お山の知恵

英彦山の宿坊では先日の大雨被害から水回りのお手入れを続けています。都会の治水とは異なり、山の治水は思った通りにはいきません。毎回、水量が更新され水の流れも新しくなります。そのままにしておけば、水路ができたり道が遮断されたり土砂崩れになることもあり、土木作業が必要になります。

山で一人で土木作業というと想像するだけで大変なことがわかります。特に重機などを使わず、人力で行っていますから作業量の多さに立ち眩みするほどです。

しかしこの治水というのは、お山で暮らすためには必須の力であるように感じます。石を用い、水を治める。あちこちの宿坊跡地をみていても、如何に水を御するのか、そして土を管理するか、木々と石と風と水、それらを上手に総合的に組み合わせて場をととのえていたのがむかしの人たちの山での暮らし方だったのでしょう。

治水といえば、有名な人物に加藤清正がいます。むかし明治神宮の傍に住んでいたとき、よく加藤清正が掘った井戸にいくことがありました。水を上手に活かすことができる人物というのは、自然の道理や知恵に長けておりまさに自然の総合力を活かせる人物だったように思います。国を治めるのも、水を治めるのも道理は一つだったように思います。

その加藤清正に治水五則というものがあります。

一、水の流れを調べる時に、水面だけではなく底を流れる水がどうなっているか、とくに水の激しく当たる場所を入念に調べよ。

一、堤を築くとき、川に近いところに築いてはいけない。どんなに大きな堤を築いていても堤が切れて川下の人が迷惑をする。

一、川の塘や、新地の岸などに、外だけ大石を積み、中は小石ばかりという工事をすれば風波の際には必ず破れる。角石に深く心を注ぎ、どんな底部でも手を抜くな。

一、遊水の用意なく、川の水を速く流すことばかり考えると、水はあふれて大災害を被る。また川幅も定めるときには、潮の干満、風向きなどもよく調べよ。

一、普請の際には、川守りや年寄りの意見をよく聞け。若い者の意見は優れた着想のようにみえてもよく検討してからでなければ採用してはならぬ。

これは知恵の結晶です。何度も治水に取り掛かるうちに失敗したことを改善し、その改善したことを五則として再現可能なものに展開しています。誰でも失敗はしますが、それを善い失敗として何度も反芻するなかでそれを一つの法則にまで高めていく。

法則を持っていることで、後世の子孫たちが真に参考にでき知恵が活かされるという仕組みです。

英彦山ではもう山伏もいなくなり、治水を知っている人もほとんどなくなりました。今は故人の遺した石垣や治水の跡をよく観察し、どのような道理なのか、そして谷がどうなっているのかを洞察して治水を続けています。

お山の暮らしは学ぶことがいっぱいあります。子孫のためにも、お山での知恵が子孫へ伝承できるように改善し仕組みにしていきたいと思います。

本来の歴史

歴史のある場所を訪ねていると、つい何年前のものかということを意識して考えてしまいます。10年くらいならまだしも、100年、あるいは500年、1000年、もっと前の2000年前のことになると頭では考えられなくなります。特に古代のことになると、1万年や10万年などというとほとんど想像ができません。

自分の人生の時間軸で物事を量ろうとしても、それは量れません。例えば、重量計で載せられる範囲のものはわかっても載せれないほどの壮大なものであったなら私たちはそれを計算で量りますが実際の量は頭で計算した分であり感覚的にはピンとこないものです。

それだけこの世の中は、頭では量ることができない感覚的なもので存在しているのです。歴史も同じく、私たちは時間を量れません。そこに流れてきた経過、そして生き続けている今を量ることはできないからこそ感覚的に感じて近づいていくしかありません。

これは自然に近づいていくことにも似ています。宇宙を量るときもあの膨大で無限に存在する星々をどのように認識するでしょうか。教科書にあるような星座や銀河を想像してもあまりピンとはきません。吸い込まれるような大きな闇に感覚的に近づいていくとき、その無数の星々と一つになります。自分が星になり、星が自分になるかのような一体感があってこそその場に溶け込んでいくことができます。

