20周年

起業して20周年を迎え、これから21周年目に入ります。多くの方々にご支援、ご指導をいただいて20年間、子ども第一義の理念に取り組んでくることができました。本当にありがとうございます。

振り返ってみると、最初に会社を立ち上げたときのことを思い出します。満を持して会社を起業したという感じではなく、周囲から押し上げられるように会社をつくることになったのを覚えています。そして最初のスタッフは友人や兄弟などからはじまりました。夢や希望だけはありましたが、他にはほとんど何もなくまさに裸一貫のような感じでした。

それが次第にお客様とのご縁が増え、事業も増え、スタッフも増えていきました。会社としては利益が増えたのですが、目的から少しズレていくのを修正するばかりにエネルギーを奪われて疲れていきました。そこから理念を定め、理念経営に舵を切り、色々な事業や取り組む内容をととのえていきました。老舗企業を研究し、どうしたら1000年続く会社になるのだろうかと試行錯誤しているうちに会社もスリムになり、今に至ります。

この今も、裸一貫のような気持ちで続けていますが家族が増え、同志が増え、子ども第一義の理想に向かってみんなで手を取り合って挑戦を続ける日々を送らせていただいています。

カグヤという会社は竹取物語が由来で竹がよく使われます。この竹には節目があり、節目があることが成長の証でもあり柔軟にしなやかに逞しくなっていく由縁でもあります。

会社の節目は何だったのか。思い返すと、たくさんあります。事件ばかり、感動ばかり、ご縁ばかりの20年でした。今日は、みんなで東京のライトハウスに集まりその節目を振り返る一日になります。

これからも子ども第一義の理念を実践し、1000年先の未来から逆算をして私たちにしかできないことをやり遂げていきたいと思います。

ウェルビーイングではなく暮らしフルネス

現在、資本主義経済の行き詰まりをはじめコロナによる経済の低迷、また戦争による閉塞感など世界は暗い情報が増えています。そんな中、ダボス会議ではグレート・リセットといって今までの価値観を見直し、前提から見直そうという声が出ています。

リセットというのは、最初からやり直すという意味です。

シンプルに言えば、これは今のやり方ではこれ以上難しいから最初に戻すということを言っていますがではどうやって戻すのかということは議論されていません。それは戦争によって破壊されて縄文時代のように戻ることをいうのか、もしくは原点回帰というように人類が何を求めているのかということを真摯に考えて前提をひっくり返すのか。どちらにしても、それも人類が選択できるということなのでしょう。

具体的には下記のようなことがいわれています。

  1. ビジョンの再定義:自然との調和を保ちながら、社会のニーズに応える
  2. 透明性の確保:環境、社会、経済のパフォーマンスに関するデータを開示
  3. 外部性の内部化:環境的及び社会的影響を認識し、負の外部性を減らす
  4. 長期的なビジョン:会社、社会、自然を含む全ての重要な利害関係者に利益を
  5. 人を資産にする:社内の声を優先する
  6. 生産のローカライズ:エネルギー源や財源、流通のローカライズ
  7. サーキュラーエコノミーへの切り替え:環境および社会システムとの共存
  8. 多様性を受け入れる:価値観、所有構造、財務の多様性を認識

確かに、現状を維持しながら変革をしようとすると今の社会の在り方を換えていくことで幸福に近づこうとするのはよくわかります。しかしこれで本当にグレート・リセットするのかということどうでしょうか。

私は、そもそもの大前提がこれで変わっていくとは思いません。これはこれまでを換えようとはするのですがこれまでとの対比の中で大前提が変わることはないからです。

現在の行政の仕組みや国家の在り方なども根本は変わりません。それは今の仕組みを走らせながら新しい仕組みを入れようとするからです。一度知ってしまった便利さを手放せないように、人はそう簡単に元に戻ることはありません。そして長い時間をかけて教育してきた価値観を忘れることもなかなかできないからです。手段は目的を超えられません。目的を換えるには、具体的な智慧が必要でそこには常に今を磨き続ける努力が必要だからです。

私はこれまでのことを対比するウェルビーイングではなく、今を温故知新し根源的に甦生させる暮らしフルネスというものに取り組んでいます。これはもともと幸福を目指しているのではなく人間の暮らしをととのえていくことを実践していく方を目指しているのです。

