近代の歴史

先日から郷里の千人詣りという八十八か所霊場を甦生していますが、残りはあと2つを残すところまで見つけることができました。色々な場所を歩いていると、日頃は気づきもしない場所にひっそりと観音様がお祀りされています。

しかし今でも、参道をお手入れしていたりお花が供養されていたりとお世話をして場を調えてくださっている方もおられました。反対に鬱蒼として、誰もお詣りされていないような場所もありました。

お堂があるものもあり、そのお堂にはかつての千人詣りのときの白黒写真が飾ってありました。もう70年も、80年も前の写真ですがその当時の方々がみんなで春と秋に詣でて祈りを捧げていたことに思いを馳せると今の私たちにつながっている生きた歴史を感じます。

過去にあった出来事というものは、今の自分を形成していることは誰でもわかります。私たちが今あるのは、過去にどのようなご縁に出会い、そこで何を学び、何に気づいて、生き方を修養してきたかで人格が醸成されています。同様に、自分の故郷が今どのようになっているのかを深く知るには過去にどのようなご縁で何をしてきて今こうなったのかを辿ってみると気づき直すものです。

特に近代の歴史は、あまり語り継がれることもなく伝承も疎かになっています。西洋文明を取り入れ、まったくことなる教育を受けて育ってきたからかこの近代の歴史はなかなか直視されないものです。

しかし少し離れて観察すると、今までの日本の歴史の中でもっとも伝統や伝承、生き方や暮らし方が換えられた時代です。少しずつ、取り入れて調和するというものではなくほぼ別のものに入れ替えるような改変が行われたのもこの近代の歴史の特徴です。

入れ替えられた歴史を学び直し、もう一度、今までで日本の風土や文化に適した調和し醸成されたものを甦生しようというのが私の試みでもあります。子どもたちのためにと先祖が紡いできたもの、遺してきた徳を甦生させようとしているのです。

徳は消えているようで消えていません。この八十八か所霊場のように探せば、祈りと共に現存しています。あとは、古民家と同じくお手入れをして甦生させるだけです。

先人の恩徳に感謝して、丁寧に進めていきたいと思います。

円空の生き方~修験僧の真心~

円空という人物がいます。この人物は、1632年7月15日に生まれ、1695年8月24日に亡くなられた江戸時代前期の修験僧(廻国僧)です。仏師・歌人でもあります。特に、各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで有名で一説には生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定されています。現在までに約5,300体以上の像が発見されているといいます。

円空は、20代の頃に白山信仰にはいります。これは山そのものをご神体として信仰する山岳信仰のことで、白山を水源とする流域を中心に信仰されていました。奈良時代の修験道の僧侶、泰澄(たいちょう)が白山に登頂して開山し、白山信仰は修験道として体系化されたものです。円空も同様に修験道の修行をしたとされています。この修験道とは、「山へ入って厳しい修行を行い、悟りを得ること」を目的とした日本古来の山岳信仰が仏教と結びついたものです。そのほかにも伊吹山太平寺で修行を積んだといわれます。その後、遊行僧として北海道から畿内に渡る範囲を行脚し大峯山で修行したことをはじめ、北海道の有珠山、飛騨の御嶽山、乗鞍岳、穂高岳などにも登拝したとあります。

円空は「造仏聖」(ぞうぶつひじり)と呼ばれました。これは寺を持たず、放浪しながら仏の像を作る遊行僧のことをいい、幕府からは下賤とされていたといいます。しかし一部の貴族や上流階級しかお寺を拝み恩恵が得られなかった時代、庶民や田舎の農民たちには信仰は近づけません。だからこそ、そこに仏像を彫り与えて救いを共に求めたのかもしれません。

円空が出家したのは、母が洪水によって亡くなったことが切っ掛けだったといいます。最後は、その土地に還り64歳の時に断食を行い母が眠る地で即身仏となって入定したといいます。

どのような思いで仏像を彫りこんだのか、これはきっとお母さんの供養からはじまったことです。修行するうちに『法華経』に書かれた女人往生によって母の成仏を確信してこの法の素晴らしさを広めるために仏像を彫る決意をしたという説もあります。しかしこれは本人ではありませんから推察でしかありません、しかし一生涯に12万体以上彫り込むというのは、よほどの強い思いがあってのことです。

