真の幸福論~暮らしフルネス~

現在、一般的に世界の三大幸福論はヒルティの『幸福論』(1891年)、アランの『幸福論』(1925年)、ラッセルの『幸福論』(1930年)と言われます。ほかにも数々の哲学者が幸福論を書き記していますが、原初は古代ギリシャ哲学者アリストテレスにあるように私は思います。

アリストテレスは幸福を「真の幸福とは、徳のある人生を生き、価値ある行為をすることによって得られる」と定義しています。

私はこの言葉が真の幸福論の原点に近いものだと思っています。真の幸福とは何かを人類は今までずっと追及してきました。特に現代は、何が本当の幸せなのかということがあまり議論されることもない情報化のスピード社会に呑まれています。こういう時こそ、何のために生まれてきたのか、人類の仕合せとはいったい何かということを原点回帰して見つめ直す必要があるように思います。

それこそが人類の平和や未来を考え直すきっかけになりあらゆる環境問題や人種問題などを解決する根源治癒になっていくと思います。

人は元来、最初から自分に備わっている徳性というものがあります。その徳性そのものがすべての存在の真の価値です。これを活かしあう、めぐらせる、いきわたらせる、そういう共生関係の中にお互いの徳が満ち足りていきます。私はそれを日本に古来から続いてきた伝統的な暮らしの中に見出しました。これは単なる長く続いていた生活のことをいうのではありません。先人が長い間、磨き上げてきた徳、その生き方と実践、そういうものを私は「真の暮らし」であると定義しているのです。つまり伝統的な暮らし=真の暮らしということです。

この真の暮らしは、この先人たちの徳の中にこそ存在します。その徳を感じるためには、私たちはいつまでもないものばかりを追いかけるのをやめなければなりません。不足ばかりを思い、もっともっとと欲望ばかりを追いかけていても徳は顕れてくることはありません。

今あるものは本来は完全で満ちています。不完全はなく、存在は完全そのものです。この徳の本体をしっかりと受け止め、そのいただいている恩恵に感謝し、その徳に報いていくことが価値のある行動になっていくのです。

自然研究をし一つの真理を得た万学の祖と呼ばれたアリストテレスは、今から2300年前の人物ですがすでにその時に、本当の幸福論はもう定まっていたということでしょう。そこから複雑になっていき、いろいろな人が出てきて新説が出てきましたが真理は対極にあるものではなくいつも絶対的で二つが一つになっているものです。

分かれたものを和にする、私はまさに今こそ原点回帰して祖に帰す必要があると思っています。

私が提案する「暮らしフルネス™」は、暮らしで足るを知るという意味も込めています。フルネスというのは西洋の言葉ですが、暮らしフルネスは私の造語です。これは足るを知る暮らし、言い換えれば「徳に生きる暮らしをする」ということです。

今回、魂の友人が協力してくださってこのブログの記事を抜粋して暮らしフルネスのことをまとめた新著を上梓してくださいます。アリストテレスの誕生から2300年経ち、もう一度、幸福論の原点回帰を提案するのです。

コロナ禍でこれからどう生きていけばいいか、どの道を歩めばいいのか迷う人が増えている中でこの本が人々の心を癒し、平和に貢献し、同志を鼓舞することができることを祈念しています。

引き続き、徳を磨いていく日々を精進していきたいと思います。

 

子ども第一義

子どもというのは、自然からの宝であり恵みです。それは私たちが発展繁栄するためになくてはならない存在だからなのはみんなわかっています。子どもがいない社会というのは、この先、発展することがない、つまり未来がない状態ともいえます。

子どもがいるから持続するのであり、それがなければ持続する理由もありません。そういう意味での子どもということを一度、ちゃんと定義しなおす必要を私は感じています。

現在、一般的に世の中で子どもというものの定義は、いわゆる大人と対比した幼いころの大人、まだ若く小さく未熟な存在としての子どものことを指していることが多いように思います。

