微生物から学び直す

私たち人間は微生物でできていますがこの微生物はまだまだ未知の存在です。宇宙空間の過酷な環境で数年間生き延びている微生物もいれば、極限環境微生物といって強烈な酸性、放射能、高熱高温、あらゆる極限環境でも生存しているのです。人間であれば、即死するような環境であっても微生物は生き延びていきます。

もともと私たちの生命はどこからやってきたのか、突然湧いたという説もありますがどこからの宇宙から飛来してきたという説もあります。これをパンスペルミア説(パンスペルミアせつ、panspermia)ともいいます。これはウィキペディアによると「生命の起源に関する仮説のひとつである。生命は宇宙に広く多く存在し、地球の生命の起源は地球ではなく他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達したものとする説である。「胚種広布説」とも邦訳される 。またギリシャ語で「種をまく」という意味がある。」とあります。

キノコのコロニーのように、小さな微生物たちが集まり形をつくり胞子を撒いて拡散していく。この仕組みで宇宙空間を漂い、あらゆる星々の間を移動しながら自分たちに相応しい生命環境の中で独自の進化を遂げていくというものです。

先日もカビのことを書きましたが、私たちの生活空間には常にカビや微生物が漂っていて根付けるところに定着してそこでコロニーをつくり育ち拡散していきます。同様に、宇宙でも一部は仮死状態になりながら漂い、また最適な環境下にうまく漂い定着できることができればそこで生命活動を活発にさせていくのです。

人間の体内は微生物でできていますし、小腸をはじめあらゆるところで私たちは微生物と感情などを調和していますから微生物が私たちの根源ということも直観することができます。

その微生物たちは私たちの知らない宇宙を知っていて、遠く離れた星からあらゆる銀河を漂い星々に散らばってやってくると思うと何ともいえない不思議なロマンを感じます。

このあらゆる極限状態でも生きられるとするならば、そこでコロニーをつくり定着したものが宇宙人ということも予想もできます。例えば、酸素のない環境下でも生きられる進化を遂げる私達みたいなヒト型のものもあるかもしれません。あるいは、苔や植物のような形で進化したものもあるかもしれません。地球のように水が豊富な環境ができれば、星々はひょっとしたら地球型の微生物群が増えていくこともあるかもしれません。

そんなことを考えていたら、私たちのルーツはどこからやってきたのか。そして多様性は何を根源に今に至るのか、そして進化とはいったい何かということも仮説を立てることができるように思います。

科学が進めば進むほど、宇宙の偉大さ、その設計の美しさ、素晴らしさに魅了されていきます。一緒に生きる存在、共に一つである生命は微生物たちから学び直せます。

子どもたちのためにも微生物の存在に目を向けて、微生物から学ぶ姿勢を忘れないようにしていきたいと思います。

根源は免疫、原点回帰

私たちの身体には、免疫というものがあります。これは病原体・ウイルス・細菌などの異物が体に入り込んだ時にそれを発見し体から取り除いてくれるという仕組みのことです。そしてこの免疫には自然免疫と獲得免疫というものがあります。

まず自然免疫は、生まれつき体内に備わっている免疫の仕組みで元々古来から存在する機能です。これは発見した異物を排除する仕組みです。有名なものに好中球と、NK細胞、マクロファージがあります。このどれも、外部からのものをキャッチして食べて無効化していきます。

そしてもう一つの獲得免疫は、人生で病原体と接触した際に再び感染しても発病しないようにする仕組みのことです。この獲得免疫は、侵入した異物を排除するだけでなく記憶細胞という特殊な機能をもつ細胞に変化し記憶しています。そうすることで、いち早く発見し感染が進む前にキャッチして食べてしまうのです。T細胞とB細胞が有名です。

インフルエンザで例えると、ウイルスが口や鼻、喉、気管支、肺などに感染した場合はまず自然免疫のNK細胞とマクロファージ、樹状細胞などがウイルスをキャッチして食べて駆除しはじめます。そしてそれでも駆除できない場合は、B細胞、キラーT細胞という獲得免疫が今度は活動を始めます。具体的にはB細胞は抗体を作り、その抗体はウイルスにくっついて他の細胞に感染できなくなるといいます。

そうやって私たちの身体は自然免疫と獲得免疫の合わせ技で撃退してくれていたのです。無症状の人がいるというのは、この免疫系が働き無害化させているからということになります。免疫がきちんと働いているのなら、外部からの異物は正しくキャッチされ、駆除され記憶され、ずっと身体を守り続けてくれるのです。

