全体快適と一円対話

世の中には、完全なる善人や悪人はいません。みんなその両方を持っています。なぜならある方向からみれば善でも別の方向から見たら悪になるからです。ただ、自分がされて嫌なことはしないとか、思いやりをもって接するとか、善であることを優先して心がけようというものがあります。自分だけが正しいと思い込むと、そうではないという正しさがまた出てくるものです。だからこそ、人は価値観の相違を超えて協力して助け合うとき有難い徳や恩恵がいただけるようにも思います。

自然というものも同じです。自然の変化である生き物たちは辛いことになっても、同時に別の生き物には有難い感謝になったりもします。自然は全体最適ですから、部分最適なことは循環しているなかでは些細なことです。人間の身体も同様に、意味のない臓器も活動していない細胞もなくすべては調和して内外で全体最適をしています。寒くなれば、それだけのことを活動して熱をつくり健康を守ります。

自分の視野をどのようにととのえるのか。この実践の中に逆転の発想や、禍転じて福にしていくような知恵があります。なので自然界ではほどほどがよく、足るを知るものがいいともいいます。しかし人生を色々と体験したい、味わいたいと思っている人は極端になり強欲になることもあります。どれもが完全ではないのです。不完全であるからこそ、全部を持っているからこそ全体快適を目指そうというものです。

私が一円対話で大切にしていることは、この全体快適です。森信三先生はこれを「最善観」ともいい、中村天風先生はこれを「絶対積極」ともいいました。つまりは、自然の中心と共に一体であれば善悪が消え一円のように丸くなるということです。

この丸くなるというのは、日本では「和」ともいいます。和とは、調和の和です。調和の調は、言葉を周るという字で形成されています。これは言葉に神経がゆきとどくという意味でもあります。物事というのは、なかなか全部にはゆきとどきません。しかし、みんなで和合して協力し助け合えばそれを補完しあうことができます。これが一円融合です。

みんながそうなるような「場」をどれだけ醸成してきたか、そこに自然の妙法や智慧があります。今は、個が歪んで歪な関係になりやすい場が増えています。今一度、場を調えることの大切さを子どもたちに伝承していきたいと思っているのです。

私の一つの使命ですから、これは復興、甦生の大事業の一つです。

同志や仲間と共に、世の中を明るく全体快適にしていきたいと思います。

創造主と一体

いのちというものの本体はどこかと探求していると、それは宇宙や創造しているものの主体と一体であることに気づきます。私たちが生きている、活かされているということは、何かしらの存在からそのように一体になって創造しているということだからです。

創造しているというのは、私たちの身体が無駄なものが一切なく働くように地球と一体になって生きていることと似ています。この自然界も、量子や素粒子といわれるような元氣もどこからやってくるのか。それは創造している存在と一体であるというのは間違いないことです。

日々の暮らしも、太陽を浴び、雨も降り、風が流れ、呼吸をする。そのすべては創造のなかで行われています。星の運行も、海の流れも山の循環も一つも常に創造を已みません。

その創造と一体になること、それに逆らわないようにすることで元氣は漲るという方がいました。それは中村天風さんです。私は若い頃、中国に留学していたとき毎日、この中村天風さんの本を読み、そこに書いている元氣の出る言葉の句を声を出して詠んでいた時期があります。自分というものの生き方を見つめた最初の機会だったかもしれません。

どのようなことがあっても、人は生き方は自分で決めることができます。これがまず主体であり積極性であり創造主と一体になっている意識です。その自己意識をどこまで磨き上げるか。それが人生の醍醐味であり、天命を拓く生き方であろうと思います。

思い返せば、今の私の生き方や仕事に大きな影響を与えてくれたのはこの積極思考というものでした。心の持ち方というものをどのように高めるか。それは味わうこと、そして受け容れて反省すること。そのうえで前に進むことというシンプルなものです。

人間は物事をそのままにしていたら転じて福になることはありません。よくよくその不安、怒り、恐れ、すべてを味わいじっくりと受け容れるからこそそれを成長や進化の養分に換えることができるのです。そしてそのこと自体を丸ごと天命だとしたとき、それは福に転じて運気をさらに高めます。真の自己に向かっていくのです。

創造主の存在と一体なるというのは、自分の状態を不自然ではないものにするということです。言い換えるのなら、自然というものの心と同じ状態のままであれば至上であるということです。今、此処を生きる禅にも通じ、一切空といったあるがままの姿に近づくことにも似ています。

