奇跡を磨く

人間は、自分が完全であるものとして認識するためには今までの環境で得てきた刷り込みを取り払う必要があります。様々な環境の影響を受けて、私たちは教育などによって自分というものが何か不足しているものだと感じるものです。

言い換えれば、足るを知らないというかないものねだりをするものです。ないないと求めているからあるものを観ようとしなくなるともいえます。人はあるものを観るとき、自分に与えられているものを感じるとき十分に与えられている仕合せを噛みしめ味わうものです。

人は誰もが、失ってみてわかるものばかりです。ある時はあれだけ当たり前だったものも、なくなってしまえばその大切さに気付きます。だからこそ、なくなってから気づくのではなくあるときに気づくことの方が重要になっていくように思います。

それは感謝を磨いていくことで実感できるようになると思います。

有難いという言葉は、滅多にないという意味でもあります。つまりは奇跡そのものであるということです。つまり奇跡ですと日々に感謝しているという状態です。

今の自分が存在することも奇跡ですし、こうやって日々に暮らしができることも奇跡、この地球に来て様々な感情を味わうことも奇跡ですし、またいつかは生まれ変わり永続していくことも奇跡です。人生は奇跡によって彩られているからこそ、私たちはその奇跡を感じる感性を磨いていく必要があると思います。

奇跡を磨くためには、感謝を磨くことが一番です。

その方法は、非常にシンプルであり生きている奇跡、そのご縁に感謝することです。人は生きていれば、日々に微細な小さな変化の御縁と出会います。例えば、美しい風景、動植物の音色、光が物に映る陰影、そして生活の気配、あらゆるものの存在の中にいのちを感じるものです。

そういうものを深く味わい、そのご縁に感謝します。どれもが、当たり前ではない多くの物語を持っていてそれを感知していくことで自分の与えられているいのちの意味に近づいていきます。

かつての日本人はいつも「天」という意識を持っていました。天に恥じない生き方、お天道様にお任せする生き方のことです。天に問うとも言いました。あまり自分で判断せずに、天にお任せする生き方こそが気楽な生き方でもあり、そこはもうすべてお任せするという喜びがあります。

奇跡を磨いて子どもたちに豊かな未来をつないでいきたいと思います。

和楽

昨日は、無事に藁ぶき古民家甦生の御披露目会が行われました。遠方から、またご近所から本当に多くの方々がお祝いをしていただきまさに「和楽」に相応しい一日を過ごすことができました。

まずは古式の祈祷によって氏神様、地域の信仰の神様たちに感謝をし供養をしていただきました。次は厄除けをし結界をはり、参加の方々全員のお祓いもしていただきました。はじまりと終わりにみんなで法螺貝を立てましたが、遠方からその法螺貝で呼応する方がいたりと不思議な体験をしました。

その後は、この藁ぶき古民家の甦生のプロセスを動画で編集したものをみんなで一緒に観てその空間で場を楽しみました。多くの事件に多くの御蔭様が働き、家が甦生し、私たち自身も深く磨かれたことを実感しました。

そしてみんなを歌で元氣にするという志と夢を持つ丸目雅さんに来てもらい、歌を披露していただきました。ギターとの伴奏でカントリーロードも一緒に歌ってみんなで手拍子をして暖かい雰囲気を味わいました。

最後に、家主や私から御餅撒きをしみんなでお福分けをさせていただきました。その御餅はそのまま炭火で焼いたりして和気あいあいと楽しいお時間を過ごしました。そのあとも、人の波は途切れず、地域の方々やいつもこの道を通っている方々、もともとの土地の持ち主の方や子どもたちが来てくださって内覧をし、一緒に映像をみて喜捨をしてくださる方もおられました。

懐かしい「結」というつながりを感じる、よいお披露目会になったと改めて味わい深く感じています。

かつての日本人の先祖たち、また代表的な日本人として紹介されている歴史的な偉人たちはみんなこの「結」によって見守られ育ち、徳を積むことで人々に幸福をもたらしていきました。

つまり、利他に生き、見返りを求めずに徳を磨き続けることに一生を使いました。これによって自分の喜びがみんなの喜びになり、みんなの喜びを自分の喜びにし、それが一体なっていたのがわかります。自利の喜びではなく、利他の喜びこそ結の精神を醸成したのです。

来てくださった方々はみんな「あの家がこんなになるのか」と一様に感激されていましたが、私自身もこの家から本当に多くのことを学ばせていただきました。この半年間、徳を磨き徳を光らせる機会とご縁をいただけたことに何よりも深く感謝しています。

