いのちの甦生

英彦山の守静坊の祭壇の甦生が仕上がってきました。江戸時代に書かれた建具の絵に仙人が描かれており、そこで学んだ山伏や檀家さんたちの様子が甦ってきました。

私はその時代には生きていませんが、その建具は大勢の人たちがこの宿坊に来て様々なことを学び合い語り合い、そして助け合った記憶を見守ってきました。新しい宿坊になっても、この時を超えた見守りはいつまでも続くようにと願い祭壇の壁面として生き続けられるようにしました。

他にも、もともとあった古材の板をはじめ彫刻や柱など遺してあるものの中でも特に大切に祀られてきたものや飾られてきたものはできる限り修繕をして使っていきます。

私たちの身近にあるものはどれも歴史を持っています。古いものであれば、何代もの主人を経て今の私のところにたどり着いています。前の主人はどのように大切にしてくれたのか、新しい主人はどのような人なのか、物はよく私たちを観ています。

どう考えても私の寿命よりも長いものばかりに囲まれていると、その数奇な運命に人生の妙味を感じます。辿ってきた歳月や、出会ってきたご縁、そして時代の様々な出来事との遭遇、それをすべて体験して今のカタチとして此処にあるからです。

物は物語を持っています。これはただの無機質の物ではなく、時を持っているのです。その時が集まってきたもの、つまり集大成がこの今であり私でもあります。

物を大切にすることも、もったいないとすべてのご縁を活かすこともそれはこの時の中に自分も一緒に存在していることを感じ続けているからです。これを最近では五次元という言い方もするそうですが、元々生まれてきてからずっとこれからも私たちは五次元の中今に存在するということでしょう。

私が仕合せなのは、もともと別の使われ方をするために作られたものがそこで一生を終えるのではなく別の役割をもって甦生していき喜んでいる姿を観ることです。そのものが終わるかどうかは、それを見出し使う側の存在に由ります。

才能があっても見出す人がいて開花するように、道具たちや物たちもそのいのちを活かす側によって開花します。この地球で産まれたすべてのいのちは、そうやってお互いに活かしあい生きるときこそ真の幸福を感じるのです。

私の甦生の流儀は、場にこそ顕れます。

子どもたちに場を遺し、その生き方を伝承していきたいと思います。

日本の初心

現在、英彦山の宿坊の甦生に取り組んでいますがいつものことながら困難続きです。だいぶ、これまでの経験から慣れてはきていますが信じているものの現実の対応には決断ばかりが必要で心身の疲労は蓄積していきます。

振り返ってみると、これまでも古民家甦生は無理難題ばかりの連続でした。当然ながら、費用の問題。大工さんや職人さんたちは一生懸命に取り組んでいますからそのお支払いが必要です。なぜ今までなんとかなってきたのが不思議で、その都度に知恵を出したり周囲の方々からのご寄付があったりして何とかなってきました。

そして次に建物の問題。私がやるところは皆が手入れをやめて荒廃していよいよ最期かというところのものしかご縁がありません。中もぐちゃぐちゃで、木材などもシロアリ被害にあっていて思った通りに工事が進みません。

他にも私の無知からの不手際でご迷惑をおかけしたり、本業の仕事ができなくなりみんなに迷惑をかけたり家族との時間が減り家事を任せきりになっていたりと、いろいろとあります。

何よりももっとも大変なのは、本質を守り続けるためにブレないで最後まで貫遂するための自分自身との正対です。

私が取り組むときに最初に決めるのは、「家が喜ぶか」「本物の和にしたか」そして「子どもに恥じないか」と定めます。今回の宿坊はそれに加えて、お寺ということもあり「布施行」を貫き仲間を増やし、「いのりの場」として子孫に繋ぐためのプロセスを重んじたかと、取り組みの際の自戒を定めてやっています。

何度も費用のことや、楽にやろうとしたり、時間がないなかで時間を敢えてかける方を選択したり、ブレないで自戒を大事に守り取り組んできました。夜中に夢に魘されたり、山の中の寒さで冷え切り体調が著しく崩れたり、心ここにあらずで怪我をしてしまったり、ストレスで頭痛や胃腸を悪くしたりと、思っていた以上に堪えました。

しかし、そんな時こそ足るを知り、いただいている方を観て感謝して同時に信じてくれた自分や周囲の御蔭様に勇気をいただき前進してここまで来ました。周囲からは、順風満帆で明るくやっていますし私自身も弱さを公開せずに徳を積む仕合せをこぼれさせようと顔晴っていますからなかなかこんなことを伝えることがありません。

むかしの諺に「武士は食わねど高楊枝」があります。 これは誇り高い武士はどんなに貧しくても、腹いっぱい食べたかのように楊枝を使って見栄を張っていたというものです。これは見栄をはっていたのでしょうか?

