全体最適の治癒

漢方には生薬というものがあります。この生薬とは、植物や動物、鉱物などの天然産物由来の薬物のことをいいます。乾燥・切断などの簡単な加工をして用いられています。

ウィキペディアにはこう書かれます。

「有効成分を多く含んだ生の薬用植物や動物、鉱物を、いつでも用いることができるように、保存ができる形に加工したものを生薬とよんでいる。人が生薬を使い始めたときは1種類(いわゆる単味)の生薬を用いていた。これらは例えば柴胡は熱を下げる、杏仁は咳を止めるといった簡単な知識の集積となった。しかし、漢書『芸文志』ですでに指摘されているように、病気は、季節、気候、風土、体質などの遺伝的要因の影響を受け、他の病と併発するなど複雑化することもある。そこで2種類以上の生薬を組み合わせて用いられるようになった。日本における生薬は、漢方処方や民間伝承の和薬などの東洋医療で用いられる天然由来の医薬品すべてであるが、漢方医学の影響が大きいため、生薬と漢方薬が同一視される場合も多く、混乱を招いている。生薬は漢方医学以外にも、民間薬として単独で使用する機会もあるが、漢方薬は複数の生薬を漢方医学の理論に基づいて組み合わせた処方で配合比率も厳格に決められており決して同一ではない。漢方生薬は、慣習上漢字名で生薬名を呼んでいるため、薬用植物の標準和名とは異なる名前で呼ぶことが多い。一方で民間薬では、植物和名で呼ぶことがふつうである。江戸時代に、生薬は漢方薬の原料という意味で薬種(やくしゅ)とも呼ばれており、鎖国下においても、長崎貿易や対馬藩を通じた李氏朝鮮との関係が維持された背景には、山帰来・大楓子・檳榔子・朝鮮人参などの貴重な薬種の輸入の確保という側面もあった。輸入された薬種は薬種問屋・薬種商を通じて日本全国に流通した。」

生薬はとても長い歴史があります。伝来したのは仏教と共に朝鮮半島を経由して日本に中国医学や生薬が伝来したのは6世紀頃だそうです。『日本書紀』には飛鳥時代の女帝、推古天皇が我が国初の「薬狩り」を宮廷行事として実施したことが記されています。そして寺院での治療薬の施しや、薬草園での生薬栽培も行っていました。

英彦山でも様々な生薬が栽培され山伏たちがそれを各地へと運んでいたともいいます。生薬は組み合わせ次第では、相乗効果を発揮する仕組みです、それに分量や、種類でありとあらゆる体質改善に活用できます。

現在、不老園を甦生していますが合わせて薬研をつかい色々と研究してみたいと思います。子どもたちのためにも先人の智慧や叡智で、本来の全体最適の治癒を伝承していきたいと思います。

漢方と不老園

昨日、久しぶりに郷里の有名な漢方医のところを尋ねました。一つには、叔父さんの体質改善のアドバイスをいただくことで、もう一つは、古の英彦山の生薬「不老園」を甦生するための相談です。

改めて、色々と発見したこともあり、少し整理してみます。

まず漢方医学というものがあります。これは調べると「狭義では漢方薬を投与する医学体系を指す。また漢方は、漢方薬そのものを意味する場合もある。広義では、中国医学を基に日本で発展した伝統医学を指し、鍼、灸、指圧なども含む。」とあります。しかし、実際に漢方医の診断を拝見していると総合診療をしているのがわかります。つまり全身の症状、体格、骨格、内臓の状態、皮膚の状態、体力の程度、生活環境、生活リズム、精神状態、自律神経、きりがありませんがあらゆるものを総合的に分析して経験や知恵を活かして直観的に何が問題であるのかを判断します。そのうえで、それを治癒する方法をあらゆる手段を用いて実施していきます。

昨日も漢方医のお話をお聴きしていたら、西洋医学で末期がんの医者が治療に来たことがあるとも仰っていました。自分たちは西洋医学で治療しているが、がんが治らないからここに来たという具合です。実際に、その医院ではがんを完治した人の話がたくさんあり、どの話も納得できるようなことばかりでした。

例えば、心の持ち方、生活の気を付け方、回復までのプロセスに寄り添いながら漢方薬を煎じていきます。時間はかかっても、確実に体質改善を行っていくのです。私が、以前、取り組んでいたコンサルティングも対処療法と根源治癒がありました。緊急のものは対処療法しますが、実際に理念や初心を含めて盤石な状態にするにはやはり時間をかけても体質改善をするしかありません。今、会社で取り組んでいる一円対話もまた未病であり、体質改善につながるものです。

