暮らし方

人はそれぞれに人生を生きていますが、その中で暮らしがどうなっているかはその豊かさや仕合せを左右するものです。例えば、芸術や文化、音楽などを含めそれがなくても毎日仕事をしてお金を稼いで毎日、忙しく生きてはいますがそれで日々の暮らしが潤うかというとそうではないことはすぐにわかります。

ある人は、毎日の生活に潤いがありまたある人はそれがない。それは環境もあるかもしれませんが、本来は生き方が決めるのであり、その生き方が暮らし方を決めているということもでもあります。

どんなに忙しい毎日であっても、暮らしがととのっているのであれば潤いのある日々を過ごしていくことができるのです。

私の場合も、周りからみると結構暇そうに過ごしているように見られることがあります。特に古民家で炭火でお茶を沸かしてゆったりとおもてなしやおしゃべりをしていますから余計にそう思われます。

私のことをあの人はもう十分儲かって稼いでいるから仕事をしなくていいなどと言われたり、話が長いし時間がゆったりだから気を付けないとすぐに時間がなくなってしまうよなどともいわれます。しかし実際は、結構な忙しさもありやっていることを話すとよくそんな時間がありますねというくらいいろいろとやっています。ただそう見えないだけといことです。

それを考えてみると、私の場合は「今」というものを大事にします。また人生の座右の銘は一期一会です。その瞬間に真心を籠めていきると決めていますから、忙しくても心まではそうならないようにと噛みしめながら味わっています。毎朝毎晩、振り返りをしてはその余韻から気づいたことを反芻しています。

自然に触れたり、花をめでたり、炭を感じ、音を聴き、光を観察しご縁を味わう。そうやって少しの隙間に、今、この瞬間を楽しむのです。

暮らしは、暮らし方でもあります。

人生は一度きりですから、悔いのないよう潤いを忘れないように過ごしていきたいものです。子どもたちにも、多様な暮らし方を選択できるような場をつくっていきたいと思います。

子どもの環境

今の子どもたちとむかしの子どもたちは、基本的には同じです。しかし同じ子どもでも与えられた環境が異なってくるとその子どもたちは異なった成長をしていきます。当たり前のことですが、環境が子どもに与える影響は大きく、どんな環境であったかはその後の人生を左右していくのです。

ではどのような環境がいいのか。例えば、自然が多いところ、もしくは学術都市のようなところ、他にも有名な教育をしているところ、色々と考えることはあるでしょう。しかし、それが子どもにいいかどうかは本当に意味ではわかりません。なぜなら個人差もあり、どのような効果があるのかは人それぞれだからです。

こういうことを書くとでは、どうするのかとなります。もちろん、自然が多いところなどは感性を磨いてくれますし、身体も健康になっていきます。都会と比べて空気も美味しく、健康的です。健康に育てようとすれば、自然豊かで地産地消できるような場所、また人のつながりやコミュニティが暖かいところがいいのは間違いありません。

私は子どもの環境のことを深めていながら普遍的な環境というものがあるのではないかということに気づきました。一つは、暮らし、一つは発達、一つは伝統文化です。

例えば、伝統文化というのは今の子どももむかしの子どももそれを知恵として伝承してこの土地の人間として育ってきました。それは非常に理にかなっているものであり普遍的です。この土地に生まれたからこそのこの文化というように、地理や気候、生活文化が長い長い時間をかけて醸成されてきたのです。この環境が子どもにあるのかどうかは大変重要だと思うのです。

もう一つの発達、これは育つ環境のことです。植物であれば、土中の環境がよくその植物にあった場所で育ちます。つまり育つための環境があるということです。もともと人は個人差もありますから発達速度もバラバラですし、特性もあります。それがうまくみんなで育ちあうようにするにはそれができるような場所が必要です。植物でいえば土もない、水もない砂漠のようなところでは育ちません。自然農でも、その特性を見抜いて最適な環境をどう用意し見守るかが大切です。これも時代が変わっても普遍的なものです。

最後に暮らしです。暮らしというのは、人の営みです。大人の姿を見て子どもは育ちます。そしてその暮らしの中には、今まで連綿とつながってきた先祖からの記憶や知恵が凝縮されておりそれによって地球や自然と共生していくことができます。あらゆる生き物は、この暮らしと調和し一生をはじめ一生を終えるのです。どのように暮らすことが仕合せなのか。それも教えずにしてわかるのがこの暮らしです。

