和の経営

出光興産の創業者に、出光佐三がいます。昨年、海賊と呼ばれた男の映画のモデルとして登場しましたがその生き方に共感した方が多かったといいます。私の郷里の近く、宗像郡赤間出身で唐津街道の赤間宿に生家があり生涯を通して宗像大社への信仰がとても篤かったとしても知られています。

その経営理念は、「人間尊重」であり出光には「出勤簿が無い。労働組合がない、首切り、定年制がない」という「人間尊重の経営」をしていました。『人こそ事業の根本である』と主張し貫かれていました。一つの物語に、戦後に海外から1000人もの社員が引き上げてきた時も、彼は一人も首を切らなかったといいます。そして「1000人が乞食になるなら私もなる。」、「会社がいよいよ駄目になったら、みんなと一緒に乞食をするまでだ。」、「君たち、店員(従業員)を何と思っておるのか。店員と会社はひとつだ。家計が苦しいからと、家族を追い出すようなことができるか!」といいきって社員と共に会社を守り抜かれたといいます。

その出光佐三の経営者像は、まさに日本的精神であり本人も「私は日本人として生まれ、日本人として育てられ、そして日本人として経営をしている。」と言っています。

その根本に据えたのが人間尊重の理念です。

「人間社会は人間が支配している。その中で一番大きな働きをするのが、信頼と尊敬で結ばれた、真の和の人間集団の働きだ」

「事業を行うにはまず人材を養成しなければならない。人材はどうして養成するか。それは尊重すべき人間になれということである。自分から見て尊重すべき人間というのは,良心の強い,真の個人である。これらの人々がお互い尊重し合うところに,真の団結がある」

「独立不羈(どくりつふき)の精神の根本は、人間尊重であり、自己尊重であり、他人尊重である。」

和の人間集団や、お互いに尊重し合うところの真の団結といういい方もしました。お互いの違いを尊重し合い、そのうえで真の個人を打ち立てること。そして独立不羈の人格を磨くことを目指しました。この独立不羈とは、他からの束縛を全く受けないこと。他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うことをいいます。

つまりお互いを尊重し合いながら、自分自身を立てるという和の精神、人間を尊重し合う社會の実現を目指したのです。

郷里に生き方の先輩があることに誇らしく思え、またここから改めて学ばせてもらうことばかりです。その出光佐三が神社の甦生において遺した言葉があるのでご紹介します。

「私の育った町は特殊な土地柄で、宗像神社という有名な神社があった。私はその御神徳を受けたと考えている。私はいま神社の復興をやっているが、神というものを今の人はバカにしている。私どもにはバカにできない事実がたくさんある。私の会社は災害を一度も被っていない。理屈は色々つくかもしれないが、社員は神の御加護と信じているのだからしょうがない。また信じないわけにはいかないだろう。」

剛毅な印象がありますが、病弱で逆境が続く中で苦労をして感謝を忘れなかった人物像が観えてきます。古今の経営に通じる大切な生き方が、出光佐三の足跡から学べます。

引き続き、子どもたちのためにも一つ一つの出来事から学び直して深めていきたいと思います。

ねぎらう

人間は誰しも何らかのことで役に立ちたいと願うものです。たとえ苦労をしてもそれが役に立っていると思えば人はその苦労の甲斐があったと感じるものです。ねぎらうことやいたわることは、相手への感謝と思いやりでありそれができてはじめてお互いに助け合い協力を形にしていくことができるように思います。

この「ねぎらう(労う)」は、辞書によれば苦労や骨折りに感謝しいたわるとあります。またねぎらうというのは、働くという意味でもあります。働くことがねぎらうことであり、お互いの働きに感謝していくというのが本来のねぎらいです。

またねぎらうの語源は「ねぐ」であり、これは神を慰め、恵みを祈るという意味でもありました。

当たり前ではない存在に如何に感謝していくか、そこには「いつもありがとう」や「苦労をかけたね」とか「お疲れ様」とか、「助かります」とか、「無理しないでね」といった相手を思う思いやりが生きています。