分けている世界ではなく、分けていない世界に溶け込んでいくのは感覚を用いるものです。この感覚を研ぎ澄ませていくことは、目には見えないもの、また頭では量れないものを感受する仕組みです。

古代の人は、また数千年前、数百年を生きる歴史の人たちはこの感覚の世界に存在していて今も生きています。これを理解するのは、感覚で近づいていくことですがこれをすることが修行の本懐であるようにも私は思います。

子孫のためにも、甦生を続けて本来の歴史を感覚を研ぎ澄ませる仕組みをもって伝承していきたいと思います。

生き残る知恵

これだけの激しい気候変動が世界中で発生していると、その災害に直面した人々なら必ず何かに気づくものです。偶然にたまたま仕方がないと思うのか、それとも何か私たち人類は間違っていないかと思うのかではそのあとの行動が変わってきます。

謙虚さというものは、気づきからはじまるものです。何か間違っていないか、自分たちはこれでいいのかと反省するときに自然からのメッセージを受け取れるように思うのです。

現在、また大型の強い台風がこちらに向かっています。先月、英彦山では観測史上最大の雨量を体験して水がかつていないほど膨大に空に集まっているのを感じました。道はほとんど土砂崩れでまだ復旧していませんし、宿坊への道もところどころ陥没して今それを修復している最中です。

この水の量が増えた理由は、色々と科学者は理由を並べますが直感的には北極や南極の氷が溶けたことが発端ではないかと私は感じます。あれだけの氷が海や空に流れ込んだのだからその分、激しい水害が各地で発生するはずです。

地球はバランスを取りますから、熱くなれば冷えて、冷えればまた熱くなります。同時に、水の量が換わればそれにあわせて自転するリズムも循環する時間も変わってきます。

海流は変化し、風の流れも変わります。そうすれば地中の脈動やマグマなどの配置も変わっていきます。人間の身体のように、絶妙なバランスで健康を保っていますから変化するのは当たり前です。

人間はだからといって自然の前では無力ですから、謙虚にみんなで知恵を絞って対応していくしかありません。あまり自然を刺激しないように、自然の絶妙なバランスを壊さないようにと、本来は自然の一部として自然からいただける恩恵をみんなで分け合って永遠に生きる道を選択してきました。

今では、もっともっとと足りない方ばかりを追いかけて地球の資源を奪い合うなかでついに自然が黙っていない状態に入ってきたということでしょう。生き残りをかけて、地球のいのちたちもこれから真摯に適応していきます。どのような生き物たちが篩にかけられて生き残るのか。それは生き残るものたちから学ぶことが大切です。

何億年と続いてきた気候変動のなかで、生き残れているのは運のよさです。今も運のよい生き物たちが一緒に生き残っている存在ともいえます。では彼らは何が運がよいのか、もう一度よく観察していく必要を感じます。

引き続き自然も喜び、自他も喜び、先祖や子孫が喜ぶ生き方とは何か、その徳を学び直していきたいと思います。

場を磨く

自分らしさというものがあります。その人の持ち味ともいえるものです。その人の持ち味とは何か、それはその人にしかない味わいのことです。

例えば、私たちが飲んだり食べたりする素材があります。これはその素材の持つものを味わってみようと試みれば色々な味わいがあることがわかります。その味わい方は、いくつも方法があります。料理の方法やその飾り方、環境、あらゆる要素が味わいを深くしていきます。

その他にも味わい深さは、その素材が誕生してたどり着いたプロセスのようなものもあります。滋味あふれる深い味わいは、その素材の真の持ち味ともいえます。つまり、この真の持ち味こそ自分らしさの源泉というものです。

自分らしさを磨いていくには、天命を知る必要があります。他人軸ではなく、自分軸で生ききり、自分に与えられた唯一の道、つまり天命を生きるときその人にしかない深い味わいがにじみ出てきます。