これからコロナウイルスも様々な変異株が誕生してきますし、その都度、ワクチンを開発して対応ではいたちごっこです。私たちの身体は大量のウイルスに日々に晒されていますからやはり今まで生き残ってきた力を磨いていくのが一番です。

その方法は、食生活、運動、睡眠、精神や心の安静、という基本、また体質改善、生活習慣の見直しでできるはずです。つまり暮らしを整えていくのです。暮らしフルネス™は、これらのことを実践するためにも欠かせない智慧の仕組みです。

引き続き、子どもたちのためにも暮らしを見直して伝承していきたいと思います。

微生物を尊重する暮らし

腸内フローラを活性化することで免疫を高めていくというのは、むかしからの感染症予防法の一つです。もはやコロナウイルスは変異し続けていきますし、海外から強力な新種が次々と入ってきますからワクチンや薬ではいたちごっこの様相です。

気候変動も重なりますからますます新手の病気や感染症は増えていくばかりです。こうなってくると自己免疫を高めていく方法しか手段がありません。今の私たちが生存しているということは、今までも自己に備わっている免疫があったから乗り越えてきたともいえます。

この時代は免疫を下げるような生活環境の中で私たちは暮らしています。こういう時だからこそ、免疫を上げるような本来の自然と共生する仕組みを学び直す必要性を感じています。

私たちが免疫を高めるということで最初に思いつくのは、腸内細菌です。腸内フローラが豊かでしっかりとしている人は健康で免疫も高く元気な人も多いといいます。私たちは微生物によって身体を守っていますから、お腹の中の微生物の状態がよければよいほど免疫を高め外部からの感染症のウイルスなどの侵入を防いでくれます。

如何に日々の生活の中で微生物を上手に取り込むかが鍵になります。本来は微生物は空気中も浮遊していますし、自然界の土やほこりの中にもたくさん存在しています。そういったものを日々に取り入れていけば免疫も高まるのですが、食事から摂取するのがもっとも効果的な方法です。私たちは微生物にご飯を食べさせることによってその代謝物をエネルギーや栄養に換えていますから微生物が喜ぶようなものを食べてあげるのが一番です。腸活といい方も今ではしていますが、微生物を尊重する暮らしをしていくことがもっとも免疫を高めてくれたということでしょう。

今、まさにその微生物でもコロナウイルスに効果があるのが酢酸菌(さくさんきん)だといわれています。この微生物は乳酸菌や納豆菌と並ぶ食用の発酵菌の1つです。この酢酸菌は、アルコールを酢酸に変える細菌の総称でお酢になる元です。なので英語では「Mother of vinegar(お酢の母)」とも呼ばれています。

この母なる存在が非常に大きな働きを腸内で行ってくれているのです。どこにいるかといえば、空気中にもいますが梅、ぶどう、柿、りんごや花、はちみつなどにもあります。具体的に酢酸菌をつかった発酵食品には、お酢やワインビネガー、コンブチャ、ナタデ・ココやカスピ海ヨーグルトなどもあります。日本では、黒酢、柿酢、リンゴ酢などあらゆる酢に存在しています。

特に素晴らしい効能は、アレルギーに効果があることです。花粉症をはじめ、あらゆるアレルギー反応を穏やかにする力があります。科学的にも腸内菌叢により産生される短鎖脂肪酸(酪酸、酢酸およびプロピオン酸)という物質が腸管上皮細胞の増殖促進、炎症性サイトカインの抑制作用等による抗炎症、抗潰瘍作用もあると報告されます。

つまりコロナウイルスは、免疫の過剰反応が影響しますからそうならないように予防し続けることで重症化を防ぐことができるかもしれません。先人たちの智慧を活かし、子どもたちに安心した環境が遺せるように自然から学び続けていきたいと思います。

湿度から学ぶ

日本の風土は高温多湿です。この時期の平均湿度は74パーセントくらいあるといいます。私の今居る家も、大雨が降り始めましたが湿度は84パーセントあります。これは空気中の水分がどれくらいあるかを示したものです。

私たちの身体は、自分にとって快適な体温を一定に保つために常に気温や気候に合わせて活動をしています。暑くなれば冷まそうとし、寒くなれば温めようとします。この変化が激しいと、それだけエネルギーを必要とするためかなりの負担が身体に生じて夏バテや熱中症の原因にもなるといいます。

