場道家の思い

昨日は福岡県朝倉市比良松で手掛けている古民家甦生の写真撮影を行いました。改めてビフォーアフターを体験していると、家が磨かれること甦ることに大きな仕合せを感じます。

私は建築家でも設計士でもありません。ただの人です。しかしそのただの人が、家と出会い、家に指導してもらい、家に磨いてもらえる。その家の持つ徳が引き出されていくことで私自身の徳もまた引き出されていく。まさに日本伝統の錬磨や研磨のように、お互いに磨き合える存在に出会えたことに何よりも幸せを感じます。

おかしなくらいに本物にこだわり、狂っているといわれるくらい家が喜んでいるかどうかにこだわっていく。ただの変人のようになっていますが、やはりそれでもそれだけ魂を篭めて取り組んだ仕事には空間に余韻が残ります。

私は大工でもなければ左官でもなく、職人でもありません。

しかし魂を篭めてその家と共に甦生し世の中を一緒に変えていこうとする志だけはあると信じています。志が一体何の役に立つのかと思われるかもしれません。目にも見えず、何もしていないようにも感じられます。志は、その「思い」にこそあります。思いがあるだけで何ができるのかといわれても、思いがなければ何もはじまらないとも言えます。

「思い」をどれだけ純粋に磨いたか、「思い」をどれだけ本気で高めたか。ここに私は魂の仕事の醍醐味があると信じているのです。

家が甦生し、その居心地の善い空間に佇んでいるとそこに永遠を感じます。家の暮らしがここからはじまると思うと、ワクワクしうれしく豊かな気持ちになります。家主のご家族が、一体どのような物語をここから紡いでいくのか。いつまでも福が訪れてほしいと願い祈る気持ちが滾々と湧いてきます。私が民家が好きな理由はここにあるのかもしれません。

私の本業は子どもの仕事をしているものですが、子どもの仕事といっても色々とあります。私の定義する子どもは、いのちの未来です。その子どもたちを見守る環境をつくることが本業で、私はそれを祈るときに仕合せを感じます。

いつまでも空間に子孫の繁栄を願う徳が活き続けられるように、私は場道家としての役割を真摯に果たしていきたいと思います。

いのちの音

昨日は、聴福庵でスイス人のトロンボーンの奏者と日本人の16歳の歌手のセッションがありました。言葉も通じず、年齢差もかなりありますがその二人が音楽を通して新しいものを創造する場に立ち会えたことは仕合せでした。

今回のテーマは、家の声を聴くことでしたがとても印象的だったのは奏者が即興で家の中のあちこちに音を聴かせ同時に家の声を響かせ聴くというセッションでした。家の中にある古い道具たちが共鳴しているようで、みんなで音を響かせようと誘っている様子に楽しい気持ちが沸きました。

また歌手の方は、むかしの懐かしい唄をアカペラで奏でてくれてその唄によって心に情景や情緒が沁みこんできました。純粋な想いや澄んだ歌声に家も参加者も魅了されました。

幼い子どもたちも一緒に音楽を楽しみ、色々な場所に移動しては色々な角度から熱心に聴き入っている様子に音楽の可能性を改めて学び直しました。

よく考えてみると、私たちの暮らしは様々な音に恵まれています。生きていれば、色々な音を感じています。このキーボードを打つ小さな音たちや、私の呼吸の音、そして心臓の鼓動、鳥たちの声や朝陽が昇る音、そして地球の音、あらゆるいのちの音を私たちは日々に聴いているのです。

日々に人に出会えば、それぞれの仕事の道具たちが奏でる音、そこで働く人たちが一緒に語り合い協力する音であったり、争いや不満の競争や孤立の音であったり、言語ではなく心は音で聴いています。

音を静かに聴けば、本当の音が聴こえてくる。

耳がテレビや電子音、その他の雑多な忙しい生活でセンスが衰えていきますが本来の私たちの耳は心を通じていのちの音を聴き分けていたのでしょう。

改めて音楽の深さや魅力を知り、いのちの接し方があることを学びました。子どもたちにいのちの音が伝承できるようにこれからも学び続けていきたいと思います。

 