日本人は、暮らしの中に先祖から譲り受けてきた宝珠があります。それを磨きなおすことで日本人の徳は光り輝きます。子どもたちが将来、安心して生きていける世の中にするには今の私の世代がその宝珠をつなぎ、磨き輝かせてつないでいかなければなりません。

本気でやらなければ、誰かがやらなければなりません。まだまだはじまったばかりですが、同志たちを集め、この場、この脚下の実践から子どもたちに徳を伝承していきたいと思います。

 

藁ぶき古民家の甦生~徳の伝承~

今日、無事に藁ぶき古民家甦生のお披露目の日を迎えることができました。多くの方々に見守られ、支援していただき、ここまでくることができました。人の御縁はとても不思議なもので、何かを実現しようと思う時に四方八方から現れては力を分けてくれます。

動機が善であるか、私心はないか、そしてこれは子どものためになるかと自問自答しながらも徳を磨こうと取り組んでいくことでそれを一緒に実践してくださる仲間や同志に回り逢うのです。

このご縁をよく観察すると、ある人は、これからの未来のために必要な情報を取ろうとし、またある人は過去の何かの因果を解決しようと関わろうとし、またある人は、今を生きることを学ぼうと実践しようとされます。つまり、ご縁を活かすというものは生き方や生き様、そして志の輪が広がっていくことをいうのです。人のつながりは、志があってはじめて強く結ばれるということでしょう。

そしてこのご縁は、人とだけではありません。物や家とのご縁というものがあります。今回、藁ぶき古民家で暮らしを甦生する方が振り返りの映像の中でシンデレラストーリーのような話と言っていたのが印象的でした。

このシンデレラストーリーといえば私が思い出すのはプリティ・ウーマンという映画があってその主人公の女性が最初はみすぼらしい様から、紳士の指導によって次第に磨かれて美しく洗練された人物に変化していくというようなあらすじだったと思います。この話は、同時にその紳士もその女性によってさらに徳が磨かれて真の紳士に成長していくという話です。

これは今回の藁ぶき古民家と確かに共通点があります。誰もが価値がないと捨てられていた古民家を拾い、それを磨き上げていきます。この家が今は、美しく洗練された家に変化して甦っています。そして同時に、私自身も家から学び徳を磨く機会をいただき成長することができたのです。

私が古民家甦生をするとき、自分を主語にはしません。家を主語にします、つまり家が喜ぶかどうかを観て取り組んでいくのです。そうすると、家が喜べば私も喜びます。これが逆になると学ぶことができません。

人が学ぶことにおいて大切なのは、自然を主語にしたり、先祖を主語にしたり、徳を主語にしたりと、コミュニティを主語にしたりと、「私」を主語にしないということが大切です。私ばかりをみて、私が私がとなったら磨かれないのです。何を砥石にして自分を磨いていただくか、そこに人は自分の徳や魅力を引き出すポイントがあると私は感じます。

今日は、その藁ぶき古民家のお披露目会。

どのような姿になったかをみんなに見てもらるのがとても楽しみです。子どもたちにも、徳のある家から学び、見た目ではなくそのものが磨かれるとどのように徳が顕現するかを伝承していきたいと思います。

 

法灯と宝珠

英彦山にある霊泉寺の本堂向かって右側の宝珠一帯の木材が雨により傷み壊れていたので修繕を報謝させていただくご縁がありました。こういう機会をいただけたことに深く感謝しています。

この霊泉寺を調べると、英彦山修験のはじまりだといわれます。幕末に修験道は神仏習合で信仰を禁止され一気に廃れていきました。この霊泉寺は、元々の英彦山修験のはじまりであった霊仙寺の法灯を継ぎ昭和30年(1955)復興、そして平成元年(1989)には本堂や寺務所、庫裡が完成したとあります。

元々は英彦山は北魏の善正という僧が531年に英彦山内の洞窟に籠り、修行して仏教を広めたことがはじまりです。この時期は日本に正式に仏教が伝えられるよりも7年前ということになり、日本の仏教のはじまりはこの英彦山ではないかといわれます。この善正法師は最初は大宰府に来て仏法を弘めようとしましたが光が日子山にさすのを見て、山中の石窟にこもりその時機まで待つと決め修行をしたことがはじまりです。そして豊後の恒雄という猟師が善正に弟子入りし「忍辱」と名乗り英彦山修験が興ります。