しかしこの子どもは、私たちの未来そのものですから過去と今と未来をつないでくれる大切な伝承者ということにもなるわけです。何を伝承してもらいたいのか、何を伝承してくれるのかを私たち大人はきちんと向き合って子どもたちのために何ができるのかを大人たちが子どもたちに素直に語りかけていかなければなりません。

そして私たち大人も大切な伝承の役割を担っています。両親をはじめ祖父母、そして先祖の方々の想いや願い、いのり、その生き方を受け継ぎそれを子どもたちにつないでいく役割です。つないでいく役割は、決して肉体的な子孫を残すというだけではなく精神的なもの、文化的なもの、環境的なもの、あらゆるものをつないで子孫に譲り渡していく役割を担っています。

そういう意味で、子どもとはどういう存在なのかの定義が大切になるのです。

私たちの会社は「子ども第一義」というものを理念にしています。これは第一主義ではなく、第一義、つまり絶対的なものとしています。この第一義は、上杉謙信がかつて掲げていた理念です。つまり物事の根本、根源という意味です。

子ども第一義とは、子どもが根本であり根源であるという意味です。私たちが子どもをどの位置で観ているのか、そして定義しているのか。その視座や全体観がまずあって、未来への語り部になれるように日々に社業に精進しています。

子どもが憧れるような未来、子どもが憧れる生き方と働き方を目指していい会社、いい仕事をしていきたいと思います。

美しいものづくりの心

昨年、友人から「印伝」の名刺入れをプレゼントしてもらいました。現在は、とても重宝していて使うたびに日本の美しいものづくりにうっとりします。

この印伝は、ウィキペディアには「印伝または印傳という名称は、貿易を行った際に用いられたポルトガル語 (india) またはオランダ語 (indiën) の発音にインド産の鞣革を用いたことから印伝という文字を当てたとされる。この名称は寛永年間にインド産装飾革が江戸幕府に献上された際に名づけられたとされる[1]。 専ら鹿革の加工製品を指すことが多い。印伝は昔において馬具、胴巻、武具や甲冑の部材・巾着・銭入れ・胡禄・革羽織・煙草入れ等を作成するのに用いられ、今日において札入れ・下駄の鼻緒・印鑑入れ・巾着・がま口・ハンドバッグ・ベルト・ブックカバーなどが作られている。山梨県の工芸品として甲州印伝が国により、その他の伝統的工芸品に指定されている。」とあります。

この鹿革を加工する技術は実際には西暦400年代に高麗から入ってきたことは『日本書紀』に書かれているといいます。その当時は紫草の根からとった染料や、あかねの根の汁で染めたりした鹿革に絵を描いたり、木版等で着彩をしたり松ヤニなどをいぶしてその煙により着色したともいわれます。それが西暦900年代入り、武士がが鹿革を甲胄に使用するようになります。 応仁の乱(1467年)以後、乱世で革工は発展し鹿革も重宝されました。有名な甲州印伝は武田信玄が関係しています。信玄は甲冑がすっぽり入る鹿革の袋をつくらせそれを「信玄袋」と言われています。

その後は甲州の革工が革に漆を付け始め、松皮いんでん、地割いんでんとも言われ同時に京都の革工が更紗風の印伝革を造って繁盛しました。明治以降は海外より輸入された多様な革製品が日本で使われるようになり印伝も時代に合わせ様々な形に姿を変えて今があります。

非常に歴史のある存在の「印伝」は、日本人には深いつながりがあります。

漆と美しい文様を伝統の革職人たちが丁寧につくりこむ。丈夫で長持ちしながら衛生的で美しく、文様によっていのりや力を入れ守護する存在となる。この日本人の精神が丸ごと和合しているものがこの印伝の魅力ではないかと私は思います。

私が贈っていただいた名刺入れは、藍染と漆が調和して深い藍色が出ています。大切なものを仕舞い、またお渡しするものだからこそそれを包むものも日本の心でおもてなす。まさに印伝はこれからも活躍する日本を代表するものづくりの一つになるように思います。