音を楽しむこと

古民家甦生を行いながら出会った道具の中に、様々な音を奏でるものがあります。音は、それぞれに独特の響きがありうっとりするものや、心が澄まされるもの、気持ちが引き締まるもの、様々です。

それらの音を心で聴き入っていると、なんともいえない楽しみに出会います。まさに音楽の原点はこれらの音の響きを味わい盡す中に存在しているように私は思います。

例えば、現在古民家でご縁があって飾られたり祀られていたりする道具には拍子木や、銅鑼、おりんや風鈴、団扇太鼓や陣太鼓などもあります。人に何かを知らせるために用いられたり、風情を味わうために用いられたり、魔除けで使われたり、お経を讀むときの法具であったり、御祭りのときや戦場での合図であったり、音はそれぞれの用途によって様々な音色を奏でます。

古来、私たちの民族は様々な音を楽器にしてコミュニケーションを行っていました。言葉がたとえ通じない生きものたち同士であっても、その音の響きから通じ合う共通の感覚を持ち合わせていました。

優しい音、怖い音、警戒の音、安らぎの音、危険な音、それらの音の本質を見極め、音を暮らしの中に取り込んでいきました。現代はメロディーやリズムばかりに目が行きがちですが、本来の耳で聴く原始的な音に対してもっと懐かしみ親しむ必要があるのではないかと私は感じます。

なぜなら音は、私たちのいのちの姿の顕現したものだからです。生き方に触れて人はいのちと出会います。いのちは音であり、音がいのちを伝えますから音を楽しむことはいのちを楽しむことにほかなりません。

本日は、不思議なご縁に導かれて聴福庵でスイス人の音楽を愛するミュージシャンと地元で4歳頃から唄を歌い、人々を唄で仕合せにしたいと夢見ている若い日本人の歌手がセッションをします。言葉の壁も超え、歳の差も超え、音を中心につながりみんなと音楽を楽しみます。

日本には天地開闢から八紘一宇という理念がありますが、世界人類が平和であることを祈るのにこの「音楽」はとても美しく素晴らしい和を奏でる道具であることは誰もが認めるところです。聴福庵が子どもたちの未来に向けて、一つの舞台として活躍してくれるのが楽しみです。

e-ZUKA Tech Night

昨日は、故郷で一緒に協力している友人たちの会社の実施する「e-ZUKA Tech Night」に参加してきました。すでに49回の開催の歴史があり、場の雰囲気の中に当時から連綿と続いてきている初志を感じることができました。

過去のアーカイブを読んでいたら「飯塚から世界へ!をキーワードにソフトウェア技術者たちが集結し、テクノロジーについてディープに語り合う場、e-ZUKA Tech Night。」と書かれている文章がありました。

実際に参加すると、単なる技術的な話だけではなく若い技術者を温かく見守り育成していこうという雰囲気に包まれていました。九州工業大学や近畿大学の教授の先生や、生徒たちも参加していたり、専門学校や社会人まで、自由に参加し一生懸命にそれぞれのプレゼンテーションや自分の研究発表、ライトニングトークなどを熱心に温かい雰囲気で笑いあり、感動ありで一緒に学び合っていました。

この友人の会社の創業メンバーだった故高橋剛さんがはじめてコツコツと取り組まれてきたイベントですがそこから大勢の人たちが学び巣立って日本、また世界で活躍しています。まさに飯塚から世界への言葉通りに、若い技術者たちが志を持って技術を学び思いをつなげてくれています。

「何のために技術を学ぶのか。」

故高橋剛さんが私たちにそれを語りかけてくる気がします。彼は「コードに魂が宿る」とも言っていましたが、そこに日本の、いや、日本人のモノづくりの原点を感じます。

人格を磨いた人間が、人間を修め、善き技術によって世界をさらに今よりも美しく豊かにしていくということ。大切なのは、その技術を用いる側も、育てる側も、守る側も技術者たちだということ。

