石から学ぶ

今度、BAの外回りに石垣を設置していきますが石垣の歴史を深めていると城壁の歴史になり日本の伝統技術があることを実感します。特に全国各地に残っている城壁の石垣は何百年もの風雨や戦争に耐えて今も美しいままで遺っています。

世界各地にも城壁や石壁がありますが、それぞれの国の石の文化を伝承するものです。

日本で有名な城壁の石垣を組む会社が残っています。滋賀県大津市坂本を中心に活躍する「粟田建設」という会社です。現会長の粟田純司氏は「第14代目石匠」の名跡を継ぎ平成12年には当時の労働省(現厚生労働省)から「現代の名工」に認定、平成13年には「大津市文化奨励賞」を、そして平成17年には「黄綬褒章受章」を授与されているといいます。

この会社はもともと戦国時代に各大名がこぞって召し上げた伝説の集団「穴太衆(あのうしゅう)」を起源にしています。もともと戦国時代の城はその石垣の高さや強度さが戦いの士気を左右し、戦いを制するには「穴太」の力が必要だったからです。この穴太衆が得意とした「野面積(のづらづみ)」と呼ばれる自然の石を組み上げる石工術は、現代技術を凌ぐほどの強度を誇っているといいます。

先祖代々、「石の声を聴け」というものを大切にし現場ではメジャーなどで計る前に石が何を言っているか、どの石が使ってほしいと言っているかを聴いていくともいいます。

非科学的に思われるかもしれませんが、実際に実証実験するとコンクリートの壁よりも年数も強度も俄然この穴太衆が組んだものの方が耐久性があるといいます。

昨日、BAの慰霊塔を建てるために石材屋さんを訪ねて石を見てまわりましたがその際も多種多様な石が置いてありましたがそれぞれに個性があり、それぞれに使い道が異なることを教えていただきました。

どの石を用いるのか、その一つひとつを見極めて配置していく技術というものは人間が集団でチームを組んで大切なものを守っていこうするという意識にも似ているように感じます。

現当主のことを調べていると、このようなことを仰っています。

「僕らの石積みは人間社会と一緒なんです。大きい人もいれば小さい人もいる。性格のいい人も悪い人も。それらが組み合わさったのがこの世の中で、だから面白い」

「個性があればあるほど、それが生きてくる。あえて悪い石を使うこともあります。大きい石はより大きく見せてあげる。そのために、まわりに小さい石を配置する。すべてに役割があって、大事なんです。『綺麗な石ばかり使ってなにがおもろいねん!』とお祖父さんはよく言っていました」

山から石を探してきてイメージ通りに一つの石も余らないで使い切るという神業のようなこともやってのけるといいます。まさに、石の心を受け継ぐ集団がこの穴太衆であり日本の伝統技術の誇りです。

石垣や城壁をどのような心で守り続けるのか、そしてどのような仕組みで建ち続けることができるのかということをすべてを「石」から教わっているようにも感じます。古代の人たちは、石を見てそこに何かしらの心を感じ、その石から学び、教えを刻んでいたのかもしれません。

石とのご縁が続きますが、石から学び子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

BAへの挑戦

人間が成長するとき、それは失敗を経験するときのように思います。上手くいかないことが増えれば増えるほど、自分の持てるすべてを発揮して挑もうとします。その上で敵わないと実感するときや、コテンパンに打ちのめされるとき、さらに実力をつける必要を感じて正面からやり直そうとするものです。

人は知らず知らずにうちにわかった気になったりして基本や基礎を磨くための鍛錬を怠るものです。とても地味なその訓練や場数こそが、さらなる飛躍を与えてくれます。

世界のHONDAとして、今でいうユニコーン企業にまで発展させた創業者に本田宗一郎氏がいます。何かに挑戦するとき、その挑戦する生き方や生き様にとても勇気をいただきます。その言葉をいくつか紹介します。

「失敗もせず問題を解決した人と、十回失敗した人の時間が同じなら、十回失敗した人をとる。同じ時間なら、失敗した方が苦しんでいる。それが知らずして根性になり、人生の飛躍の土台になる。」

