水の徳

水というのは不思議なものです。現在、英彦山の宿坊の井戸を甦生していますがもう随分長い間使われていなかった井戸で最初は禍々しい感じがしていましたが井戸さらいを終え、綺麗に洗浄し、井戸の中をお手入れしたら出てくる水の気配が変わってきました。

どう変わったかというと、最初は硬い冷たさがあり生き物の気配が感じにくいものでした。それが井戸の甦生後は柔らかい水になり、ぬくもりをも感じる気配になっています。そこには確かに生命や生物の気配があり、水が優しくなっています。

こういうものは単なる感覚だといわれそうですが、水は感覚によって感じ方がまったく異なる性質のものです。同じ水といっても、水道水と山の湧水が異なります。飲んでみればすぐにわかりますし、肌に塗ってみてもすぐに違いが判ります。科学的にはミネラルの成分がとか、アルカリだとか酸性だとか調べられますがそれは感覚で感じる水とは別のものです。

水というのは、もともと流れるものです。流れているときにいのちの感覚が強くなり、止まっていると次第に眠っていきます。水をどのように扱うかは、その人の感性ですが水の不思議はいまだに解明されていないほどです。

私は、火と水をよく使い浄化を遊びます。例えば、火は炭火で弱く長く水に当てます。他には、石を使って蒸気にします。あるいは汲みたてや流れている最中の水を使って味わいます。どれもが澱んでいるものや、曇っているものを澄ませていく仕組みです。

水がよいというのは、それだけで私たちの人生にとても大きな影響を与えます。むかしの人は、水がよいところに好んで住んでいました。今のような景観や便利なところに住むのではなく、水で決めたのです。

私は有難いことにいつも水のよい場所に巡り会います。そういうところばかりに、住ませていただき水を大切に味わう暮らしをしています。この当たり前の水というものにどれくらい本気で気づいているか。ここに私はよりよく生きるためのヒントを感じています。

水が活き活きと流れ出す季節、水の徳に感謝して味わっていきたいと思います。

場を思い出す

昨日は、暮らしフルネスで自然農の体験をしたいという方がきて夏野菜の畑を一緒に取り組みました。はじめてこれから農的な暮らしをはじめるとのことで、何もしたことがなくてもやる気はとてもある方でした。

思い返せば、私も幼いころより祖父の手伝いで畑にはよく連れていかれましたが自分が本格的に野菜やお米をつくるようになったのはまだ十数年くらいなものです。しかも仕事をしながらの隙間時間でだったので、失敗も多く、思ったようにならないことばかりでした。

今では、野菜の性質をしり、土を理解し、風や水の通し、虫や動物への対策なども体験し自然に畑をつくり収穫をしています。しかも、どうやったら美味しく食べられるかも学び、自然農家のような暮らしができるようになりました。合わせて、今では山での暮らしもはじまりもう一歩前に進めて山での暮らしを体験しています。

みんなはじめは初心者です。誰が偉いとか、誰がすごいとかではなく、あのすごい人も偉い人もみんなはじめては初心者です。それを継続していくなかで、様々な失敗や成功を繰り返し実力が磨かれ結果としてできるようになります。

初心者だからダメではなく、いつかはできるようになる人のことを初心者というのです。私も現実的には、不可能と思えるようなことをたくさん体験してきました。特にはじめてやるときは現実に直面してたじろくこともありました。

しかしそれでも周囲に支えてくれる人や、見守ってくださる方が顕れ気が付くとできるようになっていました。こうやって人は、思いがあれば仲間が集まり伝承されることで継承されていくのです。

特に土を触ることや、野菜を育てることはもう何千年も前から私たちの先祖がはじめたことを私たちは今も取り組んでいることになります。できないはずはなく、忘れているだけです。

忘れているものを取り戻すことこそ、私は真にできることであろうと思います。問題は、どのように思い出すかということです。子どもたちのためにも、思い出すことが忘れないように場を調えていきたいと思います。