日々の暮らしの中に日本の伝統とともにあり、子どもたちに伝承していきたいと思います。

暮らしの甦生~想いを大切にする文化~

むかしのものづくりは、ずっと末永く大事にする心をもって取り組んできました。その証拠に、むかしのあらゆるものは再生可能でありお手入れができるものでできています。これは現代でいう担なる物体としてのモノではなく、まさに想いの入った「ものがたり」の「もの」だったように私は思います。

その「ものがたり」を扱うから、職人さんたちはその想いを手から汲み取りそのお想いに相応しい甦生をみんなで力をあわせて手掛けてきました。私が取り組む「暮らしの甦生」は、このいのちや想いのこもったものがたりを甦らせ続けていく語り部たちとしていつまでもこの世で一緒に生きていけるように再生していくような取り組みのことなのです。

私の身の回りには、いつも甦生し再生されたものばかりに囲まれています。言い換えれば、想いが入ったものがたりの中を暮らしているともいえます。例えば、亡くなった友人の幼いころの産着のお着物をお母さんがコースターに甦生させたもの、他には、長年使われていた樽がお風呂の桶になったり、古い納戸をガラステーブルになっていたり、それまで大事なお役目と使ってきた人たちの想いがさらに新しい時代に活かされるようにと変化を遂げています。

この末永く使えるようにしようとするのは、そこに大切な想いやものがたりがあるからです。それを受け継いでいくことが想いを活かすことであり、ものがたりをその先にまでつないでいくことになります。私はこの想いのあるものがたりたちの御蔭でとても豊かな暮らしを深く味わうことができています。私たちはモノが増えて心が貧しくなっている原因は、まさにこの暮らしの真の豊かさを忘れてしまったところにあると確信しているのです。それが私が「暮らしフルネス」を提唱し実践している理由でもあるのです。

現代は、本来は想いがあるものであったものが想いがないものになりなんでも古くなればすぐに新しいものに買い替えます。想いやがあるものや古いものを修繕してお手入れしようとすると膨大な費用がかかります。それにものづくりをする際に、それだけ長く使おうとは思ってもいない素材で安易にものづくりをしてしまっています。なので、以前のようにものづくりに携わる職人たちが想いを再生させることも難しくなっているのです。経済を発展させることを優先しすぎて、大量生産大量消費を繰り返すなかで想いが粗末にされていきました。想いはいのちそのものですから、いのちもまた粗末になっていきました。その結果、クローン技術や遺伝子組み換え、3Dプリンターなども生まれてきました。別に想いがなくても「もの」はすぐにつくれてしまうのです。

それにいくら末永く大切に使おうとしても、すぐに交換でき買い替えることが前提でつくっていますからそれを長く使おうにもすでに再生ができない素材や状態のものになっていて結局はメンテナンスができず壊れるから全部新しくするしかなくなるのです。もしもその素材を末永くずっと使おうするのなら、もっと不便でお手入れがいるもの、自然物にしないといけませんが購入する側もそれが手間暇と技術と費用が掛かり大変だからと次第に選ばなくなっていき今の状態になっています。

しかし現実はものを使っているとそのものとの関係性からものがたりと想いがそこに詰まっていきますから簡単には捨てることはできません。その想いをつなぎながら新しくするのは甦生ですが、現在は想いもなくただ捨てるだけになってモノ化しているのです。そういう意味では、現代は甦生できる人が以上に少ない世の中になったものです。古民家なども、親がなくなってしまえば空き家になって朽ちるまでそのままにして解体するまで甦生する機会すら得られません。

私が深く印象に残っている甦生の機会は、もう100年以上前の先祖代々の産湯の桶をずっと孫が生まれるたびに使っている桶を職人さんが修繕しているときです。その甦生の機会を得た桶も、また持ち主も、そして職人もみんなが甦生したのです。そこには確かな「想い」をみんなで大切に守ろうという深い意志を感じました。

