語り継がれるもの~好奇心~

伝承というのは、語り継がれていくものです。日本にも古事記をはじめ様々な神話があります。また竹取物語のように日本最古の小説が今でも子どもたちに語り継がれているものもあります。

1000年を超えて語り継がれるというのは、そこに確かな真実や信仰があるからに他なりません。教えないで教えるという伝承という仕組みを少し深めてみようと思います。

伝承の仕組みというと難しくなりますがシンプルにいうと、教えてもらわなくても理解する仕組みであるとも言えます。私自身の体験では分からないものを教えてもらわなくてもわからないものがわかることがあります。これを直観ともいいますが、「そうか」と感じてつかむ感覚のことです。

好奇心から様々なものに触れている中で、ある時、こう使えばいいと実感するのです。それは水や火、土や石に触れるときになんとなく直観するのと似ていますし、最近、古民家甦生を通して日本古来の道具に触れていても用い方やなぜそうしたのかが好奇心で触れているうちに察知します。

この好奇心というのは、生まれたての子どもはみんな持っているもので大人になると次第に薄れていくともいわれます。私は好奇心が旺盛なので、なんでも不思議に感じてはそのものをそのままに理解しようと努めます。それを直観するという言い方をします。

単に知識で得ようとするのではなく、そのものに触れて得ようと思う感覚です。私は伝承はこういうものではないかと感じるのです。

例えば、炭を知ろうとすれば好奇心があまりない人は知識として簡単に木を燃やして灰を被せて火を消し炭化したものとするのでしょう。しかし私の場合は炭のことが知りたくて知りたくて好奇心が発動するため、何度も炭に触れようとします。そのうち炭には同じ炭がないこと、多様な炭の特性があること、炭の美しさがそれぞれで異なること、そして日々に火鉢で炭を燃やしていく中でその時の状況や気温、空気で全く異なる燃え方をすること。さらには温度の差や、そのものが持つ香り、灰、出すエネルギーの量など不思議で好奇心はさらに活動します。

私はこの伝承の仕組みとは、「真実を知ろうとする好奇心」のことでありこれがあるから生き物たちは教えずにして学ぶように思うのです。言い換えるのなら、好奇心が失われているから単に知識だけで分かった気になり、物事を学び深めようとしなくなるとも言えます。

人間として学問が永遠に輝き続ける理由は、この好奇心があるからです。

人が好奇心を持ち、学問をし、物事をなんでも好奇心で楽しんで深めていけば自ずから1000年前の物語にもアクセスし、その面白さを直観します。古事記や竹取物語がいつまでも語り継がれるのは、本質としてその面白さを私たちは好奇心が察知しているからでしょう。そしてそこに真実があり、信仰もまた生きています。

引き続き、教えない教育や場の教育を深め、風土を醸成する仕組みを開発していきたいと思います。

今の世代の責任

私たちは日々の暮らしを通して本来は先祖とつながっていたとも言えます。それが暮らしが変化してきてから、先祖の存在を感じにくくなってきて今では別の国のような生活スタイルになりいよいよ繋がりが薄れてきているように思います。

私たちの暮らしには、先祖が連綿と続けて積み重ねてきた歴史があります。その歴史は生活習慣であり、どのような生き方をしていけば後世も子孫が幸福でいられるかを自分の実体験から学びそれを改善し今の時代まで受け継いできたとも言えます。

例えば、神棚をお祀りし手を合わせて祈る、また季節ごとに季節の移ろいを感じつつ行事を協力して行う、そのほか、生活の道具からどのような食べ物を食べていればいいか、どのような生き物を身近においておけばいいか、それを風土の中で得られた智慧を用いて子孫に継承していきました。まさに民家も同様に、古民家は1000年先を見据えて建てられたものであり、風水を絶妙に活かした建物を通して子孫たちが快適に安心して暮らしていけるように見守った先祖の智慧の結晶でもあります。

