むかしの道具

むかしの道具というものがあります。最近では、道具は大量生産された便利なものが当たり前ですが一昔前まではすべて手作りで加工された道具がほとんどでした。

古民家甦生で関わっている伝統的な職人さんたちは、今でもむかしの道具を大切に手入れして使っています。例えば左官職人、畳職人、大工もまた伝統的な道具を用いて手作業で修繕をしていただいています。

この道具というものは、歴史が古く元来は道の具と記すように僧侶の修行のためのものとして用いられていました。それが時代の変化と共に、武具や農具になり、茶道具、華道具のように芸術的なものになり、江戸時代のころには様々な商業や農業、暮らしを支える家財道具として発展してきました。

そして産業革命以降は、道具も次第に使い捨てが当たり前になり便利なもの、交換がきく道具が生み出されていきました。

道具の歴史を遡り今に追いかけてみると、人間の生き方の変遷もまた道具と共に歩んできたことが分かります。つまりは人間の進化のプロセスもまた、この道具から観察し検証することができるということです。

私が道具に対してもっとも印象深く感じているのは、奈良の大和時代、法隆寺を建立した大工の使っていた槍鉋です。宮大工で有名な西岡常一棟梁が、この槍鉋を現代に蘇らせたのは有名です。西岡棟梁は、「木は二度生きる」を信念として切った後にどのように木に接するかで木はそこからもう一度、いのちが与えられるとしました。そのためにいのちを活かす道具でなければならなかったのです。現代の道具で木を削るとすぐにカビが生えダメになるものも、この槍鉋で削るとカビが生えないなど道具一つでその木のいのちを左右したのです。この法隆寺は木の声を聴いて木組みし、まさに道具も木と対話しているから千年の歴史を持つのだと。

その他にも、法隆寺の和釘や様々に加工された装飾などもすべていのちを活かす道具で取り組まれたのが分かるそうです。つまり、現代のような使い捨てのいのちを無視したものを道具とは呼んでおらず本来の道具とはいのちを活かすものを定義していたのです。

むかしの道具は、このように現代の道具とは違いいのちを粗末にすることはありません。人間のために便利に都合よく大量に生産できるものは果たしていのちとしてそのものを観ているのでしょうか。単なる「モノ」に成り下がったものは、本来の「もののあわれ」にあるようないのちや魂を宿しているものではありません。

道具というものは、本来、人間の手足がそのまま伸びたものと考えられていました。使い手の道具は自分と一体ですから、自分の生き方や人格、そしてそれを用いる哲学や思想、心が出てくるものと信じられていました。だからこそむかしの道具は、命懸けて職人さんが手作りし、使い手はよく手入れし大切にし、最期は供養をして土に埋めたりお焚き上げをして祈りました。

むかしのことを言うことは単なる懐古主義で言っているのではありません。現代の世界の状況を見ると、資源が枯渇し人口は増え続け、資本主義経済は過渡期を迎え増え続けたものは日々に使われもせずにゴミとして廃棄される毎日です。

こんな日々の中で、道具は死に絶え、人々の命や心も貧しくなってきているように思います。

私が古道具にこだわり、暮らしを共にするのはいのちを大切にできることを知っているからです。敢えて現代だからこそ、むかしの道具たちを復活させていくことが大切なのです。

同じように暮らしを改革する仲間を求めていますし、子どもたちにその道具を通してむかしを学び、心を磨き魂を高めてほしいと祈ります。引き続き、変人奇人と笑われようと我が道を貫いていきたいと思います。

一円和合

人間にはそれぞれ多様な個性があるように多様な偏りがあるものです。この偏りとは辞書でひけば「 1 真中からずれて、一方に寄る。「針路が北に―」 2 正しい状態からずれて、不公平・不均衡になる。偏する。」と書かれます。

この偏という字は、よく「偏見」という言い方もされますがこの偏の字の語源はどちらか片方の門から人が文字を見るという具合で成り立っています。

この偏見というものは、偏った見方をすることであり中正ではないときに使われます。この中正とは、本来は私がよく使う一円観で言う中庸・中心でありみんなで丸ごと受け容れた時の状態のことです。一人一人の意見をよく聴いて、みんなでその意見を聴いて判断していくのであればバランスが取れた中正的なものに近づいていくのです。

