孤高の輝き

英彦山の守静坊の枝垂れ桜が満開になりました。私は桜は好きですが、この枝垂れ桜は今まで感じたことがないような美しさです。その美しさの理由は、もちろん宿坊の甦生が大変だったこと、なんとか枝垂れ桜が咲くころにはと冬の間、何度も桜に声をかけては共に頑張ってきたからかもしれません。

この枝垂れ桜は長野家代々の宿坊の坊主が見守り大切にしてきた桜です。もう200年以上前からある古木です。まさに英彦山においては孤高の一本で、澄み切った透明感は他の桜とはまったく異なる佇まいです。

今の私達よりも長く生き、英彦山の歴史を次の代へとつなぐ生き証人です。その生き証人が、英彦山の山伏や修験道が神仏分離令や山伏禁止令などで荒廃する中でも、孤高のままに英彦山に残り咲き続けて皆さんの帰りを待っていたのでしょう。この山伏がいなくなってからの150年の空白も生きてきたのです。

その春の目印として、誰も来なくなってもずっと満開の桜を咲き誇り続けてきました。冬の厳しさに負けずに、誰も来なくなっても立派に見事に何かを待ち、理想のように咲き続けるのです。

私がこの枝垂れ桜に魂が揺さぶられるのは、その孤高の輝きなのかもしれません。

孤高とは、ひとりかけはなれて、高い理想をもち志を保ち続けることです。世の中に迎合せず、世間の価値観にも左右されず、一人、自らの初心と向き合い最期まで貫徹して実践をしていく姿です。

その美しい生き方と、この美しい枝垂れ桜が重なるのです。

見返りもいらず、ただ、子どもたちのために真摯に甦生に取り組む。今回の甦生もそれを保てたでしょうか、初心を忘れずに純粋に純度高く取り組めたでしょうか。それはきっと建物のオーラとして薫るはずです。

未来に恥じることがないように、長野先生に託された想いを胸に抱き、私もこの守静坊の枝垂れ桜と共に残りの人生を真摯に歩んでいきたいと思います。

茅葺との出会い

英彦山の宿坊、守静坊の茅葺屋根の準備がはじまっています。そもそも茅葺屋根に繋がるまでのご縁を振り返ってみると不思議なご縁で今に至っていることに気づきます。

思い返せばこの茅葺との出会いは、4年前に故郷にある私が幼い頃から参拝している8体のお地蔵様の建屋を修繕することがはじまりです。このお地蔵さまは私のふるさとの88か所巡りに配置してある石像の一部ですが、コンクリートでつくられた建屋も40年以上たちだいぶ傷みが酷く、屋根などは鉄骨が錆びて崩れてきそうな状態になっていました。

そこでこの場所が山の麓の景観のよいところにあること、また美しい桜の木があること、他にも紫陽花や山茶花、紅葉、梅など年中美しい花を咲かせますからそれに相応しい建屋はなんだろうと考えた結果、茅葺屋根の地蔵堂を甦生させたいと思い茅葺職人を探していたところ出会ったのが今回、茅葺屋根を葺き替えることになった阿蘇茅葺工房の植田さんです。

植田さんには、事情を話し、なんとかやり替えたいと伝えてたらちょうどその時にお地蔵さんと植田さんも縁があって一緒にやりましょうと盛り上がりました。しかしその後、地域の色々な理由から茅葺をすることができないということになりその話は中断されました。

不思議なことに、そのお地蔵さんの建屋から坂をくださったところにある江戸時代から続く藁ぶき古民家を甦生することになり天井の内側の藁ぶきを修繕するということでお願いすることになりました。そこで使われていた古い藁は、他の場所にある色々な藁ぶきの古民家の修繕に再利用されて甦生しています。

そこから少し経って、今回の英彦山の宿坊を甦生することになり最後の仕上げに茅葺屋根をするということで決まり昨日から我が家に職人たち5名が泊まり込みながら英彦山に通い甦生していきます。

お地蔵さんのことがなければ、私はこの職人と出会っていません。そしてこのお地蔵さんの建屋を修繕するために連絡した方がだいぶ以前に離れてしまった親戚だったことがわかり今では一緒に徳積財団を設立し運営しています。

