心の中の平和

昨日、ある園の理念研修で「一人ひとりの中に心の平和をつくる」という理念を学び直すことができました。乳幼児期は人格形成の基礎だからこそ、何よりも重要だという動機から初代の方が開設してから約70年の歳月が経っています。

この心の中の平和という言葉を思う時、ユネスコ憲章の理念を思い出します。

「戦争は人間の心の中で生まれるものであるから、人間の心の中に平和の砦を築かなければならない」

平和を願う人々はみんな心の中にある平和を築こうと世界に発信していくものです。戦争を産出す原因は、心の中で戦争が続いていくからです。その戦争は、比較競争や差別や格差などから発生する疑心暗鬼が原因になっているように思います。お互いを信じ合い道徳を守り助け合い協力しよういう心が失われていきます。そのためにも、感謝や信頼、協力や尊重などということを学ぶ必要が出てきます。

人間は、それぞれ生まれた環境も育った環境も異なりますが人間としてどうあることが心の平和を築いていけるか深めていけばその方法が観えてくるものです。

私が実践し提案する一円対話も、協働も初心の内省も徳報酬もすべてはこの一点「心の中の平和」を創るために広げていこうとしているものです。人々の中に心の平和ができるのなら、そこには平和な社會や未来が築けて徳世が築けます。

何度も何度も戦争を繰り返し、人類は一体どこに辿り着こうとしているのか。今を生きる私たちはもう一度それを深く見つめる必要があるように思います。

そして今まで過去の歴史になかった新たなパラダイムが誕生が求められます。

子どもたちのためにも、自分にできることを脚下の実践をもって努めていきたいと思います。

聴福庵

「炭鉱のカナリア」という慣用句があります。これは炭鉱においてときおり発生するメタンや一酸化炭素といった窒息ガスや毒ガス早期発見のための警報としてカナリアという鳥が活用されたことが由来です。鉱山以外でも、戦場や犯罪捜査の現場で用いられたりします。また金融の世界では、株価の急落や景気変調のリスクを示すシグナルの意味で使われたりもします。

このカナリアはつねにさえずっているので、異常発生に先駆けまずは鳴き声が止みます。そうやってカナリアが危険を察知して騒ぎ立てることで、人々のいのちを救ったのです。ここから身を捨てて多くの人々を救うという意味でも用いられました。

聴福庵は、筑豊炭鉱の中心地にありかつての炭鉱王伊藤伝右衛門邸の正面にあります。この炭鉱はかつては日本の産業革命の際の全エネルギーのほとんどをこの地の石炭で賄ったほどに貢献してきた土地です。つまりひとつ前の時代の変化の礎になってきた歴史を持っている場所に建っています。

世界の進む方向が大量生産大量消費のグローバリゼーションの席巻で自然を覆いつくすほどの市場を拡大していく中で、大勢の人々が自転車操業的に資本主義経済の激流に流されるまま流されているだけでこのままでは危ないと気づいていても進む方向を誰も変えることができなくなっています。歴史に学べばこのまま進めば人類はかつてないほどの危機に晒されることになります。この濁流に柵をかける人たちがどれくらいいるかわかりませんし、崩壊しないように楔を打つ人がいつでてくるのかもわかりません。

世の中の道とはまるで逆走するかのように聴福庵はその反対の方へと孤軍奮闘しながら前進して小さな鳴き声で危機を発信していますがまるで「炭鉱のカナリア」そのもののようです。

人類が滅亡の危険になるとき、自然災害などの異常が発生する予兆、そして時代の変化の時に身を捨ててでも人々を守ろうとするカナリアです。これはまさか自画自賛をしたいのではありません、まさにもう心身もボロボロの満身創痍の状態で薄氷の上を戦々恐々として歩む心境ゆえにそう自称したのです。

