心に寄り添う

昨日、熊本にある多種複数の福祉施設を運営する法人の理事長との理念面談の中で「心に寄り添う」ことについて話を深める機会がありました。この「寄り添う」というのは、心に寄り添うことです。この寄り添うは見守ると似ていて、本人が自らの力で人生を生きていくことを信じるということでもあり、自立を支援するときの一つの境地であるとも言えます。

「寄り添う」というのを辞書でひくと、「ぴったりとそばに寄る」と書かれています。適切な距離感で相手と一緒に連れ添う、寄り添うという感じになります。いつも一緒にいる距離感、相手を信じて見守る距離感でいるということにもなります。

心に寄り添われれば、人は安心して自分自身の力を発揮して自立していけるようになります。分かってもらえる人がいる、隣でいつも見守ってくれている存在がいる、親心を感じることで人は挑戦する気持ちや困難に立ち向かおうとする勇気が出てくるものです。心に寄り添ってもらった経験はいつも今の自分を支えてくれます。

しかしこの心に寄り添うというのはとても難しいことで、自分の思い込みや先入観、自分の我を優先してしまう人にはできないものです。その人の立場になりきり、その人を自分だと思って思いやれるには自分自身の価値観や自分のバイアスをかけた色眼鏡でみてもそれは寄り添ったわけではないからです。

きっととか、だろうとかいった自分の考えを入れずに、心のままに相手に寄り添う。自我や私欲を無にして、相手そのものの心と一体になって心配するということでその時、相手が自分であり自分は相手であるという姿、相手を自分事にして共感しているときに心の寄り添いがはじまります。

つまり心に寄り添うというのは、頭で考えることではないということです。

自分の心に寄り添うときであっても、自分はこう思っているだろうとか、きっと自分はこれがしたいのだという推察で理解するのではなく、自分の心に素直になって自分の心と対話をするとき、心に寄り添ったという境地に入ります。つまりは私利私欲が我を通り抜けて自分の心の声に従うことで素直な自分になり心はピタリと自分と一緒一体になります。

相手の立場になって思いやるというのは、相手のことを思い込むのとは違いますから、まずは自分の心を近づけて心でその人そのものの存在を丸ごと認めて感じなければなりません。

私たちの実践する聴福人も、傾聴、共感、受容、感謝の順に心を近づけていきますがそれはまずその人そのものの心の声を聴くために取り組む実践徳目なのです。

心に寄り添うことは心の声を聴くことです。

引き続き、子どもたちのためにもいただいたご縁を活かして子どもの憧れる生き方を弘めていきたいと思います。

祇園祭と暮らし

この時期は全国各地で祇園祭が行われています。郷里の神社でも祇園祭がありますから、その準備として須佐神社のお社や境内を清掃してきました。この須佐神社の祭神は素戔嗚尊です。

そもそもこの祇園祭「祇園」とは古代インドの初期仏教の5つの精舎(寺院)の1つ「祇園精舎」が由来です。このインドの祇園精舎の守護神が牛頭天王で、日本では神仏習合により牛頭天王=素戔嗚尊となったといいます。

私の会社の近くにも、津島神社がありそこには素戔嗚尊が天王さんと呼ばれお祀りされています。

祇園祭りの縁起物としては粽(ちまき)があります。これは素戔嗚尊が旅の途中、貧しい蘇民将来の家で一晩温かなもてなしを受けたお礼に、その子孫を疫病から守る約束をし、目印として茅の輪を腰に着けさせたといいます。この「茅巻(ちまき)」が粽の由来といいます。玄関や門口に粽を飾り厄払いをするのもここからきています。

また他には、獅子舞があります。この獅子舞は、16世紀の初め、室町時代に伊勢の国で飢饉や疫病を追い払うため、お正月に獅子舞を舞ったのが始まりといわれています。そこからこの梅雨明けに五穀豊穣と飢饉や疫病退散、悪魔祓いとして獅子舞が氏子の家々をまわります。

