心の時

出会いというのを人を変えていきます。その出会いは時との出会いというものがあります。私たちは時を通して、今何に出会っているのかということを直感できるからです。

これは四季のめぐりにも似ています。四季折々に私たちはその時々の風景に出会います。その風景を観ては、その時を感じ、出会いの意味を知るのです。

例えば、この時機は冬から春にかけて空気も光も風もそして鳥、虫たち、植物たちも冬のもっとも冷えている環境の中で春を待ちます。この透明で凍てつく寒さの中で、春を待つ景色にその時の様相を感じます。それは時が止まったようで、ゆっくりと音も静かに流れている景色です。

朝焼けや夕焼けもその時を静かに語るものです。

私たちは日々に時と出会い、時に心を映します。

その時々の出会いをどれだけ感受性豊かにキャッチしていくか。それはその出会いに対して、どれだけ純粋に心が味わったことを噛みしめていくかに似ています。その出会いの余韻や、その時の仕合せ、心が時になるのです。

心の時というのは、永遠でもあります。

それは過ぎ去っていないままに、心に刻まれているからです。この心の時を持つ人は、いつも別の次元に時が止まったままで暮らしていきます。先ほどの、四季折々の変化のようにその時とその風景といつまでも出会いが続いているのです。

ご縁の世界というものは、現実的に目に見えるものだけの中ではなく、心の時といった風景の世界でもあります。

二度とない今だからこそ、この二度とない時を生きます。

子どもたちに美しく懐かしい未来を、続けていきたいと思います。

初志と予祝

昨日は、無事に妙見神社の御祭と徳積財団設立2周年の座談会を盛況のままに開催することができました。コロナで人数を限定していましたが、心ある仲間たちが参加してくださり気持ちを一つに真暦での正月と予祝を過ごすことができました。

場にはその心地よい余韻がのこり、その余韻でまた夜も直会をして音楽を楽しみ時を忘れて仕合せを噛みしめていました。

思い返せば、もう25年くらい前に国際人とは何か、コスモポリタン、また地球を代表する人類として一体どう生きたらいいのかを模索していました。その頃も、東京の新宿で国際人会というものを私が立ち上げ有志のメンバーでどう生きるか、日本人としてどうあるべきかを語り合っていました。

そのころは、みんな若く情熱だけありましたが実力も時も定まっておらず必死でそれぞれ起業をしたてだったことと、他にも入社したてだったこともあり、気持ちだけで取り組んでいました。

あれからだいぶ経ち、気が付けば日本人とは何か、そして国際人とは何かということがもう身近にあり、今では実力も多少は追いつき、そして時が味方してくれているのを感じます。

初志はずっと変わらず、気がつけばその初志に合わせて人も物も物語も集まってきただけです。

私はこの集まってくるというものがとても多いタイプのようで、身近にはいつも本物や普遍的なものが集まってきます。志を共にする同志は、決して人だけではなく物や物語なども同じです。

たくさんの物語が集まってくると、それが集大成となり偉大な物語になっていきます。

人生は記憶を生きていますが、同時に歴史もつくっています。歴史は決して過ぎ去った過去のことではなく、今もこの瞬間も創られ続けています。どのような歴史を刻んでいくかはその人の生き方、そして信念、志が決めるのです。

他人をみて、他人のことを気にするのではなく、自己を省みて、自己を研ぎ澄まして本来の初心を忘れず初志を貫遂することが自分自身を生きることです。自分自身を生きるというのは、自らの「場」に物語を顕現させ続けることです。

出会いが場をつくるように、歴史が場を育てます。

じっくりと時を遊び、時を活かし、時を信じて、時が集まってくるまでその時を心静かに待ってみたいと思います。英彦山は、日本人の、いや世界人類の心の故郷として間もなく甦生します。

おめでとうござます。

本当の歴史、真実の暦

本日は、旧暦での正月となりいよいよ今年が真にスタートする日です。現在、新暦とか旧暦とかの言い方をしますがもっともここで大切なのは「本当の歴とは何か」ということです。

私は本当の歴である2月4日の正月に、当社の妙見神社(ブロックチェーン神社)を秩父神社と多田妙見宮から勧請して建立したのには深い意味があります。もともと御祭や大祭は一年の中でもっとも大切で重要な御祭りです。かねてからそれを本来の本質的な歴で行いたいという願いと祈りがありました。