こういう時、西条八十の童謡「かなりや」を心を頼りに歩んでいるのです。

「歌を忘れたカナリヤは後ろの山に棄てましょか

いえいえ それはなりませぬ

歌を忘れたカナリヤは背戸の小薮に埋めましょか

いえいえ それはなりませぬ

歌を忘れたカナリヤは柳の鞭でぶちましょか

いえいえ それはかわいそう

歌を忘れたカナリヤは象牙の舟に銀のかい

月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す」

これは西条八十が詩を捨てようかどうかと思い悩むときに作詞したものだといいます。居場所を見つけて美しい詩を奏でられるという希望を子どもたちに伝えようと謳ったものだと言います。人間の愛や美しさを信じるからこそ唄を忘れることはありません。

聴福庵の声を私がもしも世界へと届けるのなら、「炭鉱のカナリア」の遺志を伝えるのみです。いよいよ聴福庵は、始動を開始するうぶ声をあげはじめました。しっかりと見守り共に歩んでいきたいと思います。

 

 

 

試練と挑戦~通る道~

人は何かに新しく挑戦しようとするとき、避けては通れない試練と向き合うことがあります。知らないからこそ何でもできることもありますが、知らないからこそそれ相応の試練が用意されているのです。

先にわかっていればと悔やまれることも、やってみなければわからずやっていく中で失敗を通して学んでいきその体験を次に活かすことができるのです。成長の実感や人生の充実も常に挑戦し続けているからこそ得られるものです。

しかしその時に受ける精神的ダメージや苦痛は大きく、眠れない夜を何度も過ごし食べ物も一切喉を通らず、激しい頭痛や吐き気、倦怠感など心身共に強烈な影響を受けてしまいます。もちろん新しい挑戦する気持ちの中で知らないのだから悪気もなく、善意でやっていたとしても知識や経験の浅さから誰かに迷惑をかけてしまえばそれだけ自分の思いやりが足らなかったと反省も深くなります。

通常ならそこで諦めて辞めてしまったり、もう無理だと逃げたりするのでしょうがそれ以上に未来に希望を持っているのであればその経験を糧にして成長するために前進するしかありません。物事には良い面と同時に悪い面が発生しますから、どれだけ善い方を意識し、物事を転じていくかですべてを福に換えていくことができるからです。

そのためには一つの体験の咀嚼を丁寧に味わい、その体験を自分の人生のすべての経験に加味していく必要があります。学問が深まっていくというのは、単なる知識が増えていきそれが明瞭になることではなく泥臭い生々しい体験の中で深く反省しそれが知識から智慧に転換されたときに深まっていきます。

学問を深めるというのは、人格を高めることであるのは学び方=生き方であるからなのでしょう。

人間は転んでしまうのは仕方がありません、上手く歩けないヨチヨチ歩きの子どもから始まり何度も何度もこけては立ち上がり歩くのが上手くなっていきます。コケたら痛くて情けなくて何回も涙しますが、それでも歩きたいと立ち上がりまた歩くのは子どもが成長したいと心根から思っているからです。

子どもたちは、転んでも立ち上がりまた歩くのはそれが人間の人生を示しています。子どもの姿から見て学ぶことは、転んでも立ち上がることでしょう。そしてその子どもの親や大人から学ぶことは見守ることです。子ども同士は成長し合いたいと願っていますから時としてヨチヨチ歩きの子ども同士が歩いていて道でぶつかってお互いに怪我をしてもそれはお互い様です。そして転んだら手を取り合って助け合うのは御蔭様です。それを見守り間にいるの思いやりや優しさといった慈悲です。

自分の正論を振りかざして思い込みで相手を裁くよりも、自分が未熟だったと深く反省し明日への挑戦の糧にしていきたいと思います。

いい循環

世の中には「いい会社」というものがあります。そのいい会社とは何か、それを話し合い定義しなければいい会社が何かはわからないものです。たとえば、成功している会社とか、成長する会社とか、給与や休みが多い会社とか、自由な会社とかいろいろとあるものです。

