物は語る

今は、大量生産大量消費の価値観が当たり前の世の中ですから物をただの物(いのちのない存在)としてすぐに使ったら捨てていきます。リサイクルなども、まだ使えるからと再生しますが物であることには変わりません。

むかしは、物にも心が宿っていると知っており物のように扱わずにそこには心があると信じていました。つまり物もすべて生き物であると信じられていたのです。生きているからこそ、関心を持ち磨き手入れをして大切にしてきました。

大切にされた物は、心が通じ合いますからお互いに無言の対話を続けていきます。そして何かのご縁から結ばれ、偶然の物語が生まれます。そうやってお互いのいのちが輝き、生きていることの豊かさを共有し共感しあってこの世を彩るのです。

物が溢れてしまうことは、ある意味で贅沢なことのように思えますがその分、機会が減ってしまうこともあります。以前、大阪の藤井寺で尊敬する室礼のメンターにお会いすることがありましたが、そこは本当にすべての場所に丁寧に物が置かれ、場がイキイキとしているのを感じたことがあります。

あれだけの物をすべて丁寧に配置する配慮の仕方に、物との接し方を学んだことを思い出しました。その方は、雛人形を毎年お祀りし3000人ほどの人に無料で公開しておられますがお祀りする姿勢にたくさん学ぶことがありました。

私たちは物と接するのにどれくらいお祀りするつもりで関わっているかが問われます。物はただの物ではないと感じられるのは、物に対しての接し方がいのちのあるもの、心があるものと思って暮らしを生きるから観えてくる境地でもあります。

それを単に人間の都合のよい便利な物になれば、不便になればすぐに粗末するのでは物のいのちも見えなくなり、物がゴミのように扱われて捨てられます。都市のいたるところにはゴミ山だらけです。ゴミばかりが毎日、大量に捨てられ便利なものばかりに囲まれて生きることは果たしていのちは仕合せなのか。

子どもたちに譲りの遺していきたい未来のために、今の生き方を見直し、物を手入れし磨き直して大切にしていきたいと思います。

味噌から学び直す

毎年味噌をつくっていますが、味噌の魅力を再認識することばかりです。味噌は、不思議で同じ材料と素材をつかってつくってもその家家によって味が全く変わっていくといいます。

その家の味が出るということです。それはなぜかと少し考えてみると、味噌が生きているからであり、その生きている菌がその家のあらゆる空気や場の雰囲気で変化しているということです。

つまり環境の影響を受けて、そのものが育っているということの証明です。

私が「場」の話をするとき、この麹菌や味噌の話をすることが多いのはそれだけ環境が大切であるということを伝えるからです。

手前味噌の話ですが、うちの場合は敢えて人の足音が聞こえるところや人の声がたくさん聴こえる場所に味噌樽を置いて熟成させます。むかしは、囲炉裏の近くが善い味噌ができたと文献で読んだことがあります。

麹菌は灰を食べることも知られており、竈や囲炉裏の近くで遠赤外線を浴びたり、灰を食べたり、また一緒にご飯を食べるところの環境にいれば味噌もそれに合わせて美味しくなっていったのでしょう。

この一見、非科学的な事実ですが味噌は真実を語ります。私たちの体内にいるものも同様に菌でできています。その菌がどのような環境の中に居ることが善く育つのか、それは環境が影響を与えていることがわかります。

人間を善くする菌が元氣になるような環境があるのなら、それは居心地が善い場が生まれているということです。逆に、味噌も菌も育たない環境であれば人間にとってもよくないということです。

以前、都会のマンションの中で靴箱の中で味噌樽をつくったことがあります。その時は、味噌に黒カビが出てきて味も全く美味しくありませんでした。他にもいろいろな場所で試しましたが、実家や古民家でつくるようにはなりません。

一見、快適で便利にみえるマンションの中ですが菌にとっては善い環境ではないということです。私たちの生活の場を決めるのに、菌と対話するというのは大切なことです。現在は、なんでも除菌や滅菌などをしますが果たしてそれらは本質的に環境を考えるきっかけになるのでしょうか。

味噌ひとつとっても、私たちは長い年月菌と共生してきたことがわかります。健康であること、居心地がいいこと、発酵すること、これらは人生を豊かにするための大切な要素の一つです。

子どもたちに遺したい暮らしの中に、菌との共生は必須項目です。味噌から学び直していきたいと思います。

炭の豊かさ

急に寒くなってきて、家は冬支度をととのえています。冬といえば、もっとも重宝するのが炬燵です。現在、西洋建築が中心に建物はたっていますから炬燵の需要は減少しています。

