和歌のはじまり

日本最古の和歌集に万葉集があります。これは7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂されたものです。全20巻、約4500首の歌が収められています。和歌には天皇から農民まで幅広い階層で詠まれた土地も東北から九州に及びます。

実際の記録にあるこの万葉時代は天智天皇や天武天皇の父に当たる629年に即位された舒明天皇にはじまり、万葉集最後の歌である巻二十の4516番が作られた759年(天平宝字三年)までの約130年間だといわれています。

この万葉集という言葉の意味は、「葉」は時代の意味で、それが「万」世まで伝わるようにと祈念してできたものとも言われます。この万葉集は、一人の編者ではなく多くの編者と複雑な過程を経て最終的には大伴家持により20巻にまとめられたのではないかといわれます。

また分類としては「雑歌」「相聞」「挽歌」と分かれます。

「雑歌」は行幸や遊宴、旅などさまざまなときに詠まれたものです。そして「相聞」はお互いの消息を交わし合う意で恋愛などのものが詠まれます。もう一つの「挽歌」は人の死に関するものです。

万葉人たちは、人生の節目に和歌を詠みお互いにその心情を確かめ合ったり伝え合ったり、分かち合ったりしたのかもしれません。日本人が情緒豊かである理由もこの和歌から伝わってきます。素直で純粋に美しい心を持ち、それを文章にしていく。美しい四季や自然の畏敬をそのままに言葉にしていったのでしょう。

例えば、天平のころの光明皇后が詠んだ歌があります。この方は、仏教を信仰し興福寺や東大寺をはじめ、仏教を重んじた光明子は民のために悲田院等の慈善活動に邁進された方です。以前、石風呂のことで東大寺の施浴のことを書きましたが1300年前に社会福祉のお手本の実践した方でもあります。3つほど、万葉集に収められています。

「我が背子とふたり見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しくあらまし」第8巻1658番歌

「朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我が宿の萩」第19巻4224番歌 

「大船に真楫しじ貫きこの我子を唐国へ遣る斎へ神たち」第19巻4240番歌

意訳ですが一つ目は、夫婦でこの美しく降る雪が眺められたらどれだけ嬉しいものか。そして二つ目は朝霧が出てきた田んぼ我が庵の萩が雁をとどめてくれようか。そして最後は、大船に乗っていく唐の国にいく我が子らをどうか神様見守ってください。というものです。

この3つからも光明皇后の人柄、その情景が心に映ります。こうやって、むかしの人たちは素直に自らの心情を和歌によってあるがままに語り合いました。今では、言葉が膨大に増えてあらゆるものは言葉で説明できるほどになりました。

しかしかつてのようなシンプルで純粋な言葉は失われ、本当の気持ちや心情が読み取れないほどになっています。複雑なものは実は本当はとても純朴な言葉になるのであり、現在のような複雑さはかえって本当のことが見えにくくなっています。私のこのブログの文章もまた、そういう意味ではまだまだまったく研ぎ澄まされているものではありません。

言葉が増えた時代のコミュニケーションと、言葉がなかった時代のコミュニケーション。時代が変わっても、万葉人たちが伝え合ったような言葉を今でも大切にしていきたいと思います。

子どもたちにも、本当の言葉が伝わっていくように和歌を学び直していきたいと思います。

 

富と徳の天秤棒 ~近江商人の初心~

近江商人の生き方をもう少し深めていますが、文化2年(1805)、近江商人の第一人者・初代中井源左衛門という人がいます。この方は長い商いの体験から得た人生訓を、浄土宗を開いた法然上人の一枚起請文にならい子孫に「金持商人一枚起靖文」を書き記しています。

「一、世間では『金を溜める人は、運がいいからで、金が溜まらないのは自分に運がないからだ』と言うが、それは愚かで大きな誤りだ。運などというのは無いのだ。金持ちになろうと思うなら、酒宴や遊興、贅沢をやめて長生きを心掛け、始末第一に商いに励むより方法はない。他に欲深いことを考えると、先祖の慈悲にも、天地自然の道理にもはずれることになる。ただし始末とけち(原文では「しわき」)とは違う
。無知な人は、これを同じように考えているが、けちの光はすぐに消えてしまうが、始末の光は現世の極楽浄土を照らすものだ。二、これを心得て実行する人が、五万、十万の大金ができることは疑いない。ただし、国の長者と呼ばれるようになるには、運も必要で、一代でなれるものではない。二代、三代と続き、善人が生まれて、はじめて長者と呼ばれる家になる。そのためには、陰徳・善事を積むことより方法はない。のちの子孫の奢りを防ぐために書した」