このように普遍的なものがあるなかで、人は特殊な教育ばかりを注目しますが残念なことです。空気や太陽や水などと同じように、本来は教育も普遍的なものでした。私たちは今までどう育ってきたのか、こういう時代だからこそ原点回帰していく必要性を感じています。

保育に関わる人間として、私自身、まだまだやれることがあります。残りの人生の課題の一つとして挑戦していきたいと思います。

守静坊の徳

英彦山の宿坊と関わりだしてから、お布施や喜捨をしていただく方とのご縁が広がってきました。大変有難いことに、最初から見守ってくださっている方の応援や支援は困難を乗り越えるためのとても大きな勇気をいただけます。

現在、クラウドファウンディングなどで幅広くこの活動を知っていただきたいと思って取り組んでいますが、実際には喜捨いただくのはほとんどが知り合いの方ばかりです。名前を拝見するたびに、拝みながら有難うございますと心で感謝します。そして、この方に英彦山や宿坊からの徳が循環しますようにとお祈りします。

私に対しての真心の応援を受け取りながらも、同時に家を甦生させていただく器として恥ずかしくないように心を澄ませて宿坊の甦生に精進しています。余計な我が入ってこないように、他力を引き出し偉大な徳力によって完成するようにと祈り続けます。

今までとは異なるのは、ここがもともと坊でありむかしのお寺であったということです。お寺だからこそ、一人ひとりの皆様のお布施によって甦生させたいと誓い取り組んでいます。今、そうなっていることを改めて感じて、本当に感謝の心でいっぱいです。

宿坊がいくら完成間近といっても今も相変わらずの一進一退で問題は次々と発生します。先週末に茅葺をするために天井を開いたらシロアリが天井にまできていて大事な梁などがだいぶ食べられていました。そこから傾きがでてきて、まだシロアリが残っている可能性もありこれからシロアリ業者さんと調査しつつ、どう補強するかと大工さんと相談していきます。また大工事です。

もう予算がどうとか言っている場合ではなく、200年後の未来のためにいい加減な工事をするわけにはいかないと真摯に丹精を籠めて甦生に手を抜かずに取り組んでいます。

有難いことに、自分で取り組んでいますから覚悟次第ですのですべて正直に純粋に自分で決めることができます。家と対話し、家から学び、家の声を聴き、家が喜ぶように甦生していけます。そして家が完成した暁には家の持っている徳によって人が感動してくれ恩返しをしてくれます。

守静坊は、磨いてみると本当に光が神々しく、清々しい気を放つ場所であることに気づきました。飯塚の聴福庵も時が沈み重く落ち着きますし、たくさんのいのちの存在が尊重される和の空気感を場に放ちますが静けさはこの宿坊の特徴の一つです。最初に名前を付けた人からずっとこの徳を磨いてきたのがわかります。

きっとこの先も都会の喧騒や、過度なストレスなどを受けて疲れている人がここに来て法螺貝をゆったりと聴けばきっと心身が恢復して初心が回帰していくでしょう。

もう少しでそんな未来が拓けてきそうな予感もしています。皆さんからのお布施や喜捨は、まずます徳の循環を促し多くの人たちを救い、仕合せを分かち合える場の養分や栄養になっていくと思っています。

そのようなお手伝いをさせていただけたことに深く感謝しています。

引き続き、皆さんと一緒に徳を積んでいけると嬉しいです。

守静坊の枝垂れ桜の徳

守静坊の枝垂れ桜を見学しに沢山の方々が訪れていました。もう何十年の前から訪れている人、最近知ってはじめて来られる方、色々な方が来られます。辺鄙なところにありますからほとんど場所も見つけられないところにあります。それでも桜を見に来てくれているのを感じると、ここに一つの出会いと一期一会があります。

私たちは花を見ます。しかしこれは花の方も私たちを見ているということもわかるはずです。お互いに見つめ合ってその心を通じ合うとき、私たちは花に心を映されて感動するのです。

自分の心が花の美しさを見て、その美しさを感じる心とつながるのです。

私たちの心というのは、目で見ている以上にその目には映らない何かを感じ取っています。私たちは自然の中に存在しているその何か、私はいのちともいいますがそれを心が観ているのです。

