月への信仰

昨日は、里芋の収穫をしてみんなでお味噌汁にいれて食べました。とても美味しく、心も体にも沁みわたりました。もともと里芋は、むかしから私たち日本人が食べていた主食であり稲が入るまではずっと私たちの暮らしを支えてくれていたものです。

自然農の畑でしっかりと順応して野性味が溢れる味わいは、他の雑草たちに負けじと一生懸命に生きたいのちがずっしりと入っています。

昨夜は月明かりがとても眩く、目が覚めてしまいましたがこの里芋を収穫する時期の月を「芋名月(いもめいげつ)」といい、むかしから里芋を月にお祀りしていた風習があります。十五夜は芋を供え、十三夜には栗、または大豆を供えます。なので十三夜は栗名月、豆名月ともいわれます。

里芋の収穫儀礼は懐かしく、今の稲のように収穫を祝い祈りそれぞれが月に信仰していたのでしょう。この月の信仰においては、私たちはかぐや姫の名前を社名にしているのもありとても深い関係があります。

そもそも日本人がの月の信仰は縄文時代よりもずっと前からはじまっているもので特に縄文時代の人々は自然に宿る精霊と共に暮らし、月は月の満ち欠けによる潮の干満や、女性の月経周期が月とも関係していることから月は自然神の象徴として信仰していたといいます。満月の明かりでお祀りをしていたことが遺跡などからも見つかっています。

日本は、太陽と月、そして天津神、国津神、天孫族や出雲族のように別の2種類の民族が相調和しあい交互に交流してこの国を守り続けてきました。そして長い間混ざり合わさって助け合って今の私たちがあります。

太陽の時代があれば月の時代もあり、本来は太陽と月は昼と夜、天照と月詠が交互に守り合う世界ですから対立しているのではなく調和している存在です。

太陽には太陽への信仰の行事があるように、月には月への信仰があります。現在は、太陽が強く太陽ばかりを信仰することで明々として目に入る眩い光ばかりを照らす世の中になっています。

しかし月は、陰を映す存在であり、薄明かりの中で照らされる徳を顕現する世の中です。私はこの月を深く信じる生き方をしており、月のもつ陰徳を信仰しています。その象徴として、かぐや姫の物語を社名にしており、ロゴマークも月、そして実践は徳積みが中心、さらには行事などもお米作りや発酵、炭を用い、お餅を搗きお供えなどもします。

西洋人は月に対してはあまりいいイメージはありません。死の対象であったり狼男などが出るともいいます。私たち日本人は、月は神様であり、美しく澄んだ光をはなつ月詠、もしくは輝夜姫です。

この時期は、私にとっても特別に月を愛でて味わい月と共に暮らしを楽しむ季節です。子どもたちにもこの月の存在がいつまでも心の徳を照らし続けてくれるように古来からの月への信仰の行事も甦生させていきたいと思います。

人生の目的

人生の目的というものがあります。これは全人類の目的のことであり、人は何のために生まれてきたのかという深い問いのことです。

これは人によって別の答えがあるように感じていますが、実際にはどの人も最終的には同じ目的を共有するように思います。況や、本来すべての生き物たちは同じ目的を持っているともいえるのです。

しかしその目的は、空気や水、太陽のようにあまりにも当たり前に存在するものですから改めて議論されることがありません。それに人間は、枝葉などの細部は言葉で認識できていても宇宙のような偉大な存在のことはなかなか認識することができないのです。

目的も同様に、偉大な存在ゆえに、当たり前であるゆえになかなか理解されていないところであろうと思います。

敢えて言葉にすると私は人生の目的は何かといえば、魂を磨くことであろうと思います。どのいのちもすべては魂を磨くことに向かっているのは、自然界を観ていれば自明するものです。そしてそれは「ただ磨くのみ」なのです。無目的に見えるそのただ磨くということの中にこそ、本来の目的があるということ。

無目的の中に目的があるというと、何を言うのかと思われるかもしれませんが目的の本質は大宇宙や自然の運行と同様に調和しているのです。調和するからこそ、磨く必要がある。

つまり、私たちは大きな円の中でいのちを巡らせている存在あり常に魂はその中のご縁を縦横無尽につなぎあっています。そして互いにその場その時にふれあい磨き合い、また新たな調和を産み出します。