すべてのものづくりには、そこに「想い」があります。

日本は本当は想いを大切にする国だったからこそ、日本は世界一のものづくりの国なったように私は思います。それはすべてのものにはいのちが宿る、つまり想いが宿っているのです。八百万の神々というのはそういうことなのでしょう。そのものをいのちとして、想いを甦生させ続けて永遠を共に生きる民族だからこそ世界一のものづくりを実現したのではないかと私は思います。暮らしフルネスの中で、この「お手入れ」や「修繕」はまさに家に例えれば暮らしの大黒柱なのです、

引き続き、子どもたちのためにも日本文化のゆりかごになるであろうこの「お手入れ」を伝承していきたいと思います。

暮らしフルネスのごあいさつ

「お手入れ」という言葉があります。これは「手入れ」により丁寧な「お」が入ったものです。この手入れの意味はは「手入れよい状態で保存するための、つくろいや世話のこと」をいいます。さらにここに「お」がつくと「いのち」を伸ばすために、いのちを大切に扱うために思いやりやおもてなしになっていくと私は思います。

この「お手入れ」というのは、存在そのものを大切にするときにも使います。私はこのお手入れこそが今の時代にはもっとも必要な価値観であろうと思うのです。

大量消費の時代、お手入れをするというのはもう死語かもしれません。お手入れをするよりも新しいものを買うという具合にすぐに新しいものを購入します。モノがあふれているからこそ、古くなればすぐに捨てるのです。この捨てるように使うというのが文明のことで、文化は捨てずに修繕するのです。

つまり修繕というものを学ぶことこそが、文化を甦生させることでありますから幼いころから「お手入れ」を学ばせることが大切なのです。これが永遠に文化を大切にすることを忘れさせない人の生きる道につながるのです。

このお手入れは、本来は単なるモノにだけ行うものではありません。自分自身に対するお手入れもあります。それは体のお手入れ、心のお手入れ、精神おお手入れ、そして魂のお手入れなども必要です。

このお手入れは、磨くことと直すこと、そしていのちを大切にするということです。これを今はどれを使って教えるか、それは私は「暮らし」を使って教えることだと思っています。

先人たちはその真理を悟り、持続可能ではなく「永遠」であるものを伝承してきました。私たちはまだ目新しい持続可能という延命治療を知る前に、もともと永遠を生きるという根源治療をやっていたのです。

私はSDGsという言葉を会社の取り組みから外したのは、暮らしこそが本物の文化伝承の仕組みだと気づいたからです。

これが私が暮らしフルネスを提唱した根本的な理由です。

これから一緒に私と「お手入れ」に生きる同志を集めます。

ぜひ一緒に、暮らしフルネスの世界に変えていきましょう。

聴くことを磨く

人はそれぞれに視点というものを持っています。この視点はその人の生き方が大きく影響をしているように思います。人それぞれに視点が異なりますから、視点を合わせていくと360度全体から事実を観察することもできます。

よく意見を対立させていく人もいますが、本来はどちらかではなく、どちらもいいねと相手の声に一理あると理解できる寛容さがある人がアイデアを形にしていけるように思います。

そして視点を磨いていくには、よく話を聴いていく力を身に着ける必要があるように思います。視点は目を使う機能ですが、実際にはよく傾聴できる人の方が視点を持っているのです。

話を聴くというのは、そういう考えもあると共感し受け容れる力が必要です。そしてその意見をどうとらえるか、そこに感謝する力も必要です。いただいた言葉をそれは正しいとか間違っているとか裁かずに、ありがたい意見ではないかと聴き入れていれて参考にできること。それを繰り返す人は、自然に意見が集まってきて新たな視点を持つことができるように思います。

一方的に間違っていると否定されたり、考えを押し付けられたりすることはみんな嫌うものです。それは自分の考えが尊重されていないと感じるからですし、考えに服従しなければならないなどと不満に思うからです。

