変化の最中

先日、終わりがはじまりということについて書きました。これは「今」というものを中心軸に物事を捉えるとき、始まりと終わりは常に表裏一体ということの意味です。同様に明暗も陰陽も、上下も左右もその中心は変化その最中に存在します。

そう考えるとき、変化とはその両方が移り変わる瞬間に発生していることに気づきます。それが終わりが始まりであり、始まりが終わりである証明です。

しかし人はそれまでの過去の習慣を変えられず、今までと同じように終わりをそのままに終わり、始まりもそのまま終わらせてしまうものです。つまりは何も始まらずに何も終わらないという状況になって停滞してしまうものです。

せっかく頑張って始めたものもそのまま終わってしまえばそれは始まっていなかったことになります。そしてそのまま終わらせてしまえば始まりもなかったことにしてしまいます。

何かをちゃんと始めるというのはその分、同時に何かをちゃんと終わらせるということを意味するのです。つまりは今までの何かを終わらせてはじめて、始めることができるということになります。今までのものを持ちながらその手に新しいものを持つことはできません。もしも両方に持つのであれば、その両手に持てないものはどこかに置くか誰かに渡さなければなりません。自分が持つしかないと思い込んでいつまでも手放すことができなければ、いっぱいいっぱいになったその手には新しいものを持つことができなくなります。器と同様に、その器に何を載せるか、私たちはそれを転換しながらその時代を生きているからです。

さらに人間には決して終わることがないこと、終わってはならないものというものがあります。それが変えてはならないものであり、変わらないもののことです。これは理念や初心、目的や信念、道などもそうですがこれは始まりも終わりもない永遠のものです。

しかし時代は変わっていき環境も変化していくのだから、何かが始まり何かが終わるのは世の常です。その時にいつまでも過去にこだわり、それを手放さずに変化しなければそのまま時代と共に淘汰されてしまいます。それが自然の理だからです。だからこそ、過去にそれがいくら良かったとしてもあるときに次への挑戦がはじまるときその功績や成功を手放さなくてはなりません。いや、むしろその成功事例や功績こそを手放さなければ終わりがはじまりにならないからです。

変化と永遠は、温故知新する中で常に向き合う大きなテーマです。諺に、「創業は易く守成は難し」とありますがはじめることよりも終わりを始まりにしていくことの方がよほど難しいことなのかもしれません。

引き続き、次世代の子どもたちの環境のためにも変えていくことの重要さを実践により伝承していきたいと思います。

豊かな苦労と時間

昨日、吉野杉樽に漬けこんでおいた高菜の手入れを行いました。今年は収穫量が少なかったため、いつもの4分の1しかなく貴重な存在になっています。郷里の伝統の堀池高菜の甦生のために固定種の種を蒔き、樽にそれまでの菌を住まわせ環境を用意して6年以上になりますが今では暮らしの一部になっています。

手塩にかけて育てるという言葉もありますが、漬物は塩を入れて何回も何回も漬け直すことでいつまでも美味しく食べられます。そして樽もまた、塩分濃度によって発酵もすれば腐敗もしますから常に塩を入れ続けなければなりません。

特にこの青菜のものは、日ごろから食べようとするとあまりにも塩分が強いと塩辛くなりすぎて食べれませんから適度な塩分が必要になります。適度な塩分というものは、手間暇をかけて見極めていく必要があります。

当たり前に食卓に出てくる漬物一つでさえ、種を蒔き育苗をし、生育を見守り収穫をする。その後、道具や高菜を洗い天日干しをし、漬けこんだら何度も何度も漬け換えをする。その年月は最低でも一年以上、もう6年物の高菜は6年間それをずっと続けていることになります。

苦労と時間をかけてつくられていると感じるからこそ「もったいなく」感じ、そこにぬくもりと豊かさを感じます。

今ではお金さえあればなんでも買えて余剰にありすぐに捨てられるような環境がありますが、この手間暇の苦労と時間はそこには感じられないものです。自分で作物を育て、自分で食べるものを用意し、そしてそれを美味しく食べるという原始的な活動は、目には見えない苦労や時間を味わう貴重な存在として暮らしを豊かにしていきます。