しかし今の世間での偏見は、何か一つの価値観だけで縛りこみ、その価値観に合わない人を裁くような偏見を用いられているように思います。偏りがある人を差別したり、排除したり、排斥したり、変人奇人だと決めつけて仲間外れにしたりすることは決して偏りを活かし合う本来の人類社會の在り方ではありません。

みんな似たような価値観を持たされ、みんな同じでないといけないような圧迫した環境を与えられれば偏りがある人である人ほどその価値観で生きていくことはできなくなります。つまり生きづらくなっていくのです。多様性を認め合う社會は、お互いの偏りを活かし合う社會です。

だからこそ、偏見で裁くのではなく偏見でみんなと折り合いをつけて丸ごと認め合おうという寛容さで社會を創造していくことが全体バランスを保ちながら人類が共存共栄をしていく仕組みになるのです。

この全体バランスとは何か、それはみんなが偏っていることがいいという状態です。人間は集団を創る生き物だからこそ、色々な人たちがいてその人たちがお互いにどう活かし合おうかと考えてここまで人類を発展させてきました。

一部の人たちにだけ都合が良い集団は、活かし合う集団ではないことはわかります。場合によっては活かし合うではなく殺し合うような集団や社会に育っていくかもしれません。

その人の持ち味を活かすか殺すかは、その集団が何を目指しているか、どのような社會を築こうとしているかに関わってきます。人本主義なのか拝金主義なのか、それもまた組織や集団の意識が決めます。人を大切にする組織、人を大切にする集団であればまず傾聴をし共感をし受容して感謝し合うような関係を築いていく必要があります。

そのためには、常識に照らして自分の意見が正しいと教え込むような環境ではなく、それぞれに一理あってみんな正しいといった一円和合する環境を用意し人類を見守り続けていくことだと私は思います。

一円和合の環境を子どもたちの現場に少しでも伝道していけるよう、社業を高めていきたいと思います。

 

 

人類の過渡期~3つ子の魂~

人間が自然な存在としてこの世にあるのは、「生まれ持ったものを磨く」ときに認識するものです。その生まれ持ったものは、その人にしか与えられない天からの使命でもあり恩恵でもあります。人間はその生まれ持ったものを磨くことで世の中に役に立つ存在になれば自然体でこの世の中を自由に自立していくことができるからです。

誰もが正直に素直に自然体で生きられる、共存共栄する世の中はまずこの生まれ持ったものを磨くことを受容されている世の中かどうかで決まります。

私の本業で関わっている幼児の世界は、日本に古くからある諺の一つで「三つ子の魂百まで」と言われ、西洋の諺にも「The child is father of the man」(子どもは人類の父)」と言われ、それだけこの時期に与える影響は一生、また人類の未来に影響を与えると言われます。

その時期の子どもたちがどのような環境であったか、またどのような社會であったかは、人類をはじめ、その人の人生の左右する一大事であるのです。

脳のニューロンの数は1歳の時にピークを迎え、3歳までには個性の要になる人格形成や言語能力も形成されるほど急成長の時期です。この時期に、天性のものを磨くことを見守られるたかどうかはその後のその子の一生に大変大きな影響を与えてしまうのです。

また心においては、さらに影響が大きく心の根もその時期に育っていきます。だからこそその土壌がどのようになっているかが人類の未来を変えてしまうのです。私が乳幼児期にこだわる理由はここにあります。

この時期の子どもたちが自然体で正直で素直に健全に伸びるような見守られた環境があるかどうかで仕合せかどうかが決まり、世界が変わるかどうかが決まります。人類は長い時間をかけて伝承という仕組みを用いて今よりもさらに善くなる未来を創造してきました。この循環の仕組みは天の法理であり、いのちはこのようにバトンを繋ぎながら世界を創造し続けてきたからです。

子どもが天から与えられたものをどう削ぎ落さずに磨いていくことができるか、本来はそれが教育者の役割であったはずです。いつからか削ぎ落してはならないものを無理に削ぎ落させ、別の人生を刷り込み、その他大勢になるように洗脳するようになればその子らしさが失われるだけではなく、本来のその人が失われることもあります。