さらに意訳ですが、金が溜まるのは運ではない。質素倹約につとめて長い目で観て事の本末を見据えて謙虚に励むこと。そしてこれを実践すれば長い期間を得てお金は溜まる。それは何代も世代を超えて陰徳を積むから長者が出るのだと。だからこそこれを心得なさいということでしょうか。

お金持ちなったのは、先人たちの遠い子孫を思い、理念を定め徳を積んだ実践の御蔭なのだということでしょう。

例えば近江商人の中井正治右衛門は瀬田の唐橋の一手架け替えを1818年に完成しました。この工事の費用は全体で1千両かかったのですが、さらに幕府に3千両を寄付したとあります。その理由は工事の費用1千両にあわせて、後の橋の補修や架け替え等が必要だと気づき残りの2千両をそのことに使ってほしいという事での寄付でした。

長い目で観て、計画を立てて実行し、陰徳善事を盡していくところにお金持ちになる所以があります。つまり近江商人の実践の素晴らしさは、先祖からの恩恵を忘れずにそれを子孫たちへさらに陰徳を偉大にして受け継いでいくことにあるように思います。

また近江八幡出身の江戸中期の歌人の伴蒿蹊は、家訓として「陰徳あれば陽報ありとて、かくのごとく常々つとむれば、目に見える幸を得て繁盛すべし。此幸を得るためとあてにしてするは陰徳にあらず、無心にてすれば自然にめぐるなり。」と常に陰徳を積むものが富むというその富の循環の道理を語ります。

つまり近江商人はまず徳を重んじて、それ相応の富をまた陰徳につぎ込みながら地域や日本を仕合せにする実践を大切にしてきたように思います。富に相応しい徳があるかどうか、また徳が富に相応しいかどうか。天秤棒を担いで行商をしたといいますが、ひょっとするとその徳と富を常に天秤にかけていたのかもしれません。

今の時代、冨ばかりが優先されてケチになり徳があまり意識されることがありません。しかし本来は、徳があって富があり、冨があるのは徳の御蔭ですから私たちはよくよく日々の事業の本末や始末と正対して天秤にかけて内省していく必要があるように思います。

子どもたちのためにも、近江商人の生き方からの智慧を伝承していきたいと思います。

 

近江商人の智慧

先日、近江商人のことを深める機会がありました。三方よしという言葉で有名な近江商人ですが、この三方よしという言葉も昭和のころに言われた出した言葉だそうです。

一般的にはこの三方よしとは、「売り手よし 買い手よし 世間よし」の三方みんなが善しになるように商売を行うという意味です。

近江商人はあくまで近江に拠点を置き、全国各地で商いをしていたといいます。なのでその土地で商いをはじめるにあたり、長い目線で商いができるようにと配慮していたといいます。つまり末永くお互いに商売をするために、その地域に還元するように利益を正しく得て商いをしていたというのです。

現代では、会社とお客様との関係だけで商売が行われることがほとんです。地域への還元というとその中の一部の会社だけが行われ、地域活動はほとんど行政などの自治体が行われています。しかしかつての日本は、地域活動や奉仕は商売をする商人たちが中心になって行われていました。

治水や橋をかけたり、また森を育てたり、灌漑設備を整えたりもすべて商人たちの利益から還元されていきました。つまり、商人が得た利益は私物化せずにそれはきちんといただいた場所や社会に還元するという意識が当たり前にあったのです。これを商人道としたのです。

近江商人は特にそれが家訓をはじめあらゆる意識の中の基本に根付いているように感じます。いくつかの家訓を観ても、例えば「義を先にすれば、後に利は栄え、富を好とし、其の徳を施せ」というものがあります。先義後利栄ともいいます。また「商売が繁盛して富を得るのは良い事でその財産に見合った徳で社会貢献をすることが重要である」という好富施其徳といいます。

そのどれもがとても長い目で観て、永続して商いができる道を模索していき産み出されてきた家訓と生き方なのでしょう。

これからの時代、先人たちの智慧に倣い、企業がその地域の徳を甦生させていく必要を感じます。これは税金の使い道がどうこうという話ではなく、みんなで本来の商いの道に原点回帰する必要を感じるからです。

如何に地域に還元していくか、そのために利益を正しく設定していくかは具体的な陰徳善事の奉仕によります。みんながそうやってそれぞれ地域で長い目で観て陰徳を実践していけば日本だけではなく世界はより末永く平和が持続して真に豊かな暮らしを享受されます。

