和が来る場

日本には「和」を感じる場所がたくさん存在します。この「和」は現在は広く使われていますが、和の精神性というものが根源にあるものが私は和の本流であると感じています。

それは調和の和であり、日本人の持つ共生の思いやりから発生してきているように思います。日本には、八百万の神々という思想があり生きとし生けるものすべて、それは有機物無機物に関わらず一緒に生きるものとしてのいのちがあると信じられてきました。

だからこそ常にそのいのちたちへの思いやりを忘れないように配慮しながら気遣い、心に和を保ってきました。調和をととのえるということは、自然の一部としてみんなで助け合い謙虚に生きていこうとしてきた暮らしを充実させていくことからはじまります。

私が「暮らし」に特化するのは、かつての日本の暮らしの中にこそ和の文化の源流が滾々と流れており、それを甦生させることで和を顕現させていくことができると実感しているからです。

そしてこの暮らしを伝承してきたのが、本来の幼児期の環境であり場でした。現代になって失われていくその場に憂いを感じ、日本人としての根から養分を吸い上げることができるようにと日本の文化を丸ごと暮らしで甦生させているのが暮らしフルネスの仕組みなのです。

話を戻せば、この和を感じる場所はどのようなところか。一つは、私たちが取り組んでいるむかしの田んぼです。このむかしの田んぼは、無肥料無農薬で行います。それをみんなで力を合わせて田植えをして草刈りをし収穫をして実りを分け合います。そのすべてを私は神事だと認識し、一つ一つの神事を通していのちが和するようにと取り組んでいきます。するとその場には、和が来ます。和が来る場所は、懐かしさや牧歌的な風景が甦り、来る人達のいのちも同時に甦生していくのです。

むかしの結という文化が根付く、里山。また代々、土着で大切につむがれてきた隣組などがある場所。他にも、合掌造りの家々がのこり、山間の厳しい自然の中で助け合い生きる人々の暮らしの中にも和があります。

この「和」は、先祖が辿り着いた豊かさの原点であり、仕合せの本質でもあります。

令和は、まさにその和がととのってくると天の命令で顕れた時代の特徴を示す年号です。私たちはその年号の遺志に則り、和をみんなで磨いていく必要があります。子どもたちのためにも暮らしを甦生させ、本来の和をととのえるために精進していきたいと思います。

ご縁が解ける

仏(ほとけ)という言葉があります。この語源を調べると、それぞれの辞書で内容は異なりますがブリタニカ国際大百科事典には「仏陀のこと。語源は,煩悩の結び目をほどくという意味から名付けられた,あるいは仏教が伝来した欽明天皇のときに,ほとほりけ,すなわち熱病が流行したためにこの名があるともいわれる。日本では,死者を「ほとけ」と呼ぶ場合もある。」とあります。

シンプルに言えば、執着を取り除いた姿が仏(ほとけ)の象徴とされたように思います。強く握りしめていたこうでなければならないというものを、手放し融通無碍に来たものの全てを受け容れて受け止めるときこの仏(ほとけ)に近づいていくということかもしれません。

小林正観さんの著書にこの仏(ほとけ)についてわかりやすい内容で紹介されています。

『執着やこだわり、捕らわれ、そういう呪縛から解き放たれた人を、日本語では「ほとけ」と呼びました。それは「ほどけた」「ほどける」というところから語源が始まっています。自分を縛るたくさんのもの、それを執着と言うのですが、その執着から放たれることが出来た人が仏というわけです。ところで、「執着」とは何か、と聞かれます。執着というのは、「こうでなきゃイヤだ」「どうしてもこうなってほしい」と思うことです。それに対して、楽しむ人は、「そうなってほしい」のは同じなのですが、「そうなったらいいなあ。ならなくてもいいけれど。そうなるといいなあ」「そうなると楽しいな」「そうなると幸せだな」と思う。「こうでなきゃイヤだ」と思ったときに、それが執着になります』(だいわ文庫)

想いの強さは時として、それが執着になっていきます。情熱がありすぎると正義を振りかざしたり、自信がありすぎると思いやりに欠け過信にもなります。なんでも片方に過ぎることが時として調和を崩すことがあり、その都度、自己の執着を手放すようにと何か偉大な存在に見守られながら諭されていきます。

