徳の回帰

大分県中津市本耶馬渓に「青の洞門」というものがあります。これは江戸時代、荒瀬井堰が造られたことによって山国川の水がせき止められ、樋田・青地区では川の水位が上がりました。そのため通行人は高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通ることでしかそこを渡れなくなっていました。

諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓に立ち寄った禅海和尚が、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めたのがはじまりです。

この禅海和尚は最初は、自分一人で3年間ノミとで穴を掘りぬき、その後も托鉢勧進によって雇った石工たちとともに30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させたという話です。その後は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用をもらうことにし、これが日本初の有料道路とも言われています。

私はこの青の洞門に深く心が支えられていることがあります。周囲の誤解で事を邪魔されたり、すべてをひっくり返されるような出来事に出会う時、また一人でコツコツと地道に取り組んでいる最中など、ふとこの禅海和尚のことをいつも思い出し徳を偲ぶのです。

人は、あまりにも偉大なことを発想したり、あまりにも遠大なことに取り組もうとすると周囲から必ず誤解されたり疑われたり、変人や狂人扱いをされるものです。一生懸命それを何度も説明しても誰も本気にはせず、言い訳の一つやもしくは何か裏があるのだろうと思われたりもします。私の人生はいま振り返るとそんなことばかりの連続でした。不可能と思えることや、意味がないといわれることに取り組んでいくことは陰徳のようでそれを誰かに認められたいからなどの気持ちは入りません。でも人は人とあまりにも違う人をみると好奇な目もあり社会秩序などが気になってしまい黙ってはいられないのでしょう。

私の場合は、今まであまり目立たずにこっそりとひっそりとそっとしてもらいながら取り組んでいくように心がけていきました。時折、周囲が盛り上げて運動にしようとされますがそれがいつも返ってそれぞれの我欲望の養分になって大きな邪魔になってしまうことが多く、結局は静かに実践する人たちと穏やかに取り組んだ方が安心して結果が出るまでが早かったりするからです。

人は真の意味で人を信じることができるとき、本当の意味の支援や協力をしてくれるようになります。誤解されたり、いつまでも理解されないのは、まだ自分の真心が人々が信じるほどではないのだと諦めて真摯に取り組むしかありません。

この青の洞門は、そういう意味では私たちが真に徳を積むためのお手本であり模範です。この取り組みをベンチマークして学び、取り組むことで私たちはこの先人の智慧を活かしこの国も人々の心も甦生させていくことができると私は思うのです。

この禅海和尚は、初心を定めてから3年間はまずは一人で掘り続けました。すると3年目にしてはじめてお手伝いしてくれる人が現れ一緒に掘り始めます。その後は、一人二人と協力が現れみんなで掘り始める。今度は、石工たちに費用が払えるように托鉢が広がっていきます。最後は、有料道路にして通行料をとってそれを掘り修繕するための費用にします。この流れで、トンネルが掘られたのです。そしてこの景観と遺徳後世まで守るためにと、福沢諭吉が周囲の土地を買い取り守ります。その後は羅漢寺と共に、現代の資本主義の台風をいわばでしのぎながらも嫋やかにその陰徳を顕彰し続けるために維持します。そしていつまでも多くの人たちが訪れてその価値を学び続けます。それが私のように志を守る勇気をいただく原動力となって心にいつまでも徳が掘り続けられていくのです。

これは一つの真実であり、甦生やコンサルティングのもっとも王道のカタチです。

現在、英彦山の甦生に取り組んでいますが私がいつも心に抱いて見本にしているのはこの禅海和尚の志の貫徹する実践の姿です。信仰というものの本当のチカラは、人々の心に徳を回帰させていくことです。

徳が回帰すれば、人々はその偉大なことをいつまでも学びそれを世の中を導く原動力にしていきます。ひょっとしたら福沢諭吉にもこの禅海和尚は偉大な影響を与えたかもしれません。子どもたちは、このような遺徳が養分になり健康に成長していきます。

1000年後の未来のために、逆算して今、何をすべきかをこれからも真摯に取り組んでいきたいと思います。

 

