真の調和

最近、ブロックチェーンの関係でweb3.0の話ばかりを耳にします。そもそも思い返せば、25年前にインターネットもなかったような時代から今までずっとITに関わり、会社を経営していく中での経過を見ているとおおよそのことは予想していた通りでした。人間が使うものだから、人間がどのようにその道具を使っていくのかは歴史を見れば大体同じです。

情報などわかりやすいものですが、誰か特定の人だけが知っていた李、既得権益で隠したりしていると、それを持っている人と持っていない人で格差が出ます。それをみんなでオープンにしようといったり、シェアしようとするのは自然な流れです。

そもそもこのweb3.0を最初に提唱した仮想通貨「イーサリアム」の共同創業者のギャビン・ウッド氏がアメリカのスノーデンの告発の問題意識からであるそうです。

中央集権から分散型へ、これもまたある一定のGAFAなどの企業が情報や富を独占する中で、この行き詰った状態を打破するために新たに生まれた産業構造が現れます。シェアリングエコノミーなどのその一つであることが容易にわかります。

産業革命は新しいテクノロジーによって起こりますから、今のブロックチェーンというテクノロジーがどのように産業を換えるのかは産業に関わる人たちの一つの生命線にもなっているということです。

私は、デジタルとアナログのバランスが重要で、本来は人間がデジタルをきちんと理性的に活用していくことを暮らしでととのえていますからどうしてもデジタルだけの方の話は偏って感じます。

最近、結(ゆい)という相互扶助の集まりを甦生し茅葺屋根を甦生しました。みんなブロックチェーンのことはあまり知らなくても、私がそこで話せばすぐにDAOや自律分散型の意味を伝えることができます。また聴福庵というように、物が調和して繋がりあうような場をみせてその概念を伝えることがあります。また羅網のような仏具で話すこともできます。

すでにある概念ですが、理想ははっきりと心にあります。

子どもたちのためにもこれを実現するために、地味なところで根気強く真の調和に挑戦していきます。

今を生きる責任

昨日は、無事に20周年の振り返りを行い21年目に向けて気持ちを新たにしました。これまで支えてきてくださった方々の存在の大きさに改めて感謝する一日になりました。今では、本当にたくさんのご縁に恵まれ、私たちを今も応援し一緒に歩んでいく家族やパートナーが増えました。本当に有難いご縁に深く心から感謝しています。

よく私は大切なことを語るときに「懐かしい未来」という言葉を使います。しかしこれは決してむかしが一番いいからむかしに戻そうと言っているのではありません。最近は、コロナが流行してから以前みたいに集まりたいとか、むかしみたいに海外旅行に行きたいとか、すぐに過去がよかったというような言葉を聞きます。しかし今この時、この瞬間はすでに過去ではなく未来そのものになっています。

だからこそこの今である未来そのものが一番いいとなっていることが仕合せであり、そうやってこの一期一会の今を刷新していくことで懐かしい未来を継いで仕合せをさらに守っていったように思うのです。

先人たちは、自分たちよりも子孫が不幸になってほしいなどと願ったことはありません。今の自分たちの仕合せを同じように、子孫たちにも譲っていきたい、もしくはもっと仕合せになる世の中を創造してほしいと心から願ったはずです。そこには自然界のように無償の愛に満ちています。

だからこそ、今を生きる責任をもっている私たちはこの今をかつての先人や先祖たちが願ったように仕合せな世界にし、また同じように子孫にその仕合せを繋いでいきたいと思うのです。

人は人からされたことをまた他の人にしたいと思うようになります。この連鎖は、ずっと変わらずに今もこの世を支えています。だからこそ謙虚に、子どもたちの仕合せを願い誠実に今を善いものにしていくために精進していく必要があるのです。

過ぎた過去は戻ってきません、その過去を善かったものにするにはこの今をまさに善くしていくことだけに専念していくしかありません。今を見て今に生き切るのは、その時々のご縁を大切にしたいと願うからであり先人たちのような美しい生き方を子孫に繋いでいきたいと思うからです。

今があることに感謝して、いのちと調和していくことが真の豊かさになり心のままに生きることのようにも感じます。これからもいただいてきたご縁を感謝で結び直して、新たなご縁を結んでいきたいと思います。