一般的に私たちが快適と実感する湿度は40%から60%といいます。40%を切ってしまうと肌や目などが乾燥し、インフルエンザウイルス等が活発になります。そして逆に60%を超えてしまうとダニやカビが活発になります。

湿度によって、ウイルスやカビが活動しますから常に湿度を一定に保つための工夫が必要になってくるのです。現在の住宅では、気密性が高く部屋の空気はこもっています。なので除湿すればすぐに乾燥し、水分が増えればずっと残ります。本来、微風が通れば自然に湿度は一定に保たれるのですが風が通らなくなるとあっという間に湿度の管理は難しくなります。

伝統的な日本家屋は、この湿度との関係を常に意識して設計されてきました。また家屋に使われる材料もどれも湿度を意識したものばかりです。例えば、障子、土壁、畳、建具に囲炉裏などどれも湿度を調整するためのものです。

湿度が高すぎるときは吸収し、低すぎるときは加湿します。つまり車のハンドルの遊びのように、変化が緩やかに発生するように調整する役割を果たしているのです。あとは、もともと隙間が多く、ほとんど外界とつながっているような建て方をしていますから常に風が通り、そのうち快適な湿度に回復して保つようになっているのです。

そうはいっても、梅雨前線が停滞して暑さが厳しいときはどうしようもありません。そんな時は、きっと窓を開けてあとは拭き掃除をしてカビが発生しないようにしたのでしょう。それに冬の極度の感想には、囲炉裏で常にお湯を沸かしてお茶をたてて対処したのではないかと思います。自然と共生していたころは、私たちは湿度を身近に感じて暮らしを営んでいたように思います。

都会では、総合空調で空気清浄機でコントロールされているためあまり湿度とかカビとかウイルスとかも気にすることはありませんでした。しかし田舎に暮らし、伝統的な家屋に住むと如何にそれらが身近であったかを実感します。

見方を変えれば、湿度の御蔭で発酵食品は保存でき、ウイルスなどの予防になり感染症を抑えてくれるということでもあります。それに湿度の変化で身体は常に五感やエネルギーを使いますから自然にお腹もすいて美味しくご飯が食べることができます。

健康を考えたら、自然と共生する仕組みを活かしている暮らしの方が快適に安心して長生きできるように思います。子どもたちに、湿度との関係から学び直すことを伝承していきたいと思います。

自然から学ぶ

自然物を観察していると、如何にそれが発明に満ちているものであるかがわかります。虫も植物も、また微生物にいたるまで、なぜそのような能力を持つのか、そしてその形状になっているのかを観察するほどにその発明のすごさに感嘆するのです。

私たち人類は、飛行機をつくり空を飛び、新幹線をつくり地上を高速で走りますが虫や魚たちはもっと以前からその能力を持っていたことがわかります。他にも近代科学が追いつこうとしているものは、すでにほとんどが自然の中に存在しているものです。

長寿の仕組みも、毒を解毒する仕組みも、ミイラから蘇生する仕組みも、すべて自然界のものがすでに発明済みのものばかりです。むかしの人たちは、その自然界の発明したものをうまく真似し、時には取り出してそれを暮らしの智慧として活かしてきました。

人間が傲慢にならず、よく自然を観察したからこそ発見できたのであり、発明したわけではないのです。謙虚に物事の本質を見抜けば、この世の発明はすべて発見であるということでしょう。

発見するためには、よく自然を観察する洞察力や探求心が必要です。なぜ、それができるのか、なぜこうなっているのかと自然の仕組みを解明するための意識が磨かれている必要があります。

自然にそうなったのは、なぜ自然にそうなったのかという原点回帰を知ることです。

私たちの好奇心は本来、あらゆる自然の姿に向いているものです。それが知識を得ることで自然への観察が劣化していきます。また当たり前すぎるもののことを人は考えることがありませんから、当たり前のことをちゃんと見直してみる学問への姿勢が求められます。

身近な虫一つからでも、身近な出来事一つからでもなぜ自然がそうなっているのかを観察すればするほどに驚きの連続です。自然物はまさに、神様や創造主の智慧そのものであり私たちには真似できない奇跡の仕組みと働きをもっています。

