徳治の世

自分らしさというものがあります。これは個性でもあり、その人にしかない天命というものもあります。誰かと比較してではなく、その人がその人にしか与えられていないいのちを最大限発揮していくということです。それが自由でもあり自立でもあります。そしてそれが社会の役に立つようになれば人類の仕合せもあります。

社会で役に立つようにするには、みんなでお互いの自分らしさを尊重し合うような寛容な世の中である必要があります。それぞれがお互いに反省し合い、そして認め合う世の中にしていくことです。

誰かが正しい、誰かが間違っているとなっていがみ合えばいつまでも対立構造が変わらず争いが絶えません。しかしお互いに尊重し合うようになれば、自分も正しい、みんなも正しいという具合にそれぞれの違いを認め合えるようになります。

そのためにどうお互いに折り合いをつけるのかを対話するのが人類の叡智です。

人類は、太古のむかしから真の豊かさとは何か、そして真に平和な世界は何かということを何度も何度も反省しては築こうと努力してきました。そして徳による政治を行うことを孔子は説きました。つまり徳治の世にするということです。

自然界というものは、弱肉強食と教えられます。しかし果たしてそうでしょうか。サバンナやアマゾンをみていても、お互いに自制し合い、尊重し合いながら自然の摂理に従ってお互いのいのちを精いっぱい発揮しています。自然界はまさに自分らしくあります。弱肉強食は、何度も立場が入れ替わりますからお互い様ということです。

人間はその自然の尊重し合う仕組みを捨てて、一方的に権力や権威で集団をまとめようとしていきました。その方が、都合もよく実は時代が変わってもこの辺はあまり変化していません。しかし、この時代、情報化も進み、人類も世界と結ばれ、国境もなくなってきました。人類としてどう生きるのか、どう自分らしさによって真の豊かさに近づけていくのかをみんなで対話する時が近づいているように思うのです。

そのモデルをどの国の誰がやってみせるのか、そして深く静かに実践することで形どっていくのか。今、人類は試練の時です。だからこそ、子どもたちのために徳積財団を立ち上げ、徳治の世を実現しようと挑戦をはじめたともいえます。

いよいよ、宿坊の甦生もひと段落して本懐であった徳積堂の運営をはじめていきます。子どもたちに譲り遺していきたい懐かしい未来を今、この時代に甦生して実践していきたいと思います。

自然のリズム

先日、浮世絵師・廣重の東海道シリーズ「三嶋」の中の三嶋明神前でほら貝を吹く男の図というものを見ました。これは何の図だろうと深めていたら、むかしはお役人さんたちが宿場町で時を知らせるのに法螺貝を用いたとありました。山伏だけではなく、むかしは役場職員たちも法螺貝を吹いていたということになります。そういえば、先日、インドから来られた留学生もインドでは朝や夕方にみんな法螺貝で今でも時を知らせているといわれていました。それだけむかしは、法螺貝は暮らしの中で当たり前に存在した道具だったのでしょう。

話は変わりますが、もともと今のような24時間を分刻みで生きるようになっているのは現代の特徴で少し前までは不定時法といって自然のリズムに合わせた時間が用いられていました。

一日の長さを等分に分割する時刻制度を「定時法」で、これに対して一日を昼と夜に分けそれぞれを等分するやり方を「不定時法」といいます。江戸時代までは日本はこの不定時法が使われていました。つまり昼と夜をそれぞれ6等分し、一単位を「一刻」と呼びました。

これを使えば、一日のうちでも昼と夜の一刻は長さが違い、同時に昼夜の長さは季節によって変化しました。つまり時間が昼と夜と季節によって変わるということです。時間に合わせるのではなく、自然のリズムに合わせた時間を生きていたということです。

そしてその時の呼び方も数字ではなく真夜中の子の刻から始めて、昼夜12の刻に十二支を当てました。一方で子の刻と午の刻を九ツとして、一刻ごとに減算する呼び方も使いました。子の刻が九ツ、丑の刻が八ツで巳の刻の四ツまで行ってまた午の刻で九ツから数えます。これは数字だと、同じ数字が2回出てくるのでどちらの2つとか、どちらの3つとか聞き直すこともあったからでしょう。それで夜の九ツ、昼の九ツ、明け六ツ、暮れ六ツといった区別をつけたのです。泣く子も黙る丑三つ時というのもここから出てきます。

