天敵と不快

庭木の剪定をしていると、様々な毛虫がいてその毒による皮膚炎になることがあります。毎回毎回、つい暑いからと素肌の出たままの洋服でやってしまいその後に皮膚炎になり痒い思いをするのですがなぜか予防することを忘れてしまいます。

この毛虫は、蝶や蛾の幼虫ですが卵から成虫になるまでの間に何十万もの毒針毛を持ちます。特に身近でよく私が被害を受けるのはチャドクガで、この幼虫の毒針毛はわずか0.1ミリの微細な毒針で、幼虫が持つ毒針は50万本あるともいいます。

この毛虫ですが一般的に毛が多いものを「毛虫」、毛が少ないものを「いも虫」と呼ぶことが多いようですが、明確な線引はされていないようです。

それに日本に記録されているだけでも数千もありますが毛虫はその中でも数が少なく2割程しかありません。その20パーセントの毛虫のうち、人を刺すなど害のある「毒毛虫」はそこからまた2パーセント程度しかいません。

しかし身近にいつもこの毒毛虫がいるというのは、日本人が身近で愛でる植栽や樹木と共にこの毒毛虫が広がっているということかもしれません。種別の量よりも、実際に身近に存在する量の方が多く感じますから私にとってはこの毒毛虫のチャドクガやイラガの方が年中見かけます。

これらの蛾の天敵は、寄生蜂や蠅、スズメバチや鳥ですがそれらは毒は関係がありません、むしろこの毛虫の毒針は人間に影響がありますからひょっとしたら人間対策なのかもしれません。

なぜその昆虫が発達の過程で毒をもつようになったのか、まだまだ未解明な部分がたくさんあります。天敵が不快と思えるような姿に進化していくことで、食べられないように工夫してきたのでしょう。

そう考えると、人間にとって不快と思えるような生きものや昆虫などが人間のことを天敵と思っているのかもしれません。

身近な自然から学び、子どもたちに一緒に生きてきた生物たちの智慧を伝承していきたいと思います。

 

e-ZUKA Tech Night

昨日は、故郷で一緒に協力している友人たちの会社の実施する「e-ZUKA Tech Night」に参加してきました。すでに49回の開催の歴史があり、場の雰囲気の中に当時から連綿と続いてきている初志を感じることができました。

過去のアーカイブを読んでいたら「飯塚から世界へ!をキーワードにソフトウェア技術者たちが集結し、テクノロジーについてディープに語り合う場、e-ZUKA Tech Night。」と書かれている文章がありました。

実際に参加すると、単なる技術的な話だけではなく若い技術者を温かく見守り育成していこうという雰囲気に包まれていました。九州工業大学や近畿大学の教授の先生や、生徒たちも参加していたり、専門学校や社会人まで、自由に参加し一生懸命にそれぞれのプレゼンテーションや自分の研究発表、ライトニングトークなどを熱心に温かい雰囲気で笑いあり、感動ありで一緒に学び合っていました。

この友人の会社の創業メンバーだった故高橋剛さんがはじめてコツコツと取り組まれてきたイベントですがそこから大勢の人たちが学び巣立って日本、また世界で活躍しています。まさに飯塚から世界への言葉通りに、若い技術者たちが志を持って技術を学び思いをつなげてくれています。

「何のために技術を学ぶのか。」

故高橋剛さんが私たちにそれを語りかけてくる気がします。彼は「コードに魂が宿る」とも言っていましたが、そこに日本の、いや、日本人のモノづくりの原点を感じます。

人格を磨いた人間が、人間を修め、善き技術によって世界をさらに今よりも美しく豊かにしていくということ。大切なのは、その技術を用いる側も、育てる側も、守る側も技術者たちだということ。

彼の志に触れることで、若い人たちはますます技術者であることに誇りと自信を持っていきます。彼は志半ばで斃れましたが、その遺志は彼の仲間たちや教え子たち、有人たちが受け継いでくれています。