伐採の歴史

英彦山の宿坊で伐採を行っています。長年放置された木々は鬱蒼として、家に大量の枝がかかっています。日差しも入ってこず、風通しも悪くなるため行っています。実際には、高くなった木の伐採は神経を使いますし蔓の方が処理が大変です。絡みついている蔓は、切ったあともなかなかスムーズには取り外せません。特に高いところになればなおさらです。

通常の家屋であれば、高所用の車や道具が使えるのですが宿坊は岩がゴロゴロとしているうえに車が入っていきません。手動でやるしかないのですが、足場も悪く作業が進みません。それに高齢の枝垂れ桜があるので風の流れをあまり変えないように影響を与えそうな木は触らないようにしています。

自然の森林は、長い時間をかけて人間が暮らしていない森林に変わりましたがいよいよ住み始めるに至り、人間と共生していく森林になります。

そもそも日本人の木材の活用、伐採の歴史は縄文時代からわかっています。 竪穴式住居の柱、あるいは祭祀用の施設、小舟、狩りや料理の道具など木材は使われています。上手に、森林と共生して人間の暮らしを営んでいました。そのころは、今のように環境破壊もほとんど発生していなかったといわれます。森林の荒廃が分かっているのは、木材の加工技術が発展し大型建造物が誕生したころからです。田畑や居住地の開発によって森林は次々と伐採され676年には天武天皇から禁伐令を出すほどになりました。

それが戦後時代になるとさらに築城をはじめ、寺社仏閣、武家屋敷など建造物が増えていきます。人口増加と共に森林がさらに荒廃し、環境破壊が進み自然災害も増えていきます。それを江戸時代には、幕府と諸藩は積極的に森林の保全に取り組んだといいます。そして一時的に日本の森林資源は回復しました。

そして最も荒廃したのは明治中期だといわれます。

近代産業の発展により建築材や燃料が必要になり森林が一気に伐採されます。そして世界大戦のはじまりでと終わりの復興で木材を大量に使います。ここで政府は「拡大造林政策」を発令します。これは天然林を伐採し成長が早く経済価値の高いスギやヒノキなどの人工林に置き換える政策でした。そして昭和までこの流れは続きます。

ここで日本の原生林はほとんど失われ、国内の森の半分近くが人工林という状態になって今に至るのです。山のあちこちでは、スギやヒノキばかりで私も花粉症で大変ですがこれは明治の政策によって行わたことで発症したともいえます。

英彦山の奥地や裏にまわると今でも少し原生林が遺っています。とても穏やかでよく保水し、山も綺麗です。そこにヒノキや杉が乱立するとあっという間に周囲の雰囲気が鬱蒼としてきます。そして強風で倒れたり、鹿が杉皮なども食べるので腐ったりしていて放置すると危険です。

森に入ると、色々と自然環境が破壊されていく原因を感じます。

宿坊の木々を調えるなかで、子どもたちにも環境のことを伝承していきたいと思います。

参道甦生から学び直す

無事に仙人苦楽部と弁天様の参道を甦生することができました。毎回思いますが、気心がわかる方々と一緒に損得度外視で何かの汗をかく時間や心を調えて自らを磨く場ほど幸せなことはありません。

人間はむかし、何をして過ごしてきたのか。山には何をしにきたのか、懐かしい未来を体験することができました。もともと宿坊というのは、お篭り行の場所でもあります。これは動的修行ではなく静的修行であり、心に向き合い、暮らしと心を調えていく修行です。

まさに英彦山の山の霊気と場の力に癒され磨かれながら自己との対話をすることで、本来の生き方、在り方、心の持ち方を学び直せます。座禅との相性はぴったりで、山人合一の境地を体験できます。