それが西洋から入ってきた文明、言い換えるのなら経済効率だけを優先する中で暮らしが消失してきました。本来は暮らしの中に、多文化が入ってくるのはかえって進化の過程としては美しいものですが、現在は暮らしか経済かという2極化した中で人は暮らしを手放しているように思うのです。

私は暮らしの甦生を通して感じるのは、自分も先祖の一員だという自覚です。子どもたちのためにどのようなものを譲り遺していけばいいか、長く続くものこそ本物の経済であり、永続するからこそ本質的に経営ができますから、その両輪を常に温故知新していくことこそ今の世代の責任であろうと思います。

その今の世代の責任を果たすには、暮らしがまず大前提に存在しているからこそ実現できるものであり暮らしが消失してしまえば責任を果たせることはありません。

今はまだ消失しかけたものもたくさん残っています。一つ一つを甦生しながら先祖と対話し、先祖とつながることはもったいないことを学び直すことです。その一つ一つはとても仕合せなことで、その暮らしの中に一緒に先祖が息づいているのを感じます。

そして私たちの世代もまた、先祖になっていつまでも子どもたちと一緒に暮らしを持続していけるのです。持続可能な経済などという言い方をしますが、私にしてみれば暮らしを実践すれば必ず経済は持続するということです。

引き続き、子どもたちのためにも暮らしの甦生に取り組み一つ一つの智慧を復活させていきたいと思います。

すべてに優先~思いやりの道~

人は目的を忘れてしまうと自分に固執しがちになるものです。優先順位をしっかりと持ち、それに向かって自分を変え続けていれば柔軟性は発揮されていきますが自分を強く握ってしまえば利己に入ってしまうものです。

如何に自分を超えた理念や目的に自分を合わせて変化させていくかは、日々の優先する実践に懸かっているともいえます。

何のためにそれをやるのかということを強く意識している人は、自分のやっていることの意味を常に感じられているものです。常に目的に合わせて照準を合わせている人は変化を恐れず楽しみます。

しかしその中で時折、優先順位を切り替えるときもあるように思います。あまりにも優先順位に固執して完璧にやろうとすると、大事なものまで守れなくなってきます。大事なものを守るためには、妥協することもあります。この妥協とは何か、辞書には「対立した事柄について、双方が 譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決すること。」(goo国語辞書)とあります。

大切な目的のための妥協というのは、敢えて対立を生むようなぶつかりを発生させるわけではなく双方が譲り合い穏やかにするための方法論でもあります。妥協を悪い意味で使う人がおいのですが、それは目的のためというものがない妥協のことです。目的もなくただ妥協するのは、双方が思いやり納得し譲り合ったのではないからです。

優先順位を変えるというのは、目的のためには妥協しないけれど思いやりをもって妥協するということだと私は感じます。つまりは優先順位のもっとも高いものは思いやりだということです。

お互いに思いやりを持って協力していく中にこそ、本質的な妥協があるように思います。天道地理義理人情のすべての法理は、思いやりが最優先ということです。

引き続き、子どもたちの憧れる会社を目指していくためにも思いやりを優先できる強さと優しさを磨き直していきたいと思います。

場の醸成

伝統文化の伝承について考えるとき、私は幼少期の体験がとても大切な意味を持つように思います。どのような環境下で育ったか、それが文化の伝承には必要だと感じるからです。

例えば、私が実践する自然農であっても自然養鶏であっても自然に沿ってそのものの特性に合わせて環境を用意していきます。繰り返し年数を積み重ねていく中で、確かな文化が醸成されていきます。生まれたときから、本来あるべき自然の環境があってそのものは遺伝子的にも覚醒して先祖からの智慧を伝承します。

しかし「刷り込み」の例えもあるように、生まれたての雛がコンクリートの風も通らない部屋で、草もなく虫もなく、調合された飼料だけを人間から与えられればそういうものだを信じ込みます。幼少期にそういう環境下を過ごせば大人になっても草も虫も怖がり、人間から与えられたものしか食べなくなるものです。通常なら行う大好きな土浴びもせず、風に羽を靡かせて風を身体に通すこともしなくなります。病気になっても抗生物質を与えられ本来のいのちが充実することはありません。