それは目上から目下へなどのねぎらいではなく、お互いに当たり前ではない働きに感謝していこうとする思いやりの言葉をかけていくということです。

人は、労い感謝されればさらにやる気が出てきます。逆にどんなにやる気があっても、感謝されていないと思えばやる気は減退してしまいます。人間は感謝することによってお互いを活かしあい、感謝によってお互いの存在の価値を感じ合うのです。

どのような心で相手に接するか、親しい仲こそ日ごろの労を労い、感謝の言葉でお互いに伝え合うことが一緒に生きている証であり、共に苦労を分かち合い生きていく仕合せを味わうことのように思います。

言葉は、心を映す鏡ですから自分の使っている言葉が感謝になっているか、思いやりで満ちているかを常に反省し、日々を改善していきたいと思います。

教育のありがたさ

昨日、ある高校で一円対話を通して関わった高校生たちと一緒に一年間の振り返りを行いました。振り返りは動画を編集し、それぞれの生徒たちの写真と先生からのメッセージ、理事長からの感想などが入り一緒に見た場はとても豊かで幸せな時間でした。

私も高校1年生から一緒に関わる中で、自分たちの会社と同じようにそれぞれが主体的に働き持ち味を生かすような場や環境を醸成できるように関わってきましたがまるで自分の会社にいるかのような安心感と落ち着きがクラスの中にあります。

一人一人の人柄や人間性が保障され、いつもオープンに素のままでいられる環境の中でみんなとても素直に育っていきます。一人一人が認められ自分らしくいられ、自分のままでいいと感じられる空間は居心地がいいものです。

実際に教育の現場に関わる中で感じるのは、教育のありがたみです。昨日理事長と話をする中で印象に残ったのは「大人にとってはたった3年間でも、生徒にとってはこの3年間は一生の中で何よりも大切な3年間になるからこそ私たちは一緒にその時間を生徒と味わうことが必要なのです」と仰っていたことです。

大人になっていくにつれて、私たちはさらにいろいろなことを体験し自分が変わっていきます。私たちは思い出の積み重ねによって人生を作り上げていくのです。その時、この学校で学んだ期間や思い出がその後の人生にとても大きな影響を与えたことを実感します。あの頃の仲間との思い出や先生からの真心や愛情、周囲の大人たちの生き方や関わり、そして忘れられないような楽しい体験、そのすべては教育のありがたさであったと感じるのです。

この教育がありがたさを感じるのは、思い出を懐かしむ自分の心の中にこそ生きています。今回一年間を通して関わったクラスのように、他人の話をしっかり傾聴し、共感し、受容し、みんなで気づいたことから学び直し、味わい深い一期一会の時間を仲間や師友と共に過ごしていく中で私たちは道中の自分自身の思い出を築き上げていきます。その築き上げた思い出はその後のその人の人生を支え、その後の人生に自信と誇りを育てていきます。

一人一人がよりよく生きていくために「心の持ち方を共に学ぶ」ことは本来の学校の本質でもあり、学校が子どもたちの心の楽園になることで未来の社會もまた変わっていきます。どのような社會にしていきたいか、どのような思い出を残していきたいか、それはどのような教育を志していくかに懸かっています。そしてそれは日々の学校生活を通して培っていくのです。

自分たちの生き方や背中が子どもたちの心のそのままに反映していくからこそ、私たち大人はその生き方や生き様を磨き上げていくことを已めてはならないように思います。

今回は改めて教育のありがたさ、教育者の生き方を考え直すいい機会になりました。

引き続き、子どもの憧れる生き方働き方の理念を実践して子ども第一義の理念を優先していきたいと思います。

運のいい人

現在のパナソニックの創業者、松下幸之助氏は人を採用するときに運がいい人かどうかを基準にしていたといいます。「あなたは運がいい人ですか?」という質問で運が悪いと答えた人はどんなに優秀な人でも採用しなかったといいます。