この場所が、現在の玉屋神社がある玉屋窟です。この窟で忍辱は一心不乱に修行を積んで、如意の宝珠(世の中の人々を救うために役立つ不思議な力を持つ珠)を授かります。その珠は窟の奥から小さな倶梨伽羅(竜)が口にくわえて細い水の流れにのって現れたそうです。その珠が出現したことから、それまで般若窟と呼んでいましたがそれを改めて、玉屋窟と呼ばれるようになりました。この霊泉は今でも現存して滾々と湧いています。

その後、有名な修験宗開祖の役小角もここで修行したとされ、以後も義覚・義玄・義真・寿元・芳元(五代山伏)などが続きます。さらに弘仁10年(819)以降、宇佐出身の「法蓮」という行者が堂宇、伽藍、社殿などを造営し、霊山寺と名付けます。

この霊山寺という名前が霊仙寺になるのは弘仁13(822)年、嵯峨天皇より、「日子を改めて彦となし、霊山を霊仙に改め、四方七里を寺の財産とし、比叡山に準じ3千の僧を置き、天台の教えを学ばしめ、70州を鎮めて海宇の豊かなることを祈れ」とお言葉をいただいてからです。そこから900年間、英彦山はますます荘厳になりその信仰圏は九州一円、40万戸にも及んだともいわれます。元禄9年(1696)、英彦山は幕府により別本山と定められます。そして霊仙寺は江戸中期には坊舎800、山伏ら僧衆3000を数えるほどだったともあります。

今ではその霊仙寺は名前を変えて法灯を継ぎ霊泉寺となり玉屋窟から銅の鳥居に場所を移動させこの先にまた興るであろう未来の時機をじっと待ち、この先の修験道や山伏たちの御縁を見守っています。私は、時空や時間を旅をするのが好きですから約1500年以上の月日をその場で味わい、その中でどのような方々がここで暮らし、そして生きたのかに想いを馳せては徳を感じ心を潤します。

現在でも「不滅の法灯」といって比叡山延暦寺で最澄が御本尊の前に灯して以来、1200年間一度も消えることなく灯され続けている明かりがあります。今でもその灯りを道を継いだ志のある方々が偉大であり、その光はいつまでも心を照らします。

この英彦山には、宝珠がありそして法灯があります。

甦生させていくというのは、言い換えるのならこの法灯を守り宝珠を使うことです。私がさせていただけるのはどこまでかはわかりませんが、心の声に従って使命を果たしていきたいと思います。

 

プラットフォームの意味

プラットフォーム(platform)という言葉があります。これはIT用語としては、アプリケーションやソフトウェアが動作するための土台を指します。一般的には、モノやサービスなどがつながる場とも定義されます。そもそも「プラットフォーム」の語源の原義は「一段高くなった平らなところ」という意味です。この原義から「プラットフォーム」の別の意味が生まれていったといいます。

これを日本で考えてみると今では「舞台」が近いように思います。そしてそれは別の言い方では「場」とも言います。どのような場になっているか、そこに○○プラットフォームという言い方をするようになったのではないかと思います。

私の考えているプラットフォームは「繋がる場」ということになります。どのような繋がる場を用意するか、場に繋がる環境を整えていくか、そこにプラットフォームを創造し磨いていく面白さがあります。

つまりプラットフォームを提供するというのと、場を提供するというのは同義であるように思います。

私は場の道場を運営していますが、場づくりと場の提供こそ道の本質となります。どのような道を歩んでいくかを設定していくにもこの「場」の提供は欠かすことはできません。

何かをやり遂げたいと思うと、まずは「場」を産み出すこと。そしてその「場」を通して繋がること、さらにその「場」を結び合うこと。これによって場と道は実践され永続的に循環されていきます。

この「場」とは、先ほどの「プラットフォーム」であり、こういうものを具体的なアナログでの場で実現させるのと同時にデジタルの空間の中にプラットフォームを実現させようと試みているのが今の私の取り組みということになります。

人類はこれからどのような場を創造しくかにかかっていて、そこには理想や哲学や初心が入っているものでありその価値観を結び合わせて居場所をどう醸成していくかにかかっているのです。

そしてそこには、自己組織といったDAOの考え方、またスマートコントラクトといった透明性、ブロックチェーンの持っている特性が活かせるのです。そして私は世界に古来からある「徳」に着目し、徳を循環させることでいのちもまた甦生していくことを発見しました。