人生は誰もが一生涯修行であり、どんなときにも自分の中にある執着と対話してそれを手放すという修練が求められていきます。その中で、人は深いご縁ほどにつながりもまた深くなります。

一つ一つのご縁の中では、誤解もあれば了解もあります。しかしそのどちらも、いつの日か時が経てば解けていき真実が顕現していきます。未熟だった自分を反省し、改善していくことで人はさらに成長していきます。そういうご縁をいただいていること自体が感謝そのものであり、深くご縁に見守られていることを実感します。

子どもたちが憧れるような未来を遺していくためにも、今を直視して日々に弛まずに怠けずに逞しく嫋やかに実践し、思いやりを忘れず優しい心で歩を進めていきたいと思います。

結の甦生

藁葺のことを深めていると、むかしの相互扶助の共同体の「結」のことにつながります。今では金銭でなんでも解決するような生活になってきていますが、むかしは貸し借りを金銭ではないもの、つまりはお互いの義理人情のようなもので支え合っていました。

もちろん、今でも義理人情はありますがむかしは見返りを求めずに助け合うという根底には「徳」というものの考え方によって人々が助け合い支え合うという土着文化がその地域を安定させていたとも言えます。

例えば、先日の藁葺でもみんなに声をかけて集まってもらい集まった人たちで助け合いながら藁葺職人たちと一緒に屋根を修繕していきました。懐かしさを感じるのは、こうやって金銭ではなくみんなで助け合い支え合うところに暮らしの原点があるということです。

中部地方の合掌造りの茅葺屋根の葺き替えは「結」の制度があり、ウィキペディアによると今でも下記のような手順で藁葺を進めているようです。

「作業の3年以上前から準備が始まる。屋根の面積から必要な茅の量と人員を概算する。作業の日取りを決め、集落を回り葺き替えをいついつ行うので手伝って欲しいと依頼する。予め作業に必要なだけの茅を刈って保存しておく(そのための「茅場」を確保してある)。役割分担を決める(茅を集める者、運ぶ者、茅を選別する者、縄などその他道具を準備する者など)。上記は専ら男性の作業である。女性は作業に従事した者達への食事、休息時の菓子、完成祝いの手土産の準備を行う。屋根の両面を同時に吹き替えることはほとんど無く、片面のみを2日間で仕上げる。1日あたり200人から300人の人手が必要となる。100人以上が屋根に登るさまは壮観である。」

金銭であれば1000万以上かかるものを、無報酬で協力し合って村人たちで行われているといいます。

以前、この「結」のことである方に聴いたことがあるのは「むかしの人は自分が受けた恩義をいつまでもお互いに忘れない、それが先祖代々、「結帳」に記入してあれば子孫の代になっても口伝、もしくは記録しいつまでもその人たちのことを協力するという考え方があったことです。恩義を中心にして、無条件でお互いに支え合うというのは「徳」のつながりのことであり、私が取り組むブロックチェーンの概念と同様です。

貸し借りとは、金銭的なものだけを言うのではありません。等価交換できないもの、それもまた恩義でありそれは生き方が決めるものです。感謝し合う人格が磨かれた地域であれば、その地域の文化はみんなで恩義の質量を高めていくことができます。

つまりは徳を中心にした思想によって、相互扶助の豊かさを実現していくことができるのです。この豊かさといういうものは、現代のような物質的な豊かさではないことはすぐにわかります。

これはまさに人がこの世で安心して暮らしていくために絶対不可欠な安心基地を持つ豊かさの事です。そして見守り合い徳を分け合う暮らしは子孫たちの安心にもなり、先祖たちもその繋がりに恥じないよう、またいつでも顔向けできるようにと協力を惜しまずに恩送りをするのです。

等価交換できないものを持つというのは、心で繋がり深く結ばれていくということです。これが和の原点であり、結の意味でしょう。

「結」の甦生は、これからの時代の新しい真の豊かさにおいてかけがえのない大切な実践項目です。むかしの豊かさから学び直し、原点回帰していくことで日本人の甦生、日本の甦生、そして世界の甦生を促していきます。

これは現代を全否定するのではなく、あくまで原点回帰して本物や善いものは持続しながら文明を調和させていくということです。ブロックチェーンで私が取り組むことはこの新しい豊かさの甦生です。

引き続き、子どもたちのために志を磨いて挑戦をしていきたいと思います。

 