先祖や先人たちがなぜもともとこの日にしたのか、なぜ一年のこの場面でこの行事が必要だったのかという記憶に実践をし心を研ぎ澄ますことで直観的にアクセスでき思い出すことができるからです。ある意味、この行事とか御祭りとは子孫たちがいつまでも忘れてはならない「初心を思い出す」ためにあります。この初心を思い出せば、あらゆる記憶や感覚が生まれ変わり新しくなります。神道ではこれを常若という言い方もします。親が子を産み、繁栄していくように繰り返していくなかで初心は伝承されていくのです。それが文化伝承の知恵でもあります。

今年は、午前中にはいつものように初心と甦生を重んじる例大祭を昨年一年の無事と繁栄の感謝をこめて執り行います。そして午後からは、本当の歴史を学び直すための座談会をそれぞれの歴史の道を歩まれる方々と共に語り合います。

そして徳とは何かということを、みんなで分かち合い、先人への感謝と子孫への祈りを共有します。ただの知識ではなく、そこには確かな歴史がありその歴史を私たちは刻み続けている存在であることを学び合うのです。

一年のはじまりに私はこの御祭と理念の共有をするのは、英彦山の予祝でもあります。英彦山がはじまり、このご縁がうまれ、そして甦生が勢いづいてきます。後になって感謝をするではなく、その目出度い吉報とご縁と、そして天命にみんなで先に喜びあうのです。

神様がそうしてくださっているように私たちは真心で取り組めたか、神様にお任せして信じて自分自身の至誠を盡すことができたか。これを先にみんなで覚悟を認め合うのです。

日本の生き方は、先人の真摯な命がけの歴史と共に醸成されてきた一つの大和魂です。素晴らしい一年がはじまることに感謝いたします。

おめでとうございます。

 

暦の知恵

今年は旧暦では2月1日が元旦になっています。これは二十四節気の雨水の前の新月が正月とするという天保暦に沿ったものです。この旧暦は太陽太陰暦のことをいいます。今は、新暦といって自然や季節とあまり関係がないものになっていますが、むかしは農業や漁業、そのほか、自然と調和して暮らしていましたから暦はそれを上手に取り入れるための一つの知恵でした。

例えば、太陽暦というのは太陽と地球の関係性を一年の周期でわかるようにしたものです。1年で365日というのは、今でもわかります。そして月の満ち欠けの周期は、1月で28日ですから少し短く1年354日になります。

もともと陰陽は、女性は陰で男性を陽で例えます。その男女のバランス、生命のリズム、またその持っている性質が備わっているともいえます。特に女性は生理も月の周期と深い関係があります。

私たちは、どのタイミングで生命を調和させていけばいいのかを太陽と月と地球の絶妙なバランスを直感しながら生きてきたともいえます。

つい頭でっかちに私たちは数字の便利な側面だけをみて、歴もただのスケジュールやイベントのように今では考えている人が増えているようにも思います。何かのイベントがある日は、そのイベントをやるという具合に、そこには季節や生命、また忘れていけない初心があるなどとは思ってもいないものです。

しかし実際には、二十四節気は自然の天候や運行とのリズムを観察したものであり、旧暦は太陽と月と地球のバランスとリズムを観察したものです。私たちの生命も体も、この地球の一部ですから確実に太陽や月、そして四季の変化の影響を大きく受けています。

その影響を活かすこともできれば、無視することもできますが自然に逆らうとバランスが崩れて不幸や災難が増え、自然と調和すれば自然体でも仕合せの機会が増えていくものです。

先人の生き方や知恵を学び直すことは、本来の私たちがどのようにこれから暮らしていけばいいのかのヒントを得ることです。なんだか働き方改革とか生き方がどうとか、SNSやテレビなどで最近言葉ばかりが流行っていますが本当は先人はどうしていたのかをもっと丁寧に学び直すことが肝要ではないかと私は思います。

実践をしながら、暮らしの豊かさを子どもたちに伝承していきたいと思います。

時勢と自然

時勢というものがあります。ある時、急に追い風が吹いてくるように流れが変わる感覚です。これは自然では季節の変わり目や、時間をかけて醸成してきた土が発酵してある瞬間から調和がはじまるようなものです。