これはよく幽霊が出てくる時間帯といわれ怖がられました。これは中国の陰陽五行のもっとも陰の強い時間帯のことです。陰陽はたとえば「月は陰、太陽が陽」「裏は陰、表は陽」ともなります。そして「丑は陰」で「寅が陽」となり、その中間にある「丑寅(午前3時)」は「鬼門」です。つまり「鬼が出入りする」方角となるため、近い時刻の「丑三つ時」が「鬼門」と深い関係があると解釈されこの時に幽霊が出ると信じられたのでしょう。

むかしの人は昼と夜の時間を棲み分けしていたといいます。昼は人の時間で夜は神の時間だったのです。そうやって自然のリズムで自分たちの働き方を換えていきました。今では働き方改革には自然のリズムが無視されています。そのすべては人間中心です。

私たちの暮らしフルネスでは、自然のリズムを取り入れています。人間が本来持っている暮らしの時間は、今まで生きてきた時間軸を使うことで甦生していきます。子どもたちが真に豊かな時間を持てるように、この時代で逆行小舟と言われようとも子どもの憧れる生き方と働き方の実践を磨いていきたいと思います。

今度、法螺貝で時を知らせてみたいと思います。

伝統固定種の甦生

昨日は、自然農の畑で伝統固定種の堀池高菜の種どりをいつも親しくしている情報工学の学生さんや友人のご家族と一緒に行いました。新緑のいい風が吹いていて、今年は特に種をたくさん収穫することが目的でしたからしっかりと種どりを行いました。

もともと高菜というのは、漬物にすることで有名です。日本三大漬け菜として「高菜漬け」「野沢菜漬け」「広島菜付け」があります。そして九州を代表する漬物がこの高菜なのです。

高菜というのは、前にもブログで書きしましたが平安時代くらいに種が日本にも入ったといわれています。平安時代は8世紀末ですから1200年以上前からずっと日本で育ってきたということになります。日本の風土に根付いて、日本の味になり、さらに九州の風土の各地に根付き、それぞれの美味しさに進化してきました。

調べると西暦892年発刊の『新選字鏡』には高菜の事を「太加奈」と記載してあるといいます。明治時代には中国四川省から高菜の在来種というべき青菜が日本伝わり九州・東海地方に伝わったといいます。そこで九州では紫高菜、柳川高菜、相知高菜となり高菜漬に適した三池高菜になったそうです。もともと筑豊地域の高菜漬けはとても美味しかったと年配の方々からよくお聴きすることがあります。

炭鉱の時代、炭鉱夫はお腹を空かせてたくさんのお米を食べたことでしょう。その時、もっとも食卓でご飯の友として食べられたのがこの高菜だったことは簡単に想像できます。それが今では、飯塚のほとんどの農家さんが積極的に高菜を作っていません。

その理由は、やってみるとわかるのですが重労働にもかかわらず見合う収入が得られないということがほとんどです。高菜は安いわりに大変な労力がかかるのです。よくラーメン屋にいけば無料で高菜がついていたりします。他にもスーパーなどで販売していますが、どれも安いことが分かります。高菜イメージが安いというものでできていますから、それが高いと売れないという理由もあって農家さんの収入の役に立ちませんでした。

そういうことがあり農家さんの高菜離れが拍車がかかり今ではほとんど作らくなったということです。さらに福岡には三池高菜があり、その有名な高菜を種をもらい筑豊でも三池高菜の種を植えるようになりました。他にも大手種メーカーで自由に高菜の種を買えますからそれを植えています。そうするとそれまであった地元の伝統固定種と交雑しますし、さらには農薬や化学肥料をつかうことで本来の味わいも落ちていき形状も変わっていきました。

本来の伝統固定種というものが失われていくのは、こういった消費優先の経済活動によってそれまで醸成されてきた1200年の文化ともいえる進化が消失するのです。

よく考えてみたらわかりますが、今もむかしも重労働であったのは1200年間変わっていません。それでも人気だったのは、郷土の知恵料理であり、懐かしいふるさとの味を子どもたちにつないで残していこうとした先人の想いや願いもあったことがわかります。