本当の豊かさに気づいて、如何にそれを今の時代とのバランスを保っていくかはこれからを生きていく子どもたちの課題でもあり、今を生きる私たちの命題です。

引き続き、豊かな苦労と時間という実践を積み重ねながら本来の豊かさの意味を暮らしの大切さを子どもたちに伝道していきたいと思います。

守る=変わる

理念の話をしていると、よく「自分には理念などない」や「理念がなくても経営はできる」という言葉をいただくことがあります。確かに、今まで考えることもなく、そんなに理念理念と声高に言わなくても大きくなってきた組織や、上手くいってきた会社ではそんなものはなくても問題がなかったという声もあります。

この理念という言葉は、あまり聞きなれないものであり最初は理念から考えて取り組むということをちゃんとやっているところも少ないと思います。確かに私も普通に仕事をはじめてからはそんなに理念のことを考えなくても、目の前に与えられたことを必死にやるだけで精一杯の時期を体験していたのを思い出します。

しかし、仕事を覚えていく中でいくつもの困難や壁にぶちあたります。その中でどうしても判断基準や拠り所が必要になり次第に理念のことを考えるようになってきます。そもそも何のためにやるのかや、本来これはどういうことなのかと、仕事が本物になればなるほどにそのことが必要になってくるからです。

そして変化を迫られます、自分がそのままではどうにもならないことに気づくのです。そして変化と向き合うとき、同時に理念というものに向き合うことになります。なぜなら変化とは、守るべきものがあることに気づくときに発生するものだからです。

これは変えてはならないというものは、言い換えるのなら「これは守られなければならない」というものです。それを信条ともいい、信念ともいい、その目的そのものだったりします。それがなくなれば元も子もない状態になるのはすぐにわかります。そしてそれを守ろうとすると変わることを恐れなくなっていきます。

つまりは変わる人というのは、守るものがあるからこそ自分が変わらなければならないという状況になるということです。そしてその守るものこそが理念であり、理念経営とはつまりは守るためにみんなで変わっていこうとする仕組みのことです。

これをもしも逆にすればどうなるか、変化を恐れ自分を守ることを最優先して大事な守るものは守らないとなると滅びてしまうのは自明の理です。だからこそ「自分は一体何を守っているのか」という言葉を常に自分に問いかけ、本当に守りたいもののために変化を恐れずに取り組んでいくことが「守る=変わる」ということになります。

大切に守るものがあるからこそ人は変われます。

その守るものをみんなで守ろうとすること、それが理念を実践するということです。時代が変わっても環境が変わっても、結局は人は生き方と生き様です。人を守れる強さとは生き方を守れる強さのことです。

引き続き子どもたちの今を見守るためにも理念経営の実践からの気づきを子どものいる周囲へと伝道していきたいと思います。

湿式工法の瓦葺き3

昨日は再び屋根にのぼりみんなで土葺きでの瓦葺きを体験しました。職人さんが軽々とやっているのを見るのと自分たちでやるのでは勝手が異なり、瓦一枚を葺くのに大変な時間がかかりました。

しかしみんなで協力して葺いた瓦には愛着が湧き、そこに綺麗に波打ついぶし瓦の様子にぬくもりを感じます。日本の伝統的なものを伝統的なやり方で実践する、まさに心と技術が調和することで和の家が実現することを再確認する有難い機会になりました。

この後は数週間の間、土を乾かし仕上げにのし瓦や鬼瓦をのせて完成です。時間をかけて土を乾かす間もまた、味わい深い大切な時間です。のし瓦は屋根の棟に来る雨水を表側と裏側に流すために積まれる瓦の事を言います。そして鬼瓦は屋根の棟の端に置く大きな瓦のことでこれは厄除けと装飾を目的として設置されています。

少し鬼瓦を深めますが、この鬼瓦のルーツはパルミラにて入口の上にメデューサを厄除けとして設置していた文化がシルクロード経由で中国に伝来し、日本では奈良時代に唐文化を積極的に取り入れだした頃、急速に全国に普及したとウィキペディアにはあります。