実際には、江戸時代の武士の多くは今でいう政府や役所のお役人でした。彼らの多くは私利私欲に走ることなく世の中のため、民衆のためにと働いた公人でした。現代のように裕福でモノに溢れた時代もある中でも為政者としての武士の倫理規範をもち、無私の奉仕、誠実な生き様を痩せ我慢をしてでも実践した言葉です。

この時代、価値がないと捨てていく大切な伝統や本物の文化が荒廃していくのを見すごせないと私のようななんでもない凡人でも環境がなくても真摯に取り組めば甦生はできるとその姿に何かを感じてほしいと宿坊の甦生に取り組んでいます。

かつての山伏もまた、山で暮らし山を守り、日々に修行に精進して気品高く人々のために盡してこられました。私にとっての山伏は、先ほどの武士は食わねど高楊枝で尊敬する先人であり先達なのです。

その暮らしを甦生するためにも、私自身が同じ境地を少しでも感じたいとこの今も甦生に取り組んでいます。今回の宿坊の甦生、英彦山の甦生は、できる限り多くの方々のお布施や托鉢、そして英彦山を愛し、日本の誇りを甦生するための寄付をなるべく多くの一人ひとりから集めたいと願っています。

それが日本人の心のふるさとを思い出し、日本の初心を甦生させることになると信じているからです。途中経過になりましたが、今の私の心境です。皆様の心に何かが伝わり、一緒に徳を積むことの仕合せや喜びがこの社会をさらに磨き上げて素晴らしくしていくことをいのっております。

宿坊が甦生し、皆さんにお披露目できるのは新緑の頃になると思います。

ぜひ、この「いのりの場」に来ていただくご縁がありましたら心に懐かしい未来の美しい風景が宿りますことを念じております。残りの期間、しっかりと取り組みます。

一期一会

暮らしの修行

人にはそれぞれのそれぞれのお役目というものがあります。他人と比べるのではなく、自分の天命を生きるとき、その天命を通して自分の役目に少しずつ気づいていきます。その役目を受け容れるとき、私たちは諦観を得て安心の境地を感得するのかもしれません。

まだまだ心が定まらないのは、自分のお役目よりも自分の我が先行して執着に囚われているからかもしれません。そんな時こそ、内省をして自分本来の心が実践したがっていることを素直に取り組んでいくことで心の平静を保てるように思います。

人は人に影響をされるし、及ぼされる存在でもあります。その影響は、自分を中心に変化していきますから体験した気づきを学びながら日々の暮らしをととのえていくことで時を味わい時に素直に学べます。

日々の暮らしの修行の面白さというのは、常住坐臥の境地を遊べることかもしれません。

私たちは修行というは何か厳しいものという認識を持っています。しかしよく考えてみたら、生きているというのは自然界では当たり前の厳しさはあります。食べていくだけでも大変ですし、気候の変化や災害、そして病気や外敵などすべての生命はその当たり前の自然の厳しさの中で暮らしています。同時に、自然の慈愛や恩恵もいただき自然界ではいのちを謳歌して何百年も何千年も同じようにこの自然界で楽しみ豊かに生きています。

自然から離れてしまうと、私たちは何か厳しさで何が慈愛なのかを感じにくくなっていくのかもしれません。本来は厳しい中にこそ慈愛があり、恩恵の中にこそ厳しいものがあったりもします。自然はどちらかに偏るのではなく、陰陽調和のように常に中心を保とうとして変化しています。

私たちも自然の一部ですから同じようにすべての生命と同様なことに共に中心を保つように取り組んでいくのです。言い方を換えれば、調和のためにバランスを保つのが私たちの中心であるということです。

心はその中心の軸を保つものです。

心をととのえていく暮らしは、先人たちも今まで行ってきた懐かしい暮らしの中に見出すことができます。私が取り組んでいる暮らしフルネスの中には、その知恵がたくさんあります。