いのちの一灯

明日からいよいよ藁葺の古民家の屋根の修繕に職人さんたちと取り掛かります。日本の文化を甦生するのに、この家の甦生はとても意味があります。家はそれぞれの時代に、それぞれの家人や家族を大切に見守ってきました。

その見守ってきた家には、それぞれの物語や思い出が凝縮されておりその場にはその暮らしの余韻が残っています。たとえ、家人や家族がそこに居なくなってもそこには家が残っています。

家が残っているということは、その家は新しい家人や家族が訪れるのをいつまでも待っているのです。

以前、私の友人で貝磨きの達人の方から貝は主人と一心同体であり新しい主人をいつまでも海辺で待ち続けているという話を伺ったことがあります。中にある主人を守るために貝はいつまでも待ち続ける。そして貝は新しい主人の御守りになるのです。

むかしの人たちは貝を御守りにして身に着けました。そして貝もまた全身全霊でその人を守りました。家も同様に人は家で暮らすことで家に守られ、家もまた全身全霊で家の中で人を守りました。

今は家の売り買いや建て替えや解体などがまるで何かいのちのない物のように金銭で簡単に取り扱われますがそこには大切ないのちがあります。

こんなことをいうとセンチメンタルに思われるかもしれませんが、よく考えてみたらすぐにわかります。この私たちの肉体であっても、魂を守るための家であり、その家に魂が入ることで私たちは生きています。肉体を大切にしていくことは、守ってくれている存在を大切に思うことであり、肉体を最期まで大切に使い切ることで肉体もその役目を終えていきます。

私は家を甦生していますが、決して別にただ古民家再生事業をやりたいわけでもなく、リノベーションやビジネスや趣味でDIYが好きなわけではありません。家を磨き、甦生させていくことに仕合せを感じるのは、そこにまた新しい主人とのつながりができ、守り合う存在達に出会うことで世の中が明るく豊かになり、子どもたちに美しい未来が結ばれていくことを実感するからです。

私が取り組んでいることは、「つなぐ」ことであり、「みがく」ことです。そしてそれはすべて「いのち」を「むすぶ」ことであり、子どもに「ゆずる」ことです。

今更なぜ藁葺屋根の古民家を甦生をと思われるかもしれませんが、永い間、放置され朽ち果て白蟻でボロボロになってでもそこに建っていつまでも地域や子どもを見守ろうとする意志を私には感じます。

親切なご縁を感じ取って、家ももう一度、甦って子どものためにといのちを燃やしているのを感じます。私ができることは本当に微力で小さなことですが、真心はきっと家に伝わって、その家が周囲を明るく照らしていくと信じています。

いのちの一灯をこの場所から灯していきたいと思います。

智慧の宝庫

BAには、今年から福島の郷土玩具である「赤べこ」を室礼しています。先日、大三元師のことも書きましたが迷信といわれている過去の厄除けは科学的には証明されていませんが歴史上偉大な効果があったと実証されているからこそ今でも時の篩にかけられて残っています。

この福島県の郷土玩具の赤べこは、ただの玩具ではなく本来は厄病除けの意味からはじまったものです。この赤べこを近くに置いておくと病気や災難から逃れられると信じられ今でも多くの人に愛され続けています。

この赤べこの事を調べると、日本大百科全書にはこうあります。

「郷土玩具(がんぐ)。張り子製の赤塗り首振り牛。福島県会津若松市でつくられる。「べこ」は東北地方の方言で牛のこと。807年(大同2)河沼郡柳津(やないづ)町の福満虚空蔵(こくうぞう)堂建立の際、それに協力した赤牛の伝説が玩具のおこり。その後、岩代(いわしろ)地方(同県西部)に悪性の疱瘡(ほうそう)(天然痘)が流行したとき、この赤い色の玩具を病児に贈ったところ快癒したといわれ、疱瘡除(よ)けのまじないや子育ての縁起物に用いられてきた。1961年(昭和36)の丑(うし)年に、年賀切手の図案に採用された。」

諸説あるようですが、むかしも今と同様に疫病が流行し、人々にどうにもならない状態を与えることが多々ありました。その中で、身代わりになってくれる、また厄を除けてくれる存在に深く感謝していつまでも慎んで生きた先人の姿が見えてきます。災害を乗り越えた智慧をいつまでも忘れないために、人々は伝承というカタチを使って子孫に時を越えて伝承を紡ぐのです。