子どもたちには、自然から学ぶことの大切さを伝承していきたいと思います。

カビから学ぶ3

カビのことを深めてきましたが、最後にはやっぱり日本の国菌である「麹菌」(学名:アスペルギルス オリゼー)を書いておきたいと思います。この国菌は2006年、日本醸造学会によって「われわれの先達が古来大切に育み、使ってきた貴重な財産」であるとし「国菌」に認定してからのものです。

このカビは、和食を支えているカビであり日本人の健康を支え続けてきたカビです。日本酒、漬物、味噌、醤油、みりん、酢、甘酒、あらゆる日本の代表的な和食の発酵食品をつくりだすことができます。

このカビは、日本にしか存在しません。日本の風土の中で時間をかけて育ってきたもので海外では育たないとも言われます。このカビの菌は、分類わけされると5種類あるといいます。黄麹菌(きこうじきん):味噌や醤油、白麹菌(しろこうじきん):焼酎、黒麹菌(くろこうじん):泡盛、紅麹菌(べにこうじきん):豆腐よう、鰹節菌(かつおぶしきん):鰹節という具合です。

この麹菌はカビですからそのものを食べるわけではなく、麴菌の代謝で作られた成分を食べるのです。この代謝物は酵素ともいい、たんぱく質をアミノ酸に分解する「プロテアーゼ」や、でんぷんを糖に分解する「アミラーゼ」、脂質を分解する「リパーゼ」など、たくさんの酵素を生成していきます。その御蔭で、人体に有益なビタミンB群、必須アミノ酸やミネラルそして食物繊維などが摂取できるのです。

実はこのカビは、むかしは非常に人間に有毒であったといわれます。他のカビと同様に、毒をもち、悪影響を与えていました。説として有名なのは、アスペルギルス・オリゼーによく似た「Aspergillus flavus(アスペルギルス・フラバス)」という種類がいます。この アスペルギルス・フラバスは猛毒であるアフラトキシンを生産することで有名です。この猛毒を生産するアスペルギルス・フラバスを日本人が無毒になるまで育てたことで誕生したのではないかといわれています。それが私たち日本の国菌の由来でもあります。

つまり「和」を保つ、和にする力、和食を支える麹菌は、猛毒を無毒にするまで一緒に育て上げた共生の結晶ともいえます。日本人の先人たちは、家畜といって動物を大切に家族のように扱い暮らしてきました。牛や馬、鶏や犬などももともとは野生で狂暴だったものが愛情深く育てて関わることで人間と一緒に暮らしていくものに変わっていきました。

今でいう養殖は、養鶏などをみても狭い場所で厳しい環境ですがむかしは家の周囲で同じ家畜として一緒に豊かに暮らしを営み、助け合っていました。

日本の和を支えるというのは、この伝統的な日本人のいきものやいのちに対する思いやりであり、それをもって有毒などものを無害化し、敵対していたものも仲間にしていくのです。

私は世界でこの日本の「和の心」は、現代のアップデートすべき人類の方向性や生き方にとても重要な役割を果たすと信じています。だからこそ、暮らしフルネス™を実践し、暮らしからそれを子どもたちに伝承していく必要を感じるのです。

すべてを敵視するのではなく、一緒に地球に暮らす仲間としてどう調和して暮らしていくかをこれからも私たちは生き方として学び直していくことは欠かせません。先人たちの和の心を継いでいきたいと思います。

 

漬物の智慧

昨日は、妙見高菜の漬物のお手入れを行いました。今年の春先に漬けたものはこの時期に次第に塩が抜けて漬け直しが必要になります。もともとこの漬物の原理は、科学で分かっている部分とわかっていない部分があるように思います。

私は石も自然石にこだわっていますが、同じ重しでも出来上がりが異なるのです。他にも木樽で、その漬物の小屋を発酵させるような場にしていますから環境が整っています。しかし今でも、毎回発見があり、この漬物の奥深さに驚くばかりです。

今回は、一樽だけ失敗してしまい腐敗してしまったものがありました。これは蓋が少し大きかったので樽のサイズにあわずに重しがかからなかったからです。しかし水が上がっていたのですが味も香りもやや腐敗に傾いていて厳しいものがありました。

この漬物は科学的には乳酸発酵によって醸成され仕上がっていきます。発酵の世界では、乳酸菌と腐敗菌の働きによって絶妙に調和されて漬物はできます。乳酸菌は塩の中でも平気で空気がなくても元氣に活動できます。しかし腐敗菌は塩や酸が苦手です。漬物の塩分がなくなり空気がたくさん入ってくると腐敗菌の方が増えていき食べ物は腐敗して人間には食べれません。

