傍流

以前、逆手塾の和田芳治さんから「傍流」であることの誇りについて教わったことがあります。まだ私がまちづくりをはじめて、右も左もわからず地域との馴染めず、どうあるべきかを悩んでいた時に聴福庵に来ていただきました。

傍流という言葉自体に馴染みがなく、どういう意味だろうとその時は思いましたが今思えばとても含蓄のある言葉だと感じています。

この傍流という意味は、いくつか解釈の仕方があります。本流から分かれた支流という意味、他には世の中には主流にはならずに本流で生きるという意味、誰もがうらやむような花形から逸れた場所で働く意味だったり、この「傍流」という言葉は生きる上では深い示唆があるように思います。

民俗学の宮本常一さんの著書の中で、傍流の言葉を用いた文書があります。私はこの傍流の解釈が、和田さんの語る傍流の解釈と同一であったのだろうと今なら思います。

「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況をみていくこ とだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしま う。その見落とされたもののなかにこそ大切なものがある。それを見つけていくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになるこ とだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものも多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまるばならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要を認められないときは黙ってしかも人の気にならないようにそこにいることだ」(宮本常一)

これはまさに私の人生にも同じ境遇を感じます。私も主流には興味がないようで、このまま傍流を究める方へと進んでいく気がしています。和田芳治さんは、逆手塾の中でこのように述べていました。

『「私は傍流」と悟り、「しかし、いつまでも傍流ではおもしろくない。いつか主流になろう」と密かに野心を燃やし続けてきた。ただし「主流のものさしに合わせていたらいつまで経っても輝けない」と気づき、勝手に「傍流のものさし」をつくり、それに合うアイデアを出し、その具現のために汗を流し続けた。「傍流のものさし」の一番手は「金よりも大切なものがある」。武器は「レクリエーション」であり、「遊び半分」(馬鹿にされているものが輝くと、人からおもしろがってもらえる)ことだ。「逆境」を嘆いたり、親や人のせい、社会や政治のせいにするのではなく、「おもしろがればなんだっておもしろい」と、その解決のために営むことを、支援してくれる人が増えたのです。』

経済合理性の追求や、花形でスポットライトを浴びることだけが輝くことではありません。輝くというのは、傍流にいてはじめて輝くものがあります。英語にもアンサンヒーローという言葉もあります。縁の下の力持ちという意味です。

傍流は、決して主流や本流から離れたものではありません。縁の下から支えて周囲を輝かせるという存在です。

カグヤという会社は、月の会社であり、陰徳を目指すものです。

このまま傍流にいて、子どもたちのいのちを輝かせていきたいと思います。

懐かしい美しさ ~大和魂の甦生~

日本には、懐かしい風景があちこちに遺っています。この懐かしい風景とは何か、そして何を懐かしいと思うのか、ここにきてようやく一つの答えが出てきました。

それは古代より連綿と続くいのちのリレーの中で、私たちの先祖が深く愛し続けたものであるということです。

昨日は、林業を甦生し自然資本という考えを実践している方にお会いしました。共感しながら、周囲の山林や原風景を眺めていると懐かしい風景に心が惹かれます。私は懐かしい人に会ったりするときはご縁を感じ、懐かしい道具たちに触れたときは手入れしてまた使いたいと思い、そして懐かしいいのちに出会うと甦生させて一緒に寿命を味わいたいと感じます。

この懐かしさとは、私の実践するかんながらの道と深く結ばれている感覚です。

日本には、美しいものがたくさんあります。それは動植物、昆虫たち、山林や海、里の景観の中であらゆる暮らしの中に見てとれます。この暮らしを守り愛した人たちの面影が美しさの中に輝きます。

懐かしい美しさというものは、何処からくるのか。

それは日本を深く愛した人たちの心から訪れます。それは決してモノだけではありません、心や魂、生き方もまた存在します。日本人が道徳として人々の行動が美しく、またその姿に感銘を受けて共感するのはかつての日本の先祖たちが大切に愛してきた姿だったことに他なりません。

私が古民家甦生や伝統行事の甦生、そしてむかしの田んぼの甦生、街道の甦生、暮らしの甦生などあらゆる甦生に関わるのは、この懐かしい面影を守り次世代へとつないでいきたいからです。