この諸説の中でも深く共感したのは、この文です。

「大同2年、円蔵寺に徳一大師が虚空蔵堂を建立する際、上流の村から大量の材木を寄進された。しかし、水量が豊富な只見川から材木を運搬することは決して簡単ではない仕事だった。人々が材木を運ぶのに難儀しているとどこからか牛の群れが現れ、材木の運搬を手伝ってくれた。重労働で多くの牛が倒れる中で最後まで働いたのが赤色の牛だったといわれている。そのことから、赤べこが作られた。」

今から約1200年前の出来事にもかかわらず今でもこの赤牛らの御恩を忘れずに、身代わりに真摯に働きを与えてくれた存在のことをいつまでも大切に思っているという人々の思いに共感を覚えます。まさに虚空蔵堂の一つの権化でもある、赤牛を菩薩に見立てたのでしょう。

私たちは歴史に学び、こういう時こそどのような心の姿勢で疫病の厄を除けていくのかということを学び直す必要があります。これは単なる迷信ではなく、歴史は過去の事実ですからそれを乗り越えて残る迷信は実は智慧の宝庫であり、文化の結晶なのです。

そんなものは非科学的だからと吐き捨て避けるのではなく、非科学的なものの中に智慧があるかもしれないと敢えて盲信することも大切ではないかと思います。祈りのチカラであったり、不思議な言霊のチカラであっても、効果があるものは宇宙のチカラとして受け容れることもまた私たちの人間の体のように神秘と調和するための真理でしょう。

子どもたちのために、善いものは日々の暮らしの実践の中に智慧を遺し、伝承していきたいと思います。

経営の要

有事と平時では求められるリーダー像は異なるように思います。たとえば、徳川幕府になってからのリーダーと戦国時代のリーダーではリーダーの人気も異なります。今の平和の時代に、戦国時代の織田信長のようなリーダーが国を率いたらこれはこれで不満が出てすぐに人気が亡くなり降ろされるでしょう。しかしもしもひとたび、戦争や困難があったならひょっとしたらみんなが求めるリーダーとして大人気になるかもしれません。

つまり時代がその時々の状況でリーダー像は変わるということで、その役割もまた変化するということです。

人間は社會を形成する生きものですから、社會の中で一つの人格というものを磨き上げます。この社会は、現在では会社単位で組織もできておりそこにはそれぞれにリーダーがいて社員がいます。

経済でも同様に、有事の時に活躍する会社と平時の時に活躍する会社があります。状況と時代の流れと環境に合わせて常に形を変えながら生きもののように組織は存続しているとも言えます。

そう考えて観ると、組織にも一つのリーダーシップがあるように思います。組織の人たちがみんな有事の人たちになっているか。いつまでも平時のことをやっていないか、これはとても大切なことだと感じるのです。

よく観察してみると、織田信長の有名な桶狭間の戦いであっても、ある瞬間にまずリーダーが馬で駆け出していますがそれに一緒に駆け出した家臣たちがいてはじめてあの戦はあったのです。

もしも時間外労働だから考えてくれや、怪我の保証はどうかとか、体調が万全ではないのでとかいう理由で家臣がついてこなければ負けていたはずです。つまり、有事の時のリーダーとは単に織田信長一人だったわけではなく、家臣一人一人が有事のリーダーとして活躍したということでしょう。

つまり、今がどういう状態なのかを知り、生き残るためにみんな必死で取り組んで乗り越えたということです。

そしてこれはある種、生き物が生き残る条件としてダーウィンがこういう言葉を遺しています。

「強い者、頭の良い者が生き残るのではない。変化するものが生き残るのだと。」

つまりリーダーとは、変化するものであり全員リーダーシップを発揮するというのは全員で生き残るために変化するというものです。つまり有事のリーダーであるときは有事のリーダーとして変化し、平時のリーダーの時は平時のリーダーとして変化する。

その時々の自然環境の変化に応じて、適応できたものだけが生き残ったというものです。何をどう適応するのかは、0から1にしていく挑戦をするなかでわかってくるものです。

生きものは急な変化に適応するには、本当に大変な労力もエネルギーも使います。しかし、それでも変化しなければ生き残れませんから有事に備えて平時でも乱を忘れないものが生き残るのです。

今、どのような局面に入っているのかよく見極めつつ、経営の要を定めていきたいと思います。

 