そう考えてみると、私たちは知識とは別のものがあり、智慧ともいうような先祖からいただいている進化の過程で得た財産を受け継いでいるともいえます。このような体になったのも、このような性格になっているのもまた、そこには先祖が積み重ねてきた経験の集積によって得られたとも言えます。そしてそれはヨーロッパであればヨーロッパに、アフリカであればアフリカに、アラスカであればアラスカに、その環境下によって文化は息づいているのです。

その環境を変えてしまうということは、その環境下で得た文化を否定するということです。確かに便利な世の中になり、どの場所でもどの人種でも、都市のようなものを創り、環境をすべて同一にし人間にとって快適にしていきましたが同時に文化は受け継がれなくなってきました。

伝承文化というのは、決して環境から切り離されるものではなくむしろ環境によって醸成され育まれ続けていくものです。だからこそ、子どもたちにどのような環境を譲り遺していくのか、そしてその環境下で得られた智慧や道具たちをどのように伝承に活かしていくかを私たちは今の時代の文化の担い手としてよく考えなければならないように思います。

日本の気候風土に合った暮らしと生活は、文化を育て文化を継承させていきます。

引き続き、教えないことによって文化を伝道し、子どもたちの直観によって文化を高めていくような場を醸成していきたいと思います。

 

心に寄り添う

昨日、熊本にある多種複数の福祉施設を運営する法人の理事長との理念面談の中で「心に寄り添う」ことについて話を深める機会がありました。この「寄り添う」というのは、心に寄り添うことです。この寄り添うは見守ると似ていて、本人が自らの力で人生を生きていくことを信じるということでもあり、自立を支援するときの一つの境地であるとも言えます。

「寄り添う」というのを辞書でひくと、「ぴったりとそばに寄る」と書かれています。適切な距離感で相手と一緒に連れ添う、寄り添うという感じになります。いつも一緒にいる距離感、相手を信じて見守る距離感でいるということにもなります。

心に寄り添われれば、人は安心して自分自身の力を発揮して自立していけるようになります。分かってもらえる人がいる、隣でいつも見守ってくれている存在がいる、親心を感じることで人は挑戦する気持ちや困難に立ち向かおうとする勇気が出てくるものです。心に寄り添ってもらった経験はいつも今の自分を支えてくれます。

しかしこの心に寄り添うというのはとても難しいことで、自分の思い込みや先入観、自分の我を優先してしまう人にはできないものです。その人の立場になりきり、その人を自分だと思って思いやれるには自分自身の価値観や自分のバイアスをかけた色眼鏡でみてもそれは寄り添ったわけではないからです。

きっととか、だろうとかいった自分の考えを入れずに、心のままに相手に寄り添う。自我や私欲を無にして、相手そのものの心と一体になって心配するということでその時、相手が自分であり自分は相手であるという姿、相手を自分事にして共感しているときに心の寄り添いがはじまります。

つまり心に寄り添うというのは、頭で考えることではないということです。

自分の心に寄り添うときであっても、自分はこう思っているだろうとか、きっと自分はこれがしたいのだという推察で理解するのではなく、自分の心に素直になって自分の心と対話をするとき、心に寄り添ったという境地に入ります。つまりは私利私欲が我を通り抜けて自分の心の声に従うことで素直な自分になり心はピタリと自分と一緒一体になります。

相手の立場になって思いやるというのは、相手のことを思い込むのとは違いますから、まずは自分の心を近づけて心でその人そのものの存在を丸ごと認めて感じなければなりません。

