想念実現の教え

今月19日、元ヤオハングループ代表の和田一夫さんがお亡くなりになりました。私は17年前に約1年間、郷里の飯塚で同志と共に国内外の展開の秘書のようなものを務めながら傍で様々なことを教えていただいた記憶があります。その教えは今も生きていて、私にとっても素晴らしい経験になっています。

今でも、その当時に見せていただいた「感謝ノート」のことは鮮明に覚えており私もその「感謝ノート」を毎日欠かさず書いています。この感謝ノートは私と和田さんとの絆でもあり、今でも私の人生を支え導いてくださっています。

思い返せば、非常に純粋で好奇心があり、偉大な意識をお持ちの方だったように思います。いつも私に「もっと大きく考えなさい」と指導してくださり、私が何を提案しても「まだ小さいな」といわれ、「大きいものには魔術まである」ともいい、物事を捉えるときに常に「偉大な視座で取り組むように」とご指導してくださいました。

またどのようなご縁も点ではなく面でとらえるように言われ、すべての機会を完全に漏らさず活用するようにご指導してくださいました。傍にいて誰も気づかないようなどのような小さく霞んだ点であってもそれを「必然」として迷うことなくご縁をつながれていきました。

また「想念実現」という言葉を深く愛しておられ、「想いは必ず実現する」と信じて疑われておられませんでした。和田一夫さんと私の親友の同志と一緒に峰隆太さんが司会だったケーブルテレビの番組に出演したことは今でも懐かしく、楽しい思い出の一つです。

また仕事への姿勢、プロの厳しさも教えていただき、どのようなことも「命がけで真剣勝負」であることを学びました。いつも会議はまるで命がけの外科手術の現場のように一切のミスも許されない緊張感がありました。意識の持ち方、情熱を傾けること、利他であること、世の中のためになること、またプロ意識や一流人の仕事の流儀のようなものも体験させていただきました。同志となんども企画書をやり直し、一緒にミスがないように何度も何度もチェックして徹夜ばかりしていたことも今では懐かしい思い出です。

今思えば、接したお時間は短かったけれどいただいたものは本当に多くあることに気づきます。1年後、私も創業したてでしたのでそのまま郷里を離れ東京へと挑戦するために和田一夫さんの中国への移住に同行することはできませんでしたが最後にご自宅に呼ばれ、それまでの感謝や謝礼をいただいて温かい握手をしていただいたことも今でも忘れがたい貴重な思い出です。

振り返れば振り返るほどに私が出会った中の人でもっとも人間らしく、純粋無垢で子どものような瑞々しい感性や魂がむき出したようなまさに善い意味で人であり人ではないまるで神さまに近い方でした。

今もその当時に一緒に行動を共にし種を蒔いて育ててきた想念と共に、友と一緒に郷里で夢の実現に取り組んでいます。いただいた御恩は決して忘れることはなく、今の私の想念と共にこの世に生き続けています。子どもたちの未来のために、これからも御恩返しをしていきたいと思います。

心からご冥福をお祈りいたします。

ありがとうございました。

模様替え

先日、社内の模様替えをする話があがりました。日々に様々な仕事が変化する中で、片付けをしていくことや、整理していくこと、何が元の状態かを明確にすることは気持ちの上でも働くうえでもとても効果があるものです。

模様替えという言葉を調べてみるとコトバンクには『建物、室内の装飾、家具の配置などを変えること。「部屋を模様替えする」 物事の仕組み・方法・順序などを変えること。「組織の模様替え」』と書かれています。

この模様という言葉は、図柄や様子を現わす言葉でもありますが兆しを示す言葉でもあります。何かの変化がある際に、その変化に対応して環境を整えていくことは自分たちが変化するために効果があるものです。

人間はすぐに慣れ親しんだ環境の中でマンネリ化しやすいものです。マンネリ化は以前、ブログでも書きましたが次第に変化を嫌がり避けてしまうものです。変化というのは、本来は成長や変化をたのしむものでそれを可視化することで自分自身の暮らしの改善も確認できます。

そしてこの改善は「磨く」ことで、新しい自分の意識や今までにない自分の姿を環境から再認識することもできます。環境によって自分を変えることもできますが、模様替えに取り組むことで新たな変化を身近に感じることができるように思います。

むかしの家の間取りは、ハレの日とケの日によって模様替えを行いました。その都度、変化を味わい、そして平素に帰りました。このハレとケの行き来によって、日々の暮らしを味わい、変化や成長を深めていきました。