ウェルビーイングではなく暮らしフルネス

現在、資本主義経済の行き詰まりをはじめコロナによる経済の低迷、また戦争による閉塞感など世界は暗い情報が増えています。そんな中、ダボス会議ではグレート・リセットといって今までの価値観を見直し、前提から見直そうという声が出ています。

リセットというのは、最初からやり直すという意味です。

シンプルに言えば、これは今のやり方ではこれ以上難しいから最初に戻すということを言っていますがではどうやって戻すのかということは議論されていません。それは戦争によって破壊されて縄文時代のように戻ることをいうのか、もしくは原点回帰というように人類が何を求めているのかということを真摯に考えて前提をひっくり返すのか。どちらにしても、それも人類が選択できるということなのでしょう。

具体的には下記のようなことがいわれています。

  1. ビジョンの再定義:自然との調和を保ちながら、社会のニーズに応える
  2. 透明性の確保:環境、社会、経済のパフォーマンスに関するデータを開示
  3. 外部性の内部化:環境的及び社会的影響を認識し、負の外部性を減らす
  4. 長期的なビジョン:会社、社会、自然を含む全ての重要な利害関係者に利益を
  5. 人を資産にする:社内の声を優先する
  6. 生産のローカライズ:エネルギー源や財源、流通のローカライズ
  7. サーキュラーエコノミーへの切り替え:環境および社会システムとの共存
  8. 多様性を受け入れる:価値観、所有構造、財務の多様性を認識

確かに、現状を維持しながら変革をしようとすると今の社会の在り方を換えていくことで幸福に近づこうとするのはよくわかります。しかしこれで本当にグレート・リセットするのかということどうでしょうか。

私は、そもそもの大前提がこれで変わっていくとは思いません。これはこれまでを換えようとはするのですがこれまでとの対比の中で大前提が変わることはないからです。

現在の行政の仕組みや国家の在り方なども根本は変わりません。それは今の仕組みを走らせながら新しい仕組みを入れようとするからです。一度知ってしまった便利さを手放せないように、人はそう簡単に元に戻ることはありません。そして長い時間をかけて教育してきた価値観を忘れることもなかなかできないからです。手段は目的を超えられません。目的を換えるには、具体的な智慧が必要でそこには常に今を磨き続ける努力が必要だからです。

私はこれまでのことを対比するウェルビーイングではなく、今を温故知新し根源的に甦生させる暮らしフルネスというものに取り組んでいます。これはもともと幸福を目指しているのではなく人間の暮らしをととのえていくことを実践していく方を目指しているのです。

今、世界は現状を換えずに変化することをみんな求めていますが今の国の仕組みがいつまでも変わらないようにそんな大きな変化はないように思います。しかし、時代は必ず後押ししてきて原点回帰するときが訪れると思います。

大事なのはその時、その原点回帰するものが残っているかということです。私が文化や知恵を伝承するのは、子どもたちがそれを受け取れるようにするためです。今の社会をどうするのかという運動は、私の役割ではないように思います。

私の役割は、一つ一つの先人の智慧を甦生し、実践し、歴史を紡いでいくことです。どの時代も、本当は同じ課題と向き合い続けて今があります。むかしも今も、本質的には人間の課題はなくなっていません。だからこそ、智慧が必要なのです。

子どもたちに智慧が伝承できるように、ウェルビーイングではなく暮らしフルネスを実践していきたいと思います。

変化の創造

成熟してきた業界のことを観察していると、今までの仕組みが邪魔をして変化が停滞していしまっているところがよくあります。その時代時代に、課題がありそれを解決するためにはじまるのですがその時に作った仕組みやシステムが陳腐化してくるのです。

その時は、それでよかったものが時代が経つとそれが変化の邪魔をするのです。そもそも移り変わっていくということが分かっていれば、移り変わる中で何が今の時代の要請なのかということを常にとらえて学び続けることができます。しかし、日々の忙しさに追われてそんな時間が取れなくなると次第に移り変わることを忘れてしまいます。

あまりにも目先のことや日々のことに追われていくと、人は変化に疎くなるのです。

変化していくためには、少し忙しさから離れて世の中の変化をよく見つめ直す時間が必要です。もしくは、忙しくしない日々を生き、常に変化というものを見つめる観察眼を養う必要があるように私は思います。