しかし、暖房とは異なる炬燵の暖かさや豊かさは炬燵でしか味わえないものがあります。思い出せば、冬の寒い日に家族がみんな炬燵であったまりながらそれぞれに好きなことをゆったりとして過ごす。時折、みかんやおかし、そしてご飯を食べながらまた団欒する。お互いに場所を分け合いながら、みんなで炬燵に入ってほっこり過ごすところに和の心を感じます。

私の使っている炬燵は、一つは炭団(たどん)といって炭(木炭、竹炭、石炭)の粉末をフノリなどの結着剤と混ぜ団子状に整形し乾燥した燃料を使う炬燵です。櫓炬燵といって、炭団をいれておく陶器があってそこに炭団をいれると8時間くらいはぬくもりが拡がります。まるで温泉にでも入ったかのような温かさで、遠赤外線で炬燵からでても体がポカポカするものです。聴福庵では、冬はいつも2階で過ごしますが居心地がよく穏やかに冬を楽しむことができます。

もう一つはBAある炬燵でここは豆炭を使っています。この豆炭(まめたん)は、石炭や低温コークスや亜炭や無煙炭や木炭などの粉を混ぜ、結着剤とともに豆状に成形した固形燃料のことをいいます。炭団とは異なり、多少の臭いもありますが熱量は強く超機関燃焼します。あんかとしても使うことがありますが、豆炭をサシコマット(ガラスウール)でくるんで燃焼させる燃焼器を櫓の中にいれて使います。うちで使っているのは、通風口の開閉により強弱の調節や使用する豆炭の個数による調節もでき温度調整ができます。

今では電気の炬燵が便利だと思われていますが、火力の強い豆炭を岩綿でくるんで酸素の供給量を調整することで使えるようにするというのはその時代は大発明だったでしょう。

やっぱり電気と異なり、豆炭も遠赤外線で芯から温まり使うと冬がまた格別です。火は、危ない側面もありますが私たちの暮らしをいつも支えてくれている大切な存在です。その火の徳性をよく観察し、それを上手に活かした日本人の智慧には感動と感謝が湧いてきます。

子どもたちに、この暮らしの豊かさを伝承し和の心を育てていきたいと思います。

暮らしと柿

今年も柿を干し柿にして聴福庵とBAの軒先に吊るし暮らしの風景を楽しんでいます。この干し柿は、冬の風物詩ですが今年は特にコロナウイルスの流行もあり、体調と整え免疫を高めるためにも効果が期待されます。

最近、柿の効能が改めて認められてきています。

ニュースでも、柿の柿渋がコロナを無害化することが研究で証明されています。この柿渋はいつも古民家の修繕で活躍するもので、ありとあらゆるところで利用していましたがまさかウイルスにも効能があるとは思ってもいませんでした。

柿渋のすごさはエタノールという消毒薬はインフルエンザには効いてもノロウイルス、ポリオウイルス、手足口病のウイルスには効きません。緑茶由来のタンニンはポリオには効くが、ノロ、手足口病には効きません、しかしこの柿渋由来のタンニンははヘルペスウイルス、アデノウイルス、ロタウイルスなどほとんどすべてのウイルスに効果があることが認められています。

まさに万能の特効薬のような働きがあるのです。「柿が赤くなると、医者が青くなる」諺通りです。

この柿渋は日本固有の発酵文化から誕生して1300年の歴史があり、渋柿の果汁を発酵、熟成させたものです。1300年も伝承された文化は、まさに自然の篩にかけられても効果があると先人たちが認め続けてきた本物の証明です。

私の自然農の畑の上の柿山にも甘柿をたくさんつくっています。この甘柿は福岡県が全国1位の生産量を誇っています。それだけ柿づくりに適した土地でもあります。この柿をつかって、健康を維持し、薬にもし、暮らしの必需品として大切に守ってきたことを思うと感慨深いものがあります。

今度の藁葺の家にも柿の木が遺されていますが、柿ができるのを毎年楽しみに待ちたいと思います。子どもたちに、残したい文化を丁寧に甦生されていきたいと思います。

和合の精神

日本には古来より、和合という精神があります。これは二つ以上の性質のものが一つに親和しあって融け合い一体となっている姿の事です。

たとえば、美しい自然の風景の中にある里山での暮らしを眺めているとそれがまるで人間の暮らしが自然と融け合って自然そのもののように観えることがあります。これは人間が自然とは別のものではなく、自然と親和しあって自然の一部と化しているときにそう感じるものです。