この獅子舞が頭をかむのは、「獅子舞が噛み付くと神が付く」という縁起かつぎもあるそうですがその人についた邪気を獅子が食べてくれるということもあります。私も小さい頃に何度か噛み付かれたことがありますが、大きな獅子に頭を噛まれるドキドキ感は今でも思い出に残っています。

今では飽食の時代で、医療も発達し飢饉や疫病とはあまり縁がなくなりました。昔は、この梅雨の長雨で水害が起きたり、太陽を浴びれないことから病気になったり、精神的に辛くなったりしたこともあったかもしれません。

しかしそれをお祭りによってお祓いし、それぞれが楽しく豊かにこの時期をみんなで一緒に乗り越えていこうとする和の心があったのかもしれません。

京都では何度も戦乱に巻き込まれ一時祇園祭を中断することもあったそうです。しかしそれでも町衆たちが、苦しい中でもみんなで祇園祭を守り続けて山鉾も復活し、今では全国でも有数な大きな祭りとしてたくさんの人たちを京都に集めて一緒に豊かに祈念しています。

暮らしの甦生をしていますが、夏越しの祭りなどこの時季ならではの風物詩があります。そこに神様が深くかかわっておられ、改めて日本人の先祖たちがどのようにこの季節を過ごしてきたのかが垣間見れます。

引き続き、暮らしの甦生を楽しみながら子どもたちのためにも日本文化の甦生、日本的精神の復古創新に取り組んでいきたいと思います。

心の清掃

昨日、郷里の神社の境内の清掃と手水舎の洗浄を行う機会がありました。朝早くからクルーたちと一緒に掃除をしましたが綺麗に枯れ葉が片付いてもともとあった土が出てくる様子や、雑草を抜いて平らになった様子をみていたら心も洗われてきます。

そのほか、お社や狛犬、燈篭にいたるまで掃き掃除や拭き掃除をやっていくと清々しくそのものが光り始めます。

掃除の功徳というのはとても偉大で、実践していくと次第に心が整ってきます。最近は都会の社会で情緒不安定になったり、感情の浮き沈みが激しい人も増えてきていますが掃除を行うことでそういうこともまた治まってきます。

日本を美しくする会を主催する鍵山秀三郎氏は掃除の功徳についてこういいます。

1、自分の心が清められる
2、他人の心まで清めることができる
3、周囲の環境が活き活きしてくる
4、周囲の人の心も物事も整ってくる
5、死後、必ず天上に生を受ける

これはお釈迦様の言ったことを解釈されたそうですが、掃除をしているとまさにこれを実感します。掃除や清掃は心身を健やかにし、さらには自分自身の魂を磨くことができるように思います。

今、させていただいている古民家甦生もそうですが私にとってのおもてなしの基本は掃除です。来客がある際、何をもっともはじめに取り組むか、それを掃除にしています。

人は清浄な場に来ると、心が和みます。それはそのものたちが清掃することによって働き始めるからです。

例えば、清掃しながらどこが汚れているか、何がちらかっているか、そしてどこに配置するといいか、一つ一つを片付けながらそれが観えてきます。本来あるべきところに配置されたものはその場に和みます。そしてチリや埃をとって磨かれて光るものはその場で輝きます。さらには、整ったあとにそこを飾ることによって豊かさは増幅していきます。

あとは静かに穏やかな心でお客様をお迎えすればお互いに心豊かです。

このお互いに心豊かというものの中に一期一会の出会いが演出されるのです。

鍵山秀三郎氏は掃除道を通して境地を得ています。

「人間の心は、そう簡単に
磨けるものではありません。

ましてや、心を取り出して
磨くことなどということはできません。

心を磨くには、とりあえず、
目の前に見える物を
磨ききれいにすることです。

とくに、人のいやがる
トイレをきれいにすると、
心も美しくなる。

人は、いつも見ているものに
心も似てきます。」

そして掃除を実践する大切さについて説きます。

「一つや二つ拾ったってしょうがないじゃないか。という考えではなく、一つでも二つでも拾えば、それだけ世の中がきれいになる。そういう考えです。」

心が荒んで乱れているとき、心田を耕すには荒れたものを美しくしていくしかありません。衰退して乱れていく場所や、その生活を立て直し甦生にするには荒れた場所に一人入り、そこを開墾して人道が働き始める場所を創造しなければなりません。そのためには、大言壮語をいうことよりも必要なのは脚下の実践であろうと私は思います。