これはその人にしかできないというもの、まさに天から与えられた唯一無二の人生を歩んでいるときその人らしさの持ち味が発揮されるものです。

そして本来、これは特別な人にしかないものではありません。誰もが持っているものです。これを私は徳とも呼びます。徳を磨いていくことで、その持ち味は発揮されます。そしてその徳が集合し、調和していのちが循環するところを私は「場」とも呼びます。

私は場道家を名乗り、場づくりを専門にしています。

持ち味を活かすための仕組み、自分らしくいられる環境づくり、それを頭でっかちに理解してお金にすることを仕事にするのではなく、まさに暮らしの中でそれを体得するという生き方を伝承しているのです。

暮らしフルネスの場に来る人たちはそれを感じることができます。

これから少しずつ、仲間を増やしていきますが気づいた人は訪れてほしいと思います。先祖に報いて子孫に徳をそのままに伝承していけるように場づくりを深く磨いていきたいと思います。

憧れ

暮らしを追及していると、生き方に出会います。生き方は暮らし方になっているからです。そして生き方を見つめていると死に方と向き合います。死に方は暮らし方の延長にあるからです。そして生き様というものが顕れ、死に様というものでその縁起を覚えます。

私が尊敬する人たちは、みんな生き様が見事な方でした。ここ10年で私が憧れた人たちが次々とお亡くなりになりました。ごく自然に、距離を持ち、そして静かに穏やかに逝かれました。

生きているときに常にこれが最期のような感覚をいただき、お別れするときは今世はもうお会いできないのではないかという寂しさがありました。そうしてまたお会いしたいと思ったときにまたタイミングがきてお会いすると、出会えた喜びに生まれ変わったような気がいつもしました。しかしもうお会いできないという状況になると、まるで深山の巨樹のようにまだそこに存在して見守ってくれているのではないかという気配があるものです。

ある方は、光のように、ある方は風のように、ある方は土のように逝かれました。生き方はそのまま死に方になり、生き様はそのままに死に様になりました。

これらはすべてその人の初心が顕現しているとも言えます。どのような初心を以って道を歩んでいくのか、その初心の余韻が場に薫ります。

私たちはその人になることはありません。しかしその人の歩んできた道を共にした経験によって歩き方も変わっていきます。振り返ってみたら、自分もまた歩き方がだいぶ変わってきました。歳をとり、若い時のように歩いていくことはできません。歳相応に歩いていきますが、気が付くと無理ばかりをしているようにも思います。

初心を忘れてはいけないと、歩き方を歩き様を振り返っては反省の日々です。

憧れた大人になるように、そして子どもたちの憧れるような大人になれるようにどう生きるか、どう死ぬか、そしてどう逝くかを見つめています。

盂蘭盆会の準備に入り、夏の風が吹いてくると日が強くなり死が身近に感じられます。日々の小さなことに感謝して前を向いて歩んでいきたいと思います。

伝承的な暮らし

歴史には、知識の方面と知恵の方面のものが二つあるものです。知識としての歴史は、過去にこうであったと切り取られたものです。しかし知恵としての歴史は、今もこうであると生き続けているものです。本来、歴史はその両面を持ち合わせていたものでしたが今は専門家や分類わけが進み知識の歴史の方ばかりが重視されるようになってきました。

例えば、私は暮らしフルネスの実践の中で先人たちが知恵で生み出した知恵の暮らしを伝承していますがそれを使うには自分の五感をはじめ、身近なむかしの知恵の道具たちとの協力が必要です。囲炉裏で何かをしようとすれば、囲炉裏に関わる道具たちと火を上手に調整するための道具たちで構成します。

生活文化の歴史の本では、江戸時代の生活様式と紹介されイラストと一緒にその様子が描かれています。知識としては知っていても、それを使ってくださいとなると簡単には使えません。なので、実際には日々の暮らしで実践してみるなかで知恵を習得し、そのうえで知識としてこれはどのような意味や価値があり創造されているものかを語るとき、先ほどの知識と知恵の両面を持ち合わせることができるのです。