ここから話を英彦山の生薬の話に換わりますが、先生と一緒にこれから不老園を復活させてみることにしています。これは山伏たちの暮らしの中心にあったもので、千数百年も前から重宝され、全国各地の病院たちを治癒したものです。

もともと山伏の生薬については、求菩提資料館にこう書かれていました。

近世の山伏は民間祈祷師であるばかりでなく、人々にとっては頼りになる民間療法の専門家でもありました。つまり、病気を治すための加持祈祷を行うかたわら、薬草・薬石をそえることを忘れなかったのです。山伏たちは、本草学に関する知識を持ち、山中で薬草を採取あるいは栽培して、さまざまな薬をつくりました。つくった薬は年に一度の檀家廻の際に配って歩き、翌年檀家を訪ねた折にもしもその薬が呑まれていれば、代金を頂くといった具合でした。「入れ薬」のはじまりです。」

明治のころから、民間医療薬が禁止されまた修験道廃止令も出て、この伝説の生薬である不老園は徐々に世の中から消えていきました。今では古文書の中にいくつか書かれているのが残っているだけで生薬はどこにも販売されておりません。

先生とお話をしていると、この不老園は特に自律神経を整える成分でできていると仰っていました。かつての山伏たちは、心身を治癒する医師たちでもありましたからこの生薬はとても人々の病気を治癒し、未病を維持するのにもとても重宝したはずです。

しかし明治の頃というのは、調べれば調べるほどとんでもないことをしていることを実感します。明治維新のことばかり話しては、やってきたことを肯定していますがよくよく吟味して否定して改善する必要性を私は感じています。歴史を変えたり、消したり壊したら、ちゃんと責任をもって日本人のためにやり直すべきはやり直す必要を感じています。

子どもたちのためにも、先人たちが人生を懸けてつないで結んできた叡智を甦生させて伝承していきたいと思います。

道心の中にこそ真の暮らしはある

最近、別々の人たちから「道心」のことを聞く機会がありました。具体的には、「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」というものです。これは天台宗の開祖、最澄の遺した言葉で一心戒文というものの中に出てきます。

この一心戒文は最澄の弟子、光定(こうじょう)がまとめたものですがこれは同じ道を歩む人たちへの心得と心構えを遺したものです。

この道心とは、以前このブログで書きましたがこれは徳を高めて道を志す道徳心です。最澄が目指した世界はどこにあったのか、これは1200年前からずっと今にいたるまで世界の人類がみんなが最終的に目指すゴールの姿も同じです。

如何に平和を譲り遺せるか、そして人は如何に思いやりに満ちた仏さまのような心を保つことができるか。人間の徳を磨き続けて、いつまでも平和の世の中にしたいと発願した人たちの御蔭で私たちは今でも平和のカタチを心に遺して学び続けていけるように思います。

もしもこのような道徳心というものを知らなければ、私たちは文明や文化そのものを真の意味で発展していくことはできません。どの時代であっても、私たちは目先の利害や損得、欲に呑まれてしまい本当の人間の幸福や豊かさの意味を忘れてしまいます。

そうならないように、お手本になること、そしてそうありたいと願う生き方の中にこそ真の教えはあります。今でこそ、宗教は何か学問とは別の信仰と区別されていますが本来は宗教は学校であり学問のもっとも磨き抜かれた道場でした。

その道場で学んだ教師、むかしは聖人といいましたが彼らが各地を巡り、どう生きることが人々の真の仕合せにつながっているかを初心を忘れないようにと伝法していたのです。そうやって、人が持つ地獄のような苦しみから解き放ち、手放すことを教え、共に実践し心と現世の幸福に導いたのでしょう。

しかし、実際にはどの時代にも人間は目先の欲に呑まれます。自戒として、最澄が「道心があるなかにこそ真の暮らしは存在する」といったのではないかと私は思うのです。

現代の人たちが理解しやすくしようとするとこの「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」の「衣食」を「仕事」という言葉に置き換えればピンと来るのではないかとも思います。

「道心の中に仕事あり、仕事の中に道心なし」

です。

仕事ばかりして生きていますが、その中に真の暮らしはあるのでしょうか。本来、人間は真に暮らしをしている中にこそ、本当の意味の仕事があるのではないでしょうか。志や理念、初心を忘れないで働く人は、暮らしをととのえて働いているでしょう。しかしそういうものを持たずに単にお金のためだけに仕事をしていたらそこに真の暮らしはないということです。