多くの人々を救いたい、その一心で彫り込んだからこそこの数になっているのを感じます。

この時代の世の中の人日が造物聖を差別したというのはとても信じられないことですが信念をもって歩き彫り込んで、自らのいのちを削り彫り込み信仰を全うしたことがわかります。そもそも修験道とは何なのか、そして本来のお山の信仰とは何か、この円空から学び直すことばかりです。

お山に入り、木のいのちや徳性を見極め、それを観立てて仏様の依り代にし祈りをもって造形していく。苦しみが救われ、慈悲を伝道していく中にいのちを全うするという生き方。今でも円空仏に心が惹かれるのは、その生き方が仏像に刻まれているからかもしれません。

悩み苦しみには観音菩薩を、病気には不動明王を、災害や雨ごいには龍王を、そして安らかな死には阿弥陀如来を彫っては依り代にしたのでしょう。

時代が変わっても人々の持つ業は失われることはありません。今はさらに効率化や自利欲や金銭が優先する世の中になり不安や不幸も増えている様相です。この時代の円空は誰か、そして円空仏は何処にあるのか。

私なりのその道を辿り継承してみたいと思います。

暮らしの叡智

暮らしという伝統がそれぞれの国には存在します。例えば民間療法などもその一つです。それぞれの地域にはそれぞれの薬草などがあり古来からの治療法があります。今のように薬は買うものになっていますが、実際には買わずに身近な野草や植物を栽培してそこから薬にしていました。

長い間、人間は自分たちのいのちを支えてくれる存在を身近において共にパートナーとして暮らしてきたからです。それが今の時代のようにすべてのものをお金にするようになり、お金にならないものには未来がないと捨てていきました。

例えば、お医者さんを目指すのならお金になる医者になるように勧めます。民間療法などはお金にならないからなるなとばかりに親や周囲から言われます。子どもたちもお金になる職業を目指し、お金にならない職業は人気がなくなり消えていきます。

しかしそんなことをずっとやっていたら、お金にならなくても大切で失ってはならない伝統的な暮らしや知恵も共に消えてしまうのです。その連綿とつながって続いてきた中にこそ民族の知恵がありそれが途切れてしまえばそこで民族の叡智も途絶えます。

何百年も何千年も続いてきた文化を途絶えさせてしまうのです。その損失たるやはかり知れません。しかしそんな活動を誰かがやっても生活ができません。だから続かずに終わってしまいます。

これは信仰にも似ています。本来の信仰は、誰か特定の人が守るものではなくみんなで守るものです。相互扶助の組織、結、あるいはそれぞれの家々で親から子へ、またさらにその子へと連綿とつなげていくことで守ってきたものです。

暮らし方というものの中には、すべてその知恵が生き続けて存在しているのです。

私の取り組む暮らしフルネスとは、そういう人類にとってはこの時代も守り続けて伝承する必要がある叡智をみんなで守っていこうという活動でもあるのです。

子孫のためにも、仲間を集め結をつなぎ暮らしの叡智を守っていきたいと思います。

暮らしの実践

観えないものを観る力というものは、実践によって磨かれていくものです。日々の掃除をはじめ、日々の内省、初心に向かってコツコツと新鮮な気持ちで取り組み続けることで観えないものが観えるようになる境地の会得というものがあるように思うのです。

これは武道をはじめ、伝統継承の方などもその境地の会得によって一般的に観えないものを観えるようになっています。その証拠に、それを言葉にして実際に見せることができるところまで結果を出しているからです。

続けることというのは、変化を観続ける力です。継続は力なりとありますが、本来は力の本質は継続にこそあるということでもあります。最初は自分が観えるようになるまで実践をし、観えるようになったら気になりますからそれをお手入れし保ちまた時代の変化にあわせて革新し続けるように精進するようになります。

バランスという中庸もですが、中庸がわかるというのは中庸でいるということですがこの中庸は中庸を実践し続けている状態、観えないものが観え続けている状態、たとえば自然の循環やいのちが観え続けている状態のように意識がバランスを保つこと調えてある場に定着して離れないほどに取り組む状態であるということでもあります。そしてこれが暮らしの実践でもあります。私の暮らしというのは、本来その意識を保つためにあるともいえます。