懐かしさと美しさは、人々の心を深く温めます。

現代、世界は米中の確執をはじめ、あちこちの国で経済破綻が恐慌の足音が聞こえはじめたこともありなんとなく陰鬱とした雰囲気が漂いはじめています。戦争は、先に戦争が起きるのではなく心の荒廃によって戦争が引き起こされていきます。

心の荒廃はぬくもりの消えたつめたさから来るものですから、心をあたためてぬくもりをみんなで感じる豊かさ、大和魂に回帰していく必要があります。そのためにも先祖の生き方の集積、その遺徳でもある懐かしい美しさに触れ自らを磨き甦生させていく必要があるのです。その上で、子どもたちがその大和魂を発揮させる「場」(舞台)を用意しなければなりません。

私の取り組む「場道」は、この大和魂を甦生する場であり、大和人を育成し醸成する場でもあるのです。場をつくり場を譲ることは次世代のための本命であり志事であるのは当代を生きる人たちは必ず最期はみなその道にたどり着くはずです。

子どもたちが安心して暮らしていける世の中にするために、目の前の一歩を大切に過ごしていきたいと思います。

学問の本懐

人間はそれぞれに宿命があり、自分のいのちの目的に向かって自然に歩んでいくものです。その手段は、運命もありそれぞれに異なりますが目指している夢が近い人たちとめぐり逢うことで自ずから天命を悟っていくように思います。

人は毎日、他人と出会い、自分と出会い、自己と出会います。どの瞬間にも同行二人であり、混然一体の一人と歩みます。

魂の不思議というものは、離れていても一緒にいて、別々になっても一体であることです。これは意識の世界、無意識の世界、その両面において私たちはつながっているという事実を実感するときに感じるものです。

自然界も同様に、すべてのものは有機的につながり一つの生命体を示しています。早朝、目が覚めれば日が昇るまでに様々な鳥の鳴き声がありとあらゆる場所から聞こえてきます。

鳥たちは共鳴し、ひとつの自然を謳歌します。

これは何千年も何万年も繰り返し、行われてきたものです。私たちは自然が持続する理由をどう直観するのでしょうか。当たり前に存在しているものに対しては、それは当然なくならないと信じ込んでいるものです。しかし、自分の一生だけで限定してみればそう感じたものでも、諸行無常の真理は普遍です。

いつの日か、必ずそれは終息しまた新たな息吹をはじめます。

生々流転し、万物流転しますが、いのちは永遠に存在し続けます。それは空気がそこにあるように、その空気が生きているように、私たちは気体として目には見えないその空間の妙の中にいのちの本体を持っているからです。

こんなことを書くと世の中では宗教やオカルトなどと騒ぎます。しかし果たして本当にそうでしょうか。自分の感覚を極限まで研ぎ澄ましていけば、目には見えない世界に触れられ、さらには脳が使っていない感覚を呼び覚まして不思議な力を発揮することもあります。

科学でしか語れない世の中とは如何に不便で否効果的なものかと感じるはずです、科学も宗教も事実には敵いません。事実がそこにあり、真実があるのなら、それを直視して深めるというのは自然に生きる私たちの智慧であり、そこを正しく判断することで子孫へどうあるべきかを当代を生きる使命がある私たちが果たすことです。

子どもたちは、私たちの世代がどう生きたかで次の舞台を推譲していくことができます。先祖を省みて、あの代の先祖は偉大だったと感じる世代があります。そういう世代に私たちがなるべきです。だからこそ一人一人が小我を超えて大我を目指そうという話です。これは宗教ではなく、生きる道であり学問の本懐だと私は思います。

引き続き、学問の本懐を成し遂げられるように脚下の実践を楽しんでいきたいと思います。

先祖になる、元氣になる

日本人は、先祖になることを特別なことのように大切にしてきた民族であったといいます。そもそも先祖になるというのは、元々の存在になるというように定義していたように思います。

人は生まれては必ず死にますが、生まれてすぐの子どもたちのような純粋無垢な姿から次第に色々な垢がついて自分というものの本体を忘れていくものです。それが死んでしまうことで成仏しまた純粋無垢な神様になります。