彼の志に触れることで、若い人たちはますます技術者であることに誇りと自信を持っていきます。彼は志半ばで斃れましたが、その遺志は彼の仲間たちや教え子たち、有人たちが受け継いでくれています。

私も現在、故高橋剛さんの遺志を実現するための学校を創っている最中ですが想いや雰囲気を感じる取ることができました。私も自分の場で純粋な想いと共に彼の遺志と共に飯塚から世界へ挑戦していきたいと思います。

 

祈るしかない~自然の理法~

昨日、大型の台風が九州北部を横切りました。上空にはものすごい空気の流れる音や、風きり音、雨が家をたたく音などが響きました。自然の猛威はすさまじく、改めて人間の小ささに気づくものです。

古民家甦生をしてからは、むかしの建具やガラス戸を探しては配置していきました。そうすると、現代のような強化ガラスではなく手作りの薄いガラスを用いるため強風で割れるのではないかと心配になります。

今朝がた来てみると、干してあった玉ねぎはだいぶ落下していましたがそれ以外は、大きな被害もなく安心しました。

むかしは自然災害に対して対策は立てても、自然を征服できるとは思っていませんでしたから自然に敬意をもって接し、祈り暮らしました、災害があるような大きな自然の猛威の前には「祈るしかない」という心境だったように思います。

私も古民家や自然農をはじめてから、祈ることがとても増えました。というより、「祈るしかない」という境地になることを知りました。一つの諦めというか、できることはすべてやるけれど、あとは自然がやったことだから諦めるという具合です。

自然と暮らすというのは、私たちを謙虚にしていきます。

祈るしかないという境地は、あとは自然にお任せしますという心です。自分だけがいいのではなく、自然は常に全体最適に働きます。自分にはとてもつらく悲しい現実があったとしても、それによって悪くなるはずはないと信じるという意識です。

自然は常に理に適っています。言い換えれば自然こそ万物の理法の原点であり、真実の仕組みそのものです。その理に逆らうのではなく、その理を信じるということで私たちは自己を超越して自然の中に入っていきました。

祈るしかない境地を体験するというのは、傲慢になりそうな理に逆らう自分を正し、本来の自然の理法に回帰する機会を得るということです。

不思議ですが、祈るしかないという境地のあとはまた復興していこうという素直な気持ちが湧いてきます。自然の与えてくれた試練を受け容れて、さらに力強くいのちを燃やしていこうと覚悟するのです。

人類が何万年も、何十万年も共に暮らしてきた地球で生きてく智慧は確かに私たちの魂に刻まれています。真摯に自然の理法を学び、子どもたちにその智慧を伝承していきたいと思います。

帰る家

いよいよ今年の3月から取り組んでいた福岡県朝倉市の古民家甦生の納品がまじかに迫っています。水害を経て、色々と大変なご苦労がありようやく家に帰ることができます。仮設住宅での生活はもともと住んでいた場所ではないのだから、いつか必ず家に帰ろうと思ったはずです。

家に帰りたいという願望は、私たち人類は共通してもっている深い感情のように思います。懐かしい故郷、生まれ育った感謝の記憶、両親や先祖に出会え心落ち着く場所です。

帰る家があるということが何よりも有難いことで、その家がいつまでも末永く建ってくださっているということに心の安堵も生まれるのです。かつての日本の民家は、「家は末代まで続くように」と願い、何百年も耐久するように建てられていました。今の近代建築は、材料も建て方も便利になり安易にできるようになりましたがすぐに壊れて建て替えが必要になります。消費経済の影響で帰る家がなくなるのはとても残念なことです。

私が子どもに残し譲っていきたい家は、先人たちが末永く子孫を案じたような永遠や永久を意識するような家です。まさに日本の風土と共に暮らし、手入れし続けて磨かれた神社のような家です。