実際に人間にはそれぞれに価値観もあり、自分に都合のよいものをいいと言いますからいい会社も多種多様に存在するものです。実際にいい会社とは何か、それを定義するものがなければ人はいい会社のこともまたわかりません。

しかしいい会社と呼ばれる会社には、本来普遍的に流れている一つのものがあるように思います。それは「徳」というものです。これは会社に限らず、人も同様に「いい人」とは何かということの定義も同じです。

この「いい」とは「徳」のことを指すのです。

この徳のことは最近は誤解されていることが多いように思います。一つは、何かお得な人物や特別な能力がある人を徳があるといったり、もしくは聖人君子みたいない人物が徳のある人などと言われます。しかしそんな人は最初から徳があるわけではなく、生まれつきの個性だったりもします。

本来の徳は、後天的に精進して磨いていくものです。それは人間として大切な道徳心を磨くこと。たとえば、誠実であること、約束を守ること、生き方を貫くこと、真心を盡すことなどによって徳を積んでいくのです。

徳を積んでいけば、次第に「いい人」になっていきますし、徳を積む人たちが増えれば「いい会社「になる、そしていい会社が増えれば当然日本は「いい国」になり、徳が日本に増えれば「いい世界」になるのです。

徳を積む人たちの背中から私たちは徳の本体を学び、その徳を守り自分もまた徳を積んでいくことで「いい循環」はつながり永続的にその徳は天の蔵に貯金されて子孫たちの繁栄と発展に寄与していくのです。

「いい会社」になることがゴールではなく、徳を積んでいくことがゴールなのです。

いい会社かどうかを査定したり比較したりする前に、何のために「いいこと」をするのかを定義することが大切だと私は思います。

引き続き、私も子どもたちにとっていい人、いい会社になるためにも常識に囚われず至誠を貫いていきたいと思います。

 

自分の選んだ道

人生は生き方で決まるものです。その人がどのような生き方をすると決めたか、それがまずすべてにおいて先でありその後に結果としてどのようなことを為したかが追いかけてくるものです。

結果を出したから生き方が決まったのではなく、生き方が決まっているから結果もまた出てくるということです。その結果とは何か、それは単なる世間的な成功などというものではありません。生き方が現れるというのは、その人が死んだときに生前の人柄や生き様の価値が人々の心を通して世の中に顕現してくるのです。

生き方は常に心の中にあるということでしょう。

しかしその生き方を選ぶには、日ごろから自分の中で定めた初心や覚悟を常に優先していこうとする心の作法が必要になります。

一般的には人間は職業上の立場や肩書、世間体などを気にして自分の行動を決めたりするものです。世の中の常識に従っていることで身の安全も保障されますし、周囲の偏見や差別に受けなくなります。しかし、それは生き方を選んだのではなく無難な方を選んだということです。

人生の挑戦とは何か、それは何も巨大な敵に挑むことでもなく、まったくやったことがないことに挑むことでもなく、未知なことに手を出すということでもありません。

人生の挑戦とは、生き方を貫くと決めることなのです。

生き方を貫くと決めた時から、後悔しない人生を歩むためにありとあらゆる日々の決断や決心を自分の心に問いかけて行動に移していく必要があります。それがたとえ世間から「狂っている」と言われようと、「馬鹿げている」と笑われようと、それは生き方だから自信をもって歩んでいくのです。

そうやって一人一人がその生き方の背中を子どもたちに見せていくのなら、いつかきっと世界はお互いを真に尊重できる平等で誰しもが納得できる平和な世の中になっていくでしょう。