英彦山の宿坊も私の名前をつけていただいた霊仙寺の前住職さんの寺院の傍で同じ谷にあり、その宿坊も山伏研究の第一人者の先生のご自宅でした。共通するのは、150年前の歴史の空白を埋めようと努力され甦生させるために尽力してきた方々の想いがあるということです。

想いがリレーのようにつながり、私の所にたどり着きました。私はその想いをつなぎ今、英彦山から茅葺を使って懐かしい未来を甦生させていきます。

なぜ今、こうなったのか、なぜ今、これをやっているのかは色々な人たちの想いがつながって今に至っているからです。お地蔵さんも、宿坊もすべて信仰の想いを残してくださった先人たち、そしてそれを渡してくださった方々、さらに私と周囲の人たちが次世代へとつなげていこうという願いや祈りが形になっていくのでしょう。

子どもたちに伝道し伝承できるものを、自分なりに努めていきたいと思います。

和やかなテクノロジー

最近、ある人の紹介で「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)のことを知りました。これはシンプルに言えば、人、情報、自然が一体になって調和したテクノロジーのことを言うそうです。

もともと今のような情報社会になることをユビキタス・コンピューティングの父とも言われる有名なエンジニア、マーク・ワイザー氏はすでにその当時から予見していました。そしてそのワイザー氏が、現代のようなユビキタス・コンピューティングの時代に「カーム・テクノロジー」というコンセプトが必要になると予言していました。

このコンセプトは、テクノロジーが暮らしの中に溶け込み、自然にそれを活用しているという考え方です。このコンセプトは約四半世紀を超えて、人類に求められてきているテーマになっているということです。日本でも、この考え方を実装するためにmui Labという会社が京都に創業しています。この会社が監修したアンバー・ケース著の『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(BNN 2020年)にわかりやすくその内容の一部を整理しているので紹介します。

「テクノロジーが人間の注意を引く度合いは最小限でなくてはならない」

「テクノロジーは情報を伝達することで、安心感、安堵感、落ち着きを生まなければならない」

「テクノロジーは周辺部を活用するものでなければならない」

「テクノロジーは、技術と人間らしさの一番いいところを増幅するものでなければならない」

「テクノロジーはユーザーとコミュニケーションが取れなければならないが、おしゃべりである必要はない」

「テクノロジーはアクシデントが起こった際にも機能を失ってはならない」

「テクノロジーの最適な容量は、問題を解決するのに必要な最小限の量である」

「テクノロジーは社会規範を尊重したものでなければならない」

もともと、この「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)はなぜ必要になるのか。これは私なりの考え方では、自然を尊重するなかで如何にテクノロジーとの共生をするかは人類が生き延びるための普遍的なテーマだからです。これは避けては通れず、やり過ぎればどの文明も自分たちの技術によって滅ぶのです。これは歴史が証明していますからいつの時代でもその時代に生きる人が取り組む課題になるのです。そしてこの課題が発生する理由は、そもそも道具というものを使い進化するということの本質にこそあります。

元来、道具というものは、全て使い方から産まれるものです。そして使い方は、使い手の人間力そのものによって最大効果を発揮します。使い手が如何に人間的な徳を磨いてきたか、そしてその徳を積む環境の中で道具と調和をはかったきたか、そこには時代に反映された生き方と働き方があります。

道徳と経済の一致の話も同様に、人はどの時代においても謙虚や自然への畏敬、そして自分たちの文化や歴史を洗練させてきました。この時代においても、それは必要で今の時代は特にテクノロジーで便利になり過ぎているからこそ危険なのです。

自然環境が破壊されるのもまた、その行き過ぎた消費文明の中の技術主義にこそあります。技術が技術を調和するには、確かに私もこのカーム・テクノロジーが行き過ぎたテクノロジー依存の人類には必要だと実感しています。道具だけ進化させても人間力が伴わなければ片手落ちになるからです。それは、今の人類の核の利用をみても明白です。

私ならこういう時は先人に倣います。自立した先人たちがずっと大切にしてきた伝統的な日本の和の暮らしをととのえながら、その時代に発明された道具を必要最小限で最大の効果を発揮する仕組みを知恵として生活に取り入れるのです。