私が実現したいプラットフォームは、徳のプラットフォームであることはこのブログでもたびたび発信してきたものです。古民家甦生もまたその場の創造をアナログで実現してきたもの、そしてこれからデジタルで場を創造していきます。

ハイブリッドに取り組むのは、暮らしフルネス™を創造して提供しています。子どもたちのために、未来の世代のために挑戦を続けていきたいと思います。

私の目的

私はこの「場の道場(BA)」で、日本の伝統的な文化を継承して温故知新しながら最先端の取り組みと融合させています。なぜこのようなことをするのかといえば、目的は明確で子どものためにということです。

この子どものためといっても、単なる一般的な世の中で使う子どものためではありません。もっと広義で子孫のためといった方がいいのかもしれません。子孫たちが安心して世界の中で自分らしく自分を生きていけるように先祖の思いやりをつなごうとしているのです。

私の暮らすこの場には、古いものと新しいものが共存し共生しています。よく言われるのが、ハイブリット型や善いところ取りなどとも評されます。しかしそれは、ちゃんと日本人の精神や魂、生き方を大切にしながら時代の中で創造されてきたものとの調和した暮らしを実践しているだけのことです。

先祖は、私たち子孫のために色々と深く考えてくれて偉大な思いやりを遺してくれています。その先祖の生き様や人生を無駄にしないのが、私たち子孫たちの責務であり使命であるはずです。

今の時代は、そんなことを思わず刹那的に今の自分の人生や世代だけがよければいいという短絡的な生き方が増えています。どれもこれもすべてその原因は、忙しくなることで暮らしを手放したことに起因しています。

暮らしがなくなれば、先祖の思いやりも届かないところにいってしまいます。私たちの先祖は、決して単なる文字や記録で子孫が守れるとは思っていませんでした。なので色々と工夫して知恵を働かせたのです。

その一つが、日本の家屋であり日本の伝統行事であり、まさに衣食住を含むこれらの「暮らし」にその仕組みをを入れたのです。

そしてそれを甦生し続けて温故知新する人物を、道を通して育成してきたのです。私が場の道場を開いた理由、そしてなぜ今、ここに「場」を誕生させようとするのかはその手段の一つであり目的を実現するためです。

子どもの仕事をしてきたからこそ、何をすることがもっとも「子ども=子孫」のためになるのかと四六時中ずっと思い続けてきました。そうすることで先祖とつながり、子孫へ譲り遺していく初心伝承文化に気づいたのです。

これから目的に人を集めるための動画を撮影していきますが、目的を忘れずに丁寧に取り組んでいきたいと思います。

産業革命の進化と人間の真価

産業革命という言葉があります。ウィキペディアには、「産業革命(さんぎょうかくめい、英: Industrial Revolution)は、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と石炭利用によるエネルギー革命、それにともなう社会構造の変革のことである。 産業革命において特に重要な変革とみなされるものには、綿織物の生産過程におけるさまざまな技術革新、製鉄業の成長、そしてなによりも蒸気機関の開発による動力源の刷新が挙げられる」と記されます。

この産業革命という視点から歴史をみると、世界ではこれまでに4度の産業革命が起きているといわれます。その始まりは18世紀後半です。少し整理すると、第1次産業革命は紡績機の発明と蒸気機関の改良です。これはイギリスが植民地から輸入した綿花を綿織物に加工して海外へ輸出するときに紡績機により大量かつ効率的に綿織物をつくるようになりました。それに蒸気機関によって鉄道や蒸気船が開発され、輸出も簡単にできるようになります。そして世界の覇権国家となって世界を席巻するのです。この産業革命はイギリスからヨーロッパ全体に広がり世界を飲み込みました。

そして第2次産業革命は重工業の機械化が実現し、主要エネルギーは石炭から電力・石油になります。同時に自動車や航空機、船舶の大量生産がはじまりマーケットの獲得競争が激化します。そのために必要な原料や労働力、マーケットの拡大が切っ掛けになり帝国主義がはじまります。

次が第3次産業革です。ここでコンピューターが登場します。運搬や溶接を行う産業用ロボットをはじめ今まで人間が行っていた単純作業が自動化され、産業構造における労働が激変しました。今では当たり前になっているインターネットの普及も第3次産業革命のうちに入ります。

ここまででもたかだか百数十年くらいなものです。

私たち人類の歴史の中では、まだほんの少し。ついこの間まではまったく異なる世界が動いていました。それが産業革命によって人類の社会構造は激変し、今ではその産業革命によって出来上がった新たな世界、つまり人間社会をつくりあげています。経済がまわるのもこの産業革命によってであり、その相互依存はもはや密接であり切り離すことも不可能です。