色々な模様がある日々を彩ることは、豊かな日常を大切にしてかけがえのない場をみんなで大切に守っていくことに似ています。

模様替えから新たな変化を楽しんでいきたいと思います。

地下水の伝道

聴福庵をはじめ、今、建造中のBAも地下水をくみ上げた水を活用しています。聴福庵は、地下7メートルほどから。BAは、地下30メートルほどあろうかと思います。浅井戸と深井戸を用いています。

この地下水というものは、地下に溜まった水の総称をいいます。そして地面より下の水はすべて地下水と呼んでいいともいえます。また海を除き水のうち表面に現れた水、河川や湖の水は表流水です。

地下水は主に帯水層というところを流れ溜まっています。この帯水層とは、地中にしみこんだ雨や雪が土壌層を浸透してその下にある砂れき層の間隙(すきま)のことです。これが地下水の貯留槽です。この砂れき層の厚さは地域により異なり、数メートルから平野部では100メートル以上になる地域もあるそうです。河川は川幅が広くても1キロメートル程度ですが、帯水層は平野では地域によっては何10キロメートルの幅で存在することもあるそうです。

私たちが利用する井戸水は、この帯水層まで穴を掘ってそこから水を汲んでいるのです。

雨水が天から降り、その雨水を数年から数万年かけて濾過し地下水になっていきます。土壌の中の砂や小石、炭、などありとあらゆる鉱物たちが水を浄化し私たちが飲める地下水にまで濾過します。よく考えてみると、とても神秘的な自然の濾過システムで地下水には不思議な力が宿っていると信じられるのもそれだけの時間の経過があって時空を超えてきた水を飲んでいるからです。

地球の資源が枯渇してきている昨今で、空気の浄化や水の浄化、土の浄化などあらゆる浄化が持続可能な循環のためにも求められます。そしてその浄化はまず、その資源を貪るように大量消費する考え方から転換する必要があります。

それは言い換えれば、人間の心や精神の浄化ともいえます。欲望ばかりを優先し、徳を積む世の中にするのもまた浄化の一つです。浄化の本質は濾過することで、余計なものを取り払って穢れを洗い清めていくことです。

地下水の活用は懐かしい未来を子どもたちに譲るために大切なテーマです。引き続き、水の大切さを伝承できるように地下水の伝道をしていきたいと思います。

旅の醍醐味

旅という言葉があります。この言葉の語源は諸説あるようですが「他火」や「他日」ではないかといわれています。辞書によれば、「住み慣れた場所を離れること」と定義されています。そして英語ではtravelとも言いますがこの語源である古代ゲルマン語では「産みの苦しみ」ともいうそうです。

旅行は今では旅行会社のツアーのように、リゾートに遊びにいくように楽しいものと認識していますがむかしの旅は、つらく苦しいことであったことが語源からもわかります。

よく考えてみれば、自給自足する場所をようやく手に入れそこで住み慣れた家や暮らしを離れるというのはそれだけ危険や苦難を伴ったものです。現代のように便利な移動手段もなく、宿泊施設などもなく、食料は限られたものだけで常に心の緊張を保つ必要もあり、大変な覚悟と決意が求められたように思います。

かつての古の旅に関する格言も、今の時代に読むと意味がはっきりと伝わってこないのは時代的な環境や価値観の影響を受けているからです。もしもその時代に生まれていたなら、その言葉の意味もはっきりと共感し理解したかもしれません。

つまり人間は同じ言葉を使っていたとしても、同時代の価値観で同体験を積んでいない限りその言葉の持つ意味が分からないということです。これは同様に、人生に対する価値観と体験も然りです。

言葉を学ぶということは、時代が異なっても同じ生き方をしてみるということでもあります。その言葉に近づこうとして、今の時代なら何をすることがその意味に一番近づくかと考えてみると少し意味が深まります。そのように自ら体験して近づこうとすることが、冒険であり挑戦であり旅の醍醐味かもしれません。

旅をするというのは、今の時代も危険も苦難も本当は付き纏うものです。しかしそれでも得たいものがあり、それでも叶えたい夢があるのなら敢えて飛び込んでいく勇気が必要になります。

旅には日ごろ得られない大切なコトや物語に満ちています。

人生の旅を味わい、新たな挑戦の扉を開いていきたいと思います。

新しい場

むかしから私たちの先祖たちは、暮らしの中で仕事をしていました。今では仕事の中に暮らしを入れようとしていますが実際には暮らしがあって仕事があるので仕事しかしていない現状が多いようです。暮らすように働くという言葉が出回っていますが、本来は働くこともまた暮らしの一部であったのです。