かつての人たちは暮らしの中でその観察眼を磨いてきました。

日々の小さな変化、自然の変化に目を凝らし、小さな虫一つ、植物の変化一つを気づき、そこから世界の変化を予測していました。自然界にも兆しというものがあり、世界の反対側で起きていることでも小さな自然の変化から想像することができるのです。

今は、テレビやインターネットで世界の反対側の情報も映像などで入ってきますがむかしは長い時間と小さな変化を観察することで情報を入手したのでしょう。もともと地球は球体ですから、投げたものは長い時間をかけて返ってくるものです。これは意識の変化も同様です。歴史が刻まれていく中で、人間の意識も少しずつ変化していきます。

コロナがあり、戦争があり、人間の心理や感情も刻々と変化していきます。

毎日は同じように見えても同じことは一つもありません。

その時々によく観察し、原点回帰しながらも何が変わったのかを見極めて順応していくしかありません。昔と比べてではなく、まさに今がどうなっているのかに集中するということでしょう。

子どもたちの未来のためにも、新たな変化を創造していきたいと思います。

暮らし方

人はそれぞれに人生を生きていますが、その中で暮らしがどうなっているかはその豊かさや仕合せを左右するものです。例えば、芸術や文化、音楽などを含めそれがなくても毎日仕事をしてお金を稼いで毎日、忙しく生きてはいますがそれで日々の暮らしが潤うかというとそうではないことはすぐにわかります。

ある人は、毎日の生活に潤いがありまたある人はそれがない。それは環境もあるかもしれませんが、本来は生き方が決めるのであり、その生き方が暮らし方を決めているということもでもあります。

どんなに忙しい毎日であっても、暮らしがととのっているのであれば潤いのある日々を過ごしていくことができるのです。

私の場合も、周りからみると結構暇そうに過ごしているように見られることがあります。特に古民家で炭火でお茶を沸かしてゆったりとおもてなしやおしゃべりをしていますから余計にそう思われます。

私のことをあの人はもう十分儲かって稼いでいるから仕事をしなくていいなどと言われたり、話が長いし時間がゆったりだから気を付けないとすぐに時間がなくなってしまうよなどともいわれます。しかし実際は、結構な忙しさもありやっていることを話すとよくそんな時間がありますねというくらいいろいろとやっています。ただそう見えないだけといことです。

それを考えてみると、私の場合は「今」というものを大事にします。また人生の座右の銘は一期一会です。その瞬間に真心を籠めていきると決めていますから、忙しくても心まではそうならないようにと噛みしめながら味わっています。毎朝毎晩、振り返りをしてはその余韻から気づいたことを反芻しています。

自然に触れたり、花をめでたり、炭を感じ、音を聴き、光を観察しご縁を味わう。そうやって少しの隙間に、今、この瞬間を楽しむのです。

暮らしは、暮らし方でもあります。

人生は一度きりですから、悔いのないよう潤いを忘れないように過ごしていきたいものです。子どもたちにも、多様な暮らし方を選択できるような場をつくっていきたいと思います。

子どもの環境

今の子どもたちとむかしの子どもたちは、基本的には同じです。しかし同じ子どもでも与えられた環境が異なってくるとその子どもたちは異なった成長をしていきます。当たり前のことですが、環境が子どもに与える影響は大きく、どんな環境であったかはその後の人生を左右していくのです。

ではどのような環境がいいのか。例えば、自然が多いところ、もしくは学術都市のようなところ、他にも有名な教育をしているところ、色々と考えることはあるでしょう。しかし、それが子どもにいいかどうかは本当に意味ではわかりません。なぜなら個人差もあり、どのような効果があるのかは人それぞれだからです。

こういうことを書くとでは、どうするのかとなります。もちろん、自然が多いところなどは感性を磨いてくれますし、身体も健康になっていきます。都会と比べて空気も美味しく、健康的です。健康に育てようとすれば、自然豊かで地産地消できるような場所、また人のつながりやコミュニティが暖かいところがいいのは間違いありません。

私は子どもの環境のことを深めていながら普遍的な環境というものがあるのではないかということに気づきました。一つは、暮らし、一つは発達、一つは伝統文化です。

例えば、伝統文化というのは今の子どももむかしの子どももそれを知恵として伝承してこの土地の人間として育ってきました。それは非常に理にかなっているものであり普遍的です。この土地に生まれたからこそのこの文化というように、地理や気候、生活文化が長い長い時間をかけて醸成されてきたのです。この環境が子どもにあるのかどうかは大変重要だと思うのです。