他にも、炭火で炭と火が一体になって燃える様子や月の光が海面に映り眩い様子の中にも親和しあって和合していることを感じます。

私たちの先祖は、この「和合」という精神を何よりも重んじで来ました。

現在は、対立概念が優先する世の中になっていてなんでも比較したり白黒つけたり、分類化したりして何かと何かをあえて分けようとする傾向が強いように思います。あっちかこっちかと比べて競い争っているうちに次第に離反しあって離れ離れになっていきました。

本来、循環というものは和合することです。

相反する性質のものをどう上手に和合していくか、例えば発酵などもそうですが漬物や御酒造りに至るまで本来の性質を上手く調和させた技術の御蔭で奇跡のような技を産み出していきます。これらは伝統の技術の数かすの中で今でもはっきりと見出すことができるものばかりです。

日本人は特にこの和合を重んじ、それがモノづくりから人づくり、そして国家づくりにいたるまで活かし続けてきました。

改めて、私たちは原点に帰り自分たちの先祖たちが何千年、何百年の間何をもっとも尊んできたのかを振り返る必要を感じます。私が提案する暮らしの中には、その先人たちの智慧がふんだんに組み込まれ、場には和合の仕組みが働き懐かしいものを思い出す切っ掛けになっています。

伝承は文章や文字で行うものではなく、先人からの暮らしと一体になることで伝承されていくものです。暮らしと一体なっていく、まさにそれもまた暮らしフルネスの境地です。

引き続き、子どもたちの未来のためにも暮らしフルネスの実践と丁寧に紡いでいきたいと思います。

暮らしの幸福論

先週から、暮らしフルネスの体験をしているピザ職人の人と一緒に一円対話を行う機会がありました。今は遠隔でオンラインとオフラインになりますが、振り返りの機会を設定し初心を忘れない場が持てることは素晴らしいことです。

その振り返りの言葉の中でとても印象深いことを聞かせてくれました。例えば、「毎日、毎日最高の日々を刷新していく」「他人軸ではなくて自分軸でいることを感じられる」「感情も心も整っていく」「ここのどの場所でも居心地が善く自分が解放されてく」「感覚が研ぎ澄まされて毎日が充実していく」など発言を聴くとこちらの方も仕合せな気持ちになっていきます。

私は特に研修をしているような自覚があるわけではなく、ただ一緒に暮らしをしているだけです。しかしこの一緒に暮らしをする中で、自然発生的に勝手に幸福を感じられ、自分自身であることの喜びを感じています。

それはきっと私自身もこの暮らしの中で、自分自身を精いっぱいに生きているからかもしれません。そして同時にこの一緒の中には、物や道具、そして環境などのいのちもまた精いっぱいに自分らしくあるからだと私は思います。

私にとっての暮らしの定義は、このいのちが輝いていることであり、それはお互いに尊重し合いながら豊かに仕合せな今を生きることで精いっぱいの喜び、つまりフルネスを生きる幸福に満たされるということなのです。

暮らしフルネスの幸福論を書いてほしいとある人に言われて書いていますが、そもそもこれは文字で伝えることは至難の業です。言葉にすると、もうどうでもいい気がしてきてすべてあるのだから何も言葉にしなくてもいい気持ちになります。

ただ仕合せを感じる今があるということ。

この今に生ききるというのは、一期一会のいのちを輝かせていくということです。そうなってくると、未来も過去も関係なく、他人も世界も関係がない、一切関係がない中にこそもっとも深い全生命との関係があり、まるで細胞の一つが全体と合わさって元氣になっていくようにいのちが丸ごと充実するのです。

表現としてはここいらが限界ですが、鳥の鳴く声、太陽が昇る音、風の揺らめき、光のシャワー、澄んだ空気に温かい影、この感覚のすべての世界が調和と共に暮らしは整っています。

暮らしを見直すことで、人はいのちの本体を見直します。

磨き続けていきたいと思います。

暮らしフルネスのお裾分け

昨日、聴福庵で新婚の記念撮影を行いました。白無垢姿の花嫁と紋付袴の新郎が、懐かしい結婚式の様子を思い出させてくれました。私自身は式場しか知らない世代ですが、むかしはみんな家で結婚式をしていました。

二間続きの部屋が和室に残っているのは、冠婚葬祭をふくめあらゆる記念式はこの場所で行われていたからです。家の中で行う安心感は特別で、いつもの暮らしの場がそのままハレに日に代わり、そのままその家で暮らしが豊かになっていくのを感じ、その場に思い出と仕合せが残っていくからです。

私たちはこの残っているものを福として、それを分けることでさらなる豊かさを積み重ねていくのです。まさにこれが仕合せの本質であり、福の本懐です。こういうのを福分けというのでしょう。