これは自分のチカラではなく、何か天の時のチカラが入っているのを感じます。私も、今までの人生を振り返ると何をしても認められず向かい風でまったく前に進めないような状況の時もあれば、自分では無理もせずなにもしていないのに物事が前に進むような時があります。

つまりこの「時」というもの中に、その勢いがあるということです。これは時というものの存在自体が「自然」であるということを意味しています。

そして時勢が働き、自分の生き方が天の意志に叶うという瞬間には自然の加勢が入るということです。これを天の時ともいいます。

人は、偉大な使命や天命に従って己を盡していたら世間の評価は別として己に恥じないように精進することを常とします。それを武士道ともいい、日本には古来から生き方をして恥の文化がありました。侍といわれる人たちは、他人がどう評価しようが己の天命に生きようと志しました。

これは時代が変わっても関係がなく、今の時代にも侍はいます。私利私欲もなく、名誉欲もなく、死よりも大切なもの、つまり恩義や徳に生きようとする。それが侍でしょう。侍という字は、人と寺でできています。これは人であることを守るという意味でもあります。

この「人」というのは、単なる人間のことではありません。立派な人格を持った人間であることを守るという意味です。侍といえば、日本一の兵と天下に評され愛されている真田幸村がいます。

その真田幸村は、最後の戦で徳川家康から10万石で寝返るように声掛けされ、それを断り、その後、信濃一国ではどうかとも打診されます。しかしそれを十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いかと喝破し、その後にこんな言葉を遺しています。

「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか」

天下は統一され、それぞれが保身で身を寄せ合っているときに本来の侍の生き方を貫いたことでその名を後世にまで轟かせました。本来、武士といえど生き方はその人が決めることができます。そしてその生き方に天が味方することで、奇跡のような力を発揮していくように思います。そして「人の死すべき時至らば、潔く身を失いてこそ、勇士の本意なるべし」ともいいます。

孟子は「義をみてせざるは勇なきなり」と、義と勇が同質であることをいいます。吉田松陰は、「義は勇により行はれ、勇は義により長す」ともいいます。

人の心に生き続けるような生き方は、自然に合致した人の姿そのものです。古の言い方では、それを神人合一ともいいます。

時代が変わりますが、生き方はその時代時代で貫いた人たちは出続けます。今の時代は、刀で切りあったりすることはなくなりましたが、義に生きる人はいます。あとは、時勢が傾くまで粛々と地道に時を待つのみです。

子どもたちの未来につながる道にいてこの先の天命がどうなるのか、それはわかりませんが純粋な真心を保ち、日々に勇気を出して明徳を磨いていきたいと思います。

暦と徳

今週の金曜日、2月4日の立春に例大祭と徳積財団設立2周年記念イベントを行います。私は旧暦に合わせて暮らしのバランスを取っていますから、歴を遊び様々な取り組みをしています。

そもそも本来の暦は、月や太陽の運行に照らして自然と調和しながらその宇宙や地球の機智に合わせながら生きていく仕組みです。全体快適というか、自然との調和の中で暮らしていく方が無駄な力もいらずみんなで共生し支え合っていきますから合理的でシンプルです。

自然界を観察すれば、動植物はじめすべての生き物たちはこの自然暦に沿っていのちを永らえて繋いできました。雨が降る時期には雨を活用し、暑い時にはその暑さを活用する。それぞれのいのちのリズムをととのえながら、他の生き物たちと一緒一体になって自然と上手に力を貸しあい借り合いながらこの世の生を豊かに全うします。

自然と遊ぶのは暦と遊ぶことに似ています。私は旧暦で大事な感謝の行事に取り組みますが、新暦もまた遊び心で楽しみます。日本には古来から予祝の文化がありますから、この少しズレている暦もまた予祝にしてしまえば御蔭様と感謝の二回、その徳を味わうことができます。

例大祭は、毎年、同じことをやっていますがその時々で神様が喜ぶようなことが変わります。それはご縁と出会いが増えていくこと、弥栄といいますか繋がりが豊かになっていきますから回数を重ねるごとに面白く仕合せが増えていきます。そして直来もまた、その時々にいただいたご縁によって変わります。同じことをやっていますが、同じことは一度もなく毎回、この日が来るのが楽しみになっています。