今、世界は現状を換えずに変化することをみんな求めていますが今の国の仕組みがいつまでも変わらないようにそんな大きな変化はないように思います。しかし、時代は必ず後押ししてきて原点回帰するときが訪れると思います。

大事なのはその時、その原点回帰するものが残っているかということです。私が文化や知恵を伝承するのは、子どもたちがそれを受け取れるようにするためです。今の社会をどうするのかという運動は、私の役割ではないように思います。

私の役割は、一つ一つの先人の智慧を甦生し、実践し、歴史を紡いでいくことです。どの時代も、本当は同じ課題と向き合い続けて今があります。むかしも今も、本質的には人間の課題はなくなっていません。だからこそ、智慧が必要なのです。

子どもたちに智慧が伝承できるように、ウェルビーイングではなく暮らしフルネスを実践していきたいと思います。

変化の創造

成熟してきた業界のことを観察していると、今までの仕組みが邪魔をして変化が停滞していしまっているところがよくあります。その時代時代に、課題がありそれを解決するためにはじまるのですがその時に作った仕組みやシステムが陳腐化してくるのです。

その時は、それでよかったものが時代が経つとそれが変化の邪魔をするのです。そもそも移り変わっていくということが分かっていれば、移り変わる中で何が今の時代の要請なのかということを常にとらえて学び続けることができます。しかし、日々の忙しさに追われてそんな時間が取れなくなると次第に移り変わることを忘れてしまいます。

あまりにも目先のことや日々のことに追われていくと、人は変化に疎くなるのです。

変化していくためには、少し忙しさから離れて世の中の変化をよく見つめ直す時間が必要です。もしくは、忙しくしない日々を生き、常に変化というものを見つめる観察眼を養う必要があるように私は思います。

かつての人たちは暮らしの中でその観察眼を磨いてきました。

日々の小さな変化、自然の変化に目を凝らし、小さな虫一つ、植物の変化一つを気づき、そこから世界の変化を予測していました。自然界にも兆しというものがあり、世界の反対側で起きていることでも小さな自然の変化から想像することができるのです。

今は、テレビやインターネットで世界の反対側の情報も映像などで入ってきますがむかしは長い時間と小さな変化を観察することで情報を入手したのでしょう。もともと地球は球体ですから、投げたものは長い時間をかけて返ってくるものです。これは意識の変化も同様です。歴史が刻まれていく中で、人間の意識も少しずつ変化していきます。

コロナがあり、戦争があり、人間の心理や感情も刻々と変化していきます。

毎日は同じように見えても同じことは一つもありません。

その時々によく観察し、原点回帰しながらも何が変わったのかを見極めて順応していくしかありません。昔と比べてではなく、まさに今がどうなっているのかに集中するということでしょう。

子どもたちの未来のためにも、新たな変化を創造していきたいと思います。

学友との出会い、新たな平和への挑戦

友人のヤマップの春山慶彦さんの協力で英彦山宿坊のクラウドファウンディングをすることになりました。春山さんとは、2年前に宗像国際環境会議の座談会を聴福庵で行った時からのご縁です。

その時を思い返せば、穏やかな佇まいで語り、静かな情熱と哲学、美意識を持っている行動力のある姿に感銘を受けたことを憶えています。そこから約2年、ご縁からの行動を共にしたり英彦山の甦生への取り組みを通してさらにその人柄をすばらしさを実感しました。

振り返れば、その時々に場に誠実に、そしてどんなことからも吸収し学びを深めようとする実直な姿勢がありました。また、山のような深い心をもち長い目で物事を観て矛盾を受け容れつつ今を楽しもうと挑戦をしています。本をよく読み、知識を得ますが同時にそれを社会にどのように還元しようかと常に思案をしています。これは2年かけての私の勝手な人物評ですが、まるで「懐かしい日本の青年」という感じでしょうか。

今、世界戦争の足音が次第に近づいてきています。

私は戦後生まれですから戦争を知りません。しかし知覧の特攻の話や、沖縄の話をその土地のおじいさんやおばあさんから口伝で聞いたり、遺ったお手紙や日記、取材の内容を読んでいるとその当時の日本の青年たちの姿が観えてきます。