最初から永遠であり、終わりもない永久無限の存在とも言えます。

だからこそ「ただ磨くのみ」なのです。

私の思う徳の本体とはこれのことです。いつの日か、科学がある一定のレベルを超えて磨かれその本質を顕現するとき、必ず私はこの人生の目的にたどり着くように思います。そしてそれは磨ききり洗練されたとき、生き方の中から出てくるものであろうとも思います。

子どもたちにどのような生き方を遺していけるか、心の中にあるこの存在を人々の魂に伝承しつつ、磨き合いを楽しんでいきたいと思います。

変化の本質

時の書と呼ばれるものに中国の「易経」があります。時の変化と兆しをよく読み、何をすべきかを記しています。時というものに注目し、変化というものがなぜ起きるのか、それを突き詰めて追及したものではないかと私は思います。

私も自然農の実践者ですが、常に風を感じて時を読みます。なぜなら種蒔きの時機や収穫の時を間違えないようにするためです。どんなに何度も種を蒔いても、育たない時機に蒔いても芽は出ることはありません。常に天の運行や大地の状態、そして風向きや気候をよく観察していなければ自然の変化に合わせて行動していくことができないからです。

自然は常に「兆し」を知らせるのであり、私はその兆しをよく観察して自分の行動を決めています。兆しはどのような時に、発生するのか、それを易経を紹介しながら少し私なりの直観の整理をします。

「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず」

これはなんでもそうですが、変化は常に振り子のように左右に、もしくは砂時計のように上下に振れます。陰に極まれば陽になり、陽に極まれば陰になる。世の中がもっとも暗い時には明るい方へと移動し、その逆もまた然りです。

自然は常にバランスを保つことが真理ですから、絶望の果てに希望があり、希望がまた絶望を呼びます。一見、終わりだと思っている最中にこそ始まりがあり、始まりの時こそ終わりが出てくるのです。

変化に調和する人は、その状況をよく観察して道を拓いていくのです。

「君子豹変す。小人は面を革む」

これは、リーダーは変化に合わせて自分を素早く的確に適応させていきます。そのためには、居心地のよい場所を瞬時に離れてでも危険に身を晒してでもその変化の兆しに適応していく方を優先させます。この豹変とは、大切なものを守るために変化に合わせるということです。大切なものを守るのか、それとも自分を守るのか。大切なものは何かを知っているからこそ、そのために変化するのです。その反対に、変化を恐れる人は表面上の変化だけはしますが本質的には変化はしません。理由は、変化そのものを怖がっているからです。

実は時が変化しているとき、不安なのは自分も一緒に変化していないことに気づいているからです。変化している最中は、自分も一緒に変化しているからこそ不安や恐れはなくなります。変わっているのを本能的に知っていながらもいつまでも変わろうとはしないで、変わろうとしているふりをする。自分を守るために周りを変化させるのか、それとも自分から変化に合わせて自分を変化させるのか。

これは自然を相手に自分をコントロールするか、自分の都合で自然をコントロールするかと同じ話です。

どうにもならない大きな変化、つまり災害級の時の変化が来ている時にそれをなんとかしようとするのは小さな存在の私たちには不可能です。自然への畏敬や畏怖があるからこそ、君子は豹変すると私は思います。

最後に、

「積善の家には必ず余慶あり」

日々の暮らしの中で、小さな徳を磨き続ける人は必ず善を積み続けています。そういう家は、不思議な余慶や恩恵をいただきます。これは自然の他力をいただくことに似ています。種を蒔けば、自然に太陽の恵み、雨の恵み、風の恵み、土の発酵、いのちの調和による見守り、あらゆる恩恵をいたきながらすくすくと育っていきます。

これは種だけで育ったわけではなく、その種を活かそう、その種を見守ろうといった大自然の徳が働くからです。自然を敵視する人や自分の都合ばかりを優先して全体快適でない生き方をする人はこの余慶があまり入ってきません。自分でできることがわずかしかないと本当の自己を直視することができれば、如何に自分の徳を磨いていくかということに正対するはずです。