どの時代も、真理や普遍性というものは変わることはありません。しかし時代と共に、欲が形を変えていきますから私たちもまた先人に倣い対応していくしかありません。

最澄は、大乗仏教を唱え、能力のあるないにかかわらずすべての人々を救おうと志しました。そのため、誰にでもできること、特別な能力がなくてもどんな人でも救われる方法をその時代に突き詰めたのでしょう。それがこの一心戒文の中で感じ取ることができます。

私が「暮らしフルネス」を提唱し、実践し、それを弘めようとするのもまたこの道徳心を磨く、そして徳を積むことを誰でもできるようにして道心を甦生させようと発願したからです。

最後に、最澄のこの言葉で締めくくります。

「国宝とは何者ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす。故に古人曰く、経寸十枚、これ国宝にあらず。一隅を照らす。即ち此れ国宝なり」

道心ある人が国宝であると、徳を積み、道を歩む中にこそ平和と天国があります。宝とは、すべてこの真の暮らしの中にこそあるということです。

子どもたちのためにも、自分の志を生き、自分の道に専念していきたいと思います。

集大成

「集大成」という言葉があります。これは辞書では、多くのものを集めて、一つのまとまったものにすることとあります。この集大成の語源は、中国の孟子(もうし)の逸話や問答を集めた『孟子』巻10・万章章句下に記された言葉です。

「伯夷は、聖人の中でも清廉な者でした。伊尹は、聖人の中でもすべてに責任を感じる者でした。柳下恵は、聖人の中でも人との調和を大切にする者でした。孔子は、聖人の中でも、時勢にしたがう者でした。つまり、孔子は、彼らの「集大成」と言えます。

この集大成というのは、鐘を鳴らして磬などの玉や石製の楽器で演奏を終えることと同じです。鐘を鳴らすのは、曲のながれを始めること。そして、玉や石の楽器は、曲のながれを終えるということだからです。曲のながれを始めるのは智の仕事であり、曲のながれを終わらせるのは聖の仕事です。

智は、例えるなら弓を射る技術。聖は、例えるなら弓を引く力。百歩の距離から弓を射るとして矢が届くかどうかは、弓を引く力によるます。しかし矢が当たるかどうかは、引く力によるものではないのです。」

漢文だと「集大成」のところの文章は「孔子之謂集大成、集大成也者、金声而玉振之也、金声也者、始条理也、玉振之也者、終条理也」と書きます。つまり「孔子之謂集大成(孔子は之を集めて大成す)」と書いています。孔子はまさに多くの徳を集めて人生を大成した人物だと。

今まで、徳を実践し容どってきた人たちがいて孔子はそれを倣い、それを実践し、孔子が一つのまとまったものにしたということでしょう。

つまり孔子一人が完璧で全部もっていたのではなく、「繋がってきた徳を集めてまとめた」ということです。ここに私はとても大切な意味があると思うのです。以前、坂本龍馬が船中八策という新国家体制を起草したものがあります。これは坂本龍馬が出会った人たちからつむいだ言葉をまとめたものだともいえます。これがのちの明治政府の五箇条の御誓文になったといわれます。

そう考えると、みんなの遺志や生き方を真摯に学び聴いて実践しそれをどうまとめたかということに尽きます。「人は一人で何かを為すのではなく、みんながつながってその中で集大成によって為る」ということです。

私が今世で取り組んでいることも一つの集大成でもあります。

先人たちやご縁あった方々の遺志を尊重し、守り、育て、子どもたちの未来のために紡ぎ纏めて容にして伝承していきたいと思います。

 

原始の信仰

日本には今まで、独自の信仰形態がありました。それが修験道です。この修験道は、はじまりは山信仰からはじまったものですがそれが時代を経て様々な神様が融和して人々のこの世とあの世の境界の聖地としてそこで心を磨き精神を整える場として発展してきました。

神話や古事記、日本書紀の中でも、カミガミが山頂までいき修行を得て霊験を経ている話がたくさんあります。御神体が山そのものというのは、原始から続く私たちの信仰の形態でした。

それを明治に入り、神仏分離令というものを発令しことごとく山そのものが御神体という信仰形態を破壊していきました。その代表が修験道ということになります。この神仏分離令は、言い換えれば神仏習合を禁止するということです。

多神教を一神教に変えなさいという命令でもあります。明治のころは、海外の列強が日本を侵略しようとしてどうしても明治天皇を中心に国家を統一し直す必要があったのかもしれません。しかし今まで日本は、天皇一神教だった時代はなくずっと原始からの信仰形態をもっていた民族でした。