暮らしフルネスの本懐

万物にはそのものの徳というものが備わっています。それを磨き明らかにしていくことを、明徳という言い方をします。この明徳は、大和心そのものでもあり日本人に連綿と続いてきた大切な生き方です。私は、この大和心の甦生のことを「暮らしフルネス」と定義しています。もっとシンプルにいえば、この徳を明らかにし、徳を循環し徳によって治める世の中になっていくことが暮らしを実践する理由ということです。

私が本業として取り組んできた見守るという保育も、またむかしの田んぼや伝統固定種の高菜、そして古民家での智慧の甦生やあらゆる現在の取り組みに至るまですべてはこの大和心がそうさせているともいえます。

和というのは、徳が引き出されることでわかります。和食であれば、素材のもっているそのものの味や魅力が引き出されたことをいいます。私は料理人ではありませんが、井戸水や炭火をつかい素材そのままで味わうものを好んでつくります。余計な味付けなどしなくても、そのままの味が出た方がその徳が明らかになるから好むのでしょう。

このみんなが使っている「和」や「暮らし」は、本当の意味になっているのでしょうか。なんとなくわかりやすく使われていますが、日本人の和や日本人の暮らしではないものがほとんどになっているようにも感じます。

そもそもこの和や暮らしは、長い歴史の中で用いられた言葉です。歴史を学ばずして、先人の智慧の伝承なくして使うようなものではありません。現在は、何か新しい知識やそれを上手に分かりやすく便利なした言葉がすぐに独り歩きしていきます。しかし、本来は長い年月を経て醸成された発酵したような言葉であることが本質です。

だからこそ、知識ではわからないものが「言葉(言霊)」の中に存在しているともいえます。同じ、「暮らし」という言葉を使ってみたとしてもです。その暮らしという言葉は、使う人の持つ歴史や伝統によってまったく意味が異なっているということです。

私はもともと「和風」という言葉が嫌いです。和風は和ではないから、言葉遊びのようになるのが苦手なので嫌いという具合です。本物の「和」は、和風のものとは一切異なります。ひょっとしたら、昔気質なのかもしれませんが日本人としての誇りがあるからどうしても和風が馴染まないのかもしれません。西洋の文化や他国の文化はいつも尊敬しています。だからこそ、この便利な和風はどこか失礼ではないかとも感じてしまうのでしょう。これは決して和風がわるいと言っているのではなく、少し苦手というニュアンスで書いています。

刷り込まれた知識や、社会通念があるということが前提ですが私たちは何が本来の和であるのか、何が本来の暮らしであるのかをみんなで実践を磨き合う中で学び直す必要性を感じています。

私がこの場の道場での取り組みは、それを子どもたちに伝承し未来を智慧で満たすためです。先人の深い愛や思いやり、そして暮らしを次の世代へ伝道していきたいと思います。

地球との共生

トンガの近くで火山が大噴火をして地球全体にこれから大きな影響を与えます。地球は丸くなっていますし、回転し循環しますからこの火山灰や二酸化炭素がこれから地球を冷やしていくだろう問い事が予想されます。これは太陽の光が入りにくくなってくるからです。

よく考えてみると、気候変動による温暖化で地球が急激に温められていましたがここに来て噴火により今度は冷えていくということが発生します。地球も一つの生命体ですから、バランスをとって自浄作用が働くというのは人間の身体と同じことです。

私たちは人間の身体でいえば、皮膚の繊毛のような状態かもしれません。身体にひっついて身体の変化の影響を受けていきます。何かが身体で起きれば、その状態に応じて変化して生息し続けます。いくら人間が、自分たちのものかのように地球上で振る舞っていても実際には繊毛が何か騒いでいるだけの状態です、身体が本体ですから、如何に本体とうまく共生し穏やかに生存していくかを選択していくかということです。

平和が長く続き、地球の変動が少なかったからこそ私たちは今の生活を享受されました。しかしひとたび、地球に大きな変動が発生したら今の仮初の物質的豊かな生活はあっという間に破綻してしまいます。

かつて地球には、氷河期というものが何度もありました。ある意味、今も歴史から振り返ると氷河期のままという考え方もあります。問題は、私たちが食べるものがなくなってしまうような氷河期に突入することです。