私たちの実践する聴福人も、傾聴、共感、受容、感謝の順に心を近づけていきますがそれはまずその人そのものの心の声を聴くために取り組む実践徳目なのです。

心に寄り添うことは心の声を聴くことです。

引き続き、子どもたちのためにもいただいたご縁を活かして子どもの憧れる生き方を弘めていきたいと思います。

祇園祭と暮らし

この時期は全国各地で祇園祭が行われています。郷里の神社でも祇園祭がありますから、その準備として須佐神社のお社や境内を清掃してきました。この須佐神社の祭神は素戔嗚尊です。

そもそもこの祇園祭「祇園」とは古代インドの初期仏教の5つの精舎(寺院)の1つ「祇園精舎」が由来です。このインドの祇園精舎の守護神が牛頭天王で、日本では神仏習合により牛頭天王=素戔嗚尊となったといいます。

私の会社の近くにも、津島神社がありそこには素戔嗚尊が天王さんと呼ばれお祀りされています。

祇園祭りの縁起物としては粽(ちまき)があります。これは素戔嗚尊が旅の途中、貧しい蘇民将来の家で一晩温かなもてなしを受けたお礼に、その子孫を疫病から守る約束をし、目印として茅の輪を腰に着けさせたといいます。この「茅巻(ちまき)」が粽の由来といいます。玄関や門口に粽を飾り厄払いをするのもここからきています。

また他には、獅子舞があります。この獅子舞は、16世紀の初め、室町時代に伊勢の国で飢饉や疫病を追い払うため、お正月に獅子舞を舞ったのが始まりといわれています。そこからこの梅雨明けに五穀豊穣と飢饉や疫病退散、悪魔祓いとして獅子舞が氏子の家々をまわります。

この獅子舞が頭をかむのは、「獅子舞が噛み付くと神が付く」という縁起かつぎもあるそうですがその人についた邪気を獅子が食べてくれるということもあります。私も小さい頃に何度か噛み付かれたことがありますが、大きな獅子に頭を噛まれるドキドキ感は今でも思い出に残っています。

今では飽食の時代で、医療も発達し飢饉や疫病とはあまり縁がなくなりました。昔は、この梅雨の長雨で水害が起きたり、太陽を浴びれないことから病気になったり、精神的に辛くなったりしたこともあったかもしれません。

しかしそれをお祭りによってお祓いし、それぞれが楽しく豊かにこの時期をみんなで一緒に乗り越えていこうとする和の心があったのかもしれません。

京都では何度も戦乱に巻き込まれ一時祇園祭を中断することもあったそうです。しかしそれでも町衆たちが、苦しい中でもみんなで祇園祭を守り続けて山鉾も復活し、今では全国でも有数な大きな祭りとしてたくさんの人たちを京都に集めて一緒に豊かに祈念しています。

暮らしの甦生をしていますが、夏越しの祭りなどこの時季ならではの風物詩があります。そこに神様が深くかかわっておられ、改めて日本人の先祖たちがどのようにこの季節を過ごしてきたのかが垣間見れます。

引き続き、暮らしの甦生を楽しみながら子どもたちのためにも日本文化の甦生、日本的精神の復古創新に取り組んでいきたいと思います。

心の清掃

昨日、郷里の神社の境内の清掃と手水舎の洗浄を行う機会がありました。朝早くからクルーたちと一緒に掃除をしましたが綺麗に枯れ葉が片付いてもともとあった土が出てくる様子や、雑草を抜いて平らになった様子をみていたら心も洗われてきます。

そのほか、お社や狛犬、燈篭にいたるまで掃き掃除や拭き掃除をやっていくと清々しくそのものが光り始めます。

掃除の功徳というのはとても偉大で、実践していくと次第に心が整ってきます。最近は都会の社会で情緒不安定になったり、感情の浮き沈みが激しい人も増えてきていますが掃除を行うことでそういうこともまた治まってきます。

日本を美しくする会を主催する鍵山秀三郎氏は掃除の功徳についてこういいます。

1、自分の心が清められる
2、他人の心まで清めることができる
3、周囲の環境が活き活きしてくる
4、周囲の人の心も物事も整ってくる
5、死後、必ず天上に生を受ける