それにはこだわりがあり、松下幸之助氏はこういいます。

「わしは運命が100%とは言っておらん。90%やと。実は、残りの10%が人間にとっては大切だということや。いわば、自分に与えられた人生を、自分なりに完成させるか、させないかという、大事な10%なんだということ。ほとんどは運命によって定められているけれど、肝心なところは、ひょっとしたら、人間に任せられているのではないか。」

この「運のいい人とはいったい何か」ということです。

人はどこで生れ落ちるかも性別もどのような姿で出てくるのかはわかりません。与えられた場所で与えられた役割を果たして地球の中の生命の一つとして循環していく存在ともいえます。

自分に与えていただいたものを選んでいる人というのは、自分を誰かとの比較によって運の良し悪しを判断していくものです。どんな天命があって何をするのかは自分ではきめられないのだからそこに不平不満を言っても仕方がないともいえます。

運が悪くなるというのは、自分の運に対して素直になれず不足ばかりを思うことで運を高めたり伸ばしたりすることができなくなります。実際に運を伸ばす人はどのような境遇にあったとしてもそこに幸せを感じて豊さを周囲に広げていくものです。

もしもそういう人が集まれば、自然界の豊かな生態系がイキイキと働くように幸運の楽園ができていきます。もしも不平不満ばかりを並べてはいつまでもないものばかりを数えてあるものを観ようとしなければ運が悪くなっていくものです。あるがままの生き物たちは生きる力があり元気があります。

天が与えてくれる機会やご縁に対して謙虚に「何を教えてくださっているのか?」と自分自身を見つめる人は運を伸ばしていくことができます。そしていつもその自分に与えられた運に感謝できる人は運を高めていくことができます。

運のいい人というのは、なんでも自分がやったとは思っていません。それは出来事は運に由って行われその運に対して学んでいく人であるから自他ともに運のいい人になるのです。だからこそ自分は運がいいと言える人は、どんなことからも学び成長して道に入り目的を成就させていくように思います。

そしてその運の要素として運を「待てるか待てないかは信じる力に由る」ように思います。その信じる力がある人は運のいい人であり、信じることができない人は運を活かせない人ということになります。運を伸ばし高め活かせる人、つまり運を信じて待てる人こそ運のいい人であり、きっと松下幸之助氏はこの運のままに生きた生き方を貫かれた人物だったのではないかと私は感じました。その運を待つためにする努力こそ、人間に与えられた精進ではないかと思います。

最後に松下幸之助氏のことばです。

「成功は自分の努力ではなく、運のおかげである」

運の御蔭であるといえる人生は幸福です。子どもたちのためにも引き続き運命に対して選ばない生き方を実践して信じる背中を見せていきたいと思います。

いのちの智慧

聴福庵の土壁の打ち合わせを伝統の左官職人さんたちと一緒に行いました。土壁の修理はこの古民家甦生はじまってからの念願であり、呼吸する家にとっては土壁の存在は欠かせないものです。

現在は、ほとんど化学合成のクロスやコンクリートなどで家の壁面を内装していますが風土や気候のことを考えれば高温多湿の日本では土、紙、木がなければ快適に過ごしていくことができません。

化学合成のクロスや石、プラスチックは水をはじくので常に乾燥させるために空調を運転させていなければなりません。そして密閉空間にして水が外から入ってこないようにしなければなりません。

先祖の建築における智慧はもともと快適かどうかもありますが、どれだけ永く持つ建物にするかということも大切になっています。数十年程度で腐食し倒れてしまうようなものを先祖は建てようとはしませんでした。子孫のことを考え、代々家がない暮らしをしなくていいようにと自分たちの代を真摯に発展させ次世代へと譲っていったように思います。

だからこそどのように生きるのか、何をするのか、そのようなことを家を中心に組み立てたように思います。

昔の家屋は確かに隙間風が入ってくるし、冬は寒いです。しかし冬には囲炉裏の火を囲み煤で家屋を燻製にして腐食を防ぎ家を生き永らえさせます。もしも燻すのをやめて空調にすれば燻されない家屋は傷んでいきます。そしてもっとも蒸し暑い夏には風を通すことで家を新鮮に保ちます。春はその煤や埃を落として水気が家屋に溜まらないように清潔にします。秋は、冬の準備に建具の入れ替えと合わせて掃除をします。