問題とは、上手くいったときに出てくるものではありません。上手くいかないからこそ人は本気になり真剣になります。何度も何度も挑戦しているからこそ、根性が磨かれるのです。

「困らなきゃだめです。人間というのは困ることだ。絶対絶命のときに出る力が本当の力なんだ。人間はやろうと思えば、大抵のことは出来るんだから。」

本当の力とは、出し惜しみする力ではなく絶体絶命の境地で全身全霊が出てくるものです。人間は必ず夢を実現できると根底から信じるからこそ、無理難題に挑むのでしょう。それはこの言葉にも出ています。

「人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。いるのは弱さに甘んじている人間と、強くなろうと努力している人間だけだ。」

だからといって、自信があったわけではないとも言います。勇気を奮いだして挑んでいたことがこの言葉からもわかります。

「苦しい時もある。夜眠れぬこともあるだろう。どうしても壁がつき破れなくて、俺はダメな人間だと劣等感にさいなまれるかもしれない。私自身、その繰り返しだった。」

失敗をしてきた人ほど、苦労してきた人ほどに、自分を励ます言葉をたくさんもっています。同時に、他人を励ます言葉も持っているのです。本田宗一郎は、「抵抗こそ伸びるチャンスだ」と捉えていました。

人間は必ず次に向かおうとするとき、大きな試練が待っています。その試練があるからこそ次のステージで活躍できる原動力になるのです。その活躍のための試練は失敗連続ですがそれが自分を鍛え磨き、道へと導くように思います。最後に、この本田宗一郎氏のこの言葉で締めくくります。

「私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。」

私もこのBAへの挑戦が、子どもたちの希望になるよう全身全霊で挑みたいと思います。

看板、暖簾、商標のつながり

看板の歴史を深めていると、暖簾、そして屋号や商標の歴史にもつながってきます。暖簾も平安時代ころから使われていたといわれます。最初は日差しをよける、風をよける、塵をよける、人目をよける、などを目的に農村、漁村、山村の家々の開放部に架けらていたそうです。

それが鎌倉時代の頃には暖簾の真ん中に、さまざまな文様や屋号が描かれるようになったといいます。それが室町時代になると、あらゆる商家がそれぞれ独自の意匠を取り入れ、屋号や業種などを伝える看板の一つになっていったといいます。

しかし文字が読めない人がたくさんいましたからそこには動物や植物から色々な道具類のかたち、天文地理から単純な記号等で描かれたとあります。その描かれたものがそのまま屋号になったケースもあったそうです。

実際に暖簾に屋号などの文字を見かけるようになったのは桃山時代で、江戸時代に入り人々の識字率が高まると文字の入った暖簾になっていったといいます。そこから、屋号、業種、商品名等文字を染め抜いた白抜きのデザインが多く見られるようになり 商家の看板、広告として発展し同時に暖簾に使われる色も多様化したといいます。

看板も暖簾と同じ歴史を辿っていますから、ほぼ暖簾と同様に絵から文字になり、屋号になり、商標になっていきました。現代の看板の原型はこのようにして発展してきたということです。看板という字は、看(み)せるための板(いた)という意味だそうでその文字になる前は”鑑板”の文字を当てられていたといいます。現代の看板ではロゴや商標が描かれています。

この商標はトレードマークといわれたり、ブランドといわれますがもともと家畜などに焼き印を施し、他人の家畜と区別したのが始まりだといいます。何人もの放牧農家が入り交じって放牧を行うと、どれが誰のものか分からなくなります。そこで、焼き印を押すことで、自分と他人の家畜を区別できるようにしておけば、それぞれの家畜の所有者がすぐに分かりました。さらに、良質な家畜を提供する生産者のものであることを、第三者、例えばお客さんが選ぶこともできるためこの方法をとられました。

商標とは、商品やサービスを提供するときに使いますが昔の家畜に焼き印を入れていた歴史があってのものなのです。

看板や暖簾に描かれる商標とは、このような歴史が凝縮されたものです。今、建造中のBA(場)はどのようになるのか、今、まさに検討中ですが新しい幕開けを楽しんでいきたいと思います。