日々は善を積み徳を磨くための大切な機会です。

時を歩む人たちはみんな、同じ法則や真理をもって道を拓いていきます。これからの子どもたち、子孫のことを思えば思うのほどにその大切さが身に沁みます。引き続き、今、ここで脚下の実践を楽しみたいと思います。

暮らし方改革~暮らしフルネス~

最近、働き方改革という言葉が当たり前に聴かれます。しかし実際に働き方を換えているといっても、時短になったり、場所が変わったりするくらいでそれを改革とは言わないように私は思います。

そもそも改革というのは、それまでの意識が完全に別のものに入れ替わるほどの大きなイノベーションが発生したということです。それは言い換えれば、生き方が完全に別の何かに換わってしまうということです。

働き方改革が生き方改革であるのは、そのことから言えます。生き方が変われば、当然一緒に働き方も変わっていきます。それが生き方と働き方の一致であり、人生観が変わってしまい新しい人生がはじまったというくらいの変革が発生するということです。

例えば、人生観が変わるというのはどういうときか。

それは死にかけるような大病や事故、生死を分かつようなギリギリの体験をしたり、厳しい修行により悟るような体験をしたり、それまで信じてきたことがひっくり返るようなことに出会ったりしたときにも人生観が変わる人がいます。

この人生観が変わるとは、ある体験によってそれまでの生き方とは別の生き方を知り、その生き方に換わるということです。生き方改革とは人生改革ですから、それまでの人生とは決別し新しい人生を生きるようになるということです。

そしてその新しい人生を生きることを、暮らしが変わると私は定義しています。世の中でいうところの暮らしは、なんとなく生き方も働き方も変わらずにただ単に日ごろの生活の何かを少しオプション的に足したという具合のものです。道具が変わったり、衣食住を少し変えたくらいで暮らし方改革とかいったりします。

現代の便利な世の中で、なんでも大量生産大量消費の都市化された社会の中でいくら暮らしを換えたといっても変わったのはお金の使い方と時間の使い方くらいです。使い方改革という言葉がありませんから、使い方はたいして問題ではないということでしょう。

本来、暮らし方改革というのは別の人生を歩むと決めたときの副産物として日々の生活のあらゆるものが変わるということ。私に言わせれば、機械的な生活から生命的な生活へくらいの変化があったということです。

私の提案する「暮らしフルネス」はそれを実現するものなのです。

まだ言葉では伝わらないところも多いので、実践現場での体験や研修によって気づきを与えて変化を掴んでもらうしかない状態ですがそのうちこれがコロナの御蔭で新しい常識になっていくことを確信しています。

子どもたちの未来のために、暮らし方改革を実践していきたいと思います。

お堂の甦生~徳積堂~

徳積カフェの建築が進む中で、この場の名前を復古起新しています。現在、深めているものは「お堂」です。この堂という字は、会意兼形声文字です(尚(尙)+土)。「神の気配の象形と屋内で祈る象形」でできた字です。意味は「こい願う」と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」を現します。

そこから、「高い建物・神社・寺院」を意味する「堂」という漢字ができたといいます。この堂は、 古く接客や礼式などに用いた建物。表御殿。表座敷。そして神仏を祭る建物。さらには多くの人が集まる建物で呼ばれました。

この堂というと、イメージするのが三十三間堂や、平等院鳳凰堂、他にも大聖堂など神仏をお祀りするところを思い浮かべます。ひょっとすると現代では、お菓子屋さんの名前や広告代理店の名前、本屋さんとかいう人もいるかもしれません。

しかしかつては、辻堂やお堂といって村々や町の中でみんなが集まり親睦やコミュニティを育むオープンな交流拠点であったのです。他にも、山伏たちが休む室堂であったり、茶堂といって茅葺でできた旅往く人たちをもてなしたものもあります。日本には古来から人々をもてなす風土信仰があり、その風土信仰を支えた場の一つがお堂だったのです。

つまりはこの「堂」の持つ意味を考えてみると、読んで字の如くその「土地の風土と信仰と交流を見守る大切な場所」ということでしょう。なんとなくお堂が温かく懐かしい感じがするのは、お堂が地域を支えてきたことを心が憶えているからでしょう。

今では、西洋的なカフェがその役目を果たすようになってきていますが本来は「お堂」であったことは歴史に学べば自明します。私は、徳を伝承していくことに精進していますからこのお堂の甦生は大切な使命の一つです。