子どもたちに、先人の知恵が伝承され、この地球で健やかに長く平和に暮らしを豊かに楽しんでいけるようにお役目をはたしていきたいと思います。

小さな努力、小さな成功、偉大な志

一つ一つをカタチにしていく中で小さく試すというものがあります。いきなり大きなものをやろうとしても本当にそれができるのかがわかりません。それにもしものことを考えたら足が止まってしまうものです。

そういう時は、まず小さくはじめるというのがコツだと私は思います。それが一つの知恵です。

以前、北海道で植松勉さんと一緒に紙でつくったロケットを飛ばす体験をしたことがあります。あの時も、小さいながらも実物を縮小したものを触った感覚でそれが大きくなったのが宇宙にいくものになります。石風呂をつくったときも、波動石の温度や質感が本当に思った通りになるのかが不安で何回も小さく試しました。小さいものでできたら、それを大きくしていく。これがもっとも成功への近道であったように私は思います。

私はもともとはむかしから慎重で石橋を叩いて渡るタイプです。臆病なのかもしれません。没頭すると、忘れてしまうので余計に試してからと思うようになったのかもしれません。

よく考えてみると、不可能を可能にするのはこの小さくはじめていくことかもしれません。最初から大きいことにすると、可能なことも不可能になってしまいます。周りがどんな風に思おうとも、志があれば小さなことを積み重ねていく努力は続けていくことができます。

本当に偉大なことをやり遂げたいと思うのなら、小さな成功を積み重ねていくことを大事にしていくことだと私は思います。私の取り組みも、今はまだなかなか理解されずにご迷惑をおかけしていますが1000年後の子どもたちのためにも着実に小さな試行錯誤と小さな努力を続けています。

この私が準備していく舞台がいつの日か、子どもたちの未来に結ばれていくように真心を籠めて取り組んでいきたいと思います。

希望を育てる

人は、どうしようもないと思うと諦めるものですがそれが本当に大切なことであれば諦めることで思考が停止してしまうものです。諦めるのにもいくつかあり、人事を盡して天命を待つのような諦めと、あとは周りがそう言っているのだからと諦めるものでは意味が異なります。

例えば、コロナによって私たちはマスクをつけて今の人と集まらないということを制限されていますがこれがこの先もずっと続くわけではありません。マスクをつけ続けることで発生している様々な問題や、人が場に集まらないことで発生する社会の問題や人間関係や心身の問題なども出てきます。

それをなんでも仕方がないと最初から決めつけて諦めてしまっていたらそのうちすべての思考が次第に停止していくものです。歴史を振り返ると人類は、どんな時も困難に向き合う中で主体的に自分の内側にある創意工夫や知恵を働かせて禍を転じて福とすることで今まで以上によりよいものを誕生させてきました。

私が取り組んでいる、様々な甦生もまた同じことです。

古い伝統的なものを捨てていく問題、伝統文化が消失していく問題、子どもに智慧が伝承されなくなっていく問題、それをすべて資本主義だからや時代の流れだから仕方がないと諦めてしまっているのは思考停止になっているに過ぎません。子どもたちの未来のことを思えば、それを最初から諦めるのではなくかえってすべて福にしていこうとする自らの知恵で今まで以上のものに仕立て上げて甦生していくのです。

人はそのものをどう見るかは、その人の美意識や心境、そして思考が決めるものです。ある人が不可能と思えることでも、他のある人ではそれは可能かもしれません。大事なのは、諦めないことなのです。

ある種、その諦めない中には明るさがあります。つまり楽しみや遊び、そしてもっと面白くしようと思う前向きさがあります。マジメジメジメとした悲壮感やマイナス思考ではなく、気楽さや喜び、そして感謝があったりするのです。

私が思う思考停止しない状態というのは、常に明るく前向きで物事を楽観的にとらえ、今まで以上に面白くして楽しもうという境地を持っている状態ということになります。心が常に動いているのです。

マスコミの影響などを受けて情報を他人任せにしているうちにコロナでなんとなくみんな周囲も思考停止しています。ずっと同じようなことが2年も続けば、みんな諦める人が増えてそれは暗くもなるでしょう。しかし、夜明け前のように様々な光の兆しが出ていますからそれを楽しみ膨らませていく中に希望があります。

未来の子どもたちのためにも、希望を育て導いていきたいと思います。

心を磨く

昨日、ご縁あった方々と一緒に滝行を行いました。この滝行は、古来からある修行法の一つで心身を禊清め、鍛え磨く効果があるといわれています。この時期の、とても冷たい水を受けることで心を強くし気持ちを一新する効果もあるといわれています。