看板の甦生

今度、BAの開設にあたり看板を制作することになります。その看板は江戸時代の木製のものを磨き直し甦生させ、アートディレクターがデザインを温故知新したものを後輩と一緒に手作りで魂を籠めて造りこんでいく予定です。

現代では、景観のことをまったく無視したような統一感のない看板が都市部だけではなく田舎にも乱立しています。特に夜になればLEDランプ等でガチャガチャと照らされ風情を感じるものも少なくなってきました。

そもそも看板とは何か、その歴史を含めて深めてみようと思います。

看板の歴史はとても古く、イタリアのポンペイ遺跡や前3000年のバビロン時代に明らかに看板とみられるものが見つかったといわれています。そして日本では大宝律令の開市令に「肆標(いちくらのしるし)」を表示することが定められ、これが看板の始まりとされています。奈良県の長谷寺などへの寺社への参詣客でにぎわった街道に出店した市である「三輪の海拓榴市(つばいち)」に見てとれるそうです。

この時の看板は、何を取り扱うのかを伝えるためのもので屋号などはなかったそうです。むかしは文字が読める人が少なかったので、そのものに関する道具(お酒や味噌を創る道具等)をそのまま看板にしたり、商品そのものの絵を描いて伝えていたといいます。

それに商売的な要素が組み込まれたのは江戸時代に入ってからといわれます。江戸の商工業の発達と共に職種による看板の定型化が進み、それに金箔、蒔絵などを施して豪華さを競い、広告として大金をかけるようになったといいます。

確かに、それまでのシンプルな立て札のようなものから江戸になると急に看板にデザインが入ってくるようになります。そのため一時期は看板は木地に墨字、金具は銅製に限ると幕府が禁令を出すほどに看板は賑わいました。

また京都の町家などでは、格子戸の形状で自らの商売を伝えていたところもあります。炭屋、糸屋、麹屋、米屋などもありました。

看板の種類として多かったのは軒看板で暖簾と同じような目的で、朝晩店を開ける時と閉める時に掛け外しました。特にこの軒看板は古ければ古いほど店の値打ちがあるとされ、永続して信頼されている店舗として大変価値がある店であるとし、ひとつの指標として使われたといいます。

看板の名に恥じないようにや、看板に泥を塗るという言葉があるように、看板とは信用であったという意味もあるように思います。特に年代ものの看板は、それだけ大切に代々看板(生き方)を磨いてきた証だったのかもしれません。

看板の諺では「一枚看板」というものがあります。これは京都・大阪地方の上方歌舞伎には、劇場の前に飾る大きな看板のことを「一枚看板」と呼んだことからきています。江戸では大名題(おおなだい)と呼びました、具体的には、この看板の上部にメインの役者の絵が描かれていたことで歌舞伎などの芝居一座で中心となる人を「一枚看板」と呼ぶようになりました。看板娘というものも、もっとも看板を背負って活躍する人物ということになります。

まだまだ看板は奥が深いのですが、看板には下位概念としての宣伝目的と、上位概念としての生き方の顕現があるように思います。本来の看板は、何を生業にするかという意味と同時に、その看板に相応しい生き方を実践したかということが合致していたのでしょう。

今度、取り組む看板もまた復古創新の「場」に相応しいものにしたいと思っています。子どもたちのために、伝統を伝承して文化を繋いでいきたいと思います。

思いの呼吸

人の「思い」というものは、時代を超えて存在しているものです。例えば、先祖代々の思いは子孫たちの思いの中に息づいていつまでの残存しています。その思いに触れるためには、先祖と同じ生き方をするときに触れられるものです。

私たちは日常の生活の中では、その思いを持っていてもその思いに気づきません。なぜなら、その思いは澄み切って醸成されたもので、まるで空気のように無味無臭です。しかし空気のように、心を澄ませて深呼吸すればその思いに気づきます。

私たちは生き方を変えるとき、生き方に触れるとき、その空気を呼吸して力に転換することができるのです。それは必ずだれにもできます、なぜなら私たちは「思い」を共有することができる生命だからです。