暮らしをととのえるのは、生き方をととのえることです。

子どもたちにも、生き方という知恵が主体性や創造性を発揮させることを伝承するためにもまずは自らが絶対積極の実践を味わっていきたいと思います。

大寒こそ福

もうすぐ大寒を迎えます。この大寒というのは一年でもっとも寒い時期を指し、1月20日から2月4日ころまでをいいます。むかしからこの時機はどのように過ごしていたのか。先人の知恵をどのように伝承していたのか深めてみたいと思います。

まず大寒の朝に汲んだ水は「寒の水(かんのみず)」と呼ばれ縁起物として知られています。大寒の朝に汲んだ水は1年間腐らないと言われ、昔の人達は長期間保管していたといいます。今は水道水で塩素も入っているから腐りませんが、むかしは井戸水や湧き水などでしたからどうしても生活の中で腐ることもあったように思います。

気温が高くなるときに汲んだ水というのは、すぐに細菌が繁殖してしまいます。しかし、大寒の日の朝は凍てつくような寒さ。そしてこの時機の水は雑菌も繁殖できません。そこで大寒の水は質が良いといわれていました。

なのでこの時期に味噌や醤油、お酒などの発酵食品をつくります。いわゆる寒仕込みというものです。発酵は、腐敗するスピードよりも発酵するスピードが速くないといけません。そのバランスが調和しているからこそ発酵するのです。

この寒仕込みであれば、ゆっくりと発酵して腐敗もできず上手く菌が醸成されます。一度発酵してしまえば、あとはお手入れだけですからこの時期にこそやることが重要でした。あとは、大寒に食べるとよいものとしては大寒たまごというものや脂ののった「寒ブリ」や「寒サバ」があります。実際に寒い時期はニワトリが水をあまり飲まずエサをたくさん食べるため縁起物というだけではなく、栄養価も高いからというのもあるそうです。ブリやサバは脂がのって美味しいということです。

他にも代表的なものは甘酒があります。もともとこの甘酒も寒の水が使われていました。大寒の時期に仕込んだ甘酒は美味しく新鮮だといわていて現代でも製菓会社では、大寒を「甘酒の日」と定めるところもあるそうです。

むかしの人たちは、この寒い時期だからこそできることをやりました。まさに禍転じて福にするのです。かつての日本人は、寒いから嫌だではなく寒いからこそと善い方を観ました。そして立春を迎えます。

こういう四季折々の自然の流れに逆らわずにそれをうまく活用して善いことにし、さらなる躍進につなげたというのは素晴らしい知恵です。先人の生き方に倣い、子どもたちの憧れる生き方、働き方を実践していきたいと思います。

試練の砥石

人は何かを志せば試練というものがやってきます。その試練は、その目指した志に対してどれだけ学び乗り越えて自らを磨けるかということになります。自分を磨き、志を達するには試練が砥石になるということです。

その時の砥石に対してどう磨くか、それは刀身を削り落としていくことになります。荒い砥石からはじまり、最後はきめ細かな砥石に移行していきます。大きな試練から日々の小さな試練、そのどの試練も大切な砥石になるということです。

その砥石は何かということになります。これは私は「天」であると直観します。西郷隆盛は人を相手にせず天を相手にせよといいました。これも偉大な砥石であろうと思います。

天がなぜこの試練を与えようとするのか、天は何を学ぶようにとご教授いただいているのかと、天と正対して自分を磨くのです。さらに言えば、天道地理義理人情に照らしあわせて世の中でそぎ落としていかないといけない「私」を磨くのです。

誰かと何かを一緒にやっていくというものもお互いに試練が必要です。共に己を磨き高め、精進していく実践が伴います。目指している志に対して、どれだけ自分が純粋にそのことにいのちを懸けて取り組んだか、それを共にすることで相乗効果を発揮していくのです。

目的を一致させることは、天道地理に必要です。そのうえで、筋道や思いやりが必要です。そのどれもが大切な自分の試練になり、その試練が真に志を成長させます。試練には四苦八苦が伴います。その中で、何を学ぶか、何に気づくか、どう自分を磨くかは自分次第です。

天を相手にして、天命に従い、人事を盡していきたいと思います。

鏡餅の徳

先日、鏡開きをしてその御餅を家族や仲間と一緒に食べることができました。お汁粉にしたりあげ餅にしたり、焦がし醤油であぶったりとどれも美味しく元氣をいただきました。

もともとこの鏡開きの由来は、室町時代や江戸時代の武家社会で行われていた「具足開き」にあると言われています。むかしの武家社会では、床の間に飾られた具足(甲冑)にお正月の鏡餅をお供えする「具足餅」と呼ばれる風習がありました。お正月が明けたあとに具足餅を下げ、木槌で割って食べる行事でした。もともとは1月20日に行われていてこの「20日(はつか)」の読みが「刃柄(はつか)」に通じ、「刃柄」を祝うことで武運長久を祈る行事だったといいます。江戸時代に徳川家光が亡くなった日がこの日だったため1月11日になったともいいます。