もともとこれらの乳酸菌や腐敗菌は、分解者です。自然界では循環を促し、最終的には土に帰す役割を持っている微生物です。その微生物たちの代謝から産まれた成分によって私たち人間も栄養などを吸収することができています。

私たちすべての生き物は、他者の働きによって栄養を得ていてこれが自然の共生原理でもあります。よく腐敗したものを食べると食中毒になると思い込んでいる人がいますが、腐敗菌は別に食中毒菌ではありません。香りや味わいがアンモニアを含め、腐敗に傾くのであって腐敗菌から出てくる働きを栄養にするものにウジ虫やハエ、その他の生き物が集まってきますが食中毒菌がいるとは限りません。

もともと食中毒菌は、ボツリヌス菌や、サルモネラ菌、赤痢菌、ノロウイルスなどもありますがそれぞれは付着していたら腐敗していない食べ物を食べても食中毒になります。手洗いや熱での消毒が必要な理由でもあります。その中のいくつかの微生物は、増えすぎて食中毒になるものと、少し付いているだけでも食中毒になるものがあります。

身体に異物としてその微生物を感知しますから、すぐに下痢や嘔吐でその微生物を体外に排出しようとするのです。人間の身体には、100兆匹の微生物で構成されています。種類も相当な数のものがいます。その中でも合わないものがあるから食中毒になるのです。

乳酸菌といっても、あらゆる菌が組み合わせっているものです。それを美味しいと感じるところに人体の不思議があるのです。私たちが普段食べている、チーズや納豆、キムチや漬物、甘酒やワインなどあらゆるものはこの乳酸発酵のもののおいしさです。若々しく細胞を保つのに、腐敗の方ではなく乳酸の方を多く取ろうとするのはそれだけ人間の体内の微生物がその働きの栄養素を欲しがっているからでしょう。

漬物の不思議を書くはずが、微生物の話になってしまいましたが私はこの漬物の持つ智慧は未来の子どもたちに必ずつながなくてはならないものだと確信しています。発酵の智慧、重力や引力の智慧、場づくりの智慧、炭の智慧、樽の智慧、塩梅の智慧、太陽や日陰の智慧、風通しの智慧、季節や作物の育て方の智慧、ウコンなど植物の智慧、手入れの智慧、めぐりの智慧、郷土の智慧、醸成の智慧、、まだまだたくさんありますが智慧の宝庫がこの漬物なのです。

子どもたちに暮らしフルネスを通して、大切な智慧を伝承していきたいと思います。

日本文化のメリハリ

今日はお盆の最終日で、送り火をしご先祖様たちの霊を見送り室礼したものを片づける日です。

もともとこのお盆は、正月と同様に霊魂が家に来て滞在する期間としておもてなしをする日本古来からの信仰のかたちです。正月は歳神様、御盆は御先祖様ということになります。一年に、一度、家に帰ってくると信じるというのは感謝を忘れないための行事としてもとても大切だと私は思います。

こうやって目には観えない存在をまるで居るかのように接していく心の中に、私たちは現実の中にあの世を観ることができます。私たちもいつかこの現世での暮らしを終え、あの世での暮らしになりご先祖様の一員になるのです。その時に、子孫たちがどのようにこの世で暮らしているのかを見守り続けるという先祖の心構えも学んでいるようにも思います。同時に、子孫たちが先祖の御蔭様を感じているかどうかということも学びます。

当たり前のことですが、今があるのは今までの連続をつないで結んできた存在があったからです。子孫のために、自分の一番大切なものを磨いてそれを譲ってきたから今の私たちがあります。

昨年からコロナウイルスのことがあり色々と深めていたら、今の私たちがあらゆる感染症の免疫があるのはそれは御先祖様たちがいのちを懸けてその免疫を身体に取り込み、対処法を遺伝子として学び、その子孫たちの私たちがその御蔭で感染しても死なずに済んでいるということを知りました。目には観えませんが、私たちはずっと先人たちに守られ続けている存在なのです。有難く、感謝を思い出すことは自分の存在が多くのいのちの連鎖であることを再認識していのちを輝かせていくのにもとても大切なことなのです。