だからこそ、「思い」に人が集まるというのは、その思いを呼吸する人たちということになります。同じ思いを空気のように呼吸することでその思いが共鳴し共有され、人々が場に集います。

その場に集うことで、新たな思いが重なりその思いがまたさらに磨かれて澄み切って光ります。長い時間をかけてきて磨かれた思いは、その時代、その代々の子孫によって大切に守られていくのです。

子どもの仕事をするというのは、その視座において子どもに何を譲っていくのかを真摯に向き合って取り組む仕事であるべきです。私は子ども第一義の理念をもって実践していますが、思いによって助けられ、思いによって活かされています。

思いこそ祈りであり、思いこそがいのちの呼吸なのです。

暮らしの中の思いの呼吸を大切に、日々の実践を積み重ねていきたいと思います。

 

いのちを磨く

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺があります。これは自分の命を犠牲にする覚悟があってこそ、初めて窮地を脱して物事を成就することができるという意味で使われます。

この「覚悟」を顕す言葉は、まさに人間の持つ決心や本気を示す諺でもあります。何かに取り組もうとするとき、全身全霊で取り組む人とそれなりに取り組む人がいます。

同じ一回の出来事でも、真剣である人はその場数は確実に自己を錬磨していきます。そうやって磨ききった人のことを百戦錬磨の人とも言われます。この百戦錬磨の「百戦」は数多くの戦いのことで「錬磨」は練り磨くことをいい、多くの戦いにのぞんで武芸を鍛え磨くことをいいました。

覚悟の力とは、この真剣勝負の場数によって高まり磨かれていくように思います。その覚悟の心は、身を捨ててこそということなのでしょう。自己保身や他人の評価を気にしたり、自分の初心を忘れたりしていては錬磨することができません。

どんな日々であろうが、どんな挑戦であろうが、やるからには身を捨てる覚悟で取り組む人には真剣や本気の凄みがあります。

先日、致知出版の巻頭言で坂村真民さんの詩を拝読して感じ入るものがありました。題は「鈍刀を磨く」というものです。ここに覚悟ある人の生き方を見てとれ、どんな場所でもどんな場数でもそれでも磨くことの大切さを語られていましたので紹介します。

『鈍刀を磨く』

「鈍刀をいくら磨いても 無駄なことだというが 何もそんなことばに 耳を貸す必要はない せっせと磨くのだ 刀は光らないかも知れないが 磨く本人が変わってく つまり刀がすまぬすまぬと言いながら 磨く本人を光るものにしてくれるのだ そこが甚深微妙の世界だ だからせっせと磨くのだ」

ここでは光るかどうかではなく、真剣に磨くかどうかを語られます。そもそも真剣という意味は「本気で取り組む」という意味です。木刀や竹刀ではなく、いのちのやり取りをする真剣を使うという意味。

どんな場数であっても、それを木刀や竹刀のぬるま湯の危機感のない中でやる練習と、真剣勝負の覚悟や本気でやる練習では「磨く」という意味の本質が変わってきます。

つまり下位概念の磨くは、単なる訓練や練習のことを指しますが上位概念での磨くとはいのちを削り研ぎ澄ませていくということであることはすぐにわかります。いのちを削るというのは、本気で取り組むということです。

今の時代、マンネリ化しやすく別に本気でなくても本気風でやって無難であっても失敗しなければある程度の評価はされます。しかしそれでは、自己研鑽になっていくこともありません。

子どもたちに生き方を伝承していくためにも、覚悟を決めていのちを磨き続けることを味わっていきたいと思います。

 

自分を生ききる

世の中には色々な人がいます。何かに突出した才能を持っているがいますが、その人は一部では障害だと分類され苦労もしています。何かに秀でればその逆に何かは削られていきます。それが才能ですから、人は目的に合わせて自分の才能を磨いていくうちにその人のオリジナリティが開花していくように思います。

しかし、その過程において協力してくれる人たちがいるかどうかはとても大切なことのように思います。自分の才能を活かすにも、その才能を活かすために支えてくれる人、使ってくれる人が必要になるからです。