つまりは神様とは純粋無垢であり、あるがままの素直な姿、そしてそれが先祖だったという具合に定義しているようにも感じるのです。この純粋無垢な魂のことを和魂と呼んでいたように思います。生きていれば、色々な穢れが纏ってきます。その穢れは、執着でもありこの世での知識や思考などがそれになります。

そうなると、荒魂といってこの世の姿を映します。それを死後、取り除くのは子孫の供養や祈りによって祓われていき元の純粋無垢なものへと変化します。自分という個体と、先祖の一部という神様になった姿。神様が分かれたというのは、先祖が子孫になったということでもあります。

氏神様というのは、子孫の元の姿、先祖の姿ということになりそれがはじまりの姿ということになります。私たちは、はじまりの姿から分岐し続けて今の姿になっていますが元は同じです。

この元が同じであることを神様と呼び、人は死して神様になるというのは元の純粋無垢な姿になるという意味です。生きながらにして神と呼ばれるものたちは、純粋無垢な姿を現世でも実現させておりまるで先祖そのものような生き方を体現した方のことを言うように思います。

私は感覚的なタイプですが、深めるのが好きなので気が付くと生と死、神と先祖、そういうものがそもそも同一であり比較するものではなく前後し合っているような事実にばかり出会います。もとの姿は、みんな一つであり、二つの性質が混然一体になって和するのがいのちの本体というのはわかります。

先祖を大切にするのは、私たちの元の姿を大切にしていくということです。そして先祖になるというのは、また元の姿に回帰するということです。生と死とは常にそのことを自覚させるものであり、私たちは日々に先祖に祈ることで元になっていくのです。

この元になることが気であり、元氣になるというのは穢れが取り払われて元通りの純粋無垢な魂に回帰したということをいうのでしょう。元氣であるというのは、生きてときも死んでいるときも大切なことです。

いつまでも子孫たちが元氣でいられるように、先祖を大切にして恩に報いて祈り続けていきたいと思います。

家と主人

昨日、千葉県白子町の江戸末期からある名主さんの古民家を拝見するご縁をいただきました。人に品格があるように、家にも品格があります。そしてその人物の品格には徳が備わっており、その徳はもちろん家にも同様に備わっています。その徳は、先祖から連綿とつなげて積み重ねてきた善行の循環によって子孫へと伝承されていくものです。

家は、代々主人が代わっていきますがその主人を守るのは家の意志でもあります。家は主人を養育し薫風しながらその家格にあった主人を見守り育てます。

私にとっての古民家は先祖であり両親であり徳祖でもあります。この家の修繕というものは、代々の主人が行うものです。自然界には「相利共生」というものがあります。これは生物間の共生者の双方が互いに生活上の利益を受ける関係をいいます。

たとえば、ヤドカリの入っている貝殻に付着するイソギンチャクはヤドカリの移動によって摂食の機会が増加し、ヤドカリはイソギンチャクの刺細胞の毒によって外敵から保護される関係だったり、他にも弱さをうまく補い合い、強さを利用し合うしたたかな関係を築いています。

一緒に生き残るためには、なんでも活かそうとする。お互いに利害が一致して助け合う関係のことです。これは厳しい自然を生きるために互いにとってきた戦略です。同時にお互いのどちらかがいなくなれば生きていくことができない種を超えた強い絆を持っているのです。

私にとって古民家は単なる共生の支え合い助け合う関係を超えて、相利関係に近いものがあるように感じています。私が磨くことで、家も磨かれる。家が磨かれることで私も磨かれる。その結果として徳が磨かれお互いに生活上の利益を享受しあうことができるのです。

私が家をパートナーと呼ぶのは、この相利関係を持っているからかもしれません。したたかな力は生きる力です。そのままにしていたら朽ちてしまう徳も、しっかりと引き出し合いその先祖の善行や子孫への推譲をしっかりと結んでいこうとするのは私たち人類の親祖の代からの生存戦略なのです。

明治以降、歪んだ個人主義を押し付けられ時間の奴隷のような生活をしても目標達成のためにここまでこの国を発展させてきました。

しかし果たしてこのままでいいのでしょうか、もう充分でしょう。

もう充分と思ったのなら、私たちは生き方や暮らし方を換えなければならないのです。それが生存戦略であり、未来の子どもたちを守ることになるのです。家が主人を見守るように、私たちは子どもを見守る必要があるのです。