この鬼瓦を眺めていると、家を守る存在が屋根であることをより実感します。中国での鬼は、厄災をもたらすものとして忌み嫌われますが日本のオニは厄災を転じて福にするオニです。

例えば、大みそかに山から降りてくる神さまを祀るのに神が鬼の姿に転じた行事が日本各地に残っています。人々は鬼を恐れながら囃(はや)し、もてなします。また仏教では敵対していた悪が仏法に帰依し仏法を守護するものとして鬼があります。日本では牛若丸と弁慶のように、純粋な魂や義を守る守護神としてオニのような強さを持つ存在を守り神として大切に接してきました。

この屋根のオニは、日本の精神を顕すものでありオニの存在が屋根を守り、私たちはいつも守られながら暮らしているということを忘れないということに気づかせてくれます。

家を思うとき、私は守られている存在である自分に気づきます。家が喜ぶかということは、守られているということに感謝してその家に住まうことをゆるされている自分たちがあると実感して楽しく豊かに暮らしていくことだと思います。

今回の瓦葺きから、日本建築が如何に「守る」精神に包まれているかを学び直しました。引き続き、聴福庵の離れの完成までのプロセスを味わい子どもたちに初心を伝承していきたいと思います。

家主と大工棟梁

昨日は、御蔭様を持ちまして上棟式を無事に済ますことができました。早朝より祭壇の準備をし、お神酒やお米、お塩にいりこを用い東西南北を清めるために四方固めの儀を執り行いました。

思い返せば昨年4月より古民家甦生をはじめてから大工棟梁と一緒に古いものや捨てられているものを拾い、一つ一つ家が喜ぶように甦生に手掛けてきました。何回も諦めそうになるところを助けてもらい、譲ることができない理念や信条から出てくる身勝手な無理難題を何度も受け止めて手を盡していただきました。

そしてお金にもあまりならず、手間暇もかかり、現代の儲け主義の経済観念からは程遠い私の仕事を心意気で支えてくださっています。家を支えるのが大黒柱だとしたら、その家の主人を支えてくださるのが大工棟梁なのかもしれません。人間に掛かりつけのお医者がさんがいるとしたら、家の掛かりつけのお医者さんは大工さんです。この安心感はとても大きく、長く共に暮らす家には欠かせない存在です。

私のようなど素人がここまで古民家甦生ができるのは、周囲に支えてくださっているご縁があるからです。上棟式の御蔭様でそのご縁の尊さを改めて感じる有難く感慨深い振り返りができました。家や家の主人にとっては暮らしを支える伝統の職人さんたちが減っていくのは本当に悲しいことで何とかしなければと思います。

その後は柱を組み立てていきながら作業は続けられ、お昼の直来では手づくりの「おくどさん」にはじめてかまど鍋を用い「ハレの日」の初のお祝いとしてトン汁をつくりました。具材は地場産野菜、味噌も自家製の手作りのものを使いました。また竈でご飯も炊き、左官職人さんたちも合流して一緒に食事をしました。

夕方の上棟式では、クルーの一人も一緒に屋根に上り四方餅を撒き、祝杯と共に私たちの会社の創作祝い唄である「円満祝い唄」をみんなで唄いました。

大工さんや鳶職の方にも古来から木遣り(きやり)という労働歌の祝い唄があります。これは木遣り歌・木遣り唄ともいわれ、由来は1202年に栄西上人が重いものを引き揚げる時に掛けさせた掛け声が起こりだとされています。私たちの祝い唄も同様に、どんなに苦しくて大変でも笑っていこう、すべてのことは福に転じていこうという歌詞になっています。

これまでの苦労と仕合せを噛み締めながら唄う円満祝い唄が心に染みました。同時にこの日本人の精神や真心が、未来永劫子どもたちにずっと伝承されてほしいと願い、家に祈りました。

引き続き、これからはいよいよ古建築の智慧を学び直すため古来の工法の瓦葺きの挑戦に入ります。いただいているご縁を大切にし、恩返しに換えていきたいと思います。

聴福庵離れ上棟式

いよいよ今日は聴福庵の離れの上棟式を迎えることができました。ここまで来るのに1年半以上、復古創新の実践の一つとしての風呂場にするために古来からの智慧を結集して建築します。