私も現在、故高橋剛さんの遺志を実現するための学校を創っている最中ですが想いや雰囲気を感じる取ることができました。私も自分の場で純粋な想いと共に彼の遺志と共に飯塚から世界へ挑戦していきたいと思います。

 

産業の本質

かつて「近代日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一がいます。この人物は意欲ある有能な人材の後ろ盾になって500を超える会社の創設にかかわっています。現在でいうスタートアップするための応援を行った人物とも言えます。

このスタートアップという言葉は、日本のビジネスの場では「立ち上げ」や「起業」などの意味で使われています。そしてビジネスの場で使うスタートアップという言葉はアメリカのシリコンバレーからきたものだといわれます。

日本国内では「比較的新しいビジネスで急成長し、市場開拓フェーズにある企業や事業」として使われているといいます。スタートアップは単に新しいと言うだけでなく「世の中に新しい価値をプラスし、人びとの役に立つ」ことが前提になっています。そこにイノベーションや社会貢献を目的にしているかというのがスタートアップと定義されます。

またよくスタートアップと比べられる言葉にベンチャーというものもありますが、これはVenture Capitalなど投資をする企業や人のことを指すといいます。日本でいうベンチャーは、和製英語になっていて新しい技術や知識を軸に、大企業では実施しずらい小回りの効く経営や、思い切った決断をする中小企業のこと指しています。

そのどちらも大切なのは、それを起業する人物たちです。

どのような人たちが何をするのか、その人物を見極めてその人物が正しく産業を興し人類の真の発達に貢献する人たちにする。それを渋沢栄一は、保育したように思うのです。このような人物が明治国家誕生のための父たち(ファーザーズ)を育てました。

例えば、製茶の父や、養蚕の父、製糸業の父など、ファーザーズを誕生させていったのです。今の日本の産業が発展したのは、この明治の国造りのときに活躍したスタートアップやベンチャーの志士たちを見抜き、そこに偉大なインスピレーションやアドバイス、バックアップを行ったことで実現したのです。

個々の業績ばかりに注目されていますが、実際には人間を教育し育て、そして保育し、その人物が国家や世界のために活躍するように導いた人物があったから日本をはじめ世界の産業が発達したのでしょう。

目的が明確になっているからこそ、スタートアップもベンチャーもその本質が実現するのでしょう。道徳と経済の一致、論語と算盤を説いて経営者を導いてきた渋沢栄一の生き方にとても共感します。

最後に、渋沢栄一から学んだ言葉です。

「人生の行路は様々で、時に善人が悪人に敗けたごとく見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつくものである。悪いことの習慣を多く持つものは悪人となり、良いことの習慣を多くつけている人は善人となる。」

すべては原点、何のためにやるのかがあっての企業であることを、子どもたちに伝承していきたいと思います。

初心と御誓文

創始理念というものを甦生するのに、明治期に行われたものがあります。これは明治天皇が即位した際に御誓文の中で行われました。代々、日本という国の先人たちがどのような理念であったか、それに鑑み自ら初心を明確に示したのが御誓文です。

これがのちのち五箇条の御誓文と呼ばれますが、古今に通じる国家理念であることがわかります。聖徳太子の十七条の憲法も同様に、自ら初心の実践を明確に内外に打ち出したともいえるものです。

具体的にはこう書かれます。

① 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ
② 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ
③ 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
④ 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ
⑤ 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ

これは新しくその時に産み出したものではありません。これはすでに神武天皇の時にはすでに存在していたものです。それをその時代の人々にわかるように解釈をされ、それを立て札にして全国各地に知らしめました。

つまり日本という国はこういう国ですから、共に難局をこれらの道理に従い乗り越えていこうと声がけしたとも言えます。そもそもの創始理念に基づいていたからこそ、この初心には力がありました。

長い年月で醸成されてきた、生き方であり、私たちの存在意義でもあり、国家形成の目的でもありました。この初心を考えた人は、日本人の徳性を見抜き、私たちがどのような状態のときに最大限ポテンシャルを発揮するかを知っていたのかもしれません。