まだ間に合いますから、気づいた人、醒めた人は行動を起こすべきです。

私も今、できることを真摯に取り組み、周囲がいかに可笑しなことをしていると変人ように思われようと信念をもって子どもたちのためにできることから変革していこうと取り組んでいます。

共生のかたちは、自然界の常識です。コロナ後のニューノーマルというのなら、もういちど自然から学び直すことからはじめていくことだと私は思います。子どものために大切なご縁を感じ取って結んでいきたいと思います。どのような物語になるのか、まだわかりませんが未来が楽しみです。

こころ豊かな時間

昨日は、久しぶりに千葉県神崎にある「むかしの田んぼ」にみんなで集まり団欒を楽しみました。今年は、とても稲が元氣でほとんど草取りもなくすくすくと育っています。

世の中の田んぼは、栄養を豊富に与えて育っていますから稲が緑で青々としています。それに比べうちのむかしの田んぼは無肥料無農薬ですから黄緑がかっていています。一見すると、栄養不足のように思われますが人間でいえば欧米人のようにがっちり体形ではありませんがすらっとしていて無駄なところが一切ない健康的なむかしの日本人の体形のようです。

お米も大きさや形などすべて小ぶりですが、味は深みと厚みと清々しさがありとても美味しいお米ができあがります。美味しいお米とは何か、この美味しいという定義も他人によって異なりますが本来の美味しいはやっぱり魂が喜び合うようなプロセスを経過したものたちの協奏によって得られる境地のように私は思います。

ただ舌先三寸だけを美味しくする技術でできたいのちは、長続きもせず心から美味しいとは思いません。しかしそれを魂が喜び心から美味しくする技術でできたいのちであれば永遠に美味しいと感じ続けるのです。それは記憶の中にいつまでも遺りますし、そのいのちは永遠のカタチにまで昇華されいのちを折り重ねます。

私たちは結果を焦り、成果を求めるばかり、大切なプロセスを省くようになってきました。効率優先、収量優先、利益優先の考え方では手間暇をかけたりいのちが喜んだりすることは非効率であり、不利益だとさえ思うようになりました。

しかし、それはいのちを無視した生き方であり本来自然の一部であった人間としての姿からほど遠いものです。むかしは、いのちを大切に使っていきました。それはみんなのいのちがどうやったら喜ぶか、そしていのちの大切さをいつも感じながら味わいながらこの世での生を一生懸命に謳歌していました。

一度きりの人生だからこそ悔いのないように、すべてのいのちと共鳴し合い、すべての時間を惜しむように使い切っていました。現代は時間に追われ、いのちを無視して経済活動にみんな没頭しています。休みといえば経済活動を別の形で補填しているだけで文化的な暮らしの喜びを味わうこともしなくなりました。

私たちがこの「むかしの田んぼ」に取り組むのは、暮らしフルネスの一環であり如何に人生を充ちたりて実るものにするか、そのためにどう生きるのかを田んぼを使って示しているものです。

私たちの田んぼは、いのちがイキイキとしています。ありとあらゆるいのちが躍動し合い、暮らしを支え合っていきています。そしてその生きものがいっぱいの田んぼの中で稲が仕合せに育っています。こんな理想の社會を田んぼで実現させ、私たちはそのお米を大切に料理してみんなでその瞬間を味わいます。

こころ豊かな時間です。

いのちは、このこころ豊かな時間を養分にしてすくすくと仕合せに育っていきます。このことを子どもたちに伝承したいと祈り、私たちはこのむかしの田んぼを実践しているのです。

いつまでも永遠に大切だったことまで変えてしまうことは決して仕合せなことではありません。世の中がいくら流行で変化したとしても、変わってしまってはならない永遠があります。その永遠はいのちのことで、いのちはいつまでもいのちのままに喜ばせ輝かせていくためにみんなで協力し合う必要があります。人間が人間らしく人間のままで生きるためにもこれは人間で生まれた私たちの本命なのです。

子どもたちがいつまでもこころ豊かな時間を生きていけるようにむかしの田んぼと共に見守り続けたいと思います。

 