風呂桶は60年前の大きな奈良漬けの樽と明治頃の炭で沸かす桶風呂を甦生し、建具は時代物の格子戸をはじめ蔵戸や板戸と甦生し、屋根は古建築の智慧を甦生し、床下は菌を用いた発酵床に備長炭と水晶を設置し、玄関の踏み石は古代の六方石を甦生し、壁面の塗料は柿渋と渋墨を用い、ご鎮座する神様は禅宗の跋陀婆羅菩薩をお祀りし、古材の板と水場は古瓦によって装飾されます。その風呂やシャワーの水は仲間と一緒に手掘りした井戸水を用います。そして明後日には屋根に上り呼吸する伊賀の土を用いて伝統の瓦葺きを仲間と一緒に行う予定です。

文字を並べただけでも数多くのご縁の賜物でよくもここまで集まったものだと感謝が湧きあがってきます。一つ一つを深堀りしていきながら、どのようなものが未来の子どもに本当に譲っていきたいか、生き方と働き方の一致を通して学び直してきました。

古からの先人の智慧を学び、それを伝承していくことはまさに連綿と続いてきた日本民族の生き方の踏襲であり、同じ道の上を歩んできた過去と今がつながる瞬間でもあります。どんなに世界や時代が変わっても、その風土で生きてきた暮らしは変わらずに存在しているのです。日本に育った私たちは風土とは切り離すことはできず、私たちは自然の一部として存在しているのだからその暮らしを守り続けるために常に今を温故知新し自分自身を毀し続けて本質を磨き直していく必要があります。

このように感慨深いものがありますが、話を戻して上棟式のことを紹介すると家などの建物を建てる際に末永く持つ堅牢で安全な家が建つこと願いこれから住む家族の健康や幸福を祈ります。そこから式典を設け工事の安全と建物の末永い神の加護を祈る行事として行われてきました。

この上棟(むねあげ)とは木造建築で柱や梁などを組み立てて、屋根の一番上の部材である棟木を取り付けるときのことをいいます。

最近では神主さんを呼んでまで行わず略式で施主と大工棟梁で略式で行うところや、上棟式をしないところも増えてきているといいます。式典というよりも大工さんへの労いなどもあって直来といって食事会を開きお互いに関係を結んでいくということもあるそうです。

私の幼いころは、近所で上棟式があるとお餅まきを目当てに子どもたちと一緒に必ず訪問していました。50円玉を躍起になって拾っては、お餅がいくつで小銭がいくらとみんなで数え合ってそのまま駄菓子やさんに直行していました。

今ではそういう場面を見かけることも少なくなりましたが、懐かしい風習がなくなっていくのは寂しいものです。今日は大安吉日、とても目出度い日ですから自分たちになりに、懐かしい未来を体験して味わい深い祈りの一日を過ごしていきたいと思います。

 

幸福の道

生きていく中で私たちが学ぶ大切なことに「感謝」というものがあります。この感謝は、自然に生まれてから備わっているものですがそれを磨いていく中で人格が高まり人生がよりよく仕合せに実現していきます。

しかしこの感謝は、性格の歪みによって別のものにすげ換ってしまうことがあります。それは「素直」かどうかがカギを握ります。性格が素直な人は、感謝しかない状態でその心境のままであるから無理をしたり頑張ることがありません。

文字通り素直に自分の心と言葉が一致しており、無理して頑張って感謝したりされなくても自然に感謝の状態を維持することができています。その素直さが謙虚さであり、感謝しかなく有難いと全てのことを感じているからこそその人物は自然体で人を信頼し、また周囲から信頼され、楽しく豊かな日々をみんなと一緒一体になって生きていくことができます。それこそが、真実の幸福であり自由であり自立した成熟した人間の姿です。

ただ幼少期から、自分以外の誰かの評価を気にしてはその評価がよくなるように頑張って評価される経験を積み重ねていくと自分の仕合せが歪んでいきます。無理して誰かのためにやることで自分が仕合せになると信じ込めば、感謝もまた評価の一つにすげ換ります。