それに今回は、徳積財団設立2周年ということもありまた徳について磨き深める時間が持てます。あっという間の2年でしたが、なんと濃い2年であったかと振り返ると感謝がこみ上げてきます。

むかしから、徳には陰徳というものと明徳というものがあります。

陰徳は見返りを求めずに、自分の真心を盡すこと。そして明徳は、そのものに備わっている使命を明らかにすること。徳は、この世で生きていく上での真の羅針盤であり、この暦と徳を学べば安心立命の境地に入ります。

子どもたちの未来のためにも、本来の生き方を、日本人の道を少しでも後世に繋いでいきたいと思います。

徳の回帰

大分県中津市本耶馬渓に「青の洞門」というものがあります。これは江戸時代、荒瀬井堰が造られたことによって山国川の水がせき止められ、樋田・青地区では川の水位が上がりました。そのため通行人は高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通ることでしかそこを渡れなくなっていました。

諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓に立ち寄った禅海和尚が、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めたのがはじまりです。

この禅海和尚は最初は、自分一人で3年間ノミとで穴を掘りぬき、その後も托鉢勧進によって雇った石工たちとともに30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させたという話です。その後は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用をもらうことにし、これが日本初の有料道路とも言われています。

私はこの青の洞門に深く心が支えられていることがあります。周囲の誤解で事を邪魔されたり、すべてをひっくり返されるような出来事に出会う時、また一人でコツコツと地道に取り組んでいる最中など、ふとこの禅海和尚のことをいつも思い出し徳を偲ぶのです。

人は、あまりにも偉大なことを発想したり、あまりにも遠大なことに取り組もうとすると周囲から必ず誤解されたり疑われたり、変人や狂人扱いをされるものです。一生懸命それを何度も説明しても誰も本気にはせず、言い訳の一つやもしくは何か裏があるのだろうと思われたりもします。私の人生はいま振り返るとそんなことばかりの連続でした。不可能と思えることや、意味がないといわれることに取り組んでいくことは陰徳のようでそれを誰かに認められたいからなどの気持ちは入りません。でも人は人とあまりにも違う人をみると好奇な目もあり社会秩序などが気になってしまい黙ってはいられないのでしょう。

私の場合は、今まであまり目立たずにこっそりとひっそりとそっとしてもらいながら取り組んでいくように心がけていきました。時折、周囲が盛り上げて運動にしようとされますがそれがいつも返ってそれぞれの我欲望の養分になって大きな邪魔になってしまうことが多く、結局は静かに実践する人たちと穏やかに取り組んだ方が安心して結果が出るまでが早かったりするからです。

人は真の意味で人を信じることができるとき、本当の意味の支援や協力をしてくれるようになります。誤解されたり、いつまでも理解されないのは、まだ自分の真心が人々が信じるほどではないのだと諦めて真摯に取り組むしかありません。

この青の洞門は、そういう意味では私たちが真に徳を積むためのお手本であり模範です。この取り組みをベンチマークして学び、取り組むことで私たちはこの先人の智慧を活かしこの国も人々の心も甦生させていくことができると私は思うのです。

この禅海和尚は、初心を定めてから3年間はまずは一人で掘り続けました。すると3年目にしてはじめてお手伝いしてくれる人が現れ一緒に掘り始めます。その後は、一人二人と協力が現れみんなで掘り始める。今度は、石工たちに費用が払えるように托鉢が広がっていきます。最後は、有料道路にして通行料をとってそれを掘り修繕するための費用にします。この流れで、トンネルが掘られたのです。そしてこの景観と遺徳後世まで守るためにと、福沢諭吉が周囲の土地を買い取り守ります。その後は羅漢寺と共に、現代の資本主義の台風をいわばでしのぎながらも嫋やかにその陰徳を顕彰し続けるために維持します。そしていつまでも多くの人たちが訪れてその価値を学び続けます。それが私のように志を守る勇気をいただく原動力となって心にいつまでも徳が掘り続けられていくのです。

これは一つの真実であり、甦生やコンサルティングのもっとも王道のカタチです。

現在、英彦山の甦生に取り組んでいますが私がいつも心に抱いて見本にしているのはこの禅海和尚の志の貫徹する実践の姿です。信仰というものの本当のチカラは、人々の心に徳を回帰させていくことです。