それが今、安易に生活できないからという理由や便利さを優先し簡単に変化し守る努力を諦めてやめてしまえばそれまでの歴史も潰えてしまうのです。時代が変わっても流行で価値観が変わっても、変えてはいけないものがあると私は思います。それが未来への宝になり、子孫たちへの与贈になるのです。

必ず時が経てば、本当の価値や真実は時間と共に明るみになります。希少価値とはそういうものです。しかしその時にやろうとしても種が残っていなく栽培できる環境がなく、消えてしまってはあまりにも悔いが残ります。これを新しいテクノロジーを活用し温故知新して新たなものにし、新たな価値に乗せて守り育てていきたいと改めて感じる一日になりました。

手触りや手入れは、心とつながっていますから目的や初心を忘れることはありません。人間に寄り添うテクノロジーを私は突き詰めていきたいと思います。伝統と歴史、地域や風土、人、物、心の和合、堀池高菜からはじまる伝統固定種の甦生を楽しみにしています。

反省の大切さ

論語に「吾日三省吾身」というものがあります。これは「吾、日に三つのわが身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。伝えられて習わざるか」の孔子の高弟、曽子の言葉です。

反省というのは、自分自身の心に向かって内省していくものです。誰かの比較や評価ではなく、その日あったことを振り返り自分自身の心に訪ねて対話をしていくのです。本来の主体性というものは、一方的に外側から伝えられる情報では発生しません。外側で感じたことを内側でどのように感じたか、そして同時に人生の意味や目的や初心などを砥石にしてどのように磨いたかを確かめるのです。

人は失敗することで成長しますが、失敗は反省することで得られます。そして反省したら改善や修繕の創意工夫が産まれます。つまり反省をすることは、人生をよりよく生きる上で何物にもかえがたいものであるのは間違いありません。

松下幸之助さんはこういいます。

「誰でもそうやけど、反省する人は、きっと成功するな。本当に正しく反省する。そうすると次に何をすべきか、何をしたらいかんかということがきちんとわかるからな。それで成長していくわけや、人間として。」

そして稲盛和夫さんはこういいます。

「忙しい毎日を送っている私たちは、つい自分を見失いがちである。そうならないためにも、意識して反省をする習慣をつけなければならない。反省ある人生を送ることにより自分の欠点を直すことができ、人格を高めることができる。」

名経営者たちもまた、反省の大切さに気付き反省することで素直さや謙虚さ、主体性や純粋性などを磨かれ人間として成長を学び続けておられたように思います。

もともと反省は、自分自身との対話ですから一人でやっていくものです。しかしそれだけでは日本の伝統的精神の衆智を集めることはできません。だから私は一円対話という場を通して反省する仕組みを提案しています。

忙しくなるのは、振り返る「場」がないからです。

人は場があれば、その時間は丁寧にその場で自分自身と向き合うことができます。それをみんなで振り返ることができるのならみんなで自己内省したことを共有しあうことができます。

例えば、初心をみんなで振り返る場があればみんなが主体性を発揮して改善していく組織になります。誰かと比較や、思い込みやバラバラになるのではなくそこに確かな協力や共有が深まります。つまりバラバラでも内省によって繋がりあう関係が結ばれるのです。

これを自律分散型の組織という言い方もします。振り返りは、自律や協力をしていくための土台です。これはまず自分自身がそうなっているのかということを振り返ることが前提になっています。自分というものとの付き合い方がととのってないのに、周囲の人との関係をととのっていくことはできません。

自分自身をよく振り返る人は、自立していきます。子どもたちにもその時間や場を設けることの大切さを伝えていますが、そこに関わる方々の場もととのえていく必要があると感じています。

だからこそ論語にある「三省」が大切になるのです。徳もまた内省によって磨かれていくものです。引き続き、生き方を通して一人一人が自分らしく仕合せに生きられる社会のために自分自身と丁寧に一円対話していきたいと思います。

屋根を支えよ、いのり続け世

昨日は、日本茅葺き文化協会主催の茅葺フォーラムに参加してきました。全国各地から茅葺職人さんやその文化を守ろうとする方々が参加しておられました。私もはじめて参加しましたが、会場も熱気がありこの先の未来が楽しみになりました。