民家での暮らしで観えてきたのは、一年間の四季を通して日本家屋を維持する知恵にあふれているということです。その季節季節に暮らしを維持するのは、日本の気候風土に合わせて家を守っていく智慧であるということです。

今の家は人間の都合で建てる建物ばかりです。しかし先祖は、太陽や月を眺め自然の四季折々に暮らしにつながるように建てていました。それはいのち永らえる智慧、無病息災に生きる智慧、家や道具を長持ちさせるための智慧、豊かな人生を送るための智慧が凝縮されてあったのでしょう。

世界には多様な風土があるような多様な智慧があります、確かに西洋から入ってくる新しい技術や智慧もどれも目新しく感じられ感動するものです。しかし日本古来からのこの日本風土で醸成された智慧の偉大さはこの民家での暮らしによって改めて目覚める思いがします。

子どもたちに日本の伝統文化が伝承できるような場を引き続き醸成し、暮らしを見直していきたいと思います。

智慧の甦生

時間をかけてゆっくりじっくり少しずつやるというのは周囲への思いやりにもなっています。私は性格上、昔は勢いで一気にとやっていましたがその分、周囲の人たちにたくさんの迷惑をかけました。今でも、時には癖でそうなることもあるかもしれませんがそういうときこそ急いでいないか、焦ってはいないかと気を付けるようにしています。

自然の力を借りるとき、何よりも必要なのはこの「ゆっくり」ということです。そしてそれを受けてこちらは「じっくり」というものがいいように思います。英語ではスローだとか言われますが、これは私にとっては自然の流れに従い、自然の流れに沿うということです。

しかし実際には今は、タイムスケジュールで世の中は動いていて自然とはかけ離れたところで時間は流れています。そのせいか、すべての行動や時間が人間都合になってしまっていて誰かに合わせて日程を調整しなければならないためそれぞれに自分の時間を取り合っているようにも思います。

かつては自然の四季のめぐり、悠久の変化に合わせて人間側が合わせていましたから地域でのお祭りや行事、農事なども一緒になる機会が多かったように思います。これは人間に限らず、あらゆる草花や動物たち、昆虫たちとも自然のめぐりの中で出会って共に感謝の暮らしを味わってからのように感じます。

季節の室礼についても、室内に四季への感謝を取り入れることで人間都合の時間の流れに対して自然の流れを忘れまいとした先祖、もしくはそのころの懐かしさを味わい豊かな情緒を楽しんでいたのかもしれません。

梅雨になれば梅雨の情緒、花鳥風月の美しさが彩られていきます。それはすべてにおいて自然の流れの中で同時にいのちが時々の自然と調和していることを意味します。

私たちは今一度、人間だけが進めてしまっている時を見つめ直し、そして進みすぎてしまった文明を省みる時期に入っているようにも思います。日本は世界の役割の中で必要なのはこの自然と共生し暮らしていく智慧の甦生ではないかと私は感じます。

引き続き子どもたちのためにも、智慧の甦生につとめていきたいと思います。

継承の価値

聴福庵で用いるクルーの羽織を今に合わせてデザインするために福岡県八女市にある久留米絣の老舗、織元の下川織物を訪問するご縁がありました。久留米絣の開発者の井上伝のことは以前のブログで書きましたが、今回はその久留米絣を受け継ぐ下川織物の2代目当主の方にお話をお聴きし工場の見学をさせていただきました。

この下川織物の理念は、『創業者の下川富士男の言葉「百年続けて一人前 を実現すべく百年続く仕事に取り組む。 世界に誇れる織物の追求。 人と人とのつながりが百年企業を実現させる』というものです。その百年企業を実現するために重要なテーマにしているのが、「循環」と「鮮度」であるといいます。また従業員を大切にし、家族的経営を目指しているというところにも私たちと似ているところもあり大変共感しました。