この地球のすべてはいのちを持っていることがわかり、いにしえの時代にはそのいのちが常に観えている時代があったのでしょう。日本でも、研ぎ澄まされた神社などはその姿がいつも観えるように自分を整え心を澄ませています。他にも飛鳥時代などの大工さんや職人さんを調べると、確かにその方々にもいのちが観えているのがわかります。

私たちはいのちをいちいち確認していたら、何もできなくなると思いそのいのちから一定の距離を持つようになってきたのでしょう。しかし、繋がっているいのちの世界から離れたことによって私たちは心を忙しくするようになっていきました。心が忙しくなることで、頭で処理するようになりましたがその分、本当の豊かさや仕合せからも遠ざかったともいえます。

人間は戦争を繰り返しますが、戦時中でも美しい心を保ち続けた人たちの姿もあります。真に地球に住む生命を保ちたい、真の人間のままで素直を保ちたいとみんな自分に打ち克って生きていました。

花は、そんな人間の心をよく知っているのかのようにいつも美しい心のままに私たちに正対してくれます。花のいのちは短いといいますが、私たちはこの花のいのちをみて心を落ち着かせることができます。

花も多種多様、心も多種多様、しかし、その花が持つ美しさに魅せられて心は動いていきます。

この守静坊の枝垂れ桜も孤高の美しさ、その心を映してきます。老齢になっても、理想を失わずいつまでも情熱を持ち気魄を放ち永遠の若さを宿す枝垂れ桜。

この枝垂れ桜に恥ずかしくないように、真摯に甦生に取り組んでいきたいと思います。

 

英彦山の甦生のはじまり

昨日は、英彦山の宿坊、守静坊に120人以上が集まりみんなで茅葺屋根の茅を運び入れました。大きなトラックで6台分くらいあったでしょうか。一軒の家の屋根にこんなにも大量の茅を使うのかと驚きます。先日、阿蘇に茅を刈りにいきましたがその作業も大変な作業でしたからこれをこの数と思うと、改めて職人さんたちの労力や仕事に頭が下がる思いがしました。

現在、この宿坊は昭和のリフォームで茅葺屋根がトタン屋根に変わっています。もう地元で茅を育てている人たちもなく、みんなで茅を葺く文化も消失しました。できないのだから他の方法でということで、トタンになったのでしょう。トタンは便利で、茅を丸ごと囲いますから茅に雨が染みこむこともありません。茅は、そのままにしていると傷みますから定期的なメンテナンスが必要になります。

むかしは、常に囲炉裏に火が入っていたから茅も燻されて防カビや防虫などもしてくれ長持ちしました。現代は、燻すこともありませんからすぐに茅も傷んでしまいます。どう考えてもトタンからわざわざ茅葺にすることは見た目が良いメリット以外には大きな費用がかかるし、この先もずっとメンテナンスできるかという問題があるからと二の足を踏む人が多いといいます。それはよくわかっています。一般的には無理だと諦めるかもしれません。しかし、私は別に家をリフォームしているのではありません。

私は、古民家甦生を通して日本の懐かしい未来を甦生しているのです。なので茅葺屋根は私にとってはメリットしかないのです。やらない理由はまったくないのです。この茅葺屋根を葺くという行為自体が、懐かしさの源流であり、現代にも連綿と続いてきた真の日本人の心を甦生することになっているからです。

昨日は、みんなで「結」(ゆい)という体験をしながら、たくさんの茅を運びました。みんなで声をかけあいながら、力を合わせて協力しました。午前中だけでは終わらず、その後は有志が残ってくださって残りの茅もほとんど運びました。体力も消耗し、大変ではありましたがみんな心は清々しく笑顔も多く、素晴らしい人たちが一緒に汗をかいてくださっていることで場所全体が輝いていました。そして200年の枝垂れ桜もそれを満開の花と共に美しく揺れながら見守ってくれていました。

この懐かしい未来の光景は、決して文字では伝えることができません。

この場に参加してはじめて、これが「結」(ゆい)なのかと、直観し実感するものです。私はこの光景がいつまでも子どもたちに遺して続いていけたらいいなと心から祈っています。

人はみんな、みんなのものだと分かち合う時、そして誰もが地球では家族の一員だと助け合う時、私たちはそこに繋がっている存在、結ばれている存在の有難さに気づきます。他人と貸し借りができるのも、そして知らない人たちでも協力し合えるの、その時、心はとても豊かになります。懐かしい先人の生き方や知恵に触れるとき、私たちは何かを思い出しています。その何かは先人が私たちに遺してくださった大切な心を伝承し、その当たり前ではないことに感謝を思い出しています。そして私たちはその結ばれてきた今までのご縁の尊さを思い出すのです。