お互いの組み合わせた、それぞれの能力の掛け合わせによって私たちは偉大なことができていきます。決して一人ではできないことも、みんなの持ち味や才能を合わせれば不思議なこともまたできるようになっていきます。

それは言い換えるのなら、それぞれの才能が磨かれ「徳」が出てきたともいえるのです。この徳というのは、自然界が創造する場のようにありとあらゆるものが調和していのちを開花させていくようにみんなの協力によって顕現していくものです。

誰もが真摯に自分を生ききり、それを助けてくれる存在があることを信じて生きていきます。花に蝶や蜂が飛来して花粉を繋いでいくように、太陽や雨がいのちを育むように自分を生ききると必ず誰かが手を差し伸べてくれます。

どんなに自分が周りと違うことで差別されたと思っても、周りを卑下したり、文句を言ったり、復讐心を抱いたりすることでは徳は出てくることはありません。徳は、自分自身を生ききることで次第に周囲と和合して顕れるものだからです。

自分を生ききるには、いのちへの感謝が必要ですが同時に自分を信じることが大切です。自分自身の才能を自分が信じ、周囲への感謝を忘れずに子どもたちに伝承していきたいと思います。

暮らしとは何か

暮らしという言葉の定義も時代と共に変わっていきます。現代は、かつてのような懐かしい暮らしは消失し、仕事の中に少しだけ暮らしの要素が残っているくらいです。本来は、暮らしの中に仕事があるのですが仕事が暮らしよりも優先されているうちに暮らしが失われていったように思います。

この「暮らし」という言葉にも会社の「理念」と同じように目的と手段があります。暮らすことが目的であるのか、暮らしは手段なのか。会社であれば理念が目的であるのか、それとも手段なのか。

さらにシンプルに言えば、何を優先して生きていくのかということが暮らしにも理念の言葉の定義を決めているのです。つまりは、単なる生活や生計ではなくそこには「生き方」があるということです。

暮らしをするというのは、生き方を優先して貫いて実践していくということです。同様に理念を実践するというのは、生き方を優先するということです。

私は、会社でも実生活でも常にその暮らしや理念を優先して生きています。働き方改革といわれ、様々な手段が世の中に横行していますが実際にその手段をやることが改革ではありません。

日本という国もまた働き方改革では日本は変わりません。本来の日本を変えるには、生き方改革をする必要があります。生き方改革をするには、それぞれに真の意味で自立していく必要があります。自立するためには、生き方を決め、生き方を変える勇気が必要です。そしてその勇気は、協力や思いやり、そして正直さなど社會そのものの徳をみんなが高めて磨いていくしかありません。

そのためにもまずは、自分が生き方を決めて実践していくことでそのような社會になるように努めていくことが世の中をよりよくしていくことになるように私は思います。

暮らしというものは、日々のことですから小さな日々の選択が必要です。生き方と異なるものをいちいち生き方に照らして取り組んでいく必要があります。ブレないで理念経営を実践するかのように、同様に生き方も磨き続けなければなりません。

しかしその生き方を磨き続けることで、人は真の意味で安心が得られ、穏やかで確かな自信に満ちた生活が約束されていくように思います。お金があるから老後が安泰なのではなく、権力があるから安寧でもない、自分自身を生きること、自立することでしか本当の安心立命は得られないということでしょう。

私たちは子ども第一義の理念を掲げていますから、日々の暮らしもまた子ども第一義の暮らしを社員一同、私も含めて目指しています。その具体的な手段が少しずつ顕現し、働き方も改革されていくのは心地よいことです。

流行を追わず、時代に合わせることは大切なことです。時代は私たちのいのちも含めて時代ですから、私たちが自立することで時代は創られていきます。日々に実践を深く味わい楽しんでいのちを使い切っていきたいと思います。

日本の味の伝承

日本の味というものがあります。それを和食とも言います。和食とは何か、その定義はそれぞれにあるように思います。私も数寄で料理をしますが、日本の和食料理の原点、源流というものがあると思っています。