仕合せというのは独り占めするよりも、多くの人たちと分けた方が仕合せが増えていくのです。これは物資的な増減とは反比例し、心の幸せは分けることで増えていきます。

聴福庵では、昨日は親戚にいただいた米粉でピザ職人と一緒に炭竈門でのピザ焼実験をしている最中で昼にはみんなでそれを味わい美味しく食べました。これもお裾分けです。そして長年付き合いのある友人が奥さんとお子さんをはじめて連れてきてくれてお菓子をいただきそれもお裾分けしてみんなでいただきました。さらに、新婚の二人の愛し合う姿をみんなで見守り、一緒に笑い、記念日の幸をいただきました。また室礼のお花も、誕生日の息子たちのものをお借りして家を美しく彩り花の豊かさに満たされました。その夜には息子たちの誕生日のお祝いの食材も、分け合いみんなで美味しくいただきました。

こうやって時を分け、物を分け、愛を分け、福を分ける。

このお裾分けこそ、もっとも仕合せと豊かさの象徴なのです。日本人はむかしからお裾分けし合いながら、豊かさを増やしていきました。暮らしフルネスの中でも、このお裾分けはとても大切な実践の一つになっています。

私がお裾分けするのは、私がお金持ちだからではありません。それにただサービス精神が旺盛なだけではありません。シンプルに、豊かさの本質を磨いているのであり、それが福の正体であることを感得するからなのです。

子どもたちの心に、偉大な先人からの豊かさが文化と共に伝承されていくように福分けの実践を楽しんでいきたいと思います。

場の魂

昨日はBAで地元の学生たちを中心にしたブロックチェーンの研修会を開催しました。コロナでオンラインばかりをやっていますが、久しぶりにみんなで集まり場で学び合えることに仕合せを感じる一日になりました。

人の持っている、真心や思いやり、おもてなし、そして情熱や感謝、好奇心など一見、形がないものは存在しないように思われますがそれは確実に「場」に顕現するものです。私たちは場の持つ、居心地の善さのようなものは心で感得しているものです。

例えば、綺麗に整えられている場や、美しく磨き上げられた場にいくと自然に背筋が伸びて清浄な心持になってきます。その場には、空間の中に目には見えないけれど心では観える確かな風景が存在します。その風景を、何か五感のようなもので私たちは感じ取りそれを感受して養分にするのです。

現在は、お金をつかって見た目だけを綺麗にする建物や空間ばかりになっていきました。一見、美しく見えるような場であっても時間がたったら次第に空きがきてしまいます。それは張りぼてであり、心はその張りぼてであることを感受するからです。

私は空間や場を用いるのに、真心を盡します。

よくそこまでこだわってと感心されることが多いのですが、それはこだわりではなく真心だからです。真心だから妥協しないだけで、実際には完璧なものなどはつくれないから諦めているところも多いのですが真心だけは盡せないことはありません。

真心で取り組んでいく中で、本物の場は醸成していくのです。

私たちは、日本の風土の中で真心を感受して暮らしをしています。四季折々の美しい自然や風景は、私たちの心を癒し人生を豊かにしていきます。その環境の中にある真心はまさに私たちの人生へのお手本になるのです。

古い物は決して古いものではありません、古いものは自然の篩にかけられても遺った本物のふるいものです。ふるいものに囲まれて磨かれた美しい空間の中で、次世代の未来を磨き上げていく。

場にはその魂が宿っています。

これからはじまる学生たちとの交流がとても楽しみです。この舞台でどのような即興劇を繰り広げて演舞するのか、人生を謳歌していく彼らを見守っていきたいと思います。

真の循環への挑戦

麦わら屋根の修繕の打ち合わせで改めて藁葺の事を調べていますが、屋根の歴史を感じてかつての懐かしい情景に思いを馳せています。

戦後に藁葺は次第になくなり、トタンになったり瓦になっていきましたが本来は日本の平野部の家々ではほとんどが藁葺屋根だったとあります。うちの故郷にも、近くにまだ数軒の藁葺の古民家が残っていますが、実際にはトタン屋根になっているため中は見ることができません。

棚田と合わせて麦わらの古民家が重なる風景、そこに何か不思議な安ど感を感じます。これは長い年月の中で、暮らしの中でカヤや藁を使うのは少しも無駄がなく、使い古したものは肥料として田畑に戻し、先人たちは自然と一体になった理想的な循環型の社會を実現していたことも思い出します。

改めて深く感じるのは、日本の先祖が如何に自然と共生して暮らしを感謝と謙虚さをもって営んでいたかということです。

藁ぶき屋根がなくなってきたのは戦後に入ってからでそこから藁葺をする人たちがいなくなり、循環型の生活が崩れ始めたタイミングでトタンなどに入れ替わりました。まさに、西洋型の消費文明、また資本主義経済が流入してきてから私たちの家も暮らしも激変していったのでしょう。