そもそも職住一体というのは、暮らしを通して働いていることをいいます。日々の人生の暮らしを豊かにするために職業もありました。それぞれに天職をみんなが持ち合い、それぞれの持ち場、持ち味を活かし合って社會を形成してきました。

社會というものは、「和」することで豊かになります。その和は、暮らしを実践していくなかで顕現してきたものです。社會が豊かになっていくというのは、みんなが暮らしを豊かに楽しみ人生を充実させていくことと同じなのです。

例えば、むかしから大事に譲られたものの中で暮らしを味わっていくこと。他にも、懐かしい思い出と一緒に暮らしを彩ること。些細な日常生活の変化に目を向けて自然と調和しながら成長を味わうこと。

暮らしは、特別なことではなく本来の当たり前に回帰することで得られます。職住一体もまた、家というものの存在を改めて見直し、その家を手入れしながら共に暮らすことで得られます。

私が目指している、民家甦生は暮らしの甦生のことでもあります。

暮らしが甦生していくと、懐かしく調和したなかで働くことができていきます。安心する環境があるというだけで人は天職や天命に出会えるようにも思います。

引き続き、子どもたちのためにも新しい「場」を創造してみたいと思います。

問処の道得

「問処の道得」という言葉があります。これは「正蔵眼法」古仏巻にはこう記されます。

「国師、因僧問、如何是古仏心。師云、牆壁瓦礫。いはゆる問処は、這頭得恁麼といひ、那頭得恁麼といふなり。この道得を挙して、問処とせるなり。この問処、ひろく古今の道得となれり。」と。

道元禅師は、問処の言葉が、そのまま仏の道理の表現になるともいいます。つまりは、「自問自答」こそが仏との対話であるということです。

この自問自答には、深さがあるように思います。どれだけ透明な心で自問したか、そしてどれだけ信じ切り時を待ったかという深さによって得られる答えがが変わってきます。純粋であればあるほどに、時空を超え時節を超え真実に到達します。

歴史の偉人たちが純粋な心で取り組んだことは、何百年何千年を超越して私たちの心にその問いを与え続けています。そして私たちはその答えを探し続けながら日々に心を研鑽していくのです、

心の研鑽はまさにこの問処の道得のようです。

私も日々に早朝に起きては内省をし、問処をし続けます。自分自身の純粋な魂が何を臨んだか、そして心は何を味わったのか、頭はどのように整理したのかと、それぞれに一つ一つ問いを発していきます。そして自問自答を繰り返しまた新しい一日を迎えていきます。

この夢のような日々の中で、感謝に包まれながら歩むことができる日々と対峙しながらその意味を深めていくのです。まさにこの問処の実践をすることこそが、仏の道理になるというのは共感するところです。

問処の実践は、流されるけれど流されず、風に吹かれるけれど吹かれないというような今との向き合いが必要です。それはどれだけ心や魂の声に従って自分を活かしきったか、そして全体に対して目的を忘れずに初心を貫いたか、というような主人公としての主体性が必要です。言い換えればいのちを使い切る努力が必要です。

特に今の時代は、なんでも物がそろい溢れ、情報化の中で現実世界(地球の循環)から遠ざかる生活が増えてきています。だからこそなお一層、自然を身近に感じ、自然に近づき、自然と一体化していく努力がいるのです。

地球に住むすべてのいのちは、問処の道得を実践しているように思います。

子どもたちに道理が伝承できるように、自然の生き物たちのように今にいのちを使い切っていきたいと思います。

家が喜ぶか

最後の宮大工として有名な棟梁に西岡常一さんがいます。この方の言葉を深めていると、現在私も取り組んでいるところに共鳴することが多く、学び直すことがたくさんあります。

現代の考え方に対して、本来の在り方はどうであったか。建物を通して飛鳥の工人たちから学んだ西岡棟梁の伝承は、私たちの生き方や考え方にも影響を与えるように思います。

少しその言葉を紹介してみたいと思います。

「建築基準法も悪いんや。これにはコンクリートの基礎を打回して土台をおいて柱を立てろと書いてある。しかし、こうしたら一番腐るようにでけとるのや。20年もしたら腐ります。明治時代以降に入ってきた西洋の建築法をただまねてもダメなんや。」