自分らしく生きるというのは、自然体のままでいい人を増やす社會にするということです。自然体のままで許される社會は、「それぞれが生まれ持ったものを磨き合う社會にする」ということです。

私が見守ることに人生を懸けるのもその理由に尽きます。

人類の過渡期に、今こそ子どもたちの環境を見直す必要性を感じています。長い目で観て、一緒にこの使命を共にしてくれる仲間を求めています。それぞれが安心して心の中の平和を保てる時代になるように協力していきましょう。

聴福庵

「炭鉱のカナリア」という慣用句があります。これは炭鉱においてときおり発生するメタンや一酸化炭素といった窒息ガスや毒ガス早期発見のための警報としてカナリアという鳥が活用されたことが由来です。鉱山以外でも、戦場や犯罪捜査の現場で用いられたりします。また金融の世界では、株価の急落や景気変調のリスクを示すシグナルの意味で使われたりもします。

このカナリアはつねにさえずっているので、異常発生に先駆けまずは鳴き声が止みます。そうやってカナリアが危険を察知して騒ぎ立てることで、人々のいのちを救ったのです。ここから身を捨てて多くの人々を救うという意味でも用いられました。

聴福庵は、筑豊炭鉱の中心地にありかつての炭鉱王伊藤伝右衛門邸の正面にあります。この炭鉱はかつては日本の産業革命の際の全エネルギーのほとんどをこの地の石炭で賄ったほどに貢献してきた土地です。つまりひとつ前の時代の変化の礎になってきた歴史を持っている場所に建っています。

世界の進む方向が大量生産大量消費のグローバリゼーションの席巻で自然を覆いつくすほどの市場を拡大していく中で、大勢の人々が自転車操業的に資本主義経済の激流に流されるまま流されているだけでこのままでは危ないと気づいていても進む方向を誰も変えることができなくなっています。歴史に学べばこのまま進めば人類はかつてないほどの危機に晒されることになります。この濁流に柵をかける人たちがどれくらいいるかわかりませんし、崩壊しないように楔を打つ人がいつでてくるのかもわかりません。

世の中の道とはまるで逆走するかのように聴福庵はその反対の方へと孤軍奮闘しながら前進して小さな鳴き声で危機を発信していますがまるで「炭鉱のカナリア」そのもののようです。

人類が滅亡の危険になるとき、自然災害などの異常が発生する予兆、そして時代の変化の時に身を捨ててでも人々を守ろうとするカナリアです。これはまさか自画自賛をしたいのではありません、まさにもう心身もボロボロの満身創痍の状態で薄氷の上を戦々恐々として歩む心境ゆえにそう自称したのです。

こういう時、西条八十の童謡「かなりや」を心を頼りに歩んでいるのです。

「歌を忘れたカナリヤは後ろの山に棄てましょか

いえいえ それはなりませぬ

歌を忘れたカナリヤは背戸の小薮に埋めましょか

いえいえ それはなりませぬ

歌を忘れたカナリヤは柳の鞭でぶちましょか

いえいえ それはかわいそう

歌を忘れたカナリヤは象牙の舟に銀のかい

月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す」

これは西条八十が詩を捨てようかどうかと思い悩むときに作詞したものだといいます。居場所を見つけて美しい詩を奏でられるという希望を子どもたちに伝えようと謳ったものだと言います。人間の愛や美しさを信じるからこそ唄を忘れることはありません。

聴福庵の声を私がもしも世界へと届けるのなら、「炭鉱のカナリア」の遺志を伝えるのみです。いよいよ聴福庵は、始動を開始するうぶ声をあげはじめました。しっかりと見守り共に歩んでいきたいと思います。

 

 

 

いい循環

世の中には「いい会社」というものがあります。そのいい会社とは何か、それを話し合い定義しなければいい会社が何かはわからないものです。たとえば、成功している会社とか、成長する会社とか、給与や休みが多い会社とか、自由な会社とかいろいろとあるものです。

実際に人間にはそれぞれに価値観もあり、自分に都合のよいものをいいと言いますからいい会社も多種多様に存在するものです。実際にいい会社とは何か、それを定義するものがなければ人はいい会社のこともまたわかりません。

