暮らしフルネスの中では、よく掃除をします。掃除というよりもお手入れという言い方の方が多くしますが、これには色々な理由があります。また道具もむかしの日本の職人たちがつくった和帚を使います。現代は、箒も中国産や東南アジア産ですぐに壊れますが安いものがたくさんホームセンターで販売しています。便利ですがすぐに傷むのでどうしても使い捨てになります。さらには掃除機が普及したことで、余計にむかしの道具は消えています。日本で箒職人さんというのはほとんど見かけなくなりました。
手間暇かかる自然の道具は、時間も労力もそして技もいるので安い海外産が入ってくるとどうしても駆逐されていきます。畳なども同様です。しかし畳の時も同じで、伝統の和のものは本来は日本の風土を活かした風土と一体になった暮らしの中で循環する大切な暮らしそのものでした。
日本の暮らしを味わうためには、先人の生き方に倣いその先人の知恵を尊敬のままに活用することで感得できるものです。そういう意味で、掃除というものは知恵の宝庫です。
もともと掃除という言葉の由来を調べていると、中国からのものであることがわかります。この時の掃除は、廟の中を祓い清めるために行いました。もともと箒というという字も「ほうき」は「ははき」の音が変化したもので「ははき」は、古くは鳥の羽を用いたところから「羽掃き」となったとあります。その道具は棒の先端に細かい枝葉などを束ねて取り付けたものです。
これを「帚(そう)」と呼び、そこに酒をふりかけるなどして廟を神聖に保ちました。この字に竹を冠したものが「箒」でその異体字として「草」を冠した「菷」の字になりさらに「手」にとって廟の中を祓い清めたら「掃」となります。そして「掃除」の「除」は“あまねく”という意味で、神聖な場所を余すところなく掃き清めるということです。
特に禅宗では「一掃除二信心」というように掃除こそすべての修行の先であるともいわれます。和箒となると、神道ではもともと箒神(ははきがみ)という産神(うぐがみ、出産に関係のある神様)が宿ると信じられていました。古事記にも「玉箒(たまほうき)」や「帚持(ははきもち)」という言葉で表現され祭祀用の道具として用いられていました。
それだけ掃除や箒は、神聖なものということでしょう。仏教でも周利槃特といって掃除で悟りを開いた方がおられました。掃除という儀式や実践そのものが信仰の原点であるというのもよくわかります。
私も古民家甦生を通して、実際にやっているほとんどは掃除の実践です。本当に驚くほど、掃除とお手入れしかしていません。しかしそれが何よりも家が喜ぶことになり、自分も場も喜びます。
色々と情報化社会で便利でお金で何でも買える世の中になっていますが、掃除もメンテナンスや掃除屋さんに頼んでは強烈な薬品や業務用の掃除機やブロアーで吹き飛ばすようなことが盛んです。時短で効率優先というのは、掃除や和帚にそもそもの意味がなくなってしまえばそうなるのは当然です。
時代が変わっても、初心を忘れないこと、意味を場に留めることは伝統や伝承に関わる人たちの大切な責任と使命であろうとも私は思います。時代の流行や日々の喧騒に流されないように丁寧に暮らしを紡いでいきたいと思います。