そしてこれから第4次産業革命が誕生するといわれています。簡単にいえば第4次産業革命はこれまで人間が担ってきた労働の一部がさらなる自動化が進みます。無人であることは当たり前であり、労働力である人間の削減が進みます。つまり、人間が働かなくてもすべて機械やITで代替えできる世界をつくりあげようとするのです。

ドイツでは第4次産業革命と似た概念の「Industrie 4.0」(英語では「Industry 4.0」)という国家施策がはじまりました。これは製造業の「デジタル化」「コンピュータ化」を進める(サイバーフィジカルシステム化)ことで、国全体を1つの工場化するというのです。

そして第4次産業革命においては、「IoT(Internet of Things:モノのインターネット)」「AI(Artificial Intelligence:人工知能)」「RPA(Robotic Process Automation:ロボットによる業務自動化・自律化)」が進みます。

つまり第3次産業革命の自動化から第4次産業革命の自律化に向かっていくということです。自動化は、人間がやっていることをプログラミングで自動化しました。しかし、自律化は人工知能をつかって目的に対して自律的に働くようにするのです。つまり、ほぼ人間の状態に近づいていくということでもあります。

目的に対して知恵を出し、目的を達成する。

これは本来、人間が働く中でとても重要なことでロボットであったこととの大きな違いであったものです。しかしロボットに知恵が入り、人間でしかできなかったところにまで機械やITで可能になったということです。

これにより産業構造は激変することは間違いないことです。

ここまでで百数十年、ということはこのさき十数年でこの世界は変わっているということも意味します。その時、私たちは何のために生きるのかという問いと向き合うことになると私は思います。

私の取り組む暮らしフルネス™は、まさにこの第4次産業革命時代にこそ必要な生き方になると確信しています。

引き続き、未来を見据えて子どもたちにとって最善な生き方と在り方を深めていきたいと思います。

甦生業

藁ぶき古民家の甦生もまもなく最終段階に入ってきていて家の徳が引き出されてきています。ご近所の方や通りすがりの車が止まり声をかけてくださいます。その声は、一様に「だんだんと家が善くなってきていますね、楽しみです」というものです。

それは動画で配信しているサイトのコメントでもたくさんいただき、身内や仲間からも喜びの声をいただきます。その言葉に励まされ、信念を強くして真摯に家に向き合って修繕を続けています。

考えてみると、人はみんな何かが甦っていくことに希望を感じるように思います。

もう御終いだと思っていたものが復活して、それがさらに以前よりも元氣になって美しく生命を輝かせていく姿に偉大な何かの存在を感じるように思うのです。

それは病気からの恢復、あるいは壊れた機械の修理、よくお手入れされた道具、これらのものに触れると人は善かったねと喜んでくれるのです。徳を積むということは、この甦えらせていくことに似ているのです。

今まで荒れ地で捨て去っていたものを甦らせてそこで作物を育て農地を役立てること、経験豊富な高齢者や職人たちが後世の若い人に技術を伝承していくこと、他にも古井戸や古民家を甦生して新しい役目を与えて人々を潤してもらうこと、こういうこともまた徳になるのです。

徳は事業ではなく、お金儲けではありません。なので無理にお金のためにするものではなく、みんなが喜び、自分も喜ぶことを真摯に取り組んでいくことに似ています。自他一体に全体が幸福になるというのは、自然循環の摂理であり自然の徳の仕組みでもあります。

この徳循環を支えるもの、それが「甦生」なのです。

甦生業が私の取り組みですから、甦生したものが役に立てるように場を創造していくこともまた使命です。挑戦すれば喜びも多いですが苦しみもまた同時に発生します。それを味わいながら、今、できることに真摯に挑戦を本気のままに続けていきたいと思います。

 

運気を磨く

昨日、久しぶりに田坂広志先生の講演を拝聴する機会がありました。新著「運気を引き寄せりリーダーの7つの心得」のお話が中心でしたが共感するものが多く学ばせていただきました。

想えば20年以上前に東京で田坂塾でお会いしたのがはじめてでしたが、ほとんどお変わりなく一期一会に真摯に講義されるお姿に生き方を垣間見させていただき刺激もいただきました。

あの頃は、「メメント・モリ」という死を想うという生き様を実践する大切さを語られていました。今日が人生最期の日と定めて生きていくことの大切さ、当たり前ではない時間に気づいているかという問いを発して一期一会に生きることを伝えておられました。