最後に、自戒を籠めて鍵山氏の言葉で締めくくります。

「足元のゴミひとつ拾えぬほどの人間に、何ができましょうか。」

理念を実践し、本業を成就させ、子どもの憧れるような社會を譲っていくためにも一つ一つを苦労しながら味わい楽しんで歩んでいきたいと思います。

徳の経営 ~日本的経営~

出光興産の出光佐三は、日本的経営を実践していた方です。和の精神を尊び、人間尊重を第一に本来の日本人であるとはどういうことかを生き方や生き様でやり通した方です。

ここにきて世界の中で如何に日本が役に立ち、日本人が如何に世界で自分たちの文化を背景に活躍していくか、一つの世界に向けて大事な局面を迎えているように思います。そういう時だからこそ、改めて私たちは日本とは何か、日本人とは何かということを考えなければなりません。

2011年6月20日に出光興産の100周年を迎えた際に、新聞広告に下記のようなメッセージが発信されました。

『「日本人にかえれ。」
これは、創業者出光 佐三のことばです。

日本人が古くから大切にしてきた和の精神・互譲互助の精神、自分たちの利益ばかりを追求するのではなく、世のため人のためにことを成す。
佐三の信念によって、出光はいまも、そうした日本人らしさを心に活動しています。

東日本大震災に襲われた日本に向け、海外から届いたたくさんの励ましの言葉。
その中にも、佐三が大切に考えていた日本人らしさを称賛するものがありました。
その数々の言葉によって、私たちは勇気づけられ、日本人であることの誇りをあらためて認識することができました。

一方で、震災を経たいま、本当のゆたかさとは何か、私たちは何を大切にして生きていくべきなのか、これからの日本人のあるべき姿はどのような姿か、一度ゆっくり立ち止まって、向き合う必要があるのではないでしょうか。

本日、出光は創業100周年を迎えました。
これからの100年、私たちに何ができるのか。
世界が日本に注目するいま、私たちはこれまでの歩みを振り返り、新たな一歩を踏み出し、次の100年の社会づくりに貢献する企業を目指してまいります。
私たちは、日本人のエネルギーを信じています。』

出光佐三は、逆境の中で苦しい時に資金面でも精神面でも支えてくれた人がいます。その人の名は、日田重太郎といいますが親族や家族の反対を押し切って出光佐三に全財産を預けて応援します。いよいよお金がなくなり困窮した時も、自分の家を売ればいい、やれるだけやりなさいと応援します。

資金提供の約束としては、一つは従業員を身内だと考え、良好な関係で付く合っていく事。そして一つは、自らの考えを最後まで曲げない事。最後は、日田が資金を提供した事を他人に言わない事。この3つだったといいます。

出光佐三は金儲けのために働いたのではないことは、「出光の仕事は金儲けにあらず、人間を作ること、経営の原点は「人間尊重」です。」という言葉や、「金や物や組織に引きずられちゃいかん。そういう奴を、僕は金の奴隷、物の奴隷、組織の奴隷と言うて攻撃しているんだ。」、「黄金の奴隷たるなかれ」という言葉に残っています。