今でもこれらの初心に照らして行動する組織やチームは、日本人らしい信頼関係で強い絆で難局を乗り越えていきます。私たちは大家族として、仲睦まじく認め合い許し合い語り合い行動するとき特別な力を発揮する民族だからでしょう。

最後に御誓文にはこう締めくくられていました。

「我国未曾有ノ改革ヲ為ントシ、朕躬ヲ以テ衆ニ先シ 天地神明ニ誓ヒ大ニ斯国是ヲ定メ万民保全ノ道ヲ立ントス 衆亦此旨趣ニ基キ共心努力セヨ」

時代は今も大変な分かれ目にいます。これからの日本の挑戦において新しい御誓文の必要性をひしひしと感じます。先人に照らして、深めてみようと思います。

帰る家

いよいよ今年の3月から取り組んでいた福岡県朝倉市の古民家甦生の納品がまじかに迫っています。水害を経て、色々と大変なご苦労がありようやく家に帰ることができます。仮設住宅での生活はもともと住んでいた場所ではないのだから、いつか必ず家に帰ろうと思ったはずです。

家に帰りたいという願望は、私たち人類は共通してもっている深い感情のように思います。懐かしい故郷、生まれ育った感謝の記憶、両親や先祖に出会え心落ち着く場所です。

帰る家があるということが何よりも有難いことで、その家がいつまでも末永く建ってくださっているということに心の安堵も生まれるのです。かつての日本の民家は、「家は末代まで続くように」と願い、何百年も耐久するように建てられていました。今の近代建築は、材料も建て方も便利になり安易にできるようになりましたがすぐに壊れて建て替えが必要になります。消費経済の影響で帰る家がなくなるのはとても残念なことです。

私が子どもに残し譲っていきたい家は、先人たちが末永く子孫を案じたような永遠や永久を意識するような家です。まさに日本の風土と共に暮らし、手入れし続けて磨かれた神社のような家です。

今日はこのあと、家主の方々と一緒に梁や桁を磨く予定にしています。家の重量を柱と共に支え、地震から守る存在に敬意とその手入れを教えます。

梁(はり)は、もともと古い建築物では、曲った松の丸太を使っていたことから弓を「張った」ような形状ということで 「張り」と呼ばれ後に現代の「梁」という字が充てられたといわれています。その屋根を支える梁を「小屋梁(こやばり)」床を支える梁を「床梁(ゆかばり)」といいます、そして柱と柱で支えられている梁を「大梁(おおばり)」といいこの大梁に支えられている梁を「小梁(こばり)」といいます。古民家の天井をはがすと、これらの梁が出てきます。むかしの梁は飴色のうっとりした松の木が出てきます。

この梁の語源は「向こうへ渡る」という意味が変化したものといわれます。簡単に言えば橋渡しみたいな存在です。縦を支える大黒柱、屋根を支える棟梁は家にとってとても重要な家を支える役割を担うのです。

家の存在が何に支えられているかを実感しながら生きていくことは、家族を守り家をどのように伝承していくかを教えずとも学べ、その意識や思想、考え方や生き方を無意識に継承していきます。

子どもたちが健やかに元気で幸せになれるように祈り今後を見守りたいと思います。

本質的な生き方

私は色々なことを深めては取り組みますから他人から多趣味な人といわれることがあります。しかし自分では色々なことはやるけれど、趣味でやっていると思ったことは一つもありません。もし趣味というのなら、炭くらいでしょうがその炭もまた子どものことを思ってはじめたものです。

そもそも目的をもって取り組んでいると、その手段が色々とあることに気づくものです。もしも手段だけで目的がなければそれは単なる趣味なのかもしれませんが、目的を最優先していくのならばそれは趣味ではなく手段の一つということになります。