しかしいい会社と呼ばれる会社には、本来普遍的に流れている一つのものがあるように思います。それは「徳」というものです。これは会社に限らず、人も同様に「いい人」とは何かということの定義も同じです。

この「いい」とは「徳」のことを指すのです。

この徳のことは最近は誤解されていることが多いように思います。一つは、何かお得な人物や特別な能力がある人を徳があるといったり、もしくは聖人君子みたいない人物が徳のある人などと言われます。しかしそんな人は最初から徳があるわけではなく、生まれつきの個性だったりもします。

本来の徳は、後天的に精進して磨いていくものです。それは人間として大切な道徳心を磨くこと。たとえば、誠実であること、約束を守ること、生き方を貫くこと、真心を盡すことなどによって徳を積んでいくのです。

徳を積んでいけば、次第に「いい人」になっていきますし、徳を積む人たちが増えれば「いい会社「になる、そしていい会社が増えれば当然日本は「いい国」になり、徳が日本に増えれば「いい世界」になるのです。

徳を積む人たちの背中から私たちは徳の本体を学び、その徳を守り自分もまた徳を積んでいくことで「いい循環」はつながり永続的にその徳は天の蔵に貯金されて子孫たちの繁栄と発展に寄与していくのです。

「いい会社」になることがゴールではなく、徳を積んでいくことがゴールなのです。

いい会社かどうかを査定したり比較したりする前に、何のために「いいこと」をするのかを定義することが大切だと私は思います。

引き続き、私も子どもたちにとっていい人、いい会社になるためにも常識に囚われず至誠を貫いていきたいと思います。

 

自分の選んだ道

人生は生き方で決まるものです。その人がどのような生き方をすると決めたか、それがまずすべてにおいて先でありその後に結果としてどのようなことを為したかが追いかけてくるものです。

結果を出したから生き方が決まったのではなく、生き方が決まっているから結果もまた出てくるということです。その結果とは何か、それは単なる世間的な成功などというものではありません。生き方が現れるというのは、その人が死んだときに生前の人柄や生き様の価値が人々の心を通して世の中に顕現してくるのです。

生き方は常に心の中にあるということでしょう。

しかしその生き方を選ぶには、日ごろから自分の中で定めた初心や覚悟を常に優先していこうとする心の作法が必要になります。

一般的には人間は職業上の立場や肩書、世間体などを気にして自分の行動を決めたりするものです。世の中の常識に従っていることで身の安全も保障されますし、周囲の偏見や差別に受けなくなります。しかし、それは生き方を選んだのではなく無難な方を選んだということです。

人生の挑戦とは何か、それは何も巨大な敵に挑むことでもなく、まったくやったことがないことに挑むことでもなく、未知なことに手を出すということでもありません。

人生の挑戦とは、生き方を貫くと決めることなのです。

生き方を貫くと決めた時から、後悔しない人生を歩むためにありとあらゆる日々の決断や決心を自分の心に問いかけて行動に移していく必要があります。それがたとえ世間から「狂っている」と言われようと、「馬鹿げている」と笑われようと、それは生き方だから自信をもって歩んでいくのです。

そうやって一人一人がその生き方の背中を子どもたちに見せていくのなら、いつかきっと世界はお互いを真に尊重できる平等で誰しもが納得できる平和な世の中になっていくでしょう。

日々は生き方の連続ですから、決して油断はできません。常に自分を磨き上げ、生き方を貫けるように自分の選んだ道に誇りを持ち続けたいと思います。

本物の経済人~世直しの仕組み~

二宮尊徳の弟子たちが残したものに二宮翁夜話があります。これは二宮尊徳の門弟、福住正兄が身辺で暮らした4年間に書きとめた《如是我聞録》を整理して尊徳の言行を記した書のことです。

この夜話には、二宮尊徳の思想や具体的な行動が記録されています。その夜話231条の記録の中に「神儒仏正味一粒丸」という言葉があります。

「神道は開国の道なり。儒教は治国の道なり。仏教は治心の道なり。ゆえに予は高尚を尊ばず卑近を厭わず、この三道の正味のみを取れり。正味とは人界に切用なるをいう。切用なるを取りて切用ならぬを捨てて、人界無上の教えを立つ、これを報徳教という。戯れに名付けて神儒仏正味一粒丸という。その効用の広大なることあえて数うべからず」