「電気の道具は消耗品や、わたしらの道具は肉体の一部ですわ。道具を物としては扱いませんわ。それと道具も自分だけの物やと考えるのは間違いです。形ひとつにしても今決まったんやない。長い長い間かかって、使うにはこの形がいいと決まったんですから。」

「今の大工は耐用年数のことなんか考えておりませんで。今さえよければいいんや。とにかく検査さえ通れば、あすはコケてもええと思っている。わたしら千年先を考えてます。資本主義というやつが悪いんですな。それと使う側も悪い。目先のことしか考えない。」

「西洋のノコギリと日本のノコギリとは違いますな。西洋では押しますし、日本ではひきます。これは、性格の違いや。押すというのは細かい仕事ができないということでんな。精密な仕事ができませんな。西洋人の頭のなかいうのは、わりに雑なもんでっせ。」

「水洗便所になってから、こういうふうに、どぶになってしまったんですな。今は水洗便所にせんと文化じゃないと思ってますけど、自分の家だけ文化というんで便利にし、自然を汚してるんでっせ。そんなの文化とは違います。自然と共に生きているというのでなければ、文化とはいえませんな。」

「科学が発達したゆうけど、わしらの道具らは逆に悪うなってるんでっせ。質より量という経済優先の考え方がいけませんな。手でものを作りあげていく仕事の者にとっては、量じゃありません。いいもん作らなあ、腕の悪い大工で終わりでんがな。飛鳥の時代から一向に世の中進歩してませんな。」

この言葉は、古民家甦生をする中でいつも同感するものです。民族伝承の智慧よりも、現代の付け焼刃の科学の方が絶対的に価値があると信じて法律やルールで歴史を壊していくことは必ず未来に大きなツケを残していくはずです。

本来の日本らしさ、日本人らしさ、日本の文化を正しく継承してこそ本物の技術が発展していくように私は思います。そして多様性を維持するだけでなく、このままでは環境破壊につながるとも仰っています。

「いまは太陽はあたりまえ、空気もあたりまえと思っとる。心から自然を尊ぶという人がありませんわな。このままやったら、わたしは1世紀から3世紀のうちに日本は砂漠になるんやないかと思います」

そして私が古民家甦生において大切にしている家が喜ぶかに通じる格言で締めくくります。

「千年の檜には千年のいのちがあります。建てるからには建物のいのちを第一に考えなければならんわけです。風雪に耐えて立つ―それが建築の本来の姿やないですか。木は大自然が育てたいのちです。千年も千五百年も山で生き続けてきた、そのいのちを建物に生かす。それがわたしら宮大工の務めです」

子どもたちが安心して暮らせる世界に貢献できるよう、逆行小舟の道を果敢に歩んでうと思います。

本物の経済とは

私たちは、商売を通して生計を立てていますから経済に関係しているとも言えます。しかし現在の経済は、本来の経世済民の意味から遠ざかり世の中が偏ってきているようにも思います。

この経世済民は、本来は二つの熟語から構成されていて「世の中をうまく治めることを意味する”経世”」と、「人々を救うことを意味する”済民”」から成り立っています。ここから経世済民は「世を治め、人々を苦しみから救うこと」になっていたのです。

本来の経済の本質が時代の変遷と共に変わってきています。特に明治を過ぎたくらいから、経済の意味は変わってきました。19世紀前半の思想家である正司考祺の「経済問答秘録」に「今 世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」と記されています。このころより「経済」=「貨殖興利」となったと言っているのです。

つまりは世を治め、民を苦しみから救うではなく単に利益だけを増やし続ける活動が経済になったということです。現代の経済学も、徳の話や治世の話ではなく単なる経済現象だけを学ぶものになってしまっているように思います。

経済学者、18世紀後半のイギリスの経済学者であるアルフレッド・マーシャルは、「経済学を学ぶにはクール・ヘッド(冷静な頭脳)とウォーム・ハート(温かい心)が必要だ」と言っています。弱者に対する温かい心がなければ、経済学をいくら学んでも意味がないとも。そして同じイギリスの経済学者ケインズの『人物評伝』にはこう記されます。

「クールヘッド(冷静な頭脳)とウォームハート(温かい心情)を兼ね備え、社会的苦悩に取り組むために最善の能力を進んでささげようと志して自らの力の及ぶかぎり努力しないことにはいられない人々の数をいっそう多くすることこそが私の念願なのです」と。