土も凍れば作物は育ちません。太陽光が弱くなれば、それだけ光合成ができなくなり森林をはじめ植物たちは弱っていきます。海面も下がり、地上や地中の水も減ります。もしも火山の噴火が、さらにいくつも同時に噴火したとしたらその急激な変化に今の人類がどれだけ対応できていくか。今はある程度のテクノロジーを持っていますから、ある程度は対応できますが人類全体となると80億人いるからよく考えないといけません。

私たちはいつの時代も、本当はサバイバル状態で子孫がどう続いていくかを常に向き合っていかないといけない存在です。先人たちは長い間の地球との共生の中で、生き延びる方法を智慧として伝承してきました。もしも現代のような化学的なテクノジーで生き残ったのなら、そんな智慧は必要ないはずです。

文明は何度も発展し、崩壊し、消失してきました。その中のいくつかの文明では、今と同じくらいのテクノロジーをもった時代もあったそうです。しかしそれがすべて失われている。ここに何かのヒントを感じます。

日本人は極東の島国で、もっとも遠くまで旅をした民族だといわれます。つまりそれだけ絶滅の危機を体験して乗り越えてきた民族ともいえます。その民族が、先人の智慧として遺して繋いできたものこそが生き残るための方法であり、歴史であるということは間違いありません。

状況が一変し、環境も社会情勢も変わる瞬間があります。野生の感覚を失わないまま、本来のあるべきようをよく観て、子どもたちのためにどうすべきか、挑戦していきたいと思います。

原点回帰と甦生

この十数年で地球の気温は急激に上昇しています。同時に、地球内部の変化も著しく地震や火山の噴火も増えています。私たちの身近では、四季のめぐりが少しずつ変化しているのを感じます。それは和の暮らしを通して実感するものです。

現在は、都市化した自然から離れた生活環境で仕事をしていく中でかつての日本人の先祖たちのような自然と調和した暮らしが失われてきました。気候変動のことも、今では衛星や世界各地の観測などをインターネットやテレビですぐに確認できますがむかしはそんなものはありませんから身近な微細な変化で地球全体の様子を直感したのでしょう。

空の様子、海の様子、そして風、月、山、さらには虫たちや植物たちの変化から地球の反対側で起きたこともある程度は把握することができたのかもしれません。

実際には、この世の中は因果の法則という真理もあります。どんなに私たちが小さな行為をしたにせよ、それが関係性によって繋がっていますから巡り廻って地球全体に偉大な影響を与えてしまうのです。

小さな石ころを転がしたということや、火をつけて燃やしたということでされ、一見そんなものが何かを起こすとはだれもが考えませんが実際にはそれが因果のはじまりになりますから何かしらの影響を大きくして周囲に展開されていくのです。

宇宙のはじまりなどを解明していけば、無から有が産まれるときなどその原理が働いていることはそのうち量子力学などで明確になっていくと思います。しかし人間jは、教育によって自他を分け、他人事という便利な仕組みを覚えてからそんなものは誰かがなんとかしてくれて自分の問題ではないと分別するようになりました。

気候変動や環境問題などその最たるものです。

この世界は、丸く、地球も円環ですからやったことが巡り廻る仕組みです。だからこそバランスが重要になります。このバランスは、ゼロイチのようにすべてをプラスマイナスでゼロにととのえ続けなければ維持できません。使ったエネルギーは休ませて貯める、昼と夜のように必ず静と動を保つ必要があります。

人類は極端になるのは、この分別したことからです。分別されしなければ、極点にはならないのです。バランスを崩したのはこの分別智であるのは明らかです。だからこそ、この分別しない智慧が必要になります。それを日本の先祖たちは「和」といい、日ごろからバランスを保つような暮らしを創造したのです。

私の暮らしフルネスの本懐はここにこそあります。

時代の変化の中で、常に自分を調和させていくことは責任を自分に保つということです。その自分を保つためにも、この和の暮らしは必要であり、そして同時にテクノジーや智慧を使うのです。

子どもたちの未来のためにも、この時代に人類全体が目覚め地球と一体になる生き方に原点回帰できるように様々な原点回帰を甦生させていきたいと思います。

世界変革への門出

昨日は、聴福庵にてブロックチェーンエンジニアたちと一緒に鏡開きを行いました。お昼にはその鏡開きの御餅を使い、七つの穀物と七つの若草を使いお雑煮にしたり、かき餅にしてみんなで食べました。