その姿は事に及んで真っすぐで誠実、家族のために社会のために自分の使命を全うするために深く学び、そして笑い、苦労を惜しまず命を懸けて運命を受け容れ実直に駆け抜けています。その根底には、深い優しさや悲しみ、そして思いやりを感じます。

私たちの心には、誰が与えたかわかりませんが最初から「真心」というものがあります。その真心に気づき、真心を盡そうと生きるとき、日本人の懐かしい何かに触れていくように思います。きっと歴史の中の青年たちは、この真心を常に生きていたのではないかと私は思うのです。

時代は現代、平和が続いて半世紀以上経ちました。平和で物質的豊かな時代を生きた私たちは何か大切なものを忘れているのではないかということに気づき始めてきています。これからどのような選択をするのかを決めるためにも、私たちはその当時の日本人の願いや祈り、その想いを改めて今こそ思い出す必要があると私は思います。

今回の英彦山の宿坊の甦生は、かつての日本人の心のふるさとを思い出すための大切な象徴になると信じています。

子どもたちに、何を伝承していくことが真心なのか。それは時代時代の人々の真の生き方であることは間違いありません。身近な学友から生き方の素晴らしさを学び合い、磨き合うような出会いをし、新たな平和を築くための挑戦を続けていきたいと思います。

樽の伝承

伝統の堀池高菜をむかしの樽に本漬けしました。このむかしの樽は、隣町にある伝統の味噌屋さんの蔵や建物が解体されるときにいただいてきたものです。もう随分と長い間、味噌をつけていましたが機械化したり樽がプラスチックになったりして使われなくなったものです。

昨日、樽をもう一度綺麗に洗ってみるととてもしっかりとできており隙間もありません。水をはってあげると、出番に喜んでいるような気がして使っているこちらも嬉しくなりました。

そもそも樽の文化はいつがはじまりなのかはよくわかっていません。世界ではおよそ2000年前にケルト人が金属の箍で木の板を張り合わせた丸い樽を作ったのがその始まりともいわれています。

日本国内では鎌倉時代末期に生まれ、室町時代に酒造業などの醸造業の発展と共に急速に広まっていったともいわれています。木工技術でいう結物(ゆいもの)の代表が、この樽や桶です。なので桶や樽を結桶(ゆいおけ)・結樽(ゆいたる)と呼ぶ場合もあるそうです。

これは従来の曲物の桶や樽に比較して強度・密閉性・耐久性に優れ、酒や醤油・油・味噌・酢・塩など液体や水に溶けやすい物資を入れて輸送するのにもとても役立ったといわれます。

もともと桶は、杉や檜などの板を縦に並べて底をつけ、たがでしめた円筒形の容器のことです。そして樽は、同じく「たが」で締めた円筒状の桶の形と同じですが蓋(ふた)があってお酒やしょうゆなどの液体を持ち運ぶのに重宝しました。どちらかというと、発酵させるもの全般は桶よりも樽を用いられています。

この樽の語源は、「ものが垂れる」=「垂(た)り」からきているといわれます。樽という字は木偏(きへん)に尊(たっと)いの組み合わせでできています。つまり「神に捧げる尊い酒壺」という意味で、樽は「神に捧げる入れもの」だったそうです。

よく神社にいくと酒樽が奉納されていますが、まさにあれは樽そのものの本来の役割を見事に顕現している姿です。神様に捧げると思ったらそういう品のある自然の器を用意したいと思うものです。そうなると私ならやはり木樽になります。

大事に育ってくれた高菜だからこそ、その高菜を漬ける塩も、ウコンもそして樽も本物にしたいと思うようになるものです。そしてその樽を安置する場所も、ととのえて清浄にしたいと思うようになります。

よく私はこだわりが強いといわれますが、こだわりが強いのではなく当たり前のことをやっているだけです。当たり前のことがなくなってくるとすぐにそれがこだわりだといわれるものです。