心待ち

昨日は、聴福庵の箱庭にある紅葉などの剪定を行いました。つい冬の時期の剪定をするのを忘れてしまい、初春にして虫や葉などで大変になりますが今年は無事に剪定できました。

どの木々にも特性がありますから、タイミングを外さずに手入れをしていく必要があります。特にタイミングはどれも事前にというのが特徴ですから、四季折々の時機を見逃さずに如何に心を使って「待つ」ことを楽しめるか。

暮らしは待つことで豊かになりますから、現代のようなスピード社會において待つこと待てることは大切な暮らしの実践項目です。つまり「待つ技術」を持っている人ほど、仕合せを感じやすいということでしょう。

例えば、待つことでいえば神仏に拝むというものがあります。日本人は、予祝といって先に感謝をしてその時を待ちます。「おめでとうございます」という言葉もまた、先に待っている言葉です。

すでに素晴らしいことが起きている、偉大な恩恵をいただいている、だからこそないものを見ずにある方を観ることで「芽出度い」ことが誕生していることを知る心で待つのです。

焦ったり不安になったりすると人は待つことができなくなります。うまく待つためには、プラスの方、いただいている方、すでにある方を観る訓練が必要です。もうないと観るか、まだこんなにあると観るか、それは心が決めるからです。

日本の暮らしの中には「もったいない」という思想があります。これもまた、ある方を観ることで感じられる心持ちです。豊かさはその心持ちが決めます。物がたくさんあってもまだ足りないと増やす人と、すでにこんなにあると足るを知る人。同じ人間でも心持ち次第で別人になっていますからそれは暮らしの中に顕れてくるものです。

暮らしを充実させていくというのは、その心持ちを豊かにしていくということです。日々の小さな仕合せを噛みしめていくことや、待つことの喜びを暮らしの中に見出していくことだったりします。

先ほどの紅葉であれば、この時期は水が少なくなりますから葉を落として春を待ちます。乾燥する空気の中で水分を維持することが難しいから葉を落として枝だけで蓄えた水分で乗り切ります。水を多く含み、それを出すから夏場はお庭を清涼にしてくれます。

紅葉と一年を共にするとわかるのですが、春の新緑の瑞々しく初々しい姿に心癒され、夏の生い茂った深い緑に心が洗われ、秋の紅葉の美しく物寂しい姿に心が落ち着き、冬の枝に飛来した鶯や鵯が鳴いている姿に未来への心待ちを感じます。この豊かさは、「一緒に」共生しているからこそ味わえるものです。

真の豊かさはあらゆる生命と共生し合い、そこで貢献できる喜びを味わうときに実感します。人間が仕合せを磨くのは、自然と共に生きるときです。

子どもたちにも、自然が共にあるように先人の智慧と伝統と文化を伝承していきたいと思います。

藁葺の甦生

来週は、いよいよ郷里の藁葺古民家の屋根の修繕を行います。阿蘇の茅葺工房の植田さんと知り合ってからもう3年以上になりますが、地蔵堂の藁葺はわけあって中止になりましたがそれが別の形で古民家の修繕でご一緒できることになり仕合せを感じます。

この藁葺や茅葺は、日本民族の循環の文化の象徴そのものであり私は日本が風土と一体に暮らしてきた証であると考えています。かつての日本の農村にはこの藁葺や茅葺がありましたがこれは家を守るだけでなくその地域の自然を守ってきたのであり、共同体としての日本民族の生き方や生き様を顕現したものなのです。

そこで暮らす人たちが、如何に自然と一緒一体になって地域を育て守ってきたか。千年以上、いやもっと前から自然と共に暮らしながらお互いに助け合い仕合せを紡いできた「場」がこの藁葺や茅葺の農村には感じられます。

明治以降になり、自然から離れた暮らしを行うようになりこの藁葺も茅葺もなくなりました。今の時代こそ、本来の日本人の自然から学び、自然と暮らし、自然の恩恵を分け合い育んできた智慧を甦生する必要性を感じるのです。

茅葺職人の植田さんが住んでいる阿蘇は、「九州の水かめ」と呼ばれている場所です。草原には、年間2500mm以上の雨が降ります。この水が阿蘇のあちこちから湧き水として出て九州の中、北部にある6本の一級河川になります。そして九州全体の自然と生態系を育むのです。まさに九州のいのちのゆりかごが阿蘇の草原なのです。