もう一つの発達、これは育つ環境のことです。植物であれば、土中の環境がよくその植物にあった場所で育ちます。つまり育つための環境があるということです。もともと人は個人差もありますから発達速度もバラバラですし、特性もあります。それがうまくみんなで育ちあうようにするにはそれができるような場所が必要です。植物でいえば土もない、水もない砂漠のようなところでは育ちません。自然農でも、その特性を見抜いて最適な環境をどう用意し見守るかが大切です。これも時代が変わっても普遍的なものです。

最後に暮らしです。暮らしというのは、人の営みです。大人の姿を見て子どもは育ちます。そしてその暮らしの中には、今まで連綿とつながってきた先祖からの記憶や知恵が凝縮されておりそれによって地球や自然と共生していくことができます。あらゆる生き物は、この暮らしと調和し一生をはじめ一生を終えるのです。どのように暮らすことが仕合せなのか。それも教えずにしてわかるのがこの暮らしです。

このように普遍的なものがあるなかで、人は特殊な教育ばかりを注目しますが残念なことです。空気や太陽や水などと同じように、本来は教育も普遍的なものでした。私たちは今までどう育ってきたのか、こういう時代だからこそ原点回帰していく必要性を感じています。

保育に関わる人間として、私自身、まだまだやれることがあります。残りの人生の課題の一つとして挑戦していきたいと思います。

英彦山の甦生のはじまり

昨日は、英彦山の宿坊、守静坊に120人以上が集まりみんなで茅葺屋根の茅を運び入れました。大きなトラックで6台分くらいあったでしょうか。一軒の家の屋根にこんなにも大量の茅を使うのかと驚きます。先日、阿蘇に茅を刈りにいきましたがその作業も大変な作業でしたからこれをこの数と思うと、改めて職人さんたちの労力や仕事に頭が下がる思いがしました。

現在、この宿坊は昭和のリフォームで茅葺屋根がトタン屋根に変わっています。もう地元で茅を育てている人たちもなく、みんなで茅を葺く文化も消失しました。できないのだから他の方法でということで、トタンになったのでしょう。トタンは便利で、茅を丸ごと囲いますから茅に雨が染みこむこともありません。茅は、そのままにしていると傷みますから定期的なメンテナンスが必要になります。

むかしは、常に囲炉裏に火が入っていたから茅も燻されて防カビや防虫などもしてくれ長持ちしました。現代は、燻すこともありませんからすぐに茅も傷んでしまいます。どう考えてもトタンからわざわざ茅葺にすることは見た目が良いメリット以外には大きな費用がかかるし、この先もずっとメンテナンスできるかという問題があるからと二の足を踏む人が多いといいます。それはよくわかっています。一般的には無理だと諦めるかもしれません。しかし、私は別に家をリフォームしているのではありません。

私は、古民家甦生を通して日本の懐かしい未来を甦生しているのです。なので茅葺屋根は私にとってはメリットしかないのです。やらない理由はまったくないのです。この茅葺屋根を葺くという行為自体が、懐かしさの源流であり、現代にも連綿と続いてきた真の日本人の心を甦生することになっているからです。

昨日は、みんなで「結」(ゆい)という体験をしながら、たくさんの茅を運びました。みんなで声をかけあいながら、力を合わせて協力しました。午前中だけでは終わらず、その後は有志が残ってくださって残りの茅もほとんど運びました。体力も消耗し、大変ではありましたがみんな心は清々しく笑顔も多く、素晴らしい人たちが一緒に汗をかいてくださっていることで場所全体が輝いていました。そして200年の枝垂れ桜もそれを満開の花と共に美しく揺れながら見守ってくれていました。

この懐かしい未来の光景は、決して文字では伝えることができません。

この場に参加してはじめて、これが「結」(ゆい)なのかと、直観し実感するものです。私はこの光景がいつまでも子どもたちに遺して続いていけたらいいなと心から祈っています。