本来、感謝は自分が仕合せを感じているのが先です。例えば、こんなに恵まれて有難いや、自分の好きなことをやってみんなが喜んでくれてとか、自分の遣り甲斐が誰かの役に立っていて幸せとか、まずは自分自身が自分自身であることに感謝していることが先であることが本来の感謝ということです。

しかし実際は性格が歪み素直でなくなれば、感謝のために頑張ろうとして感謝を忘れるという本末転倒することをしてしまうのです。

禅語に「足るを知る」がありますが、これは自分がまずその恩恵をいただいていることに感謝することです。不足を思うのは感謝ではなくなっているからであり、知足を感じるのは感謝の状態になっているからです。そこには無理な努力や頑張りは必要なく、いただいている感謝を活かしてもっとみんなの歓びになりたいと自然体になっていきます。

自分自身が仕合せかどうか、それを立ち止まって考えることは感謝を忘れない実践です。感謝を忘れていないのならば素直のままであるということです。素直だから事物は明察され鏡の如く真実がそのままに映りますからどのような判断もあるがままです。

人間は誰かのことをとやかく言う前に、自分自身はどうなっているのか、自分に矢印を向けて謙虚かどうか素直かどうか、また感謝のままでいるかどうか、「人間としての自然体」を常に自己反省して人格を磨き高めていくことが幸福の道につながります。

子どもたちを見習い、素直で謙虚で感謝しかない生き方を目指していきたいと思います。

今ここ、すぐやる

物事をやるときにすぐやる人と先延ばしにする人がいます。少し前の流行語に「いつやるか、今でしょ!」がありましたが、今やる人は常に主体的であり後でという人は受け身になっていることがほとんどです。

この理由は簡単で、期限が迫ればその期限の圧力や惰性の力で物事をなんとかしようとするのは「しなければならない」という外圧を用います。例えば宿題などもそうですが、期限があるからやらなければならないからやっているのでありそれを何度も何度も繰り返していく中でそうやってやることが癖になってしまっているからです。

本来、宿題などではなく自分から進んで学びたいと思っている人は期限がありません。いろいろなことを深めていきながら、その事物に没頭していきます。この没頭するというのが今のことで、今没頭しているのだから後にするという発想はありません。もしも後にしたとしても、それは先延ばしではなく没頭しながら後にするので「今」から離れたわけではありません。

これはどんな仕事もそうですが如何に意義を持たせて面白くやっていくか、面白くないことでも如何に面白く取り組むかが、「創意と工夫」です。創意と工夫をする理由は、好奇心をもって主体的に自分が取り組めるようにするためでそれを維持することでマンネリ化を防止しているのです。

そもそもどんなこともそれをやる理由は何かと思うとき、それは単にやること自体が目的ではなかったはずです。そう考えてみると、ただ真面目に頑張ればいいのではなくもっと楽しく面白く豊かにやる工夫は自分自身ができるはずです。余裕がないからそうなったのではなく、余裕を創造していないからそうなっていくのです。

忙しさというのは、創意工夫で忙しくなくなるものです。それは自分が初心を忘れずに心を籠めていくことを大事にしたり、せっかくだからと一石二鳥のようにこちらで学んだことをあちらで活かし、自分が起きたことを誰かの役に立てたりと発想を転換していくことで忙しさは感謝に換ります。

一見つながっていないように観えますが、この感謝があるかどうかが「やっているのとさせていただいている」との大きな違いになります。させていただいていると思っている人は無駄なことは一つもないことを知っており、その機会に感謝し、天からの声やお客様からの声、周囲からの声を真摯に聴き、それを楽観的に福に転じていきます。いわば素直で謙虚な人です。聴いて福にする人というのは、常に素直に謙虚に物事の声を聴き自分に矢印を向けて反省を欠かさない実践を積んでいます。

思考の癖もまた刷り込みですからそれに気づいてそれを転換するためにもっと創意工夫や余裕を創造していくといいのかもしれません。またあれこれと考えて先延ばしするのではなく、今来ているものだけを丹精を籠めて取り組んでいくことで今に没頭していけるように思います。今、此処すぐに自分を使っていくことの繰り返しが真の余裕を持たせるように思います。引き続き、今できることに人事を盡していきたいと思います。