今日はこのあと、家主の方々と一緒に梁や桁を磨く予定にしています。家の重量を柱と共に支え、地震から守る存在に敬意とその手入れを教えます。

梁(はり)は、もともと古い建築物では、曲った松の丸太を使っていたことから弓を「張った」ような形状ということで 「張り」と呼ばれ後に現代の「梁」という字が充てられたといわれています。その屋根を支える梁を「小屋梁(こやばり)」床を支える梁を「床梁(ゆかばり)」といいます、そして柱と柱で支えられている梁を「大梁(おおばり)」といいこの大梁に支えられている梁を「小梁(こばり)」といいます。古民家の天井をはがすと、これらの梁が出てきます。むかしの梁は飴色のうっとりした松の木が出てきます。

この梁の語源は「向こうへ渡る」という意味が変化したものといわれます。簡単に言えば橋渡しみたいな存在です。縦を支える大黒柱、屋根を支える棟梁は家にとってとても重要な家を支える役割を担うのです。

家の存在が何に支えられているかを実感しながら生きていくことは、家族を守り家をどのように伝承していくかを教えずとも学べ、その意識や思想、考え方や生き方を無意識に継承していきます。

子どもたちが健やかに元気で幸せになれるように祈り今後を見守りたいと思います。

本質的な生き方

私は色々なことを深めては取り組みますから他人から多趣味な人といわれることがあります。しかし自分では色々なことはやるけれど、趣味でやっていると思ったことは一つもありません。もし趣味というのなら、炭くらいでしょうがその炭もまた子どものことを思ってはじめたものです。

そもそも目的をもって取り組んでいると、その手段が色々とあることに気づくものです。もしも手段だけで目的がなければそれは単なる趣味なのかもしれませんが、目的を最優先していくのならばそれは趣味ではなく手段の一つということになります。

私は子ども第一義という理念を掲げ、初心を忘れないように日々を過ごしています。そうすると、その理念や初心に関係する様々な出来事やご縁に出会い、それを深めていくと次第に様々なものに行き着きます。その過程で、伝統技術を学んだり、ビジネスを展開したり、古民家甦生をやったり、サウナをつくったり、むかしの稲作をやったり、ブロックチェーンをやったり、多岐に及んできます。それを周囲の方々はそこだけを切り取って多趣味といいますが、私は決して趣味でやっているわけではないのです。

しかしやる以上、全身全霊の情熱を傾けていく必要があります。なぜならそれが目的であり、それが理念であり初心の実践につながっているからです。仕事だからとか、生活のためだから取り組むのではなく、それが目的だから取り組む価値があるという具合なのです。

そして一旦取り組んだのならば、その取り組みの手段の意味が確かに実感できるまではしつこく諦めないで実行していくようにしています。なぜなら、手段は目的に達するための大切なプロセスであり、そのプロセスの集積が本来の目的の質を高めていくことを知っているからです。

目的を磨いていくためには、様々な手段によるアプローチが必要です。あまりにもジャンルが増えてジャンル分けできなくなり、気が付くとただの「変人」と呼ばれ始めますが、手段だけを見て変人と決めつける前に、この人の目的は本当は何かということを観る必要があるのではないかと思います。変人は須らく、目的に生きる人が多いように思います。

言い換えるのなら本質的な生き方を志す人ということでしょう。

自分に与えられた道を、オリジナリティを追求しながら楽しみ味わっていきたいと思います。

ミョウバン水の智慧

昨日は、古民家甦生に自然塗料の定着剤にミョウバン水を用いて仕上げて行いました。自然塗料の中には、水蒸気で剥がれていくものもあります。また風化していきますからなかなか定着しないものです。

例えば、渋墨などは松煤を使いますが煤ですからいくら発酵をしていたとしても時間が経てば水で流れてしまいます。そこに柿渋を上塗りすれば定着します。他にも弁柄などは土でできた塗料ですから同様に水で流れます。それにミョウバン水を用いれば定着します。