子どもたちの未来のことを考えて、今居る場所から易えていきたいと思います。

伝承の場

先日、ある方から鏡の話を聴きました。鏡というのは、カタカナではカガミとも書きますがこのカガミの「ガ」が取り除かれたらカミになるという話です。日本では、天照大神が三種の神器の一つとしての初心に八咫鏡を伝承し神代より私たちには特別な存在として認識されています。

この八咫鏡は、古事記には「高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、川上の堅石を金敷にして、金山の鉄を用いて作らせた」とあるので「鉄鏡」ではないかとのことです。この鉄鏡を磨き上げて美しい鏡をつくったのかもしれません。

鏡には現実として、磨かなければ錆が出たりして曇り澱んでいきます。常に美しく透明であるためには、鏡面をしっかりと整えていく必要があります。そうやって手入れをし続けてこそ鏡はありのままの現実を映すことができるのです。

そして人間の心をこの鏡と見立てる場合、この鏡がいくらありのままの真実を映したとしてもそれを観る人間の心が曇り澱んでいたらそれが明瞭に映ることはありません。つまり真実が映らないのは鏡の問題ではなく、自分自身の心の問題であるということです。

人間は不思議なもので、ある人にはこの世が美しく鮮明にいのちの楽園のようにキラキラと輝いで観えます。またある人には、殺伐とした無機質の味気ない荒野のようにも見えています。同じ人間が同じ風景を見ても、これだけ世界は異なって観えているのです。

この世界の見え方は、そこに「我」があるのがわかります。人間は生まれたての時、そして死ぬ寸前にこの我が離れてあるがままの状態に回帰しているとよく言われます。我から離れて執着を手放し、澄んだ状態になるというのです。その時、まるで神様のように神々しく観えるとも言われます。

本来、私たちは自然の一部として何の刷り込みもなく余計な知識もなく地球と喜び自然と一体になっていれば心の曇りや澱みはあまり発生してきません。そこから離れて我の世界に入っていくことで、心の中にあらゆる執着がこびりついてくるのです。

かつての先人たちはその道理を知り、その穢れを祓うためにあらゆる工夫を暮らしの中に施していきました。そうやって親祖の心のままに生きていこう、天照大神のような心を持てるように精進していこうとしたのです。

いつの時代もまた、私たちは同じ悩みと苦労で現実に立ちます。この今、此処をどう生きていくか。常に向き合いながら歩んでいきます。心をどう磨いて透明にしていくか、そしてどう日々に心のお手入れをして整えていくか。

子どもたちには、一つの生き方としての伝承の場を遺していきたいと思います。

 

当代の責任

歴史的な遺産に出会ってみると、これが千年以上も遺るというのは本当に偉大なことだと感じることがあります。よく考えてみると、今も遺って私たちがそれを体験できるということはそれだけの苦難の歴史の乗り越えたという証明でもあります。

当たり前に観光で観ていますが、よくぞここまで遺っているというものの見方もあるように思います。これは大木だけではなく、枝垂れ桜のようなものであったり、建造物であったり、伝統工芸や神楽なども同様です。何度も失われそうになったのに、その時々にそれを守り抜いた人たちの努力の結晶があるのです。

奈良にて興福寺の近くを通りましたが、この興福寺の五重塔も苦難の歴史がある建物です。

この五重塔の歴史は古く奈良時代興福寺が藤原家の氏寺として発展を遂げる中、有力貴族である藤原不比等の娘で、聖武天皇の妻だった光明皇后の発願で天平2年(730年)に創建されたことにその歴史は始まります。この光明皇后は以前、ブログで東大寺の蒸し風呂を提供したことを書きましたが観音様のような生き方をなさった伝説の方です。

五重塔はその後5回に渡り、焼失と再建を経ています。現在の塔は室町時代の応永33年(1426年)頃に再建されたものです。約600年近くはこのまま私たちが観ているままに存在しているということになります。実際には、室町時代の他の寺院が再建に対して縮小する中でこの五重塔だけは大きくなって再建されたといいます。

今では信じられない話かもしれませんが、明治のころの廃仏毀釈では25円で売却され解体寸前までいったという話もあります。他にも戦後は観光の建物として上部を展望台にして有料で開放していたともいわれます。

その時代時代の人間の都合で、歴史的建造物は何度も危機に遭います。しかしその都度、心ある人たちが初心を守り、その文化遺産を甦生させていくことで子孫たちはその歴史を心に甦らせて新しくしていくことができるのです。