つまり歴史というものも同様に、まずは実践を通して知恵を学び、そのうえで知識を得ることで真実の歴史を伝承していくことができるように私は思います。

私は現在、英彦山の宿坊での伝統的な暮らしを試行錯誤したり、郷里の観音霊場の甦生などに取り組んでいます。失われた伝統文化などを甦生するには、自分の足で自分の身体を使い時間をかけて感覚を優先して会得していくことからはじめます。それと同時に、文献や地域の人たちの口伝、あるいは似たような文化圏を歩いて辿っていきます。

すると、不思議ですがかつての場に遺っている余韻のようなものと和合してかつての暮らしが甦生していきます。これは単に暮らしを追及したのではなく、日本人の追及の上に醸成されたとも言えます。

私たちの本来の日本人の原型というものはどういうものだったのか。先人たちの知恵の結晶の中には、日本人が語られていることに気づきます。自然との共生や真心を持ち、水のような謙虚さや光のような純心さがあります。

親祖から連綿と続いているやまと魂に触れることはとても仕合せなものです。子どもたち、子孫にその仕合せが永続していけるように伝承的な暮らしに取り組んでいきたいと思います。

伝承革新

昨日は、福岡県にある秋月鎧揃え保存会のメンバーが英彦山の守静坊で合宿を行いました。合宿というのは今は多くの人が同じ宿舎で一定期間ともに生活して共同の練習や研修を行うことをいいますが本来は暮らしを通してお互いを見つめ合う一つの作法だったのかもしれません。

郷に入っては郷に従えということわざもあります。もともと何かを取り組むのには目的や初心というものがあります。それを確認するためには、その中に一本流れている筋道やルール、そして理念のようなものをどう理解するかが大切になります。

浅いところしかわかっていないのでは自由に動けば周囲への迷惑にもなります。深いところでお互いがよく理解しあい、規律と方向性を知ることはお互いを活かしあうためには大切です。

宿坊では、朝のお掃除の作務から歴史の勉強会、瞑想や座禅に加え、お昼には精進料理を食べ、振り返りを車座で行いお山の参道をのぼり休憩をして理念を唱和してお礼とお掃除と記念撮影をして終えるという具合でした。

当たり前のことをやっているようですが、私が司る場の中に入り、暮らしを体感するなかでそこに流れている生き方というものが加わり心身が調います。このような体験や気づきは、唯一無二でありその人の一生の思い出にもなります。

人は思い出があることで意識が変わることもあります。どのような思い出をお互いが持っているかは、一生において何よりもかけがえのないものです。

時代が変わりますが、歴史は終わることはなく今に生き続けているものです。その歴史を生きる人たちにとって思い出をさらに甦生させて歴史を刷新していくことは伝承する喜びに満ちています。

本来、歴史を生きるというのは単なる金銭を優先する観光イベントや文化交流ではありません。それは生き方をどう実践するかという、どう生きるかというという話です。

それぞれに人はどう生きるかというものに向き合っています。そこに尊敬する先人たちや今も心に共に生きる先達がいるというのはとてもありがたいことです。

守静坊は、歴史の今を生きる存在であり静的な修行をし続けている場です。これからも、本質を守り、静けさを保ち、本来の宿坊のままに生き続けて伝承革新していきたいと思います。

カビとの折り合い

長雨が続くと、古民家ではカビが発生してきます。カビといってもあらゆる種類のカビがあり、目に見えるものには青カビ、黒カビ、白カビ、赤カビ、緑カビといってそれぞれの場所にコロニーをつくって生存します。自然界の中には、いつも浮遊していて湿度や温度、栄養があればそこにコロニーをつくって大繁殖します。