私が提唱する暮らしフルネスは、古民家の懐かしいもの、宿坊の仙人的な知恵に囲まれていますが文明のテクノロジーは否定していません。むしろどれだけテクノジーを人間力で高められるかに興味がありそれを実現させようと取り組んでいるのです。これを徳という砥石を使ってやりましょうと話しているのです。言い換えれば、私なら穏やかではなく「和やか」というでしょう。そしてこの和やかな暮らしこそ、人類を救うと私は確信しています。

和やかなテクノロジーを、この日本、この福岡の地から発信してみたいと思います。

真の知恵

現在、英彦山の宿坊の甦生に取り組んでいますが、仲間や同志たちからたくさんのメッセージや連絡が入ります。私が今、ちょうど必死に取り組んでいるのを汲んでくれているのか、温かく強い言葉をたくさんかけてくれます。

みんなそれぞれの場所で、自分の信念と生き方を守るために自己と向き合い周囲に流されずに踏ん張っています。時代の中で、何度も生まれ変わる中でこうやって友達に再会しそれぞれで励まし合っていくのはとても仕合せなことです。

コロナで不要不急といって、色々なものが失われていきました。

その中には、決して不要不急ではなくても普遍的で何よりも大切な伝統や文化、そして伝承なども失われていっています。そして経済を優先するように働きかけ、経済と関係ないものは後回しという具合にもなってきています。

実はいつの時代も、今回のコロナのような感染症が流行した時もあり、今のように戦争が起きて日常生活が一変したことは人類は体験してきたのです。

しかし今でも、文化が失われず、日本人としての生き方がそれぞれの人や場所に遺っているのはそれは先人たちがどんな過酷な環境下であっても守り通してきたからに他なりません。

つまり今の自分の存在こそが、先人の生きた努力の結晶の証なのです。

そこに私たちは真の誇りと心のやすらぎ、そして居場所を得るのです。

最近は、居場所がないと苦しんでいる人が増えています。それは先祖や先人たちとのつながりが希薄になっているからです。私は家系図を辿ったこともあり、そして家系図で出会った先祖をその後にお祀りすることになり、今では歴史のつながりの深い場所や人、そしてご縁を大切に生きています。

御蔭様でいつも心の深いところに居場所があり、いつも身の周りには先人からの知恵とご加護とお守りに包まれて暮らしていくことができています。

私に言わせれば、「コロナで不要不急だからこそ、本当に大切なものを守る。」ことが今を生き、これからを生き延びるための真の知恵だと感じています。文化に携わる友人たちは、みんな今、大変な想いをしながら自己を磨き利他に挑戦しています。

私もみんなの元氣の一つになれるよう、みんなが勇気を出すためのチカラになれるよう、私の持ち場を守っていきたいと思います。

日本の初心

現在、英彦山の宿坊の甦生に取り組んでいますがいつものことながら困難続きです。だいぶ、これまでの経験から慣れてはきていますが信じているものの現実の対応には決断ばかりが必要で心身の疲労は蓄積していきます。

振り返ってみると、これまでも古民家甦生は無理難題ばかりの連続でした。当然ながら、費用の問題。大工さんや職人さんたちは一生懸命に取り組んでいますからそのお支払いが必要です。なぜ今までなんとかなってきたのが不思議で、その都度に知恵を出したり周囲の方々からのご寄付があったりして何とかなってきました。

そして次に建物の問題。私がやるところは皆が手入れをやめて荒廃していよいよ最期かというところのものしかご縁がありません。中もぐちゃぐちゃで、木材などもシロアリ被害にあっていて思った通りに工事が進みません。

他にも私の無知からの不手際でご迷惑をおかけしたり、本業の仕事ができなくなりみんなに迷惑をかけたり家族との時間が減り家事を任せきりになっていたりと、いろいろとあります。

何よりももっとも大変なのは、本質を守り続けるためにブレないで最後まで貫遂するための自分自身との正対です。

私が取り組むときに最初に決めるのは、「家が喜ぶか」「本物の和にしたか」そして「子どもに恥じないか」と定めます。今回の宿坊はそれに加えて、お寺ということもあり「布施行」を貫き仲間を増やし、「いのりの場」として子孫に繋ぐためのプロセスを重んじたかと、取り組みの際の自戒を定めてやっています。