また参道の甦生は、とても考えさせられることばかりでした。

最初に座禅でととのえ、弁天様の宗像神社に参拝をしてみんなで無事と奉仕を祈念します。上からみんなで落石などを気を付けながら作業をはじめていきます。もともとある参道は、土砂で埋もれていましたがお手入れをしていると土の中から次々と出てきました。永い期間、人が歩かなくなると道は失われることはわかっていましたが掘り起こすこともできることを知りました。

そしてどうしても水の流れなどで壊れてしまった場所は、別の道を創りなおします。直す人たちで新道づくりをしますが、それぞれに高齢者でも歩けるようにと歩幅を配慮しながらととのえます。道の甦生の最中には、火の鳥と呼ばれるアカショウビンの鳥の鳴き声が聴こえみんなで作業を止めて楽しみました。お昼は仲間がつくってくれた地元食材のみを使った精進料理、自家野菜などもたくさん差し入れしていただきました。伐採した木を足場にして、階段をつくっていきます。みんなで石を集めて、歩ける場所も調えていきます。そして参道が仕上がっていくと、みんなでその喜びや仕合せを味わいながら写真撮影をしてみんなで参道をあがって参拝をしたくなりました。夜には、甦生の象徴でもあるオオミズアオが宿坊の池に飛来してくれました。

不思議な体験ばかりの甦生でしたが、道がどのように甦生していくのかをみんなで深く味わった暮らしフルネスの二日間でした。

これから暮らしがますます整っていけば、道もまたさらに善いものに仕上がっていくと思います。ご縁と邂逅に感謝しています。次回は、夏至の時の鏡になりますがそれまでに場を整えていきたいと思います。

今を生きる

今の自分に発生していることを、ちょうどよかったと思えるというのは今を生きているということでもあります。人は今から離れると、よくないと思い込んだり、良すぎるのではないかと思ったりするものです。今がもっとも今の自分に相応しいと思う中にこそ、物事を活かすヒントがあるように私は思います。

では、なぜ思えないのか。それは自己との対話に問題があるように思います。過去のことを引きずって後悔し自分を責めていたり、未来に対する疑心や不安が入ってきたり、感情が心の眼を曇らせていくものです。本来、心の眼というものは素直であり、あるがままのことが観えるものです。そこに感情が入ってくると、見たくないものは避けようとするし、見たいものしか見ないという欲望が邪魔をしたりして真実が観えなくなります。

感情がピークに達すれば、脳が過剰反応してショートしてしまうものです。脳は、心と感情の調整をしていますからバランスを保てずに病んでしまうこともあります。本来、素直さというのは心と感情がどちらも今に集中するときに行われるように思います。

今、感じたことを心もあるがままに観ている。それがいいかわるいかなどではなく、あるがままにそのままに許される。そのようなとき、心も感情も健やかになります。もっとシンプルに言えば、体験することを素直に喜び味わう状態になっているということです。この喜び味わうというのは、感謝できる境地であるということです。

日々に感謝で生きる人は、今ここに素直に人生を味わっている人のように思います。しかしそれも簡単にはできることではないから、魂の修行、内省の実践を続けて、自己との調和を通して自己を磨いて修養していくということでしょう。

感情が嫌だといいながらも、心はやりたがっていたり、心は嫌だと思っても感情が先に動いていたり、好奇心というのはやっかいなものですがその好奇心があるから人は体験を優先していけるように思います。

時代が変わっても、人の本質は何も変わりません。AIが出てきても、人間は変わらないのです。変わらないからこそ、何が変わるのかを善く見つめ、今を大切に過ごしていきたいと思います。

憧れる生き方

子どもの憧れる社会の一つに、仕事観というものがあります。将来、自分は何をして生きていくか、それが自分の仕合せや喜びにどうつながっていくのかということをわくわくと取り組める社会のことです。

日本は、義務感や責任感が仕事をすることの基本として教えていてあまり楽しそうにしていたり、自由に働いていることを良いことのようには教えません。特に学校というところもハードな仕事で残業もなく、精神疾患などが増えているということもよくニュースで流れています。