人はみんな、みんなのものだと分かち合う時、そして誰もが地球では家族の一員だと助け合う時、私たちはそこに繋がっている存在、結ばれている存在の有難さに気づきます。他人と貸し借りができるのも、そして知らない人たちでも協力し合えるの、その時、心はとても豊かになります。懐かしい先人の生き方や知恵に触れるとき、私たちは何かを思い出しています。その何かは先人が私たちに遺してくださった大切な心を伝承し、その当たり前ではないことに感謝を思い出しています。そして私たちはその結ばれてきた今までのご縁の尊さを思い出すのです。

私たちは、ずっとむかしから今も結ばれ合っています。それをまたこの時代も結い直すことが、これまでもこれからも仕合せになっていくための知恵なのでしょう。

英彦山の甦生のはじまりが、この結からであったことに深く感謝しています。

歴史の大切な1ページを皆さんと一緒に、結でめくれたこと一生忘れません。英彦山のお山の徳が引き出された瞬間を感じました。ここからは引き続き、徳を磨き、英彦山から日本全体へとその徳を顕現させ子どもたちの心のふるさとを甦生させていきたいと思います。

一期一会をありがとうございました。

ありがとうの波紋

昨日、無事に46歳の誕生日を迎えることができました。多くの方々からもお祝いをしていただき、感謝の一日を過ごすことができました。ご縁は広がっていきますから、出会う人たちも広がっていきます。人生の豊かさの一つは、多くの人たちに出会い関わりを持てるということでもあります。

人はそれぞれに色々な生き方があり、色々な考え方もあります。まるでお花のように、色々なお花を咲かせてはそれぞれの徳が薫ってきます。その花の魅力をどう活かすかは、器にもよるし場所にもよります。みんなが活かしあえるような楽しく愉快な場所がこの世に広がっていけばいいなといつも思っています。

子どもたちがそうであるように、それぞれの子どもたちの徳は無限の可能性があります。やりたいことがあり、その人らしい個性を持っています。みんなで尊重し合う社会が実現できるのなら、悲しい暴力や戦争も遠ざかっていくように思います。

何世紀もの間、性懲りもなく人間は同じような戦争を繰り返しますが同時にどの時代にも暮らしをととのえて地球や自然と共生し、他の生き物と一緒にじっと耐え忍んで永遠の平和の実践を積み重ねてきた人々もいます。

しかし子どもたちは未来がありますから、この一時的な感情よりももっと大切なものを守るために私たちができることを、できる人たちからはじめていくしかありません。まさに、来た時よりも美しくしようと一人ひとりの一歩一歩が場をととのえて世界をより善くしていくことです。

私の現在の状況を振り返ると、いつも怒涛の一進一退です。善いことが起きると思って期待すると、すぐにそれが予期せぬことで叩き落されます。感情的には落ち込みますが、それでも人間万事塞翁が馬だからと粛々と初心を貫いていたらまた予期せぬことが起き偉大な恵みをいただきます。感情の起伏が激しい味わい深い体験ばかりの日々ですが、有難いことにその繰り返しによって謙虚でいられます。

私は今もずっと未熟で、どうしても謙虚でい続けることができません。心が揺さぶられ感動する分、感情も波立ちますから毎日は劇場のように物語が発生しています。しかしこうやってブログや日記、その他の内省の習慣の御蔭で少しは自分自身の心を守り続けることができています。

謙虚さというものの本質は、自分が恵まれていることに気づいていく感性のことをいうのかもしれません。

当たり前ではない、有難いことをどれだけ今、この瞬間に感謝しているか。私たちの日本語は、「有難う」という言葉の御蔭様で暮らしが潤います。多くの人たちとのご縁が広がるというのは、それだけ有難うという恵みをいただいているということでもあります。

皆さんの有難うの波紋が、お山に伝わり、そして世界に広がっていけるように真摯に自分の役割を全うしていきたいと思います。

ありがとうございます。

守静坊の枝垂れ桜

ついに念願の英彦山守静坊の枝垂れ桜が開花をはじめました。この枝垂れ桜は、文化・文政の頃(1804年~1819年)に、英彦山座主の御使僧として京都御所へ上京した真光院普覚という山伏が祇園枝垂の苗木を持ち帰り植樹したものだと伝わっています。

この枝垂れ桜の樹齢は約200年。高さ約15m、幅20mで、品種は一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)と言われています。