その草原を1000年も前から人々が大切に守ってきたことで、人間のみならず多くの生き物たちのいのちの循環を保育してきました。この日本人としての営みや生き方が、ふるさとの美しい原風景を遺し、子孫まで末永く豊かな暮らしを伝承してきたのです。今、その日本の農村文化の象徴とも言える日本の草原の数々が、失われようとしています。

もしこれらの草原がなくなれば、いのちの水かめとしての役割が失われます。手入れしているからこそ守られてきた人も含めた自然が、単なる野生の森になれば自然との文化が消え人間もまた生活できないような環境になり消えるのです。

これは農村の棚田などもそうですが、人間が里で自然に手入れして共生するからこその循環の豊かさであり、それがなくなれば単なるコンクリートジャングルのようになってしまうか、いつかは人も住めないような廃れ荒れた土地になってしまいます。

暮らしというものの本来の価値は、自然と共生して多様な生き物と一緒に豊かに生きてきた先人の叡智を子孫へつなぐことです。その象徴を守るというのは、私たちの暮らしの原点を思い出すということでもあります。そして本来の場づくりというのは、暮らしあってのものなのです。

カグヤではここ数年間、ずっと暮らしに力を入れてきました。それは子どもたちの未来のためであり、誰かがこの伝統文化をつなぎ、そして紡いでいく役割が必要だからと誓ったからです。文化は途切れればそこで失われてしまいます。たとえ小さな細い糸であれ、誰かが子どもにつなげばそこから復活することもできます。しかし、切れてしまえば二度と伝承できないのです。先人の智慧とはそういうものなのです。

この取り組みは確かにお金にはなりません、どちらかといえばお金ばかりを使っていることで会社の利益であれば損をしているばかりの事業でしょう。いや、事業と呼ばれるものでもないかもしれません。

しかし子ども第一義の理念を本質的に磨こうとしたら、子どもに遺し譲りたいものを守ることは私たちの本業であり使命ですからなんの迷いもありません。私たちは子どもの事業で収益をいただいている企業だからこそ、その御恩を未来の子どものためにできる限り還元していくことは当たり前のことだからです。

生き方と働き方の一致、他にもカグヤでは色々なことを掲げていますがそれが単なるお題目にならないように真摯ににこにこ顔で命懸けの取り組みに邁進していきます。今年も、理念研修が藁葺の甦生ではじまれることを有難く思います。

草原を守り、里山を守り、文化を守り、子どもを守っていきたいと思います。

 

自己免疫

コロナウイルスがあることが当たり前になっていく世の中になってきましたが、これからは温暖化も進み、第2第3の疫病が訪れることがあるかもしれません。その都度、ワクチンが開発されるかもしれませんがそれがすぐに追いつくわけでもなく、それにワクチンが効かないものもでてくるかもしれません。

そう考えていけば、自ずから何をすべきか。それは人間の持つ自己免疫を高める暮らしを行うしかないことはわかります。この自己免疫を高めるとはどういうことか。

現代人は、この自己免疫を高めるということをあまり学んできていないようにも思います。それは食生活が乱れていたり自然と共生する暮らしから離れていることでもわかります。

本来、先人たちはどのように免疫を向上させてきたのかをもう一度学び直す必要を感じます。

例えば、伝統食というものがあります。

今ではあまり人気がない食事になっていますが、実はこの伝統食こそが長く生き残るために編み出された先人たちの智慧の結晶であることはわかります。玄米、味噌、梅干し、鰹節、そのほか、その土地で産み出された数々の旬の郷土料理。まさにこれが一物全体、身土不二の原理原則に適っているのも明白です。

むかしの人の食、特に主食とは健康を維持するために摂取されてきたものです。今のように、人間の都合で快適な生活、大量の薬やサプリなどがなかった時代、私たちは病気になるということを非常に恐れました。病を得るというのは死に至る直前であり、如何に病にならないような暮らしをするか、つまり未病ということに全神経をとがらせて対策を講じてきました。

未病とは、病にならない、もしくは病を初期の状態で恢復させて健康にする。つまりは健康というものは病と行き来しますからバランスが病に偏らないような生活を維持していくことに注力したということでしょう。

そしてもう一つ、気づきにくいことですが大切なことがあります。それは笑うことです。むかしの日本人は、日々にニコニコと豊かに楽しく仕合せな雰囲気をみんなで醸し出していました。そういう生き方を大切にしてきたのです。