丁寧に暮らしを結んでいくなかで、本来どのようなものが本物であったか。それは自然を尊敬し、日々を大切に丹精を籠めて生きていれば自ずから本物に近づいていくものです。

子どもたちにも本物に囲まれた暮らしを伝承していきたいと思います。

茅葺との出会い

英彦山の宿坊、守静坊の茅葺屋根の準備がはじまっています。そもそも茅葺屋根に繋がるまでのご縁を振り返ってみると不思議なご縁で今に至っていることに気づきます。

思い返せばこの茅葺との出会いは、4年前に故郷にある私が幼い頃から参拝している8体のお地蔵様の建屋を修繕することがはじまりです。このお地蔵さまは私のふるさとの88か所巡りに配置してある石像の一部ですが、コンクリートでつくられた建屋も40年以上たちだいぶ傷みが酷く、屋根などは鉄骨が錆びて崩れてきそうな状態になっていました。

そこでこの場所が山の麓の景観のよいところにあること、また美しい桜の木があること、他にも紫陽花や山茶花、紅葉、梅など年中美しい花を咲かせますからそれに相応しい建屋はなんだろうと考えた結果、茅葺屋根の地蔵堂を甦生させたいと思い茅葺職人を探していたところ出会ったのが今回、茅葺屋根を葺き替えることになった阿蘇茅葺工房の植田さんです。

植田さんには、事情を話し、なんとかやり替えたいと伝えてたらちょうどその時にお地蔵さんと植田さんも縁があって一緒にやりましょうと盛り上がりました。しかしその後、地域の色々な理由から茅葺をすることができないということになりその話は中断されました。

不思議なことに、そのお地蔵さんの建屋から坂をくださったところにある江戸時代から続く藁ぶき古民家を甦生することになり天井の内側の藁ぶきを修繕するということでお願いすることになりました。そこで使われていた古い藁は、他の場所にある色々な藁ぶきの古民家の修繕に再利用されて甦生しています。

そこから少し経って、今回の英彦山の宿坊を甦生することになり最後の仕上げに茅葺屋根をするということで決まり昨日から我が家に職人たち5名が泊まり込みながら英彦山に通い甦生していきます。

お地蔵さんのことがなければ、私はこの職人と出会っていません。そしてこのお地蔵さんの建屋を修繕するために連絡した方がだいぶ以前に離れてしまった親戚だったことがわかり今では一緒に徳積財団を設立し運営しています。

英彦山の宿坊も私の名前をつけていただいた霊仙寺の前住職さんの寺院の傍で同じ谷にあり、その宿坊も山伏研究の第一人者の先生のご自宅でした。共通するのは、150年前の歴史の空白を埋めようと努力され甦生させるために尽力してきた方々の想いがあるということです。

想いがリレーのようにつながり、私の所にたどり着きました。私はその想いをつなぎ今、英彦山から茅葺を使って懐かしい未来を甦生させていきます。

なぜ今、こうなったのか、なぜ今、これをやっているのかは色々な人たちの想いがつながって今に至っているからです。お地蔵さんも、宿坊もすべて信仰の想いを残してくださった先人たち、そしてそれを渡してくださった方々、さらに私と周囲の人たちが次世代へとつなげていこうという願いや祈りが形になっていくのでしょう。

子どもたちに伝道し伝承できるものを、自分なりに努めていきたいと思います。

知恵の本質

経験というものは知恵そのものです。人は経験をするという時点で知恵を得ているともいえます。経験をよく観察すればするほどに、そこには知恵が隠れていることがわかります。失敗をすることも成功をすることも、それは実はどちらでもよく大切なのはそこから何を学んだかということです。

この経験は、時間が経つことで観えてくる境地があります。経という字は、もともと縦軸の意味があります。つまり長い時間をかけて培われてきた知恵のことです。お経もひょっとしたら、その経の意味もあるのかもしれません。

そしてその縦軸の経験をじっくりと何回もその時々で観察してみる。すると、時間が経つにつれ、経験の質量が増えていくにつれ知恵が鮮明にかつ多面的に入ってくるようになるのです。

一つの小さな経験が、他の経験の助けにもなります。

よく一つを極めた人が、他でも極めていく道楽者の人たちをみかけますがこれはあらゆる経験から知恵を会得しその知恵によってまた別の道も達していくのです。先達というのは、あらゆる知恵を会得するような経験や体験を修練を積んで得た人です。

私たちは今、頭ばかりつかって知識を得ていますがそれで分別知は磨かれます。わかりやすく整理され、複雑な言語を使い分けまた新しい定義の言葉を産み出せます。しかし現実の世界では、現場がありますから場に真実が出てきます。