京都の祇園の桜のことを調べていたら、祇園枝垂れ桜というものが円山公園にあることを知りました。円山公園は、八坂神社の東側にひろがる京都で最も古い公園です。

なんとこの品種も守静坊と同じで「一重白彼岸枝垂桜」なのです。かつて歌人・与謝野晶子も愛でたという大きな桜は、現在二代目のものです。初代のシダレザクラは、根回り4m、高さ12m、樹齢200年余あったそうですが昭和13年、天然記念物に指定されましたが、昭和22年に枯死したといいます。現在の桜は、これに先立つ昭和3年に、15代佐野藤右衛門氏が初代のサクラから種子を採取し、畑で育成したものを同氏の寄贈により、昭和24年に現地に植栽したものだそうです。現在の容姿は、樹高12m、幹回り2.8m、枝張り10mとあります。

不思議に思ったのですが、守静坊の枝垂れ桜と初代の枝垂れ桜の年代がほぼ同じです。これは私の直観ですが、この桜はもとは同じ桜だったのではないかと感じます。現在の2代目の円山公園の枝垂れ桜は京都は南山城の井手町にある地蔵院の枝垂れ桜を株分けしたものです。この地蔵院の枝垂れ桜の写真をみたら、守静坊の枝垂れ桜にそっくりなのです。

その当時に思いを馳せると、どのような物語があったのかを想像しロマンを感じます。それが200年の歳月を経て、このタイミングで京都と英彦山がつながり枝垂れ桜のご縁で日本文化や信仰を甦生する場が誕生するのです。

ご縁というものは、時空を超えていきます。

どこまでがシナリオ通りなのか、それは神のみぞ知る世界です。私はその天意を邪魔しないように器として支えていくのみです。

皆さんと一緒に、枝垂れ桜の物語を未来に紡いで子孫たちの平和を祈念したいと思います。

学友との出会い、新たな平和への挑戦

友人のヤマップの春山慶彦さんの協力で英彦山宿坊のクラウドファウンディングをすることになりました。春山さんとは、2年前に宗像国際環境会議の座談会を聴福庵で行った時からのご縁です。

その時を思い返せば、穏やかな佇まいで語り、静かな情熱と哲学、美意識を持っている行動力のある姿に感銘を受けたことを憶えています。そこから約2年、ご縁からの行動を共にしたり英彦山の甦生への取り組みを通してさらにその人柄をすばらしさを実感しました。

振り返れば、その時々に場に誠実に、そしてどんなことからも吸収し学びを深めようとする実直な姿勢がありました。また、山のような深い心をもち長い目で物事を観て矛盾を受け容れつつ今を楽しもうと挑戦をしています。本をよく読み、知識を得ますが同時にそれを社会にどのように還元しようかと常に思案をしています。これは2年かけての私の勝手な人物評ですが、まるで「懐かしい日本の青年」という感じでしょうか。

今、世界戦争の足音が次第に近づいてきています。

私は戦後生まれですから戦争を知りません。しかし知覧の特攻の話や、沖縄の話をその土地のおじいさんやおばあさんから口伝で聞いたり、遺ったお手紙や日記、取材の内容を読んでいるとその当時の日本の青年たちの姿が観えてきます。

その姿は事に及んで真っすぐで誠実、家族のために社会のために自分の使命を全うするために深く学び、そして笑い、苦労を惜しまず命を懸けて運命を受け容れ実直に駆け抜けています。その根底には、深い優しさや悲しみ、そして思いやりを感じます。

私たちの心には、誰が与えたかわかりませんが最初から「真心」というものがあります。その真心に気づき、真心を盡そうと生きるとき、日本人の懐かしい何かに触れていくように思います。きっと歴史の中の青年たちは、この真心を常に生きていたのではないかと私は思うのです。

時代は現代、平和が続いて半世紀以上経ちました。平和で物質的豊かな時代を生きた私たちは何か大切なものを忘れているのではないかということに気づき始めてきています。これからどのような選択をするのかを決めるためにも、私たちはその当時の日本人の願いや祈り、その想いを改めて今こそ思い出す必要があると私は思います。

今回の英彦山の宿坊の甦生は、かつての日本人の心のふるさとを思い出すための大切な象徴になると信じています。

子どもたちに、何を伝承していくことが真心なのか。それは時代時代の人々の真の生き方であることは間違いありません。身近な学友から生き方の素晴らしさを学び合い、磨き合うような出会いをし、新たな平和を築くための挑戦を続けていきたいと思います。