木と水はいのちの父母

以前、佐賀の老舗漬物店で譲っていただいた50年前の奈良漬けの大樽を加工して聴福庵のお風呂に甦生したのはブログで紹介しましたがその際に半分に切ったものが桶屋さんに置いたままだったのでそれを受け取りにいきました。

だいぶ壊れてしまいましたが、これをまたみんなで別の活かし方がないかを考えて甦生していきたいと思っています。

昨日は桶と樽の違いについてじっくりと話をお伺いする機会もありました。最近ではあまり見かけなくなった桶や樽には、その用途にも違いがります。簡単に言えば日常の暮らしの中で身近に置いてあるのが桶です。そして樽は、酒・醤油などを入れ、保存・運搬などどちらかといえばお店や業務用として用いられました。

また樽は蓋が閉じられた容器が多いのに対し、桶はおひつや寿司桶など蓋が閉じられていない容器であることが多いです。また側板に板目板を使うのが「樽」であり、柾目板を使うのが「桶」になります。この板を横に切るか縦に切るかは木の特徴を活かし、水が滲み出すか滲み出さないか、蒸発するかしないかなど見極めています。

そうしてみると酒樽や醤油樽は、水を用いますから水が滲み出さないように板目でなければなりません。そして水を長期間保管し長く使うものだから樽となります。そして桶は水気をなるべく通し乾かすためには柾目であった方が水が滲み出し使い勝手がよくなります。また鉋をかけて表面を滑らかにし、乾きやすく短時間何回も使うものが桶になるのです。

桶職人や樽職人は、木の職人ですが木を活かす精神を持つ日本文化にとって本当に譲り遺したい大切な技術を持った方々であるのを改めて感じます。現在は中国をはじめ東南アジアから機械で大量生産され表面を化学塗料でコーティングされた桶がたくさん輸入されて価格が壊れて古来からの伝統の技術も職人さんたちも失われてきています。私たち日本人が本物に触れて日本の文化を守ってほしいと祈るばかりです。

また最近は日本文化を深めていると、この日本が木と水によって醸成されてきたのがよく分かってきました。森を活かし杜を守る、神社がこれだけ全国各地にあり土地の水と木を大切にしてきたのはこの日本の風土の中心に常に「水と木」があるからです。

この森は、あらゆる生き物たちを活かす存在です。そこから流れていく水が、最後には海のあらゆる生き物たちを繁栄させていきます。森があるから肥沃な風土が豊かになり、木の一つ一つがその森の役割を果たします。私たちの親祖が山をカミとし、山を守るのはいのちの源を育む生き物たちの父母なる存在であるためにです。木と水はいのちの父母であるからその信仰もまた山から起きるのは山には結びやいのちの原点が存在しているからです。

話を戻せば現代は便利な石油製品が出回り、プラスチックや金属、コンクリートで埋め尽くされましたが本来は林業を通して私たちは里山での暮らしを実現させ木や水を上手に活用して自然の豊かな恩恵をいただいて末永く生きてきた民族であったともいえます。

その智慧の結晶ともいえる代表的な道具がこの樽や桶であり、この道具を通して私たちは先祖の生き方や智慧を伝承してきたともいえます。そしてまさに自然循環の道具のシンボルともいえる桶や樽が身近にあるのは私たち日本人が古来より循環の中で水と木と共生してきた民であるというシンボルでもあります。

聴福庵には、100年以上前の桶がいくつもありますが改めて懐かしい道具に触れることで心が安らぎます。失われていく日本文化の中で、失われずに残っている日本文化の伝承者としての職人の皆様の踏ん張りに心が打たれます。私もその道具や智慧や生き方を学び直し、後世の子孫たちに先祖たちの偉大な真心や智慧を譲れるように真摯に実践を積み重ねていきたいと思います。

天との対話

老師の遺した有名な言葉に、「天之道、不争而善勝、不言而善応、不招而自来、然而善謀。天網恢恢疏而不失。」があります。これは「天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、招かずして自ら来り、然として善く謀る。天網恢恢疏にして失わず」という意味です。

天に問い、天が見ているとし、ありのままであるがままに生きる人は正直の徳を磨いていきます。この正直の徳とは、自分の心を天に映す鏡として鑑照する生き方を実践していくということです。