どのように世直しをしていくか、その善いところだけを合わせて団子のように丸めて薬にして人々に与えるという発想。この「正味」という字は、余分のものを取り除いた中身、本当の中身という意味です。二宮尊徳は、報徳という考え方はこの3つを合わせてできたということを暗に意味しています。

そしてこの報徳を実現することを報徳仕法を実践することとしました。

「農村の復興・改革という報徳仕法の実践面は、勤労、分度、積小為大、そして、推譲から成っていると考えられる。つまり、まず分度を立て、その分度を守りつつ勤勉に働く。最初は小さな成果しか得られないかもしれないが、それを継続し、積み重ねれば大きな成果が生まれる。成果が生まれたら、いたずらに浪費するのではなくそれを家族や子孫、他人や社会のために役立てる。一言に集約すると『勤倹譲』(勤労、倹約、推譲)と表現されることになり、これらが報徳仕法の実践である」

これは現在のソーシャルビジネスにも通じており、尊徳はもうずっと前に経済で生み出される人間の貧困の問題を解決するための方法を発見しそれを具体的に実現し成果を出していたのです。その後、明治維新により西洋化を急速に進める中で報徳仕法は失われましたが世界を救う世直しの仕組みとしてこれ以上のものは産み出されていないのです。

二宮尊徳がこの仕法に気づくキッカケになったのは、大飢饉と飢餓です。自身の人生の苦労から一生涯を懸けてこの問題の解決に取り組んだ方なのです。グラミン銀行のムハマド・ユヌス氏もグラミン銀行の創設の理由を同じようにこう語っています。

「グラミン銀行設立のきっかけは1974年の大飢饉でした。当時、私は米国の大学で博士号を取得して帰国したばかりで、大学で経済学を教えていました。若くして自信満々でしたが、いくら経済の知識を持っていても餓死していく人々を救えませんでした。」

人が貧困や飢餓で死んでいく現状を心底憂い、なぜこうなるのかと社会構造全体の変革について挑戦した人物たち。まさに経済の道の中で、世直しを実行しようとした本物の経済人たち。

このような人たちが、経済というものの本質を見極め、経済とは何のためにあるのかということをシンプルに語り掛けてきます。

「貧困は人災である。貧困のない世界を創る。貧しい人々は力さえ与えれば、チャンスさえ与えれば、才能さえ引き出せれば自立できる、そしてよりよい社会を創り上げることができる。すべての人に尊厳、自由、平和の保障された生活を」と。

今一度、私たちは深く考えなければなりません。

貧富の差の本質とは何か、格差社会の本質とは何か、同じ人間がなぜこのように差別されてしまうのか。それはすべて「心の問題である」と気づいた人たちが世の中を変えていくのです。どうせこの先、行き詰まる世の中で必ず人類の誰かがそれに気づき立ち上がりみんなを動かし世界は変わります。

その過渡期にある私たちは、その問題にみんなで勇気をもって向き合う必要が出てきます。人類の平和や仕合せとは何なのか、本当の暮らしは、本物の人生はどのようなものであるべきか。

道の途中ですから、今を真摯に学び直しながら人生の正味を練り上げていきたいと思います。

 

 

鏡開き

昨年末に御餅つきをして歳神様に祀っていた鏡餅の鏡開きを行いました。一昨年は、カビが御餅の中までひどく生えて食べることができなかったため、今年ははじめから色々と工夫しました。

たとえば、御餅に焼酎を塗りこんだり、粒炭を御餅と御餅の隙間に入れたり、ワサビを御餅の近くに置いたり、また日ごろは玄関の神棚の近くの温度が上がらないような場所に置き、お祝いの時だけ床の間に出したりと歳神様の依り代としての鏡餅をずっと意識しながら工夫しました。