今回、徳積カフェが完成し、徳積堂として甦生することがとても楽しみです。

最後に、堂で有名な言葉に「堂に入る」があります。

これは論語の中で、孔子のいう「堂に升りて(のぼりて)室に入らず」が語源ですが堂に入るは「堂に升りて室に入る」を略した言い方で、客間にのぼり奥の間にまで入っていることから、奥義まできわめていることを表します。

徳積みの修業はまだまだはじまったばかりで終わりは永遠にありません。なぜならこれは人類の欠かせない修業であり、未来永劫子孫たちが担っていく大切な徳目だからです。

人々が子孫のためにみんなで堂に入るために磨いていく場。

まさに徳積堂は、子どもたちの未来のためにも欠かせない大切な徳の場になっていくと確信し、懐かしい未来が到来することを心から祈念しています。

徳法一致

現在、世界の国々では徳治国家か法治国家の間で様々な政策が検討されています。しかしそもそもこの徳治や法治というものは、本来は目的であるものが手段に入れ替わり、今では別の意味で使われていることがほとんどです。

そもそも徳や法そのものが、思いやりからのものであるのならそこに使われる手段もまた思いやりに満ちたものです。しかしそれがネガティブで疑心暗鬼のものならその徳や法もまた別の意味に挿げ替えられるのです。

人間は、自己中心的な生き物です。

自己を中心として、善悪を決め、そして自分が正しいかどうかの基準を自分の都合で入れ替えていきます。それは歴史が証明しているものであり、現在の国家間のいざこざも冷静に分析すればそれがすぐにわかります。

例えば、人類共通の徳というものがあるとしたらあらゆるいのちへの思いやりです。一緒にこの世に生きているもの同士であるからこそ、相手のいのちもまた自分のいのちの一部と捉え大切に慈しみ接していくこと。自然界の生き物たちはまさに徳治の本質です。

自らで律し、自らが共生するために協力し合う社會を育てることが本来の徳であり治まるということでしょう。そういう意味では、徳や法は外側にあるものではなく人間力といったそれぞれの内面の中に磨いていくものであるのです。

一人一人がみんな自己の中にある欲望や自利的なものを治め、バランスを崩さないように暮らしていくこと。言うなれば自然にかかわり自然との共生に力を貸し、その利子分だけでみんなで分け合い賄うというシンプルな暮らしが徳治であるともいえます。

法治からみた徳治、徳治から見た法治というような対立概念ではなく、徳法一致の全体調和を目指すことこそ、原点回帰であり人類の末永く発展できる未来ではないかと私は感じます。

そのためには、徳法一致する仕組みが現在に必要でそこにブロックチェーンの仕組みが活かせるのではないかと私は信じているのです。

子どもたちのためにも、徳積の智慧を用い時代に挑戦してみたいと思います。

聖域の甦生

日本には古来から山岳信仰というものがあります。これは山は神の宿る聖域であり、子孫を見守る祖霊が鎮まるところと考えられていました。まさに山が信仰の源泉であるというのは先祖代々から根幹の意識があります。日本創生の神話の時代から私たちは山に深く見守られ、山から慈愛をいただき、山によっていのちを育まれてきたという思想です。

日本には富士山をはじめ霊山と呼ばれる山々が存在します。そして故郷にも故郷を代表するような山があり、私たちは暮らしを山と共に発展させ、山と共に築き上げてきた民族でもあるのです。

その山には、修験道というものがあります。これは山につくる道場のことで、山に入ることでいのちの原点を学び本来のいのちに還るような修行の場です。私は、日本では鞍馬山を大切深く尊敬しており山に行くことであらゆるいのちのインスピレーションを感じて自己内省をする修行をしてきました。そのことで人格を磨く機会を得て、実生活の暮らしを換える機会を学びました。

この「修験」道場という言葉の語源は、「修行して迷いを除き、験徳をあらわす」という意味だといいます。つまり「場」で実践し体験するなかで徳が磨かれ悟りを開く道のことです。