本来、日本では大切な儀式のときや人生の節目にはこの禊や潔斎を行いました。その一つに滝に打たれて心を研ぎ澄ますというものがあったように思います。

現代では、楽で便利な環境下ですから厳しく不便な環境は慣れていない人が増えています。滝に打たれると聞いただけで震え上がる人も多く、滝行は人気があるとはいえません。

しかし時代が変わっても、大事な局面で自立して覚悟を決める何かがあるときこそ自分の弱い心を向きあい、乗り越え、強い決意をもって何かをやり遂げる心をつけることもでてきます。

世の中で、逃げようとする心を断ちたいと思う人は大変多いと思います。かの二宮尊徳も、成田山新勝寺で断食や厳しい修行を通して心を鍛え直し、もう一度復興の心を呼び覚まし、そこから最後までやり遂げていきました。

もちろん極端な修行がいいというわけではなく、今の人たちがどのようにしたらその覚悟を持て心身を鍛えられるかを時代時代に考える必要があると私は思います。あまりにも極端な修行や苦行では、自分自身と向き合うことはかえって難しくなると感じるからです。

今の時代は、苦から楽ではなく、楽を真楽にする方が導くのには効果があるのではないかと私は思っています。真の喜びを知ることは、真の喜びの苦を学ぶことです。楽は苦の種ですが、苦も真楽の種です。

この苦楽を共にする暮らしを通して、私たちは真楽にたどり着くのではないかというのが私の提唱する暮らしフルネスでもあります。

実践を通して、気づいたことをみんなで分け合い、子どもたちが仕合せに暮らし続けるような社会に近づけていきたいと思います。

一期一会のご縁、ありがとうございました。

 

只管打座の暮らし

先日、ある禅僧の方と一緒に瞑想をするご縁がありました。この瞑想というものは一般的には、足を組むなどして座り目を閉じて心を落ち着ける行為のことを言われます。広辞苑(第六版)には「目を閉じて静かに考えること。現前の境界を忘れて想像をめぐらすこと。」と書かれます。

私はこの瞑想の自分なりの解釈は、整えることを言うと思っています。常に暮らしの中で整えながら生活をしていくということ。私の暮らしフルネスは、この暮らしを整えることをベースにしています。

かの道元禅師は、「只管打坐(しかんたざ)」という言葉を遺しています。これはそのまま「ただ ひたすらに坐る」という意味です。その解釈としては下記のように説明されているといいます。

「瞑想を行い、そこから様々な功徳を得ている人は数知れない。あまりにも単純な方法だからといって、その可能性を疑ってはならない。今、自分が存在している場所で真実を見つけることができないというなら、一体どこに真実があるというのか。人生は短く、何人も次の瞬間が何をもたらすかを知ることはできない。心を養いなさい。その機会はいくらでも訪れる。やがて、すばらしい知恵を発見することになるだろう。そうすれば、今度はその知恵をほかの人びとと十分に分かちあい、彼らに幸福と平和を与えることができる。」

そもそも考えてみると、悟りとは何か、修行とは何かということを思います。悟りがあるから修行するのであり、修行するから悟ります。つまりこの悟り=修行は一体のものであり分けられるものではありません。悟ったから修行を終わるのではなく、修行したから悟るのではありません。常に、修行しながら悟り続けていく姿こそが真の道であるということです。

すると座禅というものもそこから考えるとわかります。ただ、座ればいいというものではありません。自分のいる場所で、修行し悟り続ける。この座るという字は、据わるともいわれます。居場所を保つことです。そして坐るというのは動作の漢字であり、座るというのは場に座すということです。

英彦山にも座主がいるように、このその場を創る人は座っているのです。私の場合は、「場の道場」(BA)の座主であるともいえます。どんな状況や環境であっても、自分の生き方や信念に座り続ける。まさに、道元禅師という方はそのような方だったのだろうと想いを馳せました。

私も、このような現代社会の中で人類の本当の生き方、そしてあり方などと正対しているとこの座禅は何よりも必要であることに気づきます。子どもたちが安心して自分の天命を生きられるように私も只管打座の暮らしを実践していきたいと思います。

 

初志と予祝

昨日は、無事に妙見神社の御祭と徳積財団設立2周年の座談会を盛況のままに開催することができました。コロナで人数を限定していましたが、心ある仲間たちが参加してくださり気持ちを一つに真暦での正月と予祝を過ごすことができました。