その一つにとても大切だと私が感じるものは、全体と調和するものということがあります。他を邪魔せずにお互いに支え合う、縁の下の力持ちのような存在の味わいです。

これはかつての稲作の伝統行事であったり、神道の祭祀であったり、歴史の日本の先人たちが徳の高い生き方をしている中に観ることができます。全体調和しながらもオリジナルの個性がある。他を受容しながらも、自立している。そしてそれが美しく豊かで多様な味わいを出していることです。

たとえば、料理であれば水、そして火を中心にして料理します。その水もその土地の自然の湧き出たものがよく、火もまた炭火や小さな枝木などの弱火がいいのは当然です。

そのうえで、昆布や鰹節などを用いてじっくりと出汁をとります。主食は玄米の深い味わいを炭火と鉄の鍋と竈で炊くことで蒸していきます。天然の天干塩もまた、それぞれの素材の深い味わいを引き立てます。

まさにこの辺こそ日本料理、和食の源流であり原点であると私は感じています。

だからこそ本物の素材であることは、私は子どもたちに料理を伝えるために何よりも大切な要素であると思っているのです。本物の水、本物の火、本物の鰹節、本物の昆布、時間と手間暇、古来からの自然調和する製法にこだわったもので料理することの大切さを伝承したいのです。

特に幼児期の子どもの感覚は原始的なものを持っています。この原始的なときこそ、原点や源流を味わうことで和食の伝統が伝承されていくのです。私はもともと料理人の肩書とか持っていませんし、資格もありません。

しかし何のために料理をするのかといえば、そこに子ども第一義の理念の実践があるからです。それぞれに目的が明確であれば、具体的な手段はすべて理念を実現するための方法論の一つとして表現されていきます。

これから鰹節を削り手作りの発酵味噌を焼き茄子と一緒につくりますが、日本人の味わいを言葉ではなく真心で伝承していきたいと思います。

場道家の思い

昨日は福岡県朝倉市比良松で手掛けている古民家甦生の写真撮影を行いました。改めてビフォーアフターを体験していると、家が磨かれること甦ることに大きな仕合せを感じます。

私は建築家でも設計士でもありません。ただの人です。しかしそのただの人が、家と出会い、家に指導してもらい、家に磨いてもらえる。その家の持つ徳が引き出されていくことで私自身の徳もまた引き出されていく。まさに日本伝統の錬磨や研磨のように、お互いに磨き合える存在に出会えたことに何よりも幸せを感じます。

おかしなくらいに本物にこだわり、狂っているといわれるくらい家が喜んでいるかどうかにこだわっていく。ただの変人のようになっていますが、やはりそれでもそれだけ魂を篭めて取り組んだ仕事には空間に余韻が残ります。

私は大工でもなければ左官でもなく、職人でもありません。

しかし魂を篭めてその家と共に甦生し世の中を一緒に変えていこうとする志だけはあると信じています。志が一体何の役に立つのかと思われるかもしれません。目にも見えず、何もしていないようにも感じられます。志は、その「思い」にこそあります。思いがあるだけで何ができるのかといわれても、思いがなければ何もはじまらないとも言えます。

「思い」をどれだけ純粋に磨いたか、「思い」をどれだけ本気で高めたか。ここに私は魂の仕事の醍醐味があると信じているのです。

家が甦生し、その居心地の善い空間に佇んでいるとそこに永遠を感じます。家の暮らしがここからはじまると思うと、ワクワクしうれしく豊かな気持ちになります。家主のご家族が、一体どのような物語をここから紡いでいくのか。いつまでも福が訪れてほしいと願い祈る気持ちが滾々と湧いてきます。私が民家が好きな理由はここにあるのかもしれません。

私の本業は子どもの仕事をしているものですが、子どもの仕事といっても色々とあります。私の定義する子どもは、いのちの未来です。その子どもたちを見守る環境をつくることが本業で、私はそれを祈るときに仕合せを感じます。

いつまでも空間に子孫の繁栄を願う徳が活き続けられるように、私は場道家としての役割を真摯に果たしていきたいと思います。