昨日、恩師の古希祝いと「保育の起源」出版記念会が東京で開催されました。全国各地から250名を超える人たちが駆けつけてくださり大盛況のうちに終了しました。これだけ多くの方々から尊敬され、慕われる先生を観ていると有難い気持ちと共に改めて尊敬の念が込みあげてきました。
私は人生の半分を恩師と共に歩み、まだ人も少ないときから恩師の信じるものを信じて歩んできました。なかなか理解されなかったり、賛同者も少ない中でも恩師の信じる言葉と信じた理想を信じて切り拓いてきたように思います。
人は何を信じるか、そして信じたことをどれだけやり切るかで人生の未来が変わってきます。昨日、あの場に集まった人たちと恩師の話をみんなで真剣に聴き入る光景を眺めながら同時にこれまで歩んできた私自身の20年の振り返りも行うことができました。子ども主体の保育を実践する徳のある方々の思いや熱意にこの今も支えられていることを感じ、ここまでの道のりへの感謝を改めて実感したからです。
恩師から人類についての話がありました。
人は一人では生きてはいけない、必ず集団の中で育児をする。そのことで人類は生き延びてこれたという智慧の話です。保育の大切さを改めて語られました。私も持続可能な社会や人類の平和、永遠の繁栄を願うからこそ恩師の言葉を信じてここまでやってきました。
その恩師に昨日は「貝の首飾り」をお贈りしました。これは、古代の人類が貝を絆のお守りにしたことからです。かつて貝は財宝であり宝そのものでした。そして貝は中のいのちを守る存在でした。最初に赤ちゃんが生まれると、その部族や家族が「あなたを支え見守ります」という証に貝を持参して子どもに贈りました。その貝を結んで首飾りにしてその子を守りました。外敵もその首飾りの貝の量を観て、それだけ多くの人が見守っている人を簡単には襲うことはできませんでした。貝は仲間の信頼と見守りの証となって、様々な困難からその人の一生を「信じ見守り合う」ことで守ったのです。人類の自立は、貝を渡すその時に定まったのです。
貝の首飾りは人類が何百年も何千年も集団を形成し、厳しい自然の中で助け合い暮らし生きてきた智慧の証だったのです。
そしてその貝には、私の魂の同志である福田康孝さんに6000年前の貝を磨いて「GIVINGTREE」と彫り込んでもらい、左右に「縁」と「恩」の貝でつないでもらいました。これは「ご縁とご恩に結ばれる中に真の’見守る’は存在している」という意味です。そして首飾りを彩る多様な種類の貝をつないで「個性を尊重し合って絆を結んだ」という意味も籠めています。
透明に光る貝は、透明な心で磨かれ美しい光を放っていました。その貝に会場に来た皆様に「ネガイ」を籠めて触れていただき「私は仲間です、私はあなたを支え見守ります」という真心を入れていただきその貝を恩師に贈りました。
貝の一生は宿主がなくなって貝殻になっても新しい宿主を探し求め、その形なくなるまでいのちを守り続ける存在です。海の砂浜で出会う貝は、みんなそうやって宿主を探して漂います。神社の宿り木や依り代のように、守るそのものを遷して守るのです。皆さんの「ネガイ」が込められた貝が、これからも恩師を支え見守ってくれることを願い一緒にお贈りしました。
これから恩師も新しいステージに向けて、また新たな挑戦がはじまります。
これまでの支えや見守りがさらに恩師の信じる力に転換され、これから人類に向けて保育を伝道できるように祈り私も真心を込めていのちを懸けて尽力していきたいと思います。
ありがとうございました。