日々は生き方の連続ですから、決して油断はできません。常に自分を磨き上げ、生き方を貫けるように自分の選んだ道に誇りを持ち続けたいと思います。

好奇心を磨き上げる

本質を究めていくためには、物事を深めていく力が必要になります。それは根を深掘るということに似ていて、一体この根はどこから来ているものなのかを自覚することです。

そのためには、どんな物事にも好奇心をもって「なぜ」ということに正対して努力を続けていくしかありません。このなぜの深堀りが自分を知ることになり、この自分を知ることがさらになぜを深掘ることになるからです。

明治の思想家に、高山樗牛がいます。この方がこういう言葉を遺しています。

「己の立てるところを深く掘れ。そこに必ず泉あらむ。」

意訳ですが、「今、自分の立っているところを深く掘り下げよ、するとそこから滾々といのちの泉が湧きだしてくるから」と言います。

毎日生きているうちに、世間のルールや常識、そして勝手に言い聞かせてさも正当な理由ばかりを取り繕い自分がなぜそれをやろうとしたかという初心や動機を忘れて周囲に合わせて自分を忙殺させていくのが人間です。しかしそういう日々を送れば好奇心の泉は枯れていくものです。本来、自分の好きだったことが次第に好きではなくなるのは自分の好きを仕上げていくために必要な好奇心と努力、言い換えれば深堀りを怠っているからのように思います。

なんでも顕れた出来事を、なぜ自分はこれをやりたいのだろうかと深めればすべてがある根につながっていることに気づくことができるからです。周囲から見て一見しておかしなことをしているように観えていたとしても、本人は一貫して一つの真実に近づくために深めているからです。

私はよく周囲からも変人やオタクなどと言われます。そして時には、自分勝手や多動、アスペルガーなどと呼ばれます。確かに、時間を惜しんで何でも深め、すぐに行動し好奇心があるものを徹底して勉強し、真心が必要なところに自分を運び、そしてまた調べて深堀りとあまりにもその範囲が多岐に及ぶため余計にそういわれるのかもしれません。

しかしその根底には、いつも祈りや願いがあり子どものことを忘れたことは一度としてありません。私にとっての子どもの定義は、世の中の一般の人とは違うようです。その子どもの定義が異なる人からすれば、私のやっていることは子どもとは何の関係のないものに観えるのかもしれません。

実際には、世の中が定義する子どもとは他に、自分が幼い頃から育ってきた自分の中に子どもがあるはずです。世間の言う子どもは、目に見えるあの小さい子ども、大人と対比したものでしょう。しかし子どもは誰にしろその人の中に子どもはあるはずです。その子どもを子どもとした場合、子ども第一義という理念のカタチは観えてくるはずです。

子どもはとても純粋で、世の中のことを本気で憂い、人類を本気で愛し、真心のままです。その子どもが辿り着きたいと思っているところ、根っこにあるところに到達したいというのは好奇心が導いていくのです。

高山樗牛の言葉です。

「吾人は須らく現代を超越せざるべからず」

子どもたちが豊かに仕合せに暮らしていける世の中のために、自分に正直に自然体になれるように真摯に挑戦を楽しみまだ観ぬ深淵を学び直し好奇心を磨き上げていきたいと思います。

言葉の力

永六輔さんという方がいます。私は生前あまり存じ上げなかったのですが、色々な方々から永六輔さんの言葉を贈られます。そこで最近になって見知ったのですが、坂本九さんの「上を向いて歩こう」の歌詞や、「こんにちは赤ちゃん」やドリフの「いい湯だな」などの作詞も手掛けておられたのを知り随分むかしからいろいろな場面で永六輔さんの言葉に身近に触れていたことがわかりました。

特に私は永六輔さんの言葉を知人に贈られるたびに、まるで永六輔さんが応援してくださっているような気持になり心がとても温かくなります。死してなお、言葉はいつまでも生き残り人々を応援し続けるというその力に魂の持つ不思議な存在を感じます。

いろいろな言葉はありますが、永六輔さんの放った言葉は魂が宿っています。もう出尽くしたはずの言葉が永六輔さんによって甦るのを拝見するとき、もっと大切に生きなければという思いを強くします。