そもそも明礬(ミョウバン)とは何かと思われると思いますがこれは鉱物を化学反応させてつくられたものです。世界大百科事典第二版によれば「火山の昇華物として産することが多いが,黄鉄鉱の酸化で生じた硫酸のため,長石類が変成して生成することもある。またミョウバン石と呼ばれるものはKAl(SO4)2・2Al(OH)3のような組成の塩基性塩であって,ミョウバンではない。カリナイトやミョウバン石は硫酸酸性溶液から結晶させるとミョウバンが得られる」と書かれます。具体的には鉱脈から採れたミョウバンを炉に入れて焼き、水に入れ不純物を沈殿させてその不純物を取り除いた溶液を加熱し、水分を取り除いて結晶化させたものがミョウバン(硫酸カリウムアルミニウム)となるのです。

このミョウバンの歴史は古く古代ローマでは、制汗剤(デオドラント)、消臭剤、薬品にも多く使用されている原料です。

特にイタリアにおけるミョウバンの歴史は古く、ローマ時代から布の染色の際の色止め剤や、防腐剤、皮なめし剤として大切に疲れました。実際にはポンペイ遺跡からは皮なめしに使われた場所からミョウバンが使われた形跡が残っています。さらにメソポタミア、エジプト、ギリシャが産地だったこともあり遠方から運ばれる非常に高価な輸入品のひとつでした。羊毛業が盛んだったフィレンツェでは染色のためミョウバンは特に重要だったといいます。

現代でもミョウバンを活用する智慧があり、定着剤だけではなくミョウバン水にして様々なところで活用されています。特に殺菌効果は、体臭から、あせもやニキビまで、幅広い肌、体の悩みに効果を発揮しています。さらにお風呂に入れれば簡単にミョウバン泉にもなります。洗濯に混ざれば半乾きの臭いや汗臭さなどもなくなります。

人類はかつて様々な鉱物を研究して活用しましたが、きっと染料の定着からはじまり消臭を知り、肌にもよかったことから繊維や薬となっていったのでしょう。化学というものは、組み合わせによる芸術とも言えます。しかしそこには使われてきた長い歴史があってこそ、真の実力や活用法を見出せるようにも思います。

安易な化学ではなく、人類の歴史が証明する化学を学び直してみたいと思います。

森の神様

昨日からフィンランド東北地方のクーサモ町にあるイソケンカイステンクラブに来ています。ここはサウナの本場、フィンランドの中でももっとも王道のサウナを提供するキングオブサウナと呼ばれる完全なるスモークサウナです。

フィンランドのサウナの品質を管理する協会「Sauna from finland」から、本格性、清潔性、リラクゼーション性などすべての項目をクリアした品質証明書も授与されているフィンの伝統のおもてなしを体験できる場でもあります。

私はここのサウナマスターからサウナの本質を学び、本物を体験するためにここまで来ました。サ道のタナカカツキさんにして、「ここが一番のスモークサウナ」であると紹介され遠路はるばると来てみるとまさにこれ以上のものがあるのかと心から感じ入りました。

確かに日本のサウナの聖地と呼ばれる「サウナしきじ」も湧き水と温度、利便性など日本人の水との邂逅に感動しましたがこのイソケンカイステンクラブはもう完全に異質です。

一言でいえば、「森の神様が宿る」サウナといってもいいかもしれません。

かつての私たち古来の日本人は、場に神聖なものを見出してきました。神社の清浄な場にいけば心が洗い清められます。同時にあらゆるものを五感で感じて、精神が研ぎ澄まされていきます。それを「杜」とも言います。そこには必ずご神木があり、私たちを永遠に見守ります。

ここの伝統のスモークサウナはまさに、杜で感じるものとまったく同じものがありました。美しい湖、この一帯がまさに神様の澄まう杜でありここで火や水、土や風、日や月、星々などが見事に調和されまさにその中心に「サウナ」があるのです。

大げさに思われるかもしれませんが、私は「場」を研究する場道家です。様々な場を学び、古来からのイヤシロチを創造することをライフワークにするからこそ感じるものがあります。

3年前に、この5つ星を超えた「7つ星」の場をここまで磨き上げたお父様がお亡くなりになり、今ではその娘さんたち2人の姉妹で家族運営されていますがお話をしているといつも身近に父の存在が見守ってくれているのを感じると仰っていました。