そして今回は「運気」ということでしたが、運は決して宗教的技法の祈りではなく、科学的技法としての祈りであると定義しています。つまり単なる神秘的なものではなく、これは実証されているという事実であると。現代、量子論を含め科学がその神秘の世界を可視化してきています。その時、これは単なる偶然ではないということがわかってきているのです。

それをあらゆる角度から分析し、リーダーというものの真の役割について語れています。古今、リーダーはすべて「運がいい」ということが絶対条件だといいます。その理由は、リーダーを含めた組織全体を導いていく使命があるからです。運がよくないリーダーについていけばいくらその人が良い人でも組織は運を逃して悲惨なことになることもあります。

運のよさというのは、その人だけではなくその周囲も幸運に導いていきますのでリーダーはその運気というものへの心得を持つ必要があるということでしょう。

田坂先生のいう心得の詳細は、GROBISのサイトで拝見できます。

私もいつまでも実践と改善を積み重ねて、運気を高めて子どもたちを導いていけるよう徳を磨いていきたいと思います。

腸活を楽しむ~智慧食~

私たちの郷土料理の中の一つに「ぬか炊き」というものがあります。ぬか漬けの漬物を知っている人は多いと思いますが、そのぬかを使って料理して味付けをし煮込んだものがぬか炊きといいます。

そもそもこの「ぬか」は、玄米を精白する時に出る、胚芽(はいが)と種皮とが混ざった粉のことをいいます。それを壺や木桶などに入れて、塩水を加えて練れば「床」ができます。そのぬかの床ができるから「ぬか床」(ぬかみそ)とも呼びます。このぬか床は人間に有益な微生物や乳酸菌などの棲家になりそこでの発酵の循環で産み出されたものを摂取することで人間にとっても豊富なビタミンやミネラル、栄養価を得られます。

この微生物と人間との調和、そのものを「発酵」と呼び、私たちは伝統文化として暮らしの中に取り入れてきました。野菜等の保存食としても最適でもあるためこの智慧を伝承されてきたのです。今では冷蔵庫=保存するものになっていますが、自然界にはそんなものはなく微生物と共生することで私たちは生き残るための智慧を獲得してきたのです。この時の保存は単に傷まない腐らないための仕組みではなく、「永続的に健康でいられる仕組み」まで入っていたのです。

以前、確かこのブログでも書きましたがぬか漬けの歴史は奈良時代の「須須保利(すずほり)」という漬物がルーツだともいわれます。米糠のことも734年(天平6年)の正倉院文書の尾張国正税帳にあるといわれています。それだけぬかを使った暮らしには歴史があります。

その「ぬか」を使った「ぬか炊き」は一般的なぬか床のような漬物として使わずにぬか床を調味料にして青魚のサバやイワシをぬか床で長時間炊くのに使います。つまり「ぬか+炊く」から「ぬか炊き」ということなのです。このぬか床を長時間炊くことで保存期間が延びさらに青魚特有の臭みも消えぬか床のうま味が魚に入り絶妙な味わいが得られます。健康になる上に、寿命が伸びるという発明食です。福岡での伝統郷土料理としてのはじまりは小倉藩主の小笠原忠政公が前任の信濃国から保存食用としてぬか床を持ち込んだのがはじまりです。

今の時代、添加物をはじめいのちの入っていない便利なサプリや加工食品ばかりが広がっている中で腸内環境を整えるといった「腸活」が流行ってきていますが現代社会でも心身の健康恢復の救いになるのがこの「ぬか漬け」と「ぬか炊き」であることは間違いありません。日々の暮らしの中で如何に腸内フローラを活き活きさせていくか、それは暮らしの中の日々の食の智慧と工夫にこそあります。

つまり伝統保存食は単なる長期間腐らないものではないのです。本来の伝統保存食とは、健康な暮らしを維持継続させるための智慧食のことです。私たちは日々に心身が整っていけば、それだけで仕合せを感じます。日々の暮らしは、私たちの人生を美しく彩り、明るくしていきます。

「食」という字が、なぜ「人が良くなる」と書くのか。それは食によって人間が磨かれていくからです。そしてそれは「腸内環境」からというのはまさに的を得ていると感じます。

コロナウイルスのことで、暗く辛い報道も増えていますが、いつまでも子どもたちが安心して元氣で健康で幸せになれるように私も腸活を楽しんでいきたいと思います。