鏡開きでは、まずみんなで鏡餅に感謝をして参拝して、その後は「おめでとうございます」と声掛けをしながら御餅を木槌で開いていきました。清々しい門出と福がみなさんにつながるようにと祈り行いました。

寒い日でしたが、炭をたくさん使った古民家はとてもぬくもり、またコロナでテレワークからなかなか会えない仲間たちと一緒に雑談をしたり学び合い、教え合う時間は、何よりも有意義でした。

畳になれていない人も多く、少し腰が痛いこともありましたが懐かしい未来の時間をみんなで過ごす豊かな時間です。

一昔前まで、日本人はどのような環境で仕事をしていたのでしょうか。そういうことを知っている人ももういませんし、たいした文献も残っていません。

しかしむかしから続いている場所で、むかしの真心をもって文化を継承している人がいるとそこには懐かしい未来の場が甦生するのです。私がそうであるように、私の暮らしフルネスの実践の中に人が入ればそこに何かを直感してくれます。

それは私が先人の智慧を尊び、日本人であることの素晴らしさ、文化の偉大さを実感しているからにほかなりません。現在は、都市化され国家を優先して生活というものを激変させましたからむかしからある本来の豊かな暮らしを失っていきました。

生きているということは、決して生活のためだけではなく暮らしのためにあります。この暮らしは、現代の暮らしではなく、懐かしい暮らしのことを言うのです。暮らしの定義を換えない限り、本来の私たちの豊かさは原点回帰しないのではないかとも感じます。

コロナで私たちは大切な何かを思い出し、そしてコロナ後に世界は人類のしあわせとは何かということを考えようと話していました。しかし、現在の社会情勢をみていたら原点回帰は元の経済優先の仕事中心に戻ることのように報道されます。

残念なことです。

人は一人ひとりの中での意識の変革によってしか世界は変わっていきません。まずは自分自身が変わることで、つまり暮らしを換えることで世界は真に変革していくと私は思っているのです。

子どもたちの未来、子孫たちの平和のために、世界の変革をこの場所、私のいる足元から変えるために実践を積んでいきたいと思います。

鏡開きと感謝

昨年末に杵と臼でついた御餅を鏡餅にしてお祀りしていましたが、本日は鏡開きをします。この鏡開きは、室町時代ころからあるといわれている武家の風習だといわれます。

現在、日本では年中行事の一つになっていますが正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げ直会をし食べる。一年の神仏に感謝の気持ちを示し、無病息災などを祈ることです。一般的には汁粉・雑煮、かき餅(あられ)などにして食べるようにしています。

私も本格的に毎年、この鏡開きの年中行事を甦生して5年目になりますが最初は失敗の連続でした。あっという間にカビが生えてしまい、鏡開きまで持たないのです。他にも、固すぎて割れないとか、食べるまでもたないとか、いろいろとありました。

現在は、工夫をして焼酎で洗ったり、ワサビをおいたり、玄米で隙間を上手につくったり、温度管理がしやすい乾燥した部屋の状態を維持するようにしたり、時には人が集まるときだけ移動したりと鏡餅の方に寄り添ってずっとこの鏡開きの日までお守りしています。

気が付くと、単なる食べ物ではなくまるで生き物のように接して食べるのがもったいないと感じるほどです。みんなでついた御餅を、みんなで食べて無病息災を祈ることはとても豊かなことです。感謝の気持ちで取り組んだ行事だからこそ、感謝の気持ちで大切な節目を迎えることができます。来年は、江戸時代までは黒米を使っていた黒鏡餅だったというのを新たに知り、黒い鏡餅に挑戦してみようと楽しみにしています。

こうやって毎年続けていくたびに、その行事の本質を気づきなおし、また自分の暮らしの一部として文化を伝承していくことができます。子どもたちにもただの体験ではなく、伝承としての日本文化を伝道していきたいと思います。

行事の本当の意味

私たちは様々な年中行事という文化を持っています。保育園や幼稚園をはじめ、老人ホームなど、生活の中で行事は当然のように実施されていきます。最近は、イベントのように行事は使われていますが本来は日本人の心を守るためのものだったのではないかと私は感じます。

