つなぐチカラ

先日、福岡県朝倉市比良松にある250年の古民家を有志たちのハブ(HUB)にしたいという相談を受けました。このHUBという言葉は、ネットワークにおいて中心に位置する集線装置のことで名前の由来は『車輪の中心』からきています。

つまりハブ(HUB)にしたいというのは、人と人をつなぎ想いと想いをつなげる場所にしたいというニーズがあるということです。もちろん車輪の中心になる場所ですからそれなりの地政学的にも集まりやすい場所であり、地域には誰に集まってもらうのかという対象となる人物たちがあります。

また世界や全国から来ていただいてもしっかりとおもてなしできる環境がある必要があります。ただの空き家をハブ(HUB)にするためにコワーキングスペース(CO-WORKING)のようなものを設置するのではなく、まさにその場が価値があるものでなければなりません。

コワーキングスペース(CO-WORKING)とは、最近よく聞くことが増えていますがこれはシンプルに言えば「共働オフィス」のようなものです。このCOというのは、「共」を意味します。そしてワーキングスペースを訳せば「仕事をする場所」となります。つまり、ノマドワーカーや個人事業主、もしくは様々なファシリテーターやクリエイターたちが共働し合う場になったり相乗効果が発揮できるような「つながり合う場所」になっていくということです。このつながりの「つな」は、蔓状の植物、葛からできた言葉だともいわれます。あの葛の繁栄ぶりを見ればつながっていく繁殖力は自明の理です。

実際には、目的が異なれば交流する人たちの種類も内容も異なりますがそもそも何のために共働の場が必要なのかという議論があります。確かな意志をもって、使い手たちの思いに応えられるものでなければなりません。何をつなげていくのか、なんでつながるのか、その思いがつながっていきます。

よく考えてみると、歴史を顧みても様々なものが交流することで時代は発展と繁栄を繰り返してきました。

一つの思いや願いが、場の力によって発揮されそれがカタチになっていく。まさに、人は協力し協働することで大きなことを成し遂げるのです。

そしてその地域の古民家には歴史をつなぐ力があります。その場所で生きた人たち、暮らしや風土文化、様々なものをつなぐ力を持っています。つながりというのは、時間のつながり、空間のつながり、地域のつながり、人のつながりというように、あらゆるものが一つに融和していく中で、その場力は高まります。

交流していく中心、まさにそのハブ(HUB)は誰が何の目的で行うのかで何がつながるのかがはっきりするのです。色が混じり合い新しい色が生まれてくるように、あらゆる人種や文化を超えてつながる時代がもうそこまで来ています。

その国の風土や歴史や文化、そして生き方を体現したものがその地域で新しいものを生み出してそれが世界に発信されていくことはとても素晴らしいことだと私は感じています。

どのようになるかわかりませんが、子どもたちの仕合せにつながっていくように最善を盡していきたいと思います。

心の太陽

人間は振り返ることで、自分というものに出会います。自分のことを知るもっとも有効な手段は、この振り返りをするという習慣を持つことです。1日にたとえ5分でも、10分でも振り返る人は、自分を見失うことはありません。

私はこの日々のブログは振り返ったことを深めたものを綴っています。振り返りの時間は、もっともゆっくり振り返れる深夜に行います。そのほかにも、朝起きてからの日記や夜寝る前、他にも日中でも少し時間があれば振り返ります。

いつから振り返りオタクのようになったのか、それはメンターの影響が大きいと思います。

私のメンターは、「省みる」ということを何よりも重要にする生き方をなさっています。論語の三省を人生の自戒のようにされておられます。この三省は、一日に三回省みるという意味ではなく、漢字の三は、無限に広がっていく三ですから何度も何度も振り返るということです。

孔子は、論語で自分のことを三省で語ります。

「吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか」

毎日、孔子は自分の初心を失っていなかったか、自分を見失っていなかったかと、動機はどうだったかと、3つの軸によって自分自身を振り返っていたのです。

例えば、ご縁を大切に生きていきたいと願ったなら、自分はご縁に対して誠実だったか、活かしきったかと、ご縁あるたびに自分の動機や初心を確認していかなければなりません。そのうえで、安易なことをやっていたらすぐに反省し、ただちに修正できるものはし、できないものは次に活かし改善する必要があります。