御蔭様で今年は一切カビも発生せず、いい具合に乾燥も進み綺麗なままのお姿で鏡開きを行うことができました。

この鏡開きとはお正月の間ずっと歳神様がいらっしゃる松の内の間は鏡餅としてお祀りしておりますが松の内が過ぎたらさげて歳神様を遠方へとお見送りします。その際、歳神の依り代であった鏡餅には歳神様の魂が宿っておられる鏡餅を食べることでその力を授けてもらい一年間の無病息災を祈念したのです。歳神様にお供えした鏡餅を家族で一緒に食べることではじめてこの行事は滞りなく実施されたことになるのです。

もともとは鏡開きは武家から始まった行事なので、鏡餅に刃物を使うことは切腹を連想させるのでよくないとされました。そこで手か木槌などで割ることになりましたがこの「割る」という表現も縁起が悪いとされ末広がりを意味する「開く」を使って「鏡開き」というようになったといいます。

今回はしめ縄づくりで用いられている古い木槌を使い御餅を打ち開きました。なかなか硬くて開けませんでしたから、力いっぱい何度も何度も打ち開いていくうちに細かく分かれていきました。

健康や幸福を祈り、お米のもつ力をみんなで感じてながらその力を分け合い頂くことの有難さを改めて感じました。

私にとっては新しいことを開くことを決意する貴重な一日になりました。

この日を忘れずに、新たな道を開いていきたいと思います。

あなたの志は何ですか?

今年も無事に萩にある松陰神社に参拝することができました。幼い頃から志を学ぶ師と仰ぎ学び続けてきましたが苦しかった年、辛かった年の後ほど此処に来ると志風によって偉大に応援されている気持ちになります。

自分の頭で考えたことがどれだけあった一年であったか、どれだけ他人との答え合わせに生きるのではなく自分の答えを生きたか。ここに来ると毎回不思議ですが自分自身の人生の主人公として魂を磨ききったかと師に問われている気持ちになります。

きっと吉田松陰にとっては日々歳月の艱難辛苦こそが学問を通して自己を磨き自己を確立する善い機会だと歓喜し道の探求と実践を積み重ねた日々を送っていたように思います。それが生前に遺している言葉の数々からも省みることができます。

計愈々(いよいよ)違(たが)ひて志愈々堅し。天の我れを試むる、我れ亦(また)何をか憂へん。

仮令(たとい)獄中にありとも敵愾(てきがい)の心一日として忘るべからず。苟(いやしく)も敵愾の心忘れざれば、一日も学問の切磋(せっさ)怠るべきに非(あら)ず。

志荘(こころざし そう)ならば安(いず)くんぞ往(ゆ)くとして学を成すべからざらんや。

夫れ重きを以て任と為す者、才を以て恃みと為すに足らず。知を以て恃みと為すに足らず。必ずや志を以て気を率ゐ、黽勉に従ひて而る後可なり。

を立ててもって万事の源となす 。

この「志を持つことをすべての原点」とした吉田松陰の教えは、松下村塾の塾生たちの生き方に多大な影響を与えました。そしてそれは死後もまた、純粋な日本人の魂に語り掛け続けています。

気が充実するというのは、機が充実するということです。これはその機会が満ちるのを待つという状況であり、それまでは気を蓄え機(タイミング)まで力を磨き続けるということです。この「気」こそまさに志から発するものであり、気力の充実は志力の充実でもあります。志が結実するとき、まさにそれが時機でありその時期に応じている結晶が結果として顕現します。

すべての機会を自分を磨くためにあるとする生き方は、今のような人生とはあまり関係のない歪んだ学問がひろまっている時代にはとても大切な指針になるように思えます。学問は他人のためではなく、自分のためであるといったのは孔子の時代からあったことですから今さらどうこう言っても仕方がなく、指針として生き方を学び直すしかありません。

志とは、刀と砥石の関係であり魂は志があってはじめて磨かれるのです。

最後に今年のテーマに近い言葉に出会いました。どの時代においても変化に適応していくことは学問の要です。

「天下に機あり、務(む)あり。機を知らざれば務を知ること能(あた)わず。時務(時務)を知らざるは俊傑(しゅんけつ)に非(あら)ず。」

意訳ですがこの世には必ず機があり、それを待つ実践というものがある。いくら能力が高く優れていたとしてもその幾に当たらなければ決して何もできはしない。その場その場に集中し、今を適切に応じて実践していくことなしには天与の才徳を持っているとは言えないのである。と。
つまりは本来の天才は、日々の実践を知るものこそが機を活かすことができるということです。目標が達しないからと腐るのではなく、まだまだ志が低く徳が薄いのだと精進するものこそが天与の才徳を活かすのでしょう。
過去や未来を思い憂い、今から離れようとする時こそ「あなたの志は何ですか?」という言葉を三省して自己を磨き続けていきたいと思います。子どもたちに譲り遺していきたい生き方を自らの道を歩むことを以て伝承していきたいと思います。