私は子ども第一義という理念を掲げ、初心を忘れないように日々を過ごしています。そうすると、その理念や初心に関係する様々な出来事やご縁に出会い、それを深めていくと次第に様々なものに行き着きます。その過程で、伝統技術を学んだり、ビジネスを展開したり、古民家甦生をやったり、サウナをつくったり、むかしの稲作をやったり、ブロックチェーンをやったり、多岐に及んできます。それを周囲の方々はそこだけを切り取って多趣味といいますが、私は決して趣味でやっているわけではないのです。

しかしやる以上、全身全霊の情熱を傾けていく必要があります。なぜならそれが目的であり、それが理念であり初心の実践につながっているからです。仕事だからとか、生活のためだから取り組むのではなく、それが目的だから取り組む価値があるという具合なのです。

そして一旦取り組んだのならば、その取り組みの手段の意味が確かに実感できるまではしつこく諦めないで実行していくようにしています。なぜなら、手段は目的に達するための大切なプロセスであり、そのプロセスの集積が本来の目的の質を高めていくことを知っているからです。

目的を磨いていくためには、様々な手段によるアプローチが必要です。あまりにもジャンルが増えてジャンル分けできなくなり、気が付くとただの「変人」と呼ばれ始めますが、手段だけを見て変人と決めつける前に、この人の目的は本当は何かということを観る必要があるのではないかと思います。変人は須らく、目的に生きる人が多いように思います。

言い換えるのなら本質的な生き方を志す人ということでしょう。

自分に与えられた道を、オリジナリティを追求しながら楽しみ味わっていきたいと思います。

変化と日常

日常という言葉があります。人は何を日常にしているかで、その中心の暮らしが分かってきます。人によって日常は異なり、どのような暮らしを日常とするかでその人の人生の質もまた異なってくるように思います。

苛酷に仕事をする人を日常だという人もいれば、ゆったりと趣味を味わう時間を日常という人もいます。人生のそれぞれのステージで、日常は異なり、それぞれの状況や環境の変化と共に日常もまた変わってきます。

そう考えると、日常とは変化が起きる前の姿になることを言うように思います。よく災害に遭う時、元の日常に早く戻れるようにといわれますがこれもまた変化の前の元の暮らしになることを意味しています。

人間は誰しもが穏やかに心安らぎ自分が過ごせる日々を求めているものです。それが変化があったことで、如何に有難い日々だったかに気づくというものです。

日常というのは、実はとても平凡ですが何よりも感謝や有難さ、仕合せを感じる時間であったということなのです。

人は変化があることで、改めて日常の有難さを知ります。実は当たりまえになってしまっていた日常こそが何よりも幸せな日々を送れているということをです。そう考えると、私たちは日常から離れてしまうことではじめて日常に気づくことができるのです。そして変化があるから、変化する前の状態に気づくということです。

変化というものは、変化する前後で人間はその時々の今の自分と向き合い、自分が何を大切にしているか、どのような人生を送りたいかなどを学ぶのです。

このままがいいといくら思っても、無常にも時は必ず過ぎ去っていきます。変わらない日々はなく、常に日々は変わっていきます。だからこそ変化に対して努力し精進して変わり続ける日々に対して、自分の日常を高めていく必要があります。

それは有難い日々を深く味わったり、かけがえのない日々を感謝で過ごしたり、その日、一日を人生の一生のように真摯に自分の心と共に道を歩んでいく必要があるように思うのです。

変化と日常は自分自身の人生に大きな示唆を与えてくれます。

心がマンネリ化しないよう、日常を磨き、日常を高めていきたいと思います。

意味の存在

世界には様々な歴史があります。その歴史の中には、それぞれに大切な意味があり物語を継承しています。そしてその物語はこの今の私たちにつながりその意味は私たちが世界に伝承することで人類の発展に貢献しているとも言えます。

その物語の中には、人類としてどうあるべきかという挑戦と冒険が溢れています。ある人は、こう生きた、またある人はこう生きたというものが、様々な組み合わせによって遺ってそれを受け継いでいくのです。