こうやって習慣を持つことで、次第に自分を見失うことなく心のままに生きていくことができるようになるのです。

人生は自分自身との対話です。

自分がどう生きたか、納得のいく人生だったか、それは自分にしかわかりません。自分の心を無視して誰かのせいや環境のせい、言い訳をしてそのまま終わるのも一つの人生、それをすべて自分を磨く機会であり砥石だと福に転じて自分を味わい盡していくのもまた人生。

選択するのは常に自分自身の心です。

決心するというのは、その心を最期まで維持し続けるということです。そうい意味でこの維持こそが習慣であり、継続が力そのものである由縁なのです。

心は常に存在し、消えることはありません。脳の作用や感情によって霧がかかり曇ってしまっているだけです。どんなに曇ってもどんなに嵐がきても、太陽がまた出てくるように心も同様に風がやみ穏やかになれば澄んだ空気と共に太陽は現れます。だからこそ、私たち人間は心にいつも太陽を持ち続ける必要があると私は思います。

この振り返りの習慣は、心の太陽を確認する習慣です。

自分を見失わず、子どもたちが自分の人生を生ききることができるように私自身の背中を通して子どもたちに伝承していきたいと思います。

居場所

先日、居心地について改めて考える機会がありました。この居心地という言葉は、居と心地からできた日本語です。居は落ち着く場所のこと、そして心地は仏教語であり、心を大地から支えるものとあります。心が落ち着き心の支えになっている居処ということになります。

この居場所というものは、改めて考えてみるととても大切なものであることがわかります。人間は何をして誰といてどこにいてどうしていることがもっとも気楽にいられるか、この居場所とは自分の心が安らぐこと、常に落ち着いている空間や関係ができていることをいいます。

つまりは日本文化でいうところの場と間と和が存在し、心がそのものと一体になって自然に解けこんでいるようなものをいうように思います。

そして居心地が悪いとは何か、それは自分が無理をして自分本来の心が落ち着かないこと。この無理をするというのは、素の自分の価値を否定し自分を偽っている状態になっているということです。言い換えれば、素を出せないということです。この時の素とは何か、それは素心のことで素直でいられない状態になっているということです。

素直になれないのはなぜか、それは自分の感情に囚われたり、相手を勝手に思い込んだり、自分が他人にどう見られているかばかりを気にして本音を誤魔化していたりという状態のことを言います。

本人にとっても居心地が悪いと思いますが、周囲の人たちもそのような人たちがいることで居心地が悪くなるものです。居心地の善さというのは、みんなで協力して居心地を善くしていく必要があります。

それはどのようにしていけばいいか、それは本音の対話を通じて行われていきます。本音の対話とは、心音の対話です。心がどのように感じたかを素直に言える関係、お互いに素心のままで尊いと思いやれる関係、そういう絆を結び合っている居場所は居心地が善いと感じるものです。

人間は色々な価値観の人がいます、生まれながらに異なれば育った環境でも異なります。そういう人たちを同一の価値観で同一の環境下で管理することは不可能です。特に現代は多様性が尊重され、人口減少の中でより協力して助け合って生きていく時代に入っていますから余計に居心地を気にすることが増えています。

だからこそ居心地がよくなるための努力を、みんなで一緒に取り組んでいく必要があります。一人ひとりが、お互いを認め合い、尊重し合う関係を築き、役割や力が発揮できるような場や空間を環境に創りこんでいくこと。

これからのリーダーは、この「居場所」の価値に気づけなければ人々の調和や協働を引き出していくことはできません。今の職場や日本の環境を見つめ直し、何の刷り込みを取り払い、何をどこから改善するのか、そのプロセスを経て本物の居場所を創造うのが私たちの会社の本業の一つです。

子どもたちが安心して自分らしく生きて、自己を発揮していけるように見守る環境を弘げていきたいと思います。

 

家の徳

先日、福岡でたくさんのお弟子さんがいらっしゃるお茶の先生の実家の築250年くらいの古民家甦生の相談にのるご縁がありました。昨年の水害で1階部分が大幅に破壊され、この2年間の湿気やカビなどでとても住める状態ではなく解体して新しく建て直すか、それとも修繕をするかを悩んでおられました。