これはお釈迦様の言ったことを解釈されたそうですが、掃除をしているとまさにこれを実感します。掃除や清掃は心身を健やかにし、さらには自分自身の魂を磨くことができるように思います。

今、させていただいている古民家甦生もそうですが私にとってのおもてなしの基本は掃除です。来客がある際、何をもっともはじめに取り組むか、それを掃除にしています。

人は清浄な場に来ると、心が和みます。それはそのものたちが清掃することによって働き始めるからです。

例えば、清掃しながらどこが汚れているか、何がちらかっているか、そしてどこに配置するといいか、一つ一つを片付けながらそれが観えてきます。本来あるべきところに配置されたものはその場に和みます。そしてチリや埃をとって磨かれて光るものはその場で輝きます。さらには、整ったあとにそこを飾ることによって豊かさは増幅していきます。

あとは静かに穏やかな心でお客様をお迎えすればお互いに心豊かです。

このお互いに心豊かというものの中に一期一会の出会いが演出されるのです。

鍵山秀三郎氏は掃除道を通して境地を得ています。

「人間の心は、そう簡単に
磨けるものではありません。

ましてや、心を取り出して
磨くことなどということはできません。

心を磨くには、とりあえず、
目の前に見える物を
磨ききれいにすることです。

とくに、人のいやがる
トイレをきれいにすると、
心も美しくなる。

人は、いつも見ているものに
心も似てきます。」

そして掃除を実践する大切さについて説きます。

「一つや二つ拾ったってしょうがないじゃないか。という考えではなく、一つでも二つでも拾えば、それだけ世の中がきれいになる。そういう考えです。」

心が荒んで乱れているとき、心田を耕すには荒れたものを美しくしていくしかありません。衰退して乱れていく場所や、その生活を立て直し甦生にするには荒れた場所に一人入り、そこを開墾して人道が働き始める場所を創造しなければなりません。そのためには、大言壮語をいうことよりも必要なのは脚下の実践であろうと私は思います。

最後に、自戒を籠めて鍵山氏の言葉で締めくくります。

「足元のゴミひとつ拾えぬほどの人間に、何ができましょうか。」

理念を実践し、本業を成就させ、子どもの憧れるような社會を譲っていくためにも一つ一つを苦労しながら味わい楽しんで歩んでいきたいと思います。

徳の経営 ~日本的経営~

出光興産の出光佐三は、日本的経営を実践していた方です。和の精神を尊び、人間尊重を第一に本来の日本人であるとはどういうことかを生き方や生き様でやり通した方です。

ここにきて世界の中で如何に日本が役に立ち、日本人が如何に世界で自分たちの文化を背景に活躍していくか、一つの世界に向けて大事な局面を迎えているように思います。そういう時だからこそ、改めて私たちは日本とは何か、日本人とは何かということを考えなければなりません。

2011年6月20日に出光興産の100周年を迎えた際に、新聞広告に下記のようなメッセージが発信されました。

『「日本人にかえれ。」
これは、創業者出光 佐三のことばです。

日本人が古くから大切にしてきた和の精神・互譲互助の精神、自分たちの利益ばかりを追求するのではなく、世のため人のためにことを成す。
佐三の信念によって、出光はいまも、そうした日本人らしさを心に活動しています。

東日本大震災に襲われた日本に向け、海外から届いたたくさんの励ましの言葉。
その中にも、佐三が大切に考えていた日本人らしさを称賛するものがありました。
その数々の言葉によって、私たちは勇気づけられ、日本人であることの誇りをあらためて認識することができました。

一方で、震災を経たいま、本当のゆたかさとは何か、私たちは何を大切にして生きていくべきなのか、これからの日本人のあるべき姿はどのような姿か、一度ゆっくり立ち止まって、向き合う必要があるのではないでしょうか。