この出光佐三の日本人的な気質、その人間尊重の和の生き方に惚れ込み、ここまでした日田重太郎氏もまた日本人の精神をもっていたのかもしれません。

最後に、出光佐三が亡くなるときに昭和天皇が和歌を詠みました。

「国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ」

国のために一心に真心を尽くして生きた出光佐三がいなくなることを寂しく思うというものです。

私もこの出光佐三に、深く共感しこのような方が郷里にいらしたことを誇らしく思います。同じ日本人として、和の心をどこまで高め磨き上げられるか。徳の経営ともいうこの日本的経営を子どもたちに譲れるように挑戦していきたいと思います。

 

和の経営

出光興産の創業者に、出光佐三がいます。昨年、海賊と呼ばれた男の映画のモデルとして登場しましたがその生き方に共感した方が多かったといいます。私の郷里の近く、宗像郡赤間出身で唐津街道の赤間宿に生家があり生涯を通して宗像大社への信仰がとても篤かったとしても知られています。

その経営理念は、「人間尊重」であり出光には「出勤簿が無い。労働組合がない、首切り、定年制がない」という「人間尊重の経営」をしていました。『人こそ事業の根本である』と主張し貫かれていました。一つの物語に、戦後に海外から1000人もの社員が引き上げてきた時も、彼は一人も首を切らなかったといいます。そして「1000人が乞食になるなら私もなる。」、「会社がいよいよ駄目になったら、みんなと一緒に乞食をするまでだ。」、「君たち、店員(従業員)を何と思っておるのか。店員と会社はひとつだ。家計が苦しいからと、家族を追い出すようなことができるか!」といいきって社員と共に会社を守り抜かれたといいます。

その出光佐三の経営者像は、まさに日本的精神であり本人も「私は日本人として生まれ、日本人として育てられ、そして日本人として経営をしている。」と言っています。

その根本に据えたのが人間尊重の理念です。

「人間社会は人間が支配している。その中で一番大きな働きをするのが、信頼と尊敬で結ばれた、真の和の人間集団の働きだ」

「事業を行うにはまず人材を養成しなければならない。人材はどうして養成するか。それは尊重すべき人間になれということである。自分から見て尊重すべき人間というのは,良心の強い,真の個人である。これらの人々がお互い尊重し合うところに,真の団結がある」

「独立不羈(どくりつふき)の精神の根本は、人間尊重であり、自己尊重であり、他人尊重である。」

和の人間集団や、お互いに尊重し合うところの真の団結といういい方もしました。お互いの違いを尊重し合い、そのうえで真の個人を打ち立てること。そして独立不羈の人格を磨くことを目指しました。この独立不羈とは、他からの束縛を全く受けないこと。他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うことをいいます。

つまりお互いを尊重し合いながら、自分自身を立てるという和の精神、人間を尊重し合う社會の実現を目指したのです。

郷里に生き方の先輩があることに誇らしく思え、またここから改めて学ばせてもらうことばかりです。その出光佐三が神社の甦生において遺した言葉があるのでご紹介します。

「私の育った町は特殊な土地柄で、宗像神社という有名な神社があった。私はその御神徳を受けたと考えている。私はいま神社の復興をやっているが、神というものを今の人はバカにしている。私どもにはバカにできない事実がたくさんある。私の会社は災害を一度も被っていない。理屈は色々つくかもしれないが、社員は神の御加護と信じているのだからしょうがない。また信じないわけにはいかないだろう。」

剛毅な印象がありますが、病弱で逆境が続く中で苦労をして感謝を忘れなかった人物像が観えてきます。古今の経営に通じる大切な生き方が、出光佐三の足跡から学べます。

引き続き、子どもたちのためにも一つ一つの出来事から学び直して深めていきたいと思います。

ねぎらう

人間は誰しも何らかのことで役に立ちたいと願うものです。たとえ苦労をしてもそれが役に立っていると思えば人はその苦労の甲斐があったと感じるものです。ねぎらうことやいたわることは、相手への感謝と思いやりでありそれができてはじめてお互いに助け合い協力を形にしていくことができるように思います。