地域の方々からこの家は地域のシンボル的な存在の家でありこの家だけはなんとか壊さないでほしいと頼まれるそうですが、実際には費用も具体的な方法もまったく検討がつかず立ち竦んでしまっている状態でした。しかしご先祖様やご両親、地域のことを考えたうえで遺そうと決心されました。

以前、この地域では130年くらい前に大火がありほとんどの家は消失してしまったといいます。しかし唯一この古民家だけが、燃えずに残ったそうです。その理由は、地域の人々がここだけはとみんなで集まり守ったからだといいます。

当然その時代は、現代のようにホースで放水などではなく近隣の家をみんなで道具を使って急ぎ解体してそれ以上、隣の家に火がまわらないようにする防火方法で消火していました。つまりこの古民家を守るためには近隣の数軒の家を壊して守る必要があったのです。そこまでしてでも大勢の方々が、協力してここだけはと守ってくださったからこそこの地域で唯一、250年建ったままでいるのです。

しかしなぜこの古民家をそこまでして守ったのかとその理由を地域の方々にお聞きすると、この古民家の家は代々お米問屋で貧しい人たちや生活できなかった人たちに進んでお米を恵み助けていたからそうです。さらには、むかしこの地域で大規模な一揆が発生した時にも農民たちはこの家だけは傷つけず守ったといわれています。それで日ごろから恩を感じていた方々がいつも四方から集まりみんなで守ったのだろうと仰っていました。

きっと代々のご先祖様たちが人々の間で徳を積んできた歴史があり、その徳に報いようとして人々がその時代の災害から愛をもって家を守ってきたのでしょう。そして現代になり、大規模な水害で壊滅状態になったまた古民家を再び守ろうとする動きをこれからはじめることになります。

費用があるわけでもなく、具体的な公的補助金が入ることは一切ありません。

しかし私はこの「家の徳」を信じ、未来の子どもたちにこの道徳の伝説を子孫へ伝承するためにもこの古民家の甦生を丸ごと引き受ける覚悟を決めました。

道徳というものは、一体どこからはじまるのか。それは人々の愛の中からはじまります。美しい話を語り続け、地域に永く愛され続けるこの古民家は日本人の子どもたちを永遠に見守り育むはずです。

道徳は一般の教科書には書かれていなくても、人間はその場に来てみれば必ずそこに何かを感じます。私たちの精神文化の中に息づく、道徳心というものは場の力によって甦り、そして和の空間の中で活かされ続けます。そしてそれが愛であり、愛は循環することで人々の心の中を廻るのです。私たちに空気が必要なように、私たちには愛が必要ですからこれは決して失われないものの一つなのです。

そして伝統的な日本の民家はまさに、民族でいうところの精神的な長老であり指導者、そして親であり先生なのです。ただの家を残すのではなく、民家を遺す、そして道徳を遺すということ。

生き方は、まさに代を重ね徳を積むことで高まり、より一層、美しく光り輝きます。

まずは家族が災害前よりもかえって福になって快適に暮らせるように智慧を絞ります。この場で育った子どもたちが、将来どのように日本を変えていくのかとても楽しみです。

次のステージ

人は自分の意識次第で世界観が異なります。この世界が一体どのように観えているか、それはその人の意識次第です。しかしこの意識というものが、すべての世界を見ていますからこの世を生きていくのに大きな影響を与えてしまうのです。

この大きな影響は例えてみるとすぐにわかります。ある人は、この世界を自分にとってよくないものばかりと思ってみていればこの世界への不平不満は募るばかりです。しかし逆に、この世界は自分のとって善いことばかりと思っている人はこの世界は十分足りていて満足しています。

そしてまたある人は、この世界は最初からすべてにおいて完全であるとし宇宙のように存在そのものがあり活かされていると思っている人であればこの世は自分次第ですべて叶うものであると特別な世界を創造していくことができるのです。

つまりは、ある・ないで意識する世界の人。そもそもが存在があると意識する世界の人。この差は、同じ場所にいても世界が全く異なって観える境地にあるということです。

人間は、何をもって先達というのか。そして道の達人というのか。それはもちろん技能もありますが、その意識が完全に一般的な人たちと次元が異なっているのです。この異なりは、観えている世界観が異なるということです。

雨を見てもただの雨ではなくその人は、自然を観ます。智慧を見てもただのそれは智慧ではなく、宇宙そのものを観ます。このように意識が達した人は、居ながらにして無、無にして在、そういう境地の体得があるのです。