中村天風さんにこういう言葉があります。

「どんな名医や名薬といえども、楽しい、おもしろい、うれしいというものに勝る効果は絶対にない。」

これは笑うことこそ、免疫を向上させるもっとも大切なことであることを証明しているのです。自分自身が楽しく、嬉しく、面白く生きている人は、若く見えます。若く見えるだけではなく、まさに若々しく瑞々しいいのちが躍動しているのです。そしてそういう人はよく笑います。毎日が、イキイキし、いのちが輝くからです。

人間は必死ですからいつかは死にます、だからといって死ぬまで暗くなって生きるのか、それともイキイキと楽しく生きるのか、それは心掛け次第です。先ほどの中村天風さんは、末期の肺結核を自力で平癒されました。この自力というもの、真の主体性こそが免疫を向上させる秘訣なのでしょう。

免疫を如何に高めていくか、これからの時代はまさに人間の暮らしの原点回帰です。私の取り組む暮らしフルネスはその原点を学び直し、もう一度、先人のDNAを甦生させて現代の人たちが安心して仕合せに暮らせるような智慧を復古起新することのためにも必要です。

今年も、日々の暮らしを見つめ直しながら子どもたちにつなぎ譲り結びたいことを実践していきたいと思います。

 

育徳

先日、訪問したある学校の校庭に「育徳」という言葉を見かけました。これは四書五経の一つ、易経の中で使われている有名な言葉です。

「彖曰。山下有風蠱。君子以振民育徳。」(山下に出(いずる)泉(いずみ)あるは蒙(もう)なり。君子もって行(おこない)を果たし徳を育(やしな)う。)の中にこの育徳があります。

文章の意味は直訳ですが最初に山から出てくる湧き水はとても小さくか弱いものでも次第に他の大きな流れが入ってきて合流し、それがやがて大河のようになり大海になっていくという意味です。大器晩成と似ていますが、時間をかけてじっくりと徳を涵養していくことの大切さを説いたものです。

この育という字は、子どもがお母さんのお腹の中にいる象形文字です。自然にお母さんの中で育っていきカタチになっていく。まさに小さな存在からあらゆる徳をいただき大きな存在になっていく、つまり自然に大人になっていくということです。

徳は自然に存在しているもので、空気や太陽な水のように私たちにとってはなくてはならない偉大な存在です。その存在の中で、私たちはじっくりとゆっくりと成長していきます。息を吸って吐いているだけでも私たちは徳によって育まれているともいえるのです。言い換えるのなら、まさにこの呼吸こそが徳のなすことの意味を顕しています。

何度も何度も丁寧に呼吸をすることで私たちはその空気によって徳が涵養する。だからこそ私たちは呼吸を日々にととのえて丁寧に暮らしを紡いでいく必要があります。空気が化学物質に汚染され、感染症でマスクをして、閉塞感がある息苦しい世の中だったとしても、敢えて丹誠を籠めて呼吸を整えて徳を養うのです。

私たちはこの世にいるだけで、徳を磨いています。なぜなら徳を磨くために生まれてきたのが私たちの使命の本懐だからです。そうやって徳は日々に育てられていますからどのような一日であったとしても、私たちは呼吸を已めるその日まで徳に見守られ育てていただいているのです。

この徳に見守られているこの世界で自分らしく自分のいのちを存分に心のままに生きていくことが恕されているのです。無条件に自然が私たちを育ててくれるように、この世は無条件に偉大な愛情を与えてくれます。その中で、いのちが「育つ」ということの側面に常に「徳」があるということなのです。まさに天の無限の慈悲慈愛を頂戴しているのです。

そしてこの天の真心は決して已むことはありません。この今も、私たちのいのちを支えて見守り続けてくださっています。だからこそその徳に報いていこうとするところに、私たちが人間として真に学び育つことができるのです。それが育徳の本質だと私は思います。また同時に徳を磨くというのは、徳に磨かれているということです。

畢竟、人は真に徳に感謝できる人になるとき、私たちの人格はある処の高みにまで磨かれたと言っていいかもしれません。

玉磨いて光るとき、徳もまた薫ります。

来年もまた、偉大な徳に見守られながら子どもたちを見守っていく一年にしていきたいと思います。

ありがとうございました。