大晦日~日本の心~

いよいよ本日は大晦日になりました。年々、暮らしが遠ざかり年末年始の正月の雰囲気が薄れてきているように思います。思い返せば幼いころは、年末年始のご挨拶まわりやお歳暮やお年玉、正月の準備の熱気をあちこちで感じたものです。最近では、コンビニをはじめずっと営業している店舗ばかりで休みというものがなくなり、より暮らしを楽しむ時間が失われてきたのかもしれません。行事の意味も変わってしまい、言葉は知っていてもその意味を知らない人が増えてきたこととマンネリ化して深く考えずにただ過ごしているうちに本質とはかけ離れたことをしていて周りもそれを信じて伝承していることもあります。

文化やアイデンティティを持つというのは、何が本物で何が本当か、そして本質は何かということを正しく理解することが大切です。見た目だけを誤魔化しそれが本物にとって代わってしまわないように、プロセスを偽り結果だけで物事を判断しないでいいように真実は語り続けられなければならないのです。歴史の重要さは、自分自身が本物の人生を歩んでいくために必要不可欠なのものです。

この「大晦日」というものも、言葉は知っていてもその意味は最近では語られません。これは旧暦の太陰暦の月の満ち欠けを「晦」といい、月が隠れてしまうことを月隠れ(つごもり)が転じた言葉だと言われます。

新月が1日、月が隠れるのがだいたい30日頃だったためその日を晦日というようになりました。毎月末を晦日といい、一年を締めくくる最後を大晦日といったのです。

この日は、家をずっと守ってくださっている歳神様、歳徳様といった五穀の神様をはじめ祖霊やご先祖様が遠来される日とされ準備をして待つ祭祀の日でした。今では旅館やホテルに泊まったり、カウントダウンなどのイベント会場や有名な神社などで初詣をしている人が増えています。

本来の伝統では歳神様が訪れるのを家人たちと共に一晩中起きて「家に居て待つ」ものだったのですが、明治20年代に官公庁から始まった元旦に御真影を拝む「新年拝賀式」と、1891年(明治24年)の「小学校祝日大祭日儀式規定」により元旦に小学校へ登校する「元旦節」などが実施されるようになり、さらに関西の鉄道会社が正月三が日に(恵方とは無関係な方角の)神社へ初詣を行うというレジャー的な要素を含んだ行事を沿線住民に宣伝しこれが全国にまで広まったことで家で歳神様を待つ「年籠り」という習慣は次第に失われたと言われています。

正月の準備をする中で、歳神様の存在を意識しながら行えば自ずから大晦日は家で待つようになるはずです。しかしなんとなく周りがやっているように意味も分からずに右へ倣へをしてしまうと家で待つという概念は失われていきます。

一年が豊かで充実したのは、日ごろから暮らしを見守ってくださっている御蔭様の存在を意識すること。それは月のように、太陽の陰で常にいのちを見守り育んでくれている存在に気づくということ。夜に月を眺めては、満月の時、御隠れの時と、月の存在が暮らしを支えてくれたことをむかしの人たちは自覚されていたのです。そして感謝の心で、また新年も歳月の福が再び訪れるようにと祈りました。

日本人は常に頂いている方を観て、ないものねだりをせずにある方をもったいなく使わせてもらう慎まやかな暮らしを積み重ねてきました。年中行事には、そういった日本の心が生きています。

御蔭様で暮らしの甦生は古民家甦生と共に着実に一歩一歩積み重ねられています。これもまた歳月を司る歳神様の恩恵なのかもしれません。丁寧にひとつひとつ、心を籠めて子どもたちに伝承していきたいと思います。