私は、有難いことにここ数年の数々の甦生を通して多くの伝統文化に携わる方々と交流を持たせていただきました。文化や歴史と共に歩んでいる方々はどの方も力強く、そして守り守られているような雰囲気があります。

代を重ねるというのは、それまでの代々の遺志を繋いでいるということでもあります。これは生き物たちが子孫を残して今につながっているように、脈々と受け継がれていく智慧があります。この智慧を一つ、自分が担っていると感じるだけで天命を味わえるものです。自分の中に何を残してくださっているのか、自分の中に何が受け継がれているのか、その一つ一つをひも解けば自分の使命を自明していくことも可能です。

個性や能力、そしてその人の宿命や運命は、自ら求めなくても自然に導かれていくものです。この道に入っているのも、また日々の出会いも、どれもこれもが文化の顕現したものです。

歴史の面白さはその謎解きでもあり、解明でもあり、新たにそれを見守り育むことができる仕合せを感じられることでもあります。

以前、ブログにも書きましたが聖徳太子が「屋根を支えよ、いのり続けよ」という縁の下の舞のことを書きました。茅葺の屋根は、みんなで葺いた屋根でその一本一本を重ねて束ねたものです。それが自分の家を守っているということを教え、そしてそれをみんなで葺いたということを忘れるなとし、さらにはその重たい屋根をみんなが支えていくようにと初心を舞いで振り返るようにしました。そのうえで、いのり続けよとは、別の言い方では永続する平和の世がいつまでも続きますようにと願いなさいとしたのです。

まさに茅葺は永続の平和の象徴であり、この屋根が多くある日本こそが世界でもっとも自然と共生し永続し循環する仕組みを大切に守る国であるという理念が顕現した国だったのです。

今の時代、先祖たちはきっと心配しているでしょう。しかし、それでもこうやって屋根を守り、祈り続ける人々がいることで安心してくれているでしょう。今までの歴史を省みても、文化を守ったのは大勢いではありません。どのような困難な時も、繁栄のときも、文化を守ったのはごく一部の限られた人たちです。その人たちの純粋で真摯な生き方や生き様によって今の私たちも文化の恩徳・恩恵を享受されているのです。

文化は消えそうなとき、そして失われそうなとき、もっともそこに力が凝縮するものです。その一本の糸は、簡単には切れることはありません。まさにその瞬間も結び続けます。「結」とは、そういう縁「むすび」のことであり必ず守られるという意味でもあります。

日本の茅葺き屋根の文化がこれからこの世界を変えていく気がしています。子どもたちのためにも真摯にその意味を伝承していけるよう守静坊と共に歩んでいきたいと思います。

善根の真心

善根宿(ぜんこんやど)という言葉を知りました。別の言い方では、御蔭宿ともいいます。これは諸国行脚の修行者、遍路、または行き暮れた旅行者などを無料で宿泊させる宿屋のことです。ただなぜ善根というのか、それはお遍路さんに奉仕をし孝徳を積むことができるかともいいまます。

この孝徳とは、孝行の徳のことです。自分の親を大切にするように、喜ばせて大切にするということです。親孝行とは、子が親を敬い、親に尽くすことをいいます。

デジタル大辞林には、《「ぜんごん」とも》仏語。よい報いを招くもとになる行為。また、さまざまの善を生じるもとになるもの。「善根を積む」「善根福種ふくしゅ」とあります。

もともと仏教には、因果応報の法則というものがあります。そこには「善因善果」(ぜんいんぜんか)「悪因悪果」(あくいんあっか)という言い方をします。これは「善い行いをしていれば、いずれ善い結果に報いられる」その逆に「悪い行為には、必ず悪い結果や報いがある」という意味です。

これは地球を含め、丸い球体をみればわかります。どんなに遠くに投げたものでも必ず自分のところに戻ってきます。つまりどのようなものを積んでいるかで、その積んだ因果が長い年月をかけて戻ってくるのです。その時、善い種を蒔く人は善い花が咲くし善い実を漬けます。そうやって、どのような因果を積むかということを常に意識するのが人生をよりよくする一つの知恵でもあったのでしょう。

しかし実際は、宗教とは別に自分の人生を善悪のどちらかでいるためにこんなことをやっているのではかったのではないかと思います。私の思う信仰は、自他を喜ばせることです。みんなの喜びと自分の喜びが一致することです。それを私は徳積みと呼び、お布施といいます。