私が尊敬する吉田松陰は、その辞世の句で「吾 今 國の爲に死す 死して 君親に 背かず。 悠悠たり 天地の事 鑑照 明神に 在り。」といいました。

これは意訳すると「私は今、故郷の国のために命を捧げ死んでいきます。私は死ぬに際しても親祖や恩君へ対する道に背くことはありません。悠久に続く天地のことだからこのことは天が観てくださっている、八百万の神々、どうかご鑑照ください」と。

天が観ているという心境は、自分にとっての都合や損得、その他の利害などを優先しているのではなく文字通り天に問い天が見ているとし天の基準に沿って歩んでいくという道の生き方です。

天が見ているという生き方はとても明るくのびのびした精神を持っています。そこには自己を中心に裏表があるのではなくそのままの自分を天に見てもらっているという偉大な安心感を持っています。

自分の心に正直であるか、自分の心は真心のままであるか、それは自分ではわからないものです。だからこそそこを天に問い、天がどうなさるのかの判断にゆだねて任せて生きていくのです。

私自身もいつも真心で生きたいと思っていますが、果たしてこれが真心であったのかどうかわからないことばかりです。しかし天が見てくださっていると信じて、天の判断に任せてそれをすべて受け入れて受け止めると覚悟を決めて歩んでいけばそのすべては天の采配であったと直観し、これでいいとすべてを丸ごと受け容れることができるように思います。

この天の采配とは、偉大な天の真心に触れるということです。

吉田松陰は生き死にが判断基準で良し悪しを考えたのではなく、まさに天の采配のすべてを信じて道を貫いたのでしょう。

最後に、常岡一郎氏にこんな言葉があります。

「宝物は大切にされる。危険なところに置かないように心を配る。人の世の宝と仰がれる人がある。そんな人は自ら求めてなくても大切にされる。心の使い方の美しい人はよい運命に守られている。危ないところから遠ざけられている」

吉田松陰は俗世にまみれてなお魂を磨いて俗世の穢れを取り払い、澄んだ心を磨き切った宝だったように思います。今でも大切にされるのは、その心の使い方が美しかったからです。生き死にが問題ではなく、天命のままにやり遂げたというところに運命から守られたという余韻を感じます。

このように死してなお今でも燦然と輝き続ける吉田松陰の魂のように、天は必ずその人の天命に沿う生き方を未来永劫変わらずに応援してくださいます。私の歩んでいる道はかんながらの道、悠久の八百万の神々と共に往く道ですから常にその古の神々がいつも見ているとし天との対話を続けて歩んでいきたいと思います。

意識の磨き直し

先日から心技体のことを書くことがありましたが、その心技体によって顕現するものに意識というものがあります。意識の差というものは、すべての結果やプロセスに顕れてくるものであり意識の低さは問題意識に低さでもありますから自分の磨き方によって差が出てくるものです。

磨き方というのは、どのような意識で磨くかで光り方も変わります。先日、ある左官職人が泥団子を磨き上げ、それがあまりにも美しく、それに自分の名前をつけて名刺の裏に印刷しておられました。これは自分の紹介に、自分の目指している目標の高さを磨くことによって表現しておりここまで自分はやりたいという一つの自己表現でもありました。たかが泥団子、しかしされど泥団子なのです。どんな小さな仕事であってもその人の意識次第でその仕事は大変な価値があるものにもなるのです。そしてどのような意識を持つかは、人間の能力向上や才能開花において重要な価値を秘めています。

日本電産の永守重信氏にこのような言葉があります。

人の総合的な能力は、天才は別として、秀才まで入れてもたかが5倍、普通は2倍しか違わない。ところが、やる気、士気、意識は100倍ぐらいの差がある。だから、少々能力がなくても、意識の高い人間を採ったほうがいいと思っている。世の中には、成績のいい人を採れば、さぞや立派な製品やいい客を開発するだろうと考える。もしそうなら、日本電産などとっくに大企業につぶされているはずだ。」

そして永守氏は、意識を変えることで人を育てるとし経営をそこに集中させて人や会社を変革させておられます。

この意識を変えるというのはどういうことか、それははっきりと自分は何をしたいかと目的を定めて目標を明確にすることです。それにより分かれてしまっている潜在意識と顕在意識という意識と無意識の力が合一します。そしてそのためにもっとも必要なのは覚悟を決めることです。

意識が高いか低いかの差、言い換えるのなら当事者意識があるかないかの差はすべてはこの覚悟が決めます。こうなればいいだろうとか、うまくいけばとか、漠然としたままで何かに取り組んでいても意識が変わることはありません。