これはシロアリなども同じで、エサが大量にあるとわかればそこに巣をつくり大繁殖していきます。シロアリも、湿気と温度と、栄養になる餌が揃えばやってきます。

逆にいえば、これらの湿気と温度と栄養のどれだかがなければそこにはコロニーをつくることはありません。それを考えて環境を調えていくしか、高温多湿の日本ではカビを抑制することはできません。

まず温度は20〜30度くらいがもっともカビが活発に活動するといわれます。なので梅雨から夏場がもっとも活動期になるということです。温度を下げるというのは、今では空調がありますが古民家では難しく私はこまめに拭き掃除をしたり柿渋や蜜蝋、あるいはヒバ油などを塗って対応しています。

また湿度は60%以上あると活発に動き始めます。除湿器もありますが隙間が多く、特に山にある宿坊は水気が多くてとても対応できません。風通しをよくするしかなく、窓を開けて湿度を下げる工夫がいります。

最後に栄養ですが、人の皮脂汚れやホコリ、ダニ、食べ物のカスなどなんでも栄養になります。湿気を吸い込む古い木材など栄養の塊です。

この3つの条件がすべて整うと、カビはすぐに繁殖して目に2日~3日で目に見えるところまで出てきます。また黒カビでも5〜10日ほどあれば出てきます。そうなってくると、掃除は3日に一度は続けないとコロニーをあちこちにつくられてしまう計算になります。

実際にはカビはいらないかといえばそうではなく自然界ではとても重要な役割を果たしています。カビが無機物を分解する御蔭で地球は循環していきます。アリやミミズのように分解してくれる御蔭で私たちもその恩恵が受けられます。それに麹カビやチーズを作るカビ、抗生物質のペニシリンなど人類には欠かせないカビもいます。とはいえ、カビは胞子を飛ばしアレルギーを誘発したり毒をもっているものがたくさんありますので折り合いをつけて生きていくしかありません。

むかしの人たちは全部排除するのではなく、やはりお手入れをしながらこの高温多湿の日本でうまく折り合いをつけてたのでしょう。むかしのことわざに梅干しにカビが生えると縁起が悪いというものがあります。これは本来、腐ったりカビが生えないものが家事を疎かにすることで生えてしまうといういわれもあるようです。

カビが生えないように意識することで、私たちは風通しや水の流れ、掃除などを実践することを忘れないようにしてくれているともいえます。

この時期は、特に気を付けて暮らしをととのえていきたいとおもいます。

近代の歴史

先日から郷里の千人詣りという八十八か所霊場を甦生していますが、残りはあと2つを残すところまで見つけることができました。色々な場所を歩いていると、日頃は気づきもしない場所にひっそりと観音様がお祀りされています。

しかし今でも、参道をお手入れしていたりお花が供養されていたりとお世話をして場を調えてくださっている方もおられました。反対に鬱蒼として、誰もお詣りされていないような場所もありました。

お堂があるものもあり、そのお堂にはかつての千人詣りのときの白黒写真が飾ってありました。もう70年も、80年も前の写真ですがその当時の方々がみんなで春と秋に詣でて祈りを捧げていたことに思いを馳せると今の私たちにつながっている生きた歴史を感じます。

過去にあった出来事というものは、今の自分を形成していることは誰でもわかります。私たちが今あるのは、過去にどのようなご縁に出会い、そこで何を学び、何に気づいて、生き方を修養してきたかで人格が醸成されています。同様に、自分の故郷が今どのようになっているのかを深く知るには過去にどのようなご縁で何をしてきて今こうなったのかを辿ってみると気づき直すものです。

特に近代の歴史は、あまり語り継がれることもなく伝承も疎かになっています。西洋文明を取り入れ、まったくことなる教育を受けて育ってきたからかこの近代の歴史はなかなか直視されないものです。

しかし少し離れて観察すると、今までの日本の歴史の中でもっとも伝統や伝承、生き方や暮らし方が換えられた時代です。少しずつ、取り入れて調和するというものではなくほぼ別のものに入れ替えるような改変が行われたのもこの近代の歴史の特徴です。