徳が回帰すれば、人々はその偉大なことをいつまでも学びそれを世の中を導く原動力にしていきます。ひょっとしたら福沢諭吉にもこの禅海和尚は偉大な影響を与えたかもしれません。子どもたちは、このような遺徳が養分になり健康に成長していきます。

1000年後の未来のために、逆算して今、何をすべきかをこれからも真摯に取り組んでいきたいと思います。

 

終始のご縁

何がきっかけで物事がはじまったのかを振り返ってみると、そのはじまりのきっかけの中にそのご縁がどのようなご縁だったのかが観えてくるものです。今振り返ると不思議で、みんな誰もがはじめて出会ったときにはその後にどのようなことが発生するのかがわかりません。

わかるとしたら直観的に幸不幸の予感があるくらいですこのご縁には、ずっと一緒に長く旅を伴にする人もいればバトンを渡すときに一瞬だけのご縁の人。あとは、すれ違っていくようなご縁の人。人生を丸ごと変えてしまうようなご縁もあります。しかし、よくよく味わってみるとあの時のあの出会いとご縁は必然だったのだとも感じるのです。

それをどう大切にするかは、その人の感性に由ります。感性が優れている人は、ご縁の持つ偉大な存在に気づいています。一期一会に、ご縁を大切にしそこに宿しているメッセージを受け取りそのものとのご縁を集めていきます。

どのようにご縁を集めて一つの人生を完成させていくのか、それが人が生きていくことの証です。そう思うと今も私の人生はご縁を集めることだけです。

これまでもただ大切にずっと集めてきました、そしてこれからも遺りを集めていきます。よく集大成という言い方をしますが、人生はご縁が積み重なり結び合いできあがります。今、私たちの目の前にあるものすべて、それは石や木、そして生命体に至るまでそのすべては集大成の今のカタチなのです。

ご縁はまだまだ無限に続き、まだまだ集め続けます。しかし、人生は死を迎えるとそれが逆行していくように感じます。つまり集大成からまたはじまるのです。まるで終わりがはじまりのようにです。

はじまりのご縁を感じるときに何かが終わることを感じる。つまりはじまりと終わりのご縁は同時に行われているということです。その終始こそご縁の本体であり、終わるようではじまり、はじまってるようで終わっていく。まさにご縁というのは永遠の循環です。

だからこそ私たちはその一瞬のご縁を「大切にしたか」が問われるのです。

大切にするからこそご縁は活きるのであり、ご縁を活かす人は「大切にしていくことを忘れない」のです。時間は、その大切にする意味を思い出させるための産み出した人類の道具なのです。まだ言葉のない時代、何も知識がない時代に、私たち人類はそこに気づきこの世に時間を創造したのではないかと私は思います。

人生は一度きり、そして永遠なのです。

日々の社会通念や常識に流されてしまいますが、いのちの持つ意味を忘れずに子どもたちに先人からのいのりを伝道し生きるチカラを伝承していきたいと思います。

暮らしフルネスの本懐

万物にはそのものの徳というものが備わっています。それを磨き明らかにしていくことを、明徳という言い方をします。この明徳は、大和心そのものでもあり日本人に連綿と続いてきた大切な生き方です。私は、この大和心の甦生のことを「暮らしフルネス」と定義しています。もっとシンプルにいえば、この徳を明らかにし、徳を循環し徳によって治める世の中になっていくことが暮らしを実践する理由ということです。

私が本業として取り組んできた見守るという保育も、またむかしの田んぼや伝統固定種の高菜、そして古民家での智慧の甦生やあらゆる現在の取り組みに至るまですべてはこの大和心がそうさせているともいえます。

和というのは、徳が引き出されることでわかります。和食であれば、素材のもっているそのものの味や魅力が引き出されたことをいいます。私は料理人ではありませんが、井戸水や炭火をつかい素材そのままで味わうものを好んでつくります。余計な味付けなどしなくても、そのままの味が出た方がその徳が明らかになるから好むのでしょう。

このみんなが使っている「和」や「暮らし」は、本当の意味になっているのでしょうか。なんとなくわかりやすく使われていますが、日本人の和や日本人の暮らしではないものがほとんどになっているようにも感じます。

