生きていくということは、一つ一つの自分の人生の道のプロセスを歩んで味わっていくことに似ています。その道は、誰の道でもなく自分自身の道ですから誰も経験していないのだからいくら知識があってもそれは知識では補えません。体験を純粋に味わうしかないと思うのです。
周りがなぜそんなことをやっているのかあざけ笑うからとそれを気にして自分の道を諦めては意味がありません。人が通らなかった道だからこそ、誰もいないからこそ自分がその道を往くのだと取り組む必要があると思うのです。
人間は、選択肢を持ちます。それは知識が増えれば増えるほどに選択できるものもまた増えていくように思います。しかし増えた知識は、自分以外の他人の人生の道のことを知ったくらいで自分の道とは関係がありません。
しかも他人の道と比べたり、その人の経験を参考にしてなぞってみてもそれは自分の人生を歩んだことにはなりません。自分の人生を素直に生きるには、参考になるにはみんな自分の人生を素直に生きたということの真実を知ればいいだけかもしれません。
これは危険だからとか、これは真実だからと、参考書を片手に取り組むと確かに失敗が少ないかもしれません。しかしそれでは大事な味わうということが疎かになるようにも思います。
よくわからないけれど、天にお任せしてこれでいいと自分の道を味わっていくと失敗も増えますが同時に学ぶことも増えていき味わい深い日々を歩んでいくことができるようになります。
奥深い日々はそれだけで価値があります。
世間一般の価値などは実はたいした価値ではありません、本当の価値は自分であることです。自分であることは何よりも尊く、人はみんな誰しも平等にその価値を持っているのです。
だれかが勝手に価値だと言い出したことに縛られてしまうと、気が付くと価値にしばられて私たちは価値の奴隷にように生きることになってしまいます。本来の主体性とは、自己の価値を開放することです。自然界の自然のようにあるがままの価値に気づけばいのちは素直に廻ります。
謙虚に自分を生きることを自分が取り組むことが、私たちが徳を磨き道を拓く原動力になっていくように思います。子どもたちのためにも、日々の体験を深く味わい一期一会の今を大切に噛みしめて学び歩んでいきたいと思います。