この御餅を包丁で切ると、切腹を連想させるため縁起が悪いということもあり手や木鎚で割り、「切る」「割る」という言葉を避けて「開く」という言葉を使うといいます。

もともと歳神様を迎え入れ、正月の間、床の間に御鎮座いただきその依り代であったこの鏡餅をいただくことで私たちはその歳神様のお力を分けていただくというものもあります。お米の中にある無限の元氣を取り込んで一年の力にしていくというのが私たちが大切にしてきた伝承です。

私はお米作りもしていますから、種まき苗育て、田植えに草とり、収穫に干して脱穀し炊飯をするまで本当に多くの手間暇と大勢の人たちの見守りでお米が成立していることをいつも実感しています。みんなの力を合わせてはじめてお米が食べられるという当たり前のことを有難いと実感するのもこの鏡餅の行事で場を調えていただいているからかもしれません。

私たち日本人にとっての「和」とは何か、神様として大切にしているものが何か。それはこのお米に関わる協力や助け合いの精神が根源であることがわかります。協力し助け合うことの有難さ、美味しさは格別です。

この世に産まれてきて、どんなものを食べるか、どのように食べるかは、その人たちの生き方が決めるものです。先祖代々、どのように暮らしてきたかを思い出すことで私たちは生き方を磨きます。

子どもたちにも大切な精神や生き方を譲り遺していきたいと思います。

士魂の場

志というものや魂というものは受け継がれていくものです。自分というものだけではない存在、何か自分を超えたものの存在を感じることで私たちは志や魂というものを実感することができるように思います。

例えば、ご先祖様という存在があります。これは、今の私が産まれるまで生きてこられた存在ですがその先祖がどのような志で生きてきたか、どのような魂を持って歩んできたかは目には観えなくても自分たちの心や精神のなかで生き続けて宿っているものです。不思議なことですが、長い時間をかけて先人の生き方を尊重し子孫がその遺言や生き方を受け継ぎ、さらなる子孫へと譲渡していく。その生き方こそが志や魂にまで昇華されてご先祖様と一緒に今も生きているのです。

他にも考えてみると、志を生きた人や魂を磨き切って歩んだ方との出会いは自分の人生を導いてくれているものです。道を教えていただき、道を実践するようになったのもまたその志や魂に触れたからです。そういう先輩や先人、仲間や同志に触れることで志や魂はまた多くの方々に受け継がれていきます。

この志や魂は自分のものですが自分のものではありません。何か偉大なもの、繋がって存在しているものです。そういうものを実感することで自分の中にもあり自分のものではないものと結ばれ一つになります。

離れていても、身が滅んでいても、この世に存在していないようでも意識をすれば目に見えないところで一緒に歩んでくれているのを実感するものです。

徳は孤ならず必ず隣有りというのは、この志や魂のことをいうように思います。自分に与えられた場所、そして境遇で如何に平時から志を立て、魂を磨く実践に取り組むか。

毎日、一期一会に出会い続ける士魂に勇気や愛を感じるものです。

子孫たちにさらに精進したものを譲渡せるように、日々を大切に過ごしていきたいと思います。

福堂の場

吉田松陰は、松下村塾で有名ですがその発端は野山獄中での孟子の講義によるものです。普通の人は、牢屋にいれられたら悲嘆にくれて自暴自棄になる人もいますが松陰はこういう時だからこそ学問が磨かれると学びをさらに一歩進めていきました。

その遺した言葉の一つにも「牢獄で死ねば禍いのようだが、この場所で学問をし、己のため、他人の為に後世に伝えることを残し、身は失っても死にはしない人たちの仲間入りすることができるならば、この上もない福というもの。」というものがあります。

今居る場所で学問をすること、そして死んでも魂は受け継がれていく同志の仲間入りできるのならばこれは最上の福ではないかというのです。目指しているものや、その志がすでに透徹されており曇りがない純粋な浩然の気を感じます。

この牢獄をどのように福堂にしたのか、その発端の文章から少し深めてみます。松陰はこういいます。

「元魏の孝文、罪人を久しく獄に繋ぎ、その困苦に因りて善思を生ぜ染む。」因って云はく、「智者は囹圄を以て福堂とす」と。此の説遽かに聞けば理あるが如し。」諸生紙上の論、多く左袒する所なり余獄に在ること久し。親しく囚徒の情態を観察するに、久しく獄に在りて惡述を工む者ありて善思を生ずる者を見ず。然らば滞囚は決して善治に非ず。故に曰く、「小人閑居して不善を為す」と、誠なるかな。