本来、憧れる職業の上位にあったものが今ではハードワークの代名詞のようになり担い手も減り、子どもたちもその仕事を夢とはしなくなりました。子どもたちにキャリア教育を指導することも大切かもしれませんが、本来は自分たちがどれくらい豊かに幸せに楽しく働いているか、そんな環境を調えているかということに向き合う方が先ではないかと私は感じます。

そういう私も、日本の社会のなかで目立つとすぐに色々と厳しい指摘があります。どれも有難い言葉として受け取ってはいるものの、子どもたちのこの先の行く末のことを思うと本来はもっと寛容な部分があってもいいのではないかと思うのです。

みんな勇気を出して、人と異なることをしてでも世の中のお役に立ちたいと思っているものです。しかし何か新しいこと、理解できないことをやろうとするとすぐに否定されたり、クレームが入ってきたりします。もちろん、新しいことをやるには秩序が乱れることもありますがそれでも何のためにやるのか、その初心が何か、目的がどうなのかを聴いてみるとそれはこの先の未来に必要なことだったりすることがほとんどなのです。

そういう時は、文句を先に言うのではなくどのようなフォローができるだろうか、どのように見守れるだろうかというのが大人の対応ではないかと感じるのです。子どもたちが同じようなことを挑戦し、新しいことをして世の中や社会をよくしたいと夢に挑戦するとき、自分はどちらの大人でありたいか、どうせ無理だと諦めるように促すのか、それともやったことは必ず意味があるから、フォローしたりカバーするから挑戦してみようと励ますのか。私は、これからを生きる子どもちたちが理想の社会を築いていけるように見守りたいと思うのです。

人は自分が仕合せでなければ、人の仕合せを喜べません。まずは自分自身の幸福、仕合せを感謝で磨いて高めていかなければ他人の成功や成長を支援できないように思うのです。

だからこそ、このいま、この瞬間を大切に夢を生き、夢を味わい、苦労ができる有難さや挑戦させていただける喜びに感謝していくことからが子どもの見本になるように思います。

まず正しいことを教えるよりも、喜びを感じてもらうことの方が生き方は換わるものです。引き続き、子どもたちの未来のためにも自分の生き方で力になれるように精進していきたいと思います。

道をたずねる

日本のルーツを深めていると、縄文時代にたどり着きます。私たちはこの日本で先祖がどれくらい長く住んでいるのか、そしてどのような暮らしをしていたのか、それがどのように現代に結ばれているのかを知ることでルーツが辿れます。

信仰もいのりも、最初はどうだったのか。長い年月で、異国の宗教や信仰形態も混淆していきますが本来はどうやっていたのか。その原点や道のりを辿れば自分というものを形成しているものも感じ取ることができるように思います。

縄文時代はどのような時代だったのか、遺跡からわかっていることが増えてきています。土器なども深めていると、どのような食事をしたのか、また形からもその調理法や活用法なども見えてきます。遺跡からはどんぐりなどの木の実、貝類、あとは動物の骨が出てきています。

現代でも、一部の地域にはむかしから部族が文明にはかかわらずに暮らしているところがあります。そこでは、当然ながら電気や水道、車、便利な家電製品などもありません。今でも狩猟をしたり、木の実などを採取して独特な祭祀を行い暮らしています。

以前、ブログでピタハン族のことを書きましたが抽象概念がない意識で暮らしていたり、あるいは幸福という言葉を知らない、いつも幸福なので意識的にそういうものがない部族があったり、また戦争という言葉もない部族もあります。

彼らの意識は、私たちのような文明での常識が通じず、ごく自然に余計なものがそぎ落とされて存在しています。地球環境も守り、仕合せに助け合い喜びに生きるという単純なものですがそれが何千年も続いているのです。