私も直観的に機縁や機智を獲得していくタイプですから、観えている世界の異なりはよく感じます。ある時、リンゴが木から落ちて万有引力を悟るように意識は私たち人類の世界を丸ごと変革してしまうのです。

子どもたちの意識を、身勝手な大人が刷り込んで可能性をつぶさないように、子どもの無限の可能性を引き出せるような生き方や会社にしていきたいと思います。次のステージを楽しみたいと思います。

天のメッセージ

人生の羅針盤の言葉の一つに、老子があります。孔孟の教えも己に克つことに満ちていますが、自分で自分を正しく理解し、己を制し律し克つことができて人間力は磨かれています。

しかし、どうしても己に負けて無意識にうちに現実から乖離し、真実から遠ざかってしまうと本当のことや真理がねじ曲がってしまうものです。そういう時こそ、先人の智慧に触れ反省をして素直に謙虚に学び直す必要があります。

老子は特に、人間力について精通しているように思います。

「賢者は人の上に立たんと欲すれば、人の下に身を置き、人の前に立たんと欲すれば、人の後ろに身を置く。かくして、賢者は人の上に立てども、人はその重みを感じることなく、人の前に立てども、人の心は傷つくことがない。」

「優しくなりなさい。そうすれば勇敢になれる。つつましくなりなさい。そうすれば広い心を持てる。人の前を行かないようにしなさい。そうすれば人を導く者になれる。」

謙虚でいなさいと諭します。まさに謙虚は魔除けなのです。

そしてこうも言います。

「他人を知るものは賢いが、自分自身を知るものは目ざめた人である。他人に打ち勝つものは強いが、自分自身に打ち勝つものは偉大である。」

「人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力あり、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富む。」

自分自身に打ち克つことが本当の「力」であると。力とは、決して能力や権力ことではなくまさに自分に克つことこそが「力」の本質だといいます。

そしてこうもいいます。

「優しい言葉をかければ、信頼が生まれる。相手の身になって考えれば、結びつきが生まれる。相手の身になって与えれば、愛が芽生える。」

本物の信頼とは、優しい言葉の中にあるもので相手の身になっているからこそ結ばれると。そして思いやりをもって接すればそれが愛になると。どの時代もどのような人も、信頼はやさしさと思いやり、まごころを通してしか結ばれないということです。

無為自然を説く老子はこう言います。

「現実を現実として、あるがままに受け入れなさい。物事をそれが進みたいように、自然に前に流れさせてやりなさい。」

すべては天にお任せしていけば、なるようになると。だからこそ素直に謙虚に任せて信じて自然であれといいます。

最後に、老子の格言です。

「足るを知れば辱められず、止まるを知ればあやうからず。」

私自身、日々のご縁をすべて天のメッセージと受け止めながら自分自身を見つめ反省して生き方を老子に学び直したいと思います。

祈年祭4

昨日は、千葉県神崎にあるむかしの田んぼで無事に祈年祭を行うことができました。前回同様に、むかしの田んぼの中に祭壇を設けお祀りして宮司様に祝詞を奏上していただきました。

祝詞も仕来たりも古代からの祈りが甦生されたもので、祈年祭の意味を深く味わう善いご縁になりました。美しい空と田んぼ、澄んだ空気、そして春風に純白の和紙がたなびく様子にこれからはじまる稲との四季の暮らしを想い、荘厳で清浄な心持になりました。

お祀りが終了し、宮司様と一緒にみんなでお神酒をいただきましたがその際に「おめでとうございます」という声を合わせました。

通常ならば何もまだ収穫をしたわけでもなく、結果が出たわけでもないのになぜおめでとうございますなのかと思うかもしれません。しかしこれは古代から連綿と続いている日本人の精神文化を象徴するものなのです。

「前祝」という考え方があります。これはあることが善い結果になるように確信して祈り、結果が出る前に先に祝ってしまうという考え方のことです。よく前祝として、祝宴を開いたり、桜の花の下で宴会をして新しい年度の未来を祝うものもその一つです。

これを別の言い方では予祝とも言いますが、予めそうなると信じて先に祝ってしまうというのはどのようなことがあったとしてもそれは丸ごと「福」であると信じる気持ちがあるということです。この「福を待つ」という生き方は、どんなことがあっても希望を失わず与えられたすべてのご縁を神様からの恩恵としてみんなで受け取り味わっていこうとする素直で謙虚な生き様です。