その理由は、すべての行事が感謝に関係していることからです。私たちは、何のためにそれをやるのかという理由を持っています。そして行事であればその行事がはじまった理由があります。その理由は初心でもあり、その初心を甦生し繰り返していくなかで智慧や真心を伝承していくのです。

なんとなく忙しくなり、とにかくやるだけ続けていくなかで簡素化していくとその本質や意味が失われていくものです。だからといって、ガチガチに形を決めてそれをただやっていたら行事で疲れてしまいます。本来は、自然体で行事をし、そのまま感謝で実施されていくのが一番です。

しかし自然体であるためには、日々の暮らしの方をしっかりと維持していることが重要です。そもそも行事は、暮らしの中での行事であって決して暮らしから外れた単なるイベントではありません。これは暮らしの節目に感謝していくものでありその節目に心をなくさないように、先人への感謝を思い出すようにと豊かに取り組んでいくものだと私は思います。

豊かさというものは、心のゆとりでもあります。心のゆとりとは、感謝の心を持っていることであり、決して時間が暇になることではありません。ゆとりがあるというのは、心が感謝で満ち足りているということです。

世間ではゆとり教育とかいって、テクニックや方法論ばかりが議論されましたが本来は日本人がもっていた心のゆとりの回復であったのではないかと私は思います。そのためにまず必要なことが行事の改革であるというのは私の直観する本筋です。

時代が変わっていくなかでも大切なものはいつまでも失ってはいけません。

その大切なものを甦生させ続けていく、伊勢神宮が式年遷宮をするように、神道では常若という実践があるように、これは日本の先人たちがいつまでも子孫のためにと祈り続けてきた一つのカタチなのです。

行事の本当の意味を知ることは、私たちのルーツと未来をつなぎ永続させていくことです。子どもたちの未来のためにも、暮らしフルネスの大本命の一つ、行事の改革に今年から本格的に取り組んでいきたいと思います。

七草と薬草

人日の節供は、平安時代までは野草ではなく穀物が中心でした。その内容は、お米、アワ、キビ、ヒエ、ミノ、ゴマ、アズキの「七穀」です。この穀物が粥になったのですが、その後は薬草の七草を使うようになりました。

七草はセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロのことをいいます。この七草をすべて合わせると約12種類の薬膳効果があります。調べると具体的には健胃効果・食欲増進・利尿作用・二日酔い解消・解熱・去痰・咳止め・気管支炎予防・扁桃腺炎予防・肝臓回復効果・そばかす予防・あかぎれ予防・心の安定効果の効果があるといわれます。

この七草の縁起に意味付けして、セリは競り勝つ。ナズナは撫でて汚れを除く。オギョウは仏体。ハコベラは反映がはびこる。ホトケノザは仏の安座。スズナは神を呼ぶ鈴。スズシロは汚れのない潔白。としています。

日本人は、どのようなものにも意味を宿してそれを吉として呼び込むことで縁起担ぎをしてきましたからこのような意味付けが誕生したのでしょう。すべてのものをいのちそのままを丸ごといただこうとする智慧があります。

薬草というのは、日本最古の歴史書である『古事記』にも書かれます。奈良時代、593年に聖徳太子は怪我や病気で苦しむ人を救うために、四天王寺内に施薬院(せやくいん)を建立し、そこで薬草を栽培していたという説も残っています。

そしてこの薬草は日本だけでなく世界中で用いられます。植物の中にある薬効成分が心身をととのえたというのは非常に大きな発見だったように思います。つい身近にある草を雑草と思い込んでいて関心を持ちませんが、実はこれらの草には驚くほどの効果効能があります。スギナやドクダミ、ヨモギなども効能は枚挙にいとまがないほどです。

自分たちの風土の中で、如何にして私たちは自然を取り込んで色々な治癒に活用してきたか。先人の智慧には頭が下がります。今年から薬草や和漢方を深めていくので、よいものを子どもたちに伝承していきたいと思います。

行事の意味

昨日は、おせち料理を用意し親族も集まりみんなで正月のゆったりとした時間を味わいました。毎年、恒例行事があることで子どもたちをはじめ色々と成長しているのを実感できます。老いも若きもみんなそれぞれの時代において仕合せに過ごせることは安心であり幸福です。