現代の文明人類側の様相は、核戦争がはじまりそうな終末期で地球環境は公害によって悪化し、個人の争いや不信、またコンピューターによる新たな支配がはじまります。一体、何処に向かっているのか。意識はどのように変化しているのか、もはや彼らの部族たちのような意識を持つことすら難しくなっています。

しかしやはりこういう時こそ原点回帰して、自分たちの先祖やルーツはどのようにしていたのかと学び直すことが大切だと考えます。それは原始人になれという意味ではなく、今にも私たちが憧れた未来、理想の今が先人たちが築いてきたことの延長にあるはずなのでもう一度、見直して改善することはできるのです。

人は迷う生き物ですが、迷えばまた道をたずねて修正すればいいのです。どのようなところを修正するか、それは生き方を見つめて改善できるはずです。最先端のテクノロジーを使いこなすのもまた、それを活用できる徳や意識があってこそです。

子どもたちの未来に、よりよいものを伝承していきたいと思います。

 

木は語る

昨日は、守静坊がある谷に住む方々と一緒に英彦山にある宗像神社の春の清掃と御祈祷に参加してきました。この場所はむかしから地域の方々には弁天様として親しまれている場所です。印象的な巨石が横たわり、見事な景観と清々しい風が吹いてきます。

そして福岡県が昭和39年に指定した天然記念物の菩提樹があります。樹高は約17メートルほど、胸高周囲は1.5メートルほどです。

この菩提樹の菩提とはサンスクリット語のボーディ(bodhi)の音写で、仏の悟りを意味しています。一般的な植物名の木とは異なり、その名の通り「菩提樹=悟りの木」と呼ばれます。

この日本にある菩提樹は、インドにある菩提樹ではありません。厳密にいうと、釈迦が悟りを開いたときに坐ったのはインドボダイジュの下です。このインドボダイジュはクワ科イチジク属の熱帯植物になります。寒さに弱いなどの理由で当時の日本では育てられなかったため、葉の形の似た近縁の中国原産のシナノキ属の木が代用として各地の寺に植えられて菩提樹と呼ばれるようになったといわれています。

日本で菩提樹と呼ばれているアオイ科シナノキ属の木になります。もともとはこれは中国中部の原産で仏教の聖樹としてよく寺院に植えられる落葉高木でした。開花時期は、6月から7月です。昨日も、菩提樹の実がなっていて可愛らしく印象的でした。この菩提樹の実は念珠の材料としても使われています。

仏教に縁が深い木で、その来歴は12世紀半ばに臨済宗の開祖である栄西が、中国の天台山にあったボダイジュの種子を持ち帰ったことを起源とする説と、筑紫の国(福岡県)に渡来したものが全国に広がったとする説があるといいます。

私は後者を信じていて、もともと山苔国、日子山には中国から仏教が善正という人物が志と共に私伝で入ってきた場所ですし忍辱という日本ではじめての僧が誕生した地でもあります。

この場所に菩提樹があることは特に違和感はなく、その当時から人々の手を伝って仏道を歩む方々と共に日本各地へ弘がっていったように私は思います。

その天然記念物の菩提樹が、この場所にありそれが谷の人たちによって大切に祀られているということ。守静坊の枝垂れ桜と共にこの菩提樹はこの地域の宝だったようにも感じます。

木はモノを語ります。人間は政治や宗教、あらゆる時代の価値観や流行、権力や状況次第でどうにでも変わっていきます。しかし、木はいつの時代も変わらずにそこで静かに真実を見つめています。この古木たちは何を物語るのか。非科学的でおかしなことを言うと思われるかもしれませんが、木は語るのです。

この英彦山にある木々から、真実を直観し、本来の伝承を掘り起こしていきたいと思います。

太古の未来

私たちが集合意識の中で持っているものに「個」というものがあります。英語で言えば、「I」というものです。私ともいいます。個人主義という言い方もあります。現在は、自国ファーストといって自分の国のことだけを優先するという風潮になっていますがこれも個に偏重することによって行われているように思います。