宇宙自然の道理として、福は追いかけるものではないということ。すでに福は身近に訪れており、それを信じて待つことこそが福を知り福になるという真理をいうのでしょう。

幸福に気づかない人は、希望や夢までつまらないものに変えてしまいます。なんでも面白がるところに発酵があり、どんなことでも天与の徳であると楽しむところに希望や夢が存在しています。

私たちのご先祖様たちが、かつてどのような環境下や状況下であっても希望を見失わず福を待ち、夢を実現してきたから今の私たちが生き残っています。その中で特に大切に重んじてきたものこそ、いのり福で居続けることだったのでしょう。

子どもたちにも、そのような先人たちの智慧や遺徳、また伝承されてきた前祝の意味や価値をむかしの田んぼを通して継承していきたいと思います。

祈年祭3

いよいよ今日は、「春祭り」として祈年祭をむかしの田んぼで行います。春が到来し、あらゆる生きものたちが田んぼから甦生してお米と共にいのちの廻りがはじまります。このいのちの廻りのこの時季にあるお祀りは自分自身の初心を確かめるためにもとても善いご縁になります。

ここ数年の異常気象で、災害や干ばつ、様々なことが世界中で報道されます。当たり前にできるお米はなく、自然の猛威を感じ、自然を畏れながら自らを慎み、自然と共に歩んでいくのが私たちの先祖が生きてきた生き方でした。

現在では、お金を中心にした経済が優先されていますから民家稲作一体の暮らしではなくなりより自然が遠ざかっているから余計に感じにくくなっていますが本来は自然に対して謙虚に素直に自分たちを省みて正していくことで様々な災害に対して未然に対処し、さらには復興の活力を養ってきたとも言えます。

世界でもっとも自然災害の脅威にさらされる国土だからこそ、私たちは自然から様々なことを学び智慧を獲得してきました。その証拠に、自然豊かで水の多い田んぼが私たちの生活を潤しています。

稲は古代より稲霊と呼ばれ、私たちの親祖と共に暮らしてきた祖霊として祀られてきました。祖霊とは家族の魂のことです。つまり家族の一員として大切に祀ってきたということです。この家族は、他にも五穀があり、一緒にこの世で生きながらえるパートナーとして大切に守り続けてきたのです。

稲作をすればすぐにわかりますが、他にも稲作の仲間に蜘蛛やツバメ、田螺やトンボなどもいます。これらのことを同じいのちとしてみて家族として祀るところに、日本人の精神文化が息づいているのがわかります。

少しでも調和が崩れれば、すぐに稲が育たなくなる。そうならないように、数々の祈りを捧げながら謙虚さを保ち自分たちの生活に怠慢はないか、傲慢はないかと欲を戒めつつ慎ましく暮らしてきました。

祈りと共にはじまる暮らしは、自然の循環に逆らわず自然と共に生きていくという生き方の伝承なのです。一時的に大収穫を得て、大量生産できたとしてもそのツケは必ず数年後に訪れます。自分たちだけよくなるようなものや、自分さえよいと思うような生き方はその時はよくてものちになれば後悔がきます。

何度もそれを繰り返してきた歴史を持つからこそ、稲作に祈りを籠めて先祖たちは私たちに暮らしを伝承してきたのではないかと私は思います。だからこそタネを蒔くとき、どのような初心で種を蒔くか、それが大事なのです。

祈年祭によって自分の初心を振り返る素晴らしいご縁に感謝しています。

 

祈年祭2

祈年祭について昨日から深めていますが、「とし」は稲のことで「祭」は政を行うことでですが、祈りとは何かということです。

神道の「神祗令義解」には、「謂ふ、祈は猶ほ祷の如し、歳災作らず、時令を順度ならしめむと欲して、即ち神祗官に於て祭る、故に祈年と曰ふ、」と書かれています。ここで祈るのことを「祷」のことだと定義されています。この祷は「禱」のことで、示す辺に寿ですが、寿は「言を祝う」が由来です。祝うは福ですから、福が到来することを意味します。そして古語日本語の「いのる」は「」(斎) + 「のる」(宣る)が語源です。