その遺志を継ぎ、ここに森の神様と共にフィン人の魂がキングオブサウナになって生き続けていると思うと不思議な奇跡を想い、とても有難く仕合せな気持ちになりました。

私も帰国後、日本人の魂が生き続ける浄化場サウナを建造しますがここでの貴重な体験を活かして先祖に恥ずかしくないように磨いていきたいと思います。子どもたちに、言葉ではなく心身精神すべてで伝承されていくような場を譲り未来への希望の糸を紡いでいきたいと思います。

ありがとうございました、ご縁に感謝しています。

 

自然の智慧

昨日、自然農の田んぼの稲刈りを行いました。東日本大震災からはじめていますからもう8年目になります。

私はほとんど出張や東京にいますからあまり田んぼに出ることができません。一般的な農業をされる方々は、家の近くの田畑の手入れをしているものです。私のように遠隔で田んぼに関わるというのは、本来は無理なことへの挑戦です。

誰もができるはずがないと思われることに挑戦することは私の生き甲斐であり遣り甲斐です。

他にも暮らしの甦生に取り組み、古民家甦生と年中行事を行っていますがこれもまた東京と福岡を行き来していますから旬を逃さずに取り組んでいます。

最初は無理で不可能だと思っていたことでも、挑戦する範囲が増えれば増えるほどに取り組みそのものが有機的につながってきます。それは仕事の進め方や取り組み方、時間の使い方、もっとも効果があるものへの集中、周囲の力を活かすこと、タイミングを外さないことなどあらゆることが重なりあってきます。

一つの事だけでも大変なのによくそんなにといわれますが、多くのことをやるからこそ一つのことを維持しなければならないということもあるのです。

人生は一度きりですし、一期一会です。自分の心が決めたことや自分の初心が忘れたくないことを現実の世界で応援できるのは最も身近にいる自分自身であることは自明の理です。

だからこそできないとすぐに諦めるのではなく、どうやったらできるだろうかと可能性を探り挑戦を続けていくことが自分を信じるということになります。そして多くの失敗を通して何度も何度も挫折しますが、その都度にそこから学ぶものは何だったかと学問を深める豊かさや喜びも得られます。

特にこの8年、多くの人たちが関わりそして去っていきました。まるで旅のように、その時々で出会いと別れを繰り返し今も私は道を歩み続けています。

昨日は稲の収穫をしましたが、当然無肥料無農薬で機械も一切使っていませんから虫に食べられ、雑草に追いやられ、イノシシにも少し荒らされ収量は世間の農家さんの田んぼを比較するととても少なく微々たるものです。

しかし収量は度外視するのなら、これだけ豊かな田んぼはあるのだろうかと感嘆を覚えます。自分のことだけを考えて収量を増やすのではなく、虫たちや野草たちと一緒に生きていく中でみんなが分け合い、残ったものを私たちが食べるということ。自然でいえばすべての循環を邪魔するのではなく、循環の豊かさを維持しながら生きていけるという仕合せ。

この時代の人間観では収量が少ないことは貧しいことかもしれませんが、絶対的な自然界では分け合い生きる共生と協働の世界は収量がたとえ少なくても豊かなことです。

いのちというものは、必ず死を迎える日が来ます。生きている間だけ富を独占したり、収量をこれでもかと根こそぎ奪い取ったりしても自分のものになるのはほんの少しの間だけです。そんなことをしても、自分の代は贅沢できたと思っても、子孫という永く継承されていくいのち全般を観たら収量はいつも一定であるのは誰でもわかります。

たとえば老舗企業が500年かけて稼ぐ金額と、新興企業が10年で稼ぐ莫大な金額は時間の問題だけで500年の軸で換算すれば総額はほとんど同じなのです。

だからこそどれだけ長い目線で物事に取り組むかが自然の智慧を上手く取り入れることであり、人類が永く生き残るための仕組みになっていくことと歴史を鑑みればそれがよくわかります。

私の取り組む自然農も、暮らしも、これはすべて生き方のことを言っています。

子どもたちに譲り遺していきたい智慧を伝承していきたいと思います。