そもそもこの和や暮らしは、長い歴史の中で用いられた言葉です。歴史を学ばずして、先人の智慧の伝承なくして使うようなものではありません。現在は、何か新しい知識やそれを上手に分かりやすく便利なした言葉がすぐに独り歩きしていきます。しかし、本来は長い年月を経て醸成された発酵したような言葉であることが本質です。

だからこそ、知識ではわからないものが「言葉(言霊)」の中に存在しているともいえます。同じ、「暮らし」という言葉を使ってみたとしてもです。その暮らしという言葉は、使う人の持つ歴史や伝統によってまったく意味が異なっているということです。

私はもともと「和風」という言葉が嫌いです。和風は和ではないから、言葉遊びのようになるのが苦手なので嫌いという具合です。本物の「和」は、和風のものとは一切異なります。ひょっとしたら、昔気質なのかもしれませんが日本人としての誇りがあるからどうしても和風が馴染まないのかもしれません。西洋の文化や他国の文化はいつも尊敬しています。だからこそ、この便利な和風はどこか失礼ではないかとも感じてしまうのでしょう。これは決して和風がわるいと言っているのではなく、少し苦手というニュアンスで書いています。

刷り込まれた知識や、社会通念があるということが前提ですが私たちは何が本来の和であるのか、何が本来の暮らしであるのかをみんなで実践を磨き合う中で学び直す必要性を感じています。

私がこの場の道場での取り組みは、それを子どもたちに伝承し未来を智慧で満たすためです。先人の深い愛や思いやり、そして暮らしを次の世代へ伝道していきたいと思います。

暮らしと先人の智慧

今、私がブログを書いている目の前のお庭に南天があります。朝陽をあびて神々しく輝く様子に心が洗われる思いがします。特に、鮮明な赤い実は冬枯れした景色を明るくし瑞々しくします。

この南天というのは、もともとは中国原産で平安時代に日本へ入ってきた植物です。もともとこの南天の名前の由来は、中国では「南天燭」「南天竹」「南天竺」などの名前で呼ばれたものが簡略化して南天となりました。南天燭の「燭」は、南天の実が「燭(ともし火)」のように赤いこと。そして南天竹の「竹」は株立ちが竹に似ているからこう呼ばれるようになったといいます。英語では「Sacred bamboo」「Heavenly bamboo」と竹が入っています。

この南天は、観賞用だけではなく実際に効能の高い生薬としても利用されてきました。有名なのは、南天のど飴にもあるように咳止めです。南天の果実、葉、茎、根がはどれも生薬になり、果実を乾燥させたものは南天実は「o-メチルドメスチシン」が含まれておりに咳やのどあれに効能があるそうです。

よく私も、南天の葉をおもてなしで使いますがもともとこの南天の葉は縁起物で美しいからだけでなく葉に解毒作用や殺菌・防腐作用があるからです。赤飯などにもよく添えられますがこれはカビ予防としても活用しています。そして南天手水というものもあり、この葉が殺菌効果があることから手の洗浄や浄化などにも使われたそうです。先人たちはこの効能を知って智慧として取り入れていたことがわかります。

そしてそれがどうして縁起物の植物になったのかということですが、もともと南天は「難転(難を転じて福となす)」という意味がつきました。これは戦国時代には、武士の鎧びつや出陣の折りには枝を床にさし勝利を祈ったとあります。また江戸時代になると、「和漢三才図会」に「南天を庭に植えれば火災を避けられる。とても効き目がある」とも記され、江戸時代にはどこの家にも南天が「火災よけ」として植えられるようになりさらには「悪魔よけ」「邪気払い」として鬼門の方向や玄関前にも植えられるようになりました。

もともと殺菌などの不浄なものを祓い清めるという効果と、暮らしの知恵がある効果が合わさって今でも南天は日本人にはとても親しく身近な植物として愛されています。

むかしも今も、日本人の先祖たちは不浄なものを忌み嫌いました。それは不浄な場には幸福が薄くなるという経験があったのでしょう。いつも心を磨き上げられた鏡のように澄ませてそして冬の空のような美しい清らかな心を保とうとしたのでしょう。南天は、それを手助けしてきた大切なパートナーだったのでしょう。

時代が変わっても、子どもたちに暮らしと先人の智慧をしっかりと伝承していきたいと思います。