話を迎え火と送り火に戻しますが、この迎え火はお盆の期間にご先祖さまが自宅に帰ってくる時に道に迷わないようにとおもてなしし、送り火はご先祖さまが道に迷わずにあの世に無事戻れるようにと送り出すためのものです。

正月も同じですが、その期間を過ぎていつまでも家にいると悪霊になったり禍が起きると信じられました。あくまであの世の暮らしがありますから、こちらにいる期間だけということでしょう。名残惜しくてもお互いにこの世やあの世での役割や使命があり、それも日本文化のメリハリということでしょう。

私たち日本人を形成しているものはこの風習や文化の中で色濃くでてきます。現在は西洋文明が入ってきて、目には観えないものをあまり重要視しなくなりましたが本来私たちを形成してきたものに接すると懐かしい何かを思い出し、悠久の記憶にアクセスでき私たちの原点やいのちが甦ってくるのです。

懐かしい暮らしの実践は、私たちの未来へ向けた希望の実践でもあります。子どもたちのためにも根気強く、辛抱強く、どんな時代であっても変わってはならないもの、変えていくものを見据えて暮らしフルネスに取り組んでいきたいと思います。

いのちを守る実践

土地本来の樹木で森を再生する植林活動に長年取り組んだ植物生態学者で横浜国立大名誉教授の宮脇昭さんが先月、お亡くなりになりました。森林再生で「宮脇方式」(ミヤワキメソッド)を発明して4000万本の木を植え世界に貢献しました。

宮脇さんは、現在の多くの土地や森は過度な土地の開拓や、商用林の過剰などの現代人たちがやってきたことで土地本来の多様性や強さを失ってしまったといいます。その土地に適した植物を使って自立する森をつくることで自然本来の姿に戻そうというのが宮脇さんの提案することでした。

シンプルに言えば、本来の森に帰す、森の育ちを邪魔しない方式、自然農も同様に自然を尊重する甦生の仕組みということになります。

具体的なメソッドの特徴は、「本物の自然に帰す」「混色して密集させる」「毒以外は資源にする」「スコップ一つで誰でもできる」など、生態系を活かす知恵が仕組みの中にふんだんに取り入れられています。この方式で、300年の森を30年で実現させ、都市部にも生態系との共生を実現させています。つまり世界のあちこちで日本の伝統の鎮守の森をつくり守り育てる活動が広がっているのです。

地球温暖化で、一昨日から故郷では記録的豪雨で水害が起き、世界では熱波や山火事、そして砂漠化や砂嵐、バッタなどの大量発生、ウイルスなど気候変動はもう待ったなしで人間に襲い掛かってきます。この原因をつくったのは人間ですから自業自得ともいえますが、だからといってこのまま指をくわえて何もしないというわけにはいかないのです。子どもたちがいるからです。

未来のために何ができるか、そこでよく考えてみるとやはり唯一の方法は「自然を敵視せず、自然を尊敬し、自然と共生する」しかないと私は思います。そのために、どうやったら自然と共生できるかをこの日本から世界に発信していく必要があるのです。

私の提案する暮らしフルネス™の中には、この生態系と共生する智慧も暮らしの実践の中に入っています。発酵の智慧も、自然農の智慧も、生き方の智慧も、この森林甦生の智慧もまた暮らしの一つです。

日本人は、本来、スギやヒノキや松は暮らしの中で活用することが前提で植樹を続けていました。その暮らしをやめてしまっているから潜在自然植生も失われて森が荒れてやせ細っていったのです。近代の文明を全部をやめて、商業的利用をすべて停止してなどといっているわけではありません。

本来の豊かな暮らしは、半分は自然との調和、半分は人間社会での発展というバランスの中に心と物の両面の真の豊かさと和、仕合せがあります。極端な世の中になっているからこそ極端な対策が出るのであって、最初から調和していればそれは日々の暮らしの小さな順応で十分対応できたのです。