私たちは時代を生きている存在です。

この時代に何を大切にしていくか、そして何を磨いて甦らせていくかは、その当代の人たちの生き方が決めます。大切なものを守るためには、時代の変化にも対応していく必要があります。守るために変化するのは、私たちの責任なのです。

子どもたちのためにも、当代の責任を果たしていきたいと思います。

 

暮らしフルネスの役割

国内総生産のGDPというものに替わる概念として国内総充実のGDWという言葉があります。このGDWは「Gross Domestic Well-being」の略称です。具体的には物質的な豊かさだけでなく既存のGDPでは測ることのできなかった「精神的な豊かさ」(主観的ウェルビーイング)を測るための新しい尺度のことを言うといいます。

GDPの方は、「Gross Domestic Product」の略称で国内総生産のことです。これは一定期間内に国内で新たに生み出されたモノやサービスの付加価値のことをいいます。シンプルに言えば、指標のプロダクト主義からウェルビーイング主義への転向といってもいいかもしれません。

今までは物質的な豊かさを生産することが幸福の指標としたものが、これからは精神的な豊かさ、心の満足度や充実度を幸福の指標にしようとする考え方へとシフトしようとする概念です。

もともとこの考え方は経済指数を示す国民総生産(GNP)よりも国民総幸福量(GNH)を重要とするブータンの提唱によって世界で意識されていきました。資本主義的な経済価値を求めるGNPやGDPではなく、国民の心理的な「幸福感」「充実感」などを示すものにGDWを活用していこうというのです。

よく考えてみるとすぐにわかりますが、人生は決して物質的なものだけが膨大に増えてもそれですべてが手に入って満足しても充実するとは限りません。例えば、皇帝や王様などすべてが物質的に手に入っても本当の意味で幸福ではなかったという歴史の話はたくさんあります。心の渇望を物質で満たせても、それは一時的なもので永続するわけではありません。物をただ多く持つことはかえって幸福度を下げてしまうこともあるからです。

だからこそこの時代、従来の豊かさで得られなかった真の幸福とは何かを問い始めたということでしょう。人類がいつも青い鳥を探しているのはむかしから何も変わらないものです。

改めてウェルビーイングを調べてみると初めて言及されたのは1946年です。これは世界保健機関(WHO)設立にあたって考案された憲章にこう書かれました。「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」と。これは意訳ですがこれは真の健幸は、病気や弱っていないとかではなく、精神的にも社会的にも「全体として快適で充実している」ということだとおおよそ定義しました。

もっと簡単に言えば「人生においての居心地の善さ」といってもいいかもしれませんが一人ひとり、その人がその人らしく生きられる世の中になっていて、それが全体快適になり人類全体で永続する暮らしを味わえる状態になっているということでしょう。これは平和な社会と平和な暮らしの実現でもあります。

この問いはそもそも人はなぜ生まれてきたのか、何のために生きるのか、ふと立ち止まってみるとすぐに誰もが考えるものです。本当は、この地球に生まれてきてから私たちは真の豊かさを備わって誕生してきました。足るを知る世界に入るのなら、誰もがその幸福に気づくものです。

しかしあれが足りない、これが足りないと、わかりやすい成長と繁栄ばかりを追い求めてきた結果として自然環境が人類の都合で悪化し、空気や水やその他の暮らしのリズムなど、当たり前に存在してきた偉大な幸福も急激に失われているのが現状でもあります。

今、まさに人類は世界の中で真の豊かさについて議論をしだしたということでしょう。人類は、今、大事な分水嶺にいてその「選択」によって未来の子どもたちに影響を与えます。今の世代の責任として、子孫のために何を選択していくか。それが問われているのです。

もともと日本人の先祖は「和」を尊びました。私たちは今、世界の一部としての日本となりました。世界は様々な文化と融和し、新しい世界を切り拓いています。だからこそ日本から私たちは真の豊かさを発信する必要があると思うのです。それが私たちの役割であり、世界に貢献できる真のウェルビーイングの定義の提唱になるのです。

世界が一つになっていくからこそ、この問題は人類は決して避けては通れません。日本から何を伝道していくか。まさに今こそ、私たちはこの問いに正面から向き合い発信していく責任を果たすべきでしょう。

子どもたちのためにも、概念論だけではなく実態をもった智慧を「暮らしフルネス™」を通して引き続き実践していきたいと思います。

奇跡を磨く

人間は、自分が完全であるものとして認識するためには今までの環境で得てきた刷り込みを取り払う必要があります。様々な環境の影響を受けて、私たちは教育などによって自分というものが何か不足しているものだと感じるものです。