これは人類に限らず、すべてのいのちに必然的に存在する使命でもあり生死を度外視して私たちは「どのような意味を存在したか」ということを試みているのです。

その意味は、目に見えて残っているものとすでに消失して目には見えなくなっているものもあります。しかし、その「場」で行われた歴史や意味は確かにその空間に時を超越して遺っているように感じるのです。それは生きている私たちが、無意識に伝承されているいのちの様相であり、いのちある限り様々な物語や意味はずっと続いているのです。

近代に入り、ありとあらゆる人種が融和し融合し混然一体になってきています。数々の意味がここにきて合わさってきているとも思うのです。その中で、伝統というものはそれぞれの意味を純度の高いままに保存してきた記憶媒体の一つでもあるのです。

これらに触れることで、かつての純度の高い精神や魂から確かな意味や物語を継承する人々がいます。彼らは、新しい時代を創造する人類の叡智を使いこなす子どもたちです。

私が伝統の継承にこだわるのも、いくら宗教とか言われても構わずに「場」を伝承しようとするのもまた意味の存在を守るためなのです。これは私だけではなく、いのちあるすべての生命がやってきたこと、人類の歴史を鑑みればなぜ大切なのかは必ず時間が経てばわかることだからです。

意味の存在を見つめることは、自分自身を深く見つめていくことです。残された時間、少しでも大切な意味の存在を伝承できるように伝道につとめていきたいと思います。

坩堝と襤褸

カナダに来てモザイク社会を洞察していますが、特にこのバンクーバーは多様な国の人たちがひしめき合って暮らしているのがわかります。アメリカにも人種のるつぼという言い方や、人種のサラダボールだという言い方もあります。

つまりは、混じっていて融合しているのかそれとも混じっているけれど独立しているのかという議論です。カナダは、それをモザイクといい混じっているけれども交わっていないというか、ありとあらゆるものを組み合わせでいいではないかという考え方なのではないかとも感じます。

それくらい移民の増加するスピードも速く、広大な国土があり、隣国アメリカの影響を大きく受ける地理的なものも影響しているようにも思います。

このモザイクという言葉の意味は、フランス語で「小片を寄せあわせ埋め込んで、
絵 (図像) や模様を表す装飾美術の手法」と記されます。石、陶磁器 (タイル)、有色無色のガラス、貝殻、木などが使用され、建築物の床や壁面、あるいは工芸品の装飾のために施されるものとして古くから歴史的にも様々な宗教関係の建物や芸術品にも用いられています。なんとなく、組み合わせて観える全体像でいいという敢えてはっきりしないところで魅力を出していこうという具合を目指しているのかもしれません。

ここ数年、先史時代の人々の遺骨から採取したDNAの解析が進み、もともと欧州人は人種の坩堝の遺伝子を持っているということが分かってきています。古遺伝学者のデビッド・ライク氏の研究結果では、欧州には先住民などそもそもおらず、自分たちの純粋なルーツを見いだそうとしても、そうした概念が無意味であると発言しています。

そう考えてみると、最初から混じっていてなんとなく近くでそれぞれに独立して暮らしていたという関係であったというのは欧米人の生活を見ているとなんとなく想像できます。個人というものや、コミュニティをお互いを尊重して距離を持つことで自分は常に坩堝移民として移動しながら生計を立てていたという生き方は、今の時代も変わっていないのかもしれません。多様な民族を一つにするのではなく、それぞれの民族のままに同じエリアで混じり共生するという坩堝という智慧は、遺伝子の中に組み込まれているようです。

これといった土地を決めずに、自分たちの集団でそれぞれの場所に移住しそこで暮らしを立てていく。そういう坩堝として生き残る智慧をもっていた民族が、国家というものを形成すると今のEUやカナダ、アメリカのようになるのかもしれません。