本日、出光は創業100周年を迎えました。
これからの100年、私たちに何ができるのか。
世界が日本に注目するいま、私たちはこれまでの歩みを振り返り、新たな一歩を踏み出し、次の100年の社会づくりに貢献する企業を目指してまいります。
私たちは、日本人のエネルギーを信じています。』

出光佐三は、逆境の中で苦しい時に資金面でも精神面でも支えてくれた人がいます。その人の名は、日田重太郎といいますが親族や家族の反対を押し切って出光佐三に全財産を預けて応援します。いよいよお金がなくなり困窮した時も、自分の家を売ればいい、やれるだけやりなさいと応援します。

資金提供の約束としては、一つは従業員を身内だと考え、良好な関係で付く合っていく事。そして一つは、自らの考えを最後まで曲げない事。最後は、日田が資金を提供した事を他人に言わない事。この3つだったといいます。

出光佐三は金儲けのために働いたのではないことは、「出光の仕事は金儲けにあらず、人間を作ること、経営の原点は「人間尊重」です。」という言葉や、「金や物や組織に引きずられちゃいかん。そういう奴を、僕は金の奴隷、物の奴隷、組織の奴隷と言うて攻撃しているんだ。」、「黄金の奴隷たるなかれ」という言葉に残っています。

この出光佐三の日本人的な気質、その人間尊重の和の生き方に惚れ込み、ここまでした日田重太郎氏もまた日本人の精神をもっていたのかもしれません。

最後に、出光佐三が亡くなるときに昭和天皇が和歌を詠みました。

「国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ」

国のために一心に真心を尽くして生きた出光佐三がいなくなることを寂しく思うというものです。

私もこの出光佐三に、深く共感しこのような方が郷里にいらしたことを誇らしく思います。同じ日本人として、和の心をどこまで高め磨き上げられるか。徳の経営ともいうこの日本的経営を子どもたちに譲れるように挑戦していきたいと思います。

 

和の経営

出光興産の創業者に、出光佐三がいます。昨年、海賊と呼ばれた男の映画のモデルとして登場しましたがその生き方に共感した方が多かったといいます。私の郷里の近く、宗像郡赤間出身で唐津街道の赤間宿に生家があり生涯を通して宗像大社への信仰がとても篤かったとしても知られています。

その経営理念は、「人間尊重」であり出光には「出勤簿が無い。労働組合がない、首切り、定年制がない」という「人間尊重の経営」をしていました。『人こそ事業の根本である』と主張し貫かれていました。一つの物語に、戦後に海外から1000人もの社員が引き上げてきた時も、彼は一人も首を切らなかったといいます。そして「1000人が乞食になるなら私もなる。」、「会社がいよいよ駄目になったら、みんなと一緒に乞食をするまでだ。」、「君たち、店員(従業員)を何と思っておるのか。店員と会社はひとつだ。家計が苦しいからと、家族を追い出すようなことができるか!」といいきって社員と共に会社を守り抜かれたといいます。

その出光佐三の経営者像は、まさに日本的精神であり本人も「私は日本人として生まれ、日本人として育てられ、そして日本人として経営をしている。」と言っています。

その根本に据えたのが人間尊重の理念です。

「人間社会は人間が支配している。その中で一番大きな働きをするのが、信頼と尊敬で結ばれた、真の和の人間集団の働きだ」

「事業を行うにはまず人材を養成しなければならない。人材はどうして養成するか。それは尊重すべき人間になれということである。自分から見て尊重すべき人間というのは,良心の強い,真の個人である。これらの人々がお互い尊重し合うところに,真の団結がある」

「独立不羈(どくりつふき)の精神の根本は、人間尊重であり、自己尊重であり、他人尊重である。」

和の人間集団や、お互いに尊重し合うところの真の団結といういい方もしました。お互いの違いを尊重し合い、そのうえで真の個人を打ち立てること。そして独立不羈の人格を磨くことを目指しました。この独立不羈とは、他からの束縛を全く受けないこと。他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うことをいいます。