何度も費用のことや、楽にやろうとしたり、時間がないなかで時間を敢えてかける方を選択したり、ブレないで自戒を大事に守り取り組んできました。夜中に夢に魘されたり、山の中の寒さで冷え切り体調が著しく崩れたり、心ここにあらずで怪我をしてしまったり、ストレスで頭痛や胃腸を悪くしたりと、思っていた以上に堪えました。

しかし、そんな時こそ足るを知り、いただいている方を観て感謝して同時に信じてくれた自分や周囲の御蔭様に勇気をいただき前進してここまで来ました。周囲からは、順風満帆で明るくやっていますし私自身も弱さを公開せずに徳を積む仕合せをこぼれさせようと顔晴っていますからなかなかこんなことを伝えることがありません。

むかしの諺に「武士は食わねど高楊枝」があります。 これは誇り高い武士はどんなに貧しくても、腹いっぱい食べたかのように楊枝を使って見栄を張っていたというものです。これは見栄をはっていたのでしょうか?

実際には、江戸時代の武士の多くは今でいう政府や役所のお役人でした。彼らの多くは私利私欲に走ることなく世の中のため、民衆のためにと働いた公人でした。現代のように裕福でモノに溢れた時代もある中でも為政者としての武士の倫理規範をもち、無私の奉仕、誠実な生き様を痩せ我慢をしてでも実践した言葉です。

この時代、価値がないと捨てていく大切な伝統や本物の文化が荒廃していくのを見すごせないと私のようななんでもない凡人でも環境がなくても真摯に取り組めば甦生はできるとその姿に何かを感じてほしいと宿坊の甦生に取り組んでいます。

かつての山伏もまた、山で暮らし山を守り、日々に修行に精進して気品高く人々のために盡してこられました。私にとっての山伏は、先ほどの武士は食わねど高楊枝で尊敬する先人であり先達なのです。

その暮らしを甦生するためにも、私自身が同じ境地を少しでも感じたいとこの今も甦生に取り組んでいます。今回の宿坊の甦生、英彦山の甦生は、できる限り多くの方々のお布施や托鉢、そして英彦山を愛し、日本の誇りを甦生するための寄付をなるべく多くの一人ひとりから集めたいと願っています。

それが日本人の心のふるさとを思い出し、日本の初心を甦生させることになると信じているからです。途中経過になりましたが、今の私の心境です。皆様の心に何かが伝わり、一緒に徳を積むことの仕合せや喜びがこの社会をさらに磨き上げて素晴らしくしていくことをいのっております。

宿坊が甦生し、皆さんにお披露目できるのは新緑の頃になると思います。

ぜひ、この「いのりの場」に来ていただくご縁がありましたら心に懐かしい未来の美しい風景が宿りますことを念じております。残りの期間、しっかりと取り組みます。

一期一会

只管打座の暮らし

先日、ある禅僧の方と一緒に瞑想をするご縁がありました。この瞑想というものは一般的には、足を組むなどして座り目を閉じて心を落ち着ける行為のことを言われます。広辞苑(第六版)には「目を閉じて静かに考えること。現前の境界を忘れて想像をめぐらすこと。」と書かれます。

私はこの瞑想の自分なりの解釈は、整えることを言うと思っています。常に暮らしの中で整えながら生活をしていくということ。私の暮らしフルネスは、この暮らしを整えることをベースにしています。

かの道元禅師は、「只管打坐(しかんたざ)」という言葉を遺しています。これはそのまま「ただ ひたすらに坐る」という意味です。その解釈としては下記のように説明されているといいます。

「瞑想を行い、そこから様々な功徳を得ている人は数知れない。あまりにも単純な方法だからといって、その可能性を疑ってはならない。今、自分が存在している場所で真実を見つけることができないというなら、一体どこに真実があるというのか。人生は短く、何人も次の瞬間が何をもたらすかを知ることはできない。心を養いなさい。その機会はいくらでも訪れる。やがて、すばらしい知恵を発見することになるだろう。そうすれば、今度はその知恵をほかの人びとと十分に分かちあい、彼らに幸福と平和を与えることができる。」