現代は、資本主義などにょり仕事や経済活動が中心になって暮らしはその隙間に少しだけある程度で語られます。経済の中にある暮らしは、道具を販売したり、衣食住がよくなるため、またそれを実践するワークショップや講演会をやったりと経済と紐づいているものとして語られます。しかし本来の暮らしは、そもそも生き方のことであり生き方が暮らしにまで昇華されているということでもあります。

日本人の先人たちは、自分たちの生き方を暮らし方にまで到達させてきました。それを徹底して実践することで、自己の修養や精神、魂を磨き上げてきました。日々が精進と修行のような暮らしをしていますが、その中で感謝に満ちた足るを知る生き方を実践してきたのです。いのちを活かし、ものを活かす、徳に報いて喜ぶ仕合せの境地を会得しておられました。

私の提唱している「暮らしフルネス」はそれを今も先人たちと同じように体験することによって、日常のなかで幸福や仕合せを味わえる生き方を体得できるようになるという仕組みになっています。しかし、これも境地の会得までは実際には実践しないとあくまで一過性の体験で暮らしが変わることにはなりません。

暮らしを変えていくということは、実践をしていくということです。

子どもたちに先人たちの遺してくださった生き方や暮らしの真の豊かさを伝承していけるように引き続き暮らしフルネスの実践を味わっていきたいと思います。

時代の中のバトン

本物とお金という関係があります。これは真心と言葉という関係にも似ています。本物に価値をつけてお金にする作業によって本物はお金に置き換えられるようになっていきます。同様に真心も言葉で飾って上手にデザインすれば真心に置き換えられるようになっていきます。しかし、本来は本物や真心というものは何物にもかえられないものであるのは明らかです。これはいのちとお金でも同じです。いくらお金をもらえるからといのちと交換といわれてもかえられないのと似ています。

私たちは目先の損得というもので物事を判断することが増えています。長い目で観てというのは目先の損得よりも大切なものを優先しようとする生き方です。しかし、国家や政治をみていたら本来は長い目でみて対応していく必要がある事案が短期的で目先の問題ばかりを解決しようとするあまり先ほどのような置き換えられないものまで無理やりに置き換えて済まそうとする世の中になっています。

例えば、気候変動や自然災害が発生すると今までの生活が一変します。食べ物がなくなり、今までの豊富な物流が止まり、資源のあるなしで急に危機が訪れます。それまでは肥料も農薬も物流も経済もインターネットもすべて整っていましたがそれをも破壊するような災害に出会うと人は無力です。しかしそんな時こそ、先人が乗り越えてきた知恵の出番です。

食料の保存、薬草などの医療、自然と循環する暮らし、相互扶助の仕組みやあるものを活かす工夫など知恵が活躍するのです。

今の時代は人類にとって滅亡の危機に直面するような災害には遭遇していません。戦後は物が豊富にになりなんでも捨てては消費することの繰り返しでしたからより危機のイメージもありません。

しかし長い目で思索をすると、先人の知恵が如何に大切になってくるのがわかります。短期的には今の便利な道具や知識が価値があると思ってしまいますが、長期的に見たらやはり先人の知恵の方が確かです。

換えのきかないもの換えないようにすることや、伝承すべきことをちゃんと伝承することは有事の時に必ず大きな手助けになって子孫を守るはずです。自分たちの代ではないから知恵はいらないと捨て去り蔑ろにするのではなく、子孫のためにもしもがあるから今から調えていこうとすることで目先の損得に負けない克己心も磨かれるように思います。

一人一人は小さな存在ですが、先人たちの繋いできたバトンを子孫へそのまま渡せるように時代的に意味もなく価値がなくなったものでも変わらずに丁寧に伝承していきたいと思います。

いのちの知恵

私は循環という言葉をよく使います。この循環には様々な意味があります。例えば、めぐるという意味、あるいは全体調和という意味、他にも様々なところで用いられます。

私の場合は徳が循環する経済という言い方をして表現しますが、これは現代の価値観の中で表現するギリギリのところです。そもそも徳というものが何か、そして循環とは何か、経済とは何かということがあっての組み合わせの言葉です。