今ではおせち料理というと何種類も何十種類もあるもののようになっていますが本来はとてもシンプルなものだったといいます。平安時代には、高盛されたご飯のようなものだったともいわれています。

もともとこのおせちは、中国の歴である季節の変わり目の「節」が取り入れられたころからはじまったともといわれます。中国では、陰陽五行が紀元前1000年前からはじまっており日本には平安時代に宮廷に取り入れられて独自の発展をしていったものといわれます。これを節分とは言わず「追儺(ついな)」という皇室で行われてた鬼払いの儀式とされています。中国では中国では「大儺の礼(たいな)」として行われていたともいいます。

本来これらの宮廷文化だったものが庶民に入ったのは江戸時代です。明治時代には改暦によって、これらの行事も失われていきました。中国でも清の時代に、これらの風習はよくないと一方的に失われていったといいます。現在では、中国よりも日本の方が五節句をはじめ邪気払いとして独自に進化して残っています。

先ほどのおせち料理も、今のようなおせち料理という名前になって重箱にたくさんの種類の料理が入ったのも戦後だといわれます。バブルの時に、さらに発展して今のようなおせち料理になったそうです。

そう考えてみると、伝統と私たちが信じているものは遡れば最近はじまったものであったり、他国のものであったりといい加減なものであることもわかります。しかし、元を辿ればなぜはじまったのか、何をする行事だったのが本質だったのかと深めれば、その伝統行事を再び、この時代に甦生させていくこともできるのです。

はじまりを知ることは、その行事の意味を知ることなのです。

子どもたちのためにもなんとなく続けているものをもう一度すべて洗い直し、新たな伝統文化として温故知新して息を吹き返していきたいと思います。

妙見の智慧

私の運営するBAの神社は、秩父神社から勧請した妙見さまをお迎えしています。また郷里の多田の妙見神社からも妙見さまをお迎えし合祀しています。もともとはじまりの地から経由して分かれた神さまをもう一度、この地で結う和して一つにしたのがこのBAの妙見神社ということになります。妙見というのは、妙を見るという字でできています。一体、妙とは何か、そして何を見るのかということです。

これを説明するのに「五眼の徳」という言葉があります。このことは妙見さまの神徳を理解することにおいてとても重要な言葉であることがわかります。

もともと私たちの人間の認識のはたらきを眼になぞらえると五種に整理できるといいます。仏陀はこれを肉眼(にくげん)、天眼(てんげん)、慧眼(えげん)、法眼(ほうげん)、仏眼(ぶつげん)があるといいました。

もともと「智慧」そのものを神格化したものが妙見さまです。その智慧の眼を持つ存在をあらゆる佛の母といわれる佛眼尊として、五眼の徳をもった佛智を象徴としました。

この五眼の徳は「大智度論」というお経の中で紹介されています。

「肉眼は近くを見て遠くを見ず、前を見て後ろを見ず、上を見て下を見ない。天眼は、前後、上下、遠近は見るが物の実相を見ない、慧眼(けいがん)は、真実を見抜き智恵を得ているがその智恵が自分一人の内にとどまっている。法眼は、自分や人々のそれぞれの立場において何をすれば良いかを見ている。佛眼は、万物の普遍性に通じている。」

この5つの眼を一つ一つ解説していますが、その中の一つだけでは真実は見えないということです。本当の真実を見るためには、この五眼のすべての徳、「妙眼」が必要であると説いていると私は思います。

なぜあらゆる佛の母といわれるのか、小さな迷いから覚めて真実を知ることで佛の徳が甦生するからです。人間は、認識と時間というものの中に生きています。そしてどうしても知識が増えてきては智慧を忘れていきます。せっかく得た智慧も、それが経年変化でくすんでいきますから磨き続けていく必要があります。しかし磨いていても、どうしても知識が邪魔をしてきて私たちは智慧の本体が分からなくなっていくものです。

智慧を甦生させるというのは、本来のありのままの姿に原点回帰させる力があるということです。私の甦生業もまた同時にこの智慧に帰着します。この地に妙見神社を建立したのは神縁ではありますが、智慧を砥石にして磨き甦生するための大切な教えがあってのことです。

これから歴史も人間も、未来も甦生させていきます。子どもたちにいつまでも妙見の智慧が伝承されていくように私自身もその五眼の徳を磨いていきたいと思います。