そもそも考えてみると、悟りとは何か、修行とは何かということを思います。悟りがあるから修行するのであり、修行するから悟ります。つまりこの悟り=修行は一体のものであり分けられるものではありません。悟ったから修行を終わるのではなく、修行したから悟るのではありません。常に、修行しながら悟り続けていく姿こそが真の道であるということです。

すると座禅というものもそこから考えるとわかります。ただ、座ればいいというものではありません。自分のいる場所で、修行し悟り続ける。この座るという字は、据わるともいわれます。居場所を保つことです。そして坐るというのは動作の漢字であり、座るというのは場に座すということです。

英彦山にも座主がいるように、このその場を創る人は座っているのです。私の場合は、「場の道場」(BA)の座主であるともいえます。どんな状況や環境であっても、自分の生き方や信念に座り続ける。まさに、道元禅師という方はそのような方だったのだろうと想いを馳せました。

私も、このような現代社会の中で人類の本当の生き方、そしてあり方などと正対しているとこの座禅は何よりも必要であることに気づきます。子どもたちが安心して自分の天命を生きられるように私も只管打座の暮らしを実践していきたいと思います。

 

甦生の流儀

昨日、無事に宿坊の古材とご縁ができこれから祈り場の甦生に入ります。大変有難いことに、福知山とのご縁からその品に相応しい古材が現れたことに深く感謝しています。

この福知山との出会いは何かと、今振り返ってみるとはじまりは福地権現と彫られた額からだったように思います。宿坊の掃除をしていたら、突然、棚の奥深くから大切に包装されていた箱が出てきました。開けてみると、その中からこの額が出てきたのです。その品格、力強さからみても福地権現が祀られていた寺院で用いられたものなのは間違いありません。すぐに方々に確認しましたが誰にもそれがある理由がわからずにそのままその額をお祀りし供養をしました。

その後は、宿坊の工事を祈願しその額が全体を見守るような位置に額をご鎮座いただき常に線香をたき、念仏祝詞をあげつづけていました。

すると不思議なことに、まず福智町の上野焼きのある陶芸家の方とのご紹介が出て福地権現の中宮にお伺いすることになりました。そしてかつての山伏の修行場とのご縁もありました。陶芸がここで発祥した場所などにもお伺いしました。その時は、あまりそれ以上は関係が出なかったのですがここが福知山で福地権現なのかと参道などを歩き感動しました。

その頃も古材を探していましたが、なかなかその古材と物語がつながらず途方に暮れていて気が付けばもう今週末までに決まらなければ大工工事が進まないギリギリの状態になっていました。万事休すかと思っていた矢先、突然、フェイスブック経由で連絡がありある方から古材を提供したいというご連絡をいただきました。

そこがなんとまた福智町の上野焼の里で、もともと福地権現の傍で代々陶芸をしてきた上野焼宗家十二代目の方だったのです。

このタイミングでまさかの福地権現からの天の手助けと加勢を感じ、深く心が震えました。すぐに連絡をして棟梁と共にお伺いすると、今ちょうど福地権現の額に御鎮座いただいている床の間の板と洗い場に必要な松材の台になりそうな古材があり、それをお布施いただくことになりました。

御蔭様でこの宿坊の甦生の重要な場所の材料と出会い、もっとも重要だった祭壇の甦生がこれから実現することになります。こうやって天に見守られて、宿坊のいのちが甦っていくのは感無量です。

私は古民家甦生をしますが、いつもこれをただの計画通りに直すようなことは決してしません。むしろ計画をほとんど立てずに取り組んでいきます。まるで素人かとプロの方からは馬鹿にされることもあります。しかし、そこには大切な理由があるのです。それはその計画を立てない中に大切な物語にこそにいのちがあるからです。そのものをただのもののように扱わず、最後までいのちのあるものとして丁寧に対話をしながら接していくのです。

例えば、料理でいえばわかりやすいですがレシピ通りにつくってそれをこなしていき美味しくできるかもしれません。見た目もいいし、味も想定内の味付けに調味料なども組み合わせてつくれます。しかし、それを何回もこなしているうちに心を籠めることやいのちを扱っていることを忘れてしまい料理はできてもどこかむなしいものになることがあります。