そもそも言葉は組み合わせでできています。私たちが何かを理解するとき、基本的には全体を理解して一部を切り分けてそこから全体の何がそれなのかという理解をします。

地球を理解するには、宇宙の中の地球になりますし日本になれば世界の中の日本となります。常に全体を広げて相対的に理解するとき私たちはその意味を自分の知りうる認識の海の中で全体のどこに配置するかを定めることで知識を得ます。

しかし古代、古来、本来は知識というものになる前はどうだったでしょうか。言語がなかった時といっていいかもしれません。それは知恵があったということです。知恵とは、言語ではないもの、相対的でも全体でもないもの。存在そのもののいのちのようなものが知恵です。私はこの知恵を表現するのに徳といい循環といい経済といいます。そもそも徳は循環のことです、切り分けられることのないいのちすべてのこと。その姿そのものは循環しています。循環の中にあるから知恵です。これは水の中に流れているものこそ水としていのちとし循環と観るのと似ています。また経済は経世済民のことです。社会のことであり共生や貢献しあう相互扶助の関係のことです。これは体の内臓がすべて循環して助け合い体を維持するようにすべてが繋がり結ばれ調和するから経済になっているということです。

現代の経済は、経世済民の徳治の経済ではなく単なる手段としての経済になっています。それは今の医学のように、内臓のその部分だけをみてそれをよくすればいいという短絡的に切り取られた知識としての経済のことです。

知恵というものは、私たちの伝承の文化の中にこそ生き続けているものです。その知恵こそ野生であり本能であり、偉大な知識の集大成であり結晶です。先人たち、あるいはその知恵を持ち続けていきている先住民族たちはみんな当たり前に徳も循環も経世済民も知恵で一体となって調和し続けています。

言語が増え続けてさらに知識は細分化されて増大していますが、そろそろこの過渡期に終止符を打ってもいいのではないかと私は思います。AIはますます知識の切り分けによっていのちから遠ざかります。

遠い昔、先人たちが実現させた知恵を今一度、子孫たちもバランスよく得られるような環境を甦生していく必要を感じます。日々の暮らしフルネスを通して、いのちの知恵を伝承していきたいと思います。

暮らしフルネス~もてなし~

もてなすの語源は、「以って為す」が由来といいます。何を以って何を為すのかは、その人が感応して決めるものです。例えば、聖徳太子は和を以って尊しと為すといいました。和こそ、何よりも尊いとみんなで取り組んでいこうとしました。

そしてある人は、真心を以って商いを為すといいました。何を以って何を為すか。これこそが、ここに道徳の極みがあるように私は思います。つまり、徳を以って道を為すということです。

漢字というものは、二つのものが一つになることでその意味を反復するものです。つまり同じ意味を成すことがあります。本来は反観合一であり、すべてのものは一つになりバランスを保ちます。一つに統合するには、何を以って何を為すかを覚悟して実践していくことで実現するように思うのです。

おもてなしというのは、本来は生き方のことです。その人がどのような生き方をしているか、そこに裏も表もなくその人が正直に自分を生ききることでその姿に人々が感銘をうけてその生きざまに感謝しているように思います。

生き方というのは、別に誰かに認められたいというものや見返りがあるものでもなく、効率も効果も意味も必要がなく、その純粋な純度の高い精神と実践で行われているものです。

つまり生き方を以って、人生を為すということでしょう。生き方が尊いからこそ、その生き方を優先してその人らしく人生を盡していくなかで心を味わうのです。決して、消費者に媚びたり、過剰なサービスをしたり、他人軸にあわせてやることを決めたりなどはしていないものです。現代のおもてなしも意味が変わってきているかもしれません。形だけが模倣され、中身がなくなったものが海外に文化として輸出されるもの残念なことと思います。

私はこの場所で、日々に暮らしフルネスを実践しながらご縁のある方々を自然体でもてなしています。いつも行っている実践を一緒に味わう。それだけですが、これが私のもてなしです。そして人生だけでなく仕事もまた、自分がこれが道だと感じることを愚直にやり続けます。評価もされず批判をされることもありますが、これが私のおもてなしであり生き方ですから徳を以って己を磨くことを為すものです。