ここから私が直観するのは、いのちのままでいること。いのちのままに言うことに従うこと、信じるままに生きること、安心して自分の役目を天意に従い全うすることという意味であろうと思います。

なぜ先に祈りからはじまるのかは、自分自身の中にすでに備わっているものを大切にして取り組んでいけば、その結果として顕れたものが幸福になるという智慧を示しているからではないかと私は思います。

そして祝詞も、祝福と言葉の詩からできた語です。先人たちや先祖たちが、同じように取り組んできたことで素晴らしいご縁に導かれた祝福に出会ったこと。同じように福が訪れますよという安心の声を伝承しています。

道に迷いそうなときは、その物事を福に感じられなくなるときです。なんでも福に転じる人は、自分のいのちの声に従うことを自覚し、天命に従い使命を全うすることが祝福そのものになることを体現し続けます。

私たちにとっての祈りは、宇宙自然の道理のままに暮らしていこうとした親祖からの「生き方の伝承」です。四季や四時の循環において、田の神さまが稲を見守り一緒に育てて暮らしを助けてくださっている。私たちはこの日本の風土に守られながら、稲を育てて寿命を永らえていこうとした民族。その民族の生き方が祈りの中に宿っているのです。

祈年祭はその確かな初心を風化しないように、ずっと稲と田と人々によって大切に受け継がれてきました。戦後に、それまでの日本人の精神文化や暮らしの大元が解体されて急速に意識が西洋化していきましたがそれでも親祖の初心が消えることは決してありません。永遠の祈りは、いつも私たちのいのちと一体になって受け継がれています。

引き続き祈年祭を甦生しながら、子どもたちにその意味を伝承していきたいと思います。

祈年祭1

来週の月曜日は、千葉県神崎にある「むかしの田んぼ」で祈年祭(きねんさい)というものを行います。これは秋の新嘗祭(にいなめさい)と対になっているお祀りです。別名で春祭「としごいのまつり」ともいいます。

このとしごいの「とし」とは稲のことを言いますが、五穀が無事に成熟を祈る祭りです。私たちの先祖は、稲作による農の暮らしを政にして国家を健やかに治めてきました。四季の中で春には年穀の豊穣を祈り、秋に豊作を感謝する祭りを行い人々が安心して協力し助け合い仕合せに暮らしていけるようにとみんなで祈り取り組んでいきました。

祭りごとは、政りごとでもあります。むかしの暮らしは常に祭政一致であり、人々が道理に従って物事を整えるために理念を司る人が祭祀をし謙虚に人々のあるべき姿に導き、それをみんなが協力して実現していくという形態をとって暮らしてきました。それがもっとも争いが少なく、平和が続く仕組みとして私たちの先祖は親祖の代より「稲作」というものを選択し、この稲つくりを通して人々に生き方を稲から学ぶようにと諭したのです。だからこそ稲を主食にし、稲作がすべての基本に据えて暮らしを成り立たせていたのです。

つまり私たち日本人にとっての政治の先生は「稲」であるということです。

現代では、お金が増えて物が世界中から入ってきますし養殖をはじめ様々な生産効率をあげてお米を食べる人たちも減ってきています。さらには稲作は政治ではなく、農家の収入源として生産されますから一般の人たちは稲作に触れることもありません。

稲作を通して大切にしてきたことまで失くしてしまうことは私たちがどのように暮らしてきたかを失くすことになります。また稲の先生から学んでいたことが失われれば、先人たちが永い年月をかけて伝承してきた自然の智慧や伝統の叡智も失われてしまいます。

だからこそ、本来はどうであったのかを省みて甦生していくことが温故知新でありその時代を生きる人が次世代へとつないでいく役割と使命だと思うのです。

むかしの田んぼの、「むかし」とは「はじまり」のことをいいます。はじまりを大切にすることが初心を守ることであり、それをつないでいくことです。伝承というものは、先人の智慧を尊び、今の自分がそれを伝えていくことで実現します。

子どもたちがこの先に生き方に悩んだとき、そして道に迷ったとき、正しく遺してあるものがあることで救われる未来があるように思います。だからこそカグヤがこのむかしの田んぼに取り組んでいく意義があるのです。

そして私たちの先祖にとって「祈る」ということは一体何だったのか、ここをこれから書いていきたいと思います。