しかし実際に話をよく聴いている人は、それを採用しなくても聴いてもらったという実感があればその問題は解決します。つまり人は、尊重されることに納得しているのです。

この尊重しあう関係とは、お互いが謙虚である必要があります。それは誰かだけが偉いのではなく、お互いに善いところがあると認め合い、それぞれの魅力や力があることを信じるという生き方が必要です。

苦労をしてきた人や多くの人に助けてもらってきた人ほど、生き方が謙虚です。それはその存在にいつも感謝でき、自分一人ではなく多くの方々の見守りの御蔭で今があることを信じているからです。

いつも人の手助けが入る人は、多くの手助けをいただいてきたと実感してそれに感謝して報いようと生きる人です。私自身も振り返れば本当に多くの人たちの支援や協力、手助けを得てここまでこの世を渡ってこれました。

奢らず謙虚に素直に聴くことを磨いていきたいと思います。

SDGs、本物の持続可能とは~永遠の暮らし~

世界ではSDGsなど、西洋の定めた新しいルールが席巻しています。持続可能というテーマでそれぞれが取り組んでいくことで、人類がもっと自分たちの将来のために行動を移そうということです。

これはよく考えてみたら、今の行動がおかしいから変えていこうとする投げかけです。もともと縄文人を含め、江戸時代までの日本は自然への畏敬を忘れないで適度に人類のあるべき姿とバランスをとっていました。

戦国時代などは材木を取りすぎて森が壊れ、木がなくなり自然環境が壊れ水害にあいと苦労したと歴史にあります。ほかにも江戸のように人口密集によって疫病や大火などがあり大変な目にあったことも歴史にあります。

人類はやりすぎてしまうと、自然からのしっぺ返しにあい気づかされるものです。

現在、世界は自然を無視して自然資源を地下から採掘していきました。そして温暖化やごみ問題のように、エネルギーを燃やし続けて経済だけを優先し、分解もできないようなゴミになるものづくりを続けてきました。

それが限界値に達してきており、このままでは人類は自然の大きなしっぺ返しにあうのではないかということを予感する人も増えてきたのです。しかし、今更変えられないと思っている人と、なんとかしなければならないという間でこのSDGsが誕生してきたように思います。

しかし私は、歴史を振り返ると根本的なものが解決しないと難しいと思うのです。それは人間の謙虚さのことです。いくら自然環境にやさしくといっても人間が謙虚でなければそれはただのお題目であり中身は薄いものです。自然は人間の思っている通りの存在ではなく、まさに神様のように偉大なものです。人間に空気もいのちも作り出すことはできません。それだけの偉大な存在、そして循環を司り全体最適をこの地球に及ぼしてくれるまさに両親のような存在で徳そのものです。

その地球の中に住んでいる私たちは、本来は何が持続可能ということなのかを再定義する必要があります。つまり、持続可能の本質とは何かということをちゃんと向き合う必要があると思うのです。

私が尊敬する日本人の先人たちは、それを早くから見抜き「暮らし」の中でそれを実践してきました。このそれとは、自然との共生や貢献を生きることです。里山循環も同様に、また伝統的な文化などもそれを証明しています。

人類の真の豊かさとは、真の暮らしの豊かさを持つことです。これを私は「暮らしフルネス」と名付け、先人の知恵や叡智に感謝してそれをこの時代に甦生させようとしているのです。

本物の持続可能性は、この暮らしフルネスの甦生にこそあると確信しています。子供たちのために、暮らしを実践し「永遠の暮らし」を譲っていきたいと思います。

日本人としての観光

現在、コロナウイルスで海外からの観光客が減っていますが日本は観光立国を目指して取り組みは進んでいます。この観光立国とは、「国内の特色ある自然環境、都市光景、美術館・博物館等を整備して国内外の観光客を誘い込み、人々の落とす金を国の経済を支える基盤の一つにすること」を言います。