私たちは、ずっとむかしから今も結ばれ合っています。それをまたこの時代も結い直すことが、これまでもこれからも仕合せになっていくための知恵なのでしょう。

英彦山の甦生のはじまりが、この結からであったことに深く感謝しています。

歴史の大切な1ページを皆さんと一緒に、結でめくれたこと一生忘れません。英彦山のお山の徳が引き出された瞬間を感じました。ここからは引き続き、徳を磨き、英彦山から日本全体へとその徳を顕現させ子どもたちの心のふるさとを甦生させていきたいと思います。

一期一会をありがとうございました。

ありがとうの波紋

昨日、無事に46歳の誕生日を迎えることができました。多くの方々からもお祝いをしていただき、感謝の一日を過ごすことができました。ご縁は広がっていきますから、出会う人たちも広がっていきます。人生の豊かさの一つは、多くの人たちに出会い関わりを持てるということでもあります。

人はそれぞれに色々な生き方があり、色々な考え方もあります。まるでお花のように、色々なお花を咲かせてはそれぞれの徳が薫ってきます。その花の魅力をどう活かすかは、器にもよるし場所にもよります。みんなが活かしあえるような楽しく愉快な場所がこの世に広がっていけばいいなといつも思っています。

子どもたちがそうであるように、それぞれの子どもたちの徳は無限の可能性があります。やりたいことがあり、その人らしい個性を持っています。みんなで尊重し合う社会が実現できるのなら、悲しい暴力や戦争も遠ざかっていくように思います。

何世紀もの間、性懲りもなく人間は同じような戦争を繰り返しますが同時にどの時代にも暮らしをととのえて地球や自然と共生し、他の生き物と一緒にじっと耐え忍んで永遠の平和の実践を積み重ねてきた人々もいます。

しかし子どもたちは未来がありますから、この一時的な感情よりももっと大切なものを守るために私たちができることを、できる人たちからはじめていくしかありません。まさに、来た時よりも美しくしようと一人ひとりの一歩一歩が場をととのえて世界をより善くしていくことです。

私の現在の状況を振り返ると、いつも怒涛の一進一退です。善いことが起きると思って期待すると、すぐにそれが予期せぬことで叩き落されます。感情的には落ち込みますが、それでも人間万事塞翁が馬だからと粛々と初心を貫いていたらまた予期せぬことが起き偉大な恵みをいただきます。感情の起伏が激しい味わい深い体験ばかりの日々ですが、有難いことにその繰り返しによって謙虚でいられます。

私は今もずっと未熟で、どうしても謙虚でい続けることができません。心が揺さぶられ感動する分、感情も波立ちますから毎日は劇場のように物語が発生しています。しかしこうやってブログや日記、その他の内省の習慣の御蔭で少しは自分自身の心を守り続けることができています。

謙虚さというものの本質は、自分が恵まれていることに気づいていく感性のことをいうのかもしれません。

当たり前ではない、有難いことをどれだけ今、この瞬間に感謝しているか。私たちの日本語は、「有難う」という言葉の御蔭様で暮らしが潤います。多くの人たちとのご縁が広がるというのは、それだけ有難うという恵みをいただいているということでもあります。

皆さんの有難うの波紋が、お山に伝わり、そして世界に広がっていけるように真摯に自分の役割を全うしていきたいと思います。

ありがとうございます。

守静坊の枝垂れ桜

ついに念願の英彦山守静坊の枝垂れ桜が開花をはじめました。この枝垂れ桜は、文化・文政の頃(1804年~1819年)に、英彦山座主の御使僧として京都御所へ上京した真光院普覚という山伏が祇園枝垂の苗木を持ち帰り植樹したものだと伝わっています。

この枝垂れ桜の樹齢は約200年。高さ約15m、幅20mで、品種は一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)と言われています。