まず意識を変えるのが先で、どんな時もまず先に何のためにやるのかを突き詰めたあと「自分はどうしたい?」と自分に確認し、その目的に対して覚悟を決め行動をコミットすることで意識を育てるのです。

意識が育つのと同時に、成果も育っていきます。覚悟を決めて目的を定めた30年と、いつまでも漠然としたままで過ごしてしまう30年ではどのような成果になるかはすぐにわかります。

そういう意味で日々は、意識を磨くための大切な一日ですから覚悟を決めて日々の仕事に如何に邁進するかはその人の一生を決めるだけでなく、その人の周囲への影響も決めてしまいます。

環境に左右されない力は、この意識の醸成にこそあります。

引き続き、意識を高め意識を育て、意識の磨き直しを続けていきたいと思います。

職人の志事

昨日は無事に聴福庵の床の間に、砂鉄塗の壁が塗り終わりました。たくさんの左官職人さんたちが見守る中で、一人の左官職人が真摯に壁に向き合って黙々と塗っていく姿には深く心が打たれるものがありました。

職人の志事に取り組む姿勢、まだお若い方でしたが親方について学び、親方が見守る中で真剣に塗っている様子に講習を受けていた他の左官職人さんも次第に目が奪われていくのがわかりました。

職人たちはまるで本物の家族のように温かい感じがして、一緒にいるととても居心地がよく、楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。みんなで同じ道に生き、同じ釜の飯を食う、こんな当たり前のことが懐かしく感じるのは、それぞれが日本文化そのものの受け継いで根っこがつながっているからかもしれないと感じられました。

みんな言葉は少なくても、それぞれが材料をつくってみたり、調合を変えてみたり、また塗り方を試してみたり、正解のないものの中からもっともその素材を活かしどのような壁にするのかを研究して周りをみながら研鑽を積んでおられました。

今回、来庵された左官職人さんたちはほとんどが独立してそれぞれの場所で左官仕事を請けておられる方々ばかりでした。日ごろはみんな離れていますが、お互いにみんなそれぞれの持ち場で真摯に挑戦し努力していると思えるから存在そのものが励みになるそうです。

そう考えると、師や仲間の存在があるからその人はさらに向上していこうとする。道の中で誰に出会うかどうかは、その人の生きる姿勢で決まります。

働く姿勢は、そのまま生きる姿勢なのです。

昨日の道場では、心構えをまず親方の姿勢から学び、技術はそれぞれの現場で日々に真摯に磨き、その実践を身体と行動で示す。その生き方を確認する機会であったように思います。

昨日も道具に対する姿勢について、たとえ年上であってもそれは間違っているとその道具への姿勢を叱責したり、あるいは火加減一つにしても厳格に指導したり、あるいは塗りにくくないかと配慮をしたり、あるいは弟子の悩みを朝からじっくり聴いてアドバイスをしたりと、そこには気づきと学びが凝縮された場が醸成されていました。

今回の体験で、左官職人たちがあのように自ら学び、自らが主体的に同じ道の上で切磋琢磨していく姿に本来の学校のあるべき姿を感じることができました。

なぜあのようになるのかをもう一度見つめ直し、日本古来からの精神の伝承、さらには文化伝承の仕組みを引き続き紐解いていきたいと思います。

砂鉄の壁は、紫黒の中に星がキラキラと煌めき、陰翳の中で瞬いている宇宙のようです。この宇宙空間の中に、私たちも存在させていただいていることを改めて悟り、このことを忘れないでいようと初心を定めました。

今回の左官講習ご縁に深く感謝しております。それぞれがお元気でお志事に邁進し、皆様にいつの日かまたお会いできるのを楽しみにしております。本当にありがとうございました。

永久の間(トコノマ)

明日、いよいよ待ちに待った床の間の壁の砂鉄塗が行われます。1年半越しに、準備をし伝統の左官親方とお弟子さん、また技術を学びたいと各地から左官職人さんが来庵され文化伝承の場として使われます。

この床の間への私の思い入れは大変強く、この床の間の甦生は暮らしの実践の中でも特に重要な意味を持っています。最近ではマンション住まいになり、床の間がなくなってきた家が増えていますが私たちの先祖は常にこの床の間に神様を祀り大切に暮らしを積み重ねてきました。