現在では世界各国から毎週のように訪問客があるといいます。先日も、海外のデザイナーが一か月間ほど下川織物で用意したゲストハウスに滞在し協働で久留米絣を使って製作したものをパリコレクションに出展したといいます。

この久留米絣の魅力、日本の発酵による染めや反物の美しさに魅了された世界各国の最先端で活躍する技術者たちもまたこの日本の職人文化の技の秀逸さに驚かれるそうです。

今回のお話でとても印象的だったのは2代目当主の語られた「継承」のお話です。

『ここの工場では、TOYOTAの2代目社長が発明した織り機が用いられ日々に織り込まれています。その2代目社長は生前、いつかガソリンを使わない車、水で走るものを発明したいと仰っていたがそれが今では水素で走る自動車の実現まで辿り着いている。あの当時は夢物語でもそれを継ぐ人がいたから夢が実現したということ。またHONDAの創業者、本田宗一郎もいつか飛行機のエンジンを作りたいと夢があってそれを継ぐ人があったから遂にHONDAは飛行機を飛ばすことになった。夢の実現にとってもっとも大切なのはこの継いでいくということです。』

一代では叶わなかった大きな夢も、その夢を継ぐ人たちによっていつの日かその夢が実現していくという事実は私たちに大切なことを教えてくれます。

伝統というものは、何よりこの継承することによって力を発揮します。継いでいくというのは本来何を継いでいくのか、志を持つ人たちが道をつなぎ、志によってその糸は織り成していくということ。改めてこの継承するということの偉大さを教えていただいた気がしました。

志もまた同様に様々な経糸と横糸を結び合わせて一つの偉大な反物に仕上がります。それをどのように見立てて仕立てていくか、それはその価値を甦生する人たちのお役目でもあります。

古きを温め新しくデザインされた聴福庵の羽織を纏う日が来るのが楽しみです。引き続き子どもたちのためにも、私たちも循環と鮮度を磨き上げていきたいと思います。

和魂の系図~菅原道真公~

天神祭りに合わせて菅原道真公を深めていると、遺した足跡や和歌からその人柄の純粋さが観えてきます。今でも人々に敬慕され、信仰されるのはその純粋な生き方に共感するところがあるからかもしれません。

今では法律や常識、大多数の正義ばかりがマスコミで論じられ、視野の狭い価値観の固執による正義ばかりが取り立てられますが人々の心の奥にあるお天道様がみてくださっているという正義を菅原道真公の生き様の中に共感したのかもしれません。この正義は吉田松陰のいう大和魂のことです。日本人はみんなこの大和魂を心の根っこに持っています。

本来の正しいことは、誰かが決めた正しいではなく純粋に自分らしく生き切った純粋性の中に宿るように私は思います。純粋な真心や、純心の祈りの中には大義があります。その大義に生きる姿に人々は感動し、そういう人をいつまでも大切に語り継ぐのでしょう。

菅原道真は北野天満宮に「文道の大祖・風月の本主」と示されます。これは菅原道真公のことを「和魂漢才」といって日本人のままに中国からの文化を融和させ温故知新させた方だとするからです。異なる文化を学び、その異なる文化を和する力。それは自国の歴史と文化の誇りのままに他国の文化も受けいれていたということです。

これは今の時代においても西洋文化が流入していく中で、西洋になるのではなく和魂洋才を発揮することに似ています。この和魂は大和の心、つまりは日本古来の日本人の精神のままに異なる文化を融和して新しい日本の文化の一つにするという進化の業です。平易にいえば、才を正しいもの(誠)のために活用するということです。

菅原道真公はその根底の大和心によって日本の歴史の大事な局面において学問を究めそれまでの初心道統を継ぎ、才を政治利用などせず、誠を貫き、その当時の人々だけではなく日本人に誇りと自信を甦生させた人物だったのかもしれません。

異なる文化が入ってくることは勉強になりますが、当たり前になっている自分たちの文化を軽視しその価値を忘れてしまうことほど多様性は失われていき文化は衰退していきます。

