。

そもそもこのお盆とは何か、少し深めてみようと思います。

お盆という行事が最初に日本で行われたのは推古天皇の時代、606年だといわれます。日本古来の祖霊信仰とインドから入ってきた仏教が和合し、このお盆という行事が私たちの暮らしに定着しました。

このお盆は旧盆というものがあり、旧暦の7月13日から4日間ほど行われていました。しかし、その時期はちょうど農繁期で忙しくそれを遅らせようと明治以降からこの8月13日からの4日間をお盆の期間としたそうです。なのでこの時期は、月遅れの盆といいます。先日参加した京都の祇園祭は、旧暦のお盆と同時期に行われていましたから明治以降に暦が変わり行事の時期も変化したのが改めてわかります。

本来、行事の日程というのは古来よりその日でなければ風土や気候、自然との関係が薄れることから簡単に日程の変更はしてはならないものなのですが現代ではその辺の日時も珍紛漢紛になっているものが多く意味も薄れていっているようにも思います。

ご先祖様が故郷に帰ってきてくださる時期をこちらの都合で遅らせてもらうというのも微妙な気もしますが、どちらにしてもご先祖様への感謝の行事として私たちはこの時期はご先祖様の存在を身近に感じることができるように思います。

もともと「お盆」という呼び名は、インドで発祥した仏教の経典を中国の竺法護が訳した『盂蘭盆経』に由来する「盂蘭盆」が省略された言葉です。その盂蘭盆経にはこう読まれます。

『釈迦様が祇園精舎におられたときに、目連が初めて六神通を得て亡き父母に何かできないかと思った。その霊視力をもって世間を探した所、亡き母を餓鬼たちの中にみつけた。飲食も取れず骨と皮で立っていた。目連は悲しみ、すぐ鉢に御飯を盛って母のもとへ持っていった。母は御飯を得て、左手で鉢を支え右手で御飯を食べようとしたが口に入れる前に炭に変ってしまい食べることはできない。目連は大いに泣き叫び、釈迦様の所に帰って、このことを報告した。

お釈迦様は言うことには、あなたはお母さんの罪は重かったようだ。あなた一人の力ではどうにもできない。あなたの孝順の声が天地を動かし天や地の神々、邪魔や外道・道士に四天王まで動かしてもどうにもならない。まさに十方の修行している僧の力が集まれば解脱することができるだろう。これから救済の方法を教えよう。それですべての苦しみや憂いも消えるだろう。

お釈迦様は目連にこう言った。十方の衆僧が、七月十五日、「僧自恣」の日、まさに七世の祖先から現在の父母まで、厄難中者のためにつぎの物をお供えしなさい。御飯、多くのおかずと果物、水入れ、香油、燭台、敷物、寝具。世の甘美を尽くして盆中に分け、十方の大徳・衆僧を供養しなさい。この日、全ての修行者は或いは山間にあって禅定し或いは四道を得、或いは木の下で歩き経を上げ、或いは六種の神通力で 声聞や縁覚を教化し、或いは十地の菩薩が大人になり、神になり比丘になって大衆の中にあるのも、みな同じ心で、この御飯を頂けば清浄戒を守って修行する人たちのその徳は大きいだろう。これらの供養を「僧自恣」の日に父母も先祖も親族も三途の苦しみを出ることができて時に応じて解脱し、衣食に困らない。まだ父母が生きている人は、百年の福楽が与えられるだろう。もう既に亡い時も七世の祖先まで天に生じ自在天に生まれ変わって天の華光に入り、たくさんの快楽を受けられるだろう。

その時お釈迦様は十方の衆僧に命じた。まず施主の家のために呪願して七世の祖先の幸せを祈り坐禅をして心を定めしかる後に御飯をたべよ。初めて御飯をたべる時はまずその家の霊前に座ってみんなで祈願をしてから御飯をたべなさい。その時目連や集まった修行者たち皆大いに法悦に包まれ目連の泣き声もいつしか消えていた。

目連尊者の母は、この日をもって気の遠くなるような長い餓鬼の苦しみから救われ得た。目連はまたお釈迦様に言った。将来の全ての仏弟子も私を生んでくれた父母は、仏法僧の功徳をこうむることができた。衆僧の威神力のお陰である。将来の全ての仏弟子もこの盂蘭盆を奉じて父母から七世の先祖までを救うことができる。そのように願って果たされるでしょうか。

お釈迦様は答えて言う。

いい質問だ。今私が言おうと思ってたことを聞いてくれた。善男子よ、もし僧、尼、国王、皇太子、大臣、補佐官、長官、多くの役人、多くの民衆が慈悲、孝行をしようとするなら皆まさに生んでくれた父母から七世の祖先までの為、七月十五日の仏歓喜の日、僧自恣の日において多くの飲食物を用意して盂蘭盆中に安じ十方の僧に施して、祈願してもらいなさい。現在の父母の寿命が伸びて病気も無く一切の苦悩やわずらいも無くまた七世までの祖先は餓鬼の苦しみから離れ天人の中に生まれて福楽が大いにある。

お釈迦様は善男善女たちに告げて言った。

この仏弟子で孝順なる者はまさに念念の中に常に父母を思い七世の父母までを供養しなさい。毎年七月十五日に常に孝順の慈をもって両親から七世の祖先までを思い盂蘭盆を用意して仏や僧に施して、父母の長養慈愛の恩に報いなさい。もし一切の仏弟子とならばまさにこの法を奉持しなさい。この時目連、男女の出家・在家はお釈迦様の話に歓喜し奉行した。』

このように仏陀の説いたものが盂蘭盆経の中に記されています。

どんな意味があってこのお盆という行事が生まれ、何が起点になっているのか、古来を深めるということは先祖につながるということです。

引き続き子どもたちのためにも、お盆の行事を学び直してご先祖様との邂逅を味わっていきたいと思います。