そして山岳信仰で有名な山伏は、山に伏して修行する者という意味で「山伏」と呼ばれるようになったといいます。山伏らは山を祀り、登拝して祈願し、舞や踊りを奉納し山を祈願の対象としてきた人々です。山での暮らしを通して日々を見つめ直し、新たな生き方を導いて人々の心の穢れを祓う役割を果たしてきたのかもしれません。

明治以降、明治政府の神道での国家統一による神仏分離令、その後の修験道廃止令の煽りを受けてそれまでの山岳信仰の伝統廃れ、戦後は宗教として生き残りはしましたが娯楽的な登山やハイキングなどが入ってきていよいよ山は単なる趣味やアミューズメントなどの一環になってきました。キャンプ場をつくり、グランピングなどができ、信仰の山という日本古来からの伝統のイメージが薄れてきているとも言えます。

本来のものが歴史の中で挿げ替えられていけばそれまでの系統が分からなくなってきます。そうやって人類は歴史をそれぞれの時代の価値観で歪めてきたとも言えます。しかし山は変わらずにそこに存在しています。

自然崇拝とは何ぞやといえば、その土地の風土や自然から本来の徳が顕現したものを悟り自ら自然に近づき謙虚に共生を学び直すことのように私は思います。私たちを産み育ててくださっている存在に気づき、その恩恵に感謝し徳に報いる生き方を実践することです。

何度も里に降りては人間は余計な争いや自然から遠ざかり心を痛めてきました。そんな人々が心を蘇らせ、徳を甦生させてきた場こそ、この修験場としての聖域であったのでしょう。

これから私は日本古来の思想とブロックチェーンを使った聖域をこの地に発祥させていくつもりです。自然を味方に、子どもたちに遺し譲りたい未来を創造していきたいと思います。

許容範囲

私たち、すべての生き物は自然の中の許容範囲をそれぞれが持って生活しています。いわゆる、範囲ようなものですが生きていくために必要な許容量の範疇を与えられているということでもあります。

これは虫から動物まで範囲があります。その範囲内で一定数を保っているのですが、それが大幅に超えるとどうなるか。自分たちで数を減らすか、移動して広げていくしかありません。最近、ニュースで見かけるサビトバッタなどは増えすぎて生きていけないために移動しながら作物を食い荒らして最後のところまでたどり着いてほぼ死に絶えます。他にもセイタカアワダチソウのような雑草も広がるだけ広がり、その後数を減少します。

本来、多様な種類の生命はお互いに範囲を分け合いながら許容量を超えないように自律して共存しています。それがもっとも長くそこに居ることができるという自然の持続可能な仕組みであることを知っているからです。

人類もかつては、それぞれの範囲で少人数で暮らしを営めば自然の許容範囲内で周囲と分け合って共存していた時期もあります。しかし現在は、先ほどのサビトバッタやセイタカアワダチソウのように人口を増加させ世界中に食料を求めては移動しています。

さらに人類の難しいのは、それを科学の力で乗り越えようとしあらゆる人工物をつくっては許容範囲を超え続けて地球の自浄作用を抑えこむかのように自然破壊を続けます。地球はそれでも偉大な自浄作用によって許容していきますが、問題は人口が増えすぎた最後は一気に減るのではないかという自然の摂理を免れないという事実です。

増えすぎた人口はどのように減っていくのでしょうか。

現在のコロナウイルスもまたその一つかもしれませんが、歴史を観ると人間同士の争いがもっとも減る理由になっていくように思います。現在、ソーシャルディスタンスとかいっていますがこれよりも大切なのは人が住み分ける範囲をお互いに保つことではないかと思います。

人が一人で住むために必要な許容量の設定を、地球の土地のサイズから割り当ててみる。その上で、どれくらいの数が適正なのか、そしてみんなで分け合って生きるためにはどのくらいの生産と消費、そして周囲の生命を活かし発展させていけばいいのかを人類で割り当ててみんなで努力していくのです。

自然の風土によっては、人口が増えれない場所もあるかもしれません。その場所場所でみんなで適量を守っていき、助け合っていけば自然の許容量の恩恵を永遠にいただくことができます。

地球の資源を貪りつくしてすべて取りつくして一番困るのは誰か、それは人間のはずです。

分かっていてもやめられないのは、考えられるのは人類は人類によって洗脳されているからです。自分たちで自分たちの洗脳や刷り込みを乗り越え、脳を整えて、本来のあるべきように回帰するには脳をなんとかするしかありません。知性をどう活用するのか、智慧を如何に尊重するのか。