自分たちの根底に流れる文化を見つめ直しその文化の価値を温故知新し甦生させ続けてこそ一つの世界の中で人類の一員としてのお役目を果たしていけるようにも思います。そう考えてみればなぜ幕末に松平春嶽が城下の寺子屋に菅原道真公を祀り学問を奨励したかが直観できます。日本人として何を守り何を変えるか、それを忘れることのないようにという誠の学問を奨励し、本質を間違わないようにと先人の智慧を活用したからかもしれません。

私も今、まさに世界のために、日本のために、子どもたちのために変えてはならないものと変えなければならないものを分別し、何を守り何を新しくするかに没頭しています。まさに人類が才(文明)によって滅びそうな現実を目の当たりにしたとしても、決して留めおかまじ大和魂の思いです。正義を貫く勇気が欲しいと願えば時空を超えて先祖と邂逅します。

この菅原道真公が今もずっと私たちを見守ってくださっていると背中で感じつつ、残りの人生を本業に努め、初心伝承に命を懸けて挑んでいきたいと思います。

新しい世界~日本の種火~

昨日、カグヤと臥竜塾生と一緒に合同で新しいプロジェクトのミーティングを行いました。オリンピックへ向けて、日本の文化を見直しそれを発信していくために私たちが誇りにしているものが何か、その原点について語り合いました。

現在は、単にパスポートが日本国だから日本に住んでいるから、遺伝子が日本だからなどが一般的に日本国民だという認識の人が多いといいます。しかし本質として自分は何をもって日本人であるのかと、もう一度深く省みるとき改めて日本ということ、日本民族ということを考え直すように思います。

日本の文化をどれくらい理解し、日本の先祖のことをどれくらい理解し、日本の暮らしを理解し、それを悟りどれくらい本物の日本人であるのか、今の生活をもう一度見つめてみて考え直すと自分自身が日本人としての自覚が薄いことに気づきます。だからこそ世界が一つになるとき、如何に自分たち日本人が偉大かということを自覚し悟れるかが、誇りと自信を持って世界とつながることのように私は思うのです。

そのためにも自分たちがもう一度、日本の文化を掘り起こし再発見しつつ今まで積み重ねて伝承されてきた日本文化を甦生し、体現し、それを世界へと発信していかなければならないように私は思います。

禅(ZEN)を世界に広めた仏教学者の鈴木大拙氏は、西洋と東洋を超えて世界の中での日本を示した先人の一人です。改めて、日本文化を伝え、異文化の融和によって一つになり助け合っていこうとする先人の功績は今も私たちを勇気づけます。鈴木大拙氏が禅を広めようとした動機、つまり初心です。

「西洋の方と比べてみるというと、どうしても、西洋にいいところは、いくらでもあると……いくらでもあって、日本はそいつを取り入れにゃならんが、日本は日本として、或いは東洋は東洋として、西洋に知らせなけりゃならんものがいくらでもあると、殊にそれは哲学・宗教の方面だ と、それをやらないかんというのが、今までのわしを動かした動機ですね」

西洋から学ぶだけではなく、世界の中の日本人として西洋にも伝えなければならないものがあるという信念は深く共感します。そして後を生きる日本人に対してこう言い遺します。

 「日本を世界のうちの1つのもの、としなければいかん。今、日本が、日本がと、やたらに言うようだが、日本というものは世界あっての日本で、日本は世界につつまれておるが、日本もまた世界をつつんでおるということ、これは、スペースや量の考えからは出てこない。そのように考えるためには1つの飛躍が必要とされる。その飛躍が大事なのだ」

この飛躍のことを、英語ではマインドセットといいます。今までにない新しい世界に突如現れる新しい常識、時間でいえばそれをティッピングポイントとも言いますがある時、ガラリと意識が飛躍するような大転換が必要というのです。

そしてこれが新しい世界に入るということです。

私たちは日本人になるには、世界の中の日本であり日本があるから世界があるという境地を体得しなければなりません。そのためにも自国の歴史や文化を学び直し、自分がどう世界の中の日本人として生きるかを決めなければなりません。