それが時代を経て、仏教を取り入れ、密教も融和し、他にも様々な叡智を山が包容して日本独自の神仏習合のカタチをつくってきたともいえます。そして、その信仰形態は私たちの伝統精神、伝統文化を育みました。

つまりいのちを重んじる自然崇拝です。

山はいのちが生まれてくる場所です。水が湧き、植物や木々が生え、森を形成し、生きものたちを誕生させます。そしてその山を中心に、山の周辺には豊かな暮らしの場が広がっていくのです。

山を守る、山を信仰することは、いのちを守ることであり私たちは自然と共生して里山のような循環型の暮らしを実現して今日まで心穏やかに永続する豊かさを手にしてきました。

現代、その信仰形態は破壊されたままで日本人の精神文化は別のものに入れ替えられてきているようにも感じます。それは身近な自然破壊の現状をみても明らかでしょう。

決して私は何か宗教的に正しいとか正しくないとか、宗派がどうかとかの話をしているのではありません。迷っているとき、大事な局面のときには原点回帰が必要と実感しているのです。

原点回帰すれば、私たちが今まで何を信じて暮らしてきたのかという先人からの初心に気づきなおせます。そしてそれは私たちの血肉になって文化として根付いていますから、その根から栄養を吸い上げられ元氣が湧いてくるのです。生きる力、いのちの源泉からの力を得ることができるように思うのです。

日本という国、いや日本という生き方がこれからの世界には必要です。資源が枯渇していのちが消えていく前に、私たちの役割を果たしていきたいと感じます。子どもたちのためにも、暮らしを甦生させていきたいと思います。

ブロックチェーンバレー

私はFBAというフクオカ・ブロックチェーン・アライアンスのボードメンバーでもあります。このFBAは、産学官民が連携したアライアンスで福岡県飯塚市を拠点に九州一円にあるブロックチェーン事業者とも連携し、あたらしい経済のあり方、豊かな生活をテクノロジーが支える時代を見据え、ブロックチェーンの拡大&展開を推進するために設立しました。

このフクオカ・ブロックチェーン・アライアンスでは、ブロックチェーンを基軸とした「人材育成」、 「企業誘致」、「創業支援」などを通じて、福岡県にブロックチェーンの産業クラスター(産業集積) 「ブロックチェーン・バレー」を形成し、世界に誇れる地域づくりを志して活動しています。

私の役割は、このブロックチェーンバレーなどを実現してこの場を整えていくことです。そのために世界中からブロックチェーン技術者や企業が集まる街の実現のために、様々な取り組みを行います。例えば、エンジニアが働く場所を自由に選び、より個人の成⻑を高める環境を自ら作り出すオフィスを持たない” 新しい働き方(暮らしフルネス)”の実現です。

私はブロックチェーンというのは、テクノロジーの名前ですが一つの思想を持っているとも思っています。よくブロックチェーンで使われるDAOはDecentralized Autonomous Organizationの頭文字をとった単語で「ダオ」といわれています。日本語では「自律分散型組織」と訳されることが多いものです。

この分散のところだけを使われ、分散型の働き方ばかりを取り立てることが多いように思います。しかし、私はこの自律分散型とは何かということを日本語にすべきではなかったかと思います。

自律というのは何か、それは真に自立して協力し合える関係が築けるということです。つまり自律=協力であり、真の自立は人々が支え合い助け合い豊かに見守りあうような社会を築いていくことをいいます。

それをテクノロジーの力を使って実現しようというのが、私のブロックチェーンの定義なのです。エンジニアではない私は、何ものなのかと思うことがあります。しかし本来、人間はカテゴリー分けできるほと単純なものではありません。

ある人はアーティストと名乗りながら、アーティスト風の職業をやる人のことをいうこともあります。偉い学者でも同じく、資格や立場があれば誰でもが学者です。こんなことをかくと批判とも思われるかもしれませんが、そうではなく大切なのはその本質が何かということを深く理解し、それを深堀りしつかみ取るように分かることが重要だと感じています。

この土地、この場所で、真に協力しあう風土や環境が仕上がっていくこと。それを人類のアップデートと共に、テクノロジーもアップデートさせようとしているのが私の試みであり挑戦でもあります。

少しずつ、同じ志の仲間が世界から集まってきています。子どもたちの未来は、私たちの人類の未来です。そこから逆算して、どうある世界がもっとも私たちが願う平和なのか。真摯に真向から取り組んでいきたいと思います。