この「ねぎらう(労う)」は、辞書によれば苦労や骨折りに感謝しいたわるとあります。またねぎらうというのは、働くという意味でもあります。働くことがねぎらうことであり、お互いの働きに感謝していくというのが本来のねぎらいです。

またねぎらうの語源は「ねぐ」であり、これは神を慰め、恵みを祈るという意味でもありました。

当たり前ではない存在に如何に感謝していくか、そこには「いつもありがとう」や「苦労をかけたね」とか「お疲れ様」とか、「助かります」とか、「無理しないでね」といった相手を思う思いやりが生きています。

それは目上から目下へなどのねぎらいではなく、お互いに当たり前ではない働きに感謝していこうとする思いやりの言葉をかけていくということです。

人は、労い感謝されればさらにやる気が出てきます。逆にどんなにやる気があっても、感謝されていないと思えばやる気は減退してしまいます。人間は感謝することによってお互いを活かしあい、感謝によってお互いの存在の価値を感じ合うのです。

どのような心で相手に接するか、親しい仲こそ日ごろの労を労い、感謝の言葉でお互いに伝え合うことが一緒に生きている証であり、共に苦労を分かち合い生きていく仕合せを味わうことのように思います。

言葉は、心を映す鏡ですから自分の使っている言葉が感謝になっているか、思いやりで満ちているかを常に反省し、日々を改善していきたいと思います。

教育のありがたさ

昨日、ある高校で一円対話を通して関わった高校生たちと一緒に一年間の振り返りを行いました。振り返りは動画を編集し、それぞれの生徒たちの写真と先生からのメッセージ、理事長からの感想などが入り一緒に見た場はとても豊かで幸せな時間でした。

私も高校1年生から一緒に関わる中で、自分たちの会社と同じようにそれぞれが主体的に働き持ち味を生かすような場や環境を醸成できるように関わってきましたがまるで自分の会社にいるかのような安心感と落ち着きがクラスの中にあります。

一人一人の人柄や人間性が保障され、いつもオープンに素のままでいられる環境の中でみんなとても素直に育っていきます。一人一人が認められ自分らしくいられ、自分のままでいいと感じられる空間は居心地がいいものです。

実際に教育の現場に関わる中で感じるのは、教育のありがたみです。昨日理事長と話をする中で印象に残ったのは「大人にとってはたった3年間でも、生徒にとってはこの3年間は一生の中で何よりも大切な3年間になるからこそ私たちは一緒にその時間を生徒と味わうことが必要なのです」と仰っていたことです。

大人になっていくにつれて、私たちはさらにいろいろなことを体験し自分が変わっていきます。私たちは思い出の積み重ねによって人生を作り上げていくのです。その時、この学校で学んだ期間や思い出がその後の人生にとても大きな影響を与えたことを実感します。あの頃の仲間との思い出や先生からの真心や愛情、周囲の大人たちの生き方や関わり、そして忘れられないような楽しい体験、そのすべては教育のありがたさであったと感じるのです。

この教育がありがたさを感じるのは、思い出を懐かしむ自分の心の中にこそ生きています。今回一年間を通して関わったクラスのように、他人の話をしっかり傾聴し、共感し、受容し、みんなで気づいたことから学び直し、味わい深い一期一会の時間を仲間や師友と共に過ごしていく中で私たちは道中の自分自身の思い出を築き上げていきます。その築き上げた思い出はその後のその人の人生を支え、その後の人生に自信と誇りを育てていきます。

一人一人がよりよく生きていくために「心の持ち方を共に学ぶ」ことは本来の学校の本質でもあり、学校が子どもたちの心の楽園になることで未来の社會もまた変わっていきます。どのような社會にしていきたいか、どのような思い出を残していきたいか、それはどのような教育を志していくかに懸かっています。そしてそれは日々の学校生活を通して培っていくのです。