お布施行としての善根宿であり、まさに御蔭様で宿っているということでしょう。お互いに仕合せになりような巡礼にしていたのが、本質的な宿坊の役割だったのではないかと思うのです。

仲間や巡礼路の甦生に手掛けていますから、私自身もその一つの役割を果たせるように善根の真心で取り組んでいきたいと思います。

守静坊から皆さまへの感謝

一つの偉大なことを為すのは一人の力では成しえません。それはよく振り返ってみればわかります。本当に多くの人たちが助けてくださって、関わってくださってそして一つになります。

つまり一つというのは、みんなで一つということでそれだけ歴史の中で偉業は行われてきたのです。つい歴史の本などには、誰か特定の一人だけがフォーカスされてその人がさもやったかのように記されます。しかし果たしてそうでしょうか。そんなことは絶対にありません。

その当時、その一人に共感してお手伝いしてくださった多くの人たちの人生や願い、想いがあります。それが形になったものが偉業であり、その偉業はその人の名前で為したみんなの偉業ということになるのです。

今、英彦山の宿坊の甦生で本当に多くの方々のお力をお借りしています。本日も、いよいよ茅葺屋根の完成と足場の解体で結をお願いしたら50名以上のお手伝いをいただくことになりました。

思い返せば最初から本当にいろいろな方に関わっていただき、そしてここまで出来上がったのは皆さんが力をお貸ししていただいたことの結晶であり、集積です。それが建物に宿り、いのちを吹き替えてしています。

最初は空き家でボロボロ、シロアリが食べ、野生動物が棲み、暗くジメジメとした廃墟のような状態でした。このままでは、この家は失われて歴史が消えてしまうという声もあり、様々なご縁が背中を後押しして甦生させていただくことになりました。

とても最初は一人では途方に暮れるような話で、不安や心配ばかりでしたが一人、また一人とお手伝いいただいたことでどれだけ心を励ましていただいたかと思うと感謝しかありません。

この後、宿坊でどうするのかというという声もありますが今はそんなことは何も考えられずただただ感謝と恩返しがしたいという気持ちがあるだけです。宿坊が素晴らしいともしもこの先、褒められることがあるとしたらこれは甦生に参加していただいた皆さんが素晴らしいと褒められたということだと私は感じています。

最後まで皆さんの真心に応えられるように、みんなの一人としてやり遂げていきたいと思います。いつも本当にありがとうございます。

当たり前ではない恩恵

私たちが日ごろ当たり前すぎて意識していないものに空気もありますが、同時に重力というものもあります。当たり前すぎてその重要さを忘れてしまいますがこれは私たちの生活において忘れてはならないものの一つです。

たとえば、空気といえば呼吸です。私たちは自分たちの生命を呼吸によって保っています。死んでいくことを息を引き取るというのも呼吸をやめたということです。つまり呼吸をすることで私たちは生命を維持しているということになります。その呼吸は何を呼吸しているのかといえば、空気です。その空気は、目に見える科学的なものとして酸素、二酸化炭素などもありますが私たちは地球の大気に守られているという観点から見直せば偉大な生命の中で他の生き物と一緒に共生しているともいえます。

その空気は、あらゆる風や雨をはじめ木々や微生物まで全体で澱まないように循環させています。循環しながら浄化し、私たちはその浄化システムの一部を担いながら生命を保つような原理の中で生きています。私たちの呼吸は、それだけ地球の一部としての偉大な役割を持っています。

同様に重力というものがあります。これは引力といって物と物が引き合い地球のない分から引き合う力の掛け合わせで発生しています。宇宙にはそれぞれの星々が引き合いながら一つの銀河を形成しています。どんなに関係ない星々とみえても、実際にはお互いに引き合うから一定の距離を保ち関係しながら存在します。そして重力もまた同じように、私たちは地球との関係において引き合うことで存在します。

重力というものの存在に気づくと、如何に私たちの身体や物が重力の恩恵で成り立っているのかがわかります。重力があるから物が安定し、体も保たれ、生命の象るすべての基本が成り立っているのです。これは、家にしても同じ、また木々や植物、あらゆる生き物の姿カタチすべてに恩恵を与えます。