入れ替えられた歴史を学び直し、もう一度、今までで日本の風土や文化に適した調和し醸成されたものを甦生しようというのが私の試みでもあります。子どもたちのためにと先祖が紡いできたもの、遺してきた徳を甦生させようとしているのです。

徳は消えているようで消えていません。この八十八か所霊場のように探せば、祈りと共に現存しています。あとは、古民家と同じくお手入れをして甦生させるだけです。

先人の恩徳に感謝して、丁寧に進めていきたいと思います。

円空の生き方~修験僧の真心~

円空という人物がいます。この人物は、1632年7月15日に生まれ、1695年8月24日に亡くなられた江戸時代前期の修験僧(廻国僧)です。仏師・歌人でもあります。特に、各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで有名で一説には生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定されています。現在までに約5,300体以上の像が発見されているといいます。

円空は、20代の頃に白山信仰にはいります。これは山そのものをご神体として信仰する山岳信仰のことで、白山を水源とする流域を中心に信仰されていました。奈良時代の修験道の僧侶、泰澄(たいちょう)が白山に登頂して開山し、白山信仰は修験道として体系化されたものです。円空も同様に修験道の修行をしたとされています。この修験道とは、「山へ入って厳しい修行を行い、悟りを得ること」を目的とした日本古来の山岳信仰が仏教と結びついたものです。そのほかにも伊吹山太平寺で修行を積んだといわれます。その後、遊行僧として北海道から畿内に渡る範囲を行脚し大峯山で修行したことをはじめ、北海道の有珠山、飛騨の御嶽山、乗鞍岳、穂高岳などにも登拝したとあります。

円空は「造仏聖」(ぞうぶつひじり)と呼ばれました。これは寺を持たず、放浪しながら仏の像を作る遊行僧のことをいい、幕府からは下賤とされていたといいます。しかし一部の貴族や上流階級しかお寺を拝み恩恵が得られなかった時代、庶民や田舎の農民たちには信仰は近づけません。だからこそ、そこに仏像を彫り与えて救いを共に求めたのかもしれません。

円空が出家したのは、母が洪水によって亡くなったことが切っ掛けだったといいます。最後は、その土地に還り64歳の時に断食を行い母が眠る地で即身仏となって入定したといいます。

どのような思いで仏像を彫りこんだのか、これはきっとお母さんの供養からはじまったことです。修行するうちに『法華経』に書かれた女人往生によって母の成仏を確信してこの法の素晴らしさを広めるために仏像を彫る決意をしたという説もあります。しかしこれは本人ではありませんから推察でしかありません、しかし一生涯に12万体以上彫り込むというのは、よほどの強い思いがあってのことです。

多くの人々を救いたい、その一心で彫り込んだからこそこの数になっているのを感じます。

この時代の世の中の人日が造物聖を差別したというのはとても信じられないことですが信念をもって歩き彫り込んで、自らのいのちを削り彫り込み信仰を全うしたことがわかります。そもそも修験道とは何なのか、そして本来のお山の信仰とは何か、この円空から学び直すことばかりです。

お山に入り、木のいのちや徳性を見極め、それを観立てて仏様の依り代にし祈りをもって造形していく。苦しみが救われ、慈悲を伝道していく中にいのちを全うするという生き方。今でも円空仏に心が惹かれるのは、その生き方が仏像に刻まれているからかもしれません。

悩み苦しみには観音菩薩を、病気には不動明王を、災害や雨ごいには龍王を、そして安らかな死には阿弥陀如来を彫っては依り代にしたのでしょう。

時代が変わっても人々の持つ業は失われることはありません。今はさらに効率化や自利欲や金銭が優先する世の中になり不安や不幸も増えている様相です。この時代の円空は誰か、そして円空仏は何処にあるのか。

私なりのその道を辿り継承してみたいと思います。