自分たちの生き方や背中が子どもたちの心のそのままに反映していくからこそ、私たち大人はその生き方や生き様を磨き上げていくことを已めてはならないように思います。

今回は改めて教育のありがたさ、教育者の生き方を考え直すいい機会になりました。

引き続き、子どもの憧れる生き方働き方の理念を実践して子ども第一義の理念を優先していきたいと思います。

運のいい人

現在のパナソニックの創業者、松下幸之助氏は人を採用するときに運がいい人かどうかを基準にしていたといいます。「あなたは運がいい人ですか?」という質問で運が悪いと答えた人はどんなに優秀な人でも採用しなかったといいます。

それにはこだわりがあり、松下幸之助氏はこういいます。

「わしは運命が100%とは言っておらん。90%やと。実は、残りの10%が人間にとっては大切だということや。いわば、自分に与えられた人生を、自分なりに完成させるか、させないかという、大事な10%なんだということ。ほとんどは運命によって定められているけれど、肝心なところは、ひょっとしたら、人間に任せられているのではないか。」

この「運のいい人とはいったい何か」ということです。

人はどこで生れ落ちるかも性別もどのような姿で出てくるのかはわかりません。与えられた場所で与えられた役割を果たして地球の中の生命の一つとして循環していく存在ともいえます。

自分に与えていただいたものを選んでいる人というのは、自分を誰かとの比較によって運の良し悪しを判断していくものです。どんな天命があって何をするのかは自分ではきめられないのだからそこに不平不満を言っても仕方がないともいえます。

運が悪くなるというのは、自分の運に対して素直になれず不足ばかりを思うことで運を高めたり伸ばしたりすることができなくなります。実際に運を伸ばす人はどのような境遇にあったとしてもそこに幸せを感じて豊さを周囲に広げていくものです。

もしもそういう人が集まれば、自然界の豊かな生態系がイキイキと働くように幸運の楽園ができていきます。もしも不平不満ばかりを並べてはいつまでもないものばかりを数えてあるものを観ようとしなければ運が悪くなっていくものです。あるがままの生き物たちは生きる力があり元気があります。

天が与えてくれる機会やご縁に対して謙虚に「何を教えてくださっているのか?」と自分自身を見つめる人は運を伸ばしていくことができます。そしていつもその自分に与えられた運に感謝できる人は運を高めていくことができます。

運のいい人というのは、なんでも自分がやったとは思っていません。それは出来事は運に由って行われその運に対して学んでいく人であるから自他ともに運のいい人になるのです。だからこそ自分は運がいいと言える人は、どんなことからも学び成長して道に入り目的を成就させていくように思います。

そしてその運の要素として運を「待てるか待てないかは信じる力に由る」ように思います。その信じる力がある人は運のいい人であり、信じることができない人は運を活かせない人ということになります。運を伸ばし高め活かせる人、つまり運を信じて待てる人こそ運のいい人であり、きっと松下幸之助氏はこの運のままに生きた生き方を貫かれた人物だったのではないかと私は感じました。その運を待つためにする努力こそ、人間に与えられた精進ではないかと思います。

最後に松下幸之助氏のことばです。

「成功は自分の努力ではなく、運のおかげである」

運の御蔭であるといえる人生は幸福です。子どもたちのためにも引き続き運命に対して選ばない生き方を実践して信じる背中を見せていきたいと思います。

いのちの智慧

聴福庵の土壁の打ち合わせを伝統の左官職人さんたちと一緒に行いました。土壁の修理はこの古民家甦生はじまってからの念願であり、呼吸する家にとっては土壁の存在は欠かせないものです。

現在は、ほとんど化学合成のクロスやコンクリートなどで家の壁面を内装していますが風土や気候のことを考えれば高温多湿の日本では土、紙、木がなければ快適に過ごしていくことができません。

化学合成のクロスや石、プラスチックは水をはじくので常に乾燥させるために空調を運転させていなければなりません。そして密閉空間にして水が外から入ってこないようにしなければなりません。