場にはその心地よい余韻がのこり、その余韻でまた夜も直会をして音楽を楽しみ時を忘れて仕合せを噛みしめていました。

思い返せば、もう25年くらい前に国際人とは何か、コスモポリタン、また地球を代表する人類として一体どう生きたらいいのかを模索していました。その頃も、東京の新宿で国際人会というものを私が立ち上げ有志のメンバーでどう生きるか、日本人としてどうあるべきかを語り合っていました。

そのころは、みんな若く情熱だけありましたが実力も時も定まっておらず必死でそれぞれ起業をしたてだったことと、他にも入社したてだったこともあり、気持ちだけで取り組んでいました。

あれからだいぶ経ち、気が付けば日本人とは何か、そして国際人とは何かということがもう身近にあり、今では実力も多少は追いつき、そして時が味方してくれているのを感じます。

初志はずっと変わらず、気がつけばその初志に合わせて人も物も物語も集まってきただけです。

私はこの集まってくるというものがとても多いタイプのようで、身近にはいつも本物や普遍的なものが集まってきます。志を共にする同志は、決して人だけではなく物や物語なども同じです。

たくさんの物語が集まってくると、それが集大成となり偉大な物語になっていきます。

人生は記憶を生きていますが、同時に歴史もつくっています。歴史は決して過ぎ去った過去のことではなく、今もこの瞬間も創られ続けています。どのような歴史を刻んでいくかはその人の生き方、そして信念、志が決めるのです。

他人をみて、他人のことを気にするのではなく、自己を省みて、自己を研ぎ澄まして本来の初心を忘れず初志を貫遂することが自分自身を生きることです。自分自身を生きるというのは、自らの「場」に物語を顕現させ続けることです。

出会いが場をつくるように、歴史が場を育てます。

じっくりと時を遊び、時を活かし、時を信じて、時が集まってくるまでその時を心静かに待ってみたいと思います。英彦山は、日本人の、いや世界人類の心の故郷として間もなく甦生します。

おめでとうござます。

徳の回帰

大分県中津市本耶馬渓に「青の洞門」というものがあります。これは江戸時代、荒瀬井堰が造られたことによって山国川の水がせき止められ、樋田・青地区では川の水位が上がりました。そのため通行人は高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通ることでしかそこを渡れなくなっていました。

諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓に立ち寄った禅海和尚が、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めたのがはじまりです。

この禅海和尚は最初は、自分一人で3年間ノミとで穴を掘りぬき、その後も托鉢勧進によって雇った石工たちとともに30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させたという話です。その後は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用をもらうことにし、これが日本初の有料道路とも言われています。

私はこの青の洞門に深く心が支えられていることがあります。周囲の誤解で事を邪魔されたり、すべてをひっくり返されるような出来事に出会う時、また一人でコツコツと地道に取り組んでいる最中など、ふとこの禅海和尚のことをいつも思い出し徳を偲ぶのです。

人は、あまりにも偉大なことを発想したり、あまりにも遠大なことに取り組もうとすると周囲から必ず誤解されたり疑われたり、変人や狂人扱いをされるものです。一生懸命それを何度も説明しても誰も本気にはせず、言い訳の一つやもしくは何か裏があるのだろうと思われたりもします。私の人生はいま振り返るとそんなことばかりの連続でした。不可能と思えることや、意味がないといわれることに取り組んでいくことは陰徳のようでそれを誰かに認められたいからなどの気持ちは入りません。でも人は人とあまりにも違う人をみると好奇な目もあり社会秩序などが気になってしまい黙ってはいられないのでしょう。

私の場合は、今まであまり目立たずにこっそりとひっそりとそっとしてもらいながら取り組んでいくように心がけていきました。時折、周囲が盛り上げて運動にしようとされますがそれがいつも返ってそれぞれの我欲望の養分になって大きな邪魔になってしまうことが多く、結局は静かに実践する人たちと穏やかに取り組んだ方が安心して結果が出るまでが早かったりするからです。

人は真の意味で人を信じることができるとき、本当の意味の支援や協力をしてくれるようになります。誤解されたり、いつまでも理解されないのは、まだ自分の真心が人々が信じるほどではないのだと諦めて真摯に取り組むしかありません。

この青の洞門は、そういう意味では私たちが真に徳を積むためのお手本であり模範です。この取り組みをベンチマークして学び、取り組むことで私たちはこの先人の智慧を活かしこの国も人々の心も甦生させていくことができると私は思うのです。