子どもたちの未来に向けて

最近、カーボンニュートラルートラルや脱炭素社会という言葉をよく聞くと思います。これは地球温暖化の原因となる温室効果ガスの排出量を実質ゼロにしようとすることやその社会のことをいいます。

産業革命以降、40%も上昇した二酸化炭素の排出量があり地球温暖化が進んでいます。先進国が優先して取り組んだ京都議定書から発展途上国も参加したパリ協定、それをもってしても温暖化を止めることにはならない計算です。

なので5年ごとに、見直しをかけるとし昨年、日本からは「2050年を目途に、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする」という脱炭素社会への所信表明をしています。

具体的には二酸化炭素だけでなくメタンや一酸化炭素など、温室効果ガス全体の排出をゼロにするという内容でした。そこでカーボンニュートラルという言葉が出ます。このニュートラルというのは、CO2の排出量と吸収量を相殺してゼロにするものです。つまり「CO2実質ゼロ」だとここからいいます。

出したものを差し引きするという考え方です。余談ですが、先日お酒を飲んでいたときにお酒の量と同じ量のお水を飲めば血管や心臓に負担をかけないからいいと医者に言われた話がありました。プラスマイナスゼロのゼロが実質ゼロということでしょう。このカーボンニュートラルは、温室効果ガスの吸収、および除去量を排出量から差し引いた合計をゼロにすることで温室効果ガスの排出を実質的にゼロにする仕組みです。

また排出・廃棄物を最小限に抑えつつ資源を有効活用する循環型社会「ゼロエミッション」という言葉も誕生しました。この「ゼロエミッション」は産業活動から発生するものをゼロに近いものにするために最大限資源の有効活用を目指す理念のことをいいます。つまり、完全に循環して無駄が生まれない、日本では江戸時代に誕生していた循環型社会を実現しようとするものです。

ちなみにこの「ゼロエミッション(zeroemission)」の語源は、数字の0を表す「zero」と排出を表す「emission」を組み合わせた言葉の造語で排出ゼロ構想ともいわれ1994年に国連大学によって提唱されたものです。

難しく説明しましたが、結局はシンプルに言えば過剰な産業発展で傷んだ地球を思いやるためにそれぞれの国でちゃんと考えて新しい産業構造を構築してくださいという具合です。そこに、新しいゲームルールのようなものを設定しそれぞれで競い合って取り組みましょうというものです。取り組まないものには罰則や罰金などを制裁しますよという感じでしょうか。

世界を変えるという仕組みの一つに、構造全体を換えてしまうためのルールや法規制というものがあります。私は、別の仕組みとして原点回帰というものがあると思っています。本来の原点は何か、本質は何か、真の意味での豊かさや幸福さに気づき実践して変わろうというものです。

世の中は経済が最優先ですから前者を取ります、これも確かに分かりやすく欲望も活かそうという発想です。しかし、それだけでは片手落ちです。私は後者の真の意味でというのが大好きなので暮らしフルネスを提唱するのです。

今、全世界全人類が同じ課題に取り組む必要がでてきた時代でもあります。新しく懐かしい生き方、そして働き方、暮らし方を子どもたちの未来にむけてここから提案していきたいと思います。

暮らしフルネスの実践

現在、気候変動をはじめ環境問題は待ったなしで人類に大きな影響を与えています。もともとこのままでは環境破壊が自然の回復スピードを超えてしまうということはずっといわれ続けてきたことです。

言われはじめてからも人類の多くは聴き入れず、今のような時代にまで入ってきました。環境問題は人間の問題であるとはわかっていながらも具体的な解決策を外へ外へと求めては自分自身を変えようとは人間はなかなかしないものです。

それは自分一人が変わっても世界が変わらないと思っているからかもしれません。しかしそれは現象や物体に対しての影響のところだけで、実際には人間の意識や価値観、一人一人の中の変化がなければ最終的に世界が変わることもないのです。

一人一人の変化というのは、話を聞いて頭で理解しただけでわかるわけではありません。それはわかったという気にはなりますが、具体的な暮らしや生き方が変わっていかなければ結局は真の意味でわかることはないのです。