使えるけれど敢えて使わず、便利だけど敢えて不便でいるというような人格を磨く必要があります。どうやってこれから先、数千年を子孫たちに遺していくか。もしくは数万年人類が生き残るために今、何をやるべきで譲るべきか、子どもを愛するように、人類を愛する素直さと勇気が求められています。

いつでも決めた時が間に合う時です。

引き続き子どもたちのためにも、最善を盡していきたいと思います。

時代の価値観

時代には時代の価値観というものがあります。私たちが暦でみる数字の中にはない、その時代の人々の集合意識というかその時代を象徴するような価値観が発生するのです。

不思議なことですが、私たちの身体はそれぞれに離れていますが意識は常につながっていて一つの集合意識を持っています。その影響は、自然の活動ととても密接であり、地球に住む私たちは地球の意識とも言えるその自然の活動とリンクして変わっていくのです。

この地球の意識は、宇宙の運行とも連動しています。

星を観てむかしの人たちが様々なものを読んでいた中には、この人間や他の種の生命の動きもまた読んでいたように思います。

現在は、絶滅時代といわれる人もいますがかつてないほどに自然が落ち着いていて生命が増えた時代です。そこから一転して、急速にあらゆる生きものが減っていく時代に入ります。

増減は自然の常でもありますが、バランスというものは偏れば反対側に傾きますからその振れ幅が大きければ大きいほど、私たちもその衝撃を免れません。

それは時代の価値観もまた同じように変化するように思うのです。

ある一定の価値観が長ければ長いほど、それが一転すればそれだけの大きな変化を伴います。コロナウイルスにはじまり、これから人類はいくつかの意識が変わる出来事に遭遇することも予想できます。

その時、意識を換えさせられるか、先に意識を換えてしまうかで衝撃波は変わってきます。変化というものは、柔軟性や臨機応変も必要ですし、ある程度の事前の勇気と挑戦も必要です。

時代の価値観を創造することが、時代を超えて存在する使命を果たすことです。

子どもたちの懐かしい未来のために、今こそ変化を産み出していきたいと思います。

場が開く

現在、引っ越しの片づけをしながら色々なものを整理しています。思い返せば、東京に来てから19年間、あっという間の月日が経ちました。

東京の家も、むかし買ったであろうものが棚の奥深くにそのままあったり、色々な人たちとご縁からいただいた贈り物、お手紙や写真、そしてその時々で大きな影響を与えた言葉のメモや本などが出てきました。

そして長年大切に使ってきた食器類、ベランダで育ててきた樹木たち、お気に入りの工芸品や美術品、そして暮らしを彩るものたちがあります。

一つの時代がすべてここに入っているのです。

一つの時代が過ぎていく中で、そこまででお別れするもの、そしてこれから新しく出会うものがあります。特に家は私が中心に暮らしていましたから、私がいなくなればそれまでの場の関係性も変わってしまいます。

例えば、ベランダであれば庭のオリーブの実や、稲穂を食べに数種類の鳥たちがきていました。特に冬は、毎朝のように来ては果物などを啄んでいました。それが私がいなくなればベランダも変わりますから関係性が変わります。

ひょっとすると次の方が、同じようにベランダを植物で彩れば鳥たちは次の方との関係性になっていきます。それは以前は同じではなく、また別のものになっているという事実は事実です。そして私はまた別の場で新しい関係性を築くのです。

一つの時代とは、一つの場とのご縁でもあります。

その一つの場を中心に関係したご縁のつながりが移動するというのは、一つの時代の節目であるということでもあります。場所とご縁が変わり、そして意識の階層が変わればそれまでとはまったく別の次元の物語になるということです。それは場が開いたということでしょう。

一つの時代が終わり、一つの時代が新たに始まる。

そして一つの場が開くということ。

変化のときには、自らが変化そのものと一体になることが変化を知る本質です。次の時代の舞台が整ってくる前に、自分自身を先に整えていき、その新たな門出でもいのちが存分に活躍する場ができるように柔軟に対応し、臨機応変、一期一会に変化そのものに寄り添い楽しみ味わいたいと思います。