子どもたちが日本人の生き方を伝承し未来に誇りをもって生きていけるように、丁寧に暮らしを紡いで背中で伝えていきたいと思います。

骨の人

反骨精神という言葉があります。意味は「反骨精神(はんこつせいしん)」の意味は、「不当な権力や世の中の不正に立ち向かったり、時代の風潮や世論などに反抗する心持ちや気概」だとあります。ただ、反抗的な態度という意味ではなく、長いものに巻かれろといったみんながそうだから自分もとはならず、自分に正直に生きるというものに近いように思います。

しかしその語源は一体何だろうかと調べてみると「反骨」は、中国の古い逸話が語源で「叛骨」とも書くそうです。これは中国の仙人が、骨をひっくり返して自分に施術を行い、体調を整えたとの逸話です。「反」にはひっくり返すという意味があります。

一度は見てみたいものですがどうも三千年に一度体調をととのえるため自分に施した術で、骨をひっくりかえすことだといいます。三千年に一度というのは、どういうことかなと感じます。

この「反骨」と同じようにな意味の言葉に「気骨(きこつ)」があります。この気骨とは、自分の信念を貫く強い心のことだそうです。そう考えると、骨とはどのようなものか。私たちの体は最後は骨だけが残ります。その骨がどうなっているのかという意味から考えると、見えてくるものがあります。

世の中には、権力や権威があります。それに媚びる人もいます。長いものには巻かれた方がいいと勧めてくるものです。別に権力や権威に反抗したり反対したいという気持ちがあるわけではないのです。それぞれに大切なお役目や役割があり、それを真摯に全うされている方もたくさんいます。問題はそういう状況の方が楽だからと、身近な側近や周囲の方がうまく立ち回り不誠実さを感じることの方が多く、そうはなりたくないと距離を置くだけです。裸の王様のようになっていくのは、権威や権力が強すぎるからで謙虚さを保つことが環境的に難しくなっていくからです。

私はもともとあまり権力や権威が入ってきません。なぜだろうと思うと、媚びるのが苦手だからかもしれません。媚びることがわからないのです。尊敬するからこそ、媚びたくない、尊重するからこそ媚びられない。媚びろと言われて試しに媚びてみても、媚びた真似になってしまい媚びていないのです。

媚びていないから反骨精神の人といわれたりします。そうではなく、なぜかうまく周りのように媚びれないだけです。そのうち諦めてしまううちに、今の自分が醸成されていきました。

なぜ媚びれないのかを分析してみると、「何のために」という目的意識が強いのと、「もともとはどうなのか」という元来や根源に興味が強すぎるからです。そして自分がそうなりたくないなと思うと自分ごとになって他人事のように対応できなくなるからです。

そう考えると、権力や権威というのは組織や集団、人間の集合意識が生み出したものです。だからこそ、そんなものよりもその人そのものを大事にしたいと思うほどに反骨精神が出てきます。

仙人の境地にはとてもまだ入れませんが、仙人を目指して気骨を鍛えて磨いていきたいと思います。

病気の正体

現代人の病気のほとんどは、がん・脳卒中・急性心筋梗塞・糖尿病、そして精神疾患があります。どれも理由ははっきりしていますが、その環境は取り除かずに病気を退治しようとするのでこれらの病気を扱う病院はいつもいっぱいです。それに医療費の負担も増え、そのうち何のために働いているのかと気づくほどにみんな病気に近づいていくかもしれません。

本来の健康は、未病であり、病気にならないような暮らしを調えていくことによります。病気になる生き方には、他人軸といった評価や期待、空気を読みすぎたり、比較されたり自分に厳しすぎて自己を大切にしなかったことなどで頑張り無理がたたり心身が病んでいきます。もちろん、いくら気を付けていても自分のいる環境がそういうところにいる場合は知らず知らずのうちに影響を受けて病気になることもあります。

自分というものを大切にしていれば、環境の影響があっても自分というものを持ち続けることもできるかもしれません。しかし人間は弱いもので、欲望もあり感情もありますからそんなに強いメンタルを維持することはなかなかできません。

そういう時は、自分にもお手入れが必要になります。自分のお手入れというものは、日々に自己の心と対話をする習慣をもったり、身体の声を確認する時間があったり、あるいは環境を変えて心身を調える場に身を置いたりなど工夫はできます。