先祖の建築における智慧はもともと快適かどうかもありますが、どれだけ永く持つ建物にするかということも大切になっています。数十年程度で腐食し倒れてしまうようなものを先祖は建てようとはしませんでした。子孫のことを考え、代々家がない暮らしをしなくていいようにと自分たちの代を真摯に発展させ次世代へと譲っていったように思います。

だからこそどのように生きるのか、何をするのか、そのようなことを家を中心に組み立てたように思います。

昔の家屋は確かに隙間風が入ってくるし、冬は寒いです。しかし冬には囲炉裏の火を囲み煤で家屋を燻製にして腐食を防ぎ家を生き永らえさせます。もしも燻すのをやめて空調にすれば燻されない家屋は傷んでいきます。そしてもっとも蒸し暑い夏には風を通すことで家を新鮮に保ちます。春はその煤や埃を落として水気が家屋に溜まらないように清潔にします。秋は、冬の準備に建具の入れ替えと合わせて掃除をします。

民家での暮らしで観えてきたのは、一年間の四季を通して日本家屋を維持する知恵にあふれているということです。その季節季節に暮らしを維持するのは、日本の気候風土に合わせて家を守っていく智慧であるということです。

今の家は人間の都合で建てる建物ばかりです。しかし先祖は、太陽や月を眺め自然の四季折々に暮らしにつながるように建てていました。それはいのち永らえる智慧、無病息災に生きる智慧、家や道具を長持ちさせるための智慧、豊かな人生を送るための智慧が凝縮されてあったのでしょう。

世界には多様な風土があるような多様な智慧があります、確かに西洋から入ってくる新しい技術や智慧もどれも目新しく感じられ感動するものです。しかし日本古来からのこの日本風土で醸成された智慧の偉大さはこの民家での暮らしによって改めて目覚める思いがします。

子どもたちに日本の伝統文化が伝承できるような場を引き続き醸成し、暮らしを見直していきたいと思います。

智慧の甦生

時間をかけてゆっくりじっくり少しずつやるというのは周囲への思いやりにもなっています。私は性格上、昔は勢いで一気にとやっていましたがその分、周囲の人たちにたくさんの迷惑をかけました。今でも、時には癖でそうなることもあるかもしれませんがそういうときこそ急いでいないか、焦ってはいないかと気を付けるようにしています。

自然の力を借りるとき、何よりも必要なのはこの「ゆっくり」ということです。そしてそれを受けてこちらは「じっくり」というものがいいように思います。英語ではスローだとか言われますが、これは私にとっては自然の流れに従い、自然の流れに沿うということです。

しかし実際には今は、タイムスケジュールで世の中は動いていて自然とはかけ離れたところで時間は流れています。そのせいか、すべての行動や時間が人間都合になってしまっていて誰かに合わせて日程を調整しなければならないためそれぞれに自分の時間を取り合っているようにも思います。

かつては自然の四季のめぐり、悠久の変化に合わせて人間側が合わせていましたから地域でのお祭りや行事、農事なども一緒になる機会が多かったように思います。これは人間に限らず、あらゆる草花や動物たち、昆虫たちとも自然のめぐりの中で出会って共に感謝の暮らしを味わってからのように感じます。

季節の室礼についても、室内に四季への感謝を取り入れることで人間都合の時間の流れに対して自然の流れを忘れまいとした先祖、もしくはそのころの懐かしさを味わい豊かな情緒を楽しんでいたのかもしれません。

梅雨になれば梅雨の情緒、花鳥風月の美しさが彩られていきます。それはすべてにおいて自然の流れの中で同時にいのちが時々の自然と調和していることを意味します。

私たちは今一度、人間だけが進めてしまっている時を見つめ直し、そして進みすぎてしまった文明を省みる時期に入っているようにも思います。日本は世界の役割の中で必要なのはこの自然と共生し暮らしていく智慧の甦生ではないかと私は感じます。

引き続き子どもたちのためにも、智慧の甦生につとめていきたいと思います。