しかし実際には貧富の差や、肌の色による差別や、様々な問題は決してなくなってはいません。どのようにモザイクにしていくのか、カナダの実証実験はこれからの未来の新しい世代のつながり方を見極める一つの材料になるようにも思います。

日本にはモザイクではなく、古い布を組み合わせた襤褸という思想があります。使い古されたものを組み合わせて、それを勿体なく大切にいのちを使い切るという発想です。新しい組み合わせではなく、古い組み合わせというものに私はどうしても懐かしい未来を感じます。

これから新しい世界に、自分の信じるものが何かということを具体的な取り組みとして発信していきたいと思います。

 

人類共通の智慧

昨日は、UBC人類学博物館(MOA)と新渡戸記念庭園に行くご縁がありました。この二つはブリティッシュコロンビア大学の中にあり、緑がとても豊かな広大な敷地にゆったりと佇まいを備えています。

トーテムポールの展示や先住民族によるアートを含め、アフリカ、オセアニア、アジアなど世界の人類学のコレクションを収集し、約53万5000点もの収蔵品を持つ博物館です。とても一日ですべて見学することはできませんが、人類に共通するものを理解するのには充分な場所です。

特に印象深かったのは、世界中の民族の「暮らしの道具」が展示されていたことです。そこには人類に共通する確かな文化や思想、そして生き方や考え方が凝縮されていました。

例えば、工芸品であれば必ず自然物を用いますがその特徴を活かし修繕がきくもの、また自然循環を維持できるもの、その土地の風土で耐えるもの、用途などに合わせてデザインされています。そのデザインからは、具体的な暮らしが想像することができ古代の人たちはどのようにして自然の中で豊かに生活を連綿と続けてきたのかがわかるものばかりでした。

そのほかにも、日本でいうところの鬼や精霊、自然の畏怖などを霊力を宿す大木や巨石、また色などを用いて魔除けや祈り、荒魂や和魂のようなことを祭祀によって行っていました。ハレとケにあるように、暮らしの中で発生する様々なバランスをとるための工夫が文化の中に存在していました。

またこの人類博物館の面白いのは、先住民たちのトーテムポールなどがありその住居などを展示しているところでした。アイヌ民族の住まいを以前、見学したことがありましたがここカナダの先住民の住まいもまた木造建築でありまるで神社のような大黒柱を拵え、棟と梁と屋根を原型に、木の中で住まうように設計していました。その古代づくりは、日本の建築の原型ともいえるように思います。

人類学を深めれば、人類の原型が何かということが次第にわかってきます。人類がなぜ今、こうなったのかを考察するにおいても人類はかつてどうだったのかを考察するのは大変な意義があります。この大学の中にこの建物があること自体が、モザイク社会に挑戦するカナダの未来においても大きな影響があることを実感しました。

そして新渡戸庭園もその近くにあるのですが、日本の庭園以上に日本を感じさせる素晴らしいものでした。何が素晴らしいのかといえば、何を基本に据えて庭園を構成したのかを拝見することができたからです。海外で日本の文化、その庭園というものを定義するときに、必要不可欠なものが存在します。

私も古民家甦生で箱庭を創るとき、これだけは外せないものは何か、そして何を基準委するのかという心得のようなものを自分なりに構成していきました。それはかつての歴史的建造物を観察し共通するもの、その意味や哲学などを学び直しました。

ここの新渡戸新庭園は、カナダにありながらも日本の気候というものを感じられるものになっていました。そういう意味で目から鱗が落ちた思いがしました。むかしの都は風水を重んじて建てられたといいますが、この風水は庭づくりにもまた欠かせないものです。

どのような光が入り、どのような風が吹き、どのように水がゆらめくか、その一つ一つを演出するのに、あらゆる土、火、風、木、石、水などを調和させていきます。その調和の中心に日本の気候を置くというのは大変な叡智であろうと思います。

ここで学んだことを、今後の暮らしの提案と展開に結びたいと思っています。大きな学びの機会をいただき心から感謝しています。