改めて床の間とは何かと説明すると、一般的には和室の一隅が一段高くなっているところで掛軸や置物、生花などが飾られています。しかし本来の床の間は、16世紀頃に登場した書院造りに取り入れられた「主君の座」だったといいます。そこは神聖な空間で、またハレの場であり、その主人そのものが顕現する場です。

この「トコ」という響きは、「トコシエ(永久)」、「トコヨ(常世)」と同じ音を持ち、古来から「永遠」という意味で語られます。一家の求心力や、一族が絶えることなく永久に続く象徴そのものが「床の間」であり、この床の間こそ家全体の中心であると私は思っています。

またかつての暮らしがいまでも色濃く残る沖縄では、「床の間は屋敷を守る男の神様がいる神聖な場所なので、床のある和室を一番座と呼び住宅の中で最も高貴な場所である。」と言い伝えられています。実際に、明治頃までは、床の間には神様が宿ると信じられ、神様が依り代になるものを設置し、そこに神様が入ってきてくださる空間であると信じられていました。

実際に、空間という字は、「空」と「間」からできている言葉です。これは入れ物のことであり、器を示します。神様がどれを依り代に降りてこられるか、次々に家の中に入ってきてくださる八百万の神々がそこに鎮座し、その神様をお祀りしおもてなしする至高神聖な場がこの「床の間」であると私は直観するのです。

もっとも清浄で神聖なその永久の空間を、どのようにするかは聴福庵がはじまったときからの主人としての大きな命題でした。それが地球の星魂の欠片でもある砂鉄を用いることができるご縁が本当に有難く、感謝の念が湧いてきます。

この家の暮らしの中心の床の間の甦生は、すでにはじまった聴福庵の息吹と誕生の大きな節目です。これから子どもたちのために風土や初心を伝承していくために主人のいのちが入る瞬間です。

炭と鉄に見守られ、火と水に支えられ、心玉が磨かれて光り輝いていく日本刀のように和魂円満の永久の間を味わいたいと思います。

 

石工の魂

昨日、江戸時代末期から続く郷里の老舗石屋の五代目主人の方にお話をお聴きするご縁がありました。聴福庵の沓脱石を探している関係でご縁をいただきましたが、改めて石大工の仕事の深さを感じる機会になりました。

そもそも石屋は、石を刻んで細工する職人のことをいい石大工、もしくは石工(いしく)と呼びます。

石大工の歴史を辿れば、はじまりは遺跡にもあるように石を様々に加工して暮らしの中で利用したところがはじまりだと思いますが主に進歩があったのは鎌倉時代で社寺造営に石材が使われはじめ石大工の活動が活発になった頃からだといいます。室町時代には一般庶民の神仏信仰が盛んとなり各地に石仏や石卒塔婆が作られるようにもなってきます。そして戦国末期から江戸初期になると築城用石材が多く使われ、茶の湯の流行もあり茶庭におく石燈籠や手水鉢など小型石材加工品が出てきます。さらに江戸時代も中頃になると庶民でも墓石をつくることが一般的となります。そして全国各地で石切場の開発がなされ、石屋が急増したといいます。近代は、戦争があって戦死者を祀ることでたくさんの墓石が建てられました。そのころがピークであとは、安い韓国製や中国製、手作業から機械に代わり大量生産が可能で加工が便利になり、かつての石屋が激減して今に至ります。

昨日、老舗石屋の五代目主人にお話をお聴きしていると石大工の仕事は心が必要であること、石という何億年も何万年もかかってできたものを加工するのは神仏と深いかかわりもあり、神聖な仕事であること、先祖先人が遺した真心の手を入れた石にはいつまでも守る責任があることなど教えていただきました。

現代は、墓石も建てられないどころか捨て去られ、安価に購入できる外国産の石が国内には溢れています。またかつて貴重といわれた石も、卸業者によって価値が壊れてしまいゴミの山のように廃棄されています。石の最期は、産廃業者が集めて粉々にし砂利にすると言っていましたが長い期間をかけて出来上がった石をいとも簡単に機械で粉々にして捨てるという現実をお聴きし、人間の都合の便利さの陰に昔ながらの自然との共生が失われていくのを改めて実感しました。

最近では伝統の石大工は激減し、ほとんどが廃業に追い込まれてしまったそうです。五代目主人が修行した四国の伝統的な石屋も先年に倒産したそうです。畳や桶と同じで、日本の大切な文化が消えかけているのはこの石工にも起きていました。