最後に宮脇さんの遺した「いのちの森づくり」の言葉を紹介します。

「日本には、世界には無い『鎮守の森』がある。木を植えよ!土地本来の本物の木を植えよ!土地本来の本物の森づくりの重要性を理解してください。土地本来の森では高木、亜高木、低木、下草、土の中のカビやバクテリアなどいろいろな植物、微生物がいがみ合いながらも少し我慢し、ともに生きています。競争、我慢、共生、これが生物社会の原則です。いのちの森づくりには、最低限生物的な時間が必要です。潜在自然植生の主木は深根性、直根性で、大きく育った成木を植えても育ちにくいものです。大きくなる特性を持った、土地本来の主木群の幼苗を混植・密植します。生態学的な調査と知見に基づいた地域の潜在植生による森づくり、いのちと心と遺伝子を守る本物の森づくりを今すぐ始めてください。潜在植生に基づいて再生、創造した土地本来の森は、ローカルにはその土地の防災・環境保全林として機能し、地球規模にはCO2を吸収・固定して地球温暖化の抑制に寄与します。生態学的には画一化を強要させている都市や産業立地の生物多様性を再生、保全、維持します。さらに人間だけではなく人間の共生者としての動物、植物、微生物も含めた生物社会と生態系、その環境を守ります。本物の森はどんぐりの森。互いに競争しながらも少し我慢し、ともに生きて行く、というエコロジカルな共生を目指しましょう!あくまで人間は森の寄生虫の立場であることを忘れてはいけません!森が無くなれば人類も滅びるのですから。」

私が感銘を受けたのは、本物は耐える、そして本物とは何か、それは「いのち」であるということです。一番大切なものは「いのち」、だからいのちの森をつくれと仰っているように感じます。

いのちの森は、鎮守の森です。鎮守の森は、古来よりその場の神奈備が宿る場所、それを守り続けるのはかんながらの道でもあります。子どもたちの未来のために、私も子どもたちのために未来のために、いのちを守る実践を公私ともに取り組んでいきたいと思います。

 

伝承の恩恵

日本にある民俗芸能の一つに「獅子舞」というものがあります。これは日本ではもっとも多い民俗芸能の一つです。この民俗芸能は、世界大百科事典にはこうあります。

「民族それぞれの社会生活の中で,住民みずからが演者となって伝承してきたきわめて地域性の濃い演劇,舞踊,音楽の類をいう。いずれも,地域の生活・風土と結びついて伝承されるものだけに郷土色が濃く,そのため日本では郷土芸能,郷土芸術などと呼ばれる。この種の芸能は世界のどの民族にも存在するが,欧米のような,墨守よりも創造に情熱をかける国々では,いわゆるフォークダンスのようなものも自由に編作・創作の手が加えられて,昔ながらの伝統を残すものが少なくなっている」

民俗芸能は、たくさんの種類がありますが私たちの郷土にはこの獅子舞がまだ伝承されて実施されています。この獅子舞の由来はインド由来という説もありますが最古の記録としては、1世紀ごろの中国に始まったといいます。その漢書には「象人若今戯魚蝦師子者也」(象人は、今の魚蝦・獅子を戯するがごとき者也)と記されます。

それが日本に伝来したのが奈良時代だといいます。そして全国に広がったのは、16世紀のころに伊勢で正月に飢饉や疫病除けに舞われるようになりました。それが伊勢詣でや伊勢講などの発展と合わせて江戸に広がり、悪魔祓いや縁起物、また祝い事や祭礼で舞われることから全国的に広がったといわれます。

かつて山伏たちも権現舞といって、正月とか家の祝事などに各戸を巡って、家内繁盛、五穀豊穣、災厄鎮送を祈祷する舞を演じたそうです。私たちの地域にも、法螺貝を頭にのせて邪気を祓うという行事もあります。

獅子舞でも、獅子は疫病除けの効果があるとして邪気を食べてもらうために頭を噛んでもらったらいいと子どものころに何回も噛んでもらいました。小さな子どもたちがわんわん泣いていたのを覚えています。この獅子が噛むのは、「かみつく」が「神が着く」ということもあり縁起が担がれていました。

地域によってその舞の種類も音楽の種類も異なります。私の郷里ではこの獅子舞の音色を聴くと何か心に懐かしいものを感じます。すぐに思い出すこともでき、舞の様子が脳裏にすぐに浮かびます。

長い時間をかけて伝承し継承してきた民族芸能は、私の先祖たちがみんな同じように幼いころからその郷土の風土や風習の一端を担ってきたものです。故郷とのつながりは、私達の先祖が繰り返されてきた祈りや願いと結ばれています。

現代は、もう若い人が田舎にいなくなり地方のこういう民俗芸能を伝承する機会も失われてきました。意味があって受け継がれてきたものも、今では意味がなくなっているようにもなっています。

子どもたちが安心して風土の智慧を獲得できるように、今の時代に甦生させて伝承の恩恵をつないでいきたいと思います。