私の場合は、ライトワークとして徳の循環する経済圏を創生していますから意識的に水や火を用いて自然から離れないよう、不自然と自然が何かを常に確認する機会に恵まれています。そして場づくりで風水をよく感じて、気の流れが澱まないように気を付けています。そもそも病気というのは、気の流れの澱みから発生するのではないかと私は直感しています。気が流れれば、病気は次第に快復していくからです。

例えば水でいえば、澱むことで水は腐ります。私たちは水を纏い循環することで生きていますが、排水や排出ができないと病気になります。植物も同じく、水というものがいのちの中心でありその水の流れ方がどうなっているのかというのはとても大切です。

暮らしフルネスを実践していますが、これはメンタルヘルスにも大いに役立ちます。そもそもむかしの先祖たちは病気を一番、気を付けていました。今では仕事を一番気にして病気になるという悪循環ですが本来は健康であることが一番であったのです。

健康でなければ喜びもしあわせもありません。常に健康で自他が喜び合う中に徳もあります。子どもたちのためにも、暮らしフルネスを伝道して子孫へと先人の生き方の知恵を伝承していきたいと思います。

私の伝統

私は色々なものを甦生していますがその一つの伝統というものがあります。そもそも伝統というものの定義は曖昧なものだと最近は感じています。最初からすべてのことはほとんど伝統ともいえます。誰が農業をはじめたのか、誰が林業をはじめたのか、創業100年とか500年とかいいますが、実際には農業はもう人類がはじまったくらいからありますから数万年あるいはもっと長く続いている伝統です。

10年でも伝統といえば、1000年でも伝統という。しかしその伝統とは、結局は続いているということを言っているように思います。むかし、誰かが発明したものが今でも採用され続けてどこかで使われているということです。

そしてそこにまた逆説があることがわかります。誰も採用しないものは伝統ではないとかということです。採用されないものを伝統だからと遺そうとするのは無理があるように思います。文化財の保存なども、私の場合はすぐに活用しようとしますがその活用を否定する人もいます。しかし活用を否定して伝統を守るというのは不可能ではないかと私は思うのです。一時的に、誰も採用しないので保存しておこうとするのはわかります。しかし実際には、活用しようとすると法律や日本独特の空気感で新しいことをするなと言わんばかりの声もでます。

本来、伝統とはその都度、新しく磨き上げていくものです。なぜなら、採用し続ける状態、活用し続ける状態を維持していかなければならないからです。

私も古民家を扱えば、色々な専門家からあれは間違い、これはわかっていないだのご指摘いただくことがあります。もちろん、それは学び、深め、理由を理解しますがそのうえで自分の好きなように改善します。なぜならそれが活用だからです。他にも、宿坊を甦生するとどうしても世間から見れば宗教染みたことをやってしまっていたりします。別に特定の宗教や宗派、ルールなど周囲を気にしていたら何もしない方がいいということになってしまいます。何もしなかったら活用できませんから維持存続することもできません。そうなれば伝統はそこで終わってしまいます。

私が考える伝統は、活用ありきなのです。活用するというのは、ちゃんと自分のものにしてそれを新しくし、使い続ける創意工夫をしていくということです。その時、それまでとは形が変わってしまうかもしれません。もちろん先人の知恵や技術、そして思想や真心などは当然尊重して尊敬していますがどう使うかはその時々の人たちの全身全霊ですから同じことはできません。

同じことなどは存在しないのですが、同じことを形だけ続けることよりも先人たちと同じようにその時代を真摯に生きてその真心と丹精を込めた生き方を実践していくことで人事を盡すことしかできないと私は感じます。

そもそも伝統とは革新のことです。つまり伝統=革新なのです。だからこそ、私の取り組んでいる仕組みは、これからの伝統を創造しようとする人たちの仕組みの参考になるのでしょう。

子どもたちや子孫を第一優先して取り組むからこそ、私は色々と批判や非難をされても、ご迷惑を多少おかけして人間関係でも少し距離を置かせていただいていてもこれは自分の使命だと思い取り組んでいます。

先人たちが譲り遺してくださった未来を、そのままにさらに新たにしてもっと先の未来のために創造を挑戦していきたいと思います。