その場は、身体感覚や五感、そして直観や第六感などあらゆる全体を駆使して知恵を活用していかなければ物事を真に理解し全体と調和していくことができません。つまり知恵が必要になるということです。

子どもたちには、知恵を学ぶことの大切さを背中で伝えていきたいと思います。自分を信じて、経験をすること、観察すること、そして修練を積み、知恵を磨くことを伝承していきたいと思います。

和やかなテクノロジー

最近、ある人の紹介で「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)のことを知りました。これはシンプルに言えば、人、情報、自然が一体になって調和したテクノロジーのことを言うそうです。

もともと今のような情報社会になることをユビキタス・コンピューティングの父とも言われる有名なエンジニア、マーク・ワイザー氏はすでにその当時から予見していました。そしてそのワイザー氏が、現代のようなユビキタス・コンピューティングの時代に「カーム・テクノロジー」というコンセプトが必要になると予言していました。

このコンセプトは、テクノロジーが暮らしの中に溶け込み、自然にそれを活用しているという考え方です。このコンセプトは約四半世紀を超えて、人類に求められてきているテーマになっているということです。日本でも、この考え方を実装するためにmui Labという会社が京都に創業しています。この会社が監修したアンバー・ケース著の『カーム・テクノロジー 生活に溶け込む情報技術のデザイン』(BNN 2020年)にわかりやすくその内容の一部を整理しているので紹介します。

「テクノロジーが人間の注意を引く度合いは最小限でなくてはならない」

「テクノロジーは情報を伝達することで、安心感、安堵感、落ち着きを生まなければならない」

「テクノロジーは周辺部を活用するものでなければならない」

「テクノロジーは、技術と人間らしさの一番いいところを増幅するものでなければならない」

「テクノロジーはユーザーとコミュニケーションが取れなければならないが、おしゃべりである必要はない」

「テクノロジーはアクシデントが起こった際にも機能を失ってはならない」

「テクノロジーの最適な容量は、問題を解決するのに必要な最小限の量である」

「テクノロジーは社会規範を尊重したものでなければならない」

もともと、この「カーム・テクノロジー」(穏やかな技術)はなぜ必要になるのか。これは私なりの考え方では、自然を尊重するなかで如何にテクノロジーとの共生をするかは人類が生き延びるための普遍的なテーマだからです。これは避けては通れず、やり過ぎればどの文明も自分たちの技術によって滅ぶのです。これは歴史が証明していますからいつの時代でもその時代に生きる人が取り組む課題になるのです。そしてこの課題が発生する理由は、そもそも道具というものを使い進化するということの本質にこそあります。

元来、道具というものは、全て使い方から産まれるものです。そして使い方は、使い手の人間力そのものによって最大効果を発揮します。使い手が如何に人間的な徳を磨いてきたか、そしてその徳を積む環境の中で道具と調和をはかったきたか、そこには時代に反映された生き方と働き方があります。

道徳と経済の一致の話も同様に、人はどの時代においても謙虚や自然への畏敬、そして自分たちの文化や歴史を洗練させてきました。この時代においても、それは必要で今の時代は特にテクノロジーで便利になり過ぎているからこそ危険なのです。

自然環境が破壊されるのもまた、その行き過ぎた消費文明の中の技術主義にこそあります。技術が技術を調和するには、確かに私もこのカーム・テクノロジーが行き過ぎたテクノロジー依存の人類には必要だと実感しています。道具だけ進化させても人間力が伴わなければ片手落ちになるからです。それは、今の人類の核の利用をみても明白です。

私ならこういう時は先人に倣います。自立した先人たちがずっと大切にしてきた伝統的な日本の和の暮らしをととのえながら、その時代に発明された道具を必要最小限で最大の効果を発揮する仕組みを知恵として生活に取り入れるのです。

私が提唱する暮らしフルネスは、古民家の懐かしいもの、宿坊の仙人的な知恵に囲まれていますが文明のテクノロジーは否定していません。むしろどれだけテクノジーを人間力で高められるかに興味がありそれを実現させようと取り組んでいるのです。これを徳という砥石を使ってやりましょうと話しているのです。言い換えれば、私なら穏やかではなく「和やか」というでしょう。そしてこの和やかな暮らしこそ、人類を救うと私は確信しています。