京都の祇園の桜のことを調べていたら、祇園枝垂れ桜というものが円山公園にあることを知りました。円山公園は、八坂神社の東側にひろがる京都で最も古い公園です。

なんとこの品種も守静坊と同じで「一重白彼岸枝垂桜」なのです。かつて歌人・与謝野晶子も愛でたという大きな桜は、現在二代目のものです。初代のシダレザクラは、根回り4m、高さ12m、樹齢200年余あったそうですが昭和13年、天然記念物に指定されましたが、昭和22年に枯死したといいます。現在の桜は、これに先立つ昭和3年に、15代佐野藤右衛門氏が初代のサクラから種子を採取し、畑で育成したものを同氏の寄贈により、昭和24年に現地に植栽したものだそうです。現在の容姿は、樹高12m、幹回り2.8m、枝張り10mとあります。

不思議に思ったのですが、守静坊の枝垂れ桜と初代の枝垂れ桜の年代がほぼ同じです。これは私の直観ですが、この桜はもとは同じ桜だったのではないかと感じます。現在の2代目の円山公園の枝垂れ桜は京都は南山城の井手町にある地蔵院の枝垂れ桜を株分けしたものです。この地蔵院の枝垂れ桜の写真をみたら、守静坊の枝垂れ桜にそっくりなのです。

その当時に思いを馳せると、どのような物語があったのかを想像しロマンを感じます。それが200年の歳月を経て、このタイミングで京都と英彦山がつながり枝垂れ桜のご縁で日本文化や信仰を甦生する場が誕生するのです。

ご縁というものは、時空を超えていきます。

どこまでがシナリオ通りなのか、それは神のみぞ知る世界です。私はその天意を邪魔しないように器として支えていくのみです。

皆さんと一緒に、枝垂れ桜の物語を未来に紡いで子孫たちの平和を祈念したいと思います。

学友との出会い、新たな平和への挑戦

友人のヤマップの春山慶彦さんの協力で英彦山宿坊のクラウドファウンディングをすることになりました。春山さんとは、2年前に宗像国際環境会議の座談会を聴福庵で行った時からのご縁です。

その時を思い返せば、穏やかな佇まいで語り、静かな情熱と哲学、美意識を持っている行動力のある姿に感銘を受けたことを憶えています。そこから約2年、ご縁からの行動を共にしたり英彦山の甦生への取り組みを通してさらにその人柄をすばらしさを実感しました。

振り返れば、その時々に場に誠実に、そしてどんなことからも吸収し学びを深めようとする実直な姿勢がありました。また、山のような深い心をもち長い目で物事を観て矛盾を受け容れつつ今を楽しもうと挑戦をしています。本をよく読み、知識を得ますが同時にそれを社会にどのように還元しようかと常に思案をしています。これは2年かけての私の勝手な人物評ですが、まるで「懐かしい日本の青年」という感じでしょうか。

今、世界戦争の足音が次第に近づいてきています。

私は戦後生まれですから戦争を知りません。しかし知覧の特攻の話や、沖縄の話をその土地のおじいさんやおばあさんから口伝で聞いたり、遺ったお手紙や日記、取材の内容を読んでいるとその当時の日本の青年たちの姿が観えてきます。

その姿は事に及んで真っすぐで誠実、家族のために社会のために自分の使命を全うするために深く学び、そして笑い、苦労を惜しまず命を懸けて運命を受け容れ実直に駆け抜けています。その根底には、深い優しさや悲しみ、そして思いやりを感じます。

私たちの心には、誰が与えたかわかりませんが最初から「真心」というものがあります。その真心に気づき、真心を盡そうと生きるとき、日本人の懐かしい何かに触れていくように思います。きっと歴史の中の青年たちは、この真心を常に生きていたのではないかと私は思うのです。

時代は現代、平和が続いて半世紀以上経ちました。平和で物質的豊かな時代を生きた私たちは何か大切なものを忘れているのではないかということに気づき始めてきています。これからどのような選択をするのかを決めるためにも、私たちはその当時の日本人の願いや祈り、その想いを改めて今こそ思い出す必要があると私は思います。

今回の英彦山の宿坊の甦生は、かつての日本人の心のふるさとを思い出すための大切な象徴になると信じています。

子どもたちに、何を伝承していくことが真心なのか。それは時代時代の人々の真の生き方であることは間違いありません。身近な学友から生き方の素晴らしさを学び合い、磨き合うような出会いをし、新たな平和を築くための挑戦を続けていきたいと思います。

樽の伝承

伝統の堀池高菜をむかしの樽に本漬けしました。このむかしの樽は、隣町にある伝統の味噌屋さんの蔵や建物が解体されるときにいただいてきたものです。もう随分と長い間、味噌をつけていましたが機械化したり樽がプラスチックになったりして使われなくなったものです。