言い換えれば、足るを知らないというかないものねだりをするものです。ないないと求めているからあるものを観ようとしなくなるともいえます。人はあるものを観るとき、自分に与えられているものを感じるとき十分に与えられている仕合せを噛みしめ味わうものです。

人は誰もが、失ってみてわかるものばかりです。ある時はあれだけ当たり前だったものも、なくなってしまえばその大切さに気付きます。だからこそ、なくなってから気づくのではなくあるときに気づくことの方が重要になっていくように思います。

それは感謝を磨いていくことで実感できるようになると思います。

有難いという言葉は、滅多にないという意味でもあります。つまりは奇跡そのものであるということです。つまり奇跡ですと日々に感謝しているという状態です。

今の自分が存在することも奇跡ですし、こうやって日々に暮らしができることも奇跡、この地球に来て様々な感情を味わうことも奇跡ですし、またいつかは生まれ変わり永続していくことも奇跡です。人生は奇跡によって彩られているからこそ、私たちはその奇跡を感じる感性を磨いていく必要があると思います。

奇跡を磨くためには、感謝を磨くことが一番です。

その方法は、非常にシンプルであり生きている奇跡、そのご縁に感謝することです。人は生きていれば、日々に微細な小さな変化の御縁と出会います。例えば、美しい風景、動植物の音色、光が物に映る陰影、そして生活の気配、あらゆるものの存在の中にいのちを感じるものです。

そういうものを深く味わい、そのご縁に感謝します。どれもが、当たり前ではない多くの物語を持っていてそれを感知していくことで自分の与えられているいのちの意味に近づいていきます。

かつての日本人はいつも「天」という意識を持っていました。天に恥じない生き方、お天道様にお任せする生き方のことです。天に問うとも言いました。あまり自分で判断せずに、天にお任せする生き方こそが気楽な生き方でもあり、そこはもうすべてお任せするという喜びがあります。

奇跡を磨いて子どもたちに豊かな未来をつないでいきたいと思います。

これからの時代

最近、ブロックチェーンの特性を活かして「NFT」(Non-Fungible Token:非代替性トークン)という名前がよく聞かれるようになりました。これは「偽造不可な鑑定書・所有証明書付きのデジタルデータ」のことをいいます。

NFTの歴史を調べると、2012年に登場したBitcoinの「Colored Coins」(カラードコイン)といわれます。その時はBitcoinの最小単位の「satoshi」に「色」をつけることで所有者情報を紐付けしようしたことがはじまりだといいます。

その後、ERC-721リリースされデジタル版の猫を育成・取引するアプリゲーム「CryptoKitties」(クリプトキティーズ)開発され最初のNFTブームが誕生したそうです。その後は、ブロックチェーンの色々な社会問題が発生し落ち着いていましたが現在は再びその信頼性や重要性に気づきNFTの次のブームに入っています。

NFTは、現在ではアーティストなどコンテンツ制作者に大きなメリットをもたらしています。仲介業者がなく手数料もなく直接、アーティスト自身で作品を販売することができます。また、NFTを使い、売買価格の一定割合が制作者に入る仕組みを作る動き出ています。そうなることで、アーティストは自分の作品が販売されるたびに継続的な収入を得ることができさらに作品創作に専念することができるのです。これからさらにブロックチェーンの市場が大きくなるにつれて技術革新も進みこのNFTも発展していくと思います。

現在、有名なプラットフォームとしては Opensea、Treasure Land、 Rarible、 Hic Et Nunc、 Foundation、 LINE BITMAX、 CoincheckNFTなどがあります。

ただし、まだまだコピー可能であることや法整備なども整ってはいません。これからその辺が解決するためにアップデートされていくと思います。

やはりこの価値を扱う上で重要なのは、ブロックチェーンの活用によって仲介業者がなくてもお互いに透明性な取引が実現できるということです。これまでとこれからの違いに、さらに今までよりも自由に世界と対等に自分自身を発揮していくことができるということもあると私は思います。

時代の変わり目に、時代に合わせて子どもたちに相応しい技術を創造していきたいと思います。

薫習

先日、藁ぶき古民家で祈祷をした際、大祓祝詞を宮司さんと一緒にそらんじていた方がいました。もともと宮司さんだったのかとお聴きすると、そうではなく幼いころに身近で祖父母や両親が祈祷していた中で育ったので身体が覚えていたということでした。