「人って言うのは二度死ぬんだよ。個体が潰えたら一度目の死。そこから先、まだ生きているんだ。死んでも、誰かが自分のことを思ってくれている。誰かが、自分のことを記憶に残している、時折語ってくれる。これがある限りは、生きている。そして、この世界中で、誰一人として自分のことを覚えている人がいなくなったとき、二度目の死を迎えて人は死ぬんだよ。自分はいま生かされている。」

死を深く見つめて生きた永六輔さんの生き方を垣間見ることができます。この言葉にどれだけの人たちが救われてきたかと思うと、永六輔さんの人柄や思いやりが感じられます。

夜の星を見ていたら永六輔さんが見守っているかのようです。あの「見上げてごらん夜の星を」にはこうあります。

「手をつなごう僕と 追いかけよう夢を 二人なら 苦しくなんかないさ 見上げてごらん 夜の星を 小さな星の 小さな光が ささやかな幸せを うたってる 見上げてごらん 夜の星を 僕らのように 名もない星が ささやかな幸せを 祈ってる」

そして「生きているということは」の歌詞です。これは永六輔さんの生きる指標ですが、真心を盡したいと願い生きる人たちの指標にもなりますので紹介します。

生きていくということは 誰かと手をつなぐこと つないだ手のぬくもりを 忘れないでいること めぐり逢い 愛しあい やがて別れの日 そのときに悔やまないように今日を明日を生きよう 人は一人では生きてゆけない 誰も一人では歩いてゆけない」

当たり前のことを忘れないように、永六輔さんの言葉を反芻しながら日々を豊かに味わい生きていきたいと思います。

 

山を育てる

先日、京都の鞍馬山に訪問して倒木で山が破壊されている惨状を見てきました。昨年の台風の猛威の爪痕が激しく、山肌が丸ごと裸になり、木々が何かに抉られたように折れたり根っこからひっくり返ったりしていました。

お話をお聴きしていたのと目の当たりにするのは全く別もので、自然災害というものの大きさ、その巨大な力には畏怖の念だけが湧いてくるだけです。これからどのように木々を片付けて新しい山にしていくか、お寺も100年後、1000年後を見据えて復興計画を練り直しておられるようでした。

山には林業というものがあります。これは森林を育てて、人間生活に利用するのを目的とする産業のことをいいます。私たちは都市に住んでいますが、むかしは里山といって山と里が調和した暮らしを実現していました。山と暮らしていくことで、山の恩恵を受けて私たちは暮らしを維持していました。

その山を手入れしていたのは人間であり、人間が森林と上手に付き合っていく中でその山を育て人間と共生していくように仕組み化されていたのです。現在では山は荒れ放題になってきて、人間と共生できないような山が増えています。

林業では様々な諺があります。

「一年の計は田を作るにあり、十年の計は木を植えるにあり、末代の計は人を教えるにあり。人のまさに死せんとするや、その頭まず禿げ、一国の亡びんとするやその山まず禿ぐ。一国の盛衰はその山林を見ればわかる。児童なき人民は希望なき未来を有し、樹木なき国家はまたこれと相似たり。河を治むるはその源を養うにあり、源を治むるは山を治むるにあり、樹芸の道ここにおいて過大なり。森林は著しき酸素の製造所にして、炭酸ガスの消滅所なり。」

一年の計は田んぼをつくること、十年の計は木を植えること、永遠の計は人間を育成することである。まさにその通りです。さらに人が死ぬとき頭が禿げていくように山も死ぬときは山も禿げていく、一国の様相は山の姿を観ればわかると続きます。

かつて奈良に「日本林業の父」と呼ばれる土倉庄三郎という人物がいました。この人物は、林業だけに留まらず治山、道路整備や日本の教育、文化を支援を行いました。しかしこれは林業の本質につながっているように感じます。たとえばこう言います。