和やかなテクノロジーを、この日本、この福岡の地から発信してみたいと思います。

自立と自律

春は出会いと別れの季節でもあります。思い返せば、何かが終わるときは何かが始まります。そして同時に新しい扉を開くときは、古い扉を閉めていきます。開けっ放しのままもありますが、戻ろうとしても戻れず人生は前進するのみです。

自立というものは、自分が一人ではない存在であること、多くの人たちの支えや御蔭様であることを知るたびに成長していくものです。親元から離れてみたり、新しいことに挑戦していくたびに自分が如何に守られていたのかということに気づくものです。

人間はそうやって、守り守られる存在をつくることで自立していきます。一人だけでできることや、一人だけで生きることを自立のように教え込まれてきましたが実際に大人になってみたらそれはまったく違っていたことに気づきます。

実際に、一人だけでできることなどはこの世には存在せず一人だけで生きることはできないのです。この時の一人は、決して内面の自己と現実の自己といった本当の自分で生きるという意味ではなく、単なる社会の中で自分のことは自分でできるようになりなさいという意味だったのでしょう。

本当はここでは自立とはいわず、自律と言えば善かったのではないかと私は思います。ちゃんと自立について体験せず深めていないと、おかしな自立を押し付けることになります。これは生きてみてそうだったのだから嘘はありません。実際の社会ではみんなで助け合って支え合っていますから、自律は必要です。これは、協力することを学ぶことにもなり自分もみんなを支え見守る存在になっていくことのためになります。

みんな自分らしく自己を実現し、そのままであることでみんなを支えていけばこんな仕合せな社会はありません。誰かだけができて、誰かができないという歪なものではなく、みんな違ってみんないい社会が居場所も安心も立命もある社会です。

産まれてきた以上、みんなそれぞれにお役目がありますからそのお役目にみんなで感謝しあって生きられたらこの世は天国になります。人間社会は、色々な人たちがいます。何が善で何が悪かなどは誰にも裁くことはできません。だからこそ、みんなで尊重し合う社会を目指していかなければならないと私は思うのです。

私が保育を本業にするのは、それを実現するために必要なことだからです。

子どもたちがずっと未来にまで、安心して豊かに暮らせる世の中にしていくために社業を通して目的を貫徹させていきたいと思います。

最善を望みながら

ここ数年、コロナで世界は翻弄されましたが現在は世界大戦のことで緊張が高まってきています。かつては、情報がない中である日突然戦争に巻き込まれていきましたが現在はある程度の情報は市民には伝わる中で展開していきます。

もちろん情報統制されていますから、何か本当の真実かはわかりませんが人類の意識がどのように変化してるのかというのはわかります。

例えば、コロナで発生した時の言い知れぬ恐怖、目に見えない不安などもあっという間に世界を席巻しました。そしてそのどこか感染症の閉塞感と経済不況からどう抜け出すかと藻掻いていた矢先に戦争がはじまりさらに経済は打撃を受けます。

まさか今の生活が一変するとは現時点ではあまり誰も考えておらず日常を送ることに専念しています。しかし、今回の報道を見ていてもみんな「まさか」の連続で今が更新されていくのがわかります。

まさか本当に侵攻してくるとは、まさか原発を攻撃し核を使うとか、そしてまさか第3次世界大戦に突入して核戦争がはじまるとか、そんなことは起きないはずだと思考停止してしまうのです。心理学用語に、正常性バイアスというものがあります。これは、どこかで自分は大丈夫と思い込んでいく思考です。そのことから危機に対して初動が遅れてしまうこともあります。

西洋の格言に「最善を望みながら最悪に備えよ」というものがあります。

まさに今は、そのようなときで準備を怠らずに同時に何が最善かに取り組む時期だと思います。そしていざ、事がはじまったのなら禍を転じて福にするためにあらゆるものに適応しながら船の舵取りを柔軟に対応しながら取り組んでいくしかありません。

本当に怖いのは、天災ではなく人災です。

人災こそ多くの人が亡くなり、悲惨な歴史が繰り返されます。日本は戦後77年経ちました。今は、とても大切な節目に入っています。だからこそ、諦めるところは諦め、まだ諦められないところはやり遂げるしかありません。

私は暮らしフルネスの実践こそが、戦争を真に終焉させると信じていますから身近なところから着実に形にしていきたいと思います。