幼少期、また子ども時代に暮らしの中で身についたことが何十年もなくならずに染みこんでいるのを実感しました。

薫習(くんじゅう)という言葉があります。ウィキペディアにはこう書かれています。

「熏習(くんじゅう、梵: vāsanā、abhyāsa、bhāvanā、 वासना)とは、身口に現れる善悪の行法もしくは意に現れる善悪の思想が、起こるに随ってその気分を真如あるいは阿頼耶識に留めること。俗にいう「移り香」、香りが衣に染み付いて残存するようなことを言う。薫習が身口意に現れたのを「現行法」(げんぎょうほう)といい、真如あるいは阿頼耶識に気分が留まったものを「種子(しゅうじ)」あるいは「習気」(じっけ)という。このように現行法が真如あるいは阿頼耶識にその種子もしくは習気を留める作用を薫習という」

この阿頼耶識とは「阿頼耶識 (あらやしき、 梵: ālaya-vijñāna、आलयविज्ञान )は、 大乗仏教 の 瑜伽行派 独自の概念であり、個人存在の根本にある、通常は意識されることのない 識 のこと 。. アーラヤ識 。. 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識 ・ 末那識 ・阿頼耶識の8つの識の最深層に位置するとされる 。」ともあります。

つまりシンプルに言えば、潜在意識ともいわれるような通常は意識に出てこない深いところ、深層の意識のところにいつまでも留まっている記憶のようなものです。

現在の教育は、この薫習ではなく暗記を中心に表層の意識に詰め込むものばかりを行います。いつもすぐに表層意識に出てこないといけないので、物覚えが悪い人には大変です。

本来は、私たちの文化や伝統はこの薫習によって染みこんでいくものです。それは、暮らしを通して場で行われてきました。伝統的な暮らしには、あらゆる先人たちの智慧の宝庫です。

そこに触れることで自然に薫習されて、次世代へとその智慧が受け継がれていく。そうやって私たちは人格を形成し、生きるための指針や根からの養分を吸い上げていくことができるようになります。

子どもに与える環境というのは、本来はこういうものに触れる機会を醸成していくことです。私の取り組みは、この薫習をハイブリッドに実践して体得していくことによります。

子どもに懐かしい未来を譲り遺していきたいと思います。

場をつくる

人はそれぞれに場をつくる力をもっています。この場は、みんなそれぞれに異なりますがそこに確かな場が存在したことを確認することはできるものです。

昨日、ある話を聴いた中に二酸化炭素の吸収のことがあります。若い木の方が二酸化炭素を吸収して酸素を排出するので古い巨木や古木を伐採して若い木を植えているということがあるそうです。木を見て森を観ずというか、二酸化炭素だけをみたら若い木の方が吸収していきますが実際には古木や巨木は周囲に苔をはじめ多くの植栽が芽生え循環し、見事な生態系を創り出します。その全体で吸収する二酸化炭素の量は若い木と比べてもまったく問題ないほどです。

それにその若い木もそのうちに古木になりますから、古木になれば切って若い木だけを植えるというのは人間であれば労働力として価値のない老人は切り捨てていくというのと同じことです。

老人は、見事な人格を磨かれていけばその周囲には見事な場を創り出していきます。まさに若いものを育て、周囲の自然生態系を活発にし、あらゆる徳を循環させていく場を醸成していくのです。

これは先ほどの古木や巨木も同じく、神社の境内や聖域と呼ばれる山にあるように見事な鎮守の森、つまり「癒しの場」をつくるのです。

この場をつくる力とはいったい何なのか。それはこの木の生き方から学べるものです。

私たちの先祖はそれを悟り、日本全国に信仰と共に素晴らしい場を整えてくれました。それが神社であり、あるいは古民家であり、またあるいは棚田であったりします。

場をつくるのはそこに場があることに気づいた人々です。場があることに気づくからこそそこを守ろうとします。そして人は、その場をつくる仕組みを学び、一人一人が、木のように場を見守り育てていくのです。

それは一つの発達を見守ることでもあり、私が一緒に取り組んでいるギビングツリーの提案する保育の在り方と同じです。木は、まさに一つの場をつくる力を示します。

どんな環境を創造していくのか。

それはその木の生き方、そして杜の在り方から感じ取れます。地球は本来、大きな杜です。この偉大な杜に守られて私たちの生命はこの世で幸福な場を享受されています。

場道家として子どもたちに場づくりの智慧を伝承していきたいと思います。