太古のむかし、私たちはどれくらい個というものを意識したのだろうかと想像してみます。縄文時代、あるいはもっと前の時代。どう生きたのかと思いを張り巡らせてみます。

ひょっとしたら、個別の意識はなくみんなで一緒に生きているという感覚が強かったのではないかと思います。動物植物たちももちろん競い合って生きているように感じます。自然淘汰されるなかで、強いものが生き残ります。それを弱肉強食というような言い方もします。しかしよく考えてみると、この考え方も人間が勝手に集合意識の中で刷り込んだ思い込みの世界です。

本当に、自然界、あるいは動植物たちはそう思っているのか。

個を突き詰めると短命になるのではないか、そんなことを思うのです。今の経済のあり方や教育の仕方からすれば理屈では説明できない理解できないものかもしれません。しかしあまり個の意識がなかった時代は、果たして自分のためだけに財を独占しようとしたり、短絡的で短期的なリターンを求めたかなと感じるのです。

そもそもいのちは循環していて、みんなつながっていて分かれていないし個も存在していない、ただいのちの天命というか役割やお役目が存在しているということを達観的にみんな当たり前に意識するかのような自然観がある生き物たちは、そんなに自分がとか私がとかを優先していなかったようにも感じます。

現に、動植物たちも争ってはいるように人間が見えていても実際には形を変えた共生をしているとも言えます。みんな分け合いながら、助け合いながら生きているという見方もできます。つまりは、物事のとらえ方や意識を変えなければ太古の人たちの生き方を感じることはできないということです。

現代からすれば、太古の時代というのはちょっと理解し難いことばかりかもしれません。しかし、太古の人たちから現代を観たらもっと理解し難いことをしているようにも思います。

人間は一体、何がしたかったのか、その問いは終末期まで続くものです。

しかし何が仕合せかというのは、記憶の中にいつまでも残っているもののように思います。懐かしい記憶を辿りながら、真の豊かさや仕合せを子孫たちに伝承していきたいと思います。

シンクロの知恵

人は、仲間と一緒に協力するときにシンクロするものです。そのシンクロとは、一緒一体になっているということです。一つが全体になり、全体が人格を持つということでもあります。会社というものも同じく、一つの法人格というものを持っています。そこで働いている人たちが、どのような人物たちであるか。その会社の一人一人の人格が集まって会社というものの人格がにじみ出てくるものです。

いい会社というのは、文字通りいい人たちがいる会社です。そのいい人たちというのは、崇高な理念を持ち、日々に自己との対話と研鑽をし、ともに支えあい、助け合い、思いやりそれが会社の文化にまで昇華されている存在です。

そういう法人で働けるということは仕合せなことです。と同時に、シンクロしていくためにみんなで精進していく一人になるということでもあります。人間はそれぞれに持ち味がありますからその得意を伸ばし、短所を補い合いながら折り合いをつけていきます。

いつもある人だけが前線で活躍しているのではなく、縁の下の力持ちの存在もあってはじめてシンクロします。このシンクロという言葉は、シンクロとは英語 synchronize 同期する、タイミングをあわせる、同時に起こる」 に由来する語から来ています。

似た言葉には、阿吽の呼吸、以心伝心、共鳴、呼応などがあります。これは気持ちを合わせたり、心を通じ合わせたり、お互いに共感同感したり、よい組み合わせを合致させたり、協力しあうときに使われる言葉です。

スポーツでも、会社経営でも、人間が何かを誰かを集まって行うときにはこの協力が他力を引き出し、幸運を呼び寄せる知恵になります。太古のむかしから人類は、このような知恵を持ち、その知恵を活かしてきたからここまで生き延びてこれたように思います。

子どもたちが憧れる生き方、お手本になれるような取り組みは、日々の過ごし方、働き方から見つめていけるものです。引き続き、大切なものを優先し、いい会社に近づけていきたいと思います。