真の意味で自分が変わることが世界が変わることなのかと気づき理解するとき、人は自分自身のそれまでの人生を向き合う必要がでてきます。それは今まで自分が何をやってきたのか、いったい何を学んできたのかという大きな労苦との矛盾に出会います。人間はそれだけしてきた苦労を簡単に捨てることはありません。今更手放すことはとても大変なことなのです。なので人間は理解を線引きしとどめ、そこからの深い学びを止めてしまうように思うのです。人間が学びを止めるから、世界の変化もそこまでで止まってしまいます。これはとても悲しく残念なことです。そしてこれが環境問題がいつまでも真の意味で解決に向かわない根本原因でもあるように私は思います。

人間がその問題に素直に対応するためには、具体的な生き方や実践をみんなで一緒に取り組んでいく必要があります。そうやって今度は、意識をみんなで変化させていくのです。そのためにも学びを止めるわけにはいきません。

私が暮らしフルネスを提唱したのは、足るを知る暮らし、心が満ち足りた生き方をすることの実践が環境問題も解決すると確信したからです。人間が真の意味で心豊かであるのなら、この世の環境問題は発生しないことに気づいたからです。

人間が変わるということ、これ以外に世界が変わることはありません。そしてそれは誰かのせいにしたら永遠に変わりません。すべての環境問題が一人一人の意識の改革にあると気づき、具体的な暮らしを変えたときだけこの人類の文明は真の意味で平和に向かって転換するのです。

子どもたちの平和な未来のために、諦めずに暮らしフルネスの実践を楽しんでいきたいと思います。

心の器

器の大きな人がいます。この器というのは、何を器に載せるのかということでもあります。物理的に、巨大な器をつくってもそこに何を載せるかでまたその器の存在が変わってきます。つまり器というものは、その人そのものがもっている容量でもあります。

器の容量が物理的に小さければ載せることはできません。大は小を兼ねるものです。だからといって器が小さいことがよくないことはまったくありません。私の身近にある一輪挿しも、また小さなお皿もとても小さくて美しいものを載せることができます。

つまり言い換えるのなら、器の質そのものが器の本来の定義ということでしょう。

どんな人間であるかが、その器を示すということです。人間の器の大きい人というのは寛大であり人の善いところを観て、自分に責任を持ち、周囲を思いやることを忘れない人物ともいえます。

心が広い人、心が美しい人、心が綺麗な人、心が豊かな人には私はいつも器の質を感じます。人間は、器をどう磨いていくかでその載せれるものが変わってきます。載せようとしているものが神聖であればあるほどに、その器もまた深く透明に磨かれていくからです。

だからこそ器を磨くというのは、心を磨いていくことです。器が大きい人とは、心の大きい人ということです。

器とはつまり、心の器ということなのでしょう。

心を高めることで器を高め、心を磨くことで器を磨く。人は一生、この自分自身の器に責任をもって生きていく必要があります。それはこの一生に一度の人生に、自分が主人公として最期までやり遂げる存在でもあるからです。

器の大きな人とお会いするのは、仕合せです。

また再会を心から楽しみにしています。

一期一会の味わい

聴福庵で秋から冬の風情を楽しんでいると、色々な発見があります。もう5年目になりますが、毎年、味わい方が変化し豊かさが増していきます。暮らしが豊かになっていくというのは、当たり前の日々が味わい深いものになっていくということです。

遠方より朋来るまた楽しからずやという論語の言葉もあります。

コロナで出張もほとんどできず、家で過ごすことが増えましたがその分、たくさんの友人や同志たちが集まってきました。あらゆるジャンルのお仕事をしている人たちが来ては、あらゆるお話をしてくれます。

その中でもお酒を酌み交わし、石風呂を共にし、共に就寝し、共に暮らしを磨き合う関係はとてもかけがえのないものです。

素のままの姿で接していると、その人の本当の人柄が観えてきます。子どもに戻った時のように、みんな素直でいい人ばかりです。人間は、色々な立場や肩書などを背負って社会では頑張っている人が多いのですが素で人間同士で語り合う場があることは豊かな人生にとっても重要なことだと私は感じます。

そしてその豊かさは、豊かさに生きる人たちの傍にこそ存在するものです。

本当は何のために生きるのか、自分の存在とはどういうものかを日々に確かめてゆとりや余裕をもって確認していくことで仕合せを感じて暮らしを紡いでいくのが人間の素晴らしさでもあります。

忙しすぎる日々というのは、如何にもったいないことをしているのだろうかとも感じます。どんな瞬間瞬間であっても、人が人と結ばれ何かを分かち合えるというのは一期一会の味わいです。

子どもたちに真の豊かさをつないでいくためにも一期一会を楽しみながら、出会いと暮らしを結んでいきたいと思います。