そうではなく、素材と対話し、素材そのものを観てその素材がどうやったら喜んでくれるのか。そしてその素材を活かすにはどうしたらいいのか。そしてその素材に関わる人たちへの感謝を忘れずに素材そのものの徳を明らかにしながら徳を積んでいくように料理するという真心を籠めいのちを甦生させるという料理があるのです。

頭で考えてやるのではなく、まず心を用い、そこに最後に知識を重ねるというのは私の古民家甦生の流儀でもあるのです。現代では、誤解されることも多く、そして資格があるとかないとかで本質が観えなくなってきています。大切なのは、人生にもものにも物語があることを忘れないことです。それを尊重するとき、はじめてご縁は活かされるからです。

引き続き、この天の応援の御蔭様をおかりしながら最後まで丁寧に甦生していきたいと思います。

世界変革への門出

昨日は、聴福庵にてブロックチェーンエンジニアたちと一緒に鏡開きを行いました。お昼にはその鏡開きの御餅を使い、七つの穀物と七つの若草を使いお雑煮にしたり、かき餅にしてみんなで食べました。

鏡開きでは、まずみんなで鏡餅に感謝をして参拝して、その後は「おめでとうございます」と声掛けをしながら御餅を木槌で開いていきました。清々しい門出と福がみなさんにつながるようにと祈り行いました。

寒い日でしたが、炭をたくさん使った古民家はとてもぬくもり、またコロナでテレワークからなかなか会えない仲間たちと一緒に雑談をしたり学び合い、教え合う時間は、何よりも有意義でした。

畳になれていない人も多く、少し腰が痛いこともありましたが懐かしい未来の時間をみんなで過ごす豊かな時間です。

一昔前まで、日本人はどのような環境で仕事をしていたのでしょうか。そういうことを知っている人ももういませんし、たいした文献も残っていません。

しかしむかしから続いている場所で、むかしの真心をもって文化を継承している人がいるとそこには懐かしい未来の場が甦生するのです。私がそうであるように、私の暮らしフルネスの実践の中に人が入ればそこに何かを直感してくれます。

それは私が先人の智慧を尊び、日本人であることの素晴らしさ、文化の偉大さを実感しているからにほかなりません。現在は、都市化され国家を優先して生活というものを激変させましたからむかしからある本来の豊かな暮らしを失っていきました。

生きているということは、決して生活のためだけではなく暮らしのためにあります。この暮らしは、現代の暮らしではなく、懐かしい暮らしのことを言うのです。暮らしの定義を換えない限り、本来の私たちの豊かさは原点回帰しないのではないかとも感じます。

コロナで私たちは大切な何かを思い出し、そしてコロナ後に世界は人類のしあわせとは何かということを考えようと話していました。しかし、現在の社会情勢をみていたら原点回帰は元の経済優先の仕事中心に戻ることのように報道されます。

残念なことです。

人は一人ひとりの中での意識の変革によってしか世界は変わっていきません。まずは自分自身が変わることで、つまり暮らしを換えることで世界は真に変革していくと私は思っているのです。

子どもたちの未来、子孫たちの平和のために、世界の変革をこの場所、私のいる足元から変えるために実践を積んでいきたいと思います。

真の行事 

今日は、毎年恒例の時代ものの木臼と百日紅の杵を使い、伝統の蒸し器をつかいお餅つきをします。古民家甦生を始めた頃からなのでもう5年目になりますが、このお餅つきと鏡餅をつくることで正月の準備がととのいます。

本当はもう少し早めに準備したいのですが、煤払いや大掃除に時間がかなり取られるのと現代は年末になるとみんな慌ただしく仕事をしたがるので余計な時間がとられてしまいます。なんでも年内のうちに終わらせようとする意識はいつからはじまったのかわかりませんが、ゆったり年越しを迎えたいと思って準備したい人には大迷惑な話です。詰め込み過ぎることで結局、時間のスピードも上がるしそれでは人生にとっての心の時間が追いついてきませんから余計な疲れを増やすだけです。