また石場で捨てられた石が山積みになったところをみると、お地蔵さんや名前の入ったお墓、その他、仏塔や石碑、ありとあらゆる石がゴミのように捨てられていました。

江戸時代末期から明治の頃のお話をお聴きすると、先祖の石大工は鑿と金槌を持ち山に入り石があるところで墓を加工していたともいいます。また墓を建てるというのは、祝事ですから地域の人たちがみんなで無償で協力して石を運び、助け合って建てていたといいます。その頃は、石工も一緒にご祝儀をいただいていたそうです。そのころの方が、石も喜んでいたのではないかと感じます。戦争時に戦死者が増えてみんなが墓を建てた理由は、その人たちの御蔭で今の自分たちがあることを忘れまいとしたからだそうです。今はその建てた世代が亡くなり、途端に管理が面倒だからと墓が子孫によって捨てられていくようになったと嘆いておられました。

悠久の年月、いつまでもその人の御恩を忘れないようにと頑強で丈夫な石を選んでしっかりと心を籠めて刻んだものが今ではそれが処理するのが高価で不便になり、そのまま放置して誰も管理せずに捨てていく理由になっているというのはとても残念なことです。これは古民家の空き家と同じです。

石は私たちに記憶を刻むように心を留めます。その心に留めたものを捨てるのは、私たちが初心や原点を忘れているからかもしれません。

改めて石大工の棟梁の心構え、石工の魂をお聴きし、ここにも日本の職人文化が深く根付いていたことを学び直しました。改めて、聴福庵の仲間になってくれる沓脱石の存在と今回のご縁を結び、自然を尊び、石の本質を確認しながら和の甦生に取り組んでいきたいと思います。

暮らしの信仰

昨日、長崎県平戸市にあるお客様の寺院にてお風呂の神様として祀られている「跋陀婆羅菩薩」(ばったばらぼさつ)のお話をお聴きする機会がありました。ちょうど聴福庵のお風呂場の甦生に取り組んでおり印象に残りました。

古来より日本の家には多くの神様がいて祀られていました。福を授ける大歳神、家全体を守る天照大神、台所の火を守る三宝荒神、家中の火を司る火之迦具土神、家の穀物を守る宇迦之御魂神、台所には他にも布袋、恵比寿、大黒神、井戸や水場を守る弥都波能売神、トイレには烏枢沙摩明王と弁財天、家宝を守る屋敷神の納戸神、窓や風を司る志那都比古神、門を守る神様の天石門別神。家屋、屋根を守る大屋毘古神。家の戸の神、大戸日別神。他にも似た神様に座敷や蔵の神様に座敷童子、そして先ほどの風呂場の跋陀婆羅菩薩です。

いざ書き出してみると、これだけ多くの神様が守ってくださっている家。ここにはもはや宗教の違いを超えて常に身近に神様がおられ私たちの暮らしを守ってくださっているという生活をしてきたことがわかります。

先日、ある方が祖母が早朝より古民家の中にあるありとあらゆる神棚の御水替えでだいぶ時間がかかっているとお聞きしましたがそれだけ昔から家の中の守り神を日本人の先祖は大切にしてきたように思います。

今の西洋式の家屋では神棚もない家が増えてきました。家を守っている神様が一つも目に見えるところにもなく、信仰する場もない環境ができてしまえばかつてのような日本の民家の暮らしもまた消失していくのは時間の問題なのでしょう。

昔は水も火も風も、土も穀物もすべて自然からの恩恵でありその恩恵があって家での暮らしが成り立っていました。その感謝を忘れないで大切に守ってくださっていることに祈る日々が暮らしの根っこにあったように思います。

当たり前になってしまっている現代の便利な生活の中で、失ったものが何かは神様がいなくなったことでわかります。私たちは暮らしを通して信仰心を養い、生き方を磨いてきたからこそ日本人らしい感性が伝承されてきたようにも思います。

改めて、古来からの暮らしの信仰を見直して引き続き子どもたちのために家を甦生していきたいと思います。

風土と暮らし

昨日から京都の鞍馬寺に来ています。少しずつお山が秋の気配に色づきはじめて空の秋風の透き通った青さと流れる雲の白さ、そして緑が合わさって水がキラキラ輝いてみえます。