功徳の支援

昨日、あるご縁から仏教の伝来と共に日本に入ってきた「仏説温室洗浴衆僧経」というお経があることを知りました。これは仏陀が沐浴の功徳を説いたもので、これがのちに日本の文化と融合し発展を続けて今の日本伝統の湯浴み文化に繋がっていることを知りました。

以前、深めた時には重源上人が石風呂をつくったことが調べて書きましたが確かになぜお寺で温浴をここまで弘めていくのだろうかということに気づいていませんでしたがそれはお経によってその意味や価値が明確だったことに改めて気づきました。
この「仏説温室洗浴衆僧経」をさらに深めてみようと思います。

このお経には、温浴には7つの道具、7つの福徳があると記されています。具体的な7つの道具とは、『「然火」(ねんか)=薪や炭、「浄水」(じょうすい)=清浄な水 、澡豆(そうず)=豆類で作った洗顔用の洗い粉のことで洗剤や石鹸のようなもの、「蘇膏」(そこう)…樹脂や牛、羊の脂から作った皮膚をすべすべにする栄養クリーム。「淳灰」(じゅんかい)=樹木の灰汁のことで洗髪する洗剤のようなもの、「楊枝」(ようじ)=楊柳の枝をほぐした今でいう歯ブラシのようなもの、「内衣」(ないい)=浴衣やタオルのようなもの。』の7つを指しました。

そしてこれらの功徳としては、・四大(地・水・火・風の体の構成元素)が安隠となり。 ・風邪のように痺れや痛みが移動する病が治る。 ・湿気の高まりでうずく病が癒される。 ・寒さを起因とする病、冷え性などが治る。 ・熱が下がる。 ・垢が除かれ清潔になる。 ・心身が軽くなり、目がはっきりする。といわれます。

仏教のこの沐浴の功徳によって以上の7つの病気が治ると信じられてきたのです。その功徳を施すために僧侶たちは、自らを清めるだけなく民衆に沐浴の場を設け、修行の一環としてそれを手伝うための「功徳湯」というものが誕生したのです。東大寺の大湯屋もまたその一つであり、重源上人の石湯もまたその一つです。

日本人はもともと神道に穢れを祓い清める思想がありますから、この仏教伝来のお経のこともすぐに理解していきました。空海が、全国各地に温泉を開きその功徳によって穢れを祓うことを進めたのもまたこの日本の伝統文化の融合のように思います。
それからこの水蒸気による温室と水や湯で洗う浴室という二つの仕組みは、世の中の人々の荒んだ心や穢れや体の病を払うための功徳になってどの時代も効果を発揮していくのです。

私が創造した祐徳大湯殿もまたこの功徳湯を施すためのものです。人々の荒んだ心が癒され、暮らしから遠ざかった人たちが元の元気な姿、心安らかな豊かで安寧の時間を過ごし本来の人間らしいゆとりや余裕を持てるようにと場を整えるためのものです。

今の時代、本当に変革すべきは暮らし方であるのは自明の理です。人間の徳を顕すためには功徳の支援が必要です。あの時代は、僧侶が行っていましたが今の時代は徳を積みたいという方々によってそれが行われていくはずです。

子どもたちに日本人としての心穏やかな暮らしがいつまでも伝承されていくように私ができることをゆっくり急いで展開していきたいと思います。

自然と野生

コロナの関係で今年の3月の初旬から郷里の福岡で過ごして今週ようやく東京に戻ってきました。急に東京都の自粛要請があり動くことができなくなったので、マンションには戻れず植物たちがどうなっているのかずっと気になっていました。

戻ってくると、部屋の観葉植物はもともと元氣がなかったのですがやっぱり枯れてしまいました。しかしベランダの植物たちはみんな元氣で青々としています。ビオトープも以前と同様にしっかりと定着しており生命力を感じました。

水やりを定期的にしていましたから、ひょっとしたら枯れてしまうのではないかと思っていたのですがベランダの植物たちは大自然と空を通してつながっており充分に生きていく力が備わっていました。