また藁葺を維持するのには囲炉裏や竈などを使い、藁を燻していたからこそ腐食を起こさずに長持ちしていましたが今では電気に換わりそれもなくなりました。煙が出なければ腐朽が早まり家があっという間に傷みます。常に煙があったのは、竈で日々にご飯を炊いていたからです。茅葺は長持ちすれば30年くらいはもつといわれていますが、今の生活で煙も出なければ5年目くらいから腐食をはじめるようです。自然界はどんなものでも腐食が起きてきます、それを防ぐ仕組みが煙ですがその煙がなければどうにもなりません。道具たちや仕組みたちが調和していたからこそ、長持ちして寿命を延ばしあっていたのです。

この藁葺の屋根の寿命が短くなったのは、腐朽速度があがったことと採算が合わなくなったことです。また台風や大雨などには弱く屋根が飛ばされることが多かったからだともいいます。ここの藁葺も以前、大きな台風で藁が飛ばされ、そこからトタンに換えたと近所の方が憶えておられました。

そしてかつての故郷は、ススキやチガヤ、稲藁が大量に手に入ってそれを冬期に屋根裏部屋で乾燥させて定期的に集落で協力し合ってふき替えていたといいます。しかし、現在は稲藁も機械でそのまますきこんで田んぼに戻すため昔のように稲架けするところもなくなりました。協力し合って協働作業していた、沖縄の「結」のような共同体も過疎化と共に失われ、個人がお金で外の業者に支払ってやってもらうという仕組みになりました。すでに2019年時点で日本に現存する茅葺屋根の建物は10万棟程度にまでになっているといいます。

また日本でこの茅葺や藁葺ができる職人は200人をきっているといい、高齢化も相まってこのままでは失われてしまいます。私が今回、一緒に取り組むのは阿蘇の茅葺職人です。この方は、お地蔵さんの屋根の修繕の時にご縁があり年齢も同じで辰年、とても気が合いいつか一緒にとやろうと約束していたかたです。

このまま失われていくものをただ守るのではなく、本来、なぜこのような仕組みであったか、循環の本質、本物の循環を実現する仕組みを甦生させ、この世の子どもたちの未来のために偉大な布石の魂の一投を懸けてみたいと思います。

今回の藁葺の挑戦は、真の循環への挑戦です。

覚悟を決めて、故郷のため子どものために全身全霊を使っていきたいと思います。

100年後のために

日本は明治に入り、西洋諸国に追い付こうとして様々な文化を捨てていきました。確かにその頃は、ペリーの来航で急を要したこともあったかもしれません。危機を乗り越えるためにと取り組んだことで、鎖国をやめ西洋諸国に追い付き軍備を増強して日露戦争にも勝ちました。しかし、戦争に負けアメリカの統治下におかれました。

歴史は常に表裏一体、善いことと悪いことはものの観方で変わります。

ある方向から観ればよかったことでも、別の方向から観ると同時によくないことが発生するのです。これは人生でも同じです。如何にバランスを保っていくか、そこには現実と理想、そして部分と全体の調和が必要になります。

日本人は古来から、この調和を磨き続けてきた民族であり「和」を尊重して重んじてきた生き方をしてきました。バランスを保つからこそ、文化を高め、持続可能な社會を実現するために自然と共生し、暮らしを充実させていきました。

現在は、どうでしょうか。

先ほどの明治のころの話であれば様々な文化を捨ててきたことで大事なものが失われていきました。日本人が千何百年もかけて磨き高めてきた思想や生き方もこの百年やそこらで手放して忘れていきました。これをそのままにしていていいのでしょうか。次の代、子孫たちがこの百年で失ったものはどうなるのでしょうか。

単なる個人の経済活動や利益ばかりを優先して日々に追われるような生活を続けておいて、文化も幼いころから他国の文化を自国の文化のように生きて果たして私たちは歴史を省みてバランスが取れていると言えるでしょうか。

先祖や先人がやったことは、子孫がバランスを整えていく必要があります。それは歴史には善い部分と悪い部分が同時に発生するからです。善い部分をしっかりと伸ばし、悪くなったところはカバーしたりフォローする。その中にこそ、私たちが今を生きる真の役目があるように思うのです。

失われていくことの中にこそ、本当に大切だったものがあることに気づくこと。この100年を学び、どう次の100年に結んでいくか、それは今の私たちが託されたものです。

子どもたちの100年後の未来のために、真摯に取りくんでいきたいと思います。