日本が観光立国を目指す理由は、景気の低迷や少子高齢化、国内消費の拡大が難しくなっているといいます。そこでインバウンド客を呼び込んで消費を促そうという具合です。それにより多くの雇用が生まれ納税者が増えれば国の財政が潤うからだといいます。

具体的には、「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」が定期的に開催され、2016年には会議の中で「明日の日本を支える観光ビジョン」が策定され2020年までに4,000万人(経済効果8兆円)、2030年に6,000万人(経済効果15兆円)の訪日観光客の誘致が目標として定めています。

2019年の世界観光ランキングは、1 フランス 2 スペイン3 米国 4 中国 5 イタリア 6 トルコ 7 メキシコ 8 タイ 9 ドイツ 10 イギリス 11 オーストリア 12 日本と、日本は12位につけています。2020年はコロナウイルスでどうなっているのかわかりませんが、世界で12番目に日本は世界から観光客が来ていることになっています。

古代から続いている文化を今でも美しいままに磨き残すフランスが1位なのは納得ですが、それぞれ自分たちの文化を掘り起こしては観光を実践しているということでしょう。消費動向は経済の話ですが、人々が歴史や文化、その風土から学び、自分たちの国のことを考えるのに人が旅をすることはとても大切なことだと思います。

日本では、アグリツーリズムというものを参考にして農泊というものがあります。これはヨーロッパが発祥地でイタリアではアグリツーリズモ、イギリスではルーラルツーリズムともいいます。ロマン主義の影響を受けた民俗学の影響で、農村や地方で残っているとされた民俗資料を大切にし、近代化によって失われつつあった自然調和の暮らしを見直そうという活動です。このアグリツーリズムとは、都市居住者などが農場や農村で休暇・余暇を過ごしてそれを体験します。日本の地域行政はこのアグリツーリズムによって都市と農村が交流するように様々な取り組みが行われています。

以前、私もイギリスに留学していたとき、イタリアやフランスの友人宅や農家民泊を体験したことがあります。フランスの田舎でのゆったりした時間と、そこで手間暇かけてつくってもらった料理をゆっくりと楽しみました。特にヨーロッパは長期のバカンスを取りますから、ゆったりと長く滞在できるところが人気があります。日本では、なかなか長期休暇はありませんからみんな短期の滞在でたくさん体験できるところが人気があります。どちらにしても、地方は、旅行者を迎えることで活性化し、過疎化の防止につなげています。

それに最近の外国人旅行者のニーズは買物の“モノ消費”から体験の“コト消費”へとシフトしており、日本の農泊も人気が出てきているといいます。日本人でも体験したことがないようなことを外国人が体験している時代でもあります。

私は本来、日本人の暮らしの中にこそ本物の文化があると思っています。現代では、その日本人の暮らしが消失してきてまるで西洋人のような生活が日本人の暮らしにとってかわっています。西洋建築で西洋的な食材、西洋的な思想や価値観、その中に西洋人が来ても特に面白いものはないように思います。

日本人を教育するというのがあって私は日本が真の意味で観光立国化するのではないかと思います。私たちの取り組む、暮らしフルネスはその可能性を秘めています。今、来ているご縁を直観しながら子どもたちに日本人を伝承していく機会にしていきたいと思います。

いのりの伝承 ~ドリームタイム~

昨日、写真家のエバレットブラウンさんから「ドリームタイム」(ドリーミング)のことをはじめて伺いました。これは、オーストラリアの原住民、アボリジニの持つ原初信仰の原点がこのドリームタイムだといわれます。

このドリームタイムは、時間という区切りのあるものがなく常にその土地と一体になった物語がある中で生きているという感覚のものです。つまり現代的な時間や個人ではなく、そこにあるのは風土とのつながりや先人たちが生きてきた物語をそのまま生きているという具合です。