これは意訳ですが、獄中で罪人をつなげばその困苦によって善思が産まれるという。なので知恵者は牢獄を福堂にするという。これは理があるようにみえる。しかしよく観察すると長く獄にいるとそうではないものが多くなる。それではかえって善治にならない。子思がつまらない人間が暇でいると、ろくなことをしないというのはその通りである。

「但し是れは獄中教へなき者を以て云ふのみ。若し教へある時は何ぞ其れ善思を生ぜざるを憂へんや。曾て米利幹の獄制を見るに、往昔は一たび獄に入れば、多くはその悪益々甚だしかりしが、近時は善書ありて教導する故に、獄に入る時は更に転じて善人になると云ふ。是くの如くにして始めて福堂と謂ふべし。余是に於て一策を画す。世道に志ある者、幸に熟思せよ」

しかしこれは牢獄において教えというものがなかった場合のみではないか。もしも教えがあのなら善思にならないことは憂う必要はない。アメリカの牢獄は牢に入ったときはよくなくても、善書を置き教えを導くことで善人になっている人が多いという。このようにしてはじめて福堂になるのではないか。ここから私は福堂策というものを提案する。同志たちよ、熟思してほしい。

そこから牢獄を福堂にするための方法や自分の取り組み、そして将来の展望などを書き連ねていきます。牢獄においても、いただいた御恩に報いようと学問を励み少しでも世の中に貢献しようと精進しておられます。

どんな境遇でどのような場所にいても、志が立っているからこそ学問が磨かれたのでしょう。志を立てるのは、自らが立てるものです。その純粋無垢な恩返しへの徳、そして何のために生きるのかを魂のままに実践して生き切る姿勢。身は滅んでも、魂として永遠を生きようとした生き様を感じます。

そういう生き様に感化された人が今も後を絶ちません。こういう人がいたということが後世の人たちの教導にもなっています。子どもたちにも、あらゆる生き方があることを伝道し今いるところをさらに彫り刻んでいきたいと思います。

 

天地の学

天地自然の法というものがあります。これは誰かが教えたものではなく、誰かに倣うものでもありません。人間が人間として解釈するのではなく、自然がそのままに存在して運行するものです。

私たちは便利に誰かが観察したものをもってそれを理解して分かった気になれるものです。畢竟、便利さというものはどこか大事なものを欠けさせているものです。結局、便利なものに縋って生きてしまうと便利なものが大事なことになってしまい本来の天地自然の理などは後回しになるものです。

先人たちの中には、安藤昌益や三浦梅園のように誰かの教えたものを観ずに直接天地自然を観察した人たちがいます。本来、人はその師をどこに置くかでその求めているところを直観するものです。

その直観は、人が疑問に思わないところ、当たり前すぎて考えもしないところに置かれるものです。誰も考えないというのは、それくらい当たり前にあって気づかなくなっているものです。

例えば、この呼吸というもの、身体の神経、他にも光や影、空間や場などもです。あって当たり前のもの、なぜそれがあるのかを考えるところに自然を観察するための入り口があります。

なぜというのは、真理の入り口でありそのなぜをどの場所でなぜと思うかで人は学びの場所が変わるということでしょう。

これだけ知識が増えて複雑になった世の中では、知識はさらに便利なもの、特殊なものばかりに偏っていきます。しかし天地というものは、悠久に変わりなくこの先も永遠に普遍です。本来の学びというものは、何を主軸にしているかで自分たちの在り方も変わっていきます。

後世に名を遺すような偉業、つまり子孫たちのために何をすべきかを問う学問は常に天地と正対しているものです。

私も先人たちの生き方に倣い、脚下の観察と実践を味わっていきたいと思います。

野性との共生

池の周囲には大量の白鷺(シラサギ)が飛来してきています。この白鷺は、夏は田んぼでよくみかけ川の畔にはアオサギなどをよく見かけます。結構、印象深い野鳥ですが当たり前すぎて気に掛けることも減っています。

むかしの日本は、これに鶴などの野鳥がたくさんいたのでしょう。鶴はもともと江戸時代までは北海道から関東地方でも見られたようです。しかし明治時代になると乱獲され、さらに生息地である湿原の開発により激減して今では絶滅したといわれます。葦などの湿原が多くあった日本の土地も、今ではほとんど失われています。

まだ白鷺などの方は、田んぼやサギ山といった林や森があるので生息地が確保されています。野生動物たちの生きる場所や生活の範囲を奪うと、生きものたちは行き場を失っていきます。