経済の本質を知る人は、その意味を理解しています。現在、ブロックチェーンをはじめ様々な新しい技術が新しい経済を築こうとします。しかしその根本にある思いやりや真心、先ほどの経世済民の祈りや願いのないところに本物の経済はありません。

本物の経済を願い育ててきた日本の先人たち、先輩たちの生き方に倣い、子どもたちのために今できること、自分の生き方で示していきたいと思います。

縁起物

先日、聴福庵の玄関に「慈姑(くわい)」を桶鉢にいれて飾りました。桶はそのままでは水を溜めるので一般的な植物では根腐れしてしまいます。しかしこの慈姑は、もともと水生多年草であることから水を溜めていた方がいい桶の性質との相性がよく元気に芽が出ています。

このくわいは、縁起がよい植物として古来から愛されてきました。特に、むかしからおせち料理に使われ丸い実の部分(塊茎)から数cmの芽が伸びていてその「芽(目)が出る」という姿から縁起物とされてきたのです。くわいという名前は芽が鍬に似ていることが鍬芋とも呼ばれたそうです。

他にも縁起のよさではこのオモダカは「勝ち草」と呼ばれることもあり、戦国武将や大名家でオモダカの葉を意匠化した沢瀉紋が家紋として使用されてきました。豊臣氏や木下氏、福島氏があり、毛利氏も副紋として使用したともいいます。それに徳川家譜代の家臣水野氏、一般的に広まった家紋としての十大家紋の一つとされます。

慈姑の歴史は、もともとは中国産で日本へは平安時代には伝わっていたようです。平安時代の書物「本草和名」には「烏芋(くわい)」の項で「於毛多加(おもだか)」「久呂久和為(くろくわい)」と記されています。また貝原益軒の「菜譜」にも、くわいの栽培方法や食べ方についての紹介があります。

日本は湿地帯が多いため、この水生植物も多様にあります。日本人は植物を様々な縁起物として大切に尊敬し扱ってきました。今回、聴福庵の玄関の隣に飾ったこの慈姑もまた芽が出てきたという縁起を顕すものです。

これからどのような展開が待っているのか、子どもたちがすくすくと幸せにつながる子縁の社會の実現に向けてとても楽しみにしています。

 

与贈循環の場

一緒に働く仲間が「与贈」についてブログで紹介してくれていました。私もこの言葉を知ったのは数週間前です。彼の説明では「自らの一切の利益を求めず、自らのいのちを何かのために使うこと。」、私はこれを真心とも呼びます。

私の思う真心は、一般的に言う頭と心の心ではありません。この真心は、自他一体の境地のことでありそのものと同化している状態、地球そのもの、宇宙そのものに同化している境地の時に出てくる心のことをいいます。

例えば、自分と境界線を分けているものが取り払われたとき私たちはその場と一体になっています。場が自分であるのか、自分が場になったのか、それはわからないほどに自然一体になります。この自然一体の状態のときのことを私は、「かんながら」と呼びます。

つまりは、まるで神様の依り代になったかのように純粋な心、そこには自他の別もなく、空と海が混じり合ったような透明な存在になっていきます。

私たちはなんでも名前をつけては物事の認識していきます。そして文字を書いてはそのものを説明していくようになりました。しかし、この世にあるものはすべて何かが変化した仮の姿でありその元はすべて同源のものです。

目の前にあるすべての道具も、自分の体も、そして天地自然界にあるすべてのものも、さらにはこの意識であったり、宇宙であってもそれは同源だったものが変化して形として顕れたものです。それに名前をつけていくら別のものにしたとしても、その本質は無であるのです。

この無が循環するところに場が生まれます。この無とは、有る無しの無を言うのではありません。元は同じであるという同源という意味、もしくは原点でもいい、その元のままという意味での無のことを言っています。

私たちがなぜ物を大切にする必要があるのか、そして如何に善きものを循環させていく必要があるのか、それは変化に偉大な影響を与え合っている存在であるからです。この善きものこそが、魂の故郷が住んでいる場所であり、その懐かしい「場」に出会うことで人々はいのちの本体に出会います。

私が家を直すのも、子ども心を守るのも、人類の智慧を伝承しようとするのもまた、この与贈循環を「場」によって顕現させていのちの安らぎやよろこび、しあわせの道を伝道していこうとしているからです。

徳が循環する世の中こそが、私たちの永続的な未来を保障するのです。

引き続き、一期一会に自分の人生を全うしていきたいと思います。