私たちは、日々をいちいち細分化して生きています。24時間、365日、あらゆる単位の中で部分部分を切り分けて存在しています。その切り分けをしているうちに意識も同時に切り分けられ、分類わけしているうちに感覚も失われていったようにも思います。

このアボリジニとは別に、ブラジルのピタハン族という部族に抽象概念を持たないという文化があります。そこには過去や未来などはなく、ただこの今があるのみですが非常に幸福度が高く自然と一体になって生活しているといいます。

私たちにもしも時間をいう概念がなかったとしたら、そして個人という概念もなかったとしたら、私たちは一つの物語をただ今も受け継いでいるだけという意識に生きるように思います。

つまり、今は今の連続でありこの私も今そのものという感覚です。

すると、すべては縁起で成り立っておりその縁起の真っただ中に自分があるという感覚です。その感覚を生きている人がドリータイム(ドリーミング)ということなのでしょう。

人々は太古のむかしから、原始の魂を持っています。その原始の魂は、永遠を生きています。この永遠がわかるという感覚、つまり永遠であるという事実を悟ることが古代の人たちの暮らしを続けるということです。

おかしな話に思われるかもしれませんが、その土地や風土には目には見えないけれど確かに足跡や息遣いは永遠に残ります。それを記憶ともいいます。記憶があるから、そこに魂は生き続けている。つまり記憶が私たちの生命の根幹であり、その記憶を甦生することで私たちはこの世に永遠を生きているともいえます。

これからの時代、何のために生きるのかという問いをそれぞれの人たちが覚醒し世界に問わなければなりません。それはそれだけ、混沌とした物質文明が成熟しすぎて陳腐化してきているからです。なんでも区切り分けてきたツケをはらうまえに、もう一度、原初の概念から学び直すことです。

地球の呼吸に耳を澄ませながら、子どもたちにいのりを伝承していきたいと思います。

心の居場所

聖地巡礼という言葉があります。もともとはイスラム教徒の信者が使っている言葉だったそうです。これはイスラム教のマッカにあるアル・ハラーム礼拝堂を聖地にし、その神殿を巡ることを巡礼と言いました。一生に一度は、聖地巡礼を行うことは信者にとってはとても大切なことでした。現在はこの言葉は、日本ではアニメや漫画の熱心なファンがそのアニメの舞台になったところを訪れることを聖地巡礼を呼ぶようになっています。

このこの聖地巡礼は、時代を超えて大昔から人々の心の文化の一つだったように思います。お伊勢参り、四国八十八か所巡りなども同じように聖地巡礼が美徳とされ今に受け継がれているように思います。

その聖地にいけば、何か自分の中にある信仰に触れるということでしょう。教えを肌で感じ取ったり、そのものが悟った場所に自分を運べば文字では得られない感覚をあらゆる場の力を感じて直観することもあったように思います。

以前、私も33か所観音霊場巡りをしたときにその聖地巡りにおいてその価値を実感したことがあります。最後まで巡り終えたとき、その最後の寺院に詩が読まれていてその詩には「この33か所巡りをしているうちにあなたはどの観音様と巡り会いましたか?」と尋ねるようなものが書かれていました。その時、思い返してみると道すがらに声を掛けてくださった人、挨拶してくださった人、猛暑厳しい中で冷たい飲み物を差し出してくださった人、みんな観音様ではなかったかと実感したのです。

つまり、私たちは心のありよう一つで観音様に出会ったり出会わなかったりしているということを聖地巡礼で学び直したことを思い出します。この聖地巡礼の仕組みは、自分自身と向き合い、自分自身とつながるという体験を持たせているように思います。

その場において、何をすることで自分自身とつながるのか。

ここにこれからの時代の心を癒し、自分を取り戻すためのキーワードがあるように思います。これから場の道場をはじめ、私は暮らしフルネス™を提供していきますがこの聖地巡礼の仕組みは時代を超えて参考になります。

子どもたちに、心の居場所を譲り遺していきたいと思います。