自然というものは、その風土の中で一体となって一緒に存在しているため小さな変化は全体の変化を促していきます。いのちが輝くというのは、その偉大な存在の中にあってすべての生命が一緒に生きている中でこそ燦然と輝きます。

もしもこれが人工的にバラバラになったのなら、それぞれが輝くことはありません。生き物がイキイキといのちを働かせてハタラクには、風土の存在が欠かせないのです。その風土の存在があって私たちは存在することができますから、常にいのちは風土と一体になっているということを忘れてはいけません。

循環という言葉があります。

これはいのちがめぐり、様々なものが有機的につながり存在していることを顕していますがその本質は共に生きるという共生のことを意味します。一緒に生きているからこそ、お互いの存在を思いやり尊重して生きていくこと。それが循環の意味です。現代では、部分だけを見てはバラバラにし、部分だけを排除しようなどとしますが万物はすべて共生していますから一つだけを除いたらすぐに全体の何かがバラバラになっていくものです。

存在の原点を忘れてバラバラになるということは、一緒に生きるのをやめるということでもあります。豊かで瑞々しい風土の中で、共に仲間と生きていけばみんなニコニコと仕合せに楽しく生きることができます。その反対に、自分さえよければいいと風土から離れ自分勝手に孤立して生きていけば誰とも分かち合えません。

だからこそ「自分」というものを決して勘違いしてはなりません。自分しか知らない傲慢な自分ではなく、謙虚にみんなと一緒に生き活かされる「自分というものの存在」を静かに見つめ直す必要があるのです。

一つの風土をそれぞれが生きる主人公としてみんなで分かち合うというのは、いただいている恩恵に感謝しみんなで一緒に生きていく自然の姿、みんなのいのちが輝く姿です。

子どもたちもこのいのちの原点に魂が触れることによって、自分がどの風土に生まれ一緒に生きていくのかを確認します。その根のつながり、いのちの原点が感じにくくなっている現代の環境において、その後大人になった人たちが本当の自分を見失っていることが増えているように私は感じます。

風土と暮らしがなくなることは、自分らしさがなくなることです。

人類の未来の子どもたちのためにもこの美しい風土が育てた本物の環境を三つ子の魂百までに触れてもらい、そのうぶな心に真相を伝承していきたいと思います。

暮らしの信仰~生活即信仰~

先々月から掘り始めた手掘りの井戸は無事に最後の仕上げまでを終え甦生することができました。振り返ってみると、不可能に思えたことが何度もありその都度、仲間や井戸職人、また聴福庵に助けられ信じる力が高まって掘り進めることができたように思います。

そもそも古民家甦生の中で水神様をお祀りすることは決めていましたが、その最初の背中を押していただいたお客様がいて、井戸掘りの最中、ずっと見守ってくださった井戸職人さんがいて、楽しそうに手掘りで掘り進めてくれた仲間や家族があり、最後は水が湧き活気づき、聴福庵の喜びもあって甦生することができました。

多くの関係者の御蔭様で、みんなで協力して助け合ったからこそ信じる力も伸ばし今回の甦生が行われていることに気づき改めて感謝の念がこみあげてきます。

澄んだお水が井戸から滾々と湧きあがってきますが、これもみんなで信じて助け合って湧き出てきてくださったお水です。その奇跡のお水をいつまでも忘れたくないと思い、みんなが力を合わせた美しい暮らしが子どもたちへ永遠に続くことを願い、井戸の水神様をお祀りしようと思いました。

人は、信じることと、お祈りすること、そして実践すること、感謝することを繰り返すことで一つ一つの心のご縁を結んでいくものです。言い換えるのなら、御蔭様の有難さを感じながら一つ一つが自然に結ばれていくのを信じ待つ心境とも言えます。

信仰心というものは暮らしの中に深く息づいており、暮らしが実践されるときそこに信仰心が育っているとも言えます。日本の家が子どもたちの先生となり、日本民族を伝承するなかで、何よりも尊い伝承の一つがこの「信仰心を育む」ということではないかと私は感じます。

今回の井戸堀りであっても、さまざまな困難があるとき仲間たちは自然に水神様に祈り、そしてみんなで信じ、協力し助け合い行動し、最後は感謝をして何度も何度も手を合わせていました。こうやって何回も何回も暮らしの信仰を続けていく中で私たちは魂を磨き、心を高めていきます。