自信と誇りもまたそこから生まれ、それを子どもたちが受け継ぎこの先の未来で世界の中で平和をきっと創り出してくれると思います。大和民族とは何か、何をもって和の民と呼ばれたか、今一度、世界が大転換期であるからこそ私たちの役目や役割は大きいと私は信じています。

引き続きこのオリンピックを通して、その日本の種火を世界へと弘げていきたいと思います。

 

 

子どもたちを見守る神様~お天道様~

天神信仰を改めて調べていると菅原道真公の生前の姿が観えてきます。現在では菅原道真公のことを天神様と敬い、学問や誠実、慈悲や正直の神様として崇敬していますが平安時代以後は恐ろしい神様として祀られていたといいます。

歴史を紐解けばわかりますが、天皇に対して国家に対して忠義が篤く、誠実だった人が時の左大臣藤原時平の妬みと嫉妬によって乱暴に追放され酷い目に遭ったことを不誠実なことだと人々が思ったからではないかと私は思います。

正直で誠実だった人物に対して、不正直不誠実であることで如何に天のお怒りに触れるか、つまりは日本古来からある「お天道様がみている」という概念とつながっていたのではないかと思うのです。お天道様が見ているということに対して、やはり不正直や不誠実ではいけないと、死してなお人々に生き方を説いたのが菅原道真公の恩徳であったようにも思います。

上杉謙信や吉田松陰、大義に生きた人たちは死んだのち神社に祀られます。生前の徳が死後にはっきりと観えることで周囲がその人物を神格化するのですが、言い換えるのならそれを神格化する人々の中にその大義を感じる力があるわけで何が忠であり何が義であるかを理解しているから祀るということでもあります。

古来からある大事なものを大事に優先して生きた先人の遺徳に自分たちも同様に生き方を見つめようとしたことでいつまでも篤く崇敬されていきます。全国に天神系神社が1万2千社あるのは、このように誠実や正直、忠義に生きることが大切だと深く信じる生き方をしようとした人々があるという証拠でもあります。

その後、天神様が学問の神様としての信仰が広く浸透していくようになったのは江戸時代に入ってからだといいます。江戸時代の寺小屋の様子を記した文献には、子どもたちが机を並べる教室に必ず天神様が祀られてあったことが記されています。それに寺小屋へ入学する子どもを必ず両親たちが天神様に参拝するという風習もあったといいます。

そうして次第に天神様は学問の神様から「子どもたちを見守る神様」に変化していきます。

また天神様といえば有名な童謡「通りゃんせ」があります。この通りゃんせは江戸時代に創られたもので作詞者は不明になっています。歌詞はこうなっています。

「通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ」

この歌詞の中の「この子の七つのお祝いにお札と納めにまいります」とは当時は今と違って子どもが数え歳7歳まで無病息災で無事に生き残ることが稀だったことに加え、その7つの時期を終えると半人前の大人になると考えられていたため7歳までは神様の内、7歳までは天神様の守護の内ということになっていたからだといいます。

おそるおそるその年まで油断なく子どもを見守った親心や、天神様に大切に守ってもらっているというお天道様への畏れもまたあったのではないかと私は勝手に想像していますが語り継がれる童謡の中には人の生死のどうしてもどうにもならないことの無常さも入っているようで複雑な心境もあります。

しかしこのように天神様が子どもを見守ってくださる神様になり、今でもそのままに子どもたちが無事に学問の道を歩めるようにと祈り願う人たちの信仰によって篤く崇敬されて引き継がれているのは間違いありません。

「7つまでの子どもを見守る」という意味では、私たちの本志本業もまたこの天神信仰の本質と合致しています。保育の時期を見守りの中で過ごした子どもたちが信じる心を持ったまま大人の社會の中で自分らしくあるがままに自然体に生きて助け合い、幸せで平和であるようにと願う思いに保育の道を祈ります。

今年の聴福庵で天神祭が保育道を実践する子どもを見守る先生方と共にお祭りができることに深いご縁と仕合せを感じています。

引き続きいただいている機会を学びのチャンスにして初心伝承に取り組んでいきたいと思います。