「林業にとって、もっとも重要な作業は何だろうか。すぐに頭に浮かぶのは、樹木の伐採だろう。だがそれ以上に重要なのは木材の搬出である。伐採だけなら、オノやノコギリがあれば個人でも可能だ。しかし倒した大木を人里まで運ばなければ木材として利用しようがない。しかし木材は重くてかさばる。動力機のない時代、木材を運ぶには多くの人力と斜面や川の流れを利用した大がかりなシステムが必要だった。だから林業の要は、木材の搬出にあるのだ。」(樹喜王 土倉庄三郎より)

木材を搬出するには、道を切り拓く必要があります。道路整備は林業には欠かせません、また人材教育もまた山を守るためにも必要ですし、田んぼの維持のためにも必要です。そして文化も日本のために必要なものでこの根があるから木が育ち山を保てるのです。

林業というものは奥深く、山を仰ぎ見るときそこに山を育ててきた人間の智慧と人格を感じます。もう一つ、こういう諺があるのを知りました。

「造林は親を細めて、子太る。木を立てて、見せてセガレに、親となる。夫婦仲なら焼いても良いが、焼いていけない家と山。山は裸で器量が下がる、植えて緑の晴れ姿。山高きがゆえに尊からず、木をあるをもって、尊むべし。盆の仏は、家には行かず、まず山に行く。学者と大木はにわかにできぬ。」

山の姿の中に人間のあるべき姿が観得てきます。山に入れば山から学び、何かを頂いて外で出てくる。以前、千日回峰行の僧侶の方が山で自らを磨き上げ山から掴んだ智慧を民衆に伝道していこうとされていたお話を思い出しました。

山にはそれだけ人間を真の意味で学び直させる何か、空気感というか「気」があるようにも思います。その気を学び直すことは、元氣を学び直すことですから人間は山を求め道を探すのかもしれません。

鞍馬山がどのように甦生していくのか見守りながら、私も日本の甦生に向けて100年、1000年後を見据えて山を育てていきたいと思います。

見えないはたらき

「はたらき」というものは、通常の目に見えるはたらきというものと目には観えないものがあります。この「はたらき」はその両方を合わせてはたらきと言い、その「はたらき」を活かせる人は「はたらき」そのものの力を引き出して物事を為していくことができるように思います。

一般的な働きというのは、自力で何かをするときの自分の働きのことです。これは日々の仕事や、日々の業務なども何かのために役に立ちたいと努力して取り組むこともまた働いているということになります。もう一つの目に見えない働きの方は、他力のようなもので人事を盡していくことで不思議な力によって助けてもらって物事が進んでいくという働きのことです。

例えば、自然界でいえば必死に生きていこうとする植物に対してあらゆる自然循環や周囲の生態系が働きその植物を活かしていく作用などにも自力と他力の関係が見えてきます。

自分のできることをすべてやって、あとは天にお任せしていくという姿勢。まさにこれが「はたらき」そのものの力を引き出し、「はたらき」そのものになっていくという実践であるように思います。

しかしこのはたらきを周囲はなかなか理解してはくれないものです。真心を使って本質に向かって取り組んでいけば、自ずから一般には理解しがたいような行動を行っていくこともあります。たとえば、仕事もしながら同時に神社で参拝もするというように単に傍から見れば信心深い人で神頼みしているのかなとよく思われたりしますがそうではなく、人事をすべて盡していく中の一つに神様にお任せするために祈ることもあるのです。

これは全体の「はたらき」を信じて、丸ごとで善いことになりますようにと祈る姿です。言い換えるのなら、どんなことになったとしてもすべて善いこと、目には見えないはたらきがきっと福にしてくださるという「目に見えないはたらきそのものをはたらかせていこう」と信じる実践であるのです。