日本人の暮らしの中心には常に信仰があり、宗教などなくても生活即信仰という道の生き方があるのです。私の人生の実践でもあるかんながらの道もまた、この自然への信仰と祈り実践と感謝の道であり、これを続けることでどのようなご縁に結ばれ天命を果たしていくのか、あるがままを受け容れてあるがままに活かされていくという境地を学ぶ旅でもあります。

引き続き今回の体験を子どもたちの未来に結んでいけるように、体験した学びを暮らしに役立てお仕事に活かし、仲間やパートナーと一緒に平和な社會の実現に向けて学び直して精進していこうと思います。

ニッポン文化の甦生

昔、ACのCMで「ニッポン人には、日本が足りない」という動画がありました。これは元銀山温泉老舗旅館のジニー女将が「日本人は日本人のいいところを忘れている」という内容で動画で日本人の素敵なところを自らが表現されています。映像では素朴で素敵な日本人の生き方を愛し、自らその懐かしい姿を守るために老舗旅館を経営している姿が映し出されています。古きよき日本を愛したジニーさんはその後、旅館が洋風のデザインに走り親族との経営方針が合わず帰国したとありましたが今はどうしているのでしょうか。この外国から来たジニーさんは、ひょっとしたらニッポン人よりもニッポン人だったのかもしれません。

人間は外国に限らずどんな組織であっても、自分の居る場所や所属しているものが当たり前になってしまうと当たり前に気づかなくなってしまうものです。本来、外から見れば大変素晴らしいことをやっていると思っても自分自身がその価値に気づかなければそれを忘れてしまいます。

もしも忘れてもそれが当たり前に維持できているのならいいのですが、本当に大切なことまで忘れてその当たり前が失われてしまえばその素晴らしいこともまた消失してしまうのです。素晴らしいものを失ってほしくない、懐かしいものをいつまでも残していきたいという心は、当たり前ではないことの再発見であり、温故知新であり、文化の継承でもあり、伝統の伝承でもあり、民族にとって何よりも優先する大切なものです。

私は、この当たり前と思っている文化こそ今の時代に見直す必要を感じます。なぜなら西洋から入ってきたり、世界から入ってくる文化を日本に和訳したり和に転換するのではなくそのままに挿げ替えて他の文化を自分の文化だと勘違いしていればそのうち日本人であることを忘れていくからです。取ってつけたような文化を自分の当たり前にしていたらそのうち自分たちがどんな民族だったかも忘れてしまうでしょう。

古来から和魂漢才や和魂洋才といって、和魂を持つ日本人であるのが大前提でそれをどのように新しく海外からの知識を自分たちが和で調理して日本のものにするかがその時代を生きる民族の使命でした。今では幼少期から西洋の知識や文化が自分たちの文化だと刷り込まれ、本来の日本人であったことを失わせているように感じます。

民族というのは風土が育てるもので、風土の中で醸成され出来上がるものです。風土に根を張り、風土の養分を吸い上げていくからその民族はその風土のなかでもっとも活き活きといのちが伸び、その独特の文化が世界の中の多様性を発展させていくものです。それは単に流行の新しいではなく、普遍的な新しさを持ち続けていくということです。

和魂を持つものが日本民族を継承し、その日本人が和魂のままに世界の文化を吸収し普遍性を発揮していくから世界の中の日本として人類の文化を繁栄発展させていくことができるのです。

しかし今の時代のように日本人がニッポン人を忘れ、日本人の精神や心や暮らしや生き方を消失してしまえば和魂は弱体化していきます。昔の日本人は正直で素朴、目がイキイキしてみんな愉快に笑っていたといいます。和魂が満ち足り、日本文化が伝承されていたときは根を張った野性の生き物たちのように元気に活動できていたのではないかと思います。その根拠は、自然農と同じくその命はもっともその風土で活き活きするからです。育て方を西洋式に換えた野菜には、その活き活きした命を感じられません。

日本に適った育て方、日本に合った育ち方が、自然環境や風土にあるのを無視して西洋の文化の育て方や育ち方をすればそのいのちは貧弱になるのです。野性化というのは、そのものの文化を丸ごと吸収して一体化するということです。

改めて日本人がもう一度、ニッポンの価値を取り戻すことの重要性をひしひしと感じます。もうここまで来たらよそ見をしている暇などありません。引き続き子どもたちの未来に向けて、優先順位を研ぎ澄まし、風土に根を掘り下げてニッポン文化の甦生、初心伝承をカタチにして子どもたちの現場に届けていきたいと思います。