つまりお互いを尊重し合いながら、自分自身を立てるという和の精神、人間を尊重し合う社會の実現を目指したのです。

郷里に生き方の先輩があることに誇らしく思え、またここから改めて学ばせてもらうことばかりです。その出光佐三が神社の甦生において遺した言葉があるのでご紹介します。

「私の育った町は特殊な土地柄で、宗像神社という有名な神社があった。私はその御神徳を受けたと考えている。私はいま神社の復興をやっているが、神というものを今の人はバカにしている。私どもにはバカにできない事実がたくさんある。私の会社は災害を一度も被っていない。理屈は色々つくかもしれないが、社員は神の御加護と信じているのだからしょうがない。また信じないわけにはいかないだろう。」

剛毅な印象がありますが、病弱で逆境が続く中で苦労をして感謝を忘れなかった人物像が観えてきます。古今の経営に通じる大切な生き方が、出光佐三の足跡から学べます。

引き続き、子どもたちのためにも一つ一つの出来事から学び直して深めていきたいと思います。

教育のありがたさ

昨日、ある高校で一円対話を通して関わった高校生たちと一緒に一年間の振り返りを行いました。振り返りは動画を編集し、それぞれの生徒たちの写真と先生からのメッセージ、理事長からの感想などが入り一緒に見た場はとても豊かで幸せな時間でした。

私も高校1年生から一緒に関わる中で、自分たちの会社と同じようにそれぞれが主体的に働き持ち味を生かすような場や環境を醸成できるように関わってきましたがまるで自分の会社にいるかのような安心感と落ち着きがクラスの中にあります。

一人一人の人柄や人間性が保障され、いつもオープンに素のままでいられる環境の中でみんなとても素直に育っていきます。一人一人が認められ自分らしくいられ、自分のままでいいと感じられる空間は居心地がいいものです。

実際に教育の現場に関わる中で感じるのは、教育のありがたみです。昨日理事長と話をする中で印象に残ったのは「大人にとってはたった3年間でも、生徒にとってはこの3年間は一生の中で何よりも大切な3年間になるからこそ私たちは一緒にその時間を生徒と味わうことが必要なのです」と仰っていたことです。

大人になっていくにつれて、私たちはさらにいろいろなことを体験し自分が変わっていきます。私たちは思い出の積み重ねによって人生を作り上げていくのです。その時、この学校で学んだ期間や思い出がその後の人生にとても大きな影響を与えたことを実感します。あの頃の仲間との思い出や先生からの真心や愛情、周囲の大人たちの生き方や関わり、そして忘れられないような楽しい体験、そのすべては教育のありがたさであったと感じるのです。

この教育がありがたさを感じるのは、思い出を懐かしむ自分の心の中にこそ生きています。今回一年間を通して関わったクラスのように、他人の話をしっかり傾聴し、共感し、受容し、みんなで気づいたことから学び直し、味わい深い一期一会の時間を仲間や師友と共に過ごしていく中で私たちは道中の自分自身の思い出を築き上げていきます。その築き上げた思い出はその後のその人の人生を支え、その後の人生に自信と誇りを育てていきます。

一人一人がよりよく生きていくために「心の持ち方を共に学ぶ」ことは本来の学校の本質でもあり、学校が子どもたちの心の楽園になることで未来の社會もまた変わっていきます。どのような社會にしていきたいか、どのような思い出を残していきたいか、それはどのような教育を志していくかに懸かっています。そしてそれは日々の学校生活を通して培っていくのです。

自分たちの生き方や背中が子どもたちの心のそのままに反映していくからこそ、私たち大人はその生き方や生き様を磨き上げていくことを已めてはならないように思います。

今回は改めて教育のありがたさ、教育者の生き方を考え直すいい機会になりました。

引き続き、子どもの憧れる生き方働き方の理念を実践して子ども第一義の理念を優先していきたいと思います。