昨日、樽をもう一度綺麗に洗ってみるととてもしっかりとできており隙間もありません。水をはってあげると、出番に喜んでいるような気がして使っているこちらも嬉しくなりました。

そもそも樽の文化はいつがはじまりなのかはよくわかっていません。世界ではおよそ2000年前にケルト人が金属の箍で木の板を張り合わせた丸い樽を作ったのがその始まりともいわれています。

日本国内では鎌倉時代末期に生まれ、室町時代に酒造業などの醸造業の発展と共に急速に広まっていったともいわれています。木工技術でいう結物(ゆいもの)の代表が、この樽や桶です。なので桶や樽を結桶(ゆいおけ)・結樽(ゆいたる)と呼ぶ場合もあるそうです。

これは従来の曲物の桶や樽に比較して強度・密閉性・耐久性に優れ、酒や醤油・油・味噌・酢・塩など液体や水に溶けやすい物資を入れて輸送するのにもとても役立ったといわれます。

もともと桶は、杉や檜などの板を縦に並べて底をつけ、たがでしめた円筒形の容器のことです。そして樽は、同じく「たが」で締めた円筒状の桶の形と同じですが蓋(ふた)があってお酒やしょうゆなどの液体を持ち運ぶのに重宝しました。どちらかというと、発酵させるもの全般は桶よりも樽を用いられています。

この樽の語源は、「ものが垂れる」=「垂(た)り」からきているといわれます。樽という字は木偏(きへん)に尊(たっと)いの組み合わせでできています。つまり「神に捧げる尊い酒壺」という意味で、樽は「神に捧げる入れもの」だったそうです。

よく神社にいくと酒樽が奉納されていますが、まさにあれは樽そのものの本来の役割を見事に顕現している姿です。神様に捧げると思ったらそういう品のある自然の器を用意したいと思うものです。そうなると私ならやはり木樽になります。

大事に育ってくれた高菜だからこそ、その高菜を漬ける塩も、ウコンもそして樽も本物にしたいと思うようになるものです。そしてその樽を安置する場所も、ととのえて清浄にしたいと思うようになります。

よく私はこだわりが強いといわれますが、こだわりが強いのではなく当たり前のことをやっているだけです。当たり前のことがなくなってくるとすぐにそれがこだわりだといわれるものです。

丁寧に暮らしを結んでいくなかで、本来どのようなものが本物であったか。それは自然を尊敬し、日々を大切に丹精を籠めて生きていれば自ずから本物に近づいていくものです。

子どもたちにも本物に囲まれた暮らしを伝承していきたいと思います。

知恵の本質

経験というものは知恵そのものです。人は経験をするという時点で知恵を得ているともいえます。経験をよく観察すればするほどに、そこには知恵が隠れていることがわかります。失敗をすることも成功をすることも、それは実はどちらでもよく大切なのはそこから何を学んだかということです。

この経験は、時間が経つことで観えてくる境地があります。経という字は、もともと縦軸の意味があります。つまり長い時間をかけて培われてきた知恵のことです。お経もひょっとしたら、その経の意味もあるのかもしれません。

そしてその縦軸の経験をじっくりと何回もその時々で観察してみる。すると、時間が経つにつれ、経験の質量が増えていくにつれ知恵が鮮明にかつ多面的に入ってくるようになるのです。

一つの小さな経験が、他の経験の助けにもなります。

よく一つを極めた人が、他でも極めていく道楽者の人たちをみかけますがこれはあらゆる経験から知恵を会得しその知恵によってまた別の道も達していくのです。先達というのは、あらゆる知恵を会得するような経験や体験を修練を積んで得た人です。

私たちは今、頭ばかりつかって知識を得ていますがそれで分別知は磨かれます。わかりやすく整理され、複雑な言語を使い分けまた新しい定義の言葉を産み出せます。しかし現実の世界では、現場がありますから場に真実が出てきます。

その場は、身体感覚や五感、そして直観や第六感などあらゆる全体を駆使して知恵を活用していかなければ物事を真に理解し全体と調和していくことができません。つまり知恵が必要になるということです。

子どもたちには、知恵を学ぶことの大切さを背中で伝えていきたいと思います。自分を信じて、経験をすること、観察すること、そして修練を積み、知恵を磨くことを伝承していきたいと思います。