実際には、人知の及ばないところで様々な力が働いています。この地球であっても自然であっても、実際には目には観えないはたらきによって私たちは生活を営むことができています。人間は視野が狭く、たとえばお金があるから生きられるや、電気や水道、電車や携帯があるから生きられるなど、すぐに目の前のはたらきで生活していると思う人もいますが実際にはそんな目先のことだけで生きていけるのではないのです。

そういう宇宙的なはたらきを信じている人は、一見、おかしな行動をしているようではたらきを活かす理に適ったことを行います。そういう人が運が善い人と言われ、さまざまな運を引き出して福に転じていく仕合せな人生を送ることができているのでしょう。

目に見えないはたらきを感じる力は、感謝の心が原点です。何物にも何事にも感謝して生きるのなら、自分を活かしてくださっているはたらきの存在に気づくように思います。

はたらきの力をお借りして、偉大なはたらきによって子どもたちが仕合せに暮らせるようにと祈るように働いていきたいと思います。

 

働き方改革

先日から役割について色々と深める機会が増えています。仕事を分担するのではなく、役割が分担されることでチームはイキイキと活性化していくものです。そもそも役割とは、全体に対する自分の役目であり人は役目を果たそうとするときみんなと一緒一体になって自分の我を前に出すことをやめて全体の働きのために自分も働き始める喜びや仕合せを感じるものです。

しかしチームにおいて「自分が自分が」と我が出てくれば周りとの調和が難しくなり信頼関係に綻びが出てくるものです。この役割という意識をどう持つか、そして役割をどのように活かすかがチームで取り組むことにおいてとても重要になってくるように思います。

この役割分担の意味は、それぞれでみんなで一緒に生きていくための大切な役割を自ら担うということになります。役割とは大切なものであるという認識のもと、時には与えられた役割を果たし、また時には自ら役割を果たします。これは単に仕事を分別したその一部の作業を担うというだけではなく、自分が全体の役割の一部になっているということでもあります。

私も中学校の部活でバレーボールをやっていたとき、ポジションはもっていましたが同時に自分がチームのムードメーカーになっていました。これは他人から言われたのではなく、自らそれをかって出て自分がチームのためにその役割を果たそうと自分で担った役割の一つです。そのために、いつも全体が暗くなりそうな時や負けがはいって腐りそうなときに、いつも明るくピンチはチャンスだと掛け声をし、同時に逆転のチャンスに強くなるようにと猛練習をして力をつけていきました。

自分が全体のために何の役割を果たすかは、その人の役割意識に由ります。三銃士の「一人はみんなのために、みんなは一人のために」とありますがあの言葉も大切な役割をそれぞれが担っているんだよという意識の調和の言葉でもあるように私は思います。

よくその逆に、自分に価値がないと思い込んだり、自分一人くらいやらなくても問題ないと思ったり、仕事の業務分担を役割だと勘違いしたりすると役割意識は遠ざかり意識が不調和をきたしてチームの力も減退していきます。

この役割とは「はたらき」のことで、みんなが働くことで役割分担は成立します。仕事ではなく、「働く」ということ。ここの違いをはっきりと自覚できないうちは、全体のためにやチームのために貢献することが難しいと私は感じています。私の思う働きとはみんなと一緒に自分も幸せになるために働くことを言います。

仕事ばかりしても不幸になっているのは、役割に気づいていないからかもしれません、自分の役割に気づけば、自分がこの世界において大切な存在であることにも同時に気づきます。そしてそれは仲間があって自分があること、自分が与えられている役割を存分に発揮していくことがみんなの仕合せ、そして自分の仕合せであるという事実に気づいているからです。

一緒に暮らしていく人たちというのは、お互いに働くことで仕合せを手に入れます。同時にそれが役割分担の本質なのです。仕事観を見直すこと、まさにこの前提を変革することが「働き方改革」の本質なのです。

引き続き子どもたちが楽しく豊かに安心して働く社會のために、現代の大人たちの刷り込みを取り払う働き方のモデルを創造していきたいと思います。