むかしの人たちは、敢えて杜をつくり生き物たちが生息できるような境界をもうけて見守り合っていました。自然というものをみんなで分かち合い生きることに真の豊かさを感じていました。生き物が次第に減っていく姿をみていたら、本当の貧しさとは何だろうかと向き合うことに気づけるようにも思います。

現在、鳥類の8種に1種が絶滅危惧になっているといいます。そのうち、ツバメやスズメも絶滅するのではないかといわれています。日本はこの150年で3分の2以上の野鳥が絶滅及び減少しました。

鳥が減っている理由には様々ですが、人間が原因であることは間違いありません。人間の生活が、ほとんど野生の生き物を無視しているところに起因しています。都会の人間だけの生活に憧れ人間以外を無視してきた生活が田舎の隅々にまで広がっていきます。

実際には鳥の鳴き声で癒され、魚や虫たちの多様性に花も実も支えられている私たちがそういうものを無視して排除してきたことで生き物は減りました。一度、絶滅してしまった生き物は復活することはなく永遠にそこで失われます。

あと100年後の日本、及び世界はどうなっているのか。子どもたちが未来に生きるとき、その時、野鳥をはじめ野生の生き物たちはあとどれくらい残っているのか。心配になります。

子どもたちの未来を思うと、まだ今の世代の責任を果たすチャンスがあります。身近な小さな一歩からでも、野性との共生をはじめて伝承していきたいと思います。

 

心の甦生

先日、仲間たちと一緒に無農薬のもち米で餅つきをし鏡餅をつくりました。その鏡餅を、それぞれのお祀りする場所へ調えていきました。年々、ご縁を戴くところが増えて御餅の数も増えていきます。しかし一年に一度、感謝を忘れないように改めて祈りを実践するのは有難い機会になります。

それは道具にも同じことがいえます。お餅つきや鏡餅をするときに出番がくる道具たちです。日ごろは仕舞われたり、別の役割を果たしています。その道具が、活躍する日でもあります。

例えば、木臼や杵というものがあります。これは5年前にご縁があってうちにやってきたものですが、非常に古い歴史を持っている木臼と杵です。この木臼は神様の木としても有名な欅が使われています。この欅は古名で「ツキの木」とも呼ばれていてこれは神様が依り代になる聖なる樹といういわれがありました。神社のご神木に欅が多いのはこのためです。

その神様が依り代になるような木臼はむかしからとても大事に祀らてきたといいます。私も聴福庵ではいつも目につくところに配置していて、その存在をいつも確かめてお餅つきが来るのを楽しみにしています。

この木臼ですが、桶谷町の文化財保護委員である伊藤源治氏が分かりやすくご紹介されています。要約すると、この臼や木は弥生時代から存在し、あらゆる雑穀の製粉脱穀精白に使われました。暮らしの中で、なくてはならない道具であり今のガス、水道、電気と同じくらい日常的な役割を果たしたものです。その臼と杵は家を象徴するもので、冠婚葬祭でも用いられたといいます、たとえば、葬儀では出棺のときに空臼を搗きます。故人の、この世の家からの永遠の別れを意味したそうです。そして日常で空臼を搗くことは縁起が悪く、禁忌とされました。他にも、結婚式では餅を搗きます。嫁ぎ先の家の土間に臼を二つ並べ、その花嫁が重い臼を退け困難を乗り越えて婚家に入るという儀式もあったといいます。このような臼と杵ですから、暮らしの中では特に大切に取り扱いしめ縄をし雨ざらしなどさせず、上に物を置く事などもせず、常に伏せて置いたといいます。そして最後に使えなくなった野に捨たりゴミのように燃すことはなく、供養をし家中のかまどで燃すか、一族で分けたとあります。常にこの臼と杵は神の宿る、聖なる道具と意識されて使われたそうです。

よく考えてみると、鏡餅もまた神様が宿るものです。お米にも宿ります。すべて神様が宿っていると意識してお餅つきは行われたのでしょう。今の時代、自動餅つき機があったり便利に大量生産されています。しかし、そこに神様は宿るのでしょうか?私たちが神様と意識することで神様が宿るというのは、すでに量子の世界でも事実が明らかになってきています。

私たちの意識は、単なる妄想ではなく心というものが存在する証拠でもあります。真心を籠めて取り組んだことは、不思議ですが心を通じて伝わっていくものです。むかしの人たちを理解するには、心を尋ね、心を学ぶ必要があるように思います。

心を甦生して、子孫たちへ大切な知恵を伝承していきたいと思います。