この禅海和尚は、初心を定めてから3年間はまずは一人で掘り続けました。すると3年目にしてはじめてお手伝いしてくれる人が現れ一緒に掘り始めます。その後は、一人二人と協力が現れみんなで掘り始める。今度は、石工たちに費用が払えるように托鉢が広がっていきます。最後は、有料道路にして通行料をとってそれを掘り修繕するための費用にします。この流れで、トンネルが掘られたのです。そしてこの景観と遺徳後世まで守るためにと、福沢諭吉が周囲の土地を買い取り守ります。その後は羅漢寺と共に、現代の資本主義の台風をいわばでしのぎながらも嫋やかにその陰徳を顕彰し続けるために維持します。そしていつまでも多くの人たちが訪れてその価値を学び続けます。それが私のように志を守る勇気をいただく原動力となって心にいつまでも徳が掘り続けられていくのです。

これは一つの真実であり、甦生やコンサルティングのもっとも王道のカタチです。

現在、英彦山の甦生に取り組んでいますが私がいつも心に抱いて見本にしているのはこの禅海和尚の志の貫徹する実践の姿です。信仰というものの本当のチカラは、人々の心に徳を回帰させていくことです。

徳が回帰すれば、人々はその偉大なことをいつまでも学びそれを世の中を導く原動力にしていきます。ひょっとしたら福沢諭吉にもこの禅海和尚は偉大な影響を与えたかもしれません。子どもたちは、このような遺徳が養分になり健康に成長していきます。

1000年後の未来のために、逆算して今、何をすべきかをこれからも真摯に取り組んでいきたいと思います。

 

暮らしフルネスの本懐

万物にはそのものの徳というものが備わっています。それを磨き明らかにしていくことを、明徳という言い方をします。この明徳は、大和心そのものでもあり日本人に連綿と続いてきた大切な生き方です。私は、この大和心の甦生のことを「暮らしフルネス」と定義しています。もっとシンプルにいえば、この徳を明らかにし、徳を循環し徳によって治める世の中になっていくことが暮らしを実践する理由ということです。

私が本業として取り組んできた見守るという保育も、またむかしの田んぼや伝統固定種の高菜、そして古民家での智慧の甦生やあらゆる現在の取り組みに至るまですべてはこの大和心がそうさせているともいえます。

和というのは、徳が引き出されることでわかります。和食であれば、素材のもっているそのものの味や魅力が引き出されたことをいいます。私は料理人ではありませんが、井戸水や炭火をつかい素材そのままで味わうものを好んでつくります。余計な味付けなどしなくても、そのままの味が出た方がその徳が明らかになるから好むのでしょう。

このみんなが使っている「和」や「暮らし」は、本当の意味になっているのでしょうか。なんとなくわかりやすく使われていますが、日本人の和や日本人の暮らしではないものがほとんどになっているようにも感じます。

そもそもこの和や暮らしは、長い歴史の中で用いられた言葉です。歴史を学ばずして、先人の智慧の伝承なくして使うようなものではありません。現在は、何か新しい知識やそれを上手に分かりやすく便利なした言葉がすぐに独り歩きしていきます。しかし、本来は長い年月を経て醸成された発酵したような言葉であることが本質です。

だからこそ、知識ではわからないものが「言葉(言霊)」の中に存在しているともいえます。同じ、「暮らし」という言葉を使ってみたとしてもです。その暮らしという言葉は、使う人の持つ歴史や伝統によってまったく意味が異なっているということです。

私はもともと「和風」という言葉が嫌いです。和風は和ではないから、言葉遊びのようになるのが苦手なので嫌いという具合です。本物の「和」は、和風のものとは一切異なります。ひょっとしたら、昔気質なのかもしれませんが日本人としての誇りがあるからどうしても和風が馴染まないのかもしれません。西洋の文化や他国の文化はいつも尊敬しています。だからこそ、この便利な和風はどこか失礼ではないかとも感じてしまうのでしょう。これは決して和風がわるいと言っているのではなく、少し苦手というニュアンスで書いています。

刷り込まれた知識や、社会通念があるということが前提ですが私たちは何が本来の和であるのか、何が本来の暮らしであるのかをみんなで実践を磨き合う中で学び直す必要性を感じています。

私がこの場の道場での取り組みは、それを子どもたちに伝承し未来を智慧で満たすためです。先人の深い愛や思いやり、そして暮らしを次の世代へ伝道していきたいと思います。