当たり前であることに気づけるか。

この感性こそが、自然体に近づくための大切な真理です。その真理を磨き続け、そん材の妙に気づき、それを活かすことができる人こそ達人ですし、その真理に近づいていく人が自然体になっていく人です。

無駄な力を抜けるというのもまた、重力や引力の法則を学んでいるからです。この世の恩恵をうまくいただきながら、道を歩んでいきたいと思います。

この道を究める

自分の道を歩んでいくなかで、大勢の方から評価されることがあります。その評価は賛否両論あり、それぞれの意見があります。人には価値観があり、それぞれに生き方も異なりますからそのどちらも参考になります。

しかし時折、親しくなりたい方や、大きな影響力をある方、認めてもらいたいと思っている方からの意見に自分が揺さぶられてしまうことがあります。

人が自分を見つめるというのは、こういう時かもしれません。

自分を見つめるというのは、自分というものをもう一度、外の目、内の目、全体の目で観直してみるということです。その中で、自分はいったいどうしたいのか。そして周囲はどう思うのか、自分の初心、役割、天命はどうしたいのかと自分自身を掘り下げていきます。

自分を掘り下げていくなかで、本当の自分に出会います。そして本当の自分の声を聴いてどういう結果になっても悔いのない方を生きようと心で納得するのです。

すると、結果に限らずその人はその人らしい人生を生きていこうとします。つまり自分らしく生きていくのです。

私は子どもを見守ることを本志、本業にしています。なので、試練はいつもそれを見守れるかどうかというものを見つめる機会があります。童心、そして道心を守れるかと自己に問うのです。

子どもが子どもらしくいられる世の中をつくりたい。そして子どもの憧れる生き方を実践したいと決心してから今があります。それは自分の中にある子どもを守れるかという覚悟と一心同体でもあります。

しかし有難いことに、事があるたびに救われるのはその自分の中にある子ども心であり納得していきていこうと約束して決めた二つが一つになった自己一体の本心です。

本心のままに生きていけるように、強く逞しくしなやかに、素直に謙虚にこの道を究めていきたいと思います。

歴史道

私たちは歴史というものを教科書で学びます。しかし本当の歴史は教科書には書いていないことがほとんどです。その理由は、歴史は勝者の歴史でありその時の勝者の目線で都合よく改ざんされていくからです。事実も、事実の様で事実ではありません。現実はさらに多くのものが関わり、同時に敗者の歴史もあるからです。

真の歴史を知るためには、起きたことを丸ごと理解して受け止めていくような歴史道のようなものがあるように思います。それは今まで連綿をつながってきたものにアクセスをし、それがなぜ行われていたのかをその土地や文化から学び、それを辿りながらかつての人たちの想いをつないだり甦生させていく過程で学ぶのです。

つまり本当の歴史は人々の心を伝えていく中にこそ存在するということになります。これは人の生きる道であり、まさに連綿と続いている歴史です。

歴史は生きているというのは、生き続けているということです。つまり生ものですから保存するには漬物のように漬け直して発酵させ続けていく必要があるのです。保存とは本来、放っておいて保存はできません。そこにはお手入れが必要です。そのお手入れは、物であれば行事ごとに出したり仕舞ったり、片づけたり、そして磨き直して手入れします。これが食べ物であれば、先ほどの漬物のように何度も漬け直して腐敗しないように手塩にかけて守っていくのです。

歴史も同様に、常に私たちが手塩にかけて育てていくものであり、また定期的に古くなり腐敗しないように漬け直していくことで甦るのです。

形だけを残すのなら、ホルマリン漬けや氷漬けにして深い暗闇で光が当たらないところで保管すれば可能かもしれません。しかし、そんな形式だけ残っても何の意味もないのです。

私がやっている歴史の甦生は、形をただ残すことに意味を感じていません。そうではなく、その歴史の道を残すことの方が大切だと思っているのです。そのためには、先ほどの伝統保存食の知恵がそのまま使えるのです。

私が漬物から学んだのは、この甦生や保存の知恵でありそれが和の心であり、すべてにおいて対応できる道の処し方とつながっているのです。

子どもたちのためにも、真の歴史を伝承しその知恵がどの時代でも活用できるように私の役割を全うしていきたいと思います。