自由という教材

自由というものを深めていると創造や独創という言葉を直観するものです。つまりは一人ひとりは天才であり、その天才が自分自身を発掘するプロセスにおいて自分なりの方法で自分らしい答えを創出していくということです。

とことんまで天命を追求していけば、自分にしかできないことに人間は出会えるものです。そのうえで、自分の実体験から考えたことはすべて独創的で創造的なものですからそのプロセスを重んじることで人生は唯一無二の自分自身に近づいていくように思います。

自由という言葉は、そもそも誰とも比較しないという前提があります。似ている言葉では私の解釈ですが、独立不羈なども同義であろうと思います。これは辞書をひけば「他からの束縛を全く受けないこと。 他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うこと。」とあります。その本質は「自らものを考え、それを行動に移し、移した行動については自ら責任を持つ。それが、独立不羈の精神」です。

本来の自由の意味をどれだけ深く理解しているか、そのためには常に自分自身と向き合い自分自身の人生のプロセスを味わえる芯の強さが必要になります。

そこに本物の自己自立があります。

徳と才を兼ね備えるには、自分のかけがえのない人生を自分自身が主人公として磨いていかなければなりません。世間の常識に縛られたり、誰かの制約を受けたり、そういうものを乗り越えて自分自身であり続ける精進があって自由を満喫することができます。

誰かから与えられた自由や不自由にばかり囚われ、自分自身であることを忘れてしまえば本当の自由は遠ざかるばかりです。

如何に世界でたった一人の自分を仕上げていくかは、その人の生き方次第です。自由という教材は、それだけその人を磨くには都合の善い価値のあるテーマです。本来の自由にどれだけの子どもたちが気づき、それを自分なりに咀嚼して世の中に唯一無二の個性を発揮していくことができるのか。

私自身の人生のプロセスを省みながら、その文化や存在価値をどのように次世代へと継承していくのか、新しい時代の教育と学校というものの復古創新を同志たちと共に進めていきたいと思います。

ボタを拾う

昨日は知人と一緒に、郷里のボタ山周辺で石炭を拾ってみました。石炭とは、数億年前の植物が完全に腐敗分解する前に地中に埋もれ、そこで長い期間地熱や地圧を受けて石炭化したことにより生成した物質の総称のことをいいます。

今では見たことも触ったこともない子どもたちも増えていますが、少し以前まではこの石炭が燃料やエネルギーとして私たちの近代化の発展を支えていた材料でした。石油も化石燃料ですが、この石炭もまた化石燃料です。豊かな湿地帯や水辺、砂や泥が多いところに巨大な森があったところから石炭は出てきます。かつてここ筑豊一帯は、大きな森に覆われていたことが分かっています。

そしてこの筑豊にはボタ山というものがあります。石炭でも燃えなくて使い道がないものを炭鉱夫はボタ(捨石)と呼び、それを捨てたところが山のようになっていることから名づけられました。このボタ山は、炭鉱閉山後は自治体から「負の遺産」として位置づけられることが多く石炭産業に代わる産業として炭鉱跡地に工業団地を造成したり、最近ではソーラーパネルを設置したりと急速に数が減ってきています。同時に日本の近代化を支えた石炭産業の象徴としてボタ山を恒久的に残し、維持管理していこうとする動きも出始めて歴史遺産として遺していこうという活動もあります。

郷里には、優美な美しさから「筑豊富士」と呼ばれる日本最大級のボタ山があります。これは大正7年から集積され始め、昭和40年の閉山までに10tトラック70万台分がたまっていきました。なんと高さ141メートル、敷地面積は22.4ヘクタールあります。

40年以上前に使われなくなったボタ山も、時代の流れと共に子どもたちには忘れ去られていきます。歴史というものは、学び直すことと価値を再発掘することでこれから生きる私たちに風土の大切な教えとして発展を約束してくれるものでした。なんでも均一化し、平均化していく世の中で、如何に風土の個性や歴史の価値、また文化の智慧を継承していくかは今の大人たちの課題です。

色々なご縁を味わいながら、歴史を学び直し、風土の魅力を再発見し、子どもたちに風土とは何か、文化とは何かを復古創新し、伝承していきたいと思います。