本来、伝統的な暮らしや行事の実践をしていたら年末はとても仕事できる状態ではないことはすぐにわかります。みんな一斉に大掃除をして、新年を気持ちよく迎えるために「ととのえていくだけで精一杯」だったでしょう。暮らしが失われていくことで、仕事しかしなくなっていくと本来の心の豊かさやゆとりも消失していくものです。

仕事と休みしかない日常ではなく、もっと暮らしが充実するような日常に日本人は原点回帰する必要性を感じています。

さて、話を御餅に戻しますが鏡餅は買って飾るよりもお餅つきをして飾ることでその豊かさも倍増します。手作りで時間をかけてついた餅は、色々な今年の出来事を集約し、その御蔭様を実感する機会にもなります。

もともとこの鏡餅は、神話の中の三種の神器である銅鏡がモデルになっています。鏡は真心の姿でどのような心であるのかを示すものです。鏡餅の2段になっている大小の御餅は、月と太陽を現し、御魂和合の象徴です。これは歳神さまといってお山から里へと降りてきてもらい家に滞在するときの依り代になっているともいいます。

この時期に日本全国のあちこちでみんなで笑い、にぎやかに楽しみながらお餅つきをする風景を想像してみてください。その御餅をみんなで食べて、仕合せを分かち合う様子を。こういう美しいゆたかな文化は、日本人の宝の一つだったのでしょう。

三種の神器とは、親祖の神さまが子孫たちへずっとこうあってほしいと願った祈りのカタチです。その祈りのカタチの一つが、三種の神器の「鏡」なのであり、それを「お餅」で伝統として続いていってほしいと願ったのでしょう。

この鏡餅こそ、子孫たちの仕合せで平和な日々を願い定めた大切な「行事」だったということです。最近の行事は、本当の意味での行事をしていません。保育園や幼稚園でも、年間スケジュールの一つのイベントになっているところも多いです。

本来の行事の意味とは何か、子どもたちに真摯にその意味を場を通して伝承していきたいと思います。

未病の智慧

英彦山の宿坊の甦生に取り組む中で、英彦山への理解が深まってきて仕合せな時間を過ごしています。特に夕暮れ時の英彦山から眺める美しい山々の端や山際にうっとりします。

一人、沈む太陽に法螺貝を立てていたらそれに呼応してどこからか応答の法螺貝が聴こえてきます。一つ、二つと、まだ英彦山には法螺貝を立てる方々が棲んでおられ共に山や谷にその音を響かせています。

懐かしい時間が穏やかに過ぎていく瞬間です。

静かな山では、法螺貝を吹くと谷間の方に音が引き寄せられそこから音が重なりあって呼応してきます。その音の響き方で、谷があることがわかります。むかしの山伏たちは、法螺貝で山の立体まで捉えていたという話もあります。山で研ぎ澄まされた生活をしていると、人間の感覚が開いていくのかもしれません。自然や山を深く愛し、そして尊敬していたからこそ自然の智慧を授かったのでしょう。英彦山に佇むと、その懐かしい暮らしや山伏たちの澄んだ真心を直観します。

そして修験者の先達の数々の神通力や護摩祈祷によって、自然回帰し心身が回復した人が多かったことが歴史からも証明されていてこれは現代人の未病にはとても重要な意味を持っているように思います。

そもそもこの英彦山は、仙人の仙道が栄えた場所で不老不死の伝説がたくさん残っています。その証拠に、不老園という秘薬が伝承されていたりもします。

現代は、西洋の科学的に薬草から抽出された白い薬がほとんで治療薬にしていますが副作用も強く、耐性ができたりと、根源的な治療にはならないことで薬も見直されつつもあります。根本や根源の病気の原因が取り除かれないのに薬だけを投与していても回復しません。

そういう意味では、未病といって病気にならない生き方や暮らし方を教え、そして薬草や護摩祈祷や、独特な気脈を整えるよう術などで治癒した方が人間は真の意味で恢復していったのでしょう。

改めて、その伝統的な医療を見直し、温故知新していく必要性も最近は感じています。心と体のバランスをどう整えていくか、それは末永く健康で生きていくための人間の大切な智慧です。

子どもたちにもこの智慧が伝承できるように、色々と挑戦していきたいと思います。