そう考えると、すべての生き物は外を通して自然と結びあっていて自然の循環の中に入り共生しています。都会にいてもこの自然とのつながりを感じられることは有難く、ベランダを眺めるたびに自然の恩恵の偉大さを感じ直すばかりです。

その中の植物の一つに、楠があります。この楠は、ある巨樹の実生を持ち帰ったものでもう6年目に入るものです。現在は、120センチくらいまで伸びていますが不思議なことが起きていました。

今までの樹木の幹や枝が、水分が足りなかったことにより枯れておりその隣から同じ高さの樹が立ち上がっていたのです。つまりは、一度枯れてその隣から新しい樹木を再生させたのです。

今までの環境に適応してきた樹木ではなく、これから環境に適応する樹木として甦生する。今までは私が水やりをすることで、それに応じた樹木でしたが水やりができなくなることでそれに応じた樹木となったのです。

不思議と枝や葉のつきかたがバランスもよくなり、瑞々しい輪郭を描いて成長しています。

人の手が入ることと、人の手が入らないこと。

この二つの関係性の間には、とても大きな差異があります。人によって活かされる生きものと、人によらずに活かされるもの。人工と野生といってもいいかもしれませんが、私たちは人工というものを手に入れることによって発展もしましたが弱体化もしてきました。そして野生を取り戻すことで環境に適応して生命力を磨き上げていきました。

これらの間には、自然との深いつながり方やかかわり方があり、そしてそれを調和する暮らし方というものがあります。私は暮らしフルネスを実践するものですから、この辺のことは小さな差異の話であっても偉大な差異の話しになります。

如何にいのちを高めていくかというとき、私たちは自分の中に自然とのつながりをより強く厚く逞しく結ぶ必要があります。この世で生き残るためには、生命力を漲らせていく必要があります。

子どもたちがこれからの不確実な世の中で、いのちを一人一人が輝かせることができるようにその環境や場をつくり整えていきたいと思います。

世界平和の素

最近、アメリカを中心に人種差別のことで世界ではデモが発生しています。この問題は、ずっと続いてきたもので今にはじまったことではありません。なぜこのような差別が発生するのか、改めて他人事ではなく私たち日本人もこのようなことが発生していることに向き合う必要があるように思います。

実は、第一次第二次世界大戦も、そして今度発生するかもしれない第三次世界大戦もその根底と根源にはこの人種差別の問題が関わっているからです。

人類はただ利害関係だけで戦争しているのではありません。そうであれば、利害のところで勝敗が決まりそれで話が収まるものです。それが収まらずに大量虐殺や人権を無視した残虐な行為に発展するのはこの人種差別というものの本質が戦争を過剰にし人間が人間の心を捨ててしまうような乱暴で残虐な存在に仕立てていくからです。

これは私の洞察ですから報道などに書かれることはありませんが、私は悲惨な戦争はほぼすべてこの人間の差別という価値観が巻き起こしていると確信しています。

そもそも差別とは何か、辞書を引くと「 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」」(goo辞書)には記されます。

つまり何かと比べて差をつけること、この差は意図的に優劣をつけてそのものを平等に扱わないことです。さらに、人種差別という言葉はwikipediaにはこう記されます・

「人種差別や民族差別は古くから存在する。古代ギリシア人のバルバロイや中華思想などに見られるように、しばしば自民族中心主義の裏となって表れる。19世紀の西欧諸国では植民地交易を正当化するために人種差別が科学と結びつけられ、社会進化論や優生学を援用した疑似科学に根拠を置くイデオロギーとなった。このような人種主義や植民地主義に基づき先住民族の迫害や、アフリカの黒人を対象とした奴隷貿易・奴隷制が実施された。近代以降は戦争や民族主義の台頭、独立運動への抑圧などによって様々な迫害や差別が表面化した。1930年代のドイツに登場したナチスはユダヤ人、ロマなどの差別・迫害を正当化する極端な人種差別政策を実施した(ナチズム、ホロコースト)。アメリカ合衆国や南アフリカに見られた有色人種への差別政策は徐々に解消されていったが、近年は民族紛争、テロ、難民・移民の増加を背景とした特定の民族・宗教への排斥を正当化しようとする極右思想や排外主義が見られる。」

つまり特定の存在以外は、生き物とも思わないようになっていく。つまり物が単なるモノ化していくように存在そのものを心で扱わなくなっていくのに似ています。消費う一つの材料のようにゴミのように扱い、そのものの歴史や文化やそれまでのプロセスを排除してしまうのです。

不思議なことですが、元は同じ人間からはじまりそれが世界を旅していく過程で白人や黒人、黄色人と肌の色が変わっていきました。もともとは同じ人間であったものが、今では肌の色の違い、少数民族かどうかで徹底的に差別し合っています。

こんなことがなぜ起きるのか、そしてそれが発展して悲惨な戦争や略奪、奴隷など同じ人間とは思えないように不当な扱いをしていきます。幼いころから、教育により刷り込まれ、偏見を持たされ、その上で不当に扱ってもいいという常識を練りこんでいく。

こんなことがひとたびはじまれば、同じ人間であるのに同じ人間に扱わないという人間が出てくるのは自明の理です。そもそもいのちはすべて対等で平等であり、私たちは異文化理解を含め、共感も共生もすべてそこから起点に広がるものです。その起点が消えてしまえばどうなるのか、独裁的に独断的に権力が横行するのです。

権力によって何かを統一するのに、この差別は常にセットで存在します。差別をなくそうというのは、権力をなくそうとすることと同じですからなくならないのです。

世界は今、大きな岐路に向き合っています。この岐路が果たして未来をどうかえるのか、今、私たちの世代は試されています。改めて私たちも子どもの会社ですから、この問題を素通りする気もありません。

人間の心に安心と安寧をあたえ、世界の平和が末永く続いていくように差別を取り払うために具体的な形を世の中に示していきたいと思います。

異文化理解

異文化を理解していくというのは、世界がボーダレス化していく中ではとても大切なことです。私も以前、留学をしており海外で暮らし仕事をする機会が長くありましたから異文化理解の価値を学んだことがあります。

この異文化とは、異国の文化ということではなく自分以外の文化に触れるということを指すように思います。自分の生き方を自分の文化と仮定して、それまでの自分自身の生き方ではない全く異なった世界を理解していくということです。

人間は、与えられた環境や世の中の常識の影響を多大に受けて生き方が異なっていくものです。ある人にとっては当たり前の常識が、またある人にとっては考えられないほどに異常に感じるものです。

この異常に感じるものを当たり前に取り組んでいる人のところにもしもひとたび入ってしまえばカルチャーショックというか今までの自分の生き方や文化を変えるほどの影響を受けることがあります。

人間は、それぞれの中に文化が持ち、長い時間をかけて醸成してきました。その中で、その民族が丁寧に紡ぎ、大切にしてきた生き方というものがその国の伝統文化ということです。

その伝統文化がなぜ価値があるのか、それはそれだけの生き方を連綿とつなげて続けてきた人たちの存在があったからです。その存在が、長い時間をかけて将来のみんなが憧れる立派なクニにしようと目標を定めて弛まず努力を積み重ねていきました。今の私たちの日本が、優しく感謝で謙虚な人や、素直で明るく正直に生きていこうといった徳目を持った人が多いのもまたかつての日本人が生き方を文化にまで高めてここまで紡いできたものが定着しているからです。

私たちはそういう生き方をしてきたけれど、海外や別の場所、そして別の生き方をしてきた人はまた今までどう生きてきたのかを理解することもまた異文化を知ることです。世界が一つになっていくなかで、世界の人々がどのロールモデルをお手本にして世界のクニづくりに活用するのか。それが時代の要請をうけてこれから本格化していきます。

その時まさに日本人は一体、今までどんな生き方をしてきたか。そして異国の人はどんな生き方をしてきたか。その善いところをみんなで異文化理解をしあって取り入れあって世界をこれからどのような憧れるクニにしていくかを高め合い磨き合い学び合い語り合う時代に入ったのです。

子どもたちが世界で活躍できる場をつくるためには、伝統文化によるアイデンティティをもって異文化理解をできる人材を育てていく必要があります。自分の文化を理解できる人は、他人の文化も同時に理解できるようになるものです。

子どもたちが将来、安心して世界の一員として世界をよりよく住みやすい場